アメリカンモータースポーツ 単語

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アメリカンモータースポーツ

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アメリカンモータースポーツとは、北を中心に開催されるモータースポーツである。ここでは四輪を取り上げる。

概要

日本におけるモータースポーツヨーロッパを強く受けてきた。その為文化日本と大きく異なるアメリカモータースポーツる際は特に「アメリカンモータースポーツ」と分けられる事が多い。

アメリカの独自のレース文化は本のみならず、アメリカ大陸オーストラリアレース文化に強いを与えている。日本ではF1ル・マンべて注度は高くないが、古くからインディカーNASCAR、IMSAをはじめ多くのカテゴリ日本メーカー日本人ドライバーが活躍している。

アメリカンモータースポーツ独自、または発祥の用語

アメリカンモータースポーツの特徴

オーバルコース

アメリカンモータースポーツといえばオーバルコースである。クネクネと曲がったロードコースとは異なり、楕円や五形の様なシンプルな形をしている。これは元々競馬場サーキットに転用した際の名残であり、アメリカの競馬が左回りである事が由来とされる。ただしローカルレースでは右回りで開催されているところもある。

一見単純に見えるが、取れる走行ラインの幅が大きい分、ドライビングしながら考える余地も大きい。アウト側とイン側のコンディションは毎周のように変化するため、注意しながら走行ラインを選択したり、相手を悪いコンディションの方へ押しのけることが必要になる。

F1などのロードレースとの違いを一言で言えば、「ロードはテール・トゥ・ノーズ、オーバルはサイド・バイ・サイド文化」である。F1サイドバイサイドが起きればハイライトものだが、オーバルでは何十周もライバル達とサイドバイサイドのまま密集していることがよくある(いわゆるパック走行)。この状態では前後だけでく左右でもスリップストリームが効く状態になっており、マシンは極めて不安定な状態にされる。後ろからも横からもマシンは迫ってきて、マシンも不安定、そんな状態にされながら戦うのだから相当なドライビングの腕と精が要される。安全を優先するオーバルでは細なデブリで旗を出すので差がリセットされやすい。どれだけ途中速く走っても戻されてしまい、接近戦を延々と続けることになる。こうしたことからヨーロッパは「が速いか」、アメリカでは「が強いか」を競うと言っても過言ではい。

オーバルでもブロックをすることはできるが、ロードのように厳しいブロッキングは危険だとしてペナルティの対となる。なのでインを取ったライバルの横にぴったりつけてプレッシャーをかけたりするなどのテクニックが要される。ランオフエリアく周囲はライバルだらけなので、ミスの許されない緊感がある。

マシンセッティングは極めて繊細。オーバルではわずかなバランスが大きな違いを生じさせるので、文字通り全てが完璧である必要がある。そのため、オーバル出身のエンジニアロードコース妥協点を探るようなセッティングの方法を理解するのに苦労するという。

またオーバルはピット戦略も重要である。一周が短く周回遅れにしやすい・されやすいため、いかにライバルを周回遅れにするか、あるいは自身がされないかということも考えて戦略を組み立てる必要がある。逆に言えば同一周回に留まってさえいれば、コーションが出たときにライバルとの差をリセットするチャンスがあるわけで、いかに周回遅れにされず踏んれるかもポイントとなっている。いつピットに入るか、今コーションが出た時は入るのか否か、などを常に考えながらレースを進めなければならない。

チームプレーロードコースのそれより重要度が高い。スリップストリームチームメイトを引っ作戦は必須テクニックで、2016年インディ500ではチームメイトスリップストリームを何周も使わせてもらって燃費を節約したルーキーが大逆転優勝を収めた。また、場合によっては敵チームとも協しながらトップを追走・順位確保を進めることもある。

イコールコンディションに近づける努力

欧州最高峰がマシン開発で勝負が決まるF1アメリカの最高峰がマシンだけでは勝負の決まりづらいインディカーNASCARであることに代表される様に、基本的にはイコールコンディションに近い状態が好まれる。

ただし近年は欧州でもGT3WTCCなどで積極的に性を均衡させる手法は用いられており、必ずしもアメリカ特有とは言いがたい。またアメリカでも開発競争自体は上記カテゴリでも行われており、必ずしもイコールコンディションだけが好まれているわけでもい。

どちらかと言えばアメリカンモータースポーツらしさは、マシン規定よりレース運営に表れている。例えばNASCARインディカー、IMSAでは一定の条件を満たせば周回遅れをコーション中に取り戻せるルールが存在している。また細なことでもフルコースコーションを連発するのもそうであり、ロードコースでもオーバルの様に接近戦を好む部分がある。

接近戦を好むのは総合ランキング上でも同じで、基本的に出走さえすればリタイアしてもポイントがもらえるシリーズが多い。また順位間のポイント差も少ないため、ランキングは常に接戦となる。

エンターテイメント性の追求

アメリカンモータースポーツは観客を飽きさせない・新規のファン層確保のための工夫が多く凝らされている。スポーツである以上はドライバー(チーム)同士の戦いであり、そこにエンターテイメントを挟み込むのは本来的にはなかなか相容れない要素である。しかし、それをうまい事ルールとして挟み込み、熱狂させると言うレースエンターテイメントの領域にもっていった。特にフルコースコーションは、競技性とエンターテイメントの両方を高めるために一役買っている。

またオーバル、ドラッグレースデモリッションダービーのような、観客席から全体を見渡せる競技場の構造も人気を集めている。これらは安全には万全を期しつつも、観客席とコース距離はかなり近い(または近く感じる)。安く見れる、近くで見れる。それがアメリカンモータースポーツを見てきた人々が必ず口にすることである。

競技外でも、安価パドック見学をしたり、関連グッズの販売やそれにかかるロイリティなど、レースデーそのものを商業的に確立している点が大きい。インターネットでもYoutubeNASCARインディカーのようなビッグカテゴリすら、週末のレース放送のフル動画を1週間以内に公式アカウントアップロードして、エンターテイメントに貢献している。

スポンサー

言うまでもなくモータースポーツのかかるスポーツなのでチーム支援するスポンサーの存在は欠かせない。そしてスポンサーテレビ中継や一度に最大10万人が訪れるスピードウェイは絶好のPRの場である。スポンサー収入の額もケタ違いであり、グッズロイリティと合わせてチーム内のスタッフが専業でやっていける程になっている。既に文化として根付いているアメリカンモータースポーツのスポンサーには自動車関連以外にも日常生活に直結する企業違いの企業名前を連ねている。

また、アメリカンモータースポーツで多く見られる事例として勝利インタビューではドライバーどの場面でスポンサーを立てる発言をするように底して躾けられる。時にはユーモアを交えながらスピーチする技量もめられる。

今日勝利はここに来てくれた皆さんやチーム、そしてスポンサーコカコーラのおかげです」
―(勝利インタビューの一例)―

NASCARではスポンサー同士が集まって経営的に協する話し合いをする場が公式に設けられており、企業にとってビッグビジネスを掴みやすい場としても知られる。

裾野の広さ

頂点から底辺にいたるまで非常に広くレースが存在する。全各地でミジェットカーレースデモリッションダービーのような町レベルでやるようなローカルレースが、様々な団体によって行われている。使用されるマシンも団体によって本当に様々で、オープンホイールにしたストックカーレジェンドカーと呼ばれる古の外見のストックカーなども用いられる。ドラッグレースなどは分類が細かすぎて到底書き切れない。

これらはブックメーカーの対になっていることも多く、スプリンカーレースに数万単位の人が押しかけるほどの規模がある。

参加のしやすさ

NASCARに代表される様に、高いレベルコストと安全性を両立させる努は下位から上位まで共通しているため、でも参戦しやすいものになっている。

また出走可台数が多いのも特徴。F1フルグリッドが26台に対してインディカーは33台。また60台とエントリーが決まっているル・マンに対して、デイトナ24時間やセブリング12時間などは100台以上がエントリーできる。

アメリカにおけるレース分類

があるページは合わせてご参照いただきたい。また、リンクのかかっている部分は公式サイトにつながる。

アメリカの独自性が高い競技

アメリカの独自性に加え、欧州や日本のレース文化の影響を強く受けている競技

かつて存在していたアメリカンモータースポーツ

日本とアメリカンモータースポーツ

あまり知られていないが、日本は古くからアメリカンモータースポーツに関わってきている。

NASCARの項も併せて参照して頂きたいのだが、1960年の筍のように様々なレースが登場したが、NACというプロモーターが催したナショナルストックカーレースNASCARに範をとった運営で高い人気を誇った。東名自動車で知られる鈴木一は3年連続で本場のNASCARにスポット参戦を果たしている。逆に当時のNASCARスター選手であるタイニー・ランドが来日して、スポット参戦するなど交流が行われていた。その後盛を見せたナショナルストックカーレース政治的な動きやオイルショックによって1973年に消滅する。

また、当時北盛していたシリーズの名を取って「日本Can-Am」というスポーツカーレースを開催したり、本場のCan-Amに参戦しようとトヨタ日産が計画を立てた。結局オイルショックが原因で両社の参戦計画は潰れてしまったが、現童夢社長子田寛や「サーキットの狼」のモデルである戸裕が本場にスポット参戦した。

マツダオイルショックにめげずIMSAとデイトナ24時レースに挑戦し続け、クラス優勝を長く重ねていった。その後グループCカーの時代から日本勢が復活し始め、日産トヨタデイトナ24時間で総合優勝を収めた。

現在最も日本で知られているオープンホイールでは、1986年ヒロ松下が渡をしてキャリアを重ねた後に1990年インディカーの前身であるCART、そしてインディ500日本人として初めて参戦した。その後1994年から日本でも放送が始まり、多くの日本人ドライバー日本メーカーホンダトヨタインフィニティ)が参戦。ツインリンクもてぎでの開催もされ、第二のF1として認知度は一気に高まった。そして2010年からはF1での表台経験を持つ佐藤琢磨が参戦、ついに2013年4月ロングビーチ日本人初の優勝を、さらに2017年5月には日本人初のインディ500優勝を果たした。

またNASCARでは1996年に約30年ぶりにNASCARドライバー日本レースを行い、それに感銘を受けたドリキンこと土屋一や福山英朗らが参戦、特に福山トップカテゴリーウィントンカップへ参戦した。その後もインディカーと同じように多くの日本人が参戦、日本人フル参戦こそないが下位カテゴリートップカテゴリーたるスプリンカップし、日本人ドライバーが切磋磨している。

一方、NHRAに代表されるドラッグレースはその単純明快さで割合に知名度とは関係なしにの根レベルで浸透していた。その中で岡崎健滋が1996年NHRA日本人初の優勝を果たしている。

日本で開催されていたものとしては、もてぎのインディジャパンが有名。2011年インディジャパン終了後もしばらくダートオーバルのレースが開催されていた。ちなみに富士スピードウェイも当初はオーバルコースとして設計されていた。その後、立地の関係などでヨーロッパサーキットに設計変更されたが、旧30°バンク現在も使用されている長いストレートオーバルコース的で作られた。また、「スピードウェイ」もオーバル設計だった名残である。

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