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ユヴェントスFCJuventus F.C. S.p.A)とは、イタリアセリエA所属のサッカークラブである。ユベントスとも表記される。

概要

ヨーロッパサッカークラブ
ユヴェントスFC
基本情報
創設 1897年
所属リーグ セリエA
ホームタウン リノ
ホームスタジアム アリアンツ・スタジアム
(41,507人)
チームカラー
代表者 ジャンルカ・フェッレーロ
プロサッカークラブテンプレート

1897年創設、本拠地はトリノセリエA最多優勝を誇る世界的なクラブチーム1923年以来、クラブオーナーフィアットの創業であるアニェッリとなっている。ホームスタジアムは2011年9月に新設されたアリアンツ・スタジアム(ユヴェントス・スタジアム)。
クラブカラー(bianco e nero)。通称ユーヴェ、ビアンコネーリ、イタリア貴婦人(Vecchia Signora)。サポーターはユヴェンティーノと呼ばれる。

ACミランインテル・ミラノと並ぶイタリアビッグ3の一つであり、セリエAでのスクデット獲得回数は36回と他の2チームを大きく引き離して最多記録を保持している。2012年から2020年までの間にはリーグ9連覇を達成。UEFAチャンピオンズリーグには9回決勝まで進んでおり、うち2回優勝している。ただし、ビッグイヤーを獲得した回数はミランインテルよりも少ない。

ホームタウンという概念確立しているヨーロッパにはしく、全的な人気を持つクラブである。その反面、アンチも多い。

1923年以来、クラブオーナーフィアットの創業者であるアニェッリとなっている。クラブは健全経営を心掛けており、スター選手であっても契約で揉めた際は去る者は追わずのスタンスを取っていた。
しかし、近年はオーナー側がさらなる発展をめるようになっており、クラブエンブレムの大胆な変更や多額の移籍金を費やしての選手の獲得などの動きを見せている。

同じトリノを本拠地とするトリノFCとはライバル関係にあり、両者の対戦はトリノダービー(デルビー・デッラ・モーレ」と呼ばれている。またインテル・ミラノとの対戦はイタリアダービーと呼ばれ、イタリアを代表するビッグマッチとなっている。地域的なライバルではないが、1990年ロベルト・バッジョを引き抜いたことが原因でACFフィオレンティーナとは険悪な関係にある。

数多くの名選手が在籍した中で、背番号「10」はその時代を代表する選手が背負う伝統の番号とされており、過去にはミシェル・プラティニロベルト・バッジョアレッサンドロ・デル・ピエロなどが使用している。

2000年代半ばにカルチョスキャンダルというおおきな不祥事の中心となった。その内容は審判買収による八百長問題であり、2006年クラブは創設以来初となるセリエB降格処分を受けている。またイタリアサッカーへの不信感を起こさせるものとなり、以降セリエA舞台での競争力が低下している。
2015年3月23日イタリア最高裁はユヴェントスの元GMルチアーノ・モッジ氏、元代表取締役アントニオジラウド氏らが「スポーツ犯罪を行っていない」という無罪判決を下した。有罪判決が下ったのはデ・サンティ審判のみであり、クラブイタリアサッカー連盟(FIGC)に対し、カルチョポーリによって被った損の賠償をめて裁判を提起している。

歴史

1897年、マッシモ・ダゼーリオ高等学校生徒がスポルトクラブ・ユベントス(Sport Club Juventus)を設立。ちなみにユヴェントスとはラテン語で「若者」を意味している。ちなみにクラブ設立当初のユニフォームの色はピンクだったが、色褪せしやすいという問題があり、1903年に現在に代わった。

1900年よりセリエAの前進であるイタリア選手権に参加。1905年にはクラブの初タイトルとなるイタリア選手権優勝を果たしている。その翌年クラブの内部紛争によって当時の会長が辞任し、同じ本拠地に現在のトリノFCを設立している。

1923年フィアット社のオーナーであるエドアルド・アニェッリがクラブを買収。以降、今日に至るまでクラブ会長はアニェッリ一族が務めるようになる。これによって力をつけたチーム1926年に21年ぶりとなるイタリア選手権優勝を果たすと、1930年代には地元開催で優勝した1934 FIFAワールドカップイタリア代表メンバーを9人もえた容で1931年から1935年までのセリエAを5連覇し、クラブ最初の黄金時代を迎える。

1942年ジャンニ・アニェッリが会長に就任するが、1940年代のカルチョ役をライバルACリノに奪われてしまい、「グランデ・トリノ」と呼ばれたチームに隠れる格好となっていた。1938年コッパ・イタリアを最後にタイトルから遠ざかっていたユヴェントスが次にスクデットを獲得したのは、皮にもグランデ・トリノメンバーの多くが命を落とした「ミュンヘンの悲劇」の翌年である1949-1950シーズンだった。

1957-58シーズンクラブ初となるスクデットとコッパ・イタリアシーズンダブルを達成。さらに、このとき通算10回のスクデット獲得を達成し、胸にステッラのエンブレム)を付けることが許された最初のチームとなる。このシーズンから1960-61シーズンまでの4シーズンの間にスクデット3回、カップ2回を獲得しており、この頃チームの攻撃の中心だったジャンピエロボニペルティジョンチャールズ、オマール・シヴォリのFW三人組は「魔法トリオ (Il Trio Magico)」と呼ばれた。一方、1960年代にACミランインテルUEFAチャンピオンズカップを制覇したのに対し、ユーヴェは欧州の大会で上位に進出はすれど、タイトルには手が届いていなかった。

1976年ジョヴァンニトラパットーニが監督に就任。ディノ・ゾフ、ガエターノ・シレアクラウディオ・ジェンティーレを擁した鉄壁の守備ベースに就任1年の1976-77シーズンにスクデットを獲得すると、さらにUEFAカップ優勝を果たし、クラブ史上初となる欧州でのタイトルを獲得する。1980年代に入ると、ミシェル・プラティニ、ズビグニェフ・ボニエク、パオロ・ロッシが加入。セリエAではコンスタントにスクデットを獲得しており、1982-83シーズンに20回優勝を飾る。1983-84シーズンにはUEFAカップウィナーズカップ優勝を果たす。そして、1984-85シーズンUEFAチャンピオンズカップ決勝では前回覇者リヴァプールFCを相手に勝利し、悲願となっていた初のビッグイヤーを獲得。その年の年末のトヨタカップではアルヘンティノス・ジュニアーズを下し、世界一タイトルも手にする。タレントいの当時のチームの中でもひと際きを放った「将軍プラティニは3年連続でバロンドールを獲得、トラパットーニは在任10年間で13個のタイトルチームにもたらした。

プラティニが現役を引退した1986-87シーズン以降、ディエゴ・マラドーナ擁するSSナポリの台頭、オランダトリオによって黄金期が到来したACミランの後を拝し、世界最高リーグと呼ばれるようになったセリエAタイトルが取れない時期が続いていた。プラティニに代わる新たなチーム徴として1990年ロベルト・バッジョを獲得。1991年には5年ぶりにトラパットーニが監督に再任。ロベルト・バッジョ1993年バロンドールを獲得し、1992-93シーズンUEFAカップ優勝をもたらすが、内ではミランの牙を崩すことができずにいた。

1994年マルチェロ・リッピ監督に就任。不調だったジャンルカ・ヴィアリが復調したこともあり、1994-95シーズンに9年ぶりのスクデットを獲得。1995-96シーズンは怪がちだったロベルト・バッジョ放出を決断し、台頭してきた若いアレッサンドロ・デル・ピエロエースに抜すると、UEFAチャンピオンズカップで二度優勝を果たす。この頃のユヴェントスは頻繁に選手の入れ替えをおこないながら攻守のバランスが取れたチームに仕上がっていき、ジネディーヌ・ジダンという世界最高峰のが加わったチームは1996-97シーズンと1997-98シーズンセリエAを連覇。チャンピオンズカップでも3年連続で決勝進出を果たしている。特に「デルピッポ」と呼ばれたデル・ピエロフィリッポ・インザーギの2トップ+ジダンを擁した1997-98シーズンチームは当時の最強チームと称されていた。

しかし、1998-99シーズンはズデネク・ゼーマンの告発が発端となった「ドーピング疑惑」によってチーム批判され、さらにデル・ピエロが左膝十字靭帯断裂の重傷を負ったことによって深刻な得点力不足に苦しめられ、チームは中位に低迷。名将の座を確立していたリッピは成績不振によって解任となる。その後、カルロ・アンチェロッティが後任を務めるが、3シーズン連続で冠に終わっている。

2001年に3年間のブランクを経てマルチェロ・リッピ監督に復帰。チームの中心であったジダンレアル・マドリードに移籍し、大きな転換期を迎えたチームはダヴィド・トレゼゲ、パベル・ネドベドジャンルイジ・ブッフォンリリアン・テュラムらを獲得。ネドベドジダンに代わる攻撃の中心としてフィットしたこともあり2001-02と2002-03シーズンセリエA2連覇を果たす。2004年にはファビオ・カペッロ監督に招へいすると、ブッフォン、テュラムファビオ・カンナヴァーロも加わった最終ライン鉄壁ユニットを形成。2004-05、2005-06シーズンにまたもセリエAを連覇する。ところが、2006年ルチアーノ・モッジGMらによる審判への買収・脅迫行為が発覚。カルチョスキャンダルと呼ばれたこの事件によってクラブは2004-05及び2005-06シーズンのスクデット剥奪に加え、史上初のセリエB降格処分を受けることになる。

屈辱的なセリエBで戦うことになった2006-07シーズンだったが、将のデル・ピエロがいちく残留を表明したことでブッフォンネドベド、トレゼゲらが残留。ディディエ・デシャン監督に迎え、独走状態でセリエB優勝を果たし、1年でセリエA復帰を果たす。セリエA復帰1年となった2007-08シーズンは、デル・ピエロとトレゼゲの2トップって好調だったこともありCL出場権を獲得するが、カルチョスキャンダルによって負ったダメージはやはり大きく、4シーズン連続で冠に終わったばかりか2年連続で中位に終わるなどチームは低迷期を迎えていた。危機感を覚えたフロントGMジュゼッペマロッタ、スカウト担当にファビオ・パラティッチを迎え入れ、改革に乗り出す。

2011年マロッタにチーム再建を託されたのはクラブOBのアントニオ・コンテだった。監督経験の少ないコンテの手腕を疑問視するもあったが、ミランからフリーで獲得したアンドレア・ピルロレジスタとしてゲームメイクの中心を担い、コンテの採用した3-5-2システムも嵌ったことでチームは躍進。2011年9月イタリアでは初めてのクラブ占有のスタジアム、ユヴェントス・スタジアムが完成したことも追いとなり、2011-12シーズン敗で優勝。見事チーム復活したこのシーズンを最後にバンディエラであるデル・ピエロは退団する。その後、カルロス・テベスポール・ポグバアルトゥーロ・ビダルが中心となったチーム2012-13、2013-14シーズンも圧倒的な強さでスクデットを獲得。ライバルであるミランインテルが苦しむのをイタリアの盟の座をすっかり取り戻していた。

ところが、三連覇をもたらしたコンテが2014年7月フロントと衝突して突然の辞任。後任に名されたマッシミリアーノ・アッレグリはコンテの戦術を踏襲しながら戦力を維持し、リーグ戦4連覇とコッパ・イタリア優勝シーズンダブルを達成。2015年ピルロ、テベス、ビダルというチーム復活の立役者たちがって退団するが、マロッタ&パラティッチの手腕によって的確な補強を実現。自分の色を出し始めたアッレグリは3バックと4バックを試合の中で使い分ける可変システムを採用。2016年には守護神ブッフォンが974分連続無視点というセリエA記録立し、伝統であるソリッドな守備はさらに盤石なものとなっていた。2017-18シーズンにはセリエAで7連覇、コッパ・イタリア4連覇と4年連続ダブルを達成し、もはや内では敵なしとなっていた。また、CLでも二度準優勝するなど、欧州での競争力が大きく低下したイタリアチームにあってビッグイヤーの可性を感じさせるチームになっていた。

2018-19シーズン欧州での覇権奪取とさらなるビジネスの拡大を図るアニェッリ導によって1億ユーロという大金を投じ、バロンドーラークリスティアーノ・ロナウドを獲得。この頃から健全で必要以上の経費は出さないマロッタとチームの更なる発展もむアニェッリとの方針の違いを巡り確執が取りざたされ、マロッタは退団を表明。このあたりからチーム行きが怪しくなり始める。クリスティアーノ・ロナウドは期待通りの得点力を見せつけ、セリエAでは8連覇を達成。しかし、CLでは準々決勝で敗れ、アッレグリは退任となる。2019-20シーズンにはマウリツィオ・サッリが監督に就任し、セリエA9連覇を果たすが、その内容は選手の個に依存したものとなり、CLでは2年連続でラウンド16敗退。サッリは解任となり、2020-21シーズンは当初U-23の監督に就任することになっていたレジェンドアンドレス・ピルロ監督に就任。だが、ピルロ監督としての経験のさを露呈するようになり、チームは次第に迷走。とうとう9年間守ってきたセリエA覇権インテルに奪われることになる。クラブピルロに1年で見切りを付け、SDのパラティッチも退団。

新たにCEOに就任したF1フェラーリの元代表であるマウリツィオ・アリバベーネは、アッレグリを監督として再招聘するが、2021-22シーズン開幕直後にクリスティアーノ・ロナウド電撃的に退団。攻撃力が低下し、低調なサッカーが続いたチームは11年ぶりにシーズン冠に終わる。2022-23シーズンCLでは1勝5敗という不甲斐ない成績で敗退に終わり、リーグ戦でも低迷。それでもワールドカップ期間後のセリエAでは復調していたが、その矢先に不正会計が発覚し、フロントが総辞職する事態となり、勝点15が剥奪される処分が下される。その後、イタリアスポーツ裁判所に提訴したことで処分が保留となったが、シーズン終盤になって勝ち点10の剥奪が決定。これによってシーズン7位となり、動のシーズンは最終的に何も勝ち取ることができなかった。さらにUEFA要大会の出場権が1年間禁止となる。2023-24シーズンの前半戦は手堅い戦い方で2位で折り返すが、後半戦は大きく失速してしまい2024年2月以降はわずか3勝しかできない低調な戦いぶりとなってしまう。一方、コッパ・イタリアでは決勝でアタランタを破り、4年ぶりにタイトルを獲得。だが、この試合での言動が問題視されたアッレグリは優勝の2日後に電撃的に解任となり、第二次アッレグリ政権は大きな成果を挙げられないまま終焉を迎える。

2024-25シーズンボローニャを大躍進させたチアゴ・モッタを新監督として招聘。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

現所属選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属
- 監督 アゴ・モッタ 1982.8.28 2021 ボローニャ
1 GK マッティア・ペリン 1992.11.10 2018 ジェノア
2 DF マッティア・デ・シリオ 1992.12.20 2017 ミラン
3 DF ブレーメル 1997.3.18 2022 リノ
4 DF フェデリコガッティ 1998.6.24 2022 ロジノー
5 MF ヌエル・ロカテッリ 1998.1.8 2021 サッスオーロ
6 DF ダニー(C) 1991.3.15 2022 マンチェスター・C
7 FW フランシスコ・コンセイソン 2002.12.14 2024 FCポルト
8 MF トゥーン・コープマイネルス 1998.12.28 2024 アタランタ
9 FW ドゥシャン・ヴラホヴィッチ 2000.1.28 2022 フィオレンティーナ
10 FW ナン・ユルディズ 2005.5.4 2023 ユヴェントス NEXT GEN
11 MF ニコゴンサレス 1998.4.6 2024 フィオレンティーナ
14 FW アルカウシュ・ミリ 1994.2.28 2022 マルセイユ
15 DF ピエールカルル 2000.6.5 2024 ACミラン
16 MF ウェストン・マッケニー 1998.8.28 2020 リーズ
17 FW ヴァシリエ・アジッチ 2006.5.12 2024 ユヴェントス NEXT GEN
18 MF アルトゥール 1996.8.12 2020 フィオレンティーナ
19 MF ケフラン・テュラム 2001.3.26 2024 ニース
21 MF ニコロ・ファジョー 2001.2.12 2022 クレモネーゼ
22 MF ティシー・ウェア 2000.2.22 2023 リール
23 GK カルロ・ピンソーリオ 1990.3.16 2021 チェルシー
26 MF ドグラスルイス 1998.5.19 2019 ニューカッスル
27 DF アンドレア・カンビアーゾ 2000.2.20 2022 ボローニャ
29 GK ミケーレ・ディ・グレグリオ 1997.7.27 2024 モンツァ
32 DF フアンカバ 2001.1.8 2024 ヴェロー
36 FW ロレンツォ・アンゲレ  2005.2.25 2024 ユヴェントス NEXT GEN
37 DF ニコロ・サヴォー 2003.3.19 2024 ユヴェントス NEXT GEN
38 GK ジョヴァンニ・ダファラ 2004.12.5 ユヴェントス NEXT GEN
40 DF ナスロウ 2004.1.7 2024 ユヴェントス NEXT GEN
51 FW サミュエル・ムバングラ 2004.1.16 2024 ユヴェントス NEXT GEN
- MF ポール・ポグバ 1993.3.15 2022 マンチェスター・U

はプリマヴェーラ所属選手。

過去に所属したおもな選手

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ユヴェントス

9 ななしのよっしん
2015/03/25(水) 05:10:34 ID: pDYJ6s9ibc
結局、無罪でした
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10 ななしのよっしん
2015/03/27(金) 17:35:19 ID: FliwJmeErp
無罪判決見ていた笑いしかでなかった
当時のセリエAを見ていればユヴェントスがどれだけ判定に恵まれてたかなんて一瞭然…
こんなふざけたことやってたらセリエAはますます腐っていくよ
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11 ななしのよっしん
2015/04/03(金) 19:58:10 ID: En9+MfgG+a
ユベントスがどれだけ判定に恵まれてたかというのはまあの個人個人の印によるだろう
ただ最近出たここ10数年のPK数でみるとユベントスは全く多いPKを貰ってるわけでもなかった
カルチョスキャンダルユベントスだけが当該年度における2部降格という憂きにあっただけでなく
前年のスクデットまで剥奪された(当事インテル監督マンチーニさえも疑問視してた)のに
結局は有罪を確定させることができずに時効となってしまったのだから
あまりに重たすぎる取り返しのつかない罰を与えたということになる
しかもあれでセリエ全体が落して結果的には今のリーグランク4位にも繋がってる
FIGCは責任を取らなきゃいけないと思うわ
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12 ななしのよっしん
2017/05/17(水) 21:31:57 ID: t2UGbDbmWB
ここが一貫して地名名乗らないのは何故なんだろうな
同じ全チーム巨人でさえ一時期東京名乗っていたし

やっぱり都市規模の違いもあるのかな?
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13 ななしのよっしん
2018/07/17(火) 03:30:02 ID: 1dV+771rTS
CR7が来たね
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14 ななしのよっしん
2018/09/30(日) 19:53:28 ID: AcNhHiVbjo
スコットランドサッカークラブは地名名乗らないのばかりだぞ
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15 ななしのよっしん
2021/08/08(日) 15:38:05 ID: lsWLE/2Lqi
内心どう思っていようと勝手だけど、アジアは今や一大市場だろうに、何でこんな離心されるような自殺行為するかね
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16 ななしのよっしん
2021/08/08(日) 15:41:10 ID: lsWLE/2Lqi
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17 ななしのよっしん
2023/01/21(土) 10:00:04 ID: OFcEVf8Un9
ユヴェントス、勝ち点「15」剥奪の大震…多くの財務違反を犯し処分対
https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/juventus-15/bltd78ade85a251a479exit
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18 ななしのよっしん
2023/01/21(土) 17:20:58 ID: B6MTVuRJB9
1990年代ドーピング疑惑、2000年代八百長(これももともとドーピング調したら別件で発覚したらしい)で過去優勝取り消し&勝ち点全部剥奪で2部降格、そして今回の不適切会計による勝ち点剥奪と、何やってるんだよって感じだなあ。
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