伊37とは、大日本帝國海軍が建造した伊15型/巡潜乙型潜水艦18番艦である。1943年3月10日竣工。インド洋での通商破壊で7隻の連合軍船舶(4万7942トン)を撃沈し、撃沈トン数では第5位を誇る。1944年11月19日にコッソル海峡で対潜攻撃を受けて沈没。
概要
巡潜乙型とは、巡潜甲型を小型化しつつ旗艦機能を廃して量産性を高めたタイプである。
1936年にロンドン海軍軍縮条約から脱退した日本は、巡潜三型をベースに戦隊旗艦用の巡潜甲型と量産型の巡潜乙型の二本柱で潜水艦戦力の拡充を図った。甲型から旗艦機能を撤去するとともに若干の簡略化・小型化を行って生産性を高め、また広い太平洋上を侵攻してくるアメリカ艦隊を捕捉するべく長大な航続距離と水上機運用能力を持つ。このため通商破壊、航空偵察、輸送任務など多種多様な任務に従事する事が可能だった。
ただ甲型より小型化した弊害で魚雷搭載本数が18本から17本に減少、甲型が持っていた九三式水中聴音機と九三式水中探信儀は装備しておらず、25mm連装機銃も1基のみに減らされている。更に量産型と言う割には1隻完成させるのに2年以上の月日が必要であり戦時急造に向かない弱点も抱えていた(故に簡略化を推し進めた巡潜乙型改一、改二、丙型改が順次登場していく事となる)。それでも巡潜乙型は帝國海軍潜水艦最多の20隻が竣工。計画では32隻まで生産される予定だったのだから驚きである。また潜水艦が挙げた戦果のうち、44%は巡潜乙型が占めている功労者の家系でもある。
要目は排水量2198トン、全長108.7m、全幅9.3m、喫水5.14m、速力23.6ノット(水上)、8ノット(水中)、重油774トン、乗員94名、安全潜航深度100m。武装は95式魚雷17本、53cm魚雷発射管6門、40口径14cm単装砲1門、25mm連装機銃2丁、零式小型偵察機1機。
艦歴
1939年に策定された海軍軍備充実計画(通称マル四)において、乙型一等潜水艦第144号の仮称で建造が決定。当初の艦名は伊49であった。1939年12月6日に横須賀海軍工廠で起工、1941年3月13日に進水し、開戦直前の11月1日に伊37へ改名、1942年12月20日に伊18の元艦長である大谷清教中佐が艤装員長に就任する。そして1943年3月10日に無事竣工を果たした。初代艦長に大谷中佐が着任するとともに呉潜水戦隊へ編入される。
1943年3月13日に伊予灘で試験航海と試験潜航を行い、3月22日に呉潜水隊要員による検査を実施した後、3月25日、特設潜水母艦さんとす丸から将旗を引き継いで呉防備戦隊の旗艦となる(ただし僅か2日後に筑紫丸へ旗艦の座を譲渡した)。3月26日より伊38、呂104、呂105と魚雷発射訓練を開始。4月1日、第1艦隊下に新造潜水艦の訓練を専門とする第11水雷戦隊が新編され、伊37は呉潜水戦隊から転属。翌2日、格納式短波アンテナ修理のため呉に回航し、入渠修理に従事するとともに22号水上電探を装備する。5月に入ると瀬戸内海で運貨筒の牽引試験に協力。5月23日、訓練を終えた伊37は第6艦隊第8潜水戦隊第14潜水隊へ転属。いよいよ実戦投入の時が来たのだった。
5月25日、インド洋方面での通商破壊作戦に従事するため呉を出港。6月4日にインド洋を臨むペナン基地への進出を済ませた。伊37の到着により第8潜水戦隊の実働戦力は5隻に拡充された。
1回目の通商破壊
6月8日にペナンを出撃。航続距離に優れる伊37はチャゴス諸島からペルシャ湾に至るまでの広大な海域を狩り場に定めた。この時、同盟国ドイツのUボート戦隊がモザンビーク海峡やダーバン沖などで通商破壊を行っており、狩り場が被らないよう日本はインド洋北方、ドイツはインド洋南方に分け、更に同士討ちを避けるため潜水艦への攻撃は厳禁となっていた。
6月16日、チャゴス諸島南東沖にて、シドニーからイランのアバダンに向かっているイーグル・オイル社所属の英武装貨物船サン・エルネスト(8078トン)を捕捉。雷撃により損傷を与えて乗組員に船を放棄させるが、サン・エルネストは思いのほか堅牢な船で、短時間水上砲撃を加えても撃沈出来なかった。無人となったサン・エルネストはそのまま漂流。28日間かけて3700km漂流したのち日本占領下スマトラ沖ニアス島西方に座礁した。
6月19日18時50分、モルディブ南西沖で米リバティ船ヘンリー・ノックス(7176トン)の左舷に魚雷1本を命中させる。ヘンリー・ノックスはレンドリースでソ連に運ばれる戦闘機、戦車、爆発物などの物資8200トンを積載しており、被雷の衝撃で第三船倉の弾薬が誘爆。たちまち船は洋上停止させられ、デッキ上の貨物とキャットウォークに炎が燃え移った。19時7分に乗組員は総員退船。数回の爆発を起こした末に22時頃より船尾から沈没していった。爆発や火災、サメの襲撃で船員と武装警備員計25名が死亡。
浮上した伊37は救命艇の1隻に横付けし、航海士が生存者に対して積み荷、航路、目的地、その地域で遭遇した連合軍艦艇について尋問。それが終わると彼らが持っていた地図、食糧、衣服、懐中電灯等を没収したが、伊37が海域を去る前に生存者の私物、マッチ、酒だけは返却された。後に生存者は「伊37には格納庫と消磁コイルがあり、ディーゼルエンジンは支障なく作動して良好な状態で、高品質のディーゼル燃料を使い、フィルタリング機構を備えた立体カメラを司令塔に装備している」と証言した。
7月9日にペルシャ湾を偵察した後は帰路に就き、8月17日にペナンへ帰投。シンガポールに回航されて整備を受ける。Uボート6隻と伊号潜水艦8隻による共同通商破壊の戦果は、大西洋に配備された全Uボートの戦果を僅かながら上回るほどであり、デーニッツ元帥を喜ばせた。
次の出撃のため9月5日にシンガポールを出港してペナンに移動。9月中旬に2回目の通商破壊を始めるが、ペナンを出港した直後に乗組員の1人が虫垂炎を発症してしまい、すぐにペナンへ引き返した。
2回目の通商破壊
9月20日に再度ペナンを出撃。今回の狩り場は東アフリカ南東のモザンビーク海峡とモンバサ近海であった。9月28日、暗号解析によりイギリス海軍本部はインド洋方面の連合軍に対し、アデン湾やオマーン湾で日本潜水艦が航空偵察を行う可能性があると警告を送った。10月11日、零式水上小型偵察機を発進させてマダガスカル島ディエゴスアイレスの停泊地を航空偵察、警戒が厳重であると報告する。続いて10月17日にモンハザ地区を航空偵察した。
10月23日、マダガスカル北西でギリシャ商船ファネロメニ(3404トン)を雷撃で撃沈。11月4日朝にペンバ島南東沖でノルウェー貨物船エルボーグに向けて魚雷1本を発射するも命中せず、翌5日午後に再度雷撃を仕掛けたがこちらも不成功に終わった。11月17日、英東洋艦隊の臨時本拠地となっているキンディンディニ港を航空偵察。
11月27日午後12時40分、日没直後のアッドゥ環礁南西沖にて、PB-64船団から離脱して単身メルボルンにディーゼル燃料を輸送中のノルウェー貨物船スコティア(9972トン)を雷撃し、魚雷1本が右舷船尾に命中して大破。右舷側へ15度傾斜するとともに航行不能に陥った。乗組員は船を放棄、一等航海士と無線通信士だけは船内に留まってSSS信号(潜水艦の攻撃で遭難したという意味)を送信するも、午後12時55分に右舷機関室へ魚雷を撃ち込まれて船体を真っ二つにへし折られる。船尾部分はすぐに沈み、残った船首部分は伊37の水上砲撃で撃沈された。ドイツ側より「人的被害を狙って欲しい」との要請を第8潜水戦隊を通じて受けていたため、浮上した伊37は救命艇に機銃掃射を加え、軍人と船員8名を殺害。その後、カール・ヒャルマール・ハンセン船長を捕虜とする。
12月5日にペナンへ帰投。整備を受けるべく12月13日にシンガポールへ回航した。
12月15日、セレター軍港のドックに入渠して大規模なオーバーホールを受ける。また第14潜水隊の解隊に伴って第8潜水戦隊直属となる。12月18日に出渠した伊37は食糧の積載作業に着手。12月27日、二代目艦長に中川肇中佐が着任。彼は伊177艦長時代に病院船ケンタウロスを意図的に撃沈した非情なる人物であった…。
1944年
1944年1月12日にシンガポールを出港してペナンに回航。2月上旬、大規模な人事異動があり、伊37乗組員の大半が入れ替わった。出撃前、中川艦長は連合軍潜水艦が行ったとされる日本人乗組員の虐殺に対して報復を進言し、第8潜水戦隊司令部から許可が下った。
3回目の通商破壊
2月10日、マダガスカル方面で通商破壊に従事するべくペナンを出撃。2月14日午前0時30分、セイロン島南方で連合国船舶を発見し、16ノットの速力で30分間追跡を行ったが、雷撃位置に就く前に振り切られた。
2月15日午前10時30分、アッドゥ環礁南西でアバダンに向かっていた英貨物船ブリティッシュ・シバルリー(7118トン)に2本の魚雷を発射。潜望鏡と雷跡を発見したブリティッシュ・シバルリーは回避運動に移り、1本目は回避成功するも、2本目が右舷機関室に命中して航行不能と化す。被雷の影響で乗組員6名が戦死した。そして放棄されたブリティッシュ・シバルリーに距離600mから17発の砲弾を撃ち込んで撃沈。伊37は海面を漂う救命ボートに一列に並ぶよう指示し、通訳の軍医がボートに乗り移って尋問を行った後、ウォルター・ヒル船長を捕虜にして艦内へ収容、サファイアとダイヤモンドが約50個入ったケースを押収した。尋問から2時間後、中川艦長は銃撃を命じ、90分かけて救命ボートの周囲を旋回しながら25mm対空機銃で掃射したり、急旋回してスクリューで切り裂こうとし、イギリス人船員13名が死亡、5名が負傷している。14時頃、伊37は攻撃を止めて東方に去っていった。
2月26日20時30分、ディエゴ・ガルシア島西方で見張り員が英商船サトレジ(5189トン)を発見。エジプトのコセイルからフリーマントルにリン鉱石9700トンと郵便物を運んでいるところだった。伊37は距離2000mより2本の魚雷を発射し、1本がサトレジの左舷に命中して4分以内に沈没させた。
イカダや救命ボートで脱出した船員たちに対し、伊37は探照灯を照射。周囲を探っていると10代のインド人少年が潜水艦の舵にしがみ付いていたためその少年を艦内に収容した。やがて探照灯はイカダの1隻に向けられ、そのイカダに横付けした上で軍医がサトレジの身元、積み荷、目的地について尋問を試みた。生存者から「船長は死亡した」と返されるも、それが虚偽だと考えた中川艦長は罰としてイカダを体当たりで圧し潰そうとした。しかし発生した艦首波がイカダを流してしまい失敗。その後、1時間かけて漂流中の生存者を銃撃し、船長と機関長に名乗り出てくるよう脅迫。船員41名と軍人9名が死亡した。
2月29日午前11時30分、ディエゴスアイレス北西1500kmにて潜航中の伊37は英武装貨物船アスコット(7005トン)に2本の魚雷を発射し、1本が右舷機関室前部に命中。船員は航行不能となったアスコットを放棄して脱出した。無人船となったアスコットの右舷後方1800mに伊37が浮上し、一周した後にアスコットヘ約15分間砲撃を加えたが命中しなかった。次に軍医が英語で船長と幹部の所在を問うたところ、「全員戦死」と嘘をつかれたため警告射撃をし、船長ジェームズ・フォーセット・トラヴィス大尉を名乗り出させた。船長と一等航海士は艦内で短い尋問を受けたのちボートへ戻される事になったのだが、この時、トラヴィス船長の手を中川艦長が「イギリスの豚野郎!」と叫びながら軍刀で切りつけ、海に突き落としている。それから2時間に渡って救命ボートに銃撃を加え、生存者45名を殺害。生き残ったのは船員4名と砲手7名だけだった。そして30発の砲弾をアスコットに撃ち込んで撃沈した。20時頃に海域を離脱。
戦後の1948年、ブリティッシュ・シバルリー、サトレジ、アスコットの生存者に対する銃撃・殺害により中川艦長は極東国際軍事裁判にかけられ、中川艦長自身も銃撃を認めたため巣鴨プリズンで8年間の重労働という有罪判決を受けた(実際に服役したのは6年間)。ただ、殺傷が艦長の独断ではなく第8潜水戦隊に許可を得た上での行動だと判明したからか、ギリシャ貨物船ペレウス生存者への銃撃を行って銃殺刑となったU-852艦長エック大尉と比較して、かなり減刑されているのが分かる。一方で病院船ケンタウロス撃沈に関しては最後まで否定していた。
3月3日、60kg爆弾2発を積んだ零式水上偵察機がチャゴス諸島を航空偵察。停泊中の船舶があれば爆弾を投下するはずだったが見つからなかったため伊37に戻る前に爆弾を海へ投棄している。艦載機を収容後、ディエゴスアイレス方面に移動。3月9日23時、コロンボからケープタウンに向かっているインドのジャンク船を発見・停止させる。約100人の女性と子供が乗っているだけだったので中川艦長は解放した。
3月14日17時頃、ディエゴスアイレス北東278kmで駆逐艦の推進音を探知。翌日ディエゴスアイレスを航空偵察する予定だったため、中川艦長が上層部と協議したところ、攻撃せずに見逃す事とした。翌15日の日没後、伊37から零式水上偵察機が飛び立ち、空母1隻、重巡洋艦2隻、駆逐艦3隻の在泊を報告した。水偵を収容後はモンバサ方面に移動。3月18日、22日、4月1日にそれぞれ護衛が無い連合国商船を発見するが、位置の露呈を防ぐため素通りさせた。
4月5日午後、モンバサの南、ペンバ島東方93kmに到達。しかし海上は大荒れになっていて水偵の発進が出来ず、真夜中になると更に天候が悪化。4月7日まで待機したものの天候が回復しなかったため強行発進。ペンバ島とモンバサを航空偵察し、60隻以上の商船が港内に停泊しているのを報告した。無事偵察を終えた伊37は帰路に就く。4月10日にセイロン沖南方9.3kmを通過、4月20日午前4時30分にペナンへ帰投した。
インド洋で通商破壊している伊37の様子は国策映画「轟沈」にも使われている。
触雷と内地帰投
4月27日午前5時、零式小型水偵の上空援護を受けながらペナンを出港し、シンガポールに向かう。出港から3時間後の午前8時、ペナン南方37kmの地点で、米第10航空軍第7爆撃航空団所属のB-24が敷設した感応機雷が左舷前方100m付近で炸裂。爆発の衝撃で伊37は揺さぶられ艦内の電源が消失、左舷メインバラストタンク排水弁2ヵ所を損傷した。伊37は敵襲を警戒して水深17mまで潜航退避。事前に発艦していた零式小型水上偵察機が司令部に通報した事で救難艇が派遣され、正午に伊37から出された位置通報信号灯のもとに到着して電源を接続、艦内の排水作業を行い、16時に浮上成功した。4月30日午前2時に何とかペナンまで戻った。
5月3日、潜水夫による調査を行ったところ、トリムタンクの破損が確認されるなど想像以上に損傷具合が酷く、もはやペナンでは修理が出来ないとしてシンガポールでの修理が決定。同日午前10時に駆潜艇の護衛を受けて出発し、5月5日午前10時にシンガポールへ入港。セレター軍港での調査で修理に3ヵ月を要すると見積もられた。5月10日、三代目艦長の河野昌通中佐が着任。
修理完了後、7月21日午前9時から13時までシンガポール南方のリンガ泊地で第2艦隊の対潜訓練に協力。8月5日に第8潜水戦隊司令部より呉への帰投命令を受領。8月9日、閉鎖されたペナン水上機基地の搭乗員20名が便乗、更に内地向けの燃料及び弾薬を満載にする。
8月10日午前5時にシンガポールを出港。2時間後、軍港を見張っている敵潜水艦を警戒して戦闘配置が発令された。8月16日、敵潜が5~6隻潜んでいるとされる魔のバシー海峡へ差し掛かり、1時間潜航・30分間浮上航行を繰り返しながら丸一日かけて海峡を突破。危険地帯を超えた後も敵のレーダーを警戒して昼間のみ水上航行を行った。そして8月23日午前4時に豊後水道へ到達し、8月25日に佐世保まで回航される。
回天母艦への改装
9月9日、呉工廠にて回天母艦になるための改装工事が始まり、カタパルト、格納筒、甲板砲が取り外され、4基の回天を積載出来るようになった。9月12日に第15潜水隊へ転属。10月11日には四代目艦長の神本信雄中佐が着任した。伊37には敵の有力泊地に対して回天攻撃を行う第一次玄作戦への参加が命じられ、台湾沖航空戦やレイテ沖海戦で内地所在の潜水艦が次々に出撃していく中、回天母艦としての出撃準備を着々と進めた。
11月7日、第6艦隊司令三輪茂義中将は大津島の回天搭乗員に第一次玄作戦の内容を説明。この時点で巡潜乙型の生き残りは20隻中僅か3隻(伊36、伊37、伊38)に過ぎなかった。
翌8日、伊37は呉から大津島に移動。伊36、伊37、伊47の3隻で史上初の回天特別攻撃隊「菊水隊」が編成された。ここで伊37はクレーン船を使って回天4基と搭乗員4名を積載。伊37に割り当てられた攻撃目標はパラオのコッソル水道であった。伊37は伊36や伊47とともに大津島を出撃。外洋へ出た後、ウルシー方面に向かう2隻と別れ、単身パラオ方面に向かった。この行動を最後に伊37は消息不明となる。
最期
1944年11月19日午前8時58分、コッソル水道西口で防潜網の展張作業をしていた設網艦ウィンターベリーは、2000m先の湾口で水上航行中の伊37を発見。伊37側も敵艦に気付いたようで20秒後に急速潜航を始めた。ウィンターベリーはコッソル水道を管理する港湾長と特務機動掃海艇YMS-33に通報し、急派されてきたYMS-33が伊37を捜索したが上手い具合に振り切った。
午前9時15分、護衛駆逐艦コンクリンとマッコイ・レイノルズが対潜掃討を命じられて出撃。更にペリリュー島から対潜哨戒機を発進させて海と空から捜索を行う。15時4分、駆逐艦2隻のソナーが潜航中の伊37を捕捉し、15時39分にまずレイノルズが2回のヘッジホッグ攻撃を行った。伊37は水深107mまで潜ってこれを回避。手応えを感じなかったレイノルズは続けて2回のヘッジホッグ攻撃を実施するが、水中爆発の多さが原因でソナーから伊37の反応が一時的に消失した。
16時3分、今度はコンクリンのソナーが伊37を捕捉、16時15分にヘッジホッグ攻撃を加える。それから25秒後に小さな爆発音が聞こえた。10分後にコンクリンが2回目のヘッジホッグ攻撃を行うと28秒後に別の爆発音が聞こえてきた。それぞれの爆発音は命中を意味していたが、損傷を負いながらも伊37は決死に回避運動を取り、コンクリンの内懐へ飛び込む事で3回目のヘッジホッグを回避した。
16時45分、今度はレイノルズが水深137mで起爆するよう設定した爆雷12発を投下。すると非常に大きな水中爆発音が轟き、直径7.6mに及ぶ巨大な水泡が水面から少なくとも1.5m上まで吹き上がるのを乗組員が目撃、そして17時1分、レイノルズの右舷側に巨大な水中爆発が起きた。以降潜水艦の反応は消失し、爆発した場所には油膜と破片が広がっていた。これが伊37の断末魔であった。乗組員117名、回天搭乗員4名、整備員4名全員が死亡。レイノルズが撃沈の証拠として集めた破片は細かく切断されており、通常の撃沈ではありえない事から、「回天の機密を守るために艦内部から自爆したのでは?」と推測されている。
帝國海軍は1944年12月6日にパラオ方面で亡失と判断。1945年3月10日に除籍された。同時期に伊38も消息不明となったため巡潜乙型の生き残りは伊36ただ1隻となる。
関連項目
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