~ 『東方昭和伝』 第一部「動乱序曲編」年表 ~
東方昭和伝第二部の年表 >>
内閣 | 月日 | 日本の動き | 世界の動き |
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若 槻 礼 次 郎 ∥ 憲 政 会 ∥
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昭 和 元 年 (大正15年 1926年) | ||
第一章「若槻内閣と金融恐慌」1/2 | |||
12月25日 | 大正天皇崩御 摂政皇太子・裕仁親王即位 【 昭和 】 と改元 |
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12月28日 | 天皇、西園寺公望公爵に「元老として補弼せよ」と勅語を下す | ||
昭 和 2 年 (1927年) | |||
2月7日 | 大正天皇大葬の礼 | ||
3月14日 | 片岡直温蔵相が「東京渡辺銀行が破綻」と失言 | ||
3月15日 | 東京渡辺銀行・あかじ貯蓄銀行が休業、京浜地方で銀行取付け騒ぎ発生 | ||
3月19日 | 中井銀行休業 | ||
3月21日 | 日銀が市中銀行に対して非常貸出しを実施 | ||
3月22日 | 村井銀行・中沢銀行・八十四銀行など諸銀行が休業 | ||
3月24日 | 北伐軍南京入城 日本ほか外国領事館・居留地が中国軍民に襲撃される(第2次南京事件 ※1913年の南京事件を第1次と見た場合) |
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3月25日 | 南京事件の善後策について、日英米の司令官が緊急会議 航空母艦『赤城』竣工 |
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第一章「若槻内閣と金融恐慌」2/2 | |||
3月26日 | 台湾銀行が鈴木商店に新規貸出し停止命令 | ||
3月29日 | 南京総領事館で荒木海軍大尉が自決 | ||
4月2日 | 鈴木商店破産 | ||
4月3日 | 漢 口 事 件 漢口の日本租界で日本陸戦隊と支那人が衝突 |
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4月8日 | 第六十五銀行休業 株式相場大暴落 | ||
4月11日 | 日英米仏伊が武漢国民政府に南京事件に関する謝罪・責任者処罰を要求 | ||
4月12日 | 上海クーデタ(四・十二事件) | ||
4月17日 | 枢密院、台湾銀行救済緊急勅令案を否決 第1次若槻内閣総辞職 |
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4月18日 | 台湾銀行が在台湾店舗を除き全支店休業、近江銀行休業 全国に銀行取付け発生 |
国共分裂 蒋介石が武漢政府に対抗して南京に国民政府を樹立し中共排撃を宣言 |
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田 中 義 一 ∥ 立 憲 政 友 会 ∥ |
4月20日 | 田中義一内閣成立 | |
第二章「田中内閣と動乱の大陸」1/2 | |||
4月21日 | 台湾銀行が鈴木商店に新規貸出し停止命令 | ||
4月22日 | 金銭債務支払延期緊急勅令により、3週間のモラトリアム実施 銀行は一斉休業 | ||
5月3日 | 第53臨時議会招集(金融恐慌対策) | ||
5月10日 | 日銀総裁に井上準之助就任 | ||
5月21日 | チャールズ・リンドバーグが大西洋無着陸横断飛行に成功 | ||
5月28日 | 第 1 次 山 東 出 兵 | ||
第二章「田中内閣と動乱の大陸」2/2 | |||
6月1日 | 憲政会と政友本党が合同し、『立憲民政党』結党 | ||
6月20日 | ジュネーブ海軍軍縮会議開催(日・英・米) | ||
6月27日 | 第1回『東方会議』開催 | ||
7月24日 | 芥川龍之介自殺 | ||
8月1日 | 中共軍が南昌で蜂起(南昌起義) | ||
9月29日 | 蒋介石来日 | ||
10月4日 | 南京政府が北京政府討伐を発令 | ||
10月29日 | 昭和銀行設立(破綻した諸銀行の業務継承) | 毛沢東が井崗山にソビエト政権を樹立 | |
11月5日 | 田中首相、蒋介石と会談 | ||
11月8日 | 蒋介石離日 | ||
11月12日 | ソビエト共産党がトロツキーらを除名 | ||
昭 和 3 年 (1928年) | |||
2月20日 | 第16回衆議院総選挙 政友会217 民政党216 その他33 男子納税制限撤廃後、最初の普通選挙 |
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3月15日 | 日本共産党一斉検挙(三・一五事件) | ||
4月19日 | 第 2 次 山 東 出 兵 | ||
4月20日 | 第55特別議会招集 | ||
5月3日 | 済 南 事 件 山東省・済南の日本軍駐留部隊と中国軍が武力衝突 |
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5月8日 | 第 3 次 山 東 出 兵 | ||
第三章「張作霖爆殺事件」1/2 | |||
5月18日 | 張作霖説得工作開始 | ||
5月20日 | 第2回『東方会議』(~25日) 山海関出兵について論議 |
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6月3日 | 張作霖、全軍に満洲への総退却を指示 | ||
第三章「張作霖爆殺事件」2/2 | |||
6月4日 | 張 作 霖 爆 殺 事 件 (満洲某重大事件) | ||
6月29日 | 緊急勅令により治安維持法の改正(死刑・無期刑を追加) 即日公布・施行 | ||
7月3日 | 全府県警察部に特別高等警察設置 | ||
7月6日 | 国民政府軍が北京入城 「北伐」完成 | ||
7月19日 | 中華民国国民政府が日華通商条約の廃棄を通告 | ||
8月27日 | 戦争抛棄ニ関スル条約(パリ不戦条約)調印 日本では「人民の名に於て」の字句が政治問題化 |
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10月26日 | 赤十字国際規約採択 赤十字社設立 | ||
11月6日 | アメリカ合衆国大統領選挙で、共和党のフーバーが当選 | ||
11月10日 | 京都御所において天皇即位大典 | ||
12月24日 | 第56議会招集 田中首相、満洲某重大事件につき初参内 |
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昭 和 4 年 (1929年) | |||
1月 | スターリンがトロツキーを国外追放し、独裁体制を確立 | ||
1月6日 | 「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」で白色クーデタが起こり、国王アレクサンダル1世が独裁体制を敷く 10月3日、国名を「ユーゴスラビア王国」に改称 |
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2月11日 | ラテラノ条約 ムッソリーニ政権とローマ教皇庁との間で政教条約が締結され、イタリア統一戦役以来の伊政府と教皇庁との断絶関係が解消 ローマ市内に「ヴァチカン市国」が成立する |
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4月16日 | 日本共産党一斉検挙(四・一六事件) | ||
5月4日 | 田中首相、満洲某重大事件について陸軍の犯行ではないと天皇に上奏 | ||
6月27日 | 田中首相、再度満洲事件処分案を上奏 天皇、首相を叱責 |
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6月28日 | 満洲某重大事件責任者の処分発表 | ||
7月2日 | 田中内閣総辞職 | ||
浜 口 雄 幸 ∥ 立 憲 民 政 党 ∥ |
第四章「ロンドン海軍軍縮会議」1/2 | ||
7月2日 | 浜口雄幸内閣成立 | ||
7月24日 | パリ不戦条約批准 | ||
10月12日 | 政友会第6代総裁に犬養毅が就任 | ||
10月24日 | ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落 世界恐慌の引き金となる≪ 暗黒の木曜日 ≫ |
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11月29日 | 佐分利駐華公使怪死事件 | ||
12月23日 | 第57議会招集 | ||
昭 和 5 年 (1930年) | |||
1月11日 | ≪ 金解禁 ≫ 日本、金本位制復帰 | ||
1月21日 | ロンドン海軍軍縮会議開幕 | ||
2月18日 | クライド・トンボーが冥王星を発見 | ||
2月20日 | 第17回衆議院総選挙 民政党273 政友会174 その他19 |
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第四章「ロンドン海軍軍縮会議」2/2 | |||
2月26日 | 共産党員全国一斉検挙開始 | ||
3月2日 | 英領インド帝国で、マハトマ・ガンジーによる非暴力不服従運動がはじまる(第2次不服従運動) 3月12日~4月6日、塩専売に抗議する「塩の行進」を展開 |
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3月6日 | 原田熊雄、口述記録の作成を開始(これを纏めたものが「西園寺公と政局」) | ||
3月22日 | 若槻日本全権、日米妥協案での軍縮条約締結を本国に請訓 | ||
3月27日 | 岡田啓介軍事参議官と加藤寛治軍令部長、浜口首相に海軍回訓案採用を申し入れ | ||
4月1日 | 若槻案での条約締結を閣議決定 鈴木侍従長、加藤軍令部長の帷幄上奏を阻止 |
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4月22日 | ロンドン海軍軍縮条約調印 | ||
第五章「統帥権干犯問題」1/2 | |||
4月25日 | 統帥権干犯問題勃発 | ||
5月6日 | 日華関税互恵協定調印(重光葵・宋子文) | ||
5月17日 | 「ヤング案」が発行し、ドイツの第1次大戦賠償負担が緩和される | ||
6月10日 | 加藤軍令部長が天皇に辞表を提出 | ||
6月17日 | ホーリー・スムート法(100%、200%、なかには800%もの超高率関税を千品目以上の物品にかけるという、保護貿易思想の権化のような法律)にフーバー大統領が署名 この後1年足らずで世界貿易は2分の1に落ち込む |
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6月20日 | フーバー・モラトリアム フーバー大統領、世界恐慌のためドイツの第1次大戦賠償金支払いを1年間猶予する声明を発表 |
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7月13日 | 第1回FIFAワールドカップ開催(~30日) 初優勝は開催国ウルグアイ | ||
7月27日 | 中国共産党軍が長沙を占領 | ||
7月29日 | 長沙ソビエト政府樹立 | ||
8月4日 | 国民政府軍が長沙を奪回、長沙ソビエト政府崩壊 | ||
8月25日 | 全国町村会が不況の農村救済を政府に陳情 | ||
9月5日 | 浅間山の噴火 | ||
9月10日 | 米価大暴落 (豊作飢饉) 大豊作で1917年以来の安値 |
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9月14日 | ドイツ総選挙でNSDAP(ナチス)が躍進 | ||
9月25日 | 生糸大暴落 1896年以来の安値 |
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10月2日 | ロンドン軍縮条約批准 | ||
10月3日 | 財部海軍大臣辞任 後任は安保清種大将 | ||
11月14日 | 浜口首相銃撃事件 | ||
第五章「統帥権干犯問題」2/2 | |||
12月24日 | 第59議会招集 | ||
昭 和 6 年 (1931年) | |||
2月3日 | 幣原臨時首相代理失言問題 | ||
2月28日 | 婦人公民権案を衆議院で可決(3月24日に貴族院で否決→不成立) | ||
3月7日 | 全農(全国農民組合)分裂 | ||
3月9日 | 浜口首相、職務復帰 | ||
3月20日 | ≪ 三月事件 ≫ 陸軍「桜会」によるクーデター計画が発覚 |
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4月13日 | 浜口内閣総辞職 | ||
若 槻 |
4月14日 | 第2次若槻礼次郎内閣成立 | スペイン国王アルフォンソ13世退位・亡命 スペイン第2共和政成立 |
6月1日 | 官吏減俸令施行 | ||
6月17日 | 朝鮮総督に宇垣一成が就任 |
この期間の主な政府・軍部首脳
※ 書記:内閣書記官長 参謀:参謀総長 軍令:軍令部長 内府:内大臣 枢密:枢密院議長
参謀 | 軍令 | 内府 | 枢密 | ||||||
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第1次 若槻礼次郎 内閣 1926年(大正15年)1月30日 ~ 1927年(昭和2年)4月20日 | 鈴 木 荘 六 |
鈴 木 貫 太 郎 |
牧 野 伸 顕 |
倉 富 勇 三 郎 |
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外務 | 幣原喜重郎 | 大蔵 | 浜口雄幸(~26.6) 早速整爾(~26.9) 片岡直温 |
内務 | 若槻礼次郎(~26.6) 浜口雄幸 |
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陸軍 | 宇垣一成 | 海軍 | 財部 彪 | 書記 | 塚本清治 | ||||
田中義一 内閣 1927年(昭和2年)4月20日 ~ 1929年(昭和4年)7月2日 | |||||||||
外務 | 田中義一 | 大蔵 | 高橋是清(~27.6) 三土忠造 |
内務 | 鈴木喜三郎(~28.5) 望月圭介 |
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陸軍 | 白川義則 | 海軍 | 岡田啓介 | 書記 | 鳩山一郎 | 加 藤 寛 治 |
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浜口雄幸 内閣 1929年(昭和4年)7月2日 ~ 1931年(昭和6年)4月14日 | |||||||||
外務 | 幣原喜重郎 | 大蔵 | 井上準之助 | 内務 | 安達謙三 | ||||
陸軍 | 宇垣一成 | 海軍 | 財部 彪(~30.10) 安保清種 |
書記 | 鈴木富士弥 | 金谷 範三 |
谷口 尚真 |
関連項目
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