「もう、ゴールしていいよね」とは、AIRの登場人物、神尾観鈴の台詞である。
→ あかん
AIRのオープニングは「the 1000th Summer ―――――」のフレーズから始まり、
「最後は…どうか、幸せな記憶を。――――― さようなら」のフレーズで終わる。
また、作品は三部構成となっており、舞台のモチーフは和歌山県の山間~海岸である。
◎第1部 “DREAM” 編・・・・現代に生きる主人公「国崎往人」と少女たちの出会い。
流れるように過ぎゆく夏の日々と、一方で夢(記憶)をめぐって悩み、それを打開しようとする彼らを描く。
◎第2部 “SUMMER” 編・・・・すべての発端となった、1000年前(西暦994年)の夏の祖先たちの旅路。
“DREAM”編での「夢」とは何かが語られる。
◎第3部 “AIR” 編・・・・上記二部を含め、遠い過去から遙か未来まで包括する総集編。
シナリオが美しく裏付けされてゆき、ひとつの結末へ収束する。
「もう、ゴールしていいよね」のフレーズの意味するところを理解するには、何より作品そのものをプレイするに限る。しかし、そこまで没入していない方に向けて、ネタバレ全開で詳細を記述する。
--------------------【以下ネタバレ】--------------------
まず物語の前提として、背中に大きな羽をもつ「翼人」という存在があった。
彼女らは、星(≒惑星)の誕生と共に生まれ、星で起こるすべての事象を見聞きして、祝詞によって、母から子へと無限の星の記憶を受け継ぐ使命を帯びていた。
翼人達は、かつて空を自由に駆け巡っていた。そして時が経っても、かつて空を飛んだ記憶を背中の羽に込めることで羽ばたくことができたのである。
我々の暮らす地球は、今でこそ平和に見え、空に大地に海に、森羅万象に恵みをもたらしている。しかし、世界が争いや憎しみで覆われたとき、そのすべてを忌んで自壊し、無に帰す運命にあるのだ。
だからこそ、星の記憶を紡いでゆく(いわば星の記憶そのものである)翼人たちは、自らはいつでも幸せでありつづけようと考えていた。幸せの記憶を繋げていこうと誓っていた。
そして1000年前の日本には、その末裔である母「八百比丘尼」(やおびくに)と、娘「神奈備命」(かんなびのみこと・通称かんな)が暮らしていた。
特別な使命を帯びる翼人には優れた能力が備わり、天・地・人、多くのものを操ることができた。
また、あらゆる知識をもつ翼人たちは、各地の民に叡智を授けたとされる。
しかし、いつの時代も、自らの理解できない存在を、人は恐れ排斥しようとするものである。彼女らも同様に、人々から崇められると同時に、一部の者からは強く疎まれていた。
翼人母娘の接触をきらった当時の権力者は二人を引き離そうとしたため、八百比丘尼はその身が穢れることを承知で兵たちを攻撃し、あるいは殺めたが、反撃に遭い、彼女は高野山に幽閉され、神奈は社殿での軟禁を余儀なくされた。
以上の経緯から幼少期に世間から引き離され、親しくなるどころか話す相手すらおらず、独り寂しい生活を送ってきた神奈であるが、離反・敬遠する者が大多数を占めるなか、侍女の「裏葉」(一説にはヒロイン「遠野美凪」の祖先)だけは彼女を心から憂い、そして慕っていた。
自らの殻に閉じこもっていた神奈も、裏葉にだけは素の自分を打ち明ける関係を築いていた。
裏葉は、彼女と真摯に向き合うだけでなく、「気配を悟らせずに背後を取ることもでき、社殿が焼き討ちにあう当夜に逃亡を企てる、野宿の見張りができる、市(いち)の立地条件が不自然であることを見抜く、忍び寄る敵に気づき、それでいて平静でいられる、名前に『裏』の字が付いている、など、ただの女官としては不可解な点も多い」(「」内はWikipedia“AIR”内【裏葉】の項より引用)ことから、他人にはない特殊な力を秘めた女性として描かれている。
そんな二人のもとに、神奈の警備隊長---実質は看守---として派遣されたのが、柳也(同じく主人公「国崎往人」の祖先)である。
温厚ながらも時に厳しく神奈のあるべき姿を教えてくれる裏葉、そして茶化しながらも裏表なく真っ直ぐに接してくれる柳也。短い時間であっても、彼らと接するうちに、翼人という宿命を忘れ、過去の孤独から徐々に脱け出していく神奈であった。
二人の存在から、人として、あるいはひとりの少女としての心を取り戻した神奈は、物心つく前に離ればなれになってしまった母親のことを想っていた。
とはいえ、軟禁される身であり、なおかつ世間との接点もなかった神奈は、社殿の外の世界を知る手段もなければ、知る機会も勇気も持てずにいた。
しかして、いよいよ政権争いが激化し、翼人へのとどめが刺されると予感されたこともあり、神奈は二人と共に母親へ会いに行く気持ちを固め、社殿を脱出することを決意した。
神奈にとっては、母と一緒にいることこそが一番の幸せなのである。
母との再会を志した神奈であるが、かたや母親の八百比丘尼としては、娘に会い心を交わしたいと願う傍ら、(神通力を戦いの道具にされ)すでに人々を傷つけ、悪意にさらされていることもあり、その呪いを神奈に引き継ぐことを何としても避けたいと考えていた。
八百比丘尼の「幸せの記憶を受け継ぐという大義をよそに、陰謀に巻き込まれ、親子の暮らしも許されぬ運命ならば、私の代で翼人を断絶したい。“この世に神など無いのだ”。」という想いは、“神奈”(神無)として娘に託されている。
なお、記事冒頭に示したように、「恨み辛みの記憶のまま翼人が星に還る」ことは「万物の滅亡」と同義である。
社殿を抜け出し、追っ手に怯えつつも、柳也・裏葉と共に道中を行く神奈は、まだ見ぬ世界に驚き喜び、ひと時の安らぎを感じていた。
さて、運命のいたずらか、三人が高野山に辿り着いたとき、翼人抹消を企てる朝廷の矛先も、八百比丘尼の眼前に迫っていた。
傭兵団に囲まれた、母と娘。前述のとおり自らの命を投げうってでも娘を守ろうとした八百比丘尼は、神奈との再会を喜びつつも、悲しい運命を娘に授けぬために、自ら文字通り矢面に立ち、そして翼人たる力を解放して兵士たちを一掃した。
長い間、離ればなれになっていた母娘。すでに危篤の母と、ようやく辿り着いた娘。
「この身に触れてはなりません」と距離を置こうとする八百比丘尼であるが、それを押してでも母に触れたい神奈。
思惑の交錯するなか、ほんのわずかな時間、二人は抱擁しむせび泣いた。
そして同時に、幸せにならねば星に還れない翼人としての運命と、他者を寄せつけない呪いのふたつが、神奈へと引き継がれてしまった。
やがて母が息を引き取り、取り残されてしまった神奈は、せめて柳也と裏葉を逃がそうと考える。
多勢に無勢きわまる状況のなか、神奈は母から継いだ能力を解放し、空へ舞い上がり大旋風を起こして兵たちを退けた。
単純な力では太刀打ちできないと悟った朝廷は、武士たちの弓矢によって攻撃を加え、陰陽師の封術によって神奈を空に封じ、高野山の僧たちは神奈を呪殺するためのまじないを唱えた。
封術によって地上に降り立てない(土に還れない)ことで永く輪廻を禁じられ、まじないによって自身の最も辛い出来事(柳也が目の前で死ぬ光景)の夢を繰り返すようになった神奈は、八百比丘尼から続く「他者を拒む呪い」を制御できなくなり、その意中の相手である柳也の心身を冒すようになった。
―――――身も蓋もないことを言えば、登場人物の全員が「自分だけの心の枷」をもっているAIRという物語は、「翼人を徒に恐れ、歩み寄らなかった人々」の過ちを発端とする。―――――
神奈の決死の行動に救われた柳也と裏葉は、その恩に報い神奈を本質的に救うため、名のある「方術」師を尋ねて西国へと向かう。
導かれるように辿り着いたとある寺で、二人は「知徳」という高僧に出会う。
その寺では、過去幾度となく翼人を迎え入れ、知恵や知識を享受してきたという。
知徳は「本来、翼人とは無垢な魂を持つもの」、「人の身であればたやすく朽ちる呪いも、翼人の御身にはただ蓄えられるばかりとなりましょう」と達観する。
つまり、純粋すぎる翼人の魂がゆえに呪いも正面から浴びてしまうのだという。
その言葉から柳也は、「(少なからず穢れのなかで生きる)人間にこそ転生できれば、呪いも緩まり癒される」と悟る。
しかしながら、呪いは消えても、幸せの記憶を継承すべき翼人の使命は変わることなく続いていくものである。
また、外的要因の呪いのほか、最愛の人の死を見つづけている神奈の魂は、人と触れ合ったゆえに引き起こされた悪夢と知り、転生後の魂に「人と仲良くなれない」試練を与えた。果てない孤独が約束され、これが遠い未来に、観鈴を苦しめることとなる。
前述のとおり霊力の強かった裏葉は、神奈が傷ついた末に露と消えたのちも彼女の声を聞くことができ、その求める声に応えるため、「知徳」から教えを授かり、修行の末、方術を身につける。
一方、身体を蝕まれ歩くことができなくなりながらも、世の情勢に明るく、神奈の死に一時は半狂乱になるほど彼女を想っていた柳也は、残りわずかな人生を『翼人伝』の執筆と裏葉への恩返しに充てた。
そして二人は、いずれ未来で神奈の魂を救ってくれると信じ、子をもうけ、「方術」と『翼人伝』を授けた。
様々な角度から考察される“AIR”において、その根幹にあるのは「親子(母娘)のつながり」であろう。
始まりとして初代の翼人とその娘、悠久の時を超えたのちの八百比丘尼と神奈、次いで裏葉とその娘、そして1000年後の現代における神尾晴子と観鈴である。
AIRの冒頭に登場するシルエットこそ「翼人の母と娘」であり、物語の終盤である観鈴のゴールシーンにもその意味合いが落とし込まれている。
ここで一度まとめると、1000年続く悲しみの輪廻とは、
1. 翼人としての膨大な記憶は翼人のみが持ち得るもので、人間には重荷となり、記憶の継承を終えたとき、肉体も精神も耐え切れずに死を迎え、次の転生の時を待つ。
2. 柳也と裏葉の子孫と、神奈の生まれ変わりが出会うと、記憶の継承が始まり、二人とも病んでしまうため、最終的に(不本意ながら)別れの道を選び、彼女は独りで死んでしまう。
3. 幸せの記憶を星に届けない限り地球そのものが滅んでしまうことから、未来に託して転生を繰り返すしか手段がない。
この三つの難題を解くことができずに、1000年のあいだ、彼らは出会い、別れてきたのである。
幸せを成就させようとすれば傍にいる他に方法はないが、結果として袂を分かつ。
呪いに負けて距離を置けば、人と交われない彼女は幸せになれずに死にゆく。
彼女(神奈の魂)が救われる条件としては、
1. 人間として輪廻転生すること
2. 大好きな人と過ごし呪いに打ち勝つこと
3. 命の終わるときに幸せな記憶を星に還すこと
である。
往人の母も例外ではなく、神奈の生まれ変わりの子に出会い、幸せにしてあげようと心を尽くしたが、やさしくて強いその子が「わたしから離れて」と言ったことから、泣く泣く背を向けた。
(八百比丘尼と同様に、)自分と同じ道を我が子に強いたくないとの想いから、往人には自由に生きるよう諭した。いつか導き合い、そして彼女を救ってくれるよう心で祈りながら。
そして往人の母の体は白く輝き、1000年の想いが詰まった人形へと消えていった。同時に往人は、ひとり取り残された。この文脈については後述する。
さて、作品内でいう“DREAM”編と“AIR”編にて往人と観鈴は出会う。
堤防で横になっていた往人に出会った日に掛けた、観鈴の「浜辺に行こっ」の一言から。
それは、短い夏のなかで観鈴が望む最初の遊びだった。
“普通の子じゃない” 観鈴は、神奈から継いだ「誰とも睦まじくなれない」呪いの影響で、人と仲良くなれそうになると情緒不安定になり泣き崩れてしまう“癇癪” をもっていた。
(呪いの被害を広げないための「神奈の防衛本能」であるとも考えられる。)
そのため観鈴は、終業式の日に「夏休みは一緒に遊ぼっ」と多くのクラスメイトを誘ったものの、ことごとく断られ、結局また一人きりの夏を過ごすのかと悲しみに暮れている最中であった。
そして観鈴は、身寄りもなく、寝食の場もない往人を自分の家へ招き入れる提案をする。
幼い日に母と別れ(当時、彼は置き去りにされたと考えていた)、授かった人形を糧に路銀を稼いでは地方を渡り歩く旅人となっていた往人。
照りつける陽射しのなか、遊び盛りの子供たちは人形劇にさほど興味を示さず、疲労を募らせる往人。
初めは一日でも早く町を出たいと考え、荒んでいた彼も、天真爛漫で奇想天外な住民たちとの暮らしの中、徐々に馴染んでいく自分に気づく。
言動こそ少々幼いが、いつでも笑っていて、いつでも自分のことを想ってくれる観鈴に、少しずつ愛情を抱いていく。
観鈴自身としては、初めて友達になれそうな相手・往人と出会った日から本当の夏が始まったと感じており、精一杯に楽しみ楽しませようとした。
しかし、1000年の歴史は繰り返そうとしていた。観鈴は夢を見始め、やがて記憶の継承と共に、身体の不調を訴えるようになる。
喜怒哀楽の喜と楽しかないような観鈴である。往人はもとより観鈴本人ですら、一過性のものと信じてやまなかった。
時が経つにつれ、遠出どころか歩くこともままならなくなってしまう観鈴。
やがて確信に変わる胸騒ぎのなか、往人は、かつて母が静かに、しかし力強く語りかけた言葉を思い出していく。
「女の子は夢を見るの…。最初は空の夢…。夢は、昔へと遡っていく。」
「最初は、だんだん身体が動かなくなる。そして、あるはずのない痛みを感じるようになる…。」
「女の子は全てを忘れていく。いちばん大切な人のことさえ、思い出せなくなる…。」
「そして、最後の夢を見終わった朝…、女の子は死んでしまうの。」
「二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。二人とも助からない。」
「だから、その子は言ってくれたの。わたしから離れて、って。」
「やさしくて、とても強い子だったの。」
「だから…。往人、今度こそ、あなたが救ってほしいの。」
「その子を救えるのは、あなただけなのだから。」
必死に否定し打ち消そうとする往人だが、目の前の現実がそれを許さない。
やがて、往人自身の身体も自由が利かなくなっていく。
気づいてしまった事実を観鈴に隠し、慰めながら前向きに過ごす二人。
そうしている間にも、二人の世界は縮小するばかりであった。
夢の進行と共に悪化する症状を見て責任を感じた往人は、ついに観鈴に切り出す。
「今すぐ、出ていこうと思うんだ」と。二人が離れることで、夢も止まり、観鈴が快方に向かうと信じて。
(なお、仮に往人が旅立ってしまっても、神奈が転生した相手は、早晩記憶の継承を運命づけられている。また、他人を拒む呪いは消え去らず、観鈴は孤独のうちに生涯を終えることとなる。)
作品の1巡目においては、観鈴の夢の内容は朧げにしか表現されず、プレイヤーに示される手がかりも多いとは言えない。
第1部の“DREAM” 編にてヒロイン3名のシナリオをトゥルーエンドでクリアしたのち、第2部の“SUMMER” 編を進めることで、徐々に全貌が見えてくる(1000年前の物語と現代での出来事がリンクされる)構造になっている。
ここでは明かしてしまうが、観鈴の見る夢は、つまり「神奈の記憶」の継承である。
神奈の転生である観鈴は、夢を見ているあいだ、「空にいるもうひとりの自分」と感覚を共有する。
なかには楽しかったり嬉しかったりする記憶も多少はあるが、大半は痛みを伴ったり寂しかったりした経験の記憶である。
夢を見るに伴い、翼人としての記憶が蓄積され、魂が過去(原点)に歩を進める。
それゆえ、人間の身体でありながら背中に「翼の痛み」を感じるようになり、身体の自由と心の記憶が奪われていく。
あまつさえ、八百比丘尼が受けた人々の怨嗟が原因となり、自身を守ってくれる相手・救おうとしてくれる相手をも毒してしまう。
観鈴(を含めた神奈の生まれ変わりの者達)が背負う過去の重みは、孤独の辛さ・心身の苦痛・死への不安を伴う。
町を去るバスを待つ間、往人の思考は空を舞っていた。
自分の行いへの未練・観鈴への罪悪感を抱きながら、母との最後の記憶を思い出した。
「この人形の中にはね。叶わなかった願いが籠められてるの。わたしのお母さんも、お母さんのお母さんも、ずっとそうしてきた。」
「衰えてしまう前に、この人形に『力』を封じ込めてきた。いつか誰かが、願いを解き放つ時のために…。」
「だからわたしも、願いのひとつになる。」
「往人…。」
「 今、わたしが話していることを、あなたは全て忘れてしまう。」
「それも、わたしが受け継いだ『力』のひとつ。」
「あなたが思い出さなければ、わたしたちの願いはそこで終わる。」
「これは本当なら許されないこと…。」
「あたりまえの母親に憧れ続けた、わたしのわがまま…。」
「あなたには自分の意志で、道を決めて欲しいから…。」
「今からこれは、あなたのもの。」
「これをどう使うかは、あなたの自由…。」
「ただお金を稼ぐためだけに、人形を動かしてもいい。」
「旅をやめてしまってもいい。人形を捨ててしまってもいい…。」
「空にいる女の子のことは、忘れて生きていってもいい…。」
「でもね、往人…。」
「きっと思い出す時がくる。あなたの血が、その子と引き合うから。」
「どこかの町で、あなたはきっと女の子に出会う。」
「やさしくて、とても強い子…。」
「その子のことを、どうしても助けてあげたいと思ったら…。」
「人形に心を籠めなさい。」
「わたしはあなたと共にあるから…。」
「その時まで…。」
まぶしい笑顔で「さよなら」と言いながら、母の体は光に包まれ、人形へと還っていった…。
母の言葉、そして願いに目を覚ました往人は気づく。
母がいなくなった日に失ったもの。身近な人のささやかな笑顔。
自分の力で誰かを笑わせることができれば、それでよかったのだと。
いつしか商売道具となり果てた人形の、本当の使命。
誰とも仲良くなれず、果てない孤独を歩んできた少女。
自らの運命を受け入れ、静かに消えていかんとする少女。
何も持たない自分に、真っ直ぐ笑みを向けてくれた、ひとりの少女…。
観鈴がそばで笑ってくれること、それを何よりの幸福に感じている自分自身。
1000年前に生き別れ、独りで暮らし、隣にいるべき相手の幸せを何より願う…、翼人とその伴侶の1000年の旅が終わろうとしていた。
往人は夕さりの中、観鈴のもとへ駆け出す。
往人の持つ「法術」は、人形を動かすことが本質ではなく、「心(記憶)を籠めて事象を変える」力を源流とするのである。
体力も底をつき、終わりの時を待つ観鈴。
往人の手をそっと握り返すのが精一杯の、いまわの際であった。
しかし往人は呼びかける。今自分が抱く感情のすべてを晒して。
今までで最も強く、最も切ない想いを人形に注ぎ込む。
「お前はどこにも行かなくていい。
海辺の町で、ずっと幸せに暮らせばいい…。
いつまでも無邪気に、笑っていればいい…。
そのためになら、俺は…。」
往人の魂は、1000年のあいだ重なり合ってきた祖先たちの魂と結ばれ、激しくも柔らかい光となって、人形へと吸い込まれた。
そしてほとばしる光が、他者を拒む観鈴の呪いを消し去り、星の記憶による寿命をわずかばかり延ばした。
1000年のあいだ叶わなかった「ゴール」への道のりに観鈴が立てたのも、往人の献身あってこそである。
最終パートの“AIR”編では、プレイヤーは、カラスへと転生した往人(第三者)視点より、二人が出会った日からの記憶を辿る。
なぜカラスが選ばれたかについては、国崎往人の容姿・言動・性格との共通点のほか、作品内にて「仲間をとても大切にする」旨の提示が暗に行われる。
AIRという作品の終盤は、晴子と観鈴の母娘の暮らしに焦点が当たる。
「神尾晴子」のキャラクターについては、当該記事を参照されたい。
ここでは概説にとどめるが、まず、観鈴は橘敬介と実母「郁子」の間に生まれた子である。ゆえに、この時点では「橘観鈴」の名であったといえる。
翼人との関連は直接語られないが、晴子曰く「観鈴は、敬介と郁子が様々ないざこざの中で産んでしまった、望まれない子なんや」とのことから、郁子が対人関係を苦手としていたとも推測される。
また同時に、郁子は短命であり、観鈴は幼少期の大半を敬介に育てられた。
しかし、観鈴も件の呪い(睦まじくなろうとする相手の前で発作的に泣き叫んでしまう「癇癪」)のせいで他者との付き合いがうまくいかず、人の多い都会で育てることは困難、かつ自身の仕事も捨てきれない敬介は、のどかな田舎町に住む叔母「神尾晴子」に観鈴を預けることにし、責任を押し付けた。
「預かる」という条件と、陽の当たらない仕事をしており夜型の生活を送っていた晴子は、なかなか観鈴を愛せないでいた。
裏を返せば、静かすぎる田舎町で、それも昼夜逆転の生活をしていた晴子にとって、唯一ともいえる話し相手が観鈴であった。
「いずれすぐに別れが来る(敬介が引き取りに来る)」ことが分かっていながら愛情深く接すれば、それだけ別れのときにお互い悲しみを深めるだけだと悟った晴子は、観鈴に対し、必要最低限の施ししか行えなかった。
当の観鈴も、人とうまく接することができず、その癇癪ゆえに叔母のもとに預けられたことを幼心にも理解していたため、晴子に対して何の不平も口にしなかった。
この「ひとつ屋根の下、別々に暮らしている」二人を見て、往人は違和感を抱き、同時に母親としての義務を放棄する晴子に苛立ちを見せていた。
のちに往人が「あんたが観鈴を愛さないから、あいつは甘えられないんだろ!」と吐露したことを切っ掛けに、晴子も考えを改めはじめる。
年齢こそ大人とはいえ、晴子は晴子で孤独のつらさを味わっており、母親を求める観鈴に応えるべく努力を惜しまない人物へと改心していく。
“DREAM”編にて、温泉旅行へいくと告げて家を出たことで往人(と観鈴)を落胆・幻滅させた晴子は、その実彼らの想像に反して、「観鈴を本当の家族にする」ため橘家に直談判しに向かっていたのだった。
しかし、これもまた運命のいたずらで、諦めて死を選んだ自分のもとに光を授けた往人、彼に感謝した観鈴は「独りで、誰にも迷惑をかけずに生きていく。空にいる少女が悲しんでいる原因をつかむ」と決断したばかりであった。
往人と同じように病んでほしくないと考えた観鈴は、晴子の申し出を突き放そうとする。しかし直に、なるべくして観鈴の心も揺らぎ、ついに泣きながら「一緒にいたい」と伝える。
自分が夢を見ていること、日々苦しんでいくことをひたすら隠すと決心して…。
とはいえ、前述の通り、往人の必死の願いは観鈴の寿命を延ばし、癇癪を消し去ったものの、生まれた時点で決められた「記憶の継承」は避けて通れぬ道である。そして何より、自分の寿命よりも神奈の解放を願ったゆえに、観鈴は夢を見続けた…。
眠りにつくたび、観鈴の身体は蝕まれていく。そして夢を見るたび、(膨大な星の記憶に圧迫され)自身の記憶を失くしていく。
ただひとつ突き詰めていた、大好きだったトランプの遊び方すら思い出せなくなり、幼児退行の道をたどる観鈴。
晴子は、「せめてもの多くの時間を、親子の時間を取り戻していく」と自ら戦いを選ぶ。
一方で、記憶が失われるにつれ疲労も募り、母への愛情も目に見えて薄れていく観鈴。
やがて晴子のことを忘れ、「おばさん」と呼ぶようになった頃、いよいよ敬介がやって来る。
自分の知らないうちに橘家を訪れ、観鈴を我が物にした晴子への憤りもあって(自分の子の大事を考えている面は当然あるが)、強い語気で晴子に詰め寄る。
預けた当時にも増して症状を悪化させている観鈴を見て、幾度となく連れて行こうとする敬介。自分のことを忘れてしまった観鈴に対し、説得する術もなく途方に暮れる晴子。
悔しくも敬介の腕に観鈴を預け、別れを告げて去ろうとした途端、観鈴は目を覚まし、彼の腕の中で暴れだす。
本能的に晴子と共に生きたいとする衝動がそうさせたのだろう。
しばらくは放心状態であった敬介も、ようやく二人の心情を察し、観鈴を晴子に託してその場を去る。
それからのち、観鈴の命が終わりに近づき、記憶が戻るが、同時に最後の夢を見てしまう。ただしこれは、神奈(翼人)の記憶の完全継承、および神奈の輪廻の完全転生、さらに「空にいる少女」の解放の準備が整ったことを意味する。
そして最後の日、肩に「そら」(往人が転生したカラス)を乗せ、車椅子に乗り、晴子に押されながら散歩に出た観鈴。
晴子に心配をかけまいと、苦痛がうずまく身体の不調を隠し、元気そうに振舞っていたのであった。
やがて、何度も歩いた思い出の道に辿り着いたとき、ついに観鈴は自分の「ゴール」を目指して一歩を踏み出す。
「お母さんはそこにいて…!何があっても来たらだめだよ…。一人で頑張るの…!」「お母さんはゴールだから…。」と言い、晴子とそらから距離を置いて。
この夏に考えたこと、そして感じたことを自分に語りかけ、晴子に感謝するように。
往人と出会ったあの日から始まった夏の思い出…。
二人で仲良く食事をしたこと、強烈なジュースに白熱したこと、虫を捕まえようとはしゃぎ回ったこと…。
神社まで競走したこと、テレビを見たこと、海を目指したこと…。
夢を語ったこと、トランプをしたこと、空にいる少女を探したこと、見送り出迎え、そして一緒に歩いたこと…。
往人が授けた幾ばくかの日々に、晴子と過ごした親子の時間…。
何年も続いた誤解がとけ、心から「おかあさん」と、そして改めて「ママ」と呼べたこと…。
髪を切ってもらったこと、お祭りの日に神社へ行き、遠い過去の悲しみを喜びで塗り替えたこと…。
手作りのお粥を食べたこと、二人で海を眺めたこと、二人で生きていこうと話したこと…。
「この夏に、一生分の楽しさが詰まってた…!」
観鈴は、夢を見るたび、空にいる少女(神奈)の求めるものを追ってきた。
それは、幸せの記憶を届けること。
八百比丘尼も神奈も、そしてその生まれ変わりの少女たちも、彼女を救おうとした柳也と裏葉の子孫たちも、みな宿願叶わぬまま、未来へと希望を託し死んでいった…。
神奈が空に封じられ、悲しい夢を見始めてから1000年目の夏、本当の強さを知る往人と観鈴は出会った。二人とも、神奈を救う手立てを考え続けて…。
かつての祖先たちが「いつまでも変わらずにいられず、眩しくて逃げ、悔しくて指を離して」きた過去を乗り越えて。
観鈴の不退転の意志と、それを支える数多の想いが、1000年の悲しみを終わらせる。
「わたしのゴールは、幸せと一緒だったから…。」
観鈴の言う「もう、ゴールしていいよね」のセリフは、以上のような紆余曲折に裏打ちされる。
誰とも仲良くなれず、孤独の夏を何度も繰り返した観鈴。
生まれつきの宿命から、短い生涯を閉じようとする観鈴。
自分には負い目がないにも関わらず、ただただ人のために尽くしてきた観鈴。
そんな逆境を生き抜いてきた自分を労り、翼人やその伴侶の想いを遂げたことに対し「わたし、頑張ったよね…。」と微笑む観鈴。
これは、自分に対してのみでも、往人や晴子やそらに対してのみでもなく、恐らく1000年の季節に対しての一言なのだろう。
灼ける陽射しに揺らめく長いアスファルトの道を、観鈴は一歩ずつ進んでゆく。
身体の激痛を隠していたことを察し、そして観鈴の死を直感した晴子は「ゴールしたらあかん」と幾度となく止めようとする。
しかし、死がふたりを分かつまでに残された時間はあまりにも少なかった。
観鈴と同じくらいの強い気持ちで、晴子も自らの心情を叫ぶが、観鈴の意志は揺るがず、立ち尽くす晴子の胸元へと倒れ込み(記事冒頭イラスト参照)、最期は晴子に抱えられながら…、「幸せの場所」にゴールして、幸せの記憶をたずさえ、観鈴は空に還った…。
“翼人の伴侶 柳也と裏葉” の項でも記したように、1000年前に始まった旅路は、「かつて断ち切られた八百比丘尼と神奈の母娘の幸せ」を取り戻す目的があった。
「親と子が一緒にいる」という、本来ごく当たり前であるべき安らぎを叶えるため、登場人物達が力を合わせて紡ぎゆくのが、AIRという物語である。
◎観鈴の「ゴール」シーンで流れるBGM「青空」。Liaの澄んだ歌声が美しい。
最期に声の出せなくなった観鈴が心のなかで晴子に贈る、そうした別れの言葉にも聞こえる。
◎映像はこちら。中盤のBGMはインスト版の原曲「銀色」。こちらは敬介との三人のシーン。
終盤に「青空」が流れ、観鈴のゴールシーンが綴られる。
◎観鈴のテーマ曲「夏影 -summer lights-」。この原曲から多くのアレンジが誕生した。
曲名の通り、観鈴の雰囲気や夏の情景が感じられる、根強いファンの多い名曲。
◎「夏影」アレンジ曲のなかでも、公式かつ随一の人気曲。
歌詞の解釈は人それぞれであるが、原作をプレイしてから聴くといっそう理解が深まる。
◎「AIRのテーマ性を表す『鳥の詩』」(CDブックレット・折戸伸治氏のコメントより)。
ともすると、「『鳥の詩』を聴く」⇔「作品をプレイして趣意に気づく」のループに陥りかねない(良い意味で)。
タグとしてつけられていることがたまにあるのだが、始めに「…」や「もう」をつけるか否か、
その後に「、」「・・・」が来るか、最後に「。」「?」やをつけるかどうか、「も」が付くかどうがなど
表記に激しくぶれがあるためタグとしては分裂気味である。
また、「もうゴールしてもいいよ」というタグもある。
改めて書くが、原作準拠とするならば「もう、ゴールしていいよね」が正しい。
掲示板
237 削除しました
削除しました ID: MlJULiaJ5c
削除しました
238 ななしのよっしん
2024/01/07(日) 13:29:15 ID: zHpH7dS/1z
このシーンからの、そらへの晴子の語り→少年と少女が砂浜を歩いていく→Farewell Songのボーカル付きバージョンって流れが最高
歳をとってからもう一度やったら多分泣く
239 ななしのよっしん
2024/05/22(水) 16:12:36 ID: oe8lmmlZ/X
この記事に感謝を。
原作PC版もアニメも映画もかぎなども、第三者の考察も一通り見終えた身だが、
翼人伝説や呪いに関しては未だに曖昧な解釈しか持ち得なかった。
ようやく自分の中でAIRという物語が何を伝えたかったのか、DREAM編、SUMMER編から紡がれるお話がAIR編でどう集約されるのかが理解できた気がする。ありがとう。
急上昇ワード改
最終更新:2024/09/08(日) 14:00
最終更新:2024/09/08(日) 14:00
スマホで作られた新規記事
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。