アファームド(Affirmed)とは1975年生まれのアメリカの競走馬。
2015年にAmerican Pharoahが達成するまで37年に渡り「最後の米国三冠馬」であり続け
GI競走14勝を挙げた1970年代のアメリカ競馬が誇る紛れもない怪物。
馬名は「断言」という意味。
なお、文章中に何度かドルが出てくるが、この時代1ドルは180~250円くらいと思ってほしい。
父Exclusive Native、母Won't Tell You、母父Crafty Admiralという血統。
父は大種牡馬Raise a Nativeの初年度産駒で重賞を2勝した後種牡馬としても活躍。本馬の他にケンタッキーダービーを優勝した牝馬Genuine Riskがいる。母は23戦5勝、母父はハンデキャップ競走を中心に活躍している。近い世代に活躍馬はいない、当時からしたら未知数な血統である。
アファームドは米国2番目の馬産地、フロリダ州の名門牧場に生まれたが、出生2年後に「リスクが大きくて割に合わん」という理由でオーナー業に専念し、牧場は売却されている。
キューバ出身のラザロ・バレラ調教師の下に預けられ、ベルモントパーク競馬場のメイドン(未勝利戦)でデビューし10頭立ての6番人気を覆して勝利を飾ると、次戦のステークス競走も勝利。ここは競走馬生活前半のライバル、筋肉モリモリムーチョマッチョマンの良血馬Alydarとの初顔合わせであった。なおAlydarはこれがデビュー戦で5着に敗れた(*ラムタラじゃねーんだから)。
その後西海岸に遠征してGIIを7馬身差で圧勝。東海岸に戻ってきて主戦となるスティーブ・コーゼン騎手との初コンビでGIIサンフォードステークスを勝利した。その10日後のホープフルステークスを皮切りにGIを4連戦し、その全てでAlydarとのワンツーとなった。対戦成績はアファームドの4戦3勝だった。
結局2歳戦だけでアファームドとAlydarは6度戦い、4勝2敗でアファームドが勝ち越した。
アファームドは2歳時に9戦7勝2着2回、GI4勝の成績を挙げ、最優秀2歳牡馬に選出された。
Alydarの方は10戦5勝2着4回。無謀なデビュー戦以外は完全連対でGIも2勝している。
2頭の直接対決の着差は、GIの4回に限れば全て1馬身半差以内に収まっている。
ここまで見れば良いライバル関係に見える。しかし翌年以降蹂躙劇が始まる。
本拠地を西海岸に置くアファームドは冬の間に地元を蹂躙。初戦の一般競走と続くGIIサンフェリペステークスを当然のように快勝した後、西海岸の大レースであるサンタアニタダービーとハリウッドダービーを制し西海岸の王者として三冠競走に臨み、一方のAlydarも東海岸でGIを3連勝、特にブルーグラスステークスは13馬身差で圧勝しており、三冠路線はこの2頭の争いになると誰もが思った。ただバレラ師にとっては、前走ハリウッドダービーで「ソラを使う癖を本番までに消したいからムチをしっかり使ってくれ」と注文していたにも関わらず、コーゼン騎手が何発ムチを入れてもソラを使うのをやめなかったという一幕があり、心配事を残したままの臨戦となった。
本番のケンタッキーダービー(13頭立て)ではアファームドが2番人気。アファームドは直線入口先頭からそのまま押し切りを図り、Alydarは後方から追い込む格好だが、アファームドが1馬身半差で勝利。一冠目。バレラ師の心配は杞憂であった。
次走のプリークネスステークス(7頭立て)で1番人気を奪いとると、Alydarはスタートから先頭に立ったアファームドをマークして追い込み、今度はクビ差まで追い詰められるが勝利。二冠目を達成。
三冠最終戦ベルモントステークス(5頭立て)も1番人気で迎える。道中かなり遅いペース(前半4F50秒)でアファームドとAlydarは2人旅。直線を一杯に使った叩き合いに持ち込み、馬体が接近しすぎてコーゼン騎手は右ムチを入れられなくなったが、コーゼン騎手が咄嗟の判断で本馬に初めて左ムチを使うともう一伸び。根性の塊であるアファームドが僅かにハナ差競り勝ち、アファームドが三冠達成。Alydarは準三冠達成。
アメリカ三冠はアファームドで11頭目。アメリカで最も強い3歳馬である事は間違いない。
GIII勝利を挟んで真夏のダービーことトラヴァーズステークス(4頭立て)で四冠達成に挑み、ここで1位入線するが、3コーナー付近で内側に斜行しAlydarの進路を妨害したとして降着。2着となり四冠は達成されなかった。優勝は繰り上がったAlydarである。
これがアファームドとAlydarとの最後の対決となった。この後Alydarは故障。復帰後は裏路線であるハンデキャップ競走を中心に走ったが精彩を欠き、GIIIを1勝したのみで引退。こうして競走馬生活前半のライバルであるAlydarとの対決は終わり、やや後味の悪い結末でプレリュードに終止符を打つ。
3歳王者が夏を越えてすることはただ一つ。古馬との対決である。
アメリカの古馬チャンピオンとして君臨していたのは前年の、しかも無敗で達成の三冠馬、「醜いアヒルの子」Seattle Slewである。白鳥どころかキマイラとか鵺の類の競走馬である。
両者の初顔合わせはマールボロカップハンデ。かつてSecretariatとRiva Ridgeのマッチレースとして企画された競走で、以降3歳馬と古馬との対決の場として名物競走となっていた。
そこにアファームドとSeattle Slewがやって来たが、実は「三冠馬同士の直接対決は史上初」なのである。騸馬でもない限り三冠馬ともなれば4~5歳で引退させるのが普通なので、2年連続か隔年で三冠馬が誕生するようなことがないと直接対決は起きえないのである(マンノウォーとサーバートンはちょっと特殊事例)。
そのレースで1番人気に支持されたのはアファームドの方。単勝1.5倍のグリグリである。しかしレースではSeattle Slewが平然と逃げて3馬身差でアファームドを軽くひねる。ここでAlydar以外に初めての敗戦を喫する。殴ったね! Alydar以外にぶたれたことがないのに!
次戦に当時アメリカ秋の祭典ジョッキークラブゴールドカップ(以後ジョッキークラブ金杯)を選択。
日本で言う有馬記念に相当する大競走である。BC創設後はステップレースになってしまったが。
ダート12ハロンのこの競走に当然Seattle Slewも参戦し、パリ大賞典等を制し米国に転厩後も大活躍を見せていたExcellerも登場。陣営はSeattle Slew潰しのラビットを用意。
レースは不良馬場で行われ、スタート後、Seattle Slewは快調に飛ばし、アファームドは彼を突っつく(ラビットと一緒に)、Excellerは後方待機。Seattle Slewはアファームドを振り切らんばかりに超ハイペース(前半6F69秒2、実況もはっきりVery Fastと)で逃げる、だがアファームドも負けじと食いつく。
しかし3コーナーでアファームド鞍上の鞍が外れてコーゼン騎手が体勢を崩し失速。その間にExcellerが空いた内を強襲し、Seattle Slewとの叩き合いになり、僅かにExcellerが競り勝った。
あれ、アファームドは? 6頭立て5着、19馬身差で敗北しました。まあ、アクシデントもあったが人生初の惨敗を喫してしまい、以後Seattle Slewと戦う機会も無くなってしまった。
3歳時は11戦8勝2着2回、年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選ばれた。
Seattle Slewが引退し、Excellerが現役続行するも調子を落としたことから、アファームドが現役最強馬である……と言いたいところだが、4歳最初の2戦を落とす。ここで騎手を変更。ここまで説明してなかったが主戦を務めていたコーゼン騎手はまだ18歳なのである。三冠の前年に17歳の若さでリーディングを獲得した大型新人ではあったが、どうもスランプに陥ったようだ。
新たな鞍上はトラヴァーズステークスで本馬を斜行させたラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手となった。斜行させたと言うとアレな印象だが、通算9500勝を挙げた世界的名ジョッキーである。
乗り替わり緒戦のサンタアニタハンデでExcellerと再戦するも吹っ切れたように3角先頭から押し切り、2着に4馬身ほどつけてレコード勝ち。なおExcellerは3着(同着)に敗れた。
以後完全に連勝街道に乗り、カリフォルニアンステークスを馬なりで圧勝し、ハリウッド金杯では132ポンド(ほぼ60kg)を背負いながら叩き合いを制してKelsoが保有していた獲得賞金の世界記録を更新する。
続く一般競走は馬券を売らないエキシビジョンレースとして開催され、6馬身差で勝利。ハンデの都合でマールボロカップハンデを蹴って向かったウッドワードステークスを勝ち、瞬く間に4連勝を飾った。
引退レースに前年惨敗を喫したジョッキークラブ金杯を選択。
そこに待ち受けていたのは当年の米国二冠馬にして「芦毛の怪物」Spectacular Bid。安全ピンを踏み抜いた結果の蹄の負傷さえ無ければベルモントステークスを勝利し三冠確実だったと言われた逸材が、前年の自身よろしく古馬との決戦に挑んできたのである。これに応じずは礼を失する。
僅か4頭立てだが、アファームド、Spectacular Bid、ベルモントステークス優勝馬Coastal、後何か1頭[1]という幕引きに相応しい面子。
スタート後本馬が先頭に立ち、Spectacular Bidが徹底マーク、Coastalがその後方に位置取る。直線入口で3頭がほぼ並行し、アメリカ競馬らしい壮絶な叩き合いに発展。
アファームドが外、Spectacular Bidが中、Coastalが内。
叩き合いはまずCoastalが脱落、アファームドが外から伸びSpectacular Bidが食い下がるが、残り100mから1馬身差が縮まらない。そのままゴールへと突き進み、アファームドが優勝し、有終の美を飾る。
1979年一杯で引退。年度代表馬、最優秀古牡馬に選出されたのは当然である。
通算29戦22勝、米国三冠を含むGI競走14勝。獲得賞金239万3818ドルは当時の世界レコードである。
ちなみに本馬の所有者ウルフソン氏は3歳年明けの時点で800万ドルのトレードを申し込まれたが、
という理由で断った。実際にアファームドはその夢を叶えた、しかも二度。
アファームド最大の武器は「他馬を絶対に抜かせない闘争心」。これに尽きる。
接戦や叩き合いには滅法強く、スタートも上手。日本ならテイエムオペラオーか。
彼を正面から負かすのは至難の業で、Seattle Slewのように絶対的スピードで逃げ先頭に立ち続ける、あるいはAlydarのように離れた位置から一気に抜き去る必要がある。つまりマルゼンスキーするか*ダンシングブレーヴしないと勝てない。やっても必ず勝てるとは限らない。それがアファームドという馬であった。
当然、種牡馬入り。1140万ドルという巨額のシンジケートが組まれケンタッキー州で繋養。
活躍馬は牝馬と騸馬に多く、米国主流のダートではなく芝で活躍する産駒が多かった。
種牡馬としては同期のAlydarのほうが成功をおさめ、不審な死を迎えた1990年にリーディングサイアーとなった。アファームドはリーディングランキング10位以内に入ったこともなかった。
主な代表産駒に、メイトリアークS3連覇など米芝の名牝Flawlessly、カナダ三冠馬Peteski、アーリントンミリオン優勝馬The Tin Manがいる。残念ながら後継種牡馬には恵まれず、Alydarの方もEasy GoerやAlysheba、Strike the Goldなどの後継種牡馬が早世したり失敗したりした事もあり、ミスプロを除くレイズアネイティヴ系は急速に衰退してしまった。
アファームドは1987年にAlydarと同じカルメットファームに移り、Alydarが死ぬ1990年まで隣の馬房で暮らした。間もなくカルメットファームが破産したことで別の牧場に移動。2000年に左前脚を脱臼して手術を受けたが、手術は成功したものの右前脚を庇ったことで蹄葉炎を発症。2001年1月に入って症状の悪化を理由に安楽死の措置が執られた。享年26歳。
引退後すぐにアメリカ競馬殿堂馬に選出されているほか、1999年に競馬雑誌「Blood Horse」が選んだ「20世紀のアメリカ名馬100選」において12位に評価されている。
長らく「最後の三冠馬」として君臨していたアファームドだが、2015年にAmerican Pharoahが37年の空隙を埋め三冠馬となった。活躍馬は軒並み3歳で引退する事が普通となったアメリカ競馬において、三冠馬同士が戦うという事例は再び起きうるのだろうか。
Exclusive Native 1965 栗毛 |
Raise a Native 1961 栗毛 |
Native Dancer | Polynesian |
Geisha | |||
Raise You | Case Ace | ||
Lady Glory | |||
Exclusive 1953 栗毛 |
Shut Out | Equipoise | |
Goose Egg | |||
Good Example | Pilate | ||
Parade Girl | |||
Won't Tell You 1962 鹿毛 FNo.23-b |
Crafty Admiral 1948 鹿毛 |
Fighting Fox | Sir Gallahad |
Marguerite | |||
Admiral's Lady | War Admiral | ||
Boola Brook | |||
Scarlet Ribbon 1957 鹿毛 |
Volcanic | Ambrose Light | |
Hot Supper | |||
Native Valor | Mahmoud | ||
Native Gal | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Sir Gallahad 4×5(9.38%)、Teddy 5×5(6.25%)
掲示板
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最終更新:2024/12/28(土) 19:00
最終更新:2024/12/28(土) 19:00
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