上田綺世(うえだ あやせ、1998年8月28日 - )とは、日本のプロサッカー選手である。
オランダ・エールディヴィジのフェイエノールト所属。サッカー日本代表。
182cm76kg。ポジションはFW(CF)。利き足は右足。
概要
茨城県水戸市出身。ポジショニングに優れ、得点嗅覚にも長けた万能型ストライカー。法政大学1年生時から活躍し、注目を集めるようになると、2019年7月に大学を中退し、中学生時代に所属していた鹿島アントラーズに入団。2020年から3シーズン連続で二桁得点を記録。2022年7月にベルギーのサークル・ブルッヘへ移籍し、海外に活躍の場を移す。
2022-23シーズンには、海外移籍1年目ながらもベルギーリーグの得点ランキング2位となる22ゴールをマーク。この活躍が認められ、2023年8月にオランダの名門フェイエノールトにクラブ史上最高額の移籍金で移籍している。
日本代表には大学在学中の2019年にデビュー。森保一監督から才能を買われながらも東京オリンピック、2022 FIFAワールドカップでは期待外れに終わったが、第二次森保JAPANになってからは結果を残すようになり、1トップのファーストチョイスに定着している。
経歴
プロ入り前
父、母、姉の4人家族で生まれ育ち、父親が社会人チームでサッカーをしており、元西ドイツ代表FWのユルゲン・クリンスマンに憧れて18番を付けていた。5歳のときに、父親の試合を観戦に行ったときに父が八トリックを決めてチームが大逆転勝利をおさめると、チームを勝たせてヒーローになった父の姿とそれを喜ぶ人々の姿を目の当たりにし、「自分も点を取って周りを喜ばせるストライカーになりたいと」と幼いながらに思うようになりサッカーを始める。
小学校1年生のときに吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団に入団し、本格的にプレーするようになる。ポジションは父と同じFWだった。サッカーに関しては父から一切の妥協を許さない厳しい指導をされ、その父を見返したい一心で当時は努力を惜しまなかった。ただし、父がなぜ厳しいことを言うのかを子供ながらに真剣に向き合っており、自分はどうすればいいのかを考えていた。
中学生になると、水戸市立第四中学校に通いながら鹿島アントラーズのアカデミーである鹿島アントラーズノルテに在籍。地元の憧れのクラブである鹿島のトップチームに昇格することを夢見て、日々練習に取り組んでいた。しかし、当時の上田は身長が170cm未満と同年代の子と比べて体格が未熟だったこともありユースに昇格することができなかった。
15歳で挫折を経験するが、それでもプロになる夢を諦めず、高校は茨城県の強豪校である鹿島学園高校に進学。いつか鹿島に戻るという反骨心を持ちながら、全体練習の終了後に毎日シュート練習を50本おこなうほど努力を続け、県内ではその名を知らないというレベルの選手に成長。未熟だったフィジカルも2年生の頃には完成し、県リーグでは18試合で33得点を挙げ、プリンスリーグ関東参入戦では昇格決定戦で3得点と大暴れし、チームの昇格に貢献。3年生のときにはチームを全国高校選手権へ導いている。
法政大学
高校卒業後は、法政大学に進学し、大学経由でのプロ入りを目指す。1年生のときから出場機会を得ると、2017年の総理大臣杯で35mの距離からの圧巻のミドルシュートを叩き込むなど、法政大の35年ぶりの優勝に貢献。さらに関東大学リーグの新人王にも輝いている。
2年生になった2018年には、夏のインカレでチームを優勝に導き、関東大学リーグではベストイレブンに選出。海外組もいるプロ選手に混じって東京五輪代表にも選出されるほどの選手となったこともありJリーグ各チームによる争奪戦が始まるが、2019年2月に卒業後の2021年に鹿島アントラーズへ入団することが内定する。
2019年7月には、ユニバーシアード日本代表として初戦のアルゼンチン戦で2得点を決める活躍を見せると、決勝のブラジル戦でハットトリックを達成し優勝に導く。そしてこれがアマチュアとしての最後の試合となった。
鹿島アントラーズ
大学3年生だった2019年7月23日に法政大学サッカー部を退部し、内定していたJ1リーグの鹿島アントラーズに前倒しで入団することが発表される。7月31日、J1第16節延期分の浦和レッズ戦に途中出場し、電撃加入から1週間でプロデビューを果たす。8月10日の第23節横浜F・マリノス戦においてJリーグ初ゴールを記録。初スタメンとなった第25節清水エスパルス戦では2ゴールの活躍を見せ、勝利に貢献。プロ1年目ながらも13試合4得点という結果を残し、次世代のエースとしての期待が集まる。
2020年はエヴェラルドの加入もあってFWのポジション争いが激化し、シーズン序盤は安定した出場機会を確保できずにいた。そんな中、7月18日のJ1第5節横浜FM戦でシーズン初スタメンの機会を得ると、このチャンスに2ゴールの活躍を見せて勝利に貢献。しかし5日後の第6節湘南ベルマーレ戦で右足を負傷し、1か月以上の戦線離脱を余儀なくされる。復帰後も序列はFWの4番手にまで下がる苦しい立場となっていたが、およそ3か月ぶりのスタメンとなった10月21日の第33節ヴィッセル神戸戦で先制ゴールを決めて勝利に貢献。ザーゴ監督からの信頼も回復しレギュラーを掴むと、シーズン終盤の浦和レッズ戦と清水エスパル戦では2試合連続2ゴールの荒稼ぎを見せ、シーズンのゴール数が二桁の大台に到達する。
2021年は背番号を父親が現役時代に付けていたものと同じ18番に変更。Jリーグでは開幕から6試合連続ノーゴールが続くスタートとなったが、4月7日のJ1第8節柏レイソル戦でシーズン初ゴールを決めると、4月で3ゴールを記録。6月16日の天皇杯2回戦Y.S.C.C.横浜ではプロ入り初のハットトリックも記録。この年は、4月に右腕、6月に脚の付け根と二度の負傷に加え、夏の東京五輪出場によって戦線離脱を繰り返したが、オリンピックから戻った夏以降はゴールを量産。8月25日の第26節清水戦では、振り向きざまの鮮やかなミドルシュートを決めている。9月26日の第30節セレッソ大阪戦で2ゴールを決め、2年連続での二桁ゴールに到達。最終的にリーグ戦14ゴール、シーズン通算19ゴールと鹿島のエースストライカーと呼ぶににふさわしい結果を残す。
2022年、2月19日のJ1開幕戦ガンバ大阪戦でチームのシーズン初ゴールを記録するなど2ゴールを決めて勝利に貢献。最高のスタートを切る。3月19日の湘南戦ではドリブルで仕掛けてのミドルシュートというゴラッソを決め、ここからJ1リーグ3試合連続ゴールを記録。ベルギー帰りの鈴木優磨との強力2トップが早速機能し、2月、3月と連続でJ1の月間MVPに選出される。
サークル・ブルッヘ
2022年7月1日、ベルギー ジュピラー・プロ・リーグのサークル・ブルッヘに4年契約で完全移籍することが発表される。背番号は「36」。
移籍後すぐにスタメンで起用されるものの、慣れないトップ下で起用されたこともあってリーグ開幕から調子があがらずにいたが、8月27日の第6節ワーレゲム戦で待望の初ゴールを決める。10月に入るとようやくチームにフィットするようになり、10月21日の第14節シャルルロワ戦で移籍後初の1試合2ゴールを記録。W杯中断期間前の2試合では2試合連続ゴールを決める。2023年2月24日のスタンダール・リエージュ戦では試合終了直前に3試合連続ゴールとなる同点ゴールを決め、ゴール数が二桁の大台に到達する。特にレギュラーシーズンが終盤に差し掛かるとゴールを量産するようになり、第33節シント=トロイデンWW戦では日本代表GKシュミット・ダニエルを相手に2ゴール1アシストの大活躍を見せ、クラブのシーズン最多ゴール保持者となる。プレーオフ2に進出した後も6試合5ゴールをマークし、最終的にリーグ得点ランク2位となる22ゴールを記録した。
フェイエノールト
2023年8月3日、オランダ・エールディヴィジのフェイエノールトへの完全移籍が発表される。背番号は「9」。契約期間は5年。売却額はセルクル・ブルージュのクラブレコードとなる約16億円とされている。
デビューから4戦目となった9月3日の第4節FCユトレヒト戦で移籍後初ゴールを決める。だが、満足な出場機会が与えられないこともあって長らくゴールから遠ざかってしまう。3月17日の第26節SCヘーレンフェーン戦で途中出場からおよそ半年ぶりとなる2ゴール目を決める。シーズン終盤戦に入り、サンティアゴ・ヒメネスの負傷によって出場機会を得ると、第31節から第33節まで3試合連続ゴールをマーク。特に第33節のNECナイトヘン戦では終了間際に決勝ゴールを決めるなど、1ゴール1アシストの活躍ぶりを見せた。
2024-25シーズンも控えFWという立場で開幕から出場機会が十分に与えられない中、2024年9月22日のエールディヴィジ第6節NACブレダ戦で途中出場からシーズン初ゴールを決める。ポジションを争うヒメネスが負傷によって離脱したことでスタメンのチャンスが巡ると、CLのジローナFC戦でPKを外したことも含めてパフォーマンスを批判されるが、第8節トゥウェンテ戦、第9節ゴーアヘッド戦とリーグ戦2試合連続ゴールを決める。10月23日、CLリーグフェーズ第3節ベンフィカ戦では先制ゴールを決め、待望のCL初ゴール及び公式戦3試合連続ゴールを記録。ところが、10月30日のアヤックス戦でハムストリングを負傷。結果を出し始めた矢先に無念の年内離脱となった。
日本代表
東京オリンピックを目的としたU-21日本代表に法政大学在籍時だった2018年の立ち上げ時からメンバー入りし、8月にインドネシアで開催されたアジア競技大会では決勝トーナメントに入って3ゴールを決め、日本の準優勝に貢献。2019年3月22日のU-23アジア選手権予選のマカオ戦では、ハットトリックを記録。森保一監督からこの世代のエースストライカー候補として期待され、常連メンバーとなっていた。
2019年5月24日、ブラジルで開催されたコパ・アメリカ2019に出場する東京オリンピック世代を中心に構成された日本代表に選出。当時はまだ大学3年生であり、大学生がフル代表に選ばれるのはおよそ9年ぶりの出来事となった。6月18日の初戦であるチリ戦でスタメンに出場し代表デビューを飾り、グループリーグ3試合全てに出場。森保監督からは「アヤセ、タタカウヨー」という指示を受けながら奮闘するが、訪れた決定機でシュートミスを何度も犯しノーゴールに終わる。日本代表の敗退後に集計されたデータでは暫定で大会中最も多くの5度の決定機を外しており、悔しい代表デビューとなった。この経験がプロ入りを前倒しする決断を後押しすることになる。
2021年7月に開催された東京オリンピックに出場するU-24日本代表のメンバーに選出。しかし、6月下旬に負った脚の付け根の負傷の影響でコンディション調整が遅れたことに加え、林大地の台頭もあって控えに回ることに。3位決定戦までの6試合全てに出場するがスタメンは1試合のみで満足な出場時間を得られずノーゴールで大会を終える。大会後、メダルを逃した戦犯として森保監督と共に批判の対象となり、自身のWikipediaの記事が荒らされる事態となった。
2022年3月、大迫勇也の負傷欠場もあり2022 FIFAワールドカップ アジア最終予選の最後の2試合を戦う日本代表のメンバーに選出。久々のフル代表での出場となったオーストラリア戦ではゴールは決められなかったが、途中出場で流れを呼び込み、日本のワールドカップ出場決定に一役買う。
2022年11月にカタールで開催された2022 FIFAワールドカップ本大会のメンバーに選出される。グループリーグ第2戦のコスタリカ戦にスタメンで出場するが、ほとんど何もさせてもらえずに前半45分で交代。以降、出場機会は与えられなかった。
2023年6月15日のエルサルバドル戦では自ら得たPKを決め、代表15試合目にして待望の初ゴールを決める。9月9日のドイツ戦では代表2得点目となるチームの2点目を決める。11月16日、2026 FIFAワールドカップ・アジア二次予選初戦のミャンマー戦ではハットトリックの活躍を見せ、記念のボールは癌で闘病中の友人に贈ることを明らかにする。続く11月21日のシリア戦でも2ゴールを決め、2023年の代表戦ではトップの7ゴールをマークしている。
2024年1月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2023では初戦のベトナム戦で後半開始から出場すると、ダメ押しとなるチームの4点目を決めている。第3戦のインドネシア戦で大会初スタメンを飾ると、2ゴールの活躍で勝利に貢献。その後は1トップのスタメンの座を射止め、ラウンド16のバーレーン戦ではオウンゴールを献上するも、直後に巧みなターンからドリブル突破を仕掛け、最後は豪快なシュートを叩き込む圧巻のゴールを決める。準々決勝のイラク戦ではポストプレーで守田英正のゴールをアシスト。この試合でチームは敗れ敗退となるが、チームトップの4ゴールを記録する。
2024年9月10日、北中米ワールドカップ アジア最終予選第2節のバーレーン戦では2ゴールを決め、勝利に貢献し、MOMにも選出。先制ゴールとなったPKの場面では悪質な相手サポーターから顔に無数のレーザーポインターを当てられる嫌がらせを受けながら、冷静に決めている。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2019 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 13 | 4 | |
2020 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 26 | 10 | |
2021 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 29 | 14 | |
2022 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 18 | 10 | |
2022-23 | サークル・ブルッヘ | ジュピラー・プロ・リーグ | 40 | 22 | |
2023-24 | サークル・ブルッヘ | ジュピラー・プロ・リーグ | 0 | 0 | |
フェイエノールト | エールディヴィジ | 26 | 5 | ||
2024-25 | フェイエノールト | エールディヴィジ |
プレースタイル
裏への抜け出しのうまさが武器のストライカーであり、スピードもあるがそれ以上に特徴的なのは世界レベルとも言われるオフ・ザ・ボールの動きのうまさにある。DFとの駆け引きを何度も行い、動きなおしを何度も繰り返してラインの裏へ飛び出すタイプである。カウンター時の、加速するタイミング、走り出す方向、ボールの要求タイミングとすべてが完璧のタイミングで行われる。
大柄な体格ながらも俊敏さに秀でており、一瞬でマークを引きはがしたり、相手の視界から消える動きからゴールを決める。パスの引き出し方もうまく、パサーとしては受け手として有りがたい選手である。足元の技術や高い身体能力も兼ね備えており、ワンタッチゴールのみならず、自ら仕掛けてのミドルシュートなどのゴラッソも多い。往年のストライカーであるドラゴンこと久保竜彦を彷彿とさせるスケールの大きさも感じさせる。
コパ・アメリカでは決定機を何度も外し、批判の対象となったが、彼の自分でゴールのチャンスを作って決定機に持ち込む能力そのものを評価する識者も多かった。プロ入り後はフィジカルレベルが成長し、課題だったポストプレーも改善されている。怪我がちでコンディションが安定しないのが弱点。
エピソード・人物
幼少の頃に地元茨城のクラブである鹿島アントラーズの黄金期を見ており、鹿島への憧れをずっと抱いていた。2019年7月に法政大学のサッカー部を退部し前倒しで憧れの鹿島に入団したが、大学そのものを中退したわけではなく、2020年度にちゃんと卒業している。
鹿島サポーターからの応援チャントはJリーグ創世記に名ストライカーとして活躍した長谷川祥之のものを引き継いだものとなっている。鹿島の新たなエースストライカーとしてサポーターからそれだけ期待されているということだが、上田自身も鹿島の育成組織に在籍した時代にコーチだった長谷川の指導を受けている。自身も「指導者としてお世話になった長谷川さんのチャントを重ねてもらえてうれしい」と話している。
マイペースな性格で、ピッチを離れると天然な一面がある。大学時代は、試合に必要なユニフォームやランニングシューズを忘れてくることがあった。また、大食いであることで知られ、好き嫌いなく何でも食べるが、「うどん大盛にカツ丼+カツ丼」という半端ない量を平らげている。
2022年2月9日、自身のSNSで、モデルの由布菜月と結婚したことを発表。
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