スティンガー(競走馬) 単語


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スティンガー

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スティンガー(競走馬)とは、

  1. 1987年生まれの競走馬シーハリアースタン産駒。4戦0勝。
  2. 1996年生まれの競走馬サンデーサイレンス産駒。21戦7勝。

である。本項では2.について記述する。

スティンガー (1996年生まれの競走馬)

スティンガー(Stinger)とは、1996年生まれの日本競走馬鹿毛名はカクテル名から。

デビューからわずか28日後、しかも連闘でGⅠを制し、その後も息の長い活躍を続けた才女。

な勝
1998年阪神3歳牝馬ステークス(GI)
1999年サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別(GⅡ)
2000年京王杯スプリングカップ(GⅡ)京都牝馬特別(GⅢ)
2001年京王杯スプリングカップ(GⅡ)

【受賞】
1998年JRA賞最優秀3歳

概要

*サンデーサイレンス*レガシーオブストレングスAffirmedという血統。
日本競馬を根底から変えてしまった説明不要の大種牡馬は17戦1勝のアメリカ競走馬だったが、受胎[1]として社台ファームが購入して輸入し、その後は日本で繁殖生活を送った。スティンガーは第8にあたる。アファームド1978年アメリカ三冠馬で、種牡馬としてはパッとしなかったが、としては日本スティンガーの他にナリタトップロードメイショウドトウを輩出している。なんの因果か3頭とも同期。ちなみにアメリカ二冠馬×アメリカ三冠馬配合で5代内アウトブリードである。

4歳上の全1995年4歳牝馬特別(東)ローズSの勝ちサイレントハピネス、8歳下の半2009年オーシャンSの勝ちアーバニティ(マンハッタンカフェ)がいる。また1歳下の全ベルモット産駒スプリンターズS連覇のレッドファルクスがいるなど、*レガシーオブストレングス牝系は以降も活躍を輩出している。

1996年5月15日、社台ファームで誕生。社台グループオーナー[2]の持ちとなり、名義上の馬主吉田照哉となった。牧場では特に立った存在ではなかったそうである。

※本の現役期間は2001年馬齢表記変更を挟むので、2000年までは旧表記(数え年、現表記+1歳)、2001年からは現表記で記載します。

鋭い一撃を何度でも

最速連闘3歳女王

スティンガーサイレントハピネスも管理した美の名門・藤沢和雄厩舎に預けられた。がどちらかというと中距離だったのに対しては短い距離の方が良さそうだ、と感じた藤沢師だったが、最初は競馬を覚えさせるために敢えて長めの距離デビューさせることにした。

というわけでデビュー戦は1998年11月8日東京・芝1800mの新馬戦。若駒に競馬を教えることにかけては天下一品岡部幸雄上に、名門・名手・良血の三拍子ったスティンガーは単勝1.9倍という断然の支持を受け、スローペースをしっかり折り合って好位から上がり最速という優等生的な内容で勝利した。これには辛口で有名な岡部騎手も(「まだまだお嬢ちゃん。教えるべきことはたくさんある」と断ったうえで)「いいセンスをしている。磨けばる素質を持っている」と満足げだった。
続いて府中マイル赤松賞(500万下)に向かうと、ここもなりで先頭に立って2馬身半差で圧勝した。

強い内容での連勝で、来年のクラシック有力補に躍り出たスティンガー。さてこのあとのローテーションはどうするのか……と考えていた当時の競馬ファンは、赤松賞翌週阪神3歳牝馬ステークス(GI)の出表を見てを疑った。なんとそこには連闘スティンガー名前があったのである。

3年前、全サイレントハピネストライアル4歳牝馬特別(東)を勝ちながら、中2週では回復がおぼつかない、と結局オークスを回避している。そんな「一勝より一生」をモットーとする藤沢厩舎だが、この連闘策にはデビュー勝利の時点からしっかりと準備をしていた。赤松賞の追い切りは疲労を抑えるためなりで仕上げ、レースもほとんど追うことなく楽な勝たせ方をした。そもそも2戦赤松賞を選択したのも渋滞に巻き込まれずく美に帰れるためで、輸送時間が短ければ輸送による負担が少ないと考えてのことだったそうである。
上についても、岡部騎手ターコイズSエアデジャヴーに先約があって当日は中山に行くため騎乗できなかったのだが、赤松賞レース前に藤沢師は横山典弘を捕まえて「なりで勝つようなら来週けておいてくれ」と頼んでおく用意周到ぶりであった。

というわけで横山典弘上に迎えたレース本番。連闘ということもあって最終的に5.2倍の3番人気に留まったスティンガーだったが、大外から後方に控えると、エイシンルーデンスとコウエイロマンの2頭が競り合ってハイペース大逃げする縦長の展開を折り合って進め、3から外に出して抜群の手応えで進出開始。大外をブン回しながら直線に入ったときにはもう先頭、あとは後続を思うまま突き放し、2着エイシンマーズに2馬身差、3着以下は5馬身置き去りにして圧勝した。

デビューからわずか28日でのGI制覇はグレード制導入以降最速記[3]。連闘でのGI制覇はバンブーメモリー1989年安田記念以来史上2頭。驚きのローテで圧勝を見せたスティンガーは、文句なく翌年のクラシックの最有力補となった。そして事に代打を果たした横山典弘は、勝利ジョッキーインタビューを「岡部さん、あとはお願いします!」と締めくくった。スティンガーは単にクラシックの最有力補というだけではなく、岡部騎手桜花賞初制覇(旧八大競走全制覇)を成し遂げるとしても注されていたのである。

挫折と果敢な挑戦と

明けて4歳となったスティンガーは、連闘で挑んだ阪神3歳牝馬Sから一転、なんと前戦やトライアルを一切使わず桜花賞(GI)へと直行することが発表された。現在ではしくない直行ローテだが、当時はまだトライアルくのが当たり前の時代。藤沢師によれば海外遠征も視野に、疲労回復の成長待ちという策だったらしい。迎えた桜花賞では、上に岡部幸雄が戻り、直行ローテが不安視されたものの、結局3.1倍の1番人気に支持された。
しかしレースゲート内で発走委員のに驚き首を下げてた間にゲートが開き、痛恨の出遅れ。後方からレースを進めたが、そのまま走る気も見せずに12着に惨敗してしまう。

これで海外遠征も白紙となり、4歳牝馬特別(東)(GⅡ)いて優駿牝馬へと向かうことになった。レースでは行きたがる素振りを見せつつも岡部幸雄がしっかり抑え、中は桜花賞2着フサイチエアデールを見ながら進め、最後はしっかりフサイチエアデールをクビ差捕らえて勝利サイレントハピネスとの姉妹制覇となり、優駿牝馬での巻き返しへ弾みをつけた。
しかし優駿牝馬(GI)では最後方から進めるも、向こう正面でペースが落ちたところでやや折り合いを欠き、直線追い込み及ばず4着。クラシック不完全燃焼に終わった。

常識外のローテで競馬ファンも関係者も驚かせてきた藤沢師は、吃驚ローテを組んだ。なんと秋華賞に向かわず、毎日王冠(GⅡ)から天皇賞(秋)(GI)で古に挑むというのだ。藤沢師はバブルガムフェローで4歳での秋天挑戦を成功させたことがあるとはいえ、同じ2000mの限定戦・秋華賞があるでそれをやるのは異例中の異例と言える。藤沢師としては桜花賞の惨敗から関西輸送より府中の方がいいという判断もあったらしいが、仮に4歳天皇賞に出走することになると、1937年ヒサトモとフエアモアが出走して以来62年ぶりの挑戦である。

戦の毎日王冠グラスワンダーが1.2倍の断然人気に支持される中、4歳スティンガー斤量有利とはいえさすがに26.1倍の10頭立て8番人気に留まった。レースは内から2番手で先行。直線でも逃げるアンブラスモアに食い下がり、グラスワンダーメイショウオウドウにはあっさりかわされたものの4着に好走した。
4歳としては62年ぶりの挑戦となった天皇賞(秋)では、なんと18.0倍とGII毎日王冠よりも支持を集めた。前走の毎日王冠の好走で古相手にも通用すると評価された形である。レースは中団のイン競馬を進め、直線でもよく脚を伸ばし、スペシャルウィークステイゴールドエアジハードと差の競馬で4着に力走、二冠馬セイウンスカイ(5着)にもクビ差先着しており、藤沢師も「4歳で4番が古に混ざって4番だよ」と健闘を称えた。
その後は果敢に横山典弘ジャパンカップ(GI)にも挑戦したが、さすがに古相手に混ざって2400mでは長すぎたか、2番手で先行したものの直線で沈み、あえなく最下位14着に終わった。

貫禄、会心、からのまた……

明けて5歳1月京都牝馬特別(GⅢ)から始動。上は新たにオリビエ・ペリエを迎え、頭抜けた実績から1.7倍の断然人気に支持された。レース右回りだと内にモタれるにペリエが苦心しつつ前で進め、直線でやや反応が鈍かったものの、最後は逃げエイシンルーデンスをハナ差かわしてきっちり勝利重賞3勝を挙げた。
これで再び海外遠征を視野に入れ、アメリカの芝9.5ハロン戦ビヴァリーD・ステークス(GI)に予備登録。安田記念からビヴァリーD・ステークスプランを立てた。

まずは安田記念の前戦として京王杯スプリングカップ(GⅡ)へ。しかしここにはグラスワンダーブラックホークキングヘイローシンボリインディに、イギリスのディクタットとGIが5頭も参戦、さらにはGIスティンガーの他にウメノファイバーまでいるというメンバーアメリカ遠征を見据えて新たに武豊を迎えたスティンガーだったが、このメンバーでは単勝11.0倍の5番人気に留まった。
しかし最後方からレースを進めたスティンガーは、直線大外に出すと、ウメノファイバーと一緒にキレ味鋭い末脚が炸裂。上がり最速336一気に前を薙ぎ払い、2着ブラックホークに1と3/4馬身差の圧勝。並み居るGIを蹴散らして、いよいよ海外も膨らむ勝利となった。

……が、安田記念(GI)の1週前、それまで賞金的に除外対だったアドマイヤカイザーが繰り上がりで安田記念に出走対となり、予定していた武豊をアドマイヤのオーナーに取られてしまう。スティンガーに騎乗経験のある岡部幸雄横山典弘は既にイーグルカフェブラックホークへの騎乗が決まっており、スティンガー上は未定となってしまった。最終的には上に田中が確保されたが最終追切には間にあわず、全なテン乗り。コメントめられた勝の特徴をまだ掴めておらず不安そうだった。

当日は一応は1番人気に支持されたが、2番人気ブラックホークの4.9倍に対して4.5倍と差の数字だった。レースは前半やや中団で掛かり気味に力んでしまい、直線では前走のキレ味を見せられず香港フェアリーキングプローンから0.3差の4着に敗退。2着も英国ディクタットだったので、日本勢では3着キングヘイローに次ぐ2番手ではあったのだが……。

その後は遠征先をアメリカからフランスへ変更し、アスタルテ賞(G2)からジャック・ル・マロワ賞(G1)へ進むプランが立てられたが、7月5日に左肩跛行のため遠征は中止となってしまった。ちなみにアスタルテ賞でスティンガーに騎乗を予定していた武豊は、かわりにレディオブチャドに騎乗して見事アスタルテ賞を勝利している。

天皇賞(秋)での復帰をしたが間に合わず、復帰は12月阪神牝馬特別(GⅡ)にずれこんだ。武豊との再コンビフサイチエアデールに次ぐ2番人気に支持されたが、右回りだと内にモタれる悪がまた出てしまい10着撃沈で5歳シーズンを終えた。

上手くいかないことも多かったけど、それでも最後まで

2001年馬齢表記変更に伴い現5歳となったスティンガーは、安田記念標に、オリビエ・ペリエを迎えて東京新聞杯(GⅢ)から始動。しかしには過酷な58kgを背負わされることになり、前からレースを進めたものの直線伸びきれず3着。

続いて京王杯スプリングカップ(GⅡ)に出走。この年も豪州スタロッサや交流GIも含めてGI7頭がメンバーだったが、上に久々岡部幸雄が戻ったスティンガーは、ブラックホークに次ぐ2番人気に支持された。
中団後方から落ち着いてレースを進めたスティンガーは、直線大外に進路を確保すると、1年前のキレ味を取り戻し末脚一気。先に抜け出したブラックホークをクビ差かわしてゴールへ飛び込んだ。
レース史上初の連覇で、勝ち時計も3年前にタイキシャトル記録したレコードタイ。強い内容で安田記念への期待が膨らんだ。

本番の安田記念(GI)では前年覇者フェアリーキングプローンと同オッズの2番人気に支持された。しかし荒れた馬場キックバックモロに食らってやる気をなくしてしまったらしく、あえなく15着に撃沈。
は新たに蛯名正義上に迎えて初の新潟、初の夏競馬関屋記念(GⅢ)に向かったが、中団から伸びず9頭立ての5着。続いて中1週で横山典弘札幌記念(GⅡ)に向かうも、やっぱり右回りはダメで、見せ場なく10頭立ての7着に沈んだ。

になってからのスティンガーは気性難が悪化してきており、調整もなかなか難しくなっていたらしい。そんなこんなでGI戦線には参戦できず、5歳ラストは年末の阪神牝馬ステークス(GⅡ)になった。久々田中を迎えたここでは、不得手な右回りながらモタれる悪も見せず、最後方から直線上がり最速で3着に突っ込んで見せた。

6歳での引退が決まり、営はラストランになんとスプリントの高松宮記念を設定した。初戦は前年同様に東京新聞杯(GⅢ)だったが、59kg+不良馬場ではさすがにしんどすぎたか6着。
そしてラストラン高松宮記念(GI)。適距離GIがないからって、さすがにラストランで初の1200mは理矢理じゃない?と思われつつも10.5倍の4番人気に支持されたスティンガーは、最後方からかつての京王杯SCのような大外一気の末脚を見せ、行った行ったの競馬となったショウナンカンプアドマイヤコジーン逃げ2頭に続く3着と好走。あれれ、実はスプリント適性もあったのでは?と思われつつターフを去った。

通算21戦7勝 [7-0-3-11]。阪神3歳牝馬S/阪神JFGⅠ1勝というと、3歳以降はイマイチというイメージが強いが、4年連続の重賞勝利重賞5勝を挙げたスティンガーは一介のに留まらず、太く長い活躍を続けた。連闘でのGI勝利久々桜花賞での大敗が印に強いが、古になってからの3勝はいずれも間隔をあけて使ったレースでの勝利だった。阪神GIなのに右回りがダメだったり、気性や怪のために肝心なところで上手くいかなかったり、距離適性がどこだったのか結局よくわからなかったりといった面もある。ともあれ、近年とは違いまだまだには敵わないと思われていた時代に一流の古を相手に第一線で活躍し続けたスティンガーがひとかどの名であったことに疑いの余地はないだろう。

引退後

引退後は故郷の社台ファームで繁殖入り。2年からはアメリカに渡り、アメリカKingmamboSmarty Jonesを産んだ。その後はまた日本に戻り、最終的に11頭の産駒を残した。
譲りの気性のためか獲得賞金上位2頭はどちらも騸馬にされてしまったものの、第5サトノギャラント(*シンボリクリスエス)が中央でオープン2勝を挙げ、第7キングオブザサン(チチカスナンゴ)はNHKマイルカップで3着に入った。6頭のが繁殖入りし、牝系の血を現在も広げている。

スティンガー2017年ルーラーシップと*ハービンジャーをつけてともに不受胎に終わったところで繁殖を引退。その後は社台ブルーラスファームで功労として余生を送り、2023年9月21日、27歳で老衰のため死亡した。

血統表

*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss
*レガシーオブストレングス
1982 栗毛
FNo.9-c
Affirmed
1975 栗毛
Exclusive Native Raise a Native
Exclusive
Won't Tell You Crafty Admiral
Scarlet Ribbon
Katonka
1972 鹿毛
Minnesota Mac Rough'n Tumble
Cow Girl
Minnetonka Chieftain
Heliolight

クロス:5代内アウトブリード

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関連リンク

関連項目

脚注

  1. *受胎とは、持込みのこと。
  2. *社台グループオーナーズは、中央の馬主資格所有者でを共同所有するオーナークラブ
  3. *デビューから28日でのGI制覇は現在リオンディーズと並んで最速タイ
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