概要
宇都宮餃子は栃木県宇都宮市を代表する名物・ご当地グルメである。
宇都宮市は餃子の街として有名であり、全国的な知名度を持っている。宇都宮には年間1000万人を超える観光客が訪れるが、そのうちの半数が餃子を求めて宇都宮の地にたどり着くという。
B級グルメのはしりとも考えられ、郷土料理を用いた町おこしとしては先進的であった。
特徴
宇都宮餃子は一般的な餃子と比べて野菜が多く、肉は少なめでにんにくはあまり効かせないことが多い。つまり具材や見た目の点では特徴らしい特徴はない。実のところ、特別に目立った工夫のようなものが定義されていないのがふつうである。
具材に着目すると、ニラ・白菜・キャベツといった野菜が多いためにヘルシーであり脂っこさが抑えられているため胃にもたれにくい。そのため餃子3皿1食をたいらげるような人もふつうに存在し、ファストフードとしての面もある。有力店のひとつ「正嗣」のように餃子以外のメニューを一切置かない店も存在する。一方で、専門店で持ち帰りにして晩御飯のおかずにする客のほうが多いというデータもある。
ファストフードとして持ち帰られるために伝統的に単価が比較的安いという特徴もある。
宇都宮餃子の生まれた背景
餃子が宇都宮の地で広く発展したきっかけとして、後述する第14師団が持ち込んだことがはじまりといわれる。
また、戦後すぐの食糧難の時代にも入手しやすかった小麦粉の用途にも関連する。元々小麦加工品としてうどんやせんべい汁(岩手)、ほうとう(山梨)などが育っていた地域ではそれらを食した。戦前からラーメン店が存在していた東京や佐野・札幌・喜多方・久留米・和歌山などでは、それぞれの地で独自の発展をみた。広島のお好み焼き・大阪のたこ焼き・東京のもんじゃ…なども明治以降に新しく粉もんとして発達していた。これらのような既存の小麦加工品が宇都宮に存在しなかったということから、戦後餃子が広まる土壌があったのだと上馬茂一は指摘する。
くわえて、内陸部の宇都宮市では夏は暑く冬は冷える中国北部に似た気候といわれ、餃子がスタミナ強化に適していたという説がある。
さらに市内近辺で小麦・ニラが収穫できて、栃木・茨城といった近郊県で野菜・畜産が発達している環境だったため材料調達が容易であったという点が挙げられる。栃木のニラに関しては宇都宮近郊の鹿沼市や上三川町を中心に栽培されていて生産量は日本一、1950年代から栽培されており餃子とともに発達してきたともいえよう。県ではネギとニラを交配させた「ねぎにら・なかみどり」といった品種も開発されていたりして、餃子の強い影響力をうかがえる。
歴史
古典
宇都宮餃子の起源は第二次大戦中・日中戦争下の満州や華北(中国北東部)にあるとされる。当時衛戍地を宇都宮として同地出身の兵が数万人いたとされる帝国陸軍第14師団が華北やチチハルへの移駐を経て、満蒙開拓団らとともに帰郷した。その際に除隊した兵らが焼餃子の味を覚えて持ち帰り、家庭や近所に広めたのがはじまりだとされる。当初はまだ中国風で皮が厚く肉もたっぷり入っており、現在よりも主食に近かったといわれる。
この焼き餃子が徐々に宇都宮のまちに定着し始める。1951年頃「宮茶房」がメニューの1つとして餃子を掲載したのが確認される最古のもので、こののち1953年頃「蘭鈴」が餃子専門店として登場。1954年頃「忠次」の餃子が大好評を呼んだ。これらの今は亡き店では満州風ではなく中国南部風の飲茶に似た餃子が供されたようだが、いずれにせよその後の宇都宮における餃子文化の定着に大いに係わった。
この後10年で先駆けとなる「珉珉(みんみん), 1958年」そして追う「正嗣(まさし), 1965年」と、宇都宮に現在も残る名老舗が生まれることとなる。
定着
1960年代、いわゆる団塊の世代前後が高校生として現れ、彼ら彼女らが部活帰りの「おやつとしての餃子」という文化を大きく下支えすることとなった。これが宇都宮餃子のファストフード化のはじまりであった。「みんみん」「正嗣」は宇都宮駅近くの中心部、高校への通学路がひしめき合う交錯地帯に店を構えていたのだ。
1970年以降、海外からの黒船「マクドナルド」など本場のファストフードが来襲。今や元祖ともいえるみんみんは高校生の顧客離れに対して、「ライス」をはじめてメニューに導入しランチ路線を開拓。みんみんの「餃子ライス」は当時到来したファミレス時代に同調し、外食産業の成長とともに成功を見た。これが宇都宮餃子の客層拡大と、餃子の副食としての性格を育んだ。
ブランド化
平成のはじめ、宇都宮市職員の沼尾博行は市内で自転車イベント(のちに「ジャパンカップサイクルフェスタ」や漫画「茄子」に繋がる)を成功させたものの、観光に欠かせない市の名物料理は「かんぴょう」「しもつかれ」などしかなく今一つパンチが弱いことを憂いていた。栃木県では日光・那須塩原が頭一つ抜けた観光力を持っているものの、県都たる宇都宮にはなにかアピールポイントに欠ける点があった。
1987年、総理府は家計調査の「一世帯当たり年間支出額」の中に新たに「餃子」という項目を追加した。
1990年、上記の調査において当期まで宇都宮が3年連続「餃子日本一」となっていたことを知った市職員・塚田哲夫が町おこしとして餃子を用いることを提案し、それを聞いた沼尾がこれだ!と飛びついて大きく舵をとった。当時のアンケートによると、実のところ宇都宮が餃子日本一と知っていた市民はごく少数であり、餃子好きの市民こそ多かったものの「宇都宮=餃子」という図式を思い浮かべている市民は皆無だった。
当時はB級グルメという概念もなく、またご当地料理での町おこしもせいぜい福島県の喜多方ラーメンぐらいでほとんど前例がなかった。この「何もない街」状態から宇都宮市は「餃子の街」へと変貌し、そのイメージを全国区へ広めていくこととなる。
メディア露出
1992年には観光協会が主導して餃子食べ歩きガイドを作成、無料配布。
1993年には「みんみん」社長の伊藤信夫が中心となり「宇都宮餃子会」が発足。当初38店が参加し、加盟店の掲載された地図入りガイドブックを作製した。現在では約80店を擁する。
同年以降は官民一体の動きが活発になり、観光戦略に同調して話題作りに協力した。市内の老舗・宇都宮グランドホテルの中華料理店「北京」ではホテル総料理長の堀内英夫が市の動きに同調して「フカヒレ餃子」「イチゴ入り揚餃子」などを含む餃子フルコースを考案しふるまった。1994年には東武宇都宮百貨店が新たに餃子専門店のテナントをオープンさせた。同年、宇都宮発祥の寿司チェーン「元気寿司」が野菜餃子をメニューに加えた。現在も揚餃子寿司が夏季フェアで現われる。
メディア展開については1993年・テレビ東京系「おまかせ!山田商会」が嚆矢となった。宇都宮餃子のPRに目を付けた同番組は完全にタイアップ体制に入り、オリジナルソングやキャラなどの製作にかかわるなど積極的に協力した。翌年には同番組内の企画によって宇都宮駅前に餃子像を作製・設置。番組・市当局ともに予算がなかったためにデザイン・大谷石の調達・加工といった過程を沼尾が人づてに頼り0円で用意された。こののちに他のメディアも追随して反応しはじめ、関東やほかの地方における知名度を大幅に上げることとなった。この縁で山田邦子は「宇都宮餃子会永世伝道師」の役を今も務めている。
1998年には市内に「おいしい餃子とふるさと情報館『来らっせ』」をオープン。こちらも当時は目新しい地域アンテナショップの走りであった。当初半年限定の営業予定だったが好評を博して延長、現在も営業を続けている。
1999年には餃子まつりを初開催。毎年11月の恒例行事になる。
2002年、ブランドイメージを守るため「宇都宮餃子」を地域団体商標登録。
同年、東京のナムコナンジャタウン・池袋餃子スタジアム(現ナンジャ餃子スタジアム)と餃子姉妹都市提携なるものを結んだ。架空の都市との姉妹都市提携は国内初らしい。
ライバルの出現、現在
2007年、ライバルとなる静岡県浜松市が「浜松餃子日本一宣言」。独自の調査方法が乖離しすぎていることから宇都宮側は反発。また同年の「浜松餃子まつり」に宇都宮餃子会非加盟の栃木県外の店が宇都宮餃子として出店していたこともあり軋轢を残した。
同年に農林水産省が発表した「農林漁村の郷土料理百選」に、農山漁村とは縁遠いものの人気の高い「特選」枠として選ばれた。
2008年、外部の中国産冷凍餃子中毒事件(メタミドホス)の発生を受けて風評被害が危惧されたが、早期に「安全宣言」を出したため最小限に抑えられた。
同年、再開発中の東口にあった餃子像を西口に移動する際にうっかり落として大破。この事件のために怪我の功名で餃子像の全国認知度が増えた。『次は何を壊そうか』などとブラックなことをいう広報関係者もいたとか。その後無事修復し「宇都宮餃子会永世伝道師」山田邦子も駆け付けた。
2010年に浜松で開催された「第1回餃子サミット」には先の禍根もあり不参加。翌年の第2回には主催の津市の団体の仲介もあって宇都宮側・浜松側の和解が成立した。
2011年の家計調査では、浜松市が政令指定都市となり調査対象となって以降はじめて餃子購入額全国1位となり、宇都宮市としては1995年の静岡市以来に穴をあけられる結果となったが、宇都宮市では購入額が落ち込んでおり震災の影響も考えられたため浜松市は静観し、宇都宮を激励した。
2012年、地元紙・下野新聞の公式HPに宇都宮餃子日本一奪還計画なるページが立ち上がったが、この年も浜松市が餃子購入額1位となった。
以降浜松との首位争いは内外の注目を集め続け、2013年・2017年は宇都宮が、2014-2016年は浜松が日本一となり、やや浜松餃子がリードといったところである。これには「宇都宮餃子は単価が安いため購入額では不利」という見解もある。宇都宮側は量から質への転換を掲げて小売順位へのこだわりをやめるという意見も出て、浜松側について商売敵というより餃子仲間として考えるという。
ちなみに2021年の日本一は宇都宮でも浜松でもなく、宮崎市だった。第三勢力の出現で果たしてどうなるか注目である。
2018年、秦建日子監督・足立梨花主演の恋愛映画『キスできる餃子』が公開。宇都宮餃子会など地元の協力体制で撮影されている。
また宇都宮餃子の国際化を目指し、ハラールの餃子が開発された。
店舗
宇都宮市内には餃子専門店だけでも多数ある。ここでは一般に「2大餃子店」とも称されるみんみん・正嗣とアンテナショップ・餃子祭りを以下に紹介する。これらはチェーン店舗によっても少しずつ個性が異なる場合もある。前もって調べるのが良い。
みんみん
宇都宮みんみん。ヤキ・スイ・アゲ(焼・水・揚)各1皿6個230円。冷凍餃子・宅配もあり。他メニューはライス・つけもの・ビール。具の野菜は白菜、キャベツ、たまねぎ、ねぎ、しょうが、ニラ、にんにく。野菜3:肉1。やや皮は厚め。
双璧の一。市内最古の餃子専門店。創業者・鹿妻三子が住んでいた北京市の王府井の人から教わったものを宇都宮に持ち込んだ。1958年(昭和33年)に前身であるハウザーから餃子専門店・珉珉として宮島町にリニューアル。当時ラーメン30円が相場であったが餃子1人前50円で販売していた。1976年には支店をオープン。ブームになりはじめた1993年当時は市内に5店舗と真岡市に1店を構えていた。
現在は市内を中心に県内に30店を展開し宇都宮最大の店舗数を誇る。
正嗣
「まさし」と読む。焼餃子・水餃子 各1皿6個210円。冷凍餃子は200円。他メニューは無し。具の野菜はキャベツ、ねぎ、しょうが、ニラ、にんにく。
双璧の一。1965年(昭和40年)に開業。大卒初任給3万円の当時やはり1皿50円だった。みんみんより高い値段になったことは一度もない。1973年に宇都宮餃子専門店としてはじめて支店を拡大。ブームになりはじめた1993年当時は県内最多の10店舗を構えていた。
近年は縮小して市内と近郊に4店舗を展開している。みんみんが観光客向けならば正嗣は市民向けともいわれる。
来らっせ
1998年に開業したアンテナショップ。さまざまな宇都宮餃子の店がテナントで参入しており食べ比べという形で楽しめる。常設店に加えて日替わり店舗が多数入っている。移転を経て現在はMEGAドンキの地下。
宇都宮餃子祭り
1999年から始まった祭り。毎年11月に開催され、宇都宮餃子会の加盟店がそれぞれの屋台で1皿3個100円の餃子をふるまう。
コラボ商品
堅あげポテト 宇都宮焼餃子味
2020年7月6日、カルビー株式会社が「47都道府県の味」シリーズの一つ「栃木の味」として発売した[1]。
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関連項目
- 栃木県 - 宇都宮市 - 餃子 - B級グルメ
- ニラ - 宇都宮餃子に欠かせない栃木の名産品。
- 餃子像 - この項目ができる前からあった。Wikipediaにも「宇都宮餃子」に先行してなぜかある。
- 浜松餃子 - 静岡県浜松市の名物でもやし。最大の餃子ライバルであり最大の餃子仲間といえる。
- 橘田いずみ - 声優。宇都宮餃子会の特命アドバイザー。市内循環バスでのアナウンスも務めた。
- いとうかなこ - 歌手。宇都宮出身で餃子好き。タレは酢多め。
- セレスティア・ルーデンベルク - 「ダンガンロンパ」のキャラクター。宇都宮出身で餃子好き。
- まろに☆えーる - 一葵さやかがデザインしたとちぎテレビのメディアミックス作品。姉妹作に「ススメ!とちぎ部」。それぞれ餃子娘「堤愛美」「堤咲喜」(いとこ同士)が登場する。
- 47都道府犬R - 栃木犬(CV:星野貴紀)のモデルが餃子。
関連動画
橘田いずみさん
関連商品・関連画像
「まろに☆え~る」より堤愛実 / 「ススメ!とちぎ部」より堤咲喜(右)
外部リンク
- 宇都宮餃子会
- 宇都宮市公式 宇都宮ブランド・餃子のまち
- 宇都宮観光コンベンション協会 餃子の街・うつのみや
参考資料
- (株)五光 元宇都宮市職員 沼尾博之 宇都宮餃子誕生物語
- 宇都宮餃子連 上馬茂一 宇都宮餃子の50年 (特に大きく参考にさせていただきました)
- NETIB NEWS 観光資源・宇都宮餃子レポート - 2012年8月30日
- デイリーポータルZ 宇都宮の餃子像、ルーツは平安時代の石仏 - 2013年6月17日
- 読売新聞 [にっぽん食紀行]餃子 復員兵の味で町おこし - 1998年7月19日 東京朝刊2部 p3
- 朝日新聞 ギョーザの王国 - 1993年 栃木版朝刊(連載20回 1993年1月6日~2月6日)
- 朝日新聞 野菜高値でも頑張る餃子 宇都宮の老舗、国産キャベツで一人前170円“死守” - 2006年1月31日夕刊 p21
脚注
子記事
兄弟記事
- なし
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