概要
海外で活躍する日本人サッカー選手とは、文字通り海を渡り異国の地で奮闘している日本人サッカー選手のことである。一口に海外挑戦といってもその目的は様々であり、ある者は「世界のトップレベルに揉まれて超一流の選手になろう!」であったり、またある者は「自分はまだまだやれる、必要としてくれるならどこに行ってでもサッカーを続ける!」であったりと多種多様である。
また、FIFA(国際サッカー連盟)には、全部で209の国と地域が加盟している(2014年1月18日現在)という事実が示す通り、サッカーは世界各国で行われており、普段はなかなか報じられないような場所でサッカーをしている日本人も相当な数が存在している。
移籍の情報などもなかなか伝わってこなかったり、また日本ではほとんど無名と言ってもいい選手が無数に海外に出ていたりという事情もあり、この項で個別に触れていくのは困難である。もっと詳しく知りたい人はWikipediaの日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧のページを参照していただくとして、この項ではニコニコ大百科に個別記事を持つ選手を中心に、各国でサッカーをしている、してきた日本人選手を取り巻く状況について触れてみよう。
UEFA(ヨーロッパ)
一般にサッカー日本代表などの報道で「海外組」と呼ばれる選手はまずこの地域でプレーしていると思って間違いはない。四大サッカーリーグと称されることも多い、リーガ・エスパニョーラ(スペイン)、プレミアリーグ(イングランド)、セリエA(イタリア)、ブンデスリーガ(ドイツ)といったリーグを中心に、日本を代表する選手の活躍が毎週のように伝わってくる。しかし、それ以外にも多くのリーグで多くの選手たちが研鑽を積んでいるのも事実である。
ドイツ ブンデスリーガ
「日本サッカーの父」とも呼ばれるデッドマール・クラマー氏がドイツ人であるということもあってか、日本人選手とブンデスリーガとの縁は昔から強いものがある。日本人初のプロサッカー選手と一般には言われている奥寺康彦をはじめ、風間八宏、尾崎加寿夫といった選手がJリーグ誕生以前から挑戦をしてきた土地である。
1990年代後半以降、日本人選手の海外挑戦が盛んになる頃には一時的に勢力を落としていた(「三大」サッカーリーグと呼ぶ時は大抵ブンデスリーガが外されていた)こともあり、当初はあまり日本人選手が所属することも少なかったし、目指していた選手も少なかった。しかし、それも2002年に高原直泰(ハンブルガーSV→フランクフルト)が移籍して「スシ・ボンバー」という愛称でも親しまれたあたりから状況が変わり始める。高原と入れ替わるように2008年にドイツに渡った長谷部誠(ヴォルフスブルク→ニュルンベルク)はブンデスリーガでの優勝を経験するなど、海外に出てから日本代表での地位を確固たるものにした選手の一人であると言える。
2010年には内田篤人(シャルケ04)が、2011年には岡崎慎司(シュトゥットガルト→マインツ)が移籍しコンスタントに結果を残している中で、ひときわ輝きを放ったのが2010年に移籍した香川真司(ドルトムント)であろう。チームの攻撃の中心として活躍し、チームの2連覇に貢献してプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドへと移籍していったのは記憶に新しいところである。
もちろん、レベルの高いリーグであるがゆえに跳ね返されてしまう選手も少なくない。そんな中で、細貝萌(アウクスブルク→レバークーゼン→ヘルタ・ベルリン)や乾貴士(ボーフム→フランクフルト)、清武弘嗣(ニュルンベルク)、大迫勇也(2部の1860ミュンヘン)といった次代の日本代表の中心を担ってほしい選手たちが次々とドイツをプレーの場に選んでいる。
また、女子サッカーの強豪国でもあり、大儀見優希、安藤梢、熊谷沙希、岩渕真奈といったなでしこジャパンの中心選手がプレー経験がある、あるいはプレー中である。
イタリア セリエA
1994年に移籍した三浦知良(ジェノア)はアジア人初のセリエAプレーヤーである。だが、移籍の記者会見で本人に「スポンサー(≒ジャパンマネー)目当てで獲得されたのではないのか?」という質問が出たのに象徴されるように、戦力としてどこまで計算されていたかは定かではない。ケガもあって21試合1得点という結果は本人にとっても不本意なものであっただろうが、ワールドカップ出場経験の無かった国の選手に対する評価の一端がうかがえる。
そんな日本人への評価を覆したのが1998年に移籍した中田英寿(ペルージャ→ローマ→パルマ→ボローニャ→フィオレンティーナ)であった。ペルージャでのデビュー戦に強豪・ユベントス相手に2ゴールを挙げるという鮮烈なデビューを見せると、ローマではセリエA優勝を経験。その後、パルマに移籍してカップ戦のタイトルも獲得するが、ペルージャ移籍当初の移籍金が470万ドル(当時のレートでだいたい6億5000万円)から、パルマに移籍した時の移籍金が約33億円と、日本人の市場価値を大きく引き上げている。後年はチーム戦術や監督との折り合い、自身のケガなどもあって移籍当初ほどの結果は残せなかったが、中田の残した功績は後の日本人選手の礎となっている。
その後は2002年に移籍してきた中村俊輔(レッジーナ)が2005年まで活躍するなど、日本人の移籍も増えていった。名波浩(ヴェネツィア)、柳沢敦(サンプドリア→メッシーナ)、森本貴幸(カターニア→ノヴァーラ)など日本代表での経験も豊富な選手の移籍もあったが、なかなか中田、中村ほどの長い期間で活躍することはかなわなかった。サクセスストーリーを描いたのは2010年にやってきた長友佑都(チェゼーナ→インテル)。下位チームのチェゼーナでスタメンをガッチリ掴み、そんな折に開かれたアジアカップのパフォーマンスもあって注目されると、2011年には移籍期間ギリギリでインテルへの移籍が決定。大学入学当初はトップチームから漏れてスタンドで太鼓叩きをしていた男の成り上がりであった。インテルでもスタメンに定着し、時にキャプテンマークを託されることもあるなどそのサクセスストーリーはまだ続いている。
2014年には本田圭佑(ACミラン)が加わったセリエA。ブンデスリーガほど選手は多くないが、トップクラブに選手がひしめいており、今後も目が離せない。
イングランド プレミアリーグ
ブンデスリーガ、セリエAに比べるとやや日本人は苦戦気味である。2001年に移籍した稲本潤一(アーセナル→フラム→ウェスト・ブロミッチ)がフラム時代にレギュラーであった期間があるくらいで、川口能活(ポーツマス)や阿部勇樹(レスター)、李忠成(サウサンプトン)といったあたりは2部リーグでは出場実績があってもプレミアリーグでは定位置を掴みとれなかった。中田英寿の現役最後のクラブはここ、プレミアリーグのボルトンであった。
鳴り物入りで2012年にやってきた香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)は移籍初年度でリーグ戦でハットトリックを決めるなど活躍を見せるが、ケガや監督の交代なども相まって2年目は苦しい状況にある。同じく2012年に移籍してきた吉田麻也(サウサンプトン)も、初年度はレギュラーを掴んだが2年目は苦戦を強いられ、宮市亮(アーセナル→ボルトン→ウィガン)はレンタル先での出場実績こそあるが、本保有のアーセナルでは出番を掴み取れていないのが実情である。
スペイン リーガ・エスパニョーラ
FCバルセロナやレアル・マドリードといった世界にその名を轟かすビッグクラブが存在するリーガ・エスパニョーラ。だが、現実にはこの2強が富も選手も独占している傾向にあり、ちょっと歪んだ構造にある。残念ながらこの2チームで日本人選手がトップチームに所属して出場した実績は無い。
1999年に移籍した城彰二(バリャドリード)をはじめ、2005年の大久保嘉人(マジョルカ)、2009年の中村俊輔(エスパニョール)など日本代表での出場経験も豊富な選手たちが挑戦していったが、ケガや適応力に苦しみ、そのほとんどが2年ともたずにチームを離れている。状況としてはプレミアリーグ以上に日本人にとって厳しいものとなっている。
コアなサッカーファンなら、現在FCバルセロナの下部組織に所属する天才少年・久保建英を知っているかもしれない。川崎フロンターレのジュニアチームから10歳にしてスカウトされ、バルセロナに渡っているが、トップチームへの道のりはまだまだ遠い。今はその成長に期待しよう。
オランダ エール・ディビジ
いわゆる四大サッカーリーグ以外で日本人選手の活躍が目立つのがオランダの地である。その道を切り開いたのは2001年に移籍してきた小野伸二(フェイエノールト)である。移籍初年度にUEFAカップの獲得に貢献するなど、5シーズンに渡ってチームに在籍。ケガがちであったためにフルシーズンでの活躍こそ多くなかったが、その後の日本人選手が活躍する礎を築いた。
2008年にやってきた本田圭佑(VVVフェンロ)は、オランダでその名声を大きく高めた選手の一人である。一度は2部落ちも経験したが、2部リーグでゴールへの嗅覚を磨くなどプレイスタイルを大きくレベルアップさせ、1部復帰をさせると1部でも中心選手として活躍し、ロシア、その後のイタリア・セリエAへのステップアップの第一歩を刻んだ。
それ以外では、2005年の平山相太(ヘラクレス)、2010~12年の吉田麻也(VVVフェンロ)、2011~13年の安田理大(フィテッセ)やカレン・ロバート(VVVフェンロ)、2011年にレンタルでやってきた宮市亮(フェイエノールト)、2012年から活躍するハーフナー・マイク(フィテッセ)と、それなりに試合に出場してチームに貢献する選手が出ているが、どうしても四大リーグよりも報道での露出度が少なく、なかなか日本代表の中心へ……とまでは至らないことも多い。
それ以外の主なリーグ
フランス
リーグとしては老舗だが、日本人選手との縁はそれほど強くない。最も活躍したのは松井大輔(ル・マン→サンテティエンヌ→グルノーブル→ディジョン)か。ル・マン時代はチームを2部から1部へ押し上げ、4シーズンにわたって活躍。その後は3つのチームを渡り歩いている。
男子だけでなく女子の活躍もあり、以前は鮫島彩が、現在は宇津木瑠美といったあたりが出番を勝ち取っている。
ロシア
2010年から4シーズン在籍した本田圭佑(CSKAモスクワ)が突出した存在である。UEFAチャンピオンズリーグにも3度の出場、リーグタイトルも獲得するなど、チームの中心として活躍し、イタリア・セリエAへの移籍へと繋げていった。それ以外では巻誠一郎(アムカル・ベルミ)や松井大輔(トム・トムスク)といったあたりが在籍した経験があるが、いずれも短期間でチームを去っている。
ベルギー
2010年に移籍してきた川島永嗣(リールセ→スタンダール・リエージュ)がいずれのクラブでも正GKの座を掴む活躍を見せている。現在までGKの海外移籍では最も成功した例と言えるだろう。その他では鈴木隆行(ヘンク→ゾルダー)などがプレー経験があるものの、川島ほどの活躍を見せるには至っていない。
スコットランド
2005年に加入した中村俊輔(セルティック)が特に著名。UEFAチャンピオンズリーグでの日本人初得点を挙げたり、リーグ戦でのMVPを獲得したりと、4シーズンに渡ってチームの中心として活躍した。
スイス
日本代表での経験も豊富な中田浩二(バーゼル)が約2年間在籍し、リーグ優勝に貢献もした経験がある。2013年には若手有望株の久保裕也(ヤングボーイズ)が移籍し、今後の飛躍が期待されるところである。
ルーマニア
日本人にとってはあまり馴染みのない土地であるが、ここで活躍しているのが瀬戸貴幸(アストラ・ジュルジュ)である。フットサルで腕を磨くと2007年に当時3部にいたチームに移籍。そこで主力に定着すると2部→1部とチームをステップアップさせ、7シーズン目の今でもチームに在籍している。ニコニコ大百科にも個別記事があるのでぜひそちらも参照していただきたい。コアなサッカーファンからは「日本代表の秘密兵器」として名前が挙がることもある。
AFC(アジア)
ヨーロッパ各国のリーグに比べるとどうしても格が落ちてしまうこともあり、一線級の選手が出ていくことはこれまで少ないのが実情である。ただ、東南アジアを中心に提携が進んでいる地域もあることで、こうした状況が今後変わっていく可能性はある。現状は、日本で無名だった選手が名を上げるために武者修行を積んでいたり、キャリアのピークを過ぎようとする選手が最後の灯を燃やし尽くそうとしたりという場かもしれないが、経済の発展状況によってはJリーグがブラジルやヨーロッパ各国から助っ人外国人を招いたように、アジア各国のリーグで一線級の日本人選手が助っ人として招かれる日もくるかもしれない。
東南アジア
近年Jリーグがリーグ間提携を推し進めていることもあり、急速に日本との距離が縮まってきているのが東南アジアである。地域によってはJリーグのクラブが下部組織を持っていたりする関係もあって、単純な頭数ではかなりの日本人選手が活動している。
タイ
日本をはじめとした東アジア各国や、中東諸国、中央アジア各国、オーストラリアには水を空けられているとはいえ、代表レベルでもクラブレベルでも東南アジアでは屈指の実力国。2013年のAFCチャンピオンズリーグではブリーラム・ユナイテッドがベスト8まで勝ち残る健闘を見せるなど、ナメてかかると痛い目を見かねないのがタイという国である。
元々日本人選手の在籍は少なくなかったが、2013年のオフは過去に例を見ないレベルで多くの選手がタイのクラブへと移籍していった。その中には岩政大樹(テロ・サーサナ)、茂庭照幸(バンコク・グラス)、西紀寛(ポリス・ユナイテッド)といった「Jリーグで数百試合に出場」し、「日本代表召集経験」もあり、「まだ30代前半の働き盛り」という選手も含まれている。ヨーロッパでの実績もあるカレン・ロバート(スパンブリー)を含め、こうした選手の活躍が東南アジアでの日本人選手の立ち位置に一石を投じる……かもしれない。
シンガポール
Jリーグのアルビレックス新潟の下部組織である、アルビレックス新潟シンガポールというチームがあり、2004年から現地のSリーグに参戦している。Sリーグは外国籍のチームも受け入れており、このチームは特例として全員日本人でも試合に出場することが出来る。こうしたこともあって日本人在籍選手は多いが、ここで育って日本に帰り一線級の選手に……という例はほとんどない。が、今後の東南アジアサッカー界のレベルアップによってはこうした地道な活動が実を結ぶ日がくるかもしれない。なお、アルビレックス新潟は2014年からカンボジアにも同様のチームを作ってアルビレックス新潟プノンペンとしての活動も行う予定である。
変わり種としては2004年から6年間プレーした新井健二(アルビレックス新潟シンガポール→シンガポール・アームド・フォーシズ)。予選を勝ち抜いてAFCチャンピオンズリーグへ出場し、鹿島アントラーズと対戦した時に多少報道もあったので、コアなサッカーファンなら覚えている人もいるかもしれない。
東アジア
韓国
年俸格差が大きく、Kリーグ(さりげなくKリーグ・クラシックと名称変更が2013年に行われているが認知度は低い)の年俸よりもJ2のクラブの年俸の方が高いという傾向にある。さらにお国柄も絡むのか、アジア枠を活用して韓国からJリーグに来る選手に比べ、日本からKリーグに行く選手は極端に少ない。Kリーグにもアジア枠はあるにも関わらず、である。
多少なりとも話題を呼んだのは2003年に移籍した前園真聖(安養LG→仁川ユナイテッド)や、2010年の高原直泰(水原三星)あたりだが、前園は現役選手として最晩年であり、高原もJリーグで構想外となっての移籍であった(高原は後にJリーグに復帰)。現在はエスクデロ・セルヒオ(FCソウル)がチームの主力としてAFCチャンピオンズリーグでの準優勝に貢献、馬場憂太(大田シチズン)、増田誓志(蔚山現代)といったJリーグで定位置を掴み切れなかった中堅どころの選手と共に活躍している。
中国
リーグ戦では外国人枠がなんと7人もある国であり、自国の選手よりも助っ人選手の方が多いということが起こりえるのが中国サッカーである。そして、韓国同様のお国柄も手伝ってか、日本人選手が行くことは決して多くない。
選手よりも話題を呼んだのが2012年から2シーズンに渡って指揮を執った岡田武史監督(杭州緑城)というのも皮肉な話である。選手としては岡田在任中の2013年にレンタル移籍した大黒将志(杭州緑城)あたりが実績あり。かつて日本代表監督であったフィリップ・トルシエが監督を務めるチームに在籍する楽山孝志(深セン紅鑚)が2部リーグではあるが主力。何かしら日本に縁のある監督でもいないと飛び込みづらいのかもしれない。
香港
Jリーグの横浜FCが現地のクラブの運営権を買い取り、横浜FC香港というクラブを運営している。前述したアルビレックス新潟シンガポールとは異なり特例があるわけではないので、日本人選手の参加は限定的なものではあるが、指導者の交流などを今後図っていくとのこと。
日本代表経験者としては2009年に岡野雅行(天水圍飛馬)が移籍した時に話題になった。現在では、中南米やヨーロッパのクラブを渡り歩いた福田健二(横浜FC香港)などが所属している。
それ以外の主なリーグ
オーストラリア
2006年のドイツワールドカップでの対戦、その後のAFCへの転籍以降日本のライバルとして代表でもクラブでも立ちはだかることの多いオーストラリアだが、現在のAリーグは2004年の発足とまだ歴史は浅い。
2005年に新生・クラブワールドカップへの出場が決まっていたシドニーFCがゲストプレイヤーというAリーグの制度を利用して三浦知良(シドニーFC)を招いたことでも話題になった。2012年には小野伸二(ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ)が移籍。移籍先は新規参入のチームで、小野は中心選手としてレギュラーシーズンの優勝に貢献した。
シンガポールの項で触れた新井健二と似た例として、森安洋文(シドニーFC)がいる。所属していた三菱水島FCがJFLを脱退したことで移籍を決断、日本国内のテストに不合格になった後に単身シドニーへと渡った選手である。テストに合格してシドニーFCとの契約を勝ち取ると、AFCチャンピオンズリーグで鹿島アントラーズと対戦。日本凱旋を果たし、新井同様ニュースになったこともある。森安はその後帰国して現在はJ2のFC岐阜に在籍。2013年は29試合に出場するなど、逆輸入選手として活躍している。
その他の地域
南米
サッカーどころの南米ではあるが、ヨーロッパに比べると日本人選手の一線級が向かうことは少ない。バリバリの日本代表選手としては2001年にアルゼンチンへ高原直泰(ボカ・ジュニアーズ)が移籍したが、現地の通貨危機もあって在籍期間は半年ほどに留まった。話題を呼んだのは2001年にパラグアイで優勝を経験した廣山望(セロ・ボルテーニョ)。リーグ戦でスタメンで活躍していたことから、パラグアイ移籍後に日本代表初召集を経験した。廣山はその後、ブラジルやポルトガル、スペインと各地のクラブを渡り歩いた。他に、ペルーで4シーズンプレーした澤昌克(シエンシアーノなど)が主力として活躍、日本に逆輸入された後もレギュラーポジションを掴んでいる。
ブラジルはJリーグ開幕以前に三浦知良(サントス、キンゼ・デ・ジャウー、コリチーバなど)が在籍していたことでも有名。日系人の多い土地柄や、ブラジルとの繋がりが強いクラブも多いことから、レンタル移籍で武者修行に赴く日本人選手は少なくない。代表例としては鈴木隆行(CFZ・ド・リオ)など。2013年にJリーグで大ブレイクした川又堅碁(カタンドゥベンセ)もブラジルへの短期レンタル経験組である。
北中米
アメリカ・カナダで展開するメジャーリーグ・サッカーが中心的な存在か。他国の項にも登場した鈴木隆行(ポートランド)が3シーズン在籍したり、日本代表経験者でもある平野孝(バンクーバー)、小林大悟(バンクーバー)といったあたりがレギュラー格として活躍してきた。
変わり種は木村光佑(コロラド→ポートランド→ニューヨーク)。アメリカの大学を卒業し、ドラフトで指名されてプロ入りした選手で、現在まで7シーズンで3チームに在籍し、150試合以上に出場してきた。アメリカのサッカーを話題にする時に、コアなサッカーファンが話に出すこともある、知る人ぞ知る選手の一人である。
アメリカの場合は女子サッカーも盛んであり、澤穂希や宮間あや、鮫島彩といったなでしこジャパンの主力組も数多く挑戦してきた。だが、アメリカの女子サッカーリーグは出来ては潰れ、出来ては潰れを繰り返しているために、長い期間活躍したくても出来ないという実情がある。
関連項目
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