高度経済成長真っ只中の1960年代の通勤需要に答えるため、東京・大阪の都心部での輸送力増強用として登場。101系を改良した国鉄標準通勤型電車として、約20年の長きにわたって製造が続けられた。
1963年~1984年にかけて3,447両が新製されたほか、101系の付随・制御車や旧型72系の車体更新車の編入があり、総両数は3,503両に上る。この両数は鉄道車両の1形式あたりの両数としては日本一である。
先に投入されていた101系の全電動車構想の断念を受け、電動車:付随車が1:1での運用が可能な性能となった。
1963年の山手線(使用期間:1963~1988。以下同じ)を皮切りに、首都圏の通勤路線を中心に大量導入された。1987年の国鉄分割民営化でJR東日本が全体の7割にあたる2418両を継承したことからも、その両数の膨大さが伺えよう。
民営化後は国鉄末期に登場した205系の追加製造、そして新系列電車の209系、E231系の増備によって置き換えが進められた。2006年3月に常磐線(1967~2006)から撤退したことで、首都圏の103系はすべて姿を消した。
京葉線(1986~2005)では開業以来スカイブルーの車両が走っており、分散型冷房車で固められた4連と、ATC対応車を据えた6連による分割併合運用、改良増備車や試作冷房車も、そして末期にはE993系「ACトレイン」で採用されたDDMモーターの試験車も存在した。埼京線(1985~1990)へも開業時に投入されたものの、騒音がひどいため早々と205系に置き換えられて撤収している。
横浜線(1972~1989)の103系はその多くが関東各地のお古の寄せ集めであり、塗装もばらばらであった。誤乗対策で設置された「横浜線」のヘッドマークが特徴的であったが、205系の投入で1989年に撤退している。
南武線(1979~2004)では、制御電動車を組み込んだ低運転台車から高運転台ATC車まで多彩な顔ぶれが揃っていたが、末期には高運転台車に統一されている。青梅・五日市線(1978~2002)でもほぼ同様の傾向であった。鶴見線(1990~2005)には101系に代わって民営化後に元南武線の低運転台車が転属している。
東北地方唯一の直流路線である仙石線(1979~2009)でも103系が活躍しており、こちらも205系への置換えが進行。一度は全編成が撤退したものの、多賀城駅の高架化工事で予備車が必要になったため、1編成(R-235編成)がトイレ設置等の改造を受けて復活した。その後205系の追加投入により2009年に撤退、JR東日本から103系が消滅した。
0番台の初期車が1976年に首都圏から中央西線(名古屋口)(1976~2001)へ転属し、スカイブルーの塗装をまとって名古屋近郊での活躍を開始している。JR東海が70両を継承した。
民営化後は大きく手が加えられ、非冷房車の冷房化、211系5000番台に近づけるための車内の更新工事、JR東海カラーへの塗替えなどが実施された。後に関西本線の名古屋駅~亀山駅間にも活躍の場を広げたが、313系の投入により2001年までに姿を消した。1両が美濃太田駅近くの車両基地に保管されている。
阪和線(1968~2018)、大阪環状線(1970~2017)をはじめとした大阪近郊の路線に数多く投入され、JR西日本には794両が引き継がれた。関西中南部で主に運用されるほか、岡山・広島近郊でも使用されているが、勢力は縮小しつつある。105系への改造車も継承されており、一部は103系同様に更新工事を受けている。
簡易的な冷房改造(この改造車は関西では全滅)・廃車で非冷房車を整理しつつ、大規模な延命工事を施行しており、ほとんどが何らかの更新工事を受けている。また、かなりの車両の戸袋窓が埋め込まれていることが特徴。
2010年代半ばまで多数現存していた車両は、中間車こそ量産冷房車が大勢を占めるが(集中型で冷房化された初期量産車や改良増備車も、数を減らしつつ依然として健在)、ATC対応車と試作冷房車・最終増備車を除く全ての0番台グループが存在している。先頭車も白熱灯改造型の初期車を含め、多彩な様相を呈していた。
ローカル線区へも進出しており、ワンマン対応の2両編成が1998年に播但線へ、2004年には加古川線に投入されている。また、2001年に電化された和田岬線(2001~)には、専用の6両編成1本が配備された。2008年に部分開業したおおさか東線(2008~2018)においても、大和路線との共通運用で201系とともに活躍していた。
関西圏では225系・323系の投入により2016年度から急速に淘汰が始まり、2017年10月に大阪環状線、2018年1月に大和路線・おおさか東線、3月に阪和線(2017年7月以降は羽衣線のみ運用)から撤退した。残る奈良線も阪和線から転出した205系の投入により、2018年度中に運用を終了する見込みであったが、223系のAシート改造に伴う京阪神快速用車両の不足により221系4両×2本が転出したことにより同数の103系が残された。この2編成については2022年3月11日を以って運用を終了した。
和田岬線の103系R1編成も和田岬線向けに専用に組成した207系X1編成通称「バツイチ」により2023年ダイヤ改正で置き換えられた
一部の仲間は関西を離れ、冷房化促進と通勤輸送対策で1994年より岡山・広島・下関の各地へと進出した。しかし近郊型と互角の運用には無理があるのか、最近は減少傾向が強い。
岡山支社管内ではマスカット色の塗装をまとい山陽本線と宇野線、赤穂線で2003年まで活躍、その後は関西の車両がそのままの塗装でやってきたが、2009年までに完全に姿を消した。
広島支社管内では瀬戸内色に塗られて山陽本線・呉線・可部線を中心に投入された(下関からは早期に撤退)。4両編成は113系の投入で2011年までに姿を消した。3両編成はトイレの設置を行った上で呉線の快速「安芸路ライナー」の運用に就いていたが、2015年に227系の投入により運用を終了。
1983年の筑肥線(1983~)の電化と福岡市地下鉄への乗り入れに対応した1500番台が54両配備され、その全車がJR九州に引き継がれた。
1995年頃より赤を基調とした派手な塗装に変更されたほか、運転台の増設やトイレの設置といった改造を受けている。災害で脱線・大破する事故もあったが、後継となる305系が導入されるまでは全車健在だった。
JR東日本の武蔵野線で活躍していた16両が、インドネシアはジャカルタ近郊の通勤輸送を担うKRLジャボタベックに譲渡された。現地にて様々なオリジナルの塗装に塗り替えられている。
101系に続いて路線ごとのラインカラーが採用されており、カラフルな塗装が各地で見られた。その色分けは現在でも路線のイメージカラー、車両の色として受け継がれている。地下鉄乗り入れ車には独自の塗装がなされたほか、JR化後は各地域のイメージを取り入れた地域カラーも誕生している。
以下の表に基本5色と主な採用路線を列挙した。この5種類はすべて単色で塗装されている。
色名の通称 | 国鉄色 | 主な路線 |
---|---|---|
スカイブルー | 青22号 | 京浜東北線 京葉線 京阪神緩行線(東海道本線・山陽本線) 阪和線 |
オレンジバーミリオン | 朱色1号 | 中央快速線 青梅線 五日市線 武蔵野線 大阪環状線 片町線 |
ウグイス | 黄緑6号 | 山手線 横浜線 埼京線 川越線 関西本線(大和路線) 奈良線 |
カナリアイエロー | 黄5号 | 中央・総武緩行線 南武線 鶴見線 福知山線(JR宝塚線) |
エメラルドグリーン | 青緑1号 | 常磐線 成田線 |
形式の中核を占める0番台は長きにわたって増備されたことから、数多くのマイナーチェンジが行われている。
該当車両:クモハ103-1~155、モハ103-1~281・901~902、モハ102-1~436・901~902、クハ103-1~179・501~638・901~904、サハ103-1~307
1963年に試作車が登場。部分的に101系の要素を残す形態で、車体の裾が長いのが特徴。廃車まで関東を離れることはなく、冷房改造も施行されることはなかった。
1964年より本格的な量産が始まり(初期量産車I)、主に山手線や京浜東北線(1965~1998)に投入された。1967年の増備車からは制御車・付随車の台車が高速運転対応のものに変更されており(初期量産車II)、編成単位では常磐線・阪和線・京阪神区間(東海道・山陽線)(1969~1994)・大阪環状線に投入された。
1967年に登場した910番台は、加減速性能の向上を狙って新型制御機を搭載した試作車である。システムは後述の地下鉄乗り入れ対応車に採用された。モハユニット3本が作られて山手線で活躍していたが、特殊性が強いこともあって、最終的に冷房化されたモハ102の2両を除いて付随車に改造されている。
1970年には冷房装置を試験搭載した試作冷房車が登場。冷房装置自体や電源確保の面で、量産冷房車や冷房改造車と大きく異なり(その後他車同様に改造)、クハ103に専用の電源装置を搭載した。ユニット窓が採用された最初のグループでもある。前後する番号が関西に集中投入される中で、山手線で使用されていたが、結局関東を離れることはなく(運用離脱後に、仙石線の試運転用に貸し出されただけ)、最終的には別編成に散っていった上で廃車となっている。
該当車両:モハ103-282~330・373~382、モハ102-437~486・529~538、クハ103-180~212、サハ103-308~323
1971~1973年製造。座席の改良や客室窓のユニットサッシ化、前照灯に1000番台同様の豚鼻型シールドビームを採用するなど、設計変更が目立つグループ。通常は1次改良型と呼ばれることが多い。製造期間が短く、京阪神区間(東海道・山陽線)への投入がほとんどだったこともあって、関東への投入は少数に留まっている。
既存の非冷房車編成に組み込む都合上、後述の後期車と並行して非冷房車として落成した車両も一部存在する(モハ103-373~382・モハ103-529~538がこれに該当。後に冷房改造された)。
該当車両:モハ103-331~372・383~793、モハ102-487~528・539~899・2001~2050、クハ103-213~499・701~850・サハ103-360~503
1973年からは新製量産冷房車の増備が始まった(量産冷房車I)。試作冷房車からは冷房装置への給電方法を改め、冷房駆動対応の電源装置をモハ102の床下に搭載している。側面の方向幕もこのグループから。山手線・中央線(東京口)(1972~1983)・大阪環状線へ投入された。翌1973年までこの形態で作られた。
1974年からは先頭車が高運転台となり、前面のデザインが大きく変わった(量産冷房車IIa)。山手・京浜東北両線へのATC導入に備えて、制御車はATC搭載準備工事車として両線に集中投入されたが、既存の制御車を活用するべく、中央線(東京口)・京阪神区間(東海道・山陽線)・大阪環状線にも中間車各形式が直接投入された。1977年製造分からは、火災対策として内装の一部がステンレス無塗装化された。
引き続き山手・京浜東北両線へのATC導入に向けて、制御車はATC搭載車が増備された他、編成単位で総武線(1979~2001)・武蔵野線(1980~2005)・阪和線・福知山線(1981~2004)に投入され、ATC搭載に対応しない制御車が改めて新製されている。ATC対応車はほぼすべてが関東に留まっていたこともあり、現存する車両はない。
このグループでモハ102が899番まで達し、900番台以降と被ってしまうため899の次は一気に2001まで飛んでいる(仕様変更はなくあくまで0番台なので要注意)。1981年まで製造が続けられた。
201系量産車の登場後、1983・1984年に必要最低限の中間電動車が103系最後の増備車として作られた。外見上は塗屋根と歩み板の違い、戸袋窓の黒ゴムが目立つ(後天的に同様になった車両もある)。赤羽線(1978~1985)・山手線に投入、関東を離れることなく廃車された。
1969~1971年製造。営団地下鉄(現東京地下鉄)千代田線直通用(1971~1986)として投入されたグループ。前照灯に豚鼻型シールドビームを初採用(それまでは白熱灯)し、貫通扉が付いたこともあって印象が変わった。地下鉄線内での運用に対応して、制御機等のシステムを変更したほか、電動車:付随車が4:1となっている。またATCを搭載するため、運転台直後の戸袋窓がない。
地下鉄直通用としては、営団6000系に比べて消費電力が大きかったことや、地下鉄線内で熱が床下に籠りやすかったことで、車内環境への影響(鉄板焼き電車)、さらに保守管理面でも手を焼くことになるなど、厄介な存在になっていたために早期に203系と交代して撤退。以降、105系に編入されたり、103系として残った車両は常磐線で引き続き運用されていた。
営団地下鉄(現東京地下鉄)東西線直通用(1970~2003)として投入されたグループ。実質的な301系の増備車に当たる。性能は1000番台同様だが、ATC装置の違いから運転台直後の戸袋窓があるのが大きな違い。
1981~1983年製造。筑肥線の電化・一部地下鉄代替(福岡市交通局が運行)用として投入されたグループ。6両編成・9本が製造されたが、後の車両分割により、現在は6両編成・5本と3両編成・8本となっている。103系では異端の戸袋窓のない張り上げ屋根の車体で、201系や新製105系に近い外観になっている。走行機器は0番台に準拠。1000番台同様、福岡市交通局1000系との極端な機能差があり、福岡市地下鉄のATOを搭載していなかったり、ホームドア非連動と言った有り様で、近年は直通運用が減少しつつある模様。
ついには、2015年2月~3月にかけて、6両編成・5本が新型車両である305系(6両編成・6本)に置き換えられ、地下鉄直通の運用は消滅した。
1988年、関西線(大阪口)(1984~)の短編成化と増発で不足する先頭車を補うため、余剰となっていたモハを電装解除し運転台を付けた改造車である。初期量産車Ⅱから改造され、分散型で冷房化された。奈良線(1984?~)でも運用された。
1989年の片町線(1980~1996)の全面電化を控えた1988年には、ホームの短い末端部への乗り入れのために分割併合に対応した5000番台が改造により生まれた。分割併合対応のために電気連結器を搭載しており、基本編成側はクモハ103を用意することで賄った。このクモハ103は1両を除いて運転台増設車である。増結編成側は運転台がなく、サハ103を方向転換した新形式のサハ102が用意されている。これにより基本3連・増結4連を組成していた。
1990年には編成組み換えで基本4連、増結3連の組成に変更される。付随車のサハ102が基本編成側へ移動、代ってモハ102が分割併合対応となった。転出後は元の番号に戻っている。サハ102は純粋な中間車に戻ったが、最後まで逆向きのまま使用。上記制御車化で余っていたモハ103も電装解除の上で加わったが、短期間で廃車された。
1993からは207系の投入で片町線からは撤退し、電気連結器も撤去。5000番台は転出の際に中間車と新製クモハが元の番号に戻り、先頭車化改造されたクモハは2500番台となった。
川越線(1985~2005)電化用に、仙石線で使用されていた72系の車体更新車を1985年に改造編入。元々の運用線区から、ドアが手動開閉対応になっているほか、改造種車の車種構成を活かして改造されたため、103系としては特異な点が目立つ存在となった。当初は付随車以外の15両を改造。その後別途改造していた付随車が合流している。
1996年には、八高線(1996~2005)の部分電化により0番台の4両編成1本が3500番台に改造された。ドアに開閉ボタンが増設される等、防寒対策が施されている。3000番台とは共通運用となっていた。
JR西日本の3500番台は播但線(1998~)部分電化用に改造されたもので、2連でワンマン運転に対応した仕様となった。クモハ103は2500番台から改造。運転台の増設のほか、体質改善40Nも受けている。両端クモハなのでJR東日本との重複番号はない。
2004年の加古川線(2004~)電化の際には、同じく2連でワンマン運転に対応した3550番台が登場した。こちらは両方ともに中間車からの改造で、貫通扉をそのまま残す形態。3500番台同様、体質改善40Nも受けているが、こちらは種車時代の施行である。
3500番台・3550番台とも状態の良い量産冷房車を種車としており、3500番台は1973~1979年、3550番台は1976~1978年に製造された比較的新しい車両が選定され改造工事を受けている。だがそろそろガタが来ている様である。
1975年から、量産冷房車と同じ仕様で改造が行われたが、冷房装置本体を載せる屋根や、補助電源装置を床下に搭載するモハ102の台枠の補強が必要であった。民営化後は、補強を必要としない分散型の冷房が積極的に使用されるようになっている。
国鉄時代の末期に初期車を中心に実施され、車体の修復を中心に、多くの工場では内装も更新された。
JR東日本では初期車を対象に車両更新工事を行い、屋根や車体の補修、車内の内装を寒色から明るい暖色系に変更をはじめとする徹底的な更新が行われた。
仙石線向けの更新工事を受けた車両では、ドア開閉ボタンとドアブザーの設置、窓サッシのユニット化(一部未施行)、前面窓を2分割のものに交換、運用番号表示機を拡張の上で種別表示機へと変更。施行と同時に仙石線オリジナルの塗色に変更されている。
JR東海では当時増備途上だった211系に準じた内装に更新するリフレッシュ工事が実施されている。ドアの交換や窓サッシのユニット化を受けた車両もあった。
JR西日本で行われた延命工事のバリエーションは多岐にわたり、大きく分けて延命工事と体質改善工事の2種類が存在する。種類が多いため後述の節にまとめた。
旧型車の延命を積極的に行っているJR西日本では、新型車並みの外観と内装に更新する「体質改善40N」工事を実施した。103系に施された最も大規模な延命更新工事である。製造から40年の使用を目標としており、同様の工事は113系や115系にも行われた。
前照灯・雨樋の埋め込みや、逆T字型窓サッシへの交換といった外見ばかりでなく、内装も新型車に近いものへと改装したが、当初は全面的に改修されていたものの、次第に元の部品が流用されるようになっていった。未更新車や他の更新車と混成した場合は雨樋の構造の違いが目立つ。量産冷房車を中心に、一部改良増備車にも施行。車号の書体変更と前面窓の1枚化は体質改善車のみ。
2002年からは、使用期間の目標を30年に戻した「体質改善30N」工事に移行した。主に内装を体質改善40N同等に更新しつつ、天井や側窓、屋根などの改修工事は省略している。外観では車号の書体変更と屋上の通風器の撤去が目立つ。一部の量産冷房車に施行されたが、103系の消費電力が大きいことや種車の車齢がどんどん古くなっていることから、程なくして旧式車両のリニューアル工事から新車を投入していくスタンスへと変更されることが発表され、2005年を持って103系の体質改善工事は打ち切られた(もっとも国鉄末期~JR化以降に製造された車両については、引き続き耐用年数を迎える形式から順次体質改善工事が施されている。ただし、体質改善工事とは言うものの通常の大規模更新工事並みのリニューアルで、魔改造と言われるほどの大工事が行われている訳ではない)。
103系のうち体質改善30N工事が施工された車両は、ほぼ同時期に耐用年数を迎えていた201系の体質改善工事が優先されていたこともあり、比較的少ない。
当該工事は編成長の長いものを中心に行われたため、主に4連・6連運用が中心となった2010年代現在においてはクハの体質改善工事車が不足しており、体質改善工事を受けたモハユニットを延命N系工事車のクハ車でサンドイッチする編成が少なからず見られる反面、体質改善工事を受けたサハ車が製造後40年を待たずして余剰廃車されるなどのケースが出ている。
2013年3月、体質改善試作編成が当初の目標であった製造後40年の使用を全うし、吹田総合車両所へ廃車回送された。そして、体質改善施工車のほぼ全てが製造後40年を迎える2018年度中に大阪環状線と阪和線から撤退し、加古川線や播但線など一部のローカル線を除いて姿を消した。(そちらは製造後40年経ってるが大丈夫であろうか?)
両数は新製された数値を記載する。
名称・分類は、筆者の判断によるもので、標準的な分類では0番台の量産冷房車Ⅱ、及び1200番台の改良型の各a・bは同一グループとなる。
1972~1986年改造。車齢の低い101系の制御・付随車を編入したグループ。
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最終更新:2024/11/09(土) 07:00
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