マッスル北村 本名 北村克己(きたむら・かつみ) 1960年10月6日~2000年8月3日 東京都生まれ。
アジア人としては規格外のバルク(bulk, 筋肉の質感・量感)と怪力を誇った、知る人ぞ知る伝説のボディビルダー。
その人生も波乱に満ちた規格外のものであった。
以下、波瀾万丈ながらも己に正直に生きたマッスル北村の人生を記す。
本人曰く、特に取り柄のない目立たない子だったらしい。手先は器用で日曜大工や裁縫が得意で、電気屋が廃棄したオーディオやテレビ、ビデオ類をあっと言う間に修理してしまう程だったという。
後年、廃車寸前のポルシェ928を電装系、エンジン、内装、外装に手をいれ、果てはスピードメーターを自作して新車同然にしてしまったと言うから、人並みではない。小学校高学年辺りから進んで勉学に励むようになり、身体を鍛える事にも興味を持ち始める。
小学校から高校まで東京学芸大の附属校で過ごす。校内ではダントツの体力の持ち主で、水泳、マラソン大会では独壇場。中学の健康診断の肺活量測定では、唯一一人だけメーターを振りきってしまい、測定不能だったという。成績もトップクラスで親にも従順。理想的な優等生であった
が、中二の夏。連続16時間という無謀なサイクリングに挑戦したが、携帯していた牛乳が腐っていたことに気付かず一気飲みしてしまい、最終的に意識を失い病院に担ぎ込まれてしまった。以来、彼の一番テーマは「限界への挑戦」へと変わり、それが元でたびたび親と衝突を繰り返すようになる。
それ以来、まるで自分を殺すくらいの勢いで長距離サイクリングやマラソン、拳立てふせを繰り返し、日々両親を心配させる。一般的な反抗期とはまるで違う。
さながらバイクに乗らず、自らの肉体のみを爆走させる暴走族といったところだろうか?東京~仙台間の連続サイクリングの際も脱水症状で病院に運び込まれたそうで、両親が小言を言うのも当然といえよう。競輪選手やプロボクサーに憧れていたようで、パンチ力に関して言えばゲームセンターのパンチングマシーンを2台故障させてしまう程だった。
サイクリングに劣らない常軌を逸した猛勉強の末、2浪して晴れて東大理IIに合格、受験勉強から開放された彼は本格的にボクシングジムに通いだす。既に現役で倍率48倍という超難関の防衛医大などに受かっていたが、全寮制の防衛医大ではボクシングジムに通えないので、親に内緒にしていたというから驚きだ。
視力が僅か0.01という致命的ハンデをを押し遣ってでも渇望していたプロボクサーへの道だったが、その視力の悪さが災いしたか、ある日スパーリング中にパートナーに左右のフックを決めて、その瞬間の衝撃で彼の視力をしばらくの間奪ってしまい、その時の恐怖が元でボクシングから一切手を引いた。また競輪選手への道は、実際にトラックを走せてもらう機会に恵まれた際、本物のプロ選手の走りを目の当たりにして己の才能の限界を悟り、諦めてしまっていた。
そうして目標を失いふらふらしていたところ、偶然東大ボディビル部の先輩と出会い、進められるまま関東学生選手権に出場する。が、55kg程度の身体ではまるで大人の中に子供が混じっているような状態で、恥ずかしさと情けなさで泣きそうだったという。しばらくすると惨めさが消え、今度は激しい怒りが湧きあげてきた。「誰よりも鍛えてきた」という自負がある彼にとって審査員に見向きもされず、価値無しのレッテルを貼られたことが我慢ならなかったのだろう。
その日以来東大に通わず、日雇いのアルバイトで金を稼ぎ、その金を大量の卵、サバ缶、牛乳、プロテイン、そしてそれらを強引に吸収させるための消化酵素(強力わかもと)に変え、貪る様に流し込み狂ったようにトレーニングする日々が続いた。初めはいつも満腹状態で吐き気を催すような状態だったが、そのうちわかもとを飲まずとも胃もたれしなくなったという。
当初は彼も一般の人々と同じ偏見をボディビルに抱いていて「男の癖に姿、形の美しさを競うとはなんと女々しい世界だ、雪辱さえ済めばやめてやる。」と思っていたそうだ。
凄まじい執念が実り、わずか1年程で96kgまで増量、2年後の関東学生選手権を圧倒的実力で優勝。雪辱は果たしたが、既にボディビルへと傾倒していた彼は社会人大会へとステップアップしていく時に22歳であった。
この頃には益々親との確執は深くなる。
東大に通わずひたすらトレーニングに明け暮れる息子にある日父親が激昂し、ダンベルシャフトで何度も彼の頭を叩きつけ、左目の網膜剥離により手術を余儀なくされるという事件まで起きる。
ボディビルに専念するため東大を中退するも、家族の目があまりに厳しく、また人の役に立つ人間を志すようになり、東京医科歯科大医学部を受験し直し(一発で受かるところが凄いが)、入学するもやはりボディビルを優先するあまり2年で中退。その際も、父親が彼の部屋のトロフィーや盾の類を外に投げ捨てた事もあったという。
彼は著書にのなかで、この世界で大成し
と語っていたが、彼が存命中にその夢が叶う事はなかったようだ。
個人的興味に過ぎないが、今現在、彼の両親はどう思っているのだろうか?
彼の経歴の中でも最も語り草となっているのが、1985年アジア選手権における凄まじい減量である。
8月11日の実業団選手権に優勝した直後、急遽アジア選手権のオファーが入る。チャンスとばかりに二つ返事で了承したはいいが、あと4日しかなく、コンテスト直後で身体は疲弊しきっている状態であった。「この状態で出ても結果は知れているので、少し好きな物を食べて筋肉に張りを持たせよう」と考え、食べ始めたが最後、コンテスト直後の食欲は凄まじく、コントロールできないまま食べ続けた結果、わずか2日で85kgから98kgへ太ってしまう。
普通の人間は棄権するところだが、ここで彼は一か八かの賭けに出る。電車を乗り継いで山奥まで行き、そこから自宅までの100㎞マラソンに挑戦する。途中足の爪がはがれ、シューズの中が血でグショグショになるほど悲惨な有様だったが、幸か不幸か爪の痛みのお陰で覚醒し、気絶することなく計120kmを15時間かけて走り抜き、14kgの減量に成功。
1986年7月20日 「ジャパン チャンピオンシップス」において、当時としては斬新であった「カーボローディング」(carbo-loading, 炭水化物充填法。エネルギー源として脂肪の代わりにより多くの糖源(グリコーゲン)を採り込む為に、炭水化物(carbohydrate)を一旦枯渇状態にしてから一気に大量摂取する栄養摂取法)を独学で身につけた彼は、日本人最高のバルクとして謳われた石井直方(現:東大教授)選手を破り、みごと優勝。かねてから憧れであった「ミスターユニバース」の切符を手にする。
しかし喜びも束の間。当時JBBF(日本ボディビル連盟。現・日本ボディビル・フィットネス連盟)ドーピングコントロール委員会により筋肉増強剤「ナンドロロン・デカノエイト」の使用ありと言い渡され失格になってしまう。
この事件によりJBBFを脱退し、事実上国内でのコンテストビルダーとしての道を閉ざされた彼は、自らのステージを切り開くために芸能界へ足を踏み入れ、TVの中やゲストポーザーセミナー、後に海外コンテストなどにも活躍の場を求めていくようになる。
月刊アイアンマンに連載されていた彼の回顧録(後に「ボクの履歴書」の名で発売)は、芸能界に足を踏み入れた所で本人が死去してしまい、その後の詳しい生活は知る由もないが「学生時代の肉体労働のほうが、よっぽど楽だった」と、ぼやくぐらい、内容的にも金銭的にもあまり恵まれたものではなかったようである。
いつ頃からか、かなりの酒飲みになっていたようでアルコール依存症に悩まされていたようである。元々上戸な上に内臓が異常に強いので、25度の焼酎1.8リットルは1日の最低量だったそうだ。
回顧録の中で、14年の時を経て公の場で当時の状況を告白した。
14年も沈黙を守った理由としては、彼自身「忌まわしい思い出したくない過去」として封印したかったという思いがあったが、他のビルダーの動揺や国内ボディービルダー界の印象悪化を恐れての事でもあった。しかし北村氏と親交が深かった北九州のジムの会長が「北村と親しい」という理由だけで嫌がらせを受けた事が、おおらかな彼の堪忍袋の緒を切ってしまったようである。
簡単にまとめると、彼は当時のJBBFドーピングコントロール委員長であった故・後藤紀久氏に「はめられた」と語り、理由としては当時、後藤氏と不倫関係にあったステロイドユーザーの某女子ビルダーを失格させないために、尿サンプルをすりかえたのだ。と主張している。
A、B二つの尿サンプルをとり、当事者に不服が有る場合はどちらかでもう一度再検査が行われるはずだったが、すぐにA、Bとも廃棄されていた。
当時GCG(Gas ChromatoGraphy, ガスクロ(マトクラフィー)。気相色譜法。気化させたサンプルを各成分の性質の違いを元に分離・解析する成分分析法)で検査されていた。医学生である彼はGCGの概要は分かっていたので「検査データを見れば自分の尿かそうでないか分かるので検査データを見せて欲しい」と、何度も後藤氏に頼んだが自分の尿検査のデータであるにも関わらず「極秘資料だ」と言う理由で断られる。
結局最後の直接の話し合いの場でも、本人が検査データの書類を固く握り締め、一度も開いて見せてはくれなかった(尤も「各選手への公正性と検査の厳密性等を理由に、たとえ当人であっても検査データを頒布するわけにはいかない」といった理屈が、医療カルテの本人開示すらままならなかった当時の世情等を考慮すれば一応成立し得る、ということは付言しておこう)。
当時、ジムで色々とお世話になっていた先輩が例の女子ビルダーに好意を寄せており、「彼女、筋肉がなかなかつかなくて、最近薬を使っている」と言う話や「某大学の教授と不倫関係にある」と言う話がその先輩から漏れてきていた。
まさかその教授がドーピングコントロール委員長だとは思ってもいなかったので、その時はさして気にも留めなかったが、「思えばあれがトラブルの始まりだった」と書かれている。
ジャパン チャンピオンシップスが迫ったある日、その先輩が「北村君、コレを使え」と、強引に胸ポケットにステロイドのアンプルを押し込んでいった。医学生であり、何度も大会に出場している彼がドーピングテストのことを知らないはずがない。そんな物を使えばどうなるかは想像に難くない。
今まで信頼してきた先輩に裏切られた気がしてすごく悲しかったという。
その後、その先輩とも疎遠になり、14年の歳月が経過したある日、たまたまゴールドジムで見かけた先輩に「もう時効だろう」とばかりに思い切って彼は質問した。
ナンドロロン・デカノエイト(nandrolone decanoate) 通称 「デカ」
人体にも自然に存在する強力な筋肉増強・骨密度上昇作用のあるステロイド剤の一種ナンドロロン(19-ノルテストステロン)を、長期間作用させるためにデカン酸(カプリン酸。ココナッツオイル等に多く含まれる)エステル化したもの。しかし貯水性が高く、故に皮下に水分が溜まってしまう惧れがあり、コンテストビルダーには向かない。
1999 NPCトーナメント オブ チャンピオン 強大な外国人が連なるヘビー級において3位入賞を果たした北村氏は2000年の同大会での優勝を目指し過酷な減量を行い、8月3日低血糖による心不全により死去。K-1選手として知られるアンディ・フグが亡くなる20日程前の事である 自他共に「今年は優勝できる」と言わしめるほどの完璧な仕上がりだったという。
当時の彼の減量方法は、炭水化物をカットしてオリーブオイルなどの良質の油をエネルギーとする「オイルダイエット」を先ず行い、最後の仕上げにオイルをカットし少量の炭水化物で仕上げる方法をとっていたのだが、予想以上に基礎代謝や運動によるエネルギー代謝が大きく、計算していた食事の量では足りなかったのだろう。
いざというときの予備燃料である「体脂肪」が全く無く、必要最低限のエネルギー(糖分)が補給されないと当然死んでしまうので、普通は身体の防衛本能が働いてドカ食いしてしまったり、全てを放り投げ無気力な状態になってしまったりするものだが・・・・・・彼の計り知れない精神力が肉体の限界を超えてしまったのだろうか?
(ちなみにスポーツ医学のより進んだ現在では、彼のように極端な炭水化物制限を行った上で運動量を増やす、と云ったリスクの高いダイエット法はもはや古典的なものとなり、より安全に同程度の効果を上げられる手法が確立されつつある。彼の死がそうした発展の礎の一つとなっている事を願って已まない。)
葬式では一番大きな棺にも入りきらず、手を組直して何とか収めたらしい。
火葬場では骨になるまで通常の倍の時間がかかり、骨量にいたっては常人の3倍もあり「死んでからもスケールが大きいなぁ」と参列者に言わしめた。
「グラップラー刃牙」で知られる板垣恵介は、連載前に彼のもとに取材をし、
様々な筋肉を模写して、作画の参考にしている。その時に腕相撲をした際、
北村の計り知れないパワーに驚嘆したとのこと。
また、愚地克巳の克己は彼の本名から用いられている。
愛犬家としても知られ、「どうぶつ奇想天外」の番組内でも愛犬を溺愛していた映像が印象的であった。
掲示板
336 ななしのよっしん
2024/02/28(水) 20:33:02 ID: 8i+6Yyw1yK
防衛医大合格と東大理Ⅱ入学と東京医科歯科大医学部入学を全部棒に振ってるのマジもったいないな…
どれか一つでも卒業してたら金に不自由せず生活出来ただろうに
あの食事動画に映ってるボロアパートは悲しくなった
337 ななしのよっしん
2024/02/28(水) 20:41:05 ID: 5obaOKMi64
己を縛る、追い込むタイプの努力は得意でも先生方と協調するタイプの努力は苦手なのかもしれないね
今は進学率が上って大学の授業も通過儀礼のようになっているけど高校までの学習環境とは似つかない異質さがあるからね
338 ななしのよっしん
2024/04/04(木) 22:13:15 ID: IKl1AdeBzs
プロボディビルってかなり危険な競技だし、寿命と引き換えに筋肉を得ているところがあるから、早死にするのは仕方ないところもある
とはいえこの人はもうちょっと知識や理解があればこんなことにはならず、もっと健康的にもっと素晴らしい筋肉を手に入れられてたかもしれなかったのに
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/27(金) 11:00
最終更新:2024/12/27(金) 11:00
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