稚内市単語

ワッカナイシ

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稚内市のことなんて、わっかんないし!!!

概要

稚内市(2021年10月1日時点)
面積 約761.47km2
人口 32,836人
マナ
の木 サクラナナカマド
隣接
市町村
宗谷総合振興局
天塩:豊富町
宗谷猿払村

稚内市わっかないし)とは、北海道のひとつであり、宗谷総合振興局所在地。名の由来はアイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ(冷たいの沢)」である。

日本最北のとして有名で、一般人が到達可日本最北端の地である宗谷岬をはじめ、さまざまな「日本最北」が稚内市にあり、最果てマニアを魅了してやまない[1]稚内のことはよくわっかんない人でも、日本最北の場所であることは知っている人も多いのではないだろうか。
また、日本一、日本海オホーツクの両方に面している市町村でもあり、季には他のオホーツク沿地域と同様に流氷がやって来る。

涼しく、で冷え込みが較的緩い。年を通してが強く、これを活かした大規模な風力発電所が宗谷丘陵に設置されている。

最盛期には5万人をえる人口を擁していた稚内市だが、産業のひとつである漁業が最盛期とべて衰退してしまったこともあり、人口は徐々に減少している。そのため、2002年平成14年)には過疎地域の適用を受けることになってしまった。これでも旭川以北の北海道都市としては北見網走の次に大きいのだが…
また、内にイオンダイエーなどの大手スーパーは進出していない(ラルズプラザならある)。コンビニは何件かあるが、ローソンセブンイレブンのような全展開しているチェーン店は長らくなく(2023年8月ローソンが3店舗進出で解消)、ほぼ全なるセイコーマート下である。「」とは言うものの基本的に田舎、とは編集者の元同僚(稚内出身)の弁。

大雑把な歴史

江戸時代から北方への拠点として、間宮蔵や松浦武四郎といった探検樺太探検の際に当地を訪れている。

1869年(明治2年)、宗谷が設置される。
1878年(明治11年)、宗谷内に宗谷(そうや)稚内わっかない)問(こえとい)・抜(ばっかい)払(さるふつ)・泊内(とまりない)が成立。この時点では、いずれの自治体として独立したではなかった。

宗谷
稚内 内村
猿払村

1879年(明治12年)、宗谷に戸長役場と役所を設置。これをもって稚内の開基としている。
1888年(明治21年)、戸長役場・役所・その他諸官庁が稚内に移転。
1897年明治30年)、役所を宗谷支庁を開設。
1900年(明治33年)、稚内・抜が合併して北海道一級町制を施行、稚内が発足。

宗谷
稚内 内村
猿払村

1901年(明治34年)、稚内が町制を施行し、稚内になる。

宗谷
稚内 内村
猿払村

1909年(明治42年)、宗谷猿払村・泊内村が合併して北海道二級町制を施行、宗谷が発足。

宗谷
稚内

1924年(大正13年)、宗谷の一部が独立して北海道二級町制を施行、猿払村が発足する。

宗谷
稚内
猿払村

1943年昭和18年)、北海道一・二級町制が止になり、代わって町制を施行。
1949年昭和24年)、稚内町が制施行し、稚内市に。

宗谷
稚内市
猿払村

1955年昭和30年)、稚内市が宗谷を編入する。

 
  稚内市  
  猿払村

2010年平成22年)、従来の宗谷支庁に代わって宗谷総合振興局を設置。

市内の主な地名

稚内市の元になったのうち、宗谷・抜の大半と、稚内の一部については、大字名として名がそのまま残されている。該当地域の住所稚内市大字○○となり、の中にがあるように見えて一般の感覚では妙に感じるのだが、もちろんこの地方公共団体としての性質を持たない、名ばかりのである。

多くの港町の例に漏れず、「条・丁」の「条」がない。

稚内市街地

位置的には稚内市の西側、ノシャップのある半島周辺。おそらく旧宗谷稚内に相当すると思われるが、ソースがないので正確なことはわっかんない。

中央(ちゅうおう)
住居表示実施地域。稚内市役所(日本最北の市区町村役場本庁舎)や稚内駅日本最北の鉄道)、道の駅わっかない(日本最北の道の駅)、稚内病院日本最北の病院)がある、文字通り稚内市の中枢。
開運(かいうん)
住居表示実施地域。稚内フェリーターミナル(日本最北のフェリー乗り場)や稚内地方台(日本最北の地方)がある。
宝来(ほうらい)
住居表示実施地域。稚内港北防波ドームや、ホーマックニコット稚内宝来店(日本最北のホームセンター)、ツルハドラッグ稚内宝来店(日本最北のドラッグストア)がある。
ノシャップ
一丁~三丁で住居表示実施。その名の通り、ノシャップ周辺の地名。イルカ像のある公園が整備されており、利尻富士が見える眺望や夕の美しさが人気観光スポットになっている。その近くには稚内灯台や稚内市立ノシャップ寒流水族館日本最北の水族館)、稚内少年科学館(日本最北の科学)がある。
地名の由来は、アイヌ語の「ノッサの際)」「ノテトゥ()」「ノッサウイ(の前にあるもの)」など諸説あり。根室市にある納沙布名前が似ているが、同一の可性がある。
港(みなと)
住居表示実施地域。文字通り稚内港に面しており、稚内副港市場稚内地区消防事務組合消防本部(日本最北の消防本部)、遊ランド稚内店(旧・光速憧路、日本最北のゲームセンター)がある。
末広(すえひろ)
住居表示実施地域。北海道の出先機関として宗谷総合振興局が置かれている他、稚内公共職業安定所(日本最北の公共職業安定所)や稚内年金事務所日本最北の年金事務所)、北海道稚内保健所(日本最北の保健所)、企業などが立地している。
(だいこく)
住居表示実施地域。だいたい南稚内駅の北側あたり。稚内市立図書館日本最北の図書館)がある他、飲食店や宿泊施設が多く、日本最北のすき家ミスタードーナツロッテリアヴィクトリアステーションがこの一帯に集中している。
潮見(しおみ)
住居表示実施地域。国道40号から国道238号日本で最も北を走る国道)が分岐する、道路交通の要所。日本最北の裁判所マクドナルドや、ダイソー稚内店(日本最北の100円ショップ)がある。
栄(さかえ)
住居表示実施地域。稚内市内一の高校北海道稚内高等学校日本最北の高等学校ではない)や、稚内心会病院がある。
町(しんこうちょう)
この周辺ではしく、丁の設定がない。北端にシティツルハドラッグDCMなど商業施設が集中しており、その中に日本最北のモスバーガーがある。
若葉台(わかばだい)
一丁~三丁と、丁の設定がない番地のみの地域からなる。二丁のみ住居表示実施。稚内市内一にして日本最北の大学・育英館大学がある。
西(にしはま)
北海道道106号稚内天塩線北海道254号抜港線の合流地点である坂の下交差点がある。道道254号沿いには交通安全を祈願して作られたカエルオブジェが多数飾られている場所があり、「カエルロード」と呼ばれている。

宗谷岬・大字宗谷村

位置的には稚内市の東側。概ね旧宗谷宗谷に相当すると思われる。

宗谷岬(そうやみさき
の設定はなく、稚内中心から遠く離れた辺の地だが、なぜか住居表示実施済み。もちろん、日本最北の住居表示実施地域である。文字通り、一般人が訪問可日本最北端の地・宗谷岬周辺をす地名であり、郵便局ガソリンスタンド・駐在所など、ここにあるものの多くが日本最北端称号を頂いている。
宗谷岬の北西の上には、日本の施政権が及ぶ領土の最北端にあたる弁天[2]という無人島が浮かんでいるが、住所の上ではこれも宗谷岬として扱われている。
宗谷(そうや)
大字宗谷の中心的な地域。日本最北の市区町村役場(支所を含む)・稚内市役所宗谷支所を中心に小規模な集落が形成されている。宗谷岬から宗谷丘陵を経由するフットパスコース終点があり、殻を砕いて敷き詰めた絶景スポットとして人気を集めている。
(きよはま)
稚内市立宗谷中学校日本最北の中学校)がある。
富磯(とみいそ)
セイコーマートとみいそ店(日本最北のコンビニ)や、日本最北の一等三角点「宗谷山」がある他、宗谷岬ウインドファームの風車群の一部が含まれている。

声問・大字声問村

位置的には稚内市の中央。概ね旧宗谷に相当すると思われる。

問(こえとい)
宗谷湾の沿にあり、住居表示実施地域の一丁~五丁と、大字問とが互いに隣接している。北海道宗谷ふれあい公園や、アメダスの観測所がある。かつては国鉄天北線もあった。
地名はアイヌ語の「コイトゥイェ(波が崩す)」が由来。
クマ
稚内の玄関口、稚内空港がある。
(ぬまかわ)
内陸にある地名。小規模な集落が形成されており、稚内市役所沼支所や、アメダスの観測所などがある。かつては国鉄天北線の沼もあった。
曲渕(まがりふち)
の東にある地名。炭鉱で栄えていたが、炭鉱の閉山後は寂れている。かつては国鉄天北線の曲淵もあった。

大字抜海村

位置的には稚内市の南西。概ね旧宗谷に相当すると思われる。この地域は、ほぼ全ての字名がカタカナ表記になっている。

バッカイ
日本海側に突き出た抜に抜港があり、その周辺に集落が形成されている。ゴマアザラシの越地として知られている。
地名の由来はアイヌ語の「パッカイペ(子を背負うもの)」から。集落の南はずれにある抜岩の特徴的な形状から、そう呼ばれるようになったとのことである。
クトネベツ
バッカイの内陸側にある地名。JR宗谷本線抜海駅があり、日本最北の無人駅として知られているが、抜集落からは2kmほど離れているため利用者は少なく、日本最北の秘境駅という称号も同時に頂いてしまっている。の存議論が進行中であり、近い将来になる可性がある。
ちなみにクトネベツとはアイヌ語で「大イタドリの」の意である。
ユー
「下勇知(しもゆうち)」「勇知(はまゆうち)」とも。沿いに小さな展望休憩施設「こうほねの」と、原生園がある。ちなみに「こうほね(河)」とは、その原生園で見られるスイレン科の植物の名。
地名の由来はアイヌ語の「イオッイ(それ・多くいる・所)」から。「それ」とはのことであり、直接と言うのをはばかってこのように呼ばれるようになったとされる。
ユーチ(かみゆーち)
ユーチから見てやや内陸側にある地名。JR宗谷本線の勇知があり、その周辺に小規模な集落が形成されている。
ユーク
日本海オロロンライン北海道道106号稚内天塩線沿いにある地名。「夕来パーキング」という小さな駐スペースがあり、利尻富士眺望スポットとして知られている。
地名はアイヌ語の「ユクルー鹿)」が由来。

産業

要な産業は漁業、酪農、観光など。

漁業

な漁獲物はホッケホタテなどで、冷凍食品などを生産する産加工業も盛ん。しかし1977年昭和52年)に排他的経済域が設定されると稚内市の漁業は多大なを受け、最盛期の勢いは今や見られなくなってしまった。

稚内で獲れた産物を用いた名物料理としては、タコしゃぶしゃぶにする「たこしゃぶ」や、タラ・ワラヅカ・ホタテ宗谷を使ったすり身をのせた「ネオすり身・丼」などがある。

酪農

稚内産の乳牛から搾られた牛乳が「稚内牛乳」として販売されているほか、の「宗谷」が生産されている。

観光

売りはもちろん「日本最北」である。日本最北の地を自らの足で踏みしめようと多くの人が訪れる宗谷岬には「日本最北端の地」の碑があり、晴れていれば宗谷峡の向こうに樺太サハリン)も見える。他、「日本最北の駐在所」「日本最北のトイレ」等、碑の近くにある施設の多くが「日本最北の○○」の称号をほしいままにしている。以下のように、最北端への到達を明してくれる場所もあるので、こちらも利用してみてはいかがだろうか。

宗谷岬の南側には、周氷河地形として北海道遺産定されている宗谷丘陵がある。宗谷丘陵過去山火事木が焼けた後、現在に至るまで木が回復していないため、木に遮られることなく周氷河地形の色を楽しむことができる。宗谷岬ウインドファームの風力発電機と併せて、絶景スポットとして人気のある場所である。

稚内の中心があるノシャップ側には、宗谷丘陵と同じく北海道遺産定されている稚内港北防波ドームや、稚内公園などがある。
またノシャップをはじめとした日本海沿部からは、晴れていれば利尻富士の姿がよく見える。

交通

道路・バス

内に高速道路は通っていないが、国道40号国道232号重複)・国道238号や、オロロンラインの一区間をなす道道106号をはじめいくつかの国道道道がある。2012年平成24年)には新たに道の駅完成し、ついに日本最北の道の駅称号すら稚内のものになった[3]

宗谷岬は稚内市地から20km以上も離れた場所にあるので、自動車なしで宗谷岬まで行くのはかなり厳しい。それでも自レンタカーを使わずに宗谷岬に行くというのであれば、バスを利用するという手がある。稚内駅から向かう場合は宗谷バス宗谷岬線「音威子府」「中頓別」「志別」行きのいずれかに乗り、「宗谷岬」停留所で降りるとよい。所要時間は50分程度。本数がかなり少ないので、事前時刻表を調べておくことが推奨される[4]

ちなみに宗谷バスは北都交通と共同で札幌稚内を繋ぐ都市バスわっかない号」も運行している。札幌から稚内に向かうのであれば、行便5往復夜行便1往復と便数も多く、所要時間もJRべて30分ほど長いだけ(その差も途中の休憩が理由)のバスのほうが利便性が高いかもしれない(5時間20分の間車内販売なしのJR較すると、道の駅で長時間の休憩があるバスのほうが飲食の調達も便利)。

なお、稚内市内でを運転する際はエゾシカに注意を要する。稚内市内のエゾシカ内他地域と較しても特に人慣れした個体が多く、中であっても当たり前のように路上を歩いているからだ。稚内マジおっかない。

鉄道

稚内駅(4代舎)

JR宗谷本線が通っている。内にあるは南から順番に

名寄旭川方面)- 勇知 - 抜海駅 - 稚内駅 - 稚内駅

の4つ。稚内駅日本最北の鉄道で、ここと南稚内駅には特急宗谷」「サロベツ」も停する。
しかしダイヤはかなり薄く、特急列車は一日3往復、普通列車を含めても一日7往復しか来ない。また、特急列車を利用した場合の所要時間は、旭川から約3時間半、札幌から約5時間。この数字から、稚内がいかに他の拠点都市から離れているかがわかるだろう。

かつては国鉄天北線も通っていたが、JR北海道に承継後の1989年平成元年)に止されている。

空港

内に稚内空港があり、新千歳空港および東京国際空港への便が運航されている。

実は礼文島にある礼文空港のほうが北方に位置するため、厳密には日本最北の空港ではない。しかし、礼文空港2009年平成21年)に供用を休止しており、実質的な最北は稚内空港と考えていいだろう。

港湾

重要港湾に定されている稚内港をはじめとして、いくつかの港がある。

稚内港は客扱いをする港湾としては日本最北である。ハートランドフェリー(旧:東日本海フェリー)の船舶が就航しており、利尻島礼文島へ向かう便のほか、樺太サハリン)のコルサコフ港へ向かう便もある。しかし、サハリンとの航路についてはハートランドフェリー2015年に撤退してしまったため、第3セクター会社を設立して運航再開する予定となっている。
その他、宗谷岬の東側にある日本最北の地方港湾・宗谷港、ゴマアザラシの越地として知られる抜港などがある。

公的機関

医療

病院が2か所ある。

物流

郵便局

その他

教育

人口3万人程度の小都市だが、大学がある。

大学

高等学校

日本最北の高等学校は稚内市内にはない(礼文島にある北海道礼文高等学校がより北に位置するため)。

中学校

小中併設校

小学校

日本最北にまつわるその他あれこれ

友好・姉妹都市

姉妹都市

バギフィリピン共和国
1973年昭和48年3月20日締結。

友好都市

海外

ネベリスクロシア連邦サハリン州)
1972年昭和47年9月8日締結。
コルサコフロシア連邦サハリン州)
1991年平成3年7月2日締結。
ユジノサハリンスクロシア連邦サハリン州)
2001年平成13年9月9日締結。

国内

石垣市沖縄県
1987年昭和62年9月27日締結。それぞれ日本最北端・最南端のである縁による。
枕崎市鹿児島県
2012年平成24年4月28日締結。それぞれJR最北端・最南端の始発・終着を有する都市である縁による。

関連動画

関連静画

関連コミュニティ

関連項目

脚注

  1. *なお、市町村全体では北方領土にある蘂取蘂取村日本最北であるが、一般人は到達不可のため、稚内市が事実上の最北端として扱われることが多い
  2. *一般人は訪問不可
  3. *それまで日本最北の道の駅は隣の猿払村にある「さるふつ公園」だった
  4. *宗谷岬を往復する場合の主な時刻exit
  5. *ほぼ同緯度の礼文礼文町内に、陸上自衛隊礼文分屯地がある
  6. *消防組織としては、礼文礼文町にある利尻礼文消防事務組合消防礼文支署泊分遣所、消防団も含めると宗谷岬付近にある稚内消防団第十二分団の詰所がより北に存在する
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最終更新:2024/03/19(火) 14:00

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