テスタマッタ(Testa Matta)とは、2006年3月19日生まれの日本の競走馬である。鹿毛の牡馬。
馬名の意味はイタリア語で「クリエイティブな意味合いでクレイジー」。なかなかインパクトのある響きだが同名のワインも存在するようだ。
主な勝ち鞍
2009年:ジャパンダートダービー(JpnI)
2011年:マーチステークス(GⅢ)
2012年:フェブラリーステークス(GI)
2013年:さきたま杯(JpnⅡ)
概要
父Tapit(タピット)、母*ディフィカルト、母父Concern(コンサーン)という血統。
父Tapit(タピット)はアメリカの競走馬で、現役時代は病気もありG1を1勝するに留まったが、種牡馬としては北米リーディングサイアーに輝くなど大いに活躍した。代表産駒にフライトライン。
母*ディフィカルトは9戦1勝のアメリカの競走馬。テスタマッタの活躍後に繁殖牝馬として輸入された。母母Wings of JoveはG1馬で、*ディフィカルトの半姉に当たるBroad Smileは重賞馬。*ディフィカルトのアメリカ時代の産駒*シーズインポッシブルも輸入され、その直仔からは重賞馬ワンミリオンス、孫には全日本2歳優駿勝ち馬ミリアッドラヴ。
母父Concern(コンサーン)はヒムヤー系のアメリカの競走馬で、現役時代はブリーダーズカップ・クラシックなどG1を2勝したが、種牡馬としては不振に終わった。
生産はWaterford Farm。その種牡馬としての実績が確立する前の初年度産駒ということもあってか、バレッツセールでは後の種付け料よりも安い6万ドルで落札され、吉田勝己の妻である吉田和美が馬主となった。
戦績
2歳(2008年)
同年9月に開業した栗東の村山明厩舎に入厩し、内田博幸を鞍上に10月の芝1600mの2歳新馬に出走すると単勝16.5倍の5番人気に支持され、中団追走から上がり最速を出し後の京成杯勝ち馬アーリーロブストをクビ差で破って勝利。これが12戦目の村山調教師にとっても初勝利となった。
12月に500万下で芝2000mのエリカ賞に出走すると岩田康誠鞍上で3番人気となったが、3番手からの競馬でアーリーロブストの4着。
3歳(2009年)
3歳初戦は4月の500万下で芝1800mのはなみずき賞に出走。上村洋行鞍上で6番人気になり、番手に付けて7着。余談だが後の菊花賞馬スリーロールスが1番人気に支持され2着となっている。
5月には池添謙一鞍上で芝1600mの3歳500万下に出走したが7番人気10着。
同月に芝1400mの3歳500万下に出走したが、これも8番人気で最後方からの競馬となり12着。
同月には更にダート1400mの3歳500万下に四位洋文鞍上で出走し、単勝24.1倍の7番人気となったが、ここは後方からの競馬で上がり最速を出し、先行した後の重賞馬エーシンビートロンらを差し切って4分の3馬身差での勝利。2着3着4着5着が1番人気2番人気3番人気4番人気となる中での伏兵となった。
6月には太宰啓介を鞍上に古馬相手となる1000万下でダート1200mの出石特別に出走すると、単勝8.6倍の5番人気に支持され、後方からの競馬で上がり最速を出し、1馬身差以上付けて勝利。
7月にはジャパンダートダービー(JpnI)に出走し、岩田鞍上で単勝11.8倍の4番人気となった。レースでは前走が1200mであったことから距離に不安もあったようだが、中団から直線で抜け出して上がり最速を出し、シルクメビウスに2馬身差の勝利。村山調教師にとっても初のGI級勝利となった。芝で勝ち上れていれば日本ダービーを目指していたという村山調教師は「まぐれみたいでビックリしています」とコメントした。
日本テレビ盃は回避し、南部杯は除外となり、11月に元々検討していた武蔵野ステークス(GⅢ)に出走。クリストフ・スミヨン鞍上で4番人気となったが、58kgの斤量が響いたか、3歳馬のワンダーアキュートが勝利する中で11着に沈んだ。
補欠から繰り上がりで出走可能になった同月の浦和記念(JpnⅡ)に出走すると、単勝5.4倍の3番人気に支持されたが、先行したものの仕掛けどころで詰まったとのことでブルーラッド、ルースリンドの2頭の地方馬に先着されて3着。
次走はジャパンカップダートの予定であったが喉頭蓋エントラップメント発症が判明したため回避した。
4歳(2010年)
4歳初戦は平安ステークスで復帰予定であったが、繰り上がりで出走可能となったためか1月の川崎記念(JpnI)に岩田鞍上で出走。4番人気となったレースでは先行し、前にいたヴァーミリアンと逃げたフリオーソからは1馬身半離されたが3着。
佐賀記念は回避し、2月のフェブラリーステークス(GI)に出走。単勝13.0倍の5番人気に支持されたレースでは、上がり最速を出したが、先行した1番人気エスポワールシチーの壁は厚く、サクセスブロッケンは交わしたが2馬身半差の2着。
しかし、レース後に右橈側手根骨骨折が発覚し、登録していたダイオライト記念などは回避となった。夏には降級制度によって収得賞金が半減するためKBC杯や関越ステークスも検討していたが、結局繰り上がりで出走可能となった9月の日本テレビ盃(JpnⅡ)で復帰。 内田鞍上で4番人気となったが、結果は1着から5着まで人気通りとなる中、フリオーソ、トランセンド、スマートファルコンに次ぐ4着。
10月はマイルチャンピオンシップ南部杯(JpnI)に出走すると、単勝1.0倍の圧倒的1番人気に支持されたエスポワールシチーに次ぐ単勝11.5倍の2番人気に支持されたが、6着。なお、エスポワールシチーはオーロマイスターに敗れて2着となった。
5歳(2011年)
5歳初戦はウンベルト・リスポリ鞍上で1月の川崎記念(JpnI)から始動予定であったが、前日に左肩跛行のため出走取消となった。
フェブラリーステークスは除外となり、3月の仁川ステークス(OP)もオープン競走の出走馬決定順の都合上あわや除外になりかけたが何とか出走。4番人気となったが、3番手からの競馬でワンダーアキュートの3着。
4月には東日本大震災直後ということで「被災地支援競走」の副称がついたマーチステークス(GⅢ)に出走。四位洋文鞍上でトップハンデとなり、単勝12.0倍の7番人気となったレースでは、直線半ばで抜け出し上がり最速でブラボーデイジーに2馬身半差の勝利。翌年のドバイワールドカップ出走案も出ることとなった。
5月は東海ステークス(GⅡ)に福永祐一鞍上で出走し、調教が悪いといわれつつも4番人気となったが、クビ差で3着を逃しワンダーアキュートの4着。
帝王賞を目標としていたが出走せず、7月の大沼ステークス(OP)に四位鞍上で参戦。トップハンデタイながら単勝2.2倍でここに来て初めての1番人気となったが、7着に終わった。
同月には更にマリーンステークス(OP)に出走すると3番人気となり、レコード勝利のランフォルセから2馬身半差の2着。
余談であるが、2011年9月のアメリカでの報道によると、当時のTapit(タピット)産駒の総賞金のうち大半がテスタマッタの賞金であったとか。
南部杯も検討したが11月の武蔵野ステークス(GⅢ)にフランシス・ベリー鞍上で出走。5番人気で後方からの競馬となり7着。
12月のジャパンカップダート(GI)は四位鞍上で7番人気に支持され、レースでは出遅れて捲ったが12着。
同月には岩田鞍上で東京大賞典(GI)に出走。4番人気に支持されたレースでは先行し、逃げた単勝1.0倍の圧倒的1番人気スマートファルコンに同じく先行した3番人気ワンダーアキュートがハナ差まで迫った中、そこからは2馬身離れていたが3着。
6歳(2012年)
6歳初戦は1月の根岸ステークス(GⅢ)。5番人気に支持されたレースでは、シルクフォーチュンが勝利する中2着からハナ差の3着。
陣営から「相手関係より自分との戦い」とのコメントが出る中、次走は2月のフェブラリーステークス(GI)。後方からの競馬で、折り合いに苦労しつつ外から上がり最速タイで脚を伸ばし同じく後方から上がり最速を出した4番人気シルクフォーチュンに2馬身差付けて勝利。岩田騎手曰く「やってまった」とのこと。なお、村山調教師にとっては初のJRAのGI勝利となった。ドバイワールドカップにも意欲を示していたが、右前のひざ裏がもやもやしているということで断念した。
続いて5月にはかしわ記念(JpnI)に出走。2番人気に支持されたが、番手に付けた3番人気エスポワールシチー、そこから2馬身半差の逃げた1番人気フリオーソと来て、6番手から3番手に上がっていたものの更に2馬身後ろの3着。
さきたま杯や休養も検討したが、6月の帝王賞(JpnI)に出走。2番人気ゴルトブリッツに1番人気エスポワールシチーが3馬身半差で敗れ、テスタマッタはそこからクビ差の3着。
8月に6頭立てで行われたブリーダーズゴールドカップ(JpnⅡ)では単勝1.6倍の1番人気に支持され、先手を奪って途中から逃げたものの、前年の勝ち馬で2番人気のシビルウォーに交わされ、6馬身差付けられて2着。
11月のJBCクラシック(JpnI)では4番人気となり、岩田騎手曰く「道中かみ合うか、かみ合わないか」という馬だと言うが今回は掛かり気味でかみ合わず5着。
7歳(2013年)
7歳初戦は、前回のレースの後で右の飛節に腫れがあったものの間に合わせ、デクラン・マクドノー鞍上で1月の根岸ステークス(GⅢ)に出走。59kgの斤量を背負い8番人気で迎えたレースでは、出遅れ気味で後方からの競馬となり6着。
岩田を鞍上として前年勝利したフェブラリーステークス(GI)に4番人気で出走したが、後方からの競馬で上手く内に入ることが出来ず7着。なお、3着ワンダーアキュート騎乗の和田竜二騎手の斜行でテスタマッタの進路が狭くなったとして、和田騎手は2日間の騎乗停止になった。
5月には戸崎圭太鞍上でかしわ記念(JpnI)に出走。4番人気に支持され、最初は引っ掛かりながらも最後に上がり最速タイを出したが、3着とアタマ差の4着。
同月のさきたま杯(JpnⅡ)は単勝3.0倍の2番人気。レースではスタートで出遅れて最後方からの競馬となったものの、4コーナーでは2番手まで進出して上がり最速を出し、1番人気セイクリムズンに半馬身差の勝利。
10月の東京盃(JpnⅡ)では岩田鞍上で3番人気に支持され、逃げたタイセイレジェンドは捉えられず3馬身半差の2着。
11月のJBCスプリント(JpnI)は川田将雅が鞍上となり、4番人気に支持されて4着。
12月のジャパンカップダート(GI)では、ダグラス・ホワイト鞍上で16番人気となったが、結果は8着。
8歳(2014年)
8歳初戦は田辺裕信鞍上で2月の根岸ステークス(GⅢ)に参戦したが、11番人気で後方からの競馬となり7着。同月には右前繋部浅屈腱炎が発覚し、引退となった。
因みに同月のフェブラリーステークスでも依頼される予定だったのが宙に浮いた田辺騎手であるが、代わりに同厩舎で抽選を突破して出走可能となった16番人気コパノリッキーに騎乗することとなり、その結果なんと勝利してしまった。
種牡馬入り
引退時点ではTapit(タピット)の種付け料が初年度の1.5万ドルから15万ドルに上昇するほど人気が高まっており、「日本国内で繋養しても良かったのでは?」と思わなくもないが、まあ当時のダート馬はGI級2つ以上勝っていても種牡馬になれないことも時々あったし。
初年度には種付け数77頭を集め血統登録29頭、2年目には種付け数123頭を集め血統登録54頭、3年目には種付け数70頭を集め血統登録20頭といった人気種牡馬になったようであるが……明らかに受胎率が微妙である。それでもTouch Star Man、Uaryungといった国内重賞勝ち馬が出て、後者は種牡馬入りしている。2025年も現役のようなので頑張ってほしいところだ。
2025年現在、テスタマッタが日本で走ったTapit(タピット)直仔としては最も賞金を稼いだ馬であるが、他の同馬の産駒のうち日本で種牡馬入りした馬がどうかというと、重賞未勝利に終わったゴールデンバローズが産駒フジユージーンの3歳時の戦績もあって多くの牝馬を集める一方、アメリカ遠征でも知られるラニが重賞馬リメイクを輩出したものの他がやや微妙で種牡馬引退になっていたりする。輸入種牡馬ではどうかというと日本軽種馬協会がクリエイターⅡを輸入したものの数年後にはサウジアラビアに輸出されたり、Tapizar(タピザー)を輸入しようとしたら直前に死亡したりと何とも言えない結果である。テスタマッタが国内で繋養されていたら果たして成功したのかは気にはなるところである。
血統表
| Tapit 2001芦毛 |
Pulpit 1994 鹿毛 |
A.P. Indy | Seattle Slew |
| Weekend Surprise | |||
| Preach | Mr. Prospector | ||
| Narrate | |||
| Tap Your Heels 1996芦毛 |
Unbridled | Fappiano | |
| Gana Facil | |||
| Ruby Slippers | Nijinsky | ||
| Moon Glitter | |||
| *ディフィカルト 1999 黒鹿毛 FNo.6-a |
Concern 1991 鹿毛 |
Broad Brush | Ack Ack |
| Hay Patcher | |||
| Fara's Team | Tunerup | ||
| Specialization | |||
| Wings of Jove 1980 芦毛 |
Northern Jove | Northern Dancer | |
| Junonia | |||
| Regatela | Dr. Fager | ||
| Metatela |
クロス:Northern Dancer 5×4(9.38%)、Mr. Prospector4×5(9.38%)
関連項目
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