本当の強さは、誰も知らない。
皐月賞3着、ダービー2着、菊花賞3着……。
4歳クラシックは、いつもあと一歩のところで勝利に届かなかった。
しかし、ゴール前必ず追い込んでくる豪脚に、ファンの期待はさらに膨らみ続けた。そして迎えた5歳の春、宝塚記念で強敵メジロマックイーンを倒し、
ファンの熱い声援に応えるとともに念願のGIタイトルを手中にする。
それは大器晩成を実証する第一章に過ぎないはずであったが、
しかし、慢性の脚部不安のため、メジロライアンはそれ以降
ついに完成された真の実力をみせることなくターフを去る。
メジロライアン(Mejiro Ryan)とは、1987年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。モヒカンカットが小粋な、ヤングな善戦マン。そしてファン・騎手に愛された「未完の大器」。
馬主はメジロ牧場。馬名は冠名「メジロ」にメジャーリーグ通算最多奪三振投手、ノーラン・ライアンの姓を合わせたもの。この年のメジロ牧場産馬は著名人の名を与えられた。
主な勝ち鞍
1990年:弥生賞(GII)、京都新聞杯(GII)
1991年:宝塚記念(GI)
1992年:日経賞(GII)
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「メジロライアン(ウマ娘)」を参照してください。 |
概要
父アンバーシャダイ 母メジロチエイサー 母父メジロサンマンという血統。
父はノーザンテーストの代表産駒であり、その代替種牡馬として中小牧場から重宝された名馬。母は77年生まれで、メジロティターンの異父姉であり、26戦3勝で繁殖入りしたメジロ牧場の所有繁殖牝馬であった。
この年はメジロ牧場史上でも屈指の当たり年であり、メジロマックイーン、メジロパーマーなどGIを複数勝つ馬が出ている。その中でも最も期待されていたのが他ならぬメジロライアンであった。しかしライアンを調教することになった奥平真治調教師は、同厩のメジロアルダンと比較して「垢抜けない馬」と感じ、当初は「並の馬で、そこそこの期待」程度に考えていた。
89年:横山典弘との出会い
1989年7月9日に柏崎正次を背にしてデビューするが、気性が幼くまっすぐ走らず、2連敗。骨膜炎発症のため2か月間休養を挟むが、ここで皮膚病(夏癬)も発症してしまう。痒みに耐え兼ね首をこすりつけ、たてがみが抜け落ちてしまっているライアンを見た担当調教師の小島浩三は、たてがみを短く刈り揃えてやった。これがメジロライアンのトレードマーク、モヒカン風の「ライアン・カット」になった。
10月の復帰戦を任された騎手は、奥平調教師の甥で、当時デビュー4年目の若手だった「ノリ」こと横山典弘だった。なお、結果はまたも斜行して3着。続く11月の4戦目では初めて後方待機策をとり、東京競馬場の長い直線で前の馬を差し切る強い勝ち方で初勝利を挙げた。12月3日の葉牡丹賞(400万円以下)は安田富男に乗り替わって5着だったが、同月23日のひいらぎ賞(400万円以下)では再び横山騎手が騎乗し、4戦目を再現するような形で2勝目を上げる。
ここから横山騎手はライアンの主戦騎手として固定される。素質馬を任された横山騎手はこの馬にほれ込み、ことあるごとに「俺の馬が一番強い」と吹いて回った。
90年
春~秋:挫折のクラシック戦線
1月、ジュニアカップ(OP)で3勝目を上げる。その勢いのまま3月、皐月賞トライアル・弥生賞(GII)に出走し、不良馬場で直線一気を決め、前年のJRA賞最優秀3歳牡馬・アイネスフウジンを差し切り勝ち。一気にクラシックの最有力候補に名乗りを上げたのであった。
……当然ながら、この「最有力候補」とは毎年誰かしらに与えられる呼び名だが、だからと言ってクラシックに勝てるとは限らない。むしろ死亡フラグになる場合も多い。だが、当時はまだやんちゃ盛りの問題児だった(この弥生賞でも入線前にガッツポーズをかましていた)横山騎手は「ゴールの瞬間、この先が全部見えた気がしましたね。皐月賞も、ダービーも」と身の程知らずの大口をたたいてしまうのだった。
これで死亡フラグが確定してしまったのか、1番人気(単勝4.1倍)アイネスフウジンに次ぐ2番人気(5.0倍)で出走した皐月賞では、横山騎手の甘いコース取りによって不利を受け、5.6倍の3番人気・ハクタイセイを捉えきれず、着順でもフウジンに次ぐ3着に終わってしまった。
時はオグリキャップらが生んだ第二次競馬ブームの最中。5月27日、第57回東京優駿(日本ダービー)を迎えた東京競馬場は消防法の関係で絶対に更新できない不滅の入場者数レコードを記録し、常軌を逸した大歓声に包まれていた。メジロ牧場初のダービー制覇を望まれたライアンは単勝3.5倍の一番人気である。
しかし、先の死亡フラグの禊ぎはすんでいなかったのか、競馬の神は横山騎手とメジロ牧場に更なる苦難を与える。一番人気をとった若者には負けられない、5.3倍の3番人気・アイネスフウジンと中野栄治、渾身の逃げに届かず、ライアンは2着。
メジロ牧場はこれで4回目のダービー2着。「ナカノ・コール」が響く中、横山騎手は「北野のおばあちゃん」ことメジロ牧場の総帥・北野ミヤに申し訳なかったと回想している。
放牧を挟み、8月の函館記念を目指すものの、調整中に脚を捻って回避。結局北海道では夏休みを過ごしただけで終わり、10月の菊花賞トライアル・京都新聞杯で復帰する。一番人気で出走し、重馬場にも関わらずレコードタイムで駆け抜けたライアンと横山騎手は、今度こそとの思いを胸に菊花賞へと向かう。だが、そこには同期の桜・ハクタイセイとアイネスフウジンはおらず(共に故障離脱)、代わりに同期のメジロ……メジロ商事のメジロマックイーンがいた。
デビューが遅れ、骨膜炎発症などのトラブルが重なって春シーズンを無名のまま過ごし、賞金上位馬の回避によってようやく菊花賞にたどり着いたマックイーンは、先行抜け出しのそつが無いレースをする最強ステイヤーへと覚醒しつつあった。追い込み一手のライアンとは極めて相性が悪い……。横山騎手はいつもより速めに動き、マックイーンを捕まえに掛ったのだが、届かない。関西テレビ実況の杉本清アナは「メジロでもマックイーンの方だ!」と叫んだ。1番人気のメジロは、4番人気のメジロに届かず、とうとうクラシックを無冠のまま終えたのであった。
クラシック三競争を3着以内かつ未勝利。これは1964年の皐月賞3着、ダービー2着、菊花賞2着となったウメノチカラ以来の出来事だった。ウメノチカラ陣営はシンザンという最強の戦士ただ一頭に敗北しただけ、まだ諦めがついたのかもしれないが、メジロライアン陣営の胸中はいかばかりであっただろうか。
90年有馬記念:オグリ・コールの中で
失意のメジロライアンと横山騎手であったが、有馬記念への出走が決まった。この年の出走古馬は、宝塚記念を制したオサイチジョージはともかく、既に全盛期を過ぎた感のあるメンツばかり。更にメジロマックイーンは菊花賞出走を賭けた過酷ローテから立て直すべく、休養に入った。ライアン(と、菊花賞でライアンに先着したホワイトストーン)にとってはまたとないチャンスである。
希代のアイドルホース、オグリキャップの引退レースということで、超満員の中山競馬場でレースが始まった。逃げ馬ミスターシクレノンが出遅れ、予期せぬ超スローペースでレースは進むが、異常な大歓声(当然オグリファンのもの)に各馬は慄き、微妙にペースを崩していく。第3コーナー手前でオグリキャップ以下の各馬が仕掛け、突然ペースが上がるのだが、ライアンはここで一瞬置かれてしまう。4コーナーから直線に入るとオグリが一気に抜け出す。場内の興奮は最高潮、各社実況アナウンサーも大興奮して「オグリキャップ!」と叫び、テレビ桟敷の前の競馬ファンもまさかのオグリ激走に思わず立ち上がった。
だがフジテレビを観ていた視聴者は、大川和彦アナが「オグリオグリ」と絶叫する際中、突然「りゃいあん!」と変な声を聞いた。さらにもう一度「らいあん!」とでかい声。???
これは解説席の大川慶次郎の声であった。慶次郎氏には葦毛のオグリキャップが陰でよく見えなかったのだが、和彦アナは「オグリ」と叫んでいる。オグリが来るわけない、と思っていた慶次郎氏は猛然と追い込んでくるメジロライアン(慶次郎氏の本命)を見落としているんじゃないのか? と思い、注意喚起として「ライアン!」と叫んだんだそうである。
慶次郎氏の叫びはおそらく聞こえなかっただろうが、ライアンは物凄い勢いで伸びた。が、オグリキャップも脚が止まらず、一着でゴール。和彦アナは「オグリ一着!右手を挙げた武豊!」とガッツポーズの手を間違えるほどの大興奮。しかしながら場内のファンの興奮の仕方に比べれば可愛いものであった。何しろ、みんな泣いていたのである。マジ泣きだ。オグリが勝った、復活したことが嬉しくて、見知らぬ人々と肩を抱き合い、いつしか皆でオグリの名前を呼んでいた……。
1990年は日本競馬史の中でも特筆すべき年であった。その中を駆けたメジロライアンは、伝説の「ナカノ・コール」と「オグリ・コール」の両方を、最も間近で聞いた馬となり、その最大の引き立て役となってしまった。横山騎手、奥平師、ミヤ総帥を始めとする関係者一同にとっては屈辱でしかなかっただろうが、名場面を盛り上げた(そして惜しくも届かなかった)ライアンを愛するファンも増えていった。特にオグリキャップの活躍で増えた女性ファンからは、人気の一頭だった。
詰めに甘さを残す馬ではあったが、雄大な馬格に、なお底の見えない魅力を秘めていた。出走すればいつも人気になったのはそのせいであったろう
91年
古馬となったメジロライアンは、3月の中山記念で再始動し……またも2着。天皇賞(春)では前年のオグリキャップ・スーパークリーク・イナリワンの「平成三強」になぞらえたメジロマックイーン・メジロライアン・ホワイトストーン(有馬3着)の「新三強」として注目されるが、勝ったマックイーンに肉薄するどころか、馬群からの抜け出しが遅れ、4着に終わる。情けない負け続きに、遂にメジロ牧場側も怒り、横山騎手の降板が検討されはじめた。
横山騎手は「一番強い」とほれ込んでいるライアンを勝たせられないことについて、物凄い責任を感じていた。度重なるライアンの敗戦により、イキリっぷりも徐々に落ち着き始めていたのだが、ことライアンに関しては「ライアンが一番強い。負けたのは自分が悪かったから」と自らの騎乗ミスを認めることまでしていたのである。
91年宝塚記念:この距離では負けられない!
1990年夏から阪神競馬場は長期改修工事に入っており、91年の宝塚記念は京都競馬場で代替開催されることになった。京都2200m……。すなわち、京都新聞杯でレコードを出した開催条件である。横山騎手は「ここを負けたら『ライアンが強い』とは二度と言わない」と強い覚悟を決めていた。最早すっかり差をつけられたメジロマックイーンと共に、ライアンは再び淀の地を踏んだ。
レース本番、なんと追い込み馬のライアンがマックイーンよりも前に位置取った。そして、3コーナーの手前から進出すると直線では一気に先頭。外を回されたマックイーンが体勢を整える前にスパートを掛けて差を大きく開くと、猛然と追い込んできたマックイーンを抑えてゴール板を駆け抜けた。
ゴール前で脚が止まったライアンを押し込む横山騎手は鬼の形相であった。何としてもこの馬にタイトルを獲らせるのだという執念が窺える騎乗だった。
完全にライアン先頭だ! 2200メートルはこの馬は強い! そしてマックイーン来た!マックイーンが2番手、タイイーグル3番手! ライアンだライアンだ! 横山典弘だライアン1着!ライアン1着! そしてメジロマックイーンです!
レコード・ホルダー! レコード・ホルダー2200メートル! この距離では負けられないメジロライアン!
この勝利で、横山典弘は父・富雄との宝塚記念親子制覇を達成。また奇しくも、富雄騎手が勝った1971年宝塚は1位メジロムサシ、2位メジロアサマのメジロワンツー決着だったが、今回も1位メジロライアン、2位メジロマックイーン(アサマの孫)という、20年ぶりのワンツー決着となったのだった。レース後、典弘騎手はヘルメットを取り、客席に向かって一礼をした。
91年秋~92年
さらば、未完の大器よ
夏休みは函館競馬場で過ごしたが、調教中に軽い脚部不安を発症し、さらに右前脚の屈腱炎を発症し放牧される。復帰は有馬記念となり、ファン投票4位に推されて出走するが、2着マックイーンからさらに離された12着に終わった。
92年1月のアメリカジョッキークラブカップ(的場均が騎乗)でも6着。3月の日経賞は重馬場の中、後方に2馬身半差をつける完勝で重賞4勝目。その後再発した屈腱炎のために10月に引退を余儀なくされ、これが最後の勝利となった。気性面が改善されたのか、この日経賞のパフォーマンスは素晴らしいものであった。もう少し走れれば、マックイーンやトウカイテイオーと名勝負を繰り広げられたのかもしれない。
引退式で登壇した横山騎手は、人目もはばからず涙を流した。その理由は「ひどく寂しかった」からだという。そして「ライアンの仔に乗ってGIを勝ちたい」と語ったものの、この願いが叶うことはなかった。
引退後
引退後はアロースタッドに繋養され種牡馬になったが、その勝ち切れなかった実績と、内国産の血統ゆえに敬遠され、安価な価格設定にも関わらずシンジケートはなかなか埋まらなかった。しかし初年度産駒から最高傑作の名牝メジロドーベルと、メジロ最後の天皇賞馬メジロブライトを輩出し、その他の産駒もGIにこそ手が届かなかったものの堅調に走ったことで評価は好転。内国産馬としてはシンボリルドルフ以来6年ぶりに新種牡馬ランキングの首位を獲得した。
2006年に受精能力が著しく低下し、翌07年に種牡馬を引退。早めの種牡馬引退に加え、後継になるはずだったメジロブライトが早世したこともあり、直系は絶えてしまった。
種牡馬引退後は故郷のメジロ牧場に戻り、2011年の牧場解散後はその施設を引き継いだレイクヴィラファームで余生を送った。息子のメジロブライト、同期のメジロマックイーンやメジロパーマーに先立たれながらも、時折函館競馬場でお披露目もされるなど老いてなお元気な姿を見せていたが、2016年3月14日に様態が悪化。スタッフに見守られつつ、老衰により17日に息を引き取る。29歳という大往生だった。その遺骨は名を変えた彼の故郷、即ちレイクヴィラファームの一角に眠っている。
引退後も多くのファンが牧場まで会いに来たという、生涯ファンに愛された馬だった。後継者に恵まれなかったのは心残りだが、メジロドーベルが孫世代からショウナンラグーンやホウオウイクセルといった重賞馬を輩出、曾孫世代ではグローリーヴェイズが香港ヴァーズに勝つ活躍を見せており、まだ血統表に名を残すチャンスはある。記憶に残る馬・メジロライアンが真にファンの記憶に残れるかどうか、子孫たちは頑張りどころを迎えている。
ライアンを愛した男たち
若かりし頃の名ジョッキー達と出会い、躍進のきっかけとなった「相棒」達がいる。例えば武豊とスーパークリーク、和田竜二とテイエムオペラオー、池添謙一とデュランダル、そして典弘の息子・横山武史とエフフォーリア……。横山典弘にとってのメジロライアンもまた、そうした競馬史に残る「相棒」と評せるだろう。
今日の僕があるのはライアンがいたからです。僕のことを成長させてくれた、いいパートナーでした。クラシックを勝てなかったのは、僕が未熟だったからライアンが勝たせなかった。レースはそんなに甘いもんじゃないよ、と厳しさを教えてくれました。
もし僕が簡単に三冠を取ったりしていたら、もう成長の止まったどうしようもない騎手で終わっていたでしょう。伯父さんや小島浩三さんや、北野のおばあちゃんや、多くの人に支えられて勝てた。一人で頑張っても、だめだということがよくわかった。それをわからせてくれたのもライアンなんです。
ライアンが亡くなった際、横山騎手は自ら墓代を提供し、雨の中行われた納骨式にも参列。「ライアンは道悪がすごく得意だったから、こんな雨になったのだと思う」と沈鬱に語った。
横山騎手は頻繁に「俺がもっとうまく乗って上げられればライアンはもっと勝っていた。ライアンの実力はあんなもんではない」と語っていたが、2015年の取材では「前はそんな風に思っていたけど、今、冷静に考えるとアイネスフウジンも強い馬です」と、ライバルにも言及するようになった。流石に40を過ぎてより落ち着いてきたのだろうか。
ちなみに、1991年にデビューしたばかりだった新人騎手・四位洋文は、新人インタビューで「一番好きな馬はメジロライアン」と回答したところ、あろうことか『僕がライアンに乗っていたら(クラシックは)全部勝ってた』というニュアンスで広められてしまったこれだから聞屋は…。横山騎手はそれを聞きつけて「関西の四位ってどいつだ!?」と探しまわり、四位騎手はしばらく横山騎手に怯えて過ごすことになった(2009年対談より)。当時は騎手がパーマをかけただけで採決委員に呼び出しを喰らう時代だったのに、金髪にしていた横山騎手は相当怖かったという。さっき「イキリっぷりも徐々に落ち着き始めていた」と書いたな。アレは嘘だ
日本中が泣いたオグリの最後の直線でさえ「ライアン」と叫んだ方もいたように、いつだってヘソ曲がりは存在する。(編注:ヘソ曲がり=穴馬を推す筆者自身のこと)
当時はおろか、まさか没後20年を経てなお、競馬ゲームにすら自らの叫びがネタにされるとは思わなかっただろうが、数々の名馬を見てきた解説者・大川慶次郎のメジロライアンへの思い入れは強かった。
もともと慶次郎氏は、貧弱な見た目にも関わらず活躍したアンバーシャダイびいきであり、その父に瓜二つかつ、父が得られなかった立派な体格を持って生まれてきたメジロライアンを「アンバーシャダイの理想型」と評してほれ込んでいたのだ。さらにあの90年有馬の前年、慶次郎氏は腎臓の摘出手術を受けており、その回復が思わしくなく「もう競馬を見られるかどうか分からない」とまで落ち込んでいた。その時、ライアンが勝った弥生賞を観たことが、もう一度競馬の仕事に関わる勇気をくれたのだという。
血統表
アンバーシャダイ 1977 鹿毛 |
*ノーザンテースト 1971 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Lady Victoria | Victoria Park | ||
Lady Angela | |||
*クリアアンバー 1967 黒鹿毛 |
Ambiopoise | Ambiorix | |
Bull Poise | |||
One Clear Call | Gallant Man | ||
Europa | |||
メジロチェイサー 1977 鹿毛 FNo.8-c |
メジロサンマン 1963 鹿毛 |
Charlottesville | Prince Chevalier |
Noorani | |||
*パラディシア | Aureole | ||
Chenille | |||
*シェリル 1971 鹿毛 |
*スノッブ | Mourne | |
Senones | |||
Chanel | Pan | ||
Barley Corn | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Lady Angela 4×5(9.38%)、Hyperion 5×5×5(9.38%)、Bull Lea 5×5(6.25%)、Nearco 5×5(6.25%)
主な産駒
- エアガッツ (1994年産 牡 母 ショウワプライド 母父 ニホンピロウイナー)
- メジロドーベル (1994年産 牝 母 メジロビューティー 母父 *パーソロン)
- メジロブライト (1994年産 牡 母 レールデュタン 母父 マルゼンスキー)
- メジロロンザン (1996年産 牡 母 メジロリスク 母父 *リーガルステップ)
- ウインブレイズ (1997年産 牡 母 スーパーセブン 母父 ブラビオー)
- トーホウドリーム (1997年産 牡 母 サクラササヤキ 母父 *ノーアテンション)
- タマモリッチ (2000年産 牡 母 クラリッサ 母父 トウショウボーイ)
- メジロベイシンガー (2001年産 牝 母 メジロストーク 母父 *モガミ)
- スキップジャック (2002年産 騸 母 ヒカリクリスタル 母父 *ラッキーソブリン)
- レッツゴーキリシマ (2005年産 牡 母 マルシンアモン 母父 *バイアモン)
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