下野市 単語

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下野市(しもつけ - し)とは、栃木県内にある町の一つである。

概要

下野市は、2006年1月10日にそれまでの下都賀郡石橋町、国分寺町、河内郡南河内町の3町が合併し誕生した。しもではないし、げやでもない。

「下野市」という名称は市民募によって決定したもので、栃木県旧国名である「下野しもつけのくに)」から取ったもの。歴史的にも政治的な中心地になったことがあったため、この名前に決定した。ちなみに、その当時集まった応募作品はこちらexitPDF)。また、章は「下」という文字なんやかんや図案して作成されたもの。こちらも募で決定した。(画像右下

位置は県庁所在地である宇都宮市のすぐ南にあり、北には北関東自動車道が走り(といってもICはない)、南北にJR宇都宮線が走っており、内に3存在している(下り方面順に小金井自治医大石橋。いずれも各駅停車、各種快速は全て停まる)。都心からは快速なら70分ほどで到着する。なお、新幹線も縦断しているが内には新幹線が停するはない。
また、小金井駅北側には「JR東日本 小山車両センター」があるためか、小金井止まりの列車が特に深夜近くなると多くなる。

的には、年気温が約14℃、年平降水が約1,300mmで、夏は気高く湿度も高い「蒸し暑い気候」、は気低く乾燥しいて、やや内陸性を帯びた温暖な気候であ。積雪はほぼない。
古来から開けた坦な土地が広がり、自然災害も少ない。また、栃木県定する「土砂災害区域」に定されていない3つの町の1つである。このおかげか、最近はちょっと前までだった土地にバンバン一軒やらアパートやらが建ちまくっている。

歴史的には、旧石器時代から人が住んだ跡があり、67世紀には有力な族が現れ大きな古墳が築造されたらしい。また、天皇時代には下野薬師寺が、8世紀の聖武天皇のころには詔によって「国分寺国分尼寺」が建立され、下野の中心地として結構栄えていたらしい。
江戸時代には、五街道の一つ「日光街道」の宿場町(小金井宿・石橋宿)を軸として繁栄し、明治以降の国鉄整備に引き継がれて物流の要として発展してきたらしい。

こんな歴史から、非常に重要な文化財が出土することも多く、特に古墳時代や下野薬師寺、国分寺国分尼寺に関するものや史跡が多く残されている。中世の頃も、小山氏と宇都宮氏の間で挟み状態にあったためか、児山などの館も数多く作られてきた。江戸時代以降でも、前述したとおり重要な場所であり、徳将軍日光参拝の時には休息所も設けられていたため、近世文化財も多いらしい。

産業的には、かんぴょうの生産量全1位を誇っている。他にはウコンほうれん草タマネギが挙げられるらしい。工業もソニーとかグンゼとかアサヒビールがあるが、規模縮小の波によりそれほどでもない。

その他、壬生町にある協医科大学病院自治医科大学を有し、医療関係にはかなり強い。

ちなみに、声優下野紘が、友人ヒャダインと共にDVD企画でこのを訪れている。

交通

鉄道

駅長はこの3全てを一括して担当している。しいケースらしい。

いずれの各駅停車快速通勤快速が停まる。
また、小金井駅自治医大駅は「休日おでかけパス」 の対石橋駅は対外。

道路

旧町ごとの紹介

旧 石橋町エリア

1954年11月、当時の姿石橋が合併して誕生した町。下野市の中で言うと北に位置している。読み方は「いしばし」。

宇都宮と隣同士なこともあってか、他の2つの旧町とは生活圏が若干異なる。石橋町は宇都宮都市圏になるらしい。警察下野警察署:旧 石橋警察署)・消防の本部が置かれている。

1975年に当時ドイツにあった町「シュタイブリュッケン」という町の名前日本語に訳すと「石橋」になることから姉妹都市を結ぶ。その後、石橋町は「グリムの里」として積極的な町おこしを展開、前を再開発し、おしゃれからくり時計を設置し、グリムグリムの館という施設も建設した。ついでにマンホールグリムの里にふさわしいデザインとなっている。現在は、石橋町もシュタイブリュッケンもどちらも周辺の町と合併(シュタイブリュッケンは、「ディーツヘルタール」となる)したが、今現在もなお交換留学生を送る事業などを通して交流を続けている。このこともあり、石橋町時代から現在に至るまでドイツ人の職員がいる。

芸能人スポーツ選手の中で割と有名人が多く出ているのも特徴。

県内有数の進学校として知られる「栃木県立石高校」があるのもこのエリアである。

旧 国分寺町エリア

古来より、国分寺国分尼寺が建立されていたことからかなり重要な場所とされてきた。現在まで残る史跡も多く、国道4号線沿いにある「小金井一里塚」という現在まで残っているのがしい史跡が残っている。
1954年4月1日国分寺が町制施行し国分寺小金井町に。その後同年同29日に国分寺町(こくぶんじ - まち)へと改称された。下野市の中で言うと南の西半分に位置する。こちらは小山都市圏に属するらしい。

合併以来長らく旧国分寺町役場を下野市の本庁舎として稼働させていたが、2016年5月6日から自治医大駅から徒歩30辺りの場所で新しい役所を供用開始した。旧町の界線の関係で、自治医大駅小金井駅はこちらのエリアに所属している。自治医大駅は東口側が後述の通り積極的に整備されているのに対し、西口は長らく小さなロータリーがあるのみとなっていたが、新役所建設に伴って歩が整備されたほか遺跡調で発掘された土偶を模した石像が設置されるなどの整備がなされた。

旧町時代に香川県国分寺町と姉妹都市を結んでおり、香川県国分寺町が高松市に編入された今もなお、交流は続いている。

旧 南河内町エリア

1955年4月29日吉田薬師が合併し南河内へ。その後、1971年4月1日の町制施行により南河内町(みなみかわち - まち)が誕生した。下野市の中で言うと南の東半分に位置する。こちらも小山都市圏に属するらしい。

こちらは河内郡の所属で、合併直後は政の選挙区が異なっていることもあった。今は問題が解消している。

このエリアは昔から医療に関するものが建てられたりしている。天皇の時代には下野薬師寺が建立されており、1972年には自治医科大学が開学している。最寄りである自治医大駅の由来はもちろんこの大学から(補には「薬師」もあったらしいが、当時の県知事の意向により決定した。当時は国鉄としては初の地名でない名だったとか)。が開業したことや大学が開学したことにより、ニュータウン開発が盛んに進められたため、開発の中心となった東口はかなり綺麗に整備され、住宅や商店もかなり多い。ちなみに、このローマ字表記は長いこと「Jichiidai」であったが、2017年3月1日駅名標リニューアルに伴い、「Jichi Medical University」に変更された。なお、電車内のLEDの行き先表示については変更後も長らく「Jichiidai」のままであったが、現在では駅名標に合わせた表記に変更された。

国道4号線バイパスが通っており、この道路沿いには「道の駅しもつけ」がある。立地のおかげもあってか利用客数も多く、休日には駐車場パンクすることもしばしば。この問題の解消、さらなる施設の充実をし増築が検討されている。

名所・史跡・その他施設

下野市役所

10周年という記念すべき年に建設された新しい庁舎。ガラスりの3階建てで、免震構造になっている。1階や2階は各課の窓口市長室が設置され、3階には議会室や展望テラスが設置されている。各種選挙期間中は、庁内に第1選挙区および期日前投票所が設置される。

役所内にはソフトバンク開発したAIを搭載するロボットPepper」が開庁時間中に稼働している。なお、Pepperは下野市の「シティプロモーション特命課長」という役職が与えられている。

グリムの森・グリムの館

ドイツのシュタイブリュッケン町(現:ディーツヘルタール)と姉妹都市を結んだことによる町おこしの一環として生まれた施設。木々に囲まれた公園グリム」の中に、多ホール図書館カフェショップギャラリーが備えられている「グリムの館」が建てられている。

グリムの館は、ドイツのレッチンゲン庁舎をイメージして作られており、外煉瓦屋根瓦にドイツ製のものを使うほどのこだわりよう。室内は、小さいながらもグリム童話ドイツにまつわる展示物がある。図書館はもちろんグリム童話絵本が多い。ギャラリーは不定期に絵画の展示が行われており、内在住・在勤、活動拠点とする団体が使用できる。グリムは地元の小学生からはクワガタカブトムシが採れる場所として有名。

その独特な外観や世界観から、コスプレの撮イベントに使用されることも多くなっている。コスプレイヤーアーカイブの行きつけ登録者が400人をえているのでなかなかの場である。が、から徒歩15分くらいかかるので徒歩で来るときは根気がいるかもしれない。

ここ最近では、イルミネーションをやっている。なかなか見ごたえのあるものになっている。

ちなみに、公式サイトドイツ語にも対応している。

石橋駅 からくり時計

石橋駅西口ロータリーに設置されているからくり時計。こちらも、グリムの里の町おこしの一環。決められた時刻(8時、12時17時)に、音楽に合わせてからくり時計が作動する仕組み。

道の駅 しもつけ

2011年3月26日オープンした道の駅24時間使用可トイレ、大40台駐駐車場、直売物産加工施設、レストラン、多くの軽食コーナー、その他体験施設などが備されている。

国道4号線沿いにあるため利用者数が多く、開業以来、年間250万人にのぼる。これは、県内1位記録叩き出している。初年度売り上げは15億円をえ、全5位にまでなった。支配人的には「スーパー代わりとして使ってもらえる道の駅づくり」をしているんだとか。

そのす通り、施設内には直営のパン屋、複数のスウィーツ店、豊富な惣菜類、休日には移動販売が来るなどの力の入れようを見せている。

当施設には道の駅駅長として「カンピくん」(画像)というかんぴょうをモチーフにしたキャラがいる。

また、とちぎテレビが生み出したご当地アイドルまろに☆えーる」のキャラの一人、特別住民票や「まろに☆えーる」の各種グッズが購入できる場所でもある。(購入可場所は他にも、小金井駅西口にある「オアシスポッポ館」がある)

自治医科大学

県内の医療の中心の一つを担う私立大学略称は「自治医大」。よく「じじいだい」とか言われるが、「じちいだい」である。県内には立の大学医学部看護学部を持つ大学がないためその役割を担っている。運営は各都道府県の出捐によって設立された経緯から、各都道府県の負担金や栃木県が発行する宝くじの収益金、競艇収益金の寄付金などで行っている。地元民にはかなり頼りにされている病院である。

入試方法としては、私立らしくセンター試験を利用していない一方で、入学定員は都道府県別に決定されている。

また、病院の近くには「ドナルド・マクドナルドハウス」があり、こちらはマクドナルド企業活動の一部として運営されているものである。

下野薬師寺跡

7世紀末、この地方を治めていた族、下毛野臣古麻呂しもつけぬのあそん こまろ)によって建立されたとされている。詳しい解説公式こちらexitを参照。

これまでの発掘調によって外施設の規模が東西約250m・南北約350m、瓦葺回廊の規模が東西約110m、南北約102mにも及ぶことが判明している。かなり広いね。

現在は、発掘調により出土したものを展示している「下野薬師歴史館」という施設があり、当時の復元模型回廊の実寸大模型がなどがある。屋外には、復元した回廊が建てられているほか、様々な跡が残されている。

道鏡塚・孝謙天皇神社

道鏡塚」は、寺という寺院の中にあり奈良時代の僧 道鏡の墓と伝えられている古墳。一方の「孝謙天皇神社」は下野市立石中学校の近くにある神社。手入れが行き届いておらず、木々に囲まれうっそうとしている。

道鏡現在大阪に生まれ、若くから仏教の修業を行い、僧となってからは孝謙天皇の信任を得て僧侶として初の大臣師に、その後法王というくらいまで上りつめた。しかし、称徳(孝謙)天皇が崩御されてすぐ、770年8月下野薬師寺別当として配流され、2年後にこの地で生涯を閉じたといわれている。

孝謙天皇は、皇族としてはしい女系の天皇で46代聖武天皇明子。道鏡を重用し、天皇位後、称徳天皇として重祚した。その後、道鏡と共に6年間にわたる政権運営を務める。称徳天皇は生涯独身で、子をなすことはなかった。一時期、「道鏡を皇位に就かせた方が良いと思う」という意思もみせたりしていたが、どこの血の人間か分からない道鏡を皇族にするのはちょっと……という人が周りに多かったためさすがに止められた。

この2人がに召された後、同じ地で(といっても距離は離れているが)共に眠っているのは、何か縁を感じずにはいられない。

栃木県立石橋高等学校

県内有数の進学校であり、共学の高校としてはトップクラスとされている。学校歴史は長く、旧制中学校の時代から数えて2024年で創立100年を迎える。

進学率100%と称されているとおり、この学校入学した生徒全員大学への進学をしているため、授業や学習方法も受験用に特化した内容で進められている。

また、「文武両」を掲げているため、部活動も盛んに行われている。運動部では野球部の活躍がめざましく、2023年には選抜高校野球の21世紀で、2024年には常連校である作新学院学院栃木高校を倒し、県内大会優勝甲子園への出場を果たす。前述の通り、2024年には甲子園勝利を達成。
文化部では吹奏楽部が毎年安定した成績を出し、かつては東京ディズニーリゾートでの演奏をしたこともある。また、進学校らしく歴史研究部が地元をテーマにした研究で全大会出場を果たしているほか、過去にはクイズ研究会が第14回高校生クイズにて女性のみのチームとして初の優勝を果たしている。

下野市立石橋中学校

え、なんで中学校紹介するの?と思われるかもしれないが、実はこの学校、有名建築家黒川紀章によって設計された建物である。

コンクリートむき出しかつ半円形の4階建て校舎、特徴的な屋根を持つ体育館と武道場、の施設として弓道場などが備されている。特徴的なのはこれらの建物。総工費ウン十億円という大金(噂によると、普通学校の5個分くらい)をかけて建設され、南北の校舎を結ぶ渡り廊下は、「ねじれの位置」の例として教科書に載っているほど特殊。

設計段階から外のを大きく取り込むような建物だったため、移転から長らく校内にが散乱していたりする校内環境敵には最悪の状態が続いていたが、2018年から行われた大規模な改修のおかげで床のり替えや廊下の屋内化が進み、大きく改善された。(ただしアトリウムについては現在もさほど改善されていない様子)

天平の丘公園

下野市のの名所の一つとして知られる、11ヘクタールという面積を誇る大きな公園公園内には下野国分寺跡・国分寺尼跡や民俗資料館、土資料館、カラクリ水車、子宝などの施設がある。また、季節によって違う楽しみ方ができる植物も数多くある。

季節によって様々なイベントが行われており、特に3月下旬からゴールデンウィーク辺りまでの長期間に渡って開催されているイベント花まつり」には毎年多くの来場者が訪れる。期間中はほぼ毎日何かしらのイベントが開催されており、幼稚園児たちによる発表やカラオケ大会、歌手ステージイベントカラオケ大会が開催されている。また、坊ちゃん列車ミニ新幹線に乗して公園風景を楽しむこともできるらしい。

大松山運動公園

石橋地区にある運動公園面積は14.2ヘクタール

場所が東京から近いからか、2019年の改修工事以降は度々テレビ番組のロケ地として使われることがある。

運動公園の名にふさわしく、公園内にはハンドボールが実施できる広さの体育館、人工芝のテニスコートが4面、ゲートボール場、客席スタンド付き陸上競技場兼サッカーグラウンド(天然芝)、野球場がある。その他、ゆるキャラ「かんぴくん」がモチーフの遊具があるこもれび広場、石橋図書館スポーツ交流館もこの敷地内にある。

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