NSXとはホンダ(本田技研工業)のスポーツカーである。
概要
「ニュー」「スポーツカー」と未知数を表す「X」を合成させたNewSportsCarXの略である。
1989年のプロトタイプ・モデル発表からしばらくは、NS-Xと、SとXの間にハイフンが入っていたが、1990年の販売開始時にはハイフンが取れて現在の名称となった。
後述する性質から日本車で唯一のスーパーカーとも評され、国内の同じ280psクラスのスポーツカーのライバル車とは一線を画していた。
全長 4,430㎜
全幅 1,810㎜
全高 1,170㎜
NA1型/NA2型 (1990~2005年)
1970年のS800生産終了以来、スポーツカーの生産から遠ざかっていたホンダは、第2期F1参戦を機に「世界に通用するHONDAの顔を持ちたい」との願いから開発された車であり、バブル景気絶頂期の1989年に発表され、1990年9月に発売開始。翌1990年から2005年までの15年間の長きにわたってフルモデルチェンジを行うことなく製造及び販売がなされた。
価格は販売当初は1グレードのみの800万円(AT仕様は60万円高)で、当時の国産乗用車の中では最高額だった。5速MT、4速ATを搭載。ATのみの特徴として、電動パワーステアリングを搭載(後にMTでOP選択可となった)。
搭載エンジンは3,000㏄、V型6気筒、VTEC搭載のNSX専用であるC30A。スポーツカーの中でNAモデルにて280psを発揮するのはNSXのみであった。
その後、改良や装備の追加 等により徐々に値上がりし、900万-1,300万円台となっていた。
販売した15年間、いずれもスポーツカーとしては日本車最高額を誇った。
当時のスポーツカーとしては珍しくATの受注が多かった。家族のセカンドカーとして運転できる車としての需要が高かった為ではないかと言われた。年配者や女性にも扱いやすく、開発チームは「この車にATがったおかげで人生が変わった」などの声があり、嬉しかったと語っている。
バブル景気崩壊の影響を大きく受け、前述のように長期間生産されたものの国内生産台数の85%程度が1990年~1992年製となっている。
1995年にルマン24時間レース、GT2クラスにてチーム国光(高橋国光、土屋圭市、飯田章)が優勝を勝ち取る。片側のリトラクタブルヘッドライトが破損した姿が印象的であった。
1997年のマイナーチェンジでMTモデルのエンジンが3,200ccのC32Bとなった。同年にMTが6速となり、型式がNA2となる。ATは入れ替え構想こそあったもののエンジンスペックと共に開発時のまま据え置かれ、生産終了まで型式はNA1である。
2001年12月にマイナーチェンジで固定型ヘッドライトとなった。これを後期型と呼ぶ場合がある。
マイナーチェンジを重ねた結果、他車がスポーツカーを生産終了するきっかけとなった2000年、2005年の排ガス規制にかからない低公害エンジンとして改良されてきたC30A、C32Bであったが、2006年から始まる排ガス規制により2005年12月に生産を終了。15年間の歴史に幕を下ろした。
特別グレードとして1992年~1995年の間に生産されたホンダ初のtypeR、1995年からタルガトップのtypeT、1997年にスポーツ走行特化のtypeS・typeS zero、2002年にふたたびtypeRとして販売されたNSX-R等が販売された。
特別モデルとして、2005年3月にGT500のホモロゲーション取得のために販売されたNSX-R GTがある。5台限定で価格は5000万円。スーパーGT参戦車両譲りの専用パーツが多く使用されているもののエンジンスペックなどは据え置きとなっており、その高価格も相まって1台のみが販売されるに留まった。
最高時速は270km/hを超えるといわれている(日本仕様は180km/h制限されている)。
その特殊性から生産の工程は大規模工場などの無人ロボットを使った流れ作業によらず、ほとんどを手作業で行っていた。
1990年9月の販売当初から採用されたのはセブリングシルバーメタリック、カイザーシルバーメタリック、ベルリナブラック、フォーミュラレッド。約半年後の91年3月よりインディイエローパール、ニュートロンホワイトパール、シャーロットグリーンパールが追加された。
スポーツカーの印象としてフォーミュラレッドがコーポーレートカラーに思われがちだが、セブリングシルバーメタリックがアルミを表現する色として初代カタログ表紙やテレビCMに採用。ベルリナブラックと共に15年間ラインナップされ続けた、NSXを代表するボディカラーとなっている。
残存個体の関係上、93年以降に採用されたボディカラーの多くが希少色となる。落ち着いた色のマグナムグレーパールやワインレッドのようなクランベリーレッドパール、奇抜にも見えるエメラルド色のエストリルターコイズブルーパールなど、スポーツカーのイメージから外れる上に別途パール塗装費がかかるようなボディカラーは数台しか生産されずにラインナップから外れるケースもあった。
1992年よりカスタムオーダープランという特別オプションが採用された。30万円~50万円要の専用ボディカラー、内装色やステッチカラー変更、ルーフのボディ同色塗装、天童木工の本木目パネル等、多種多様なオプションが選択出来た。特に2001年12月以降に採用されたキャンディブルーのロングビーチブルーパールにおいては「(前略)相当の手間と労力が必要なため、量産車への使用は不向きとされていたカラーである。効率よりも品質を重んじる環境がなければ世に送り出すことができなかった特別のブルー。強烈なインパクトに溢れる、その発色、その表情、ぜひともその目でお確かめ頂きたい。」と公式サイトに掲載されている。
1993年より経年劣化や過酷な走行により傷んだ車両をメーカーによってリフレッシュする「リフレッシュプラン」が行われていた。2021年当時でも、専門の職人がエンジンメンテナンスからボディカラー全塗装まで行っていた。
2025年6月に、30年以上継続されていた当サービスを終了すると発表。同時に代替サービスとして、3Dプリンターやリビルド品を使用した新レストアサービスを2026年春から開始すると発表。第一弾としてNSXを対象にサービスを開始する。詳報は2025年秋の予定。
上記リンク先によると、2017年現在で海外輸出を含んだ総生産台数19,000台中7,500台が国内オーナー保有。うち80%程度である6,000台が国内現存している。他車種が同年経過した場合は7%を下回ると言われており、驚異的な現存率となっている。なお、NSXと同時期に販売された軽自動車であるホンダ・ビートは、2021年現在現存率50%とこちらも高い水準を誇っている。
開発経緯について
1984年 1月、「4輪のスーパーカブを作る」ために次世代シティ開発としてミッドシップのコンパクトカー開発が始まった。高効率追求を意味するCQプロジェクトとして、上原繁氏が操安PLに着任。
1985年 スポーツカー検討チームが発足、開発総責任者に上原氏が着任。最先端のハイテク装備の快適スポーツカーにするか、走行に必須なもの以外装備させないF1のようなスポーツカーにするかの議論が夜を徹して行われ、両方の良いところを取り入れる「快適F1」を目指す事に決まった。
軽量化を突き詰めた結果、当時自動車として他に類を見ない世界初のオールアルミニウム製ボディーを検討。模索を重ね、鉄用の3倍の大きさのスポットガンや専用プレス機を導入。価格が高くなり、社内外、特にアメリカンホンダから「V6ミッドシップのポンティアック・フィエロが1万ドルなのに、コルベットより高い5万ドルの車は要らない」と大反発を受けながらも、最終的には開発チームの強い熱意が通り採用となった。
日本の開発チームはアルミの軽量ボディにコンパクトな4気筒2リッターエンジンの搭載を目指していたが、ホンダリサーチオブヨーロッパの3リッターV6縦置き4駆車両の開発プロジェクトが発足している事、アメリカンホンダからアキュラブランドをリードするV6ミッドシップスポーツカー開発要望があり、両社より4気筒では物足りないと猛反対を受ける。
結果、やむを得ず横置きV6エンジンを採用した。本格的スポーツカーは縦置きだという風潮が強いが、縦置きにする事でクラッシャブルゾーン確保による全長やホイールベースの増大、あるいは居住空間の削減等が必要となり、快適F1を目指す中で横置きがベストと判断したためである。
1986年 プロト1と呼ばれる車両を製作。エンジンの開発に何度も試行を凝らし、開発チーム他役員を含めポルシェ911カレラターボやフェラーリ328を乗り比べ、馬力とトルクのバランスを考慮して排気量を3リッターに決定した。
1987年 プロト2と呼ばれる車両を開発。日米欧の新スポーツカー開発計画を日本で1つにまとめた。デザインはモチーフはファイティングファルコンと呼ばれる中型戦闘機F-16である。360度視界のキャノピーを採用、1つのエンジンで小回りの利く機体、世界初のジョイスティックのみで快適に操縦出来、人間が主役のヒューマンシンクロマシーンを標榜していた同機が、NSXの目指す「快適F1」と合致するところが多くあったためである。
デザインは多くの社員、役員が一個人のスポーツカー好きの意見を多く挙げ、特にアメリカンホンダの上級副社長はサイドインテークのこだわりが強く、自らの手でデザイン修正の粘土を盛るために来日するほどであった。
1988年 プロト2が1/1のモックアップモデルを造るSG2まで開発が進んだ。開発チームは工場の専用ラインの設計や鉄とアルミの違いによる、生産上の問題解決に取り組んだ。また、アメリカ・ヨーロッパの現地ディーラーを訪れ、各国のスポーツカーへの価値観や考えを得る。プレリュードで採用した4WS(四駆操舵)導入について試行錯誤が行われるも全幅1,900㎜を超える事になり、当初の目的から外れるとして断念した。
1989年 ここまでエンジンについてSOHCで開発・テストを行っていたが、エンジン開発出身の本田技研社長より同年にインテグラで採用されたDOHC・VTECの導入を必達命令とした。結果、250psから280psまで引き上げられ、V6エンジンでありながらV8エンジン以上のパワーを引き出す事に成功した。
アメリカのシカゴショーでコードネーム「NS-X」で出展。その後、ハイフンがとれNSXとなる。「間口が広く奥の深いスポーツカー」を「誰にでも乗れるスポーツカー」という表現で発表したところ、1992年にtypeRが発売されるまで甘口のスポーツカーであるという誤解を受ける。アイルトン・セナがF1のテストで鈴鹿に来ていたために試乗を依頼。「フェラーリ・テスタロッサよりも静かで快適だが、剛性が不足している」という感想を得たのち、ニュルブルクリンクにて約8カ月走り込み、バーを追加したり肉厚を変えて剛性を強化した。
1990年 生産工場が栃木の高根沢工場に決定し、生産ラインの設置・導入を実施。同年9月にNSXが発売。
次期モデル
当初、2003年に発表したコンセプトカー「HSC」をベースに、2010年を販売目標として開発が進められていたが、リーマンショックによる急速な景気後退により、開発が中止された。このときのマシンは、SUPER GT、GT500用レースマシン「HSV-010 GT」へと転用された。
その後、2011年から別の形で開発を再開、2012年1月に「NSXコンセプト」として、モーターを併用したハイブリッドカーの形で発表された。ホンダは2015年までに完成、販売することを明言した。そして2014年からコンセプトモデルという名目ではあるが先行でSUPER GTのGT500車両としてNSXが復活している。
2代目・NC1型(2016年~)
世界的な不況や開発の難航によりたびたび発売が延期されていた2代目モデルだが、2015年についに正式発表され、アキュラブランドで2016年から生産が開始。北米市場で先行発売となり、日本での納車は17年春頃となる見込み。定価は2370万と、限定生産車を除いて日本車最高額となり、並み居る外国製スーパーカーに並ぶほど価格もスーパーになった。
エンジンはコスワースと共同開発した3.5LV6DOHCツインターボを搭載し、モーターと合わせたハイブリッドでシステム出力最大580馬力以上を発揮する。駆動方式はミッドシップ4WD。
サイズは初代に比べ全長・全幅・ホイールベースは拡大されたものの、全高は低められている。ボディはアルミニウムを基本に、ルーフなどにカーボンが使用され軽量化が図られている。
また4WDをオミットしてMR化・ノンハイブリッド化されたNSXがGT3として改造され、北米の耐久レースに投入されている。市販部品を多く用いながらも、高いパフォーマンスを発揮していると好評である。SUPER GT、GT300にも参戦しており、2019年にはARTAチームがチャンピオンを獲得している。
SUPER GT、GT500にも2017年からMR仕様で参戦。2018年にはチーム国光の山本尚貴/ジェンソン・バトン組がチャンピオンを獲得。2020年からはGT500がクラス1準拠としてFRに統一されたため、NSXもFR化の上で参戦継続。2020年にやはりチーム国光の山本尚貴/牧野任祐組がチャンピオンを獲得した。
2021年8月3日、2代目NSXは2022年12月生産・販売終了となることが発表された。最終モデルとして「タイプS」を世界350台限定で販売することも同時にアナウンスされている。
NSXの関連動画
関連項目
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