ケヴィン・デ・ブライネ(Kevin De Bruyne 1991年6月28日 - )とは、ベルギー出身のサッカー選手である。
イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティFC所属。サッカーベルギー代表。
181cm76kg。ポジションはMF(OH、IH)。利き足は右足。
概要
ベルギーのヘント出身。テクニック、運動能力、オフ・ザ・ボール時の労働量、視野の広さ、クロスの精度、幅広いパス範囲、そして両足での強力な長距離シュート力を兼ね備えた完成度の高い司令塔であり、マンチェスター・シティの攻撃の中心として長年君臨している。
母親はイングランド人であり、幼い頃からサッカー選手としての才能が高く評価されていた。ただ少年時代は大人しい性格だったらしく、15歳の頃にはそれが理由で里親から拒絶された経験を持っている。
エデン・アザールやロメル・ルカク、ティボ・クルトワらと並ぶ「ベルギー黄金世代」の中心選手であり、それまでは中堅国となっていたベルギー代表を世界でもトップクラスの強豪国へと押し上げている。2018 FIFAワールドカップでは強豪ブラジルを撃破するゴールを決めるなど活躍し、母国を過去最高成績となる3位入賞に導いている。
若くしてイングランドのチェルシーに引き抜かれるが、当時監督だったジョゼ・モウリーニョからの評価が低かったことからレンタルに出された挙句、放出されている。しかしドイツのブレーメンやヴォルフスブルクで活躍し評価を高めると、2015年からはプレミアリーグのマンチェスター・シティでプレー。ジョゼップ・グアルディオラ監督の指導によって世界最高クラスのMFに成長し4度のリーグ優勝に貢献、2020年と2021年には2年連続でPFA年間最優秀選手賞に選ばれ、2022-23シーズンにはトレブル(三冠)獲得に貢献。
正確無比な右足のキックは「悪魔の右足」と称されるが、左右両脚でずば抜けて高いキックを蹴ることができる。サッカーIQも高く、スペースをうまく活用し、予測する能力も高い。得点力も高いが、特筆すべきはアシストの数で2019-20シーズンにはプレミアリーグで驚異の20アシストを記録。
なお、メディアによっては「デ・ブルイネ」と表記されることもある。
経歴
ベルギー時代
父親はベルギー人、母親はイングランド人という家庭に生まれる。父親が石油産業で働いており、両親の愛情を受けながら育っている。ちなみに少年時代の好きなチームは奇しくも後にライバルチームとなるリヴァプールFCであり、お気に入りの選手はマイケル・オーウェンだった。
4歳の頃からサッカーを始め、6歳で地元のKKVドロンゲンでプレーするようになる。すでに地元メディアからは神童として注目される程、高い才能を見せていた。少年サッカー時代、怒りの余りサッカーゴールのポストにしがみついて一向に離れなかったことがあり、3人がかりで引き離そうとしても、引き剥がすことができないほど頑固な一面を見せていた。なお、理由はピッチの掃除をせず、監督から怒られたことだった。
2003年にKAAヘントのユースチームへ移籍し、14歳になった2005年には強豪クラブであるKRCヘンクのユースチームに所属する。それに伴い、親元を離れてクラブから紹介された里親に預けられて生活するようになる。だが、大人しく、口数の少ない性格が理由に里親から下宿を拒絶されてしまう。子供ながらに人格を否定されるというきつい経験を味わうが、この経験を糧により一層サッカーに打ち込むようになり、拒絶した里親が手の平を返して近づいてくるほど選手として成長する。
ヘンク
2008年にKRCヘンクのトップチームに昇格しプロ生活をスタートさせ、翌年5月9日のシャルルロワSC戦で18歳にしてデビューを果たす。
2009-10シーズンになると出場機会を増やして主力に定着。2010年2月7日には、名門スタンダール・リエージュ戦でプロ初ゴールを記録。
2010-11シーズンには、32試合5得点という成績を残し、ヘンクのジュピラー・プロリーグ優勝に貢献。クラブでも最高クラスのタレントと称されるようになる。
ヘンクでは2011-12シーズンまでの4シーズンプレーしており、公式戦113試合17得点という成績を残した。
チェルシー(ブレーメンへのレンタル)
ヘンクでの活躍が認められ、2012年1月に母親の母国でもあるイングランド・プレミアリーグの強豪チェルシーFCに670万ポンドで移籍(契約期間は5年半)。最初の半年はレンタルという形で引き続きヘンクでプレーしている。
2012年8月にはドイツブンデスリーガのヴェルダー・ブレーメンにレンタル移籍。9月15日のハノーファー96戦で初ゴールを記録すると、正確無比な右足のキックによってチームの攻撃の中心として存在感を見せるようになる。最終的に公式戦10得点10アシストの活躍を見せ、ブンデスリーガでもトップクラスのMFとしてドイツのメディアから高く評価される。
2013年7月1日に保有先のチェルシーに復帰し、2013-14シーズンはチェルシーでプレーすることになる。
しかし、当時の監督ジョゼ・モウリーニョから「地に足のつかない子供」と酷評されるなど、練習中の態度を問題視され構想外になり、リーグ戦の出場はわずか3試合にとどまっていた。
ヴォルフスブルク
モウリーニョ監督から直々に中盤で6番手と言われたことでチェルシー退団を決意し、出場機会を求めて2014年1月にドイツ・ブンデスリーガのVfLヴォルフスブルクに移籍。背番号は「14」。すぐにチームの主力に定着すると、ブレーメン時代に見せたクオリティの高いプレーを披露し、チームの5位フィニッシュに貢献する。
2014-15シーズンは、エースとして躍動。ヴォルフスブルク躍進の主役となり、2015年1月30日ブンデスリーガ第18節首位バイエルン・ミュンヘン戦では2ゴール1アシストの大活躍で絶対王者を4-1で粉砕する立役者となっている。最終的にブンデスリーガ全34試合に出場、10得点20アシストの大活躍でチームを2位に導く。UEFAヨーロッパリーグでも2015年3月12日のラウンド16 1st legでインテルを相手に決勝ゴールを含む2ゴールの活躍を見せ、ベスト8進出をもたらす。また、5月30日のDFBポカール決勝ボルシア・ドルトムント戦では、前半33分に決勝ゴールとなるミドルシュートを決め、ヴォルフスブルクの初優勝に貢献。これらの活躍が評価され、ブンデスリーガの年間最優秀選手賞も受賞。並外れた活躍を見せたことで当然ビッグクラブの注目の的となり、シーズン後には移籍の噂が紙面を賑わせた。
マンチェスター・シティ
2015年8月30日にクラブの歴代最高の移籍金5500万ポンドでイングランドプレミアリーグの強豪マンチェスター・シティFCに移籍(契約期間は6年)。加入後すぐにスタメンに定着し、9月19日のウェストハム・ユナイテッドFC戦でシティ加入後初ゴールを記録。シーズン途中にけがで2カ月離脱するも、公式戦41試合に出場し16ゴール14アシストと活躍した。
2016-17シーズンはジョゼップ・グアルディオラが監督に就任すると、すぐに信頼をつかみ取り、9月10日のマンチェスターダービーでは1ゴール1アシストの活躍で勝利に貢献。これまではトップ下が主戦場だったが、グアルディオラ監督によって1列下がったIHにコンバートされ、ハーフスペースの使い方を指導されたことにより、世界最高峰のMFとして進化する。CL第4節ホームでのFCバルセロナ戦では1-1の局面で直接FKを決めるなどビッグゲームでも存在感を示し中心選手に成長、シーズン18アシストを記録しプレミアリーグのアシスト王に輝く大活躍を見せた。
2017-18シーズンも第7節の古巣チェルシー戦でゴールを決めるなど圧倒的なパフォーマンスを見せ、プレミアリーグ首位を独走するチームを牽引。ダビド・シルバと形成した中盤は世界最高のクオリティと称賛されるようになり、5レーンを活用したポジショナルプレーを実践するグアルディオラ監督から絶大な信頼を置かれたことで世界屈指のプレーメーカーと称されるようになる。最終的にリーグ戦37試合に出場し、2年連続でのリーグトップとなる16アシストを記録。この年から新設されたプレミアリーグ・プレーメーカー・アワード(アシスト王)を受賞。シティのプレミアリーグ優勝に大きく貢献することとなった。
2018-19シーズンは、リヴァプールとのハイレベルな優勝争いを演じるチームの中、自身は怪我で大きく出遅れてしまう。復帰後もコンディションが万全ではなく、ベルナルド・シウバやイルカイ・ギュンドアンにポジションを明け渡すことも多くなり、シティはリヴァプールとのデッドヒートを制してリーグ連覇を果たすが、自身にとって不本意なシーズンとなった。それでも、FAカップ決勝のワトフォード戦では、2アシストの活躍でタイトル獲得を引き寄せ、国内三冠に貢献する。
2019-20シーズンは万全の状態でシーズンに入り、第3節のボーンマス戦でプレミアリーグ通算50アシストを達成し、開幕から4試合連続でアシストを記録。チームは怪我人が続出したこともあってリヴァプールの独走を許し、三連覇を逃したが、高いパフォーマンスを見せ続けて孤軍奮闘。35試合に出場し、プレミアリーグ移籍後初の二桁得点となる13得点を記録。さらに、アシスト数は2002-03シーズンにティエリ・アンリが作り出したプレミアリーグ記録に並ぶ20アシストに到達。2シーズンぶり2度目となるプレミアリーグのアシスト王のタイトルを獲得。さらに、プレミアリーグ年間最優秀選手賞とPFA年間最優秀選手に選出されている。
2020-21シーズンは、ダビド・シルバが退団したことで負担が増え、チーム状態も悪いこともあって自身への依存度が高まることとなる。それでも低調なチームの中で孤軍奮闘を見せ、2021年1月14日のブライトン戦でフィル・フォーデンのゴールをアシストし、プレミアリーグでの通算75個めのアシストを記録。ティエリ・アンリを抜いてリーグの歴代最多アシスト記録保持者となる。1月20日のアストン・ヴィラ戦で負傷し、戦線を離脱するが、チームは驚異的な連勝記録を見せるほどチーム力が高まり、プレミアリーグ首位を独走する。復帰後は偽の9番としてのプレーする機会が増え、プレミアリーグ優勝に貢献。史上3人目の2年連続PFA年間最優秀選手賞を受賞。CLでは、準決勝のPSG戦で幸運な形のアウェイゴールを決め、このゴールが勝負を決定づける大きな意味を持つことになる。しかし、決勝のチェルシー戦では後半15分に鼻骨と左眼窩底を負傷し交代となり、チームもデ・ブライネ離脱の影響が響いてあと一歩で悲願のビッグイヤー獲得を逃す。
2021-22シーズンは、EURO2020での負傷の影響でコンディションを取り戻せず、ボーロロストやパスミスが目立ち、決定的な仕事をすることもあるが、本来のパフォーマンスを発揮できずにいた。追い打ちをかけるように11月に新型コロナウィルスに感染し、後遺症によってコンディションの回復に苦しむこととなる。それでも、2022年に入ってから調子を取り戻すようになり、3月5日のマンチェスター・ユナイテッドとのマンチェスター・ダービーでは2ゴールを奪うなど圧巻のパフォーマンスで4-1の大勝に貢献。4月には、CL準々決勝1st legアトレティコ・マドリード戦、プレミアリーグの首位攻防戦となったリヴァプール戦という重要な試合を含め、公式戦4試合連続ゴールを記録。5月11日のウォルバーハンプトン戦では自身キャリア初となる1試合4ゴールを達成。5月22日の最終節アストン・ヴィラ戦では、絶妙なパスでイルカイ・ギュンドアンの逆転ゴールをアシストしシティのプレミアリーグ連覇を演出。ゴール数はキャリアハイとなる15ゴールを記録し、史上4人目となる2度目のプレミアリーグ年間最優秀選手賞を受賞。
2022-23シーズンには、アーリング・ハーランドが加入したこともあって再びチャンスメーカーの役割に徹するようになり、2022年10月2日のマンチェスター・ユナイテッドとのマンチェスター・ダービーでは前半だけで2アシストを記録するなど、開幕から9試合9アシストという驚異的なスタッツを残す。後半戦もワールドカップの疲労を感じさせず、卓越した戦術眼とテクニックを武器にチームの攻撃を牽引。2023年4月10日のサウサンプトン戦ではハーランドへのアシストでプレミアリーグ通算100アシストを達成。4月26日のプレミアリーグ第33節アーセナルとの優勝を争う天王山では2ゴール1アシストの大活躍でリーグ優勝を決定づける勝利に導く。CL決勝のインテル戦では2年前と同じようにハムストリングの負傷で前半でピッチを去るが、チームは初のビッグイヤー獲得を達成。ハーランドという最高の相棒を得たこともあってリーグでのアシスト数は自己最多の最多16アシストを記録、自身4度目のアシスト王となる。ビッグマッチを中心に勝負所での決定的な仕事も光り、シティの三冠獲得の偉業に欠かせない存在だった。
2023-24シーズンはイルカイ・ギュンドアンが退団したことでキャプテンに任命される。しかし、自身はCL決勝でのハムストリングの負傷が長引いてプレシーズンでピッチに立てず、2023年8月11日のプレミアリーグ開幕戦バーンリー戦で同じ個所を再び痛めてしまい、前半で交代。その後手術を受け、長期の戦線離脱を余儀なくされる。2024年1月13日、第21節ニューカッスル戦で半年ぶりにピッチに復帰すると、この試合で途中出場ながらも1ゴール1アシストの活躍で勝利に貢献。するとこの復帰戦からリーグ戦で4試合連続アシストを記録。2月24日のFAカップ5回戦ルートン・タウン戦では4アシストという圧巻の数字を残し、なんと復帰から1か月ほどで公式戦のアシスト数が二桁に到達する。4月6日のクリスタル・パレス戦では2ゴール1アシストの大活躍を見せ、クラブでの通算100ゴールを記録。最終的に公式戦6ゴール11アシストとシーズン後半戦のみ稼働した選手とは思えない数字を残し、シティに在籍してから6度目のプレミアリーグ優勝を果たす。
2024年夏にサウジアラビアへの移籍が報道されるが、2024-25シーズンもシティでプレーすることを決断する。
ベルギー代表
U-18、U-19、U-21と各年代のベルギー代表に選出され、同い年のエデン・アザールと共にベルギー黄金世代の中心として期待される。2010年8月11日、フィンランド代表との親善試合で19歳にしてフル代表デビュー。もっともアザールのようにすぐに代表に定着できたわけではなく、2012年にマルク・ヴィルモッツ監督が就任し、世代交代が進められるようになったことでレギュラーを獲得。2012年10月12日のW杯予選・セルビア戦で代表初得点を挙げた。
2014年6月にブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップでは、中心選手として活躍。グループリーグ第1戦のアルジェリア戦でマルアン・フェライニの同点弾をアシストしてマン・オブ・ザ・マッチに選出される。決勝トーナメントでも、1回戦のアメリカ戦で延長前半3分に先制点を挙げ勝利に貢献する。しかし、準々決勝のアルゼンチン戦はフル出場するも1-0でチームは敗退。
EURO2016予選では5得点を記録し、チームの予選突破に貢献。大会屈指のタレント軍団として大きな期待が寄せられたUEFA EURO2016本大会では、連携が乏しく低調な内容だったチームの中、アイルランド戦でロメロ・ルカクのゴールをアシストするなど、攻撃の中心として牽引。グループ2位で決勝トーナメントに進出するも、ウェールズに3-1で敗れ準々決勝敗退。
ロシアW杯予選では、チームは圧倒的な強さで本大会出場を勝ち取るが、ロベルト・マルティネス監督にボランチで起用されていたこともあってプレーが制限されてしまい、マンチェスター・シティで見せるようなクオリティを発揮できずにいた。フラストレーションが溜まったのか、たびたびチームの戦術を批判するようなコメントを出すようになり、物議を醸す。
2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会でも、引き続き中盤の底で起用されていたこともあり、グループリーグ3試合で本来のパフォーマンスと比べると物足りない内容となっていた。ラウンド16の日本戦で、2点ビハンドを背負うまさかの展開になると、後半20分からポジションが1列前に上がる。すると、水を得た魚のようにエンジンがかかるようになり、試合終了直前のナセル・シャドリの逆転ゴールの起点になるなど、逆転劇の中心となる。準々決勝のブラジル戦では偽の9番として起用され、再三カウンターの起点となり王国ブラジルを圧倒する。前半31分には美しいミドルシュートを決め、ブラジルの息の根を止める。MOMにも選ばれ、ブラジル撃破の立役者となった。準決勝のフランス戦でも奮闘するが、チームはフランスの守備陣に抑えこまれ、完敗。3位決定戦のイングランド戦では、アザールのゴールをアシストし、ベルギーのW杯最高成績となる3位獲得に貢献する。
2021年6月に開催されたEURO2020では、CL決勝で負った負傷の影響でグループステージ初戦は欠場となり、第2節のデンマーク戦で1点リードを許した後半から途中出場すると、1ゴール1アシストの活躍によって逆転勝利をもたらしている。スタメン復帰となった第3節のフィンランド戦でもルカクのゴールをアシストし、MOMに選ばれている。しかし、ラウンド16のポルトガル戦で相手のタックルを受けて左足首を負傷し、後半早々にピッチを後にする。準々決勝のイタリア戦では強行出場をするが、本来のコンディションとは程遠く、チームも1-2で敗れている。
2022 FIFAワールドカップ・カタール大会でも攻撃の中心として期待されるが、チーム全体が低調だったこともあって孤立する場面が多く、所属チームで見せるようなクオリティを発揮できずにいた。それでも、チーム内では断トツのチャンスクリエイト数を記録したものの、チームメイトが決めきれなかったこともありグループリーグ敗退というまさかの結果に終わる。3試合全てにフル出場したが、カナダ戦のMOMに選出されたときも自分のプレーへの不満を口にするなど、不完全燃焼の大会となった。
2023年3月21日、エデン・アザールの代表引退に伴い、新キャプテンに就任することが発表される。キャプテンとしての初試合となったドイツとの親善試合では1ゴール2アシストを記録し、1954年以来のドイツ相手の勝利に貢献する。2024年6月にドイツで開催されたEURO2024でもキャプテンとして選出され、大会直前のモンテネグロとのテストマッチで代表通算100キャップを達成。本大会では第2戦のルーマニア戦で試合を決める2点目を決めている。大会では全4試合にフル出場し、チームトップとなるチャンスクリエイトを記録するなど奮闘するが、チームはラウンド16でフランスに敗れ、不本意な成績に終わっている。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2008-09 | ヘンク | ジュピラー・プロ・リーグ | 2 | 0 | |
2009-10 | ヘンク | ジュピラー・プロ・リーグ | 35 | 3 | |
2010-11 | ヘンク | ジュピラー・プロ・リーグ | 32 | 5 | |
2011-12 | ヘンク | ジュピラー・プロ・リーグ | 28 | 8 | |
2012-13 | ブレーメン(loan) | ブンデスリーガ | 33 | 10 | |
2013-14 | チェルシー | プレミアリーグ | 3 | 0 | |
ヴォルフスブルク | ブンデスリーガ | 16 | 3 | ||
2014-15 | ヴォルフスブルク | ブンデスリーガ | 34 | 10 | |
2015-16 | ヴォルフスブルク | ブンデスリーガ | 1 | 0 | |
マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 25 | 7 | ||
2016-17 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 36 | 6 | |
2017-18 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 37 | 8 | |
2018-19 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 19 | 2 | |
2019-20 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 35 | 13 | |
2020-21 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 25 | 6 | |
2021-22 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 30 | 15 | |
2022-23 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 32 | 7 | |
2023-24 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 18 | 4 | |
2024-25 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ |
個人タイトル
- ドイツ年間最優秀選手(2015年)
- プレミアリーグ年間最優秀選手賞:2回(2019-20、2021-22)
- PFA年間最優秀選手賞:2回(2019-20、2020-21)
- PFA年間最優秀選手賞:2回(2019-20、2020-21)
- PFA年間ベストイレブン:5回 (2017-18、2019-20、2020-21、2021-22、2022-23)
プレースタイル
主にトップ下やサイドハーフなど2列目でプレーしていたが、ジョゼップ・グアルディオラが監督に就任してからはインサイドハーフでプレー。それまではライン間やバイタルエリアを主なプレーエリアとしていた選手だったが、ハーフスペースの支配者としてゲームメイクに携わるプレイヤーとなり、多くの戦術オタクから注目される選手となる。
精度が高く種類が豊富なキックが最大の武器で、右利きだが左足でも正確なパス・シュートが打てる。
ゴールに直結するパスやその一手前のパス、いわゆるアシストのアシストも多く、サイドに流れてからのクロスや、グラウンダーでの長距離のスルーパスを得意としている。特に右サイドから右足で放たれる正確無比なクロスはあのデイヴィッド・ベッカム級の精度を持つと言われている。
戦術的インテリジェンスが高く、また空間把握能力にも優れており、オフザボールの動きやポジショニングでチームの攻撃リズムを引き出すことができる。
また、ミドルレンジからのシュートの精度と威力も世界トップクラス。
欠点と言えば、怪我が多くコンディションを崩しやすいこと。
人物・評価・エピソード
グアルディオラ監督からは「人生で出会った最高の選手の一人」「メッシの次のレベルの選手」などと
度々絶賛されており、ベルギー代表の同僚であるチェルシーFCのエデン・アザールも「プレミアで最高の選手」と語るなど、非常に評価は高く、レアル・マドリードのルカ・モドリッチと並んで現在世界最高のMFの一人である。
14歳で親元を離れ、ヘンクでプレーしていたが、15歳の頃に性格が大人しすぎるという理由で里親から拒絶されてしまう。その後、ヘンクで頭角を現すようになるとその里親は手のひらを返し、近づいてきた。本人はこの経験があったからこそキャリアでの成功があったと語っている。
2014年当時交際していた彼女がベルギー代表のチームメイトであるティボ・クルトワと浮気をし、そのままクルトワに略奪されている。しかも、その彼女は夜の営みについて、「クルトワのほうがうまくて、3年間のデ・ブライネとの生活が一発で吹っ飛んだ」という屈辱的な暴露までされている。ただし、傷心の期間に出会ったグラマーな女性と交際するようになり、2017年に無事結婚している。
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関連項目
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