クセルクセス(Xerxes)とは、
- アケメネス朝ペルシアの王、クセルクセス1世(Xerxes I)。在位は紀元前486~465年。
- 同、クセルクセス2世(Xerxes II)。在位は紀元前424年。即位後2ヶ月で暗殺された。
- PCゲーム「System Shock 2」に登場するキャラクター。宇宙船「フォン・ブラウン」のメインコンピューター。
- 漫画「鋼の錬金術師」に登場する古代文明遺跡。
本項では1.について記述する。
ちなみに「クセルクセス」はギリシア語形で、古代ペルシア語ではクシャヤールシャー=「英雄を支配する者」を意味する。
また英語での発音は「ザークシズ」となる。
概要
当時のペルシアは紀元前525年にカンビュセス2世によりエジプトを併合、古代オリエント統一を果たした大帝国だった。その後もトラキア、マケドニアを勢力下に置き、エーゲ海東部の島国も支配下に収める。
父ダレイオス1世は「王の道」と呼ばれる公道を建設し、交通と通信を拡大。交易を推進する事で繁栄の絶頂を極め、更に父祖が築き上げた帝国の領土拡大に向けて野心を募らせた。
性格は穏やかで紳士的であり、ギリシア人からも「敵でなければ善き人格者であった」とさえ謂われる程物静かで温厚な性格の持ち主である。
しかし、ペルシャ帝国が領土型国家であり専制君主制を敷き、ゾロアスター教を国教に据えていたがためにギリシアとしばしば衝突することになる。
ペルシアが影響力を拡大してゆく中、当時政治的事情から孤立していたギリシアの都市国家・アテナイはペルシアとの同盟を求めたが、同盟ではなく服従を求められた為に反発。両者の関係が険悪化した後の紀元前499年、当時ペルシアの支配下にあったイオニア地方での反乱に際し、アテナイが反乱軍を支援した事で、ペルシア側は内政干渉だとして激しく非難。報復攻撃に便乗し、ギリシア全土に侵攻する口実を得た。
世に言う「ペルシア戦争」の始まりである。
というのも、ペルシャは当時の大国には珍しく「戦争」ではなく「外交」によって領土を広げた国家であったことも大きい。対外戦争よりも、外交によって圧倒的な国力差を見せつけ、戦争で争うよりも組み込まれたほうが利益を享受できることを理解させ納得させ巨大になったのである。ペルシャ王が他国を組み込む際の決まり文句に「土地と水」という言葉がある。これをイオニア地方などに行うのだが、独立心の強いギリシア人たちには受け入れがたいものであった。この「土地と水」の勧告が、当時アテナイの海外資産の要衝であったトラキア地方にまで及んだために、アテナイはトラキアの現地民とともにペルシャ帝国に抵抗した経緯がある。
ダレイオス1世は、要求を呑まない都市国家には大船団による大軍を送って都市を包囲。まずエレトリアを制圧したが、アテナイとプラタイアの連合軍はマラトンの平原に陣を展開、重装歩兵密集陣(ファランクス)にて大軍を迎え撃ち、勝利。世界初の直接民主制により徴兵された兵士の数と、それを操るストラテゴス(国家戦略担当官)たちの知略の勝利であった。これを「マラトンの戦い」と呼ぶ。
この勝利をアテナイに伝える為、フィリッピデスという駿足の兵士が伝令となった。彼は40km離れたアテナイまでを休みなく駆けとおし、アテナイの城門にて遂に「ネニキカメン(我ら勝てり)」と叫んだ後に力尽き、息を引き取ったという。これが長距離競走「マラソン」の由来である。
この敗北にもめげず、ダレイオス1世は再度侵攻の準備を進める。しかしエジプトとバビロンで反乱が勃発し、その対応に手を取られたまま、紀元前486年に死去した。(そもそも、ペルシャ王の敗北は国内の叛乱を惹起させるため、国の崩壊とほぼイコールである。なので、第二次ペルシャ戦争はペルシャとギリシア双方において、暗黙の了解のようなものであった。)
クセルクセス1世自身はギリシアとの戦争にあまり乗り気ではなかったものの、司令官マルドニオスの説得を受けて2年をかけ、まずはエジプトとバビロンを平定。第二次ペルシア戦争に挑む事となる。
紀元前481年、彼はギリシアの各都市に向けて使者を送り、降伏を迫った。マケドニア、テーバイはこれに屈したが、アテナイやスパルタにはそもそも使者を送らず、降伏勧告も行わなかった。最初から父に恥辱を味わわせた相手、強大な戦力を有する不退転の戦闘民族と一戦交える算段だったという説がある。
歴史家・ヘロドトスによると、帝国の遠征軍は歩兵170万、騎兵8万のほか、大船団や各地からの援軍を併せて528万を超える大軍だったという。とは言え、戦争中にヘロドトスが「すみません。そちらの兵数と兵科を教えてください!」と言える訳も無く……この数は推論であると考えられている。加えて、最近の研究では当時の征服した諸都市の補給能力や兵站を考慮して30万程度であったというのが妥当らしい。どちらにしてもギリシア連合軍を蹂躙できる大軍だっただろう。
ボスポラス海峡では船を並べて橋とし、大軍を移動させたという記録が残されている。海峡の狭いところでは800メートルほどとなっており、大船団をもってすれば物理的に不可能ではなかったと推察される。
これに対しギリシアの都市国家は色めき立ち、アテナイの政治家・テミストクレスを筆頭に会議が執り行われ、各国家の代表者が集結。現在進行形の紛争を即時終結させ、クセルクセス1世が陣を置いた都市・サルディスにスパイを派遣、クレタ島やシチリア島に対し援軍を派遣要請を決定。ギリシアの連合体制を整えた。
ところがシチリア島のシラクサはカルタゴとの戦争に追われており、スパルタ嫌いに定評のあるアルゴスは不参加、クレタ島では神託により中立など、援軍に関しては空しい結果に終わった。真っ先にペルシア軍と会敵する都市国家にはペルシア側につくものもあり、ギリシア全土を上げてペルシアを迎え撃つとまではいかなかった。
1年後に再度開かれた会議では、ペルシア軍が破竹の進撃を続けている事が報告され、同盟関係がにわかに揺らぎだす。抗戦か降伏かで揺れる会議の末、テミストクレスは要衝・テルモピュライの隘路と海岸線に防衛線を構築、ペルシア軍の侵攻を食い止める策に出る。
紀元前480年8月、「テルモピュライの戦い」が開戦。ギリシア連合軍は良く持ちこたえたが、3日目に抜け道を通ってペルシア軍が回り込んで来る。連合軍の大半は包囲される前に撤退したが、スパルタ王レオニダス1世率いる300人の手勢とテスピアイ軍1500人はあえてこの地に残った。この時クセルクセス1世はその勇を讃えて降伏を勧告したが、レオニダス1世は「モーロン・ラベ(来たりて取れ)」と拒否。結果、全員が戦死した。
ほぼ同時進行で行われた「アルテミシオンの海戦」では、ペルシア軍の方が劣勢となったが、テルモピュライの報を知ったギリシア海軍はサラミスへと撤退、こちらでもペルシア軍は勝利を収める。
ギリシア連合軍は防衛線からの撤退を余儀なくされ、それまで日和見の立場にあった都市国家がペルシアに対し次々と恭順するなど、戦局は苦境に傾き始めた。最終的にペルシア軍に包囲されてアテナイは陥落、完全に占領されてしまう。(もっとも、ほぼ全市民が疎開してたから死傷者は軽微ではあったが……)
ここでテミストクレスは防衛線を更に下げ、サラミス海峡にてペルシア軍を海戦で迎え撃つ事を選択。更に情報戦を仕掛け、ペルシア軍を呼び寄せる事に成功する。
ペルシア艦隊を視認するや、ギリシアの連合艦隊は海峡に吹く風(シロッコ)を利用して迅速に後退。狭い海峡に船団をおびき寄せ、急な潮流に制御を取られて混乱するペルシア艦隊に、一斉に襲いかかった。
当時の海戦は船の衝角で相手のどてっぱらに突っ込んでからの白兵戦だった。たちまち戦列は乱れ、敵味方の区別さえつかない大乱戦となったという。最終的にギリシア連合艦隊は地の利を生かし、ペルシアの大船団を打ち破る事に成功した。これを「サラミスの海戦」と呼ぶ。
艦隊の多くを失ったこの大敗北で、クセルクセス1世は戦意を喪失した。勝利に確信を抱いて高みの見物をしていた所を木っ端微塵に打ち砕かれ、更に同道させていた息子をこの戦で失ったのである。
撤退を決めたクセルクセス1世は一足先に帰国し、後には命を受けた司令官マルドニオスが残される。その後も戦争は継続したが、翌年の「プラタイアの戦い」では遂にギリシア連合軍がペルシア軍に決定的な勝利を収め、敗残兵はことごとく撃滅された。
クセルクセス1世は、その後領土拡大に対する一切の野望を打ち捨てた。宗教(ゾロアスター教)に傾倒し、父が未完成のままにしておいた宗教都市・ペルセポリスの宮殿建設に力を注ぎ、国家宗教の普及に努める。
しかし父祖の代で築き上げた財産は湯水の如く浪費され続け、政務の停滞によって宮廷内には不満が沸き始める。かくして紀元前465年、クセルクセス1世は側近のアルタバノスにより暗殺されるという最期を迎えた。
先の遠征失敗と彼の死をもって、アケメネス朝ペルシアは次第に落日へと向かい始める。そして紀元前330年、最後の王ダレイオス3世がマケドニアのアレクサンドロス3世に敗北。逃走中に家臣に裏切られて殺害され、遂に大帝国は滅亡した。
補遺
「サラミスの海戦」の敗戦で心折れたクセルクセス1世だったが、唯一の慰めはハリカルナッソス(現在のトルコ)女王アルテミシア1世の奮戦と、彼女が回収した我が子の亡骸との対面が叶った事だった。
開戦前の作戦会議で王に対して「ギリシアの海軍を侮ってはなりません。この海戦は避けて陸戦を行うべきです」と諫言したアルテミシアだったが、他の将軍達は彼女の意見を一笑に付した。戦後、遅まきながら彼女の見識が正しかった事が証明され、王は「我が軍の男はみな女となり、女が男になった」と言葉を残し、彼女の慧眼と勇気を讃えたという。
ヘンデルのオペラ「クセルクセス(セルセ)」は、クセルクセス1世を題材とした作品である。王は将軍の娘を見初めて娶ろうとしたが、彼女は自分の弟の恋人であった為に怒り、弟を国外追放してしまう。王の婚約者を交えて様々な愛憎関係が交錯するが、最後に王は自分の傲慢を恥じて改心、大団円を迎える。
第1幕第1場のアリア「オンブラ・マイ・フ(Ombra mai fù)」はとみに有名。
1906年、世界初のラジオ実験放送で演奏された「世界で初めて電波に乗った音楽」でもある。日本ではニッカウヰスキーのCMソングとして知名度を上げた。
旧約聖書の「エステル記」に「アハシュエロス」として登場。インドからエチオピアにかけてを統治する大王で、後にユダヤ人モルデカイの養女エステルを見初めて妻に迎える。
しかしユダヤ人を憎む悪代官・ハマンに唆され、ユダヤ人を皆殺しにする勅書に署名してしまう。だが出自を明かしたエステルの機転によって逆にハマンは誅伐され、全てのユダヤ人が救われるという内容。
後にユダヤ教ではこの故事を祝い、3月下旬にはプーリームと呼ばれる祭が執り行われるようになった。「ハマンの耳」と呼ばれる焼き菓子を食べ、酒を飲んで大騒ぎし、大人も子供も好きなように仮装するさまは、何となくハロウィンと似ている。
フランク・ミラーの同名コミックを原作とする映画『スリーハンドレッド』では、ロドリゴ・サントロがクセルクセス1世を演じた。3m近い巨躯を誇り、深く響く声を持ち、黄金の装飾品で自らを飾り立てた「神王」。誰もがひれ伏す威厳をもって、レオニダスの前に姿を見せる。
撮影にあたり、ロドリゴ・サントロは徹底的に肉体改造。全身の毛を剃り落とし、4時間近くかけてメイクを施し、更にSFXで身長を増やしており、見事に原作を再現している。
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