メジロ牧場とは、かつて北海道虻田郡洞爺湖町にあった競走馬の生産牧場である。
史上初の三冠馬メジロラモーヌ、史上5頭目の春秋グランプリ連覇を果たしたメジロパーマー、GIを5勝しJRAの年度表彰を4年連続で受賞したメジロドーベルなど、数々の名馬を送り出した日本屈指のオーナブリーダーであった。
他にメジロ商事の馬主名義で競走馬を所有し、こちらにも日本史上初の芦毛の天皇賞馬メジロアサマ、天皇賞(春)を連覇し顕彰馬に選ばれたメジロマックイーンなど多くの名馬がいる。解散時の代表は北野雄二。
有限会社メジロ牧場 | |
生産者情報 | |
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所在地 | 北海道虻田郡洞爺湖町 |
設立年 | 1967年 |
解散年 | 2011年(売却) |
設立者 | 北野豊吉 |
事業形態 | オーナーブリーダ― |
重賞勝利 | 58勝 |
GI級勝利 | 11勝 |
通算成績 | 6,204戦661勝 (1978年以降) |
獲得賞金 | 156億8259万円 (1978年以降) |
馬主情報 | |
活動期間 | 1970年-2011 |
活動形態 | オーナーブリーダー |
勝負服 | 白,緑一本輪,袖緑縦縞 |
冠名 | メジロ |
重賞勝利 | 62勝 |
GI級勝利 | 11勝 |
通算成績 | 5,090戦568勝 (1982年以降) |
獲得賞金 | 121億8414万円 (1982年以降) |
表彰・記録 | |
競走馬の生産者・馬主テンプレート |
建設会社「北野組」の社長で馬主である北野豊吉(1904年~1984年)と妻で馬主である北野ミヤ(1912年~2004年)が北海道伊達市に存在する明治時代に高橋是清が創設したという高橋農場から土地の一部を分けてもらい、1967年に「メジロ牧場」という名で創設された。メジロという名前の由来は北野家の住居がある東京都豊島区にある目白からである。
北野氏は元々天皇賞を勝利して「盾の栄誉を得る」ことを目標に1950年代から馬主として活動していた人物で、自身の牧場を持つ以前からシンボリ牧場と共同で種牡馬を所有するなどブリーダーとしても活動していた。メジロ牧場を創設してからは自然に「自家生産馬で天皇賞を勝つ」ことを目標に競走馬の生産が行われていくことになった。当時の天皇賞は春秋どちらも3200mで開催されていたため、長距離のレースで活躍するステイヤーを多く生産し、開業直後の1970代から重賞馬を続々と輩出。1971年には洞爺湖の程近くに分場を建設、1975年には生産馬の多くを管理する別名義のメジロ商事が中央競馬のリーディングで1位になるなど新興の牧場としては大きな成功を収めた。
しかし1977年には有珠山噴火により建設したばかりの洞爺湖分場が大きな被害を受け、一転して牧場は危機に陥った。当時のメジロ牧場は活躍馬がほとんど引退していたこともあり北野夫妻は殆ど諦めかけていたが、重賞未勝利だったメジロアシガラが障害のオープン戦を勝利して稼ぎ出した賞金で何とか危機を脱出し、1982年には牧場創設前から北野氏が所有していた天皇賞馬メジロアサマの産駒メジロティターンで天皇賞(秋)を勝利。遂に目標としていた自家生産馬での天皇賞制覇を達成した。その僅か2年後、北野氏は「ティターンの子で天皇賞を勝て」という遺言を残して80歳で世を去った。
北野氏が亡くなった後、メジロ牧場は妻の北野ミヤ氏が二代目として後を継いだ。ミヤ氏は先代豊吉氏亡き後のメジロ牧場の経営を取締役専務の岩崎伸道氏と牧場長の武田茂男氏に任せ、自身はもっぱら中央競馬のあちこちに顔を出し「メジロのおばあちゃん」と呼ばれる名物馬主として活動していた。86年には豊吉氏が生前見出していた種牡馬モガミから史上初の牝馬三冠馬メジロラモーヌが現れ、91年にはメジロティターンの産駒メジロマックイーンで天皇賞(春)を勝利し親子三代天皇賞制覇を達成した。90年代は他にもメジロパーマー、メジロライアン、そしてライアンの産駒であるメジロドーベルとメジロブライトにより多くの大競走を制覇し第2の全盛期を迎えた。
2000年の有珠山の噴火や有力馬がいなくなったためかメジロの運営が滞り始め、2000年のメジロベイリーの朝日杯3歳Sを最後にGI勝利から遠ざかり、重賞も2006年のメジロマイヤーが最後となった。ミヤ氏が2004年に亡くなった時に「生産牧場の経営は不安定なものであるから、誰かに迷惑をかける前に、従業員の退職金が出せるうちに牧場を畳むこと」という遺言を預かっていた専務の岩崎伸道氏は、2011年に東日本大震災による競馬開催の休止を契機として当時代表だった北野雄二へ解散を進言。雄二氏がこれを受け入れたことでメジロの解散が決定し、同年5月15日の新潟4レースにおいてメジロコウミョウの1着でメジロの名を終えたのである。
メジロ牧場解散後、設備や繋養馬はメジロ牧場で専務を務めていた岩崎伸道が引き継ぎ、岩崎と旧知であったノーザンファームから支援を受けてレイクヴィラファームとして再出発した。オーナーブリーダーであったメジロ牧場とは異なり、生産のみで馬主業を行わないマーケットブリーダーとして活動している。メジロラモーヌ・メジロライアンの曾孫にあたるグローリーヴェイズがレイクヴィラファーム生産馬として初のGI馬となり、それ以外ではメジロ牧場の基幹牝系であったメジロボサツ系のモーリスがGIを6勝する大活躍を見せた。メジロ牧場の名は消えても、メジロの馬たちは今もなお日本競馬に影響を与え続けている。
メジロ商事株式会社 | |
馬主情報 | |
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活動期間 | 1967年-2010 |
活動形態 | 法人馬主 |
勝負服 | 白、緑一本輪、緑袖 |
冠名 | メジロ |
重賞勝利 | 65勝 |
GI級勝利 | 19勝 |
通算成績 | 5,868戦724勝 |
獲得賞金 | 112億5586万円 |
表彰・記録 | |
競走馬の馬主テンプレート |
メジロの馬でも馬主が北野豊吉、北野ミヤ、北野俊雄、北野雄二、メジロ牧場、メジロ商事に分かれる。豊吉、ミヤ、俊雄、雄二はメジロ牧場設立前の個人の所有馬と推測できるが、メジロ牧場設立後も牧場と商事と分けており、何故分けているのかは競馬ファンでもわからない状況である。
色々と憶測があるだろうが、境界線はある。
ということがわかっている。
当時、メジロパーマーやメジロライアンはメジロ牧場産まれで、馬主もメジロ牧場となっていた。あまり期待されていかったものの予想外の有力馬となり、特にメジロライアンの仔であるメジロドーベルは馬主がメジロ商事となったため、「有力馬はメジロ商事」という図式が出来ていたのである。そのこともあってメジロ牧場全体の生産馬の勝利数よりもメジロ商事の名義の方の勝利数が多かったり、馬主としてのリーディングも上位に位置していた。
馬の名前を付ける時は最初は日本の山の名前だったが、名前が枯渇してきたためか毎年テーマを決めていたとのこと。有名どころを狙うと
など色々ある。他には特定企業の商品名とか、メジャーリーグで殿堂入りした選手の名前や、アイルランドの地名などもある。
太字は記事のある馬。
掲示板
22 ななしのよっしん
2023/06/25(日) 21:36:27 ID: alx4aGTBND
昨日TOYAKOマンガアニメフェスタに行ったんだがウマ娘のレイヤーが多かったのはこれか。。。
23 ななしのよっしん
2023/07/14(金) 14:37:24 ID: a5N//sX3gZ
別に閉める必要があるまで採算がひっ迫してた感じはないけど、最近のスピード競馬化にはついていけてない印象もあったし、潮時ってやつなんだろうね
いずれにしてもシンボリ、トウカイも最近すっかり地味だし、馬稼業ってのは難しいんだなぁ
24 ななしのよっしん
2023/09/21(木) 20:38:44 ID: me5HoebQr4
一応メジロ牧場を解散した時にまだ現役だった馬達は岩崎伸道名義で走り続けていたためメジロの馬が完全にいなくなった時期はもう少し先になる(恐らく2015年まで走っていたメジロサンノウが最後)
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最終更新:2024/05/14(火) 12:00
最終更新:2024/05/14(火) 12:00
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