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ランニングゲイル
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ランニングゲイル(Running Gale)とは、1994年生まれの元競走馬である。青鹿毛
輸入種牡馬が幅を利かせる中で父内国産馬としてクラシック役を担った

(以下、本な活躍期間を鑑みて競走馬時代は旧年齢(数え+1歳)で馬齢を記載します)

な勝ち
1997年弥生賞(GII)

概要

血統

ランニングフリー *ミルダンス Mill Reefという血統。重賞を3勝し第二次競馬ブームの中でタマモクロスオグリキャップ闘を繰り広げた名脇役。ただいくら一般人気があるだからと言って外種牡馬全盛期GI勝利が集まるわけもなく、初年度産駒はわずか3頭。本の世代に当たる2年産駒はちょっと増えたが9頭であった。ミルダンスは2戦1勝の英国Mill Reef予後不良一歩手前の重傷から生き残り、種牡馬として2度英国リーディングサイアーいた名種牡馬日本においても*ミルジョージや*マグニテュードが大きな足跡を残している。

誕生~3歳戦

1994年3月2日に老舗・高橋農場にて誕生。牝系体の良さでそこそこ良い評判だったそうだがなので大人気とはならず、牧場所有のまま東の加用正厩舎に入厩。しかしなかなかゲート試験に合格できず、困った加用調教師が頼ったのがのちの戦である武豊騎手であった。ユタカさんはランニングフリー種牡馬になったことを知らなかった(まあ平成三強を駆って倒してきた側だし…)そうだが、乗ってみて「そこそこ走る」との印を持ったそうな。なおゲート試験ユタカさんをもってしても落ちた模様

そんな本デビュー戦は8月函館ダート人気も4番人気微妙、そしてレースは見せ場なく8着。折り返し新馬戦は競争中止。その後函館未勝利戦を2戦するが勝てず。この間に膜炎なんかも発症、踏んだり蹴ったりである。
函館から戻って5戦未勝利戦京都。ここまでいいところなしなの人気は前走の56.9倍から16.2倍へと急上昇。その理由は2つ。1点1800mへの距離延長。それまで短距離を使われてきた本だが古馬王道で奮戦した、しかもミルリーフニジンスキースタミナ種牡馬距離延長ばっちこいである。そして2点上に武豊が起用されました。その結果後の重賞ポートブライアンズ以下を牙にもかけず、逃げて上がり最速出して7馬身差の勝劇。
続く黄菊賞は上がり最速を出したものの、逃げアサホマレが史上初めて3歳で1600m1分33台の時計叩き出した後ろで2着。とはいえ本も1分341という優秀なタイムで駆け抜けたので評価は上昇した。その次走は京都3歳ステークス(当時オープン、芝1800m)。6頭と少頭数の中本は1番人気レースは番手から上がり2位の脚を使って優勝。これだけなら特にいうことはないのだが、問題はタイムである。そのタイム、1分472。あのナリタブライアンレースレコードを06上回ったのである。父内国産馬が。

この好走を受けて次走は2歳王者決定戦、朝日杯3歳ステークス(GI)。ここ2年は*サンデーサイレンス産駒が持って行っていた本レースだが、この年は府中3歳ステークス(現東京スポーツ杯2歳ステークス)2着のスターマイサドル大物不在。前週にはメジロライアン産駒メジロドーベル阪神3歳牝馬ステークスを制したし、馬連中もこれに続け!…ということなのかは定かではないが、1番人気ノーザンテースト最後の大物ことクリスブレイヴ。ほかにも6頭の父内国産馬が参戦した。本は前走が評価されて5番人気につけた。
レース本番、本綺麗ゲートを出た…のだが外からアサホマレを始めとしたたちがどんどん先手を奪いにかかり、中団で群にもまれることに。結果第3コーナーでやや強引に進出してきたマイネルマックスらに挟まれて下げる羽になり、最終直線で盛り返したがマイネルマックスの4着まで。翌日結婚式を控えていてGIジョッキー称号が欲しかったマイネルマックス上の佐藤哲三ファイトした…のかは定かではないが、だいぶ酷い不利を受けたのは事実ユタカさんは採決委員に申し出たものの審議にはならずそのまま確定し、ユタカさんはこの結果にキレたそうな。

4歳

年明け、ここまですでに8戦しているので前戦まで休養…と思いきや年明け々に若駒ステークス(当時オープン特別・現リステッド京都2000m)に圧倒的1番人気で出走。3番手を追走し4で外から先頭に並びかけ…たところで最後方にいた2番人気エリモダンディーがまくって進出。直線追いべになったがじりじりと引き離され、3着は5馬身引き離したもののエリモダンディーからは2馬身差の2着。

次走はクラシック弥生賞。1番人気朝日杯3着後にオープン特別のホープフルステークスを制したメジロライアン産駒エアガッツ。2番人気新馬戦を圧勝してきた、この世代におけるサンデーサイレンス産駒大物サイレンススズカ。3番人気が本で、4番人気サンデーサイレンスロジータのピッカピカの良血オースミサンデー。この4頭が10倍を切る人気であった。
さてゲート入りも終わっていざ発走…のはずがこの記事読む人はみんな知ってるだろうけどトラブル発生。サイレンススズカが厩務員を追っかけてゲートをくぐろうとしたのである。体検の結果サイレンススズカは競走除外には成らなかったものの、あわれ外発走に。
仕切り直して本番、サイレンススズカが思いっきり出遅れる中で本は下げて後方2番手。サイレンススズカが出遅れたおかげで先頭のスーパ―マクレガーは1000m62スローペースを刻み、2番手3番手も積極的につつきにいかない展開。これを見て取った武豊、出遅れから暴走猛追してきたサイレンススズカと一緒に向こう正面から大外を進出開始。途中で脚が鈍ったサイレンススズカを置き去りにしたランニングゲイルは3で全頭まくり切って先頭に立ち、そのまま勢いよく最終直線に突入。外からオースミサンデーが足を伸ばしてきたが届きそうにもない。最後は追う様子もなく、3馬身差をつけての勝劇。

ランニングゲイル、ランニングゲイル、4馬身リードがある!ランニングゲイル先頭!

さあランニングフリー産駒が、ここを雄々しく羽ばたくか!残り200を切った!

さあ外を突いて10番のオースミサンデーオースミサンデー、内からはサニーブライアン

エアガッツ伸びない、サイレンススズカも伸びない、

勝ったのは!武豊!ランニングゲイル!

- フジテレビ三宅正治アナウンサー

このド手な勝利(近年だと2025年の同レースファウストラーゼンが近いが、まくった後に直線をしのぎ切った感のあるファウストラーゼンと違ってまさに圧勝である)によって本クラシックの有力補、前年にダンスインザダークで取りこぼした武豊ダービージョッキー称号をもたらすとして人気が沸騰した。このほかにもサイレンススズカの大暴走やら外から2着に突っ込んできたオースミサンデーの健闘やら1番人気エアガッツの惨敗やら、ついでに阪神メインマイラーズカップではオースミタイクーン騎乗のユタカ武幸四郎騎手デビュー2日重賞制覇(ついでに14戦で初勝利)というアンタッチャブルレコード立、などなど非常に盛り上がった日曜日であった。おかげで3着にりこんで優先出走権を確保したのことはも彼も忘れていたのであった。

本番皐月賞、1番人気ラジオたんぱ杯と共同通信杯を制しスプリングステークス2着のメジロライアン産駒メジロブライトに譲ったが、本は差のない2番人気に推される。
しかしレース本番は510番というん中のを引いたこともあって包まれてしまい、直線で最内を突いたものの伸びも今一つで掲示板も外す6着に終わり、弥生賞で3着に破ったサニーブライアンが会心の勝利を収めるのをメジロブライトともども後方で眺めるだけに終わってしまった。

まあ収得賞金は足りてるので次走は日本ダービー…ではなく、サニブともどもそのトライアルプリンシパルステークス(当時オープン特別・現リステッド府中、芝2200m(当時))に出走を表明。いやなんで!?3歳でもう12戦だぞ!?まあ好意的に解釈すれば府中走った経験がないからなのだろうが…。サニブは未勝利に蹴られたので結局回避になったが本事?出走、2.3倍の1番人気に推される。
しかしレース本番ではまた出負けし、最終直線ではアオシマバクシンオーに「並ぶぞ!」と連呼されながら上がり3ハロン340の脚で大外を駆け上がったが、のちの脚質からすれば信じられないが3番手から347の脚で押し切ったサイレンススズカこちらもちょっと信じがたい5番手から345の脚でりこんだマチカネフクキタルというのちのGI2頭の前に3着。両ダービーの最終切符をつかませてしまう結果に。

そして本番日本ダービー。さすがに連敗で大きく人気を落とす…こともなく、倍率は大きく下げたがそれでも2番人気。「前走はあくまで叩きユタカダービーに向けて脚を測った結果だ」とか、ランニングフリーが長距離で活躍しただからとか、前年に惜しくもダービーを取りこぼしたユタカさんにダービー取ってほしいとか、まあその他もろもろの人気であろう。ちなみに1番人気も変わらずメジロブライト皐月賞サニーブライアントライアル勝ちどころか皐月賞2着のシルクライトニング(最終的には競走除外)にも負ける7番人気
レース本番はまずまずゲートを出ると、ここ2戦の結果を受けて豊は先行策を選択。しかしサニーブライアン上の大西直宏完璧レースメイクを前に脚を削られてまくることもできず、最終直線ではサニブを捉えるどころか後方一気のたちに差し切られて5着(6着のエアガッツとはクビ差)。先行して掲示板に残したのはサニブ以外は本だけなので弱かったわけでもないのだが…。

2戦は悔しい結果に終わったが、前述のとおりランニングフリーは長距離で活躍した皐月賞より日本ダービーの方が成績良かったしこそは!と行きたかったのだが…ここまで13戦してきた反動からか脚部不安を生じ長期休養に入る。情にもクラシックは参戦することなく過ぎていった。

5歳以降

翌年に産経大阪杯より復帰したが、エアグルーヴメジロドーベル闘の添え物にも慣れない7着。その後3戦したがオープン8着→オープン2着→七夕賞14着と精を欠き、ユタカとのコンビはここで解消となった。

それでも次走の道新杯(オープン特別)勝利して乗り込んだ毎日王冠。ここで本は因縁?の相手との再会を果たす。そう、ここまで3戦2勝と何気に勝ち越していたサイレンススズカである。あの後ススズユタカからの熱ラブコールを受け、年明けからユタカとともに4連勝して一躍トップホースに君臨し、宝塚記念上は南井さんだったが)を制してGIまで上り詰めていた。本レース天皇賞秋への前戦と共に、最強世代こと1998年クラシック世代を代表するマル外エルコンドルパサーグラスワンダーの挑戦を受けて立つ側であった。
レース本番、サイレンススズカが飛び出していく中本エルコンドルパサーを制して2番手につける。そのままビッグサンデー(彼も同期)とともにサイレンススズカを視界にとらえながらのレースになった…が、先頭のサイレンススズカ800mを46で刻むハイペースを前にして3で動いたグラスワンダーとそれに呼応したビッグサンデーについていけず後退。7着に終わった。

その後の彼のレース取り立てて語ることはない。サイレンススズカがターフに散った天皇賞秋は7着、その次走のマイルCSは11着。父内国産馬定時代の愛知杯は5着。年明けの京都金杯で左足を骨折し再び長期療養を余儀なくされ、その後復帰したものの惨敗。これにて大井競馬に移籍となったがダートはさっぱりで、8戦して最高8着と振るわず2002年2月引退となった。

通算32戦4勝[4-3-1-24]。といい上といい、正直実力にして人気先行の感が否めないであった。クラシックの活躍は々しいがその後はすぼみで、総賞金も約4億の較すると約1億5000万と大きく劣る。使い詰めで脚を壊していなければ、古になって長距離メジロブライトらとしのぎを削っていたのかもしれないしもっと重賞戦線にいられたかもしれない。
しかし本の活躍が1997年クラシックを盛り上げ、またランニングフリー種牡馬生活を伸ばし、ひいては寿を全うできた要因となったのは間違いないであろう。

引退後は種牡馬にはなれず故郷の高橋農場で余生を過ごしていたが、2022年2月9日死亡オースミサンデーエリモダンディーサイレンススズカが現役中に死亡し、メジロブライトサニーブライアン世した中で28歳まで生きられたことは幸福だったのではないだろうか。

血統表

ランニングフリー
1983 黒鹿毛
*サーペンフロ
Sir Penfro
1971 黒鹿毛
Sir Ivor Sir Gaylord
Attica
Running Blue Blue Peter
Run Honey
サンマ
1976 黒鹿毛
*ステューペンダス Bold Ruler
Magneto
*テサロニア Milesian
Thetis
*ミルダンス
Mill Dance
1982 黒鹿毛
FNo.[7-a]
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
African Dancer
1973 鹿毛
Nijinsky Northern Dancer
Flaming Page
Miba Ballymoss
Stop Your Tickling
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 4×5(9.38%)

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関連項目

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