シラユキヒメ 単語

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シラユキヒメ

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もしかして白雪姫 (グリム童話)

シラユキヒメとは、日本競走馬繁殖牝馬(1996 - 2019)である。
突然変異によって誕生したサンデーサイレンス産駒白毛であり、子孫から活躍話題が何頭も育ち「シラユキヒメ系」と称される牝系に成長した。

通算成績:9戦0勝[0-0-1-8]

概要

サンデーサイレンスウェイブウインド、Topsider。

1996年4月4日日本最大の競走馬生産牧場ノーザンファームに白毛として生まれる。ウェイブウインドは1991年生のアメリカで未出走のまま日本に輸入され、これが初であった。ウェイブウインド自身は鹿毛で、シラユキヒメより後に産んだは全て鹿毛系の毛色である。

日本における白毛サラブレッドは、それまでも1979年ハクタイユーを初例にごく稀に突然変異で生まれるケースがあったが、その数は極めて少なく活躍にも遠かった。だが、このシラユキヒメはなんと父親アメリカ二冠馬にして日本に輸入され日本競馬史上最強の大種牡馬となったサンデーサイレンスであった。
サンデーサイレンス産駒1500頭以上が登録されているが、白毛はこの「ウェイブウインドの1996」一頭のみである。

当時売り出し中の金子真人氏が馬主となり、競走馬デビューすことになった。(金子氏が馬主になったという点も、後々シラユキヒメとその子孫たちに大きなを与えることとなる。)

戦歴

後藤由之厩舎に入厩。良血の白毛とあって大変注されたが、デビューが大幅に遅れ初出走は5歳となった2001年2月3日。当然この馬齢未勝利戦など存在せず、500万下への格上出走を続けるしかなかったが、9戦未勝利・3着が最高で引退した。
それでも、2001年5月13日500万下戦(福島競馬場2000m)における3着が中央競馬において白毛が初めて馬券になった例というのだから、いかに白毛が稀な例だったか、少なすぎて強さを論じる域にない存在だったかがうかがい知れる。

繁殖牝馬時代

「W14」遺伝子

シラユキヒメは引退して繁殖入りしたが、白毛突然変異によるものなので、彼女の身体に宿る白毛遺伝子の性質は繁殖入りの時点では全く分からなかった。日本初の白毛サラブレッドハクタイユー()は実験的な意味合いもあり種牡馬に供されるなど、それまでも日本国内で何頭か白毛の繁殖例はあったが、シラユキヒメの生み出した白毛遺伝子はそれらのたちと血の繋がりがない別の遺伝子なので、また性質が異なると考えられる。
白毛はシラユキヒメ1代限りなのか、子に遺伝するのか。白毛しか生まれないのか、他の毛色のも生まれ得るのか。その辺は文字通りやってみないと分からなかったのである。

そして2003年2月20日、初となるブラックホークとの(シロクン)が事に誕生した。毛色は白毛であった。

その後もシラユキヒメは順調に出しを続け、後年には白毛たちも繁殖に入って孫世代が生まれ繁殖例が積み重なったことで、シラユキヒメの生み出した白毛遺伝子の性質が見えてきた。

研究の結果、シラユキヒメの白毛遺伝子は「W14」と名付けられた。

子孫の活躍

シラユキヒメは生涯で12頭の子を産んだが、そのうちの10頭が白毛であった。シラユキヒメの白毛遺伝子ヘテロ接合ならば、子が引き継ぐ確率は1/2のはずにもかかわらずである。この確率の条件下で12頭の子のうち10頭が白毛となる確率は、12C10 / 212=66/4096≒1.6、である。さらにこのうち6頭が繁殖として血を残す機会の多いであった(ダイワスカーレットの逆パターン10頭全部だったりしたら白毛遺伝子は絶えていたかもしれない)。白毛の血を広げよという命なのかもしれない。

また、シラユキヒメが繁殖に入る2000年代前半には、オーナー金子真人氏が日本を代表するスーパー個人馬主になりつつあった。氏の最大の種牡馬ディープインパクトサンデーサイレンス産駒なので付けられないものの、クロフネキングカメハメハとこれまた日本競馬史に残る名種牡馬が付けられ、良血の白毛産駒が誕生していった。
そして産駒達がデビューし始めると、それまで中央ではシラユキヒメが記録した500万下戦での3着が最高であった白毛の初記録がどんどん生み出されるのである。

また白毛ではない子孫を含めると、ユキチャンの孫のメイケイエール(ミッキーアイル鹿毛)が2021年3月6日チューリップ賞(GⅡ)をはじめ重賞を6勝、ソダシの全ママコチャ(クロフネ鹿毛)が2023年10月1日スプリンターズステークス(GⅠ)を制するなど、孫・ひ孫世代からも続々と活躍が出始めている。

そのシラユキヒメは2019年5月5日死亡していたことが、孫のソダシ桜花賞勝利した際に報じられた。世界でも稀な白毛の活躍牝系に成長した一族が白毛としての記録を次々と打ち立てる中、シラユキヒメの残した血は次はどのようなを見させてくれるだろうか。

シラユキヒメ血統の偉業年表

白毛とは

生まれたときから真っ白の毛色ののこと。に色素があり、体毛の一部にも有色の斑点があるので、「アルビノ」ではないとされる。オグリキャップゴールドシップなどに代表される「芦毛(あしげ)」との違いは、芦毛栗毛青毛鹿毛などにい毛が混ざっていて、年を取るにつれてくなるのこと。また世界には2019年セントレジャー優勝ロジシャンなどの「粕毛(かすげ)」が存在するが、こちらは他の毛の色に白毛が混じっているが加齢に関係なく色合いがど変わらないとされる。
日本では1979年ハクタイユーが誕生した時に日本初の「白毛」として登録された。1994年にはハクタイユーの子の(サラ系)ハクホウクンが大井競馬場日本初の白毛勝利を挙げている。

血統表

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss
*ウェイブウイン
Wave Wind
1991 鹿毛
FNo.2-w
Topsider
1980 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Drumtop Round Table
Zonah
Storm and Sunshine
1977 黒鹿毛
Star de Naskra Naskra
Candle Star
Sea Drone Drone
Malaga
競走馬の4代血統表

クロスAlmahmoud 4×5(9.38%)

サンデーサイレンスの毛色は青鹿毛(黒色に近い鹿毛。何故黒色なのに「」なのかはの反射加減でっぽく見えるということらしい)である。シラユキヒメ以外の産駒には白毛はいない。
ウェイブウインドは米国産の輸入で不出走。鹿毛。もちろん近からはシラユキヒメ以外に白毛は出ていない。祖母Storm and Sunshine米国で19戦10勝、テストステークス(GII)・ポストデブステークス(GIII)の重賞2勝。
トップサイダー重賞実績はないが18戦8勝の成績を挙げた鹿毛。もちろん近からは(略)。

白毛の子孫(かなり増えたので一部のみ)

シラユキヒメ 1996 (W14)
ホワイトベッセル 2004 JRA初の白毛勝利
ユキチャン 2005 白毛初の交流グレード競走勝利
|シロインジャ  2013 白毛 ハービンジャー
|||メイケイエール 2018 鹿毛 重賞6勝
|アマンテビアンコ 2021 白毛初のGⅠ級競走勝利
マシュマロ 2009 白毛初の新馬戦勝利
││ハヤヤッコ 2016 白毛初のグレード競走勝利
ブチコ 2012 白毛(鹿ブチ)
││ソダシ 2018 白毛初のG1勝利
||ママコチャ 2019 鹿毛 スプリンターズS優勝
|シロニ 2014 阪神大賞典4着など芝長距離路線を賑わせる

シラユキヒメを祖とする白毛遺伝子はW14と名付けられ(つまり白毛はシラユキヒメの前にサラブレッド以外の品種も含めて13以上の例が確認されている)、その血は現在進行形で拡大している。

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現役時のシラユキヒメの動画ニコニコにはなかったです。

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