福山雅治とは、オナニーの神の子、マーラ・ダンコーン 日本の男性歌手、俳優である。お前ではない。
概要
1969年2月6日生まれ。長崎県長崎市出身。所属事務所はアミューズ。所属レコード会社はユニバーサルミュージック(UNIVERSAL J)。
血液型O型。身長181cm。体重71kg。靴のサイズ27.5cm。水瓶座。配偶者は女優の吹石一恵。
会社員を経て歌手を志すために上京。1988年映画「ほんの5g」で俳優デビュー、1990年にシングル「追憶の雨の中」で歌手デビューを果たす。
歌手としては1995年の「HELLO」が大ヒットして一躍有名になると、2000年発売の「未来日記Ⅴ」のテーマソングである「桜坂」でダブルミリオン、2003年発売の「WATER BOYS」の主題歌「虹」でミリオンヒットを飛ばし、また俳優としても「ひとつ屋根の下」、「ガリレオ」などがヒットするなど、まさに両分野の第一線で活躍するスターである。
2008年には映画「容疑者Xの献身」に出演、主題歌も提供。また2010年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で主人公坂本龍馬として出演することが発表された。
写真家としても活動しており、時々写真展を開催している。2008年には地元・長崎市で初の地元開催を行った。
非常に端正な顔立ちとスタイルに加え、渋く魅力的な声で、40代を迎えた今になっても数多くの女性ファンを魅了し続ける、まさにイケメン。低めのバリトンボイスで歌いながら次々とヒット曲を飛ばし続けているという意味では、甲高い声で歌う男性歌手が大半を占める近年のJ-POPにおいて異色の存在と言えよう。
が、その反面♂テンガ/TENGAを愛用していることを公言するなど(自身の出演しているラジオ番組でコメント)、主にラジオを中心に女性がドン引きするような放送禁止ギリギリの下ネタを連発する下ネタ大好き人間という一面を持っており、数々の伝説を残している(詳細後述)ことから同性からの支持もかなり高い。
イケメンに対して無条件で叩きが増えやすい2ちゃんねるやふたばやニコニコにおいてですらも、男性からの高い支持を集める非常に稀有な人材である。
ニコニコ動画においては永田裕志というタグとともに付けられることがあるが、これは永田の白目を剥きながらの腕殺しがスーパーイケンメンタイムであり、福山に似てるからとされる。一般には荒らしにしか見えないが、有識者にはコレが常識であり、間違ったことではない。
2011年2月26日に放送された「福山雅治のオールナイトニッポン・魂のラジオ」にて、ニコニコ動画のプレミアム会員である事を明かした。[1]
しかもプレミアム会員のシステムが開始した直後から加入しているほどであり、生放送も見ているとの事。特にalanの生放送がお気に入りらしい。他にも、神聖かまってちゃんを見たことがあり、初音ミクについても語った。
本人曰く、「(ニコ動には)呼ばれたら出ますよ」との事。早くオファーしろ運営!
ほんとに降臨しちゃいました。ファンクラブ「BROS.」の映像コンテンツ「BROS.TV」の一環としてデビュー25周年の2015年3月21日にニコニコに生降臨。これ以降も月1ペースで「サンプル福山」として生放送(過去のミュージックビデオやライブなどの短縮版など+新作BROS.TVの冒頭数分)を行っている。
2015年9月28日、女優・吹石一恵(当時33歳)と結婚したことをホームページで発表した。年齢差13歳である。またこの日は吹石一恵の誕生日であり、バースデー婚だったようだ。
この報道にファンのみならず驚いた人たちも多かった。女性よりも『福山雅治も結婚できないんだから、俺も結婚できなくて当然だ』と言い訳をしていた男性陣の方が受けたショックは大きかったようだ。お前ら、元気出せ……
結婚した後でも下ネタトークを炸裂させるか注目したいところである。
エピソード・デビューまで[2]
- 出生時の体重は4000g強の巨大児であった。
- 幼稚園の頃は、女の子に声をかけられただけで泣き出すほど内気だった。
- 小学生の頃、空手を習っていたため腕っ節が強く、友達と一緒になって他のクラスの子と喧嘩したり、授業中に友達と共に失踪するなどして、よく先生に叱られていた。4年生の頃、地元のソフトボールチームに入団。エースピッチャーとして活躍するが、右肩を故障してしまう。家計が苦しかったため、5、6年生の頃からアルバイト(新聞配達)をしていた。
- 小学6年生のころ、水泳教室に通っていた。しかし、やる気がなくすぐやめてしまった。
- 子供の頃は今のようなシンガーソングライターとしての成功は無理だと思い、音楽の教師になりたかったらしいが家庭の状況(金銭面)から断念した。
- 2009年8月9日の『福山雅治のSUZUKI TALKING F.M.』ではその日が長崎原爆の日であることからこの事に触れ、「父はもろに被爆した。母も厳密に言えば被爆しており、僕は被爆2世ということになる」と発言している。
- 中学生の頃、サッカー部に入部しようと思っていたが、兄から吹奏楽部に誘われ入部。ホルンを担当し、部長も務めた。
兄の影響でギターを弾き始め、2年生の頃、友人とバンドを結成。卒業式前日に、学校の体育館にて最初で最後のライブを行う。
それとは別に、兄ともバンド“LAR”を組んで、THE MODS、ARBなどのコピーをしていた(兄はドラム、福山はギター)。当時、高校に進学する気はなく、卒業したら東京に行くつもりであったが、周囲がみんな高校に進学をするということに気がつき、長崎工業高校に進学する。ちなみに高校のときは茶道部に所属していた。入った理由は『お菓子が食べられるから』 - 近くの女子校でファンクラブが作られるほど人気があり、バスで学校に通っていたため“バス停の君”と呼ばれていたという。
- 浜田省吾、サンハウス、THE MODS、ARB、SION、ブルース・スプリングスティーン らの影響を受けた。デビューアルバム『伝言』は、福山本人の希望もあって、ARBのギタリスト白浜久のバックアップを得て制作されている。また、SIONに関しては、「SORRY BABY」をカバーしたり、シングル『たまには自分を褒めてやろう』で共演するなどしている。
- 学生時代からラジオを愛聴していた。『プレゼントアワー』という、長崎のローカルAM放送局NBCラジオが日曜深夜に放送していた番組のリスナーだった。在学校名や実名をあげて個人の情報を依頼・提供し合うというコーナーがあり、自分の名前があがらないかと毎週楽しみに聴いていたが、結局高校を卒業するまで名前が読み上げられることはなかった。
- 高校卒業後、父親が他界しており、兄も自衛隊に入隊していたため、母親を長崎にひとり残して東京に行くことができず、長崎で就職する。自宅から徒歩5分で、学科試験がないという理由で、電機会社(システック井上)の営業職に就くが、仕事に身が入らず、営業で会社を出ると、海岸に車をとめて毎日文化放送の『吉田照美のやる気MANMAN!』を聴いていたという。
就職して数ヶ月後、音楽への未練が断ち切れず1987年8月31日付けで会社を辞めて上京することを決意。初任給で購入した400ccのバイクを売却し、20万円を手にする。
会社を辞めた日、母親に、会社を辞めて東京に行くことを伝えると、あっさり承諾された(母親は福山が辞表を書いていたことを知っていたため、あっさり承諾したのだという)。 - 1987年9月の夕方、上京する時に会社の先輩、高校時代の同級生が長崎駅に見送りにやってきた。上京する本当の目的を周囲の人間に恥ずかしくて言えなかったので、古着屋になると言って出て来たという。長崎駅から寝台に乗って上京。当時、福山は20万円で半年間生活できると思っていた。
- 高校の3年間同じクラスだった同級生が先に上京していたため、上京の一週間前に連絡を入れ、同級生の家に居候させてもらう。ピザ屋の配達、日雇いの運送屋のアルバイトを経て、近所の材木屋に勤め、ようやく生活が落ち着く。
1987年秋、その当時、たまたま見ていたテレビ番組『美少女学園』の中で、“アミューズ10ムービーズオーディション”の告知を見て、俳優志望ではないのにもかかわらず、オーディションを受けることを決意、居候先の同級生に写真を撮ってもらい応募する。電話もなかったので、アミューズからの連絡はすべて、大家さんを通して郵便物がくるようになっていたという。
オーディションの面接で、特技を聞かれた際、「材木担ぎ」と答え、泉谷しげるの「春夏秋冬」をギターの弾き語りで披露する。最終選考の詳細を告げる連絡がなかなか来なかったため、落選したと思い、落ち込んだ福山は最終選考のある日、気分転換に車でドライブへ出かけるが、国道16号のど真ん中で車のマフラーが落ちてしまい、家へ引き返す。自宅前でマフラーを取り付けているときにアミューズから「至急連絡されたし」の電報が届き、急いでオーディション会場へ向かい「春夏秋冬」を弾き語りし、見事合格する。 - オーディション合格後、養成契約期間ということで1年間に3万円という給料を提示される。都心に引っ越さなければならなかったため材木屋のアルバイトを辞める。この材木屋は強く思い出に残っているようで、現在でもラジオで話すことがある。
有名な下ネタ発言・伝説
- 自らのことを、「オナニーの神の子、マーラ・ダンコーン」であると名乗る(魂ラジ)。
- 桑田佳祐(事務所の先輩)に誕生日プレゼントとして及川奈央のDVD二枚組をプレゼント。
余談だが、彼の下ネタ好きはひとえにこの元祖下ネタ大好きな先輩のせいではないかという説がある。 - 路上で酔いつぶれていた女性を、自宅に持ち帰った。なお、本人曰く「僕は彼女を救助したんです、嫌らしいことなど一切ありません」とのこと。しかし、後に「まあ、嘘ですけどね」と冗談を言っている。
- AVは買わなくてもインターネットでサンプル動画を観るだけで十分だという。自身の出演するラジオでAVの音声だけを聞いて出演する女優を当てると言うクイズをやっていた。なお一番好きなAV女優はRioらしく、事あるごとに「Rioちゃん可愛いわ~」と発言している。『魂のラジオ』にて、リスナーから「Rioの握手会に参加した際、『福山さんがあなたのことをよくラジオで話しているので来ました』と言ったらすごく喜んでいました」というメールを受け取り、「気が利く!でかした!」と大喜びした。
- 事務所の後輩であるポルノグラフィティ・岡野昭仁のラジオ番組(自身のラジオのすぐ後の放送)に乱入して、シャンパンを飲みながら「飲酒放送」を行った。なお後に本人が語るところによると、相当泥酔していたらしい。
- 自身のラジオで「番組オリジナルのコンドームを作る」という企画をやっていた。
- 自らの局部について「生まれたてのハツカネズミのような、非常に奥ゆかしい●●●」と表現。
- 2ちゃんねるのような掲示板で、エロ画像収拾に精を出している旨の発言をしている。しかも上物を見つけるたびに「ウホッ、キタコレ!」とはしゃいでいる。
- 「僕は、火星人であることと小さいことについて何とも思ってませんから!」と堂々と発言。
- 1度でいいから、いっそのことチンコ出して街歩きたいという願望あり。
- 2003年のラジオで、『虹(同年のマキシシングル)』について、「ヒットしたら下の毛を虹色に染めてみんなにプレゼントしてやる」公約。結果『虹』はミリオン達成、同年のCDシングル合計売り上げ2位。
- 「抱かれたい男No.1」に選ばれた際、「そんなのどうでもいいから、街中で『抱いて!』て言ってくれよ。いくらNo.1つったって実益なしじゃ意味ないよ」と発言。
- 「空中でオナニーしてたんだけど、踏ん張りが利かなくて達せなかったんだよね」
- 「俺の陰毛は直毛」
- ラジオの電話企画で若い女性(10代の高校生・中学生含む)に胸のサイズを聞くなど日常茶飯事。
しかもストレートに聞くのではなく「大きさを果物か山に例えて」などと、わざと遠まわしに聞く。 - 自身のライブについて「ライブに水着で着てくれる女性いるんだけどさ。水着って元々見せるためのものじゃん?だから同じくらい隠すなら下着じゃないと興奮しないんだよね」と発言。
- 同じく自身のライブについて「ライブで女の子達は俺を性的な目で見てる。股間ばっかり見て。だから俺は礼儀として股間を大きく見せる必要がある。だからいつもファールカップ(野球の捕手が使うような股間用の防具)を付けて大きく見せてる。だから俺はファール福山」
- 「売られた下ネタは買います!絶対に負けません!」
- 「俺の種子島に鉄砲おろせ」
- Q.「6」って英語でなんて言いますっけ?→A.「セ○クス」(即答)
- 龍馬伝に出演していた頃、撮影中に望月亀弥太役の音尾琢真が武器(小道具)を持って上半身裸で訓練している様子を見て、「音尾くん乳首デカイね」「乳首デカイね」「何かやってんの?」と意味深なポイントに食いついていた。(メイン共演の大泉洋からの証言)
ちなみに、福山雅治の下ネタの起源は「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」(過激な下ネタで有名だった)らしい。
誤解のないように言っておくと、普段の福山は口を開けば下ネタが飛び出すような人間ではもちろんなく、本人が下ネタを特に好んでいるわけでもない。
本人曰く、上述の鶴光の番組を愛聴するうち、自分の中で「ラジオといえば下ネタ」という公式が組みあがってしまったため、ラジオになると下ネタを乱射するようになってしまったという。
出演テレビ・ラジオ
1992年から1998年まで放送された『福山雅治のオールナイトニッポン』の放送期間を含めると『ナインティナインのオールナイトニッポン』に次いでいる。
出演CM
ディスコグラフィー
映像作品
- BROS.(1992年1月21日)
- START(1993年6月2日)
- FUKUYAMANIA(1999年2月6日)
- fukuyama MASAHARU EGGS LIVE:OSAKA DOME/CLUB Eggsite(2001年12月12日)
- 嗚呼、大感謝祭!!(2003年3月26日)
- FUKUYAMA MASAHARU 15TH ANNIVERSARY SPECIAL DVD BOX "また逢おう!またやろうな!!"(2005年12月14日)
- WE'RE BROS. TOUR 2007 LIVE DVD SPECIAL BOX "17nen mono"(2007年10月24日)
- FUKUYAMA MASAHARU 20th ANNIVERSARY WE'RE BROS.TOUR 2009 道標(2010年4月28日)
- 福山☆夏の大創業祭 稲佐山(2010年4月28日)
- 『生きてる生きてく』Tv Ver. with 雅秋&フクラージョ(2012年2月22日)
- FUKUYAMA MASAHARU WE'RE BROS. TOUR 2011 THE LIVE BANG!! (2012年6月27日)
- やっとなんだ、本当なんだ、夢じゃないんだ!福山☆真夏の初体験THE LIVE BANG!! in 沖縄 (2012年6月27日)
- 福山☆冬の大感謝祭其の十一初めてのあなた、大丈夫ですか? 常連のあなた、お待たせしました♡本当にやっちゃいます!『無流行歌祭!!』 (2012年6月27日)
関連動画
その他
関連静画
関連商品
音楽関連
ドラマ・映画関連
関連項目
- ミュージシャン一覧
- ニコニコ動画を見ている有名人
- ※ただしイケメンに限る
- 福山雅秋
- オレオレ詐欺(テレビに福山雅治が出ると、2chの実況板・ニコニコ実況で「俺」というレス・コメントがつくため)
- 福山○治
- 三遊亭小遊三(「笑点」の番組内でよく自称している)
関連リンク
脚注
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