スペシャリストとは、ある特定の分野に特化して優れた能力や技能をもつ存在のことである。専門家。対義語は「ジェネラリスト」。
人間界におけるスペシャリスト
ざっくり言うと、「これにかけては他のヤツらには絶対負けない」と言う特技のお仕事に就いている人。○○の達人・名人などとも称され、一芸に特に秀でた存在とみなされる。
わかりやすい一例としては…機械ですらマネできない、「1ミクロン単位の誤差もなく金属部品を手作業で加工してしまう町工場の職人」や、「缶詰を棒でコンコンと軽く叩いたときの音だけで中身が腐っているかいないかを判別する検査員」が典型的なスペシャリストである。
また、上に挙げたような特定職能を極めた人の他にも、エンジニア、研究者、デザイナー、プログラマ、プロモーター、マーケッター、法務、医者、スポーツ選手、航空機のパイロットや整備士などがスペシャリストの代表格として挙げられる。
スペシャリストと社会との関わり
繰り返しになるが、スペシャリストとは「これにかけては他のヤツらには絶対負けない」と言うレベルまで自らの特定能力を高めた人々を称する言葉であり、そのニーズは高い。
顧客のニーズを的確に読んで企画立案するマーケッターや、美しい漆器を作る漆芸家、ホームランを量産する野球選手、だれもが匙を投げる難手術を成功に導く執刀医。時にコンピュータを凌駕する正確さと、人間としての柔軟性を両立させた存在は、味方に引き入れればとても心強く、ライバルに奪われればとても厄介。だが業界内に散らばるスペシャリストが技術向上を競い、レベルを引き上げる側面もあるため、社会全体の健全な競争と発展にも欠かせない存在である。
「スペシャリスト」は企業・団体に雇われるか、独立した職人として現場でその職能を振るう。故に組織を統括する経営者との両立にはあまり向いていないともされ、「専門バカ」と揶揄されることもある。とは言うものの、セカンドキャリアとしてスペシャリストの能力を活かしつつゼネラリスト教育を受けるケースもままあり、「現場の苦労」と「組織運営の苦労」を両方知るリーダーも多い。
スペシャリストがこの先生きのこるためには
その能力を買われてあちこちから引き合いがある「スペシャリスト」だが、生き残るための絶え間ない努力と競争は熾烈である。そして「使われる側」に回ったスペシャリストは、他者で代替できる程度の実力しかないのなら「常に切り捨てられるリスクを孕んでいる」ともいえる。
その典型がプロスポーツ選手であり、野球なら打たれ続けるピッチャー・打てないバッターは他に売りがないと大抵戦力外通告を食らう。大抵の野球選手は「野球に全てを捧げてきた才能」であり、プロ契約の道が断たれてしまうと「潰しの利かない専門バカ」扱いまで受けてしまうこともある。若くして引退したプロ選手がいきなりチーム経営に回れるわけもないため、こういった人材に対して、セカンドキャリアの選択肢を組織や社会が提示することも多い。
プロスポーツ選手ほどでなくても、「お前じゃなきゃいけない理由ってなに? うちの会社がお前を雇ってなんの得があるの?」と言う無慈悲な宣告を食らいやすいのがスペシャリストの宿命でもある。高い成果を要求されるが故のかなしみ。やめてくださいしんでしまいます。
成果主義が浸透した外資系企業のドライさは有名で、それまでの実績が優れていても、2、3ヶ月ほど成績が思わしくないと、ある日管理職に「きみ、このままだったら来月解雇だから☆」と肩叩きされるのもザラ。管理職もまた、上役たちに成果を見張られているのでヘタに情けを掛けたら…明日は我が身である。
かくも厳しいスペシャリストの競争社会だが、トップの僅かな椅子を巡る戦いに全員が勝てる訳はない。勝ったスペシャリストは高報酬で囲い込まれ、敗れたスペシャリストはより小さい会社、より少ない報酬で働くことになるが、あまり資本の大きくない企業にとっては「自分たちの出せる報酬でも、相応の能力を持った人材を雇えるチャンス」と捉えることができる。そうしてやってきた「敗れしスペシャリスト」が中小企業の躍進に一役買うことも多く、一芸を一途に極め続ける限り彼らのニーズが途切れることはない…とも言える。
勝った負けたで捉えるのではなく、努力と向上心ある限り、その一芸で社会に貢献できるのがスペシャリストの何よりの強みである。
自然界におけるスペシャリスト
主に「ある特定の環境で生き残ること」「ある特定の資源のみ利用して生き残ること」に特化した生物を指す。
砂漠・極寒・深海などの極端な環境に適応したり、毒のある植物をエサとして食べたり。特定の環境条件のみに適応し、他の条件下では生存できない生物も多い。以下にいくつか例を挙げる。
コアラ - 「毒」を選んで生き残る
オーストラリアに生息する有袋類、コアラ。日本では動物園や、某チョコスナックでも有名なカワイイ動物である。彼らの好物は「ユーカリ」。日本でもエキスが配合されたのど飴が有名だが、実は「ユーカリ」には毒があるのだ。さて、コアラは何故わざわざ毒入りのユーカリを食べるのだろうか。
どんな動物も「おいしくて消化しやすくて食べやすいもの」がエサに出来れば幸せだが、数は限られているので奪い合いになるのが必然である。その奪い合いに勝てればいいが、負ければ他の食べにくいエサに行くか、極端まで行くと餓死・絶滅までありえる。
そこでコアラが目をつけたのが、オーストラリア東部に生い茂る「ユーカリ」であった。毒入り、消化も大変、と言うおよそ食べ物向きではないユーカリは、コアラの祖先も含めて草食動物が目もくれない植物だった。しかし誰も食べないなら、食べられるようにすればいいじゃない。もし食べられれば目の前の毒の林が、エサの生い茂るパラダイスだ…( ゚д゚ )クワッ!!
とコアラが思ったかどうかはさておき、コアラは進化の過程で盲腸を長く発達させ、そこに特殊な微生物を住まわせることに成功した。この微生物にユーカリの葉を分解、発酵させることで、栄養素を吸収できるようになった。
結果、コアラは一日じゅうユーカリの木の上で寝て過ごし、おなかがすいたときだけ起きるという夢の暮らしを手に入れることができた。他種にとっては毒の林を、コアラは文字通りの酒池肉林に変えてしまったのである。
ユーカリの葉を分解発酵するための腸内微生物はコアラが生まれたときから腸に住んでいるわけではない。よってコアラの子供はユーカリを食べることはできない。そこでコアラの母親は、盲腸で発酵させ毒を抜いた半消化物を子供に与えて育児する。子供はこのパップと呼ばれる半消化物を食べて育つことで、ユーカリの葉を分解するのに必要な微生物を親から受け継ぐ。つまりコアラの赤ちゃんの食べ物はお母さんのウンチである。
ユーカリは乾燥に非常に強く、乾燥化の進んだオーストラリアでは、いまや東部全域に分布を拡大するにいたっている。ユーカリの分布域拡大にともない、それをエサにするコアラもまた食料と住み処の両方が増大し、確固たる繁栄をなしとげることができた。ユーカリあるところにコアラあり。ユーカリの強さがそのままコアラの繁栄につながっているといっても過言ではないだろう。
ちなみに、コアラはユーカリの葉のかぎられた部分しか食べないので、飼育する場合はたった数頭でも広大なユーカリの畑を用意しなければならない。しかも台風や大雨などでユーカリが全滅してしまわないように、畑を広範囲に分散させておく必要もある。のほほんとしているように見えて、意外と飼育するのは動物園ですらたいへんであるようだ。
コオリウオ
コオリウオはその名が示すがごとく極寒の南極海に生息する魚である。
南極海は真夏でも水温2℃、冬は0℃以下になる、まさに氷の海だ。もし真冬の南極海に普通の魚を放りこむと、体内の血液が氷点下になり凍結してしまう。凍るということは細胞の水分が氷になるということだ。凍って膨張した水分により細胞は破壊される。当然命はない。
コオリウオは凍結を防ぐため、血中に不凍タンパク質なる物質を大量に混ぜ、血液の凝固点を下げることで対応、凍てつく南極の海でも凍らない体を手に入れたのである。
しかし、全長40~60cmのこの魚は血液を不凍液にした代償として、脊椎動物としては他に類を見ない特異なものへと進化した。血中に赤血球がないため、血が透明なのである。
酸素を運搬する赤血球がないので、かわりに血漿に酸素を混ぜて運び、足りないぶんは皮膚呼吸で補っている。酸素をはじめとした気体は、溶媒(この場合は海水)の温度が低ければ低いほどよく溶けこむ性質がある。極寒ゆえに地球の海でもっとも酸素濃度が豊富な南極海だからこそとれた方法だろう。実際コオリウオは血漿の数を増やし、心臓も巨大化させたが、それでも南極海以外の海では酸素の供給量が足りないため生きていけないという。
コオリウオは生存のために赤い血さえ捨てたが、だからこそ、氷に閉ざされた南極海という競争相手のいない極限環境で繁栄を遂げることができたのである。そりゃだれも血の色を変えてまでこんな冷たい海には来ない。
なお、コオリウオの一種であるコオリカマスという魚は食用として流通しているらしい。白身で淡白なんだそうな。機会があればどうぞ。あんまりおいしくないって話を聞いたが・・・
ヘビたち
ヘビはだいたいスペシャリストである。ヘビは爪もなければ咀嚼もできないので、獲物はそのまま丸呑みするしかない。なら、エサはネズミだけとか、あるいは昆虫だけといったように、かぎられた種類だけを専食する方向に進化したほうが都合がよい。
例えば、クイーンスネークというヘビの主なエサは、脱皮直後のザリガニである。通常時のザリガニは殻が固くて食べられたものではない。食べるなら脱皮してすぐの柔らかい状態のときをねらうしかない。しかしどうやってそんな都合よく脱皮したてのザリガニを見つけるのか?
ザリガニは脱皮するときに特有の匂い物質を出す。もちろん人間どころか機械ですら検知できない極微量である。ところがヘビは、こと匂いにかけては掛け値なしの専門家だ。ヘビは舌で匂いの正体である化学物質を拾い、口蓋にあるヤコブソン器官で吟味する。ヘビは匂いを嗅ぐのではなく味わうのだ。しかも舌の先端が左右にわかれているので匂いが来た方向も容易に特定できる。
川の流れに乗ってきた匂い物質をクイーンスネークは敏感に感知。匂いをたどっていけば、そこには脱皮直後で殻の柔らかい食べごろのザリガニが待っていてくれるという寸法である。
とはいっても、本種は脱皮したばかりのザリガニしか食べられないというわけではない。現地では小魚やヨコエビ、ナメクジ、カエル、オタマジャクシ、イモリなどさまざまなものをエサにしている。
どっこい、沖縄の西表島と石垣島にのみ生息するイワサキセダカヘビは本物の偏食家だ。このヘビが食べるのは右巻きのカタツムリだけ。ほかのものは食べられない。おなじカタツムリでも左巻きはNGだ。なぜなら、殻から中身のカタツムリを引きずりだしやすいように下顎の歯は右側のほうを発達させるというふうに、徹底的に右巻きのカタツムリを捕食することに進化しているからである。
ヘビは生存のために不要なものをすべてそぎ落とした動物である。なにしろ手足すら捨てたほどだ。体を細くするために肺もボアとニシキヘビ以外は右肺しかなく、両肺ある種類も左肺は小さく退化している。そんなヘビたちは徹底した省エネ家でもある。ヘビには省エネモードと消化時モードのふたつのモードがあり、ふだんは省エネモードでとぐろを巻いてじーっとしている。で、エサを食べたときには消化時モードに移行する。このときヘビの体内は変身ともいえるほどの変化が起きている。ヘビにとってエサを食べて体が重くなっているときはいちばん危険な時間だ。さっさと消化して身を軽くしなければならない。より短時間で消化するため、膵臓は3倍に、心臓は2倍に巨大化するのだ。
あまり体内にエサを入れておきたくないため、なるべく食べなくてもいいよう、必要がなければまたとぐろを巻いてじーっとする。アナコンダのように大型のヘビでは、年に数回しか捕食活動をしないという。
余談だが、トカゲにはアシナシトカゲのように手足のないものがいる。見た目は完全にヘビだがトカゲである。ではヘビとトカゲの違いはなにかというと、まばたきができるかどうかだったりする。厳密にはほかにもいろいろあるのだが、「開閉できるまぶたの有無」が、トカゲとヘビの相違点と考えておいておおむね間違いない。ヘビは目の表面を透明なウロコで覆っている。つまりヘビはつねにまぶたを閉じているともいえる。脱皮のときはこの目のウロコも脱ぐ。よって脱皮殻にも目がある。が、余談であった。
モロクトカゲ
オーストラリアの自動車、とくにRV車のフロント部分にはカンガルーバーという丈夫なバンパーが装備されている。走行中にカンガルーを轢いてしまっても車のエンジンが壊れないように守るためだ。なぜそんな対策が必要なのかというと、オーストラリア大陸の中央部に位置する広大な砂漠ともいえる乾燥地帯のせいである。もしその乾いた地獄のど真ん中でカンガルーと衝突し自動車が走行不能になってしまったら、最悪、命にかかわる。そこは現代でさえ、人が住むどころか通過すら容易でない不毛の地なのだ。
学名はMoloch horridus。全長15cmほどしかないが、その姿は特撮の怪獣そのもの。全身にびっしりと生えた鋭いトゲから、Thorny Devil(トゲ悪魔)の異名ももつ。爬虫類好きなら、フトアゴヒゲトカゲにさらにトゲトゲを生やしたのを想像していただきたい。だいたいそんな感じである。
さてこのモロクトカゲ、外見だけでなく生態もじつにユニークだ。
モロクトカゲの体表には、すべての道はローマに通ずとでもいわんばかりに口へとつながったごく微細な溝が無数に走っている。この細い溝は水を吸い上げる毛細管現象を起こすことができ、これを使ってモロクトカゲは水滴が体のどこについても口へと運ぶことができるのである。
ほんのちょっと、それこそ数ミリしかない水たまりでも、片手をつっこんだだけで水が飲めてしまう。雨が降らなくても、朝霧で体が濡れれば喉を潤せるのだ。
オーストラリアの乾燥地帯には、モロクトカゲの主食になるアリが豊富に生息しているため、エサにだけは困らない。人間なら車が壊れただけで死に瀕してしまう危険で過酷な環境だが、完璧に適応したモロクトカゲにとっては濡れ手で粟の楽園なのである。
イラガ
数ある毛虫のなかでも刺されると日本一痛いといわれるのがイラガの幼虫だ。毒針で刺してくることや、まるで感電したかのように激痛が走ることから、地方によってはオコゼとかデンキムシと呼ばれることもある。
このイラガ、さして珍しい虫でもないが、じつは寒さにおそろしく強いという特徴がある。どれくらい強いかというと、繭の状態だと、マイナス20℃で100日過ごしても大丈夫! というほど。
コオリウオの住む南極海でもマイナス20℃までは下がらない。なぜそんな耐寒性があるのかというと、秘密は二重の対抗策にある。
まず、イラガの幼虫は冬が近づくと、体内に不凍液の役割をする糖をたくわえる。これでマイナス20℃までは凍らない。だが雪国で寒波が押し寄せたときなどはマイナス20℃以下にまで気温が低下することもあり、さすがのイラガの繭も凍ってしまう。これの対策は、素直に凍る。
イラガは不凍液の限界を超えた低温に襲われたときは、細胞内の水分を細胞の外にしみ出させて、そこで凍らせることで、細胞が氷の成長で内部から破壊されることを防いでいるのだ。
実験ではイラガの繭をマイナス30℃で1時間冷やして凍結させたのち、マイナス183℃で70日間保存しておいても、暖めれば当たり前のように羽化したという。
だが、イラガの繭を冷やさないで摂氏20℃の常温で放置しておいたところ、繭はまったく成長することなく内部で腐敗してしまったらしい。酷寒という極限の環境に適応しすぎたために、逆に温暖な気候では生きられなくなったスペシャリストの典型例といえるだろう。
例外:スペシャリストでジェネラリスト
アフリカのタンザニア北部、アルーシャ州ロリオンドのナトロン湖という湖は、フラミンゴの繁殖地として知られているが、もうひとつの秘密がある。
日中は40℃にまで水温が上がるため蒸発率が高く、塩性の土壌からつねに塩分が流れこむので海水より塩分濃度が高く、pH10という強いアルカリ性を示すこの水ははっきりいって毒物である。硬度が高い、つまり水にふくまれるカルシウムやマグネシウム分が非常に多いため、ここで死んだ鳥やコウモリといった動物たちをさながら石像のように固めてしまうのだ。およそ生命が生存できる環境ではない。ここで平然としていられる動物はフラミンゴくらい……と思いきや。
ここに生息している魚がいた。
その名はオレオクロミス・アルカリクス。キフォティラピアの仲間で、ものすごくおおざっぱに言えばスズキに近いグループの魚である。水温40℃、海水以上の塩分濃度、pH10、異常に高い炭酸塩硬度……どれかひとつでも通常の魚類なら生きていられない数値の死の湖で、本種は唯一生息する魚類として繁栄している。
不思議なのは、本種はこの湖でしか生きられないというわけではなく、慣らせば水温25℃、中性の淡水でも問題なく生存し、繁殖まで可能ということである。なのになぜわざわざこんな湖を選んだかは謎だが、なんにせよ生命の神秘を思い知らされる魚といえるだろう。極限環境でもふつうの環境でも生きられる、スペシャリストにしてジェネラリストな生物である。
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関連項目
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