藤子不二雄とは、藤子・F・不二雄(藤本弘)と藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)によって結成されていた漫画家ユニットである。
手塚治虫と並ぶ、現代日本において漫画の地位を引き上げた偉大なる漫画の神様。
「オバケのQ太郎」「ドラえもん」「パーマン」「キテレツ大百科」「忍者ハットリくん」「プロゴルファー猿」「魔太郎が来る!」「まんが道」など、数多くの大ヒット作を生んだ偉大なる漫画家。
日本人ならば幼少期には必ず藤子作品に触れ、親しみを持たぬ者はいないとまで言っても過言ではない。
また、手塚も住んでいたアパート「トキワ荘」に住んでいた時期があり、赤塚不二夫、石ノ森章太郎ら「トキワ荘世代」の漫画家とともに、日本において漫画というメディアの黎明期に地位の確立を果たした。
主に藤本が明るい児童漫画、安孫子がブラックな風刺漫画の分野で活躍した。
安孫子が生まれ故郷の富山県氷見市から同県高岡市に引っ越し、小学校で同じクラスの同級生であった藤本と知り合ったのが付き合いの始まり。お互いに口下手で、漫画やイラストを描くのが得意だったことから仲良くなった。
手塚治虫が初期に発表した「新宝島」に衝撃を受け、本格的に漫画家になることを決意する。
1951年、毎日小学生新聞に投稿した「天使の玉ちゃん」という四コマ漫画でデビュー。
高校卒業後一度は就職するものの退職し、1954年に上京。
以降、紆余曲折を経てヒット作を連発し、1960年代~1980年代には大御所漫画家の仲間入りを果たした。
特に1980年代は、「ドラえもん」の大ヒットを契機にして、テレビ朝日で藤子作品を数々アニメ化したアニメコンプレックス枠「藤子不二雄ワイド」という番組まで作られ、人気となった。
また、これに連動する形で中央公論社から藤子作品を網羅した漫画全集「藤子不二雄ランド」も刊行された。現在、彩色セル画も付属した初版本は高価で取引されている。
しかし、藤本と安孫子の間で作風や画風が大きく異なるようになり、1988年に正式にコンビを解消することとなる。
以降は藤本が「藤子・F・不二雄」、安孫子が「藤子不二雄Ⓐ」と名乗り活動する。アルファベットはそれぞれの苗字のイニシャルである。
1996年に藤本が原稿執筆中に倒れそのまま逝去している。
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最終更新:2025/12/10(水) 17:00
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