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もしかしてTKG

TTG とは、

  1. 1975年から数年にも渡り、中央競馬クラシック三冠路線から古路線まで幾度も対戦した3頭の競走馬トウショウボーイ (T)、テンポイント (T)、グリーングラス (G)の総称。由来はそれぞれの頭文字から。
  2. アメリカアニメTeen Titans Go!」の略称
  3. 株式会社TOUCH TO GOの略称
  4. オーストラリア連邦オーストラリア州、アデレード大都市圏の北東部に位置する地方自治体ティーツリーガリー(City of Tea Tree Gully)の略称

本項では1 について記す。

概要

77年 有馬記念
その直線で過去未来も消え去った。
ただ、今と今のぶつかり合う、伝説のデッドヒート
戯れにもみえた。死闘にもみえた。
その「勝者」の名は…

2012年 JRA 有馬記念CMexit_nicovideoから

3頭とも1973年に生まれたで、1976年からクラシックから古路線にかけ一時代を築いた。
TTGは、トウショウボーイ(Tosho Boy)、テンポイント(Ten Point)、グリーングラス(Green Grass)の頭文字から。3頭で八大競走を7勝し、それぞれ有馬記念勝利。3頭共に年度代表馬(76'、77' 、79')を獲得し、内トウショウボーイテンポイントJRA顕彰馬に選出。3頭がい踏みしたレースでは3着以内を3頭で独占している。

繫殖成績においても、事故種牡馬になれなかったテンポイントを除き好成績を残している。

3頭の概要

詳細は各記事を参照。勝八大競走以外時系列順で重賞のみ。

「天馬」 トウショウボーイ(T)

テスコボーイ :ソシアバターフライ Your Host
皐月賞(1976)有馬記念(1976)神戸新聞杯(1976)、京都新聞杯(1976)、宝塚記念(1977)、高松宮杯(1977)

騎手池上武邦彦

鹿毛共に優秀な繫殖成績を持つ良血。彼の優秀な繫殖成績によりと共に「お助けボーイ」とも呼ばれる。

「流星の貴公子」 テンポイント(T)

コントライト ワカクモ カバーラップ二世
天皇賞(春)(1977)有馬記念(1977)阪神3歳ステークス(1975)、東京4歳ステークス(1976)、スプリングステークス(1976)、京都記念()(1977)、鳴尾記念(1977)、京都大賞典(1977)

騎手鹿戸明

栗毛。額からっ直ぐ伸びる流星栗毛体の美しさにより「流星子」、クモワカの逸話により「幽霊の孫」とも呼ばれる。彼の最後のレースは今でも多くの競馬ファン記憶に残っている。

「緑の刺客」 グリーングラス(G)

インターメゾ ダーリンヒメ :ニンバス
菊花賞(1976)天皇賞(春)(1978)有馬記念(1979)アメリカJCC(1977)、日本経済賞(1977)

騎手安田富男、岡部幸雄

黒鹿毛青森として2020年終了時点で最後の有馬記念制覇菊花賞で下位人気からの勝利により名前から「の刺客」と呼ばれた。「第三の男」とも。

対決の歴史

齢の旧年齢は数え年で1歳多い(例:旧4歳→現3歳)

クラシック前まで(~1976/4)

テンポイントは75年新馬戦で10身差の圧勝でレコード勝ち。次走も圧勝し阪神三歳ステークスは1番人気に支持されるとそこでも圧勝を見せ、当時西低東高の状況だった競馬界において、関西期待のと見なされるようになる。年明けの東京四歳ステークスとスプリングステークスは辛勝ではあったが敗でクラシック戦線に名乗りを上げた。

トウショウボーイの甘さの的の調教グリーングラスは肺炎をこじらせたためデビューが遅れ、年明け1月末に新馬戦を迎えたが奇しくも同じレースデビューすることになった。結果がトウショウボーイが3身差つけて1着、グリーングラスは4着。ここで明暗別れたかトウショウボーイがその後2連勝で皐月賞に出走できたのに対して、グリーングラスは3戦未勝利戦でようやく勝利するもその後は条件戦NHK杯に勝ちきれず皐月賞日本ダービー共に出走できずに裏街道を進むこととなる。

クラシック戦線(~1976/11)

1戦皐月賞では、1番人気テンポイント、2番人気トウショウボーイとなり、2頭の東西対決が注された。しかし直前の厩務員による闘のもありテンポイントの調整は上手くいかず、トウショウボーイが2着テンポイントに5身差つけてコースレコードを01更新する勝利

2戦日本ダービーでは、皐月賞と代わって1番人気トウショウボーイ、2番人気テンポイントとなった。期待された2頭だが、テンポイントは競争生活のうちでも最も体調が優れておらず、騎手鹿戸明の負傷による乗り替わりに、レース中には左前脚の剝離折も起こして7着。トウショウボーイは最終コーナーまで先頭に立っていたが、彼の弱点をついたクライムカイザー上の加賀武見の作戦に嵌り2着の初敗北となった。

菊花賞に向けトウショウボーイは1ヶの休養後に中距離ダート札幌記念に出走も出遅れ2着となり、デビューから騎乗していた池上騎手が降するも、新たに迎えた上の福永洋一騎手により、次ぐ神戸新聞杯京都新聞杯ダービークライムカイザーも含めた相手に連勝する。一方でテンポイントは軽い折であったため7月頃には回復し、調整が万全ではないものの古相手に0.1差の3着と健闘。グリーングラスNHK杯上を安田富男に代え4戦し、菊花賞3週間前の4戦鹿島特別でアタマ差1着で3勝を上げ、獲得賞をギリギリえて回避が複数出たこともあり菊花賞の出走を何とか決めた。

迎えた3戦菊花賞。1番人気トウショウボーイ、3番人気テンポイントグリーングラスは12番人気と下位人気に甘んじた。レースでは最終直線でトウショウボーイが一度抜け出すものの、マークしていたテンポイントに抜かされ、そのまま勝利するかと思われたが、4コーナーの内をついてきたグリーングラスに直線半ばで交わされグリーングラスが1着。テンポイントは2着、トウショウボーイが3着となった。

この時、グリーングラス勝利は単なるフロック視されていたが、この菊花賞TTG時代の幕開けとなった。

古馬戦線、そして伝説の有馬へ(~1977/12)

トウショウボーイテンポイントはその年の有馬記念に参戦。(グリーングラスは予備登録していなかったので出走できず。)トウショウボーイ武邦彦騎手に変わったものの1番人気に選ばれ、テンポイントも3番人気と古天皇賞が3頭交じる中で上位人気となる。レースは最終直線でTT2頭が抜けだすもトウショウボーイが1 1/2身差つけて1着、テンポイント2着で有馬記念史上初の4歳ワンツーフィニッシュとなった。この時のトウショウボーイの記録は2500m日本レコードを記録し、トウショウボーイは76年度代表馬に選ばれた。またこの時点でトウショウボーイ営もテンポイント営も互いをライバルを認め合っていた。

翌年トウショウボーイは連戦の疲労もあり競馬をほぼ全休する。テンポイント営は天皇賞(春)に狙いを定めテンポイントは前戦の京都記念()と鳴尾記念を60kg近くの斤量をものともせず連勝。グリーングラスアメリカJCC勝利し、菊花賞勝利がフロックでないと明したが、この頃から脚部不安が出始め次戦の目黒記念()では2身差の2着。さらに天皇賞(春)に向けての調整中に替わりと虫歯もあって好調とは言えない状況で迎えた。レース当日はテンポイントが1番人気グリーングラスが2番人気の中で、直線を押し切ったテンポイントが初の八大競走タイトルを手に入れた。グリーングラスは0.3差の4着と敗れた。

トウショウボーイは休養明けに宝塚記念を選択し、残りのTG2頭も次戦は宝塚記念になり菊花賞以来の3頭い踏みとなった。6頭だてとなった宝塚記念は1~3番人気をTTGで占め出走のほとんどが八大競走優勝だった中、レーススローペースの中で後半に大きくスパートしたトウショウボーイが1着と体調不安を払拭させる勝利を納め、テンポイントは2着、橈の状態が良くない状況下で挑んだグリーングラスTTから大きく離されたが3着に入線した。

次の八大競走タイトル天皇賞(秋)だったが、当時の規定によりテンポイントは出走できずに残りのTG2頭が向かうこととなった。
トウショウボーイ不良馬場をものともせず宝塚記念3週後の高松宮杯勝利に入って新人騎手オープン戦を任せるもそこで当時の日本レコード優勝量をまざまざと見せつける。グリーングラスも1番人気に押された日本経済賞で圧巻の走りを見せた。天皇賞(秋)TG2頭の一騎打ちが期待され1・2番人気を分け合ったが、レースでは2頭が意識しすぎたせいか潰しあってしまいトウショウボーイの7着、グリーングラスの5着に終わった。

一方テンポイント宝塚記念後に海外遠征に招待されるも打倒トウショウボーイのため辞退。トウショウボーイ天皇賞(秋)後に年末の有馬記念をもって引退との発表もあり、有馬記念標に調整を開始する。季休養明けの京都大賞典を63kgの斤量ながらも8身差つける圧勝。翌オープン戦も快勝し、本格化した体でトウショウボーイとの最後の戦いに歩を進めた。

迎えた1977年第22回有馬記念はTTG最終決戦となり、トウショウボーイ引退レーステンポイント辱をらす最後のチャンスでもあり、日本競馬史上屈名勝負と呼ばれるものになる。
年末のグランプリであったがTTGの出走を見込まれたこともあり8頭立てに。上位1~3番人気テンポイントトウショウボーイグリーングラスの順になった。
レース展開は、他逃げ宣言するものの、ハナからトウショウボーイ逃げテンポイントがピッタリマークし2頭が先頭を譲らない前代未聞のマッチレースを展開。向こう正面に入っても尚2頭は先頭を譲らない。最終直線、未だに先頭争いをするTT2頭の後ろでグリーングラススパート、3番手に上がり2頭との差を徐々に縮めていく。ん中から抜け出そうとするテンポイント。内から差し返すトウショウボーイ。外から詰め寄るグリーングラス。3頭によるな死闘。

それを制したのは…テンポイントだった。2着は3/4身差でトウショウボーイ、3着は1/2身差でグリーングラス。4着以下に6身も突き放し、TTGがこの世代の中で突出していたことが明らかだった。このレースでついにテンポイントトウショウボーイを破り、満票で77年度代表馬に選出され、ここにTTG最後の対決は幕を閉じた。

その後

トウショウボーイは予定通り引退し、年明けにテンポイント営は海外遠征を発表したが、関西ファンから遠征前にテンポイントの姿が見たいと関係者に多数のが寄せられ、日経新春杯に出走。66.5kgという過酷な斤量を背負ってが降る中出走したが、第4コーナー付近で故障発生。が皮膚から突き出すほどの重度な故障で安楽死処分されそうだったが、JRAにはテンポイントの助命を嘆願する電話が数千件寄せられ、JRA馬主は大手術を決断。33名にも渡る医師医師団が手術を行い、一旦は成功したように思われたが、ボルト体重に耐え切れずに曲がるミスを犯しており、それが元で3月5日に蹄葉炎により死亡した。

最後に残ったグリーングラスは脚部不安に悩まされながらも、年明け以降2戦連続3着以内で天皇賞(春)を迎える。1番人気に支持され、トウフクセダンとカシュウチカラに直線で迫られるもって、1身差で初のの栄誉を手にし、上の岡部幸雄もこれが初の天皇賞制覇となった。
次の宝塚記念ファン投票1位で1番人気だったものの、逃げを捕まえられず2着。故障の悪化もありこの年はあまりレースに出られず次の有馬記念にも脚部不安と風邪のせいもあってか6着と敗れる。
7歳となった翌年も更に脚部が悪化したこともあり出走レースも少なくなり、掲示板は外さないにしてもアメリカJCC宝塚記念オープン戦と3戦連続で勝利を逃す。この成績低迷もあり、この年の有馬記念引退が決定。八大競走勝利が9頭という錚々たる顔ぶれの中で2番人気に支持され、上は初めてコンビを組む大崎昭一となった。3コーナーで初めて先頭に立ち、そこから内ラチ沿いに伸びていき、最終直線ではメジロファントムハナ差まで迫られるもぎ切り、先にターフを去ったTT2頭に続き有馬記念勝利となった。
TTGの中でクラシック天皇賞グランプリ競走のいずれをも制し、生涯獲得賞も最多だった。この有馬記念での勝利が評価され79年度代表馬となって彼は有終の美を飾った。これにてTTGの時代は完成されたと言っていいだろう。



種牡馬入りしたTG2頭はその後、トウショウボーイは初年度は不人気だったものの、2年以降活躍していく産駒も増え、1983年には新馬戦で対戦したシービークインとの間にクラシック三冠ミスターシービーが誕生し、重賞勝ちを毎年輩出するのに加えて非常に高い勝ち上がり率もあり「お助けボーイ」と呼ばれるほどの渾名がついた。グリーングラストウショウボーイほどの人気はなかったものの、エリザベス女王杯を制すリワードウイングを輩出したほか何頭も重賞勝ちを輩出した。

1992年トウショウボーイライバルテンポイントと同じ蹄葉炎で安楽死となり、グリーングラス種牡馬引退後一時行方不明となったが個人が引き取った後に、2000年柵に突して右前脚を粉砕折したことにより安楽死となった。

グリーングラスが亡くなった同年にJRAによって行われた「20世紀の名投票」ではTTG3頭がそろって100位以内にランクイントウショウボーイが22位テンポイントが14位、グリーングラスが26位と上位に選出された。

幾度も闘と伝説を残した3頭は今でも鮮記憶を残して、これからも名として引き継がれていくのだろう。

対戦成績(3頭のうち2頭以上が走ったレース)

競走名をクリックすると各動画へ行けます(天皇賞(春)ニコニコになかったのでYouTubeリンク)

トウショウボーイ テンポイント グリーングラス 参考:優勝
4歳新馬戦exit_nicovideo 1着 4着
皐月賞exit_nicovideo 1着 2着
日本ダービーexit_nicovideo 2着 7着 クライムカイザー
菊花賞exit_nicovideo 3着 2着 1着
76年有馬記念exit_nicovideo 1着 2着
天皇賞(春)exit 1着 4着
宝塚記念exit_nicovideo 1着 2着 3着
天皇賞(秋)exit_nicovideo 7着 5着 ホクトボーイ
77年有馬記念exit_nicovideo 2着 1着 3着

関連動画

トウショウボーイ

テンポイント

グリーングラス

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関連項目

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https://dic.nicovideo.jp/t/a/ttg

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TTG

1 ななしのよっしん
2021/08/28(土) 20:14:59 ID: qrj+9fkbct
記事作成乙です

スペシャルウィークコメ欄にも書かせて頂きましたが、個人的には「TTGクライムカイザー」こそが「日本競馬史上最強世代」と思っています

図抜けたスピードとスタミナ、レベルの高い駆け引き、「フィクションでもこんな台本書けねーだろ」と言うドラマ、そしてTTG有馬記念を勝っていると言う実績…

これ程レベルの高い「最強世代」に、自分が生きている間に再び巡り会えるでしょうか…
2 ななしのよっしん
2021/09/09(木) 02:50:15 ID: cO03+aP/A5
昔、90年代前半に書かれた何かの競馬の本に、シンザンの現役時代を実際に見たと言われても時代が古すぎるからそれ程羨ましいとは思わないと書いている人がいたが、その人は別のファンTTGの対戦を見たと言われたら本当に羨ましいと思ったという趣旨の事が書いてあった。やはり強な印を残した世代なのだろう。
3 ななしのよっしん
2021/10/04(月) 22:09:56 ID: aq9rx5agoq
シンザンシンザンが偉大なだけで世代としてそれほど面いわけではないので。しかも本番だけハナ差で勝てばいいじゃんみたいなだしw
4 ななしのよっしん
2021/10/25(月) 10:10:41 ID: b/L1ZH9jjR
有馬記念で1着を取ったグリーングラスの前に、トウショウボーイテンポイントが走ってる幻覚を見た人が居たらしい

それを思い出す度に、今でも胸に熱いものが滾る
5 ななしのよっしん
2021/11/21(日) 22:16:15 ID: INjzYkb34w
>>2
最近競馬始めた人の中には第2次競馬ブーム90年代後半の熱狂を羨ましがる人も多い。時代は巡るもんだね。
近年の競馬も色々と言われてるが、時代が経てばまた評価が変わってくるんだろうか。
6 ななしのよっしん
2021/11/24(水) 23:36:38 ID: dAUAv2gC38
77年の有馬記念は見る度に腺が緩くなって敵わん
有馬記念は度々競馬えるドラマを見せてくれるなぁ

>>4
もしかしたらグリーングラスTTと競走してるつもりの走だったのかもしれない

>>5
TTGがいた頃の、火場時代の競馬リアタイで観戦してた人たちが本当に羨ましいよ
時代が前後するけど、ハードバージテスコガビーカブラヤオーインターグロリアエリモジョージ…見たかったばかり
更に言えば、福永洋一の騎乗を生で見たかった

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