℃-ute(キュート)とは、かつてハロー!プロジェクトに所属していた5人組の女性アイドルグループ。
■概要
解散まではアップフロントプロモーション所属。
2005年6月11日にハロー!プロジェクト・キッズ出身メンバー7人で結成され、翌2006年に1人追加加入したが1人脱退、2009年には2人が脱退・卒業し、現在の5人組になる。
結成時から現在まで、姉妹グループのBerryz工房とは対照的な波瀾万丈の経緯をたどり続けているグループである。
またプロデューサー・つんく♂から与えられている楽曲やパフォーマンスもBerryz工房とは対照的で、高速ダンスナンバーやセクシーな歌詞・振り付けの曲、息の合ったダンスに重点を置いたパフォーマンスが目立ち、近作はより一層その傾向が強まっている。ヘソ出し&短パンなどの露出度が高めのステージ衣装を着ることがハロプロ各グループの中では比較的多い。
インディーズデビュー当初から販促イベント「Cutie Circuit」(大型ショッピングセンターなどでのCD即売握手会、初回盤CDに入っている応募券で参加応募するイベントなど)を継続して行っており、ここまで大ヒット曲こそないものの、メジャーデビュー後の全シングル曲がオリコンウィークリーチャート10位以内を確保している。
ハロプロの中ではニコニコ動画と特に縁が深く、ニコニコ超会議に第一回から三年連続で出演してライブを行っているほか、ニコニコ関連イベントにも度々登場している。
後述するが6月12日、「℃-ute ラストコンサート in さいたまスーパーアリーナ ~Thank you team ℃-ute~」を以て解散。
■メンバー
℃-ute以外に所属したシャッフルユニット/企画ユニットについても表記する。(現在活動しているユニットは太字)
最終メンバー
- 矢島舞美(リーダー)- ZYX、High-King、安倍なつみ&矢島舞美(℃-ute)、DIY♡、メロウクアッド。
メンバーカラー:ピンク→赤(2009年11月21日~。以下の現役メンバーも同様) - 中島早貴 - アテナ&ロビケロッツ、ガーディアンズ4、DIY♡、HI-FIN/プッチモニV。
メンバーカラー:オレンジ→ライトブルー - 鈴木愛理 - あぁ!、Buono!、ダイヤレディー。
メンバーカラー:緑→ピンク - 岡井千聖 - アテナ&ロビケロッツ、メロウクアッド/タンポポ♯。
メンバーカラー:青→緑 - 萩原舞 - きら☆ぴか、HI-FIN/プッチモニV。
メンバーカラー:紫→黄
元メンバー
- 村上愛 - ZYX。2006年10月脱退。
メンバーカラー:水色 - 有原栞菜 - ハロプロエッグ出身。ともいき・木を植えたい。2006年1月加入、2009年2月離脱、7月脱退。
メンバーカラー:赤 - 梅田えりか - ZYX(ZYX-α)。2009年10月卒業。
メンバーカラー:黄
■℃-uteの歴史
余り物と呼ばれた7人・・・℃-ute誕生
2004年の正月、ハロー!プロジェクト・キッズの中から8人が選抜されてユニットを結成、Berryz工房と名付けられた。
結成当初はBerryz工房に選ばれたメンバーはあくまでもスターティングメンバーであり、他のキッズメンバーとの間で入れ替えも有り得る、とアナウンスされていたが、実際にはそのようなことは行われず、残りのキッズメンバー7人(非ベリキッズ、7KIDSとも非公式に呼ばれていた)は、引き続き先輩たちのバックダンサーやハロプロ全体のイベントへの出演、個人単位でドラマや映画・舞台に出演するなどの活動を続けてきたが、活動面でも人気でもBerryz工房メンバーとは格差が付いてしまった。
Berryz工房結成から遅れること1年半、2005年6月11日、木更津市民会館で行われた『地球温暖化防止キャンペーン「熱っちい地球を冷ますんだっ。」安倍なつみ 歌とトークのふれあいコンサート』にゲスト出演した非ベリキッズ7人によってユニットを結成することが発表され、つんく♂により℃-uteと命名された。その後はハロプロの先輩たちのコンサートで前座を務めるなどの活動を続けていたが、当初はオリジナルの持ち歌がなく、先輩グループやBerryz工房の曲を歌っていた。11月に初めてのオリジナル曲「わっきゃない(Z)」を披露する(後にインディーズ第4弾シングルとして発売)。
増員、待ちに待ったデビューの日、最初の試練・・・
2006年1月2日、正月のハロー!プロジェクトコンサートの初日に矢島舞美がリーダーとしてあいさつを行う。ここまで℃-uteのリーダーが誰であるかは発表されていなかったが、この日が正式に矢島がリーダーとなった日とされる。また同時にハロプロエッグの有原栞菜が追加メンバーとして加入し、8人組になった。当初ハロプロキッズ出身者ではない有原が加入することには一部のファンから抵抗の声もあった(実はメンバー間でも「7人では力不足なのか」という抵抗と葛藤があったことを後年明かしている)が、徐々に受け入れられていった。そして5月6日に「まっさらブルージーンズ」でインディーズデビューを果たす。
この頃の℃-uteはお姉さんっぽい雰囲気の梅田・矢島・村上・鈴木が、いかにも子供っぽい雰囲気の有原・中島・岡井・萩原を連れているような感じの、アンバランスな見た目のグループだった。
計4枚のインディーズシングルのリリースおよび全国でミニライブなどのイベントを行ったのち、10月25日にメジャー第1弾CDとして、これまでのインディーズシングルなどをまとめたアルバム「キューティークイーン VOL.1」を発売、メジャーデビューCDがアルバムという異例のデビューとなった。
・・・だが、まさにそのアルバム発売の当日、とんでもない事態が発生していた。
悪質なアイドルストーカーによって撮影された、村上愛が男性と相合い傘をして歩いている写真がネット上に公開されてしまったのだ。この件は2ちゃんねるのモ娘。(狼)板を中心にファンの間で大騒ぎになる。
11月1日、村上愛が学業優先のため10月31日付けで脱退していた旨が発表される。村上の脱退と写真流出との関係について、公式には一切語られていない。
元々℃-uteは、矢口真里とキッズメンバーによるスペシャルユニット・ZYXの中心メンバーだった村上と、田中れいな・夏焼雅とのトリオ・あぁ!でデビュー済みだった鈴木愛理を二枚看板として結成されたグループなのだが、本格デビューを目の前にいきなり二枚看板の片方を失うことになってしまった。
メジャーデビュー、レコ大新人賞、紅白出場
何とか7人で立て直しを図り、2007年2月21日、「桜チラリ」でシングルメジャーデビュー。同月25・26日には日本青年館で初の単独コンサートを開催する。この時点でもオリジナル曲が10曲ほどしかなく、足りない分はごまっとうやプッチモニの曲を歌っていたが、4月から行われた初の東名阪ツアー『ゴールデン初デート』でようやくコンサート1回分のオリジナル曲を披露できるようになった。
10月17日に発売されたメジャー3枚目のシングル「都会っ子純情」で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。同年、ハロー!プロジェクト10周年記念紅白スペシャル隊の一員としてNHK紅白歌合戦初出場を果たした。
上昇軌道に乗りきれず・・・相次ぐ卒業者
翌2008年には、球団創設からこれまで毎年モーニング娘。、DEF.DIVA、GAMが担当してきた楽天イーグルス公式応援歌を歌うことが決定、春からはBerryz工房と℃-uteが対決を繰り広げる5分間の帯番組「ベリキュ~!」がテレビ東京でスタート、また同年最初のコンサートツアーはBerryz工房との合同ツアー『Berryz仮面vsキューティーレンジャー』として行われ、ダンスの素質を開花させた中島早貴がBerryz工房のダンスマスター・清水佐紀とダンス対決を行った。
だが夏のコンサートツアー『忘れたくない夏』では前年のレコ大最優秀新人賞で事務所が調子に乗ったのか横浜公演で最大キャパ4000人のパシフィコ横浜国立大ホールを使用し、4割ほどしか埋まらないという結果に終わる(他の会場は従来のツアーと同程度のキャパの会場だった)。またこの夏には、有原が某有名ジャニーズjr.との遊園地デート写真をゴシップ雑誌に掲載されるという事件が起き、ファンにとって忘れたくても忘れられない夏となってしまった。さらに12月にはTV番組「よろセン!」で先生役を担当した中島が「癒しのヒトラーおじさん」事件に巻き込まれた。
2009年2月26日、有原が「持病で患っていた外反母趾が悪化したためステージでのパフォーマンスが困難になり、治療が必要となった為」活動休止を発表、以後しばらく6人で活動することになったが、結局有原は戻ってくることのないまま7月9日に脱退、芸能界を(一時)引退した。
復帰後に出した写真集を見る限り、結構重い外反母趾であることは確かなのだが・・・。
そのショックも醒め遣らぬ8月1日、今度は梅田えりかがモデルへの転身を理由に、夏秋ツアー『キューティーJUMP!』最終日での卒業を発表する。
梅田はモデル系の非の打ち所がないルックスで、実力的にも問題はなかったが、℃-ute加入後は成長とともにいっそうモデル寄りの(≒アイドルっぽくない)ルックスに変化していったからか、ステージでも後列に置かれることが多く、ルックスを活かした写真集出版の話もなく、扱いの悪さにモチベーションを失ってしまってのモデル転身・・・と思われるが、8月に行った初のハワイファンクラブツアー時に撮影された写真集『アロハロ!℃-ute』には発売が卒業=事務所移籍後になるからか登場せず、卒業メモリアルDVDも制作されず、10月25日のラストステージでもモーニング娘。卒業メンバーのような特別なセレモニーは用意されなかった。最後まで扱いの悪さは変わることはなく、推しならずとも憤るファンは多かった。
「SHOCK!」
℃-uteは結成時の人数を2人も下回る5人になってしまい、メンバーもファンも深い悲しみを味わった。いくつかの新人賞と事務所の無理押しで何とか出場できた紅白以外にこれと言った成果もないまま、結成から4年半が経っていた。タイアップにも恵まれて順調に活動を続けているBerryz工房との差は開くばかりだった。
さらに2009年春からはハロプロエッグの精鋭4人によって結成されたS/mileageが本格デビューに向けて活動を開始しており、ハロプロ全体が右肩下がりの傾向が続く中、もはや℃-uteに残された時間は少なく、前途は暗澹としていた。
梅田の卒業から約一月が過ぎた11月21日、初のベストアルバム発売記念イベント「Cutie Circuit 2009 〜Five〜」がよみうりランドオープンシアターEASTで行われた。
そして、2010年に岡井が『Danceでバコーン!を踊ってみた 【岡井千聖(本人)】』をYoutubeに投稿した頃から、ようやくネットユーザーを中心にグループの再評価をする動きが出るようになり、徐々にではあるがライブでの動員数も増えていった。
この頃の℃-uteの活動としては、他に劇団ゲキハロ第2回公演「寝る子はキュート」および第4回公演「携帯小説家」の主演や、テレビ番組「ベリキュー!」「よろセン」へのレギュラー出演等があった。
実力派アイドルグループとしての再評価
2011年から安定したライブパフォーマンスと岡井の歌唱力向上、メンバーとスタッフが一丸となって作り上げるライブの完成度、そして、ネット上での再評価によりCD売上こそTOP10圏内で安定しているが、ライブ自体は大きな会場でも秋関が少なくなってゆき、気付けば実力派アイドルグループとしてハロプロ外アーティストからも尊敬される対象になっていた。それくらい、℃-uteの実力は同業者から高く評価されていた。
そして、シングル「Crazy 完全な大人」リリースイベントでつんく♂から初の単独では初の日本武道館公演を2013年9月10日℃-uteの日に行うことが発表され、メンバーは感動の涙を流した。更に、その腕鳴らしのためなのか同年7月5日に自身初の海外公演をパリで行うことも発表された[1]。アルバム『⑧Queen of J-POP』リリースをはさみ、同年9月9日と9月10日に行われた初の日本武道館公演は満席となり、これで名実ともに実力派としての評価を高めていった。
変革・解散へ
そのきっかけはつんく♂の病気(後の喉頭がん)であった。この前後からつんく♂から提供される曲は生半可な実力だと歌いこなせない曲ばかりとなり、特に26thシングル曲の一つ『I miss you』はメロディが最大3パターンに別れ、終盤に爆発するという難しい構成になっていた。
そして、つんくが総合プロデューサーから降り、1人の楽曲提供者となってからはつんく♂が関わる曲が少なくなり、公式ブログもGREEからAmebaへと移行することになった。同業者からの評価のおかげか、MUSIC STATIONにも出演するなど、その実力は一般層へと(ほんの僅かではあるが)知られるようになり、岡井はバラエティ番組で新たなおバカタレントとして露出が増え、鈴木もすずのやイメージキャラクターやRay専属モデルといったビジュアル面でも評価されるようになった。
当然、ライブも武道館公演を機にホール公演が増え、矢島が雨を呼ぶという日常の中で日本武道館公演を含めたライブツアーも成功するようになった。
そんな円熟期を迎え、もっと脂が乗ると思われた2016年8月20日、2017年6月開催予定のさいたまスーパーアリーナでのライブを持って解散することが発表された[2]。きっかけは皮肉にもそのさいたまスーパーアリーナでの公演と萩原が成人を迎えたことであった。全員が成人となったことで一つの目標に向かって頑張ることになったが、その大きな仕事となるであるさいたまスーパーアリーナ公演をメンバーはゴールとして定め、以降は各々の道を歩みたいとスタッフへ相談を持ちかけたという。流石にこれには寝耳に水だったスタッフは急遽、メンバーに3つの道を提示した。
- 希望通り、さいたまスーパーアリーナで解散
- 解散ではなく、活動休止で一区切りにする
- ハロー!プロジェクトは卒業するがグループ継続
メンバーが選んだのは1だった。さいたまスーパーアリーナをやりきり「グループとしての活動を全うした」と胸を張って言えると思うので解散という道を選びたいからであった。その固い決意をスタッフは無為に出来ず、受け止めることにした。こうして、メンバーは最後の目標へ向けて全力で走り始めた…。
2017年1月5日に℃-uteとして最後のコンサートにて解散となる日程が6月12日になることが発表された。それに併せて同年3月29日にはラストシングルをリリース。生みの親であるつんくの提供曲である「To Tomorrow」と「The Curtain Rises」、後期℃-uteを支えた作家の一人であるSHOCK EYE(湘南乃風)が提供した「ファイナルスコール」をパッケージングしたトリプルA面シングルであった。5月3日には最後の音源となるベストアルバム『℃OMPLETE SINGLE COLLECTION』がリリースされ、宣言どおりに6月12日、さいたまスーパーアリーナで行われた「℃-ute ラストコンサート in さいたまスーパーアリーナ ~Thank you team ℃-ute~」を以て解散となった。
■℃-uteのまめちしき
読み方・書き方
通常の単語の「キュート」とは読み方も書き方も変えられている。
読み方は、通常の「キュート」は語頭にアクセントがあるのに対し、「℃-ute」は「給湯」や「急騰」と同じようなフラットな読み方をする。言葉のプロであるナレーターやアナウンサーほど間違う傾向アリ。発音を間違うとヲタににらまれます。
書き方は頭文字の「C」を摂氏温度記号の「℃」に置き換えている。これはつんく♂曰く「彼女達のみなぎる情熱の体温をなんとなく表現したくて」とのこと。しかしこのネーミングにはPCで全角文字や摂氏記号をあまり使わない国で検索されづらいという弊害があり、海外の日本アイドルファンの間での知名度はモーニング娘。やBerryz工房と比べると見劣りする。またこの大百科のページも正式なページタイトルは「°c-ute」(cの前に全角の角度記号)となっている。
9月10日は℃-uteの日
結成初年度の2005年を除く毎年9月10日(2005年は松浦亜弥・W・メロン記念日合同コンサートツアーの前座をやっていた)に「℃-uteの日」と題して、CDなどの購入者が抽選で参加できるイベントを行っている。
◇2006年9月10日(日曜日):よみうりランドオープンシアターEAST
初めて「℃-uteの日」と銘打って行われたイベントであり、これまでに唯一日曜日に行われた℃-uteの日。MV集DVD「キューティービジュアル」に入っていた参加券で参加できた。
◇2007年9月10日(月曜日):品川ステラボール
この回から抽選制になったが、7月11日に発売された「めぐる恋の季節」の発売記念イベントに応募し落選したシリアルナンバーカードを、8月24日に東京体育館で行われた『Cutie Circuit 2007 〜MAGICAL CUTIE 感謝祭〜』の会場で再エントリーして抽選に応募、という関東在住者以外に不親切な応募方法だった。
◇2008年9月10日(水曜日):品川ステラボール
今回から通常のCDリリース記念イベントと同じ応募方法になった。7月30日に発売されたシングル「江戸の手毬歌II」に入っている応募券で抽選に応募して参加。
◇2009年9月10日(木曜日):SHIBUYA-AX
7月1日に発売されたシングル「暑中お見舞い申し上げます」に入っている応募券で抽選に応募して参加。
◇2010年9月10日(金曜日):SHIBUYA-AX
8月25日に発売されたシングル「Danceでバコーン!」に入っている応募券で抽選に応募して参加。
◇2011年9月10日(土曜日):横浜BLITZ
土曜日開催ということもあり、初めて昼夜2回公演で行われた。当初、9月7日に発売されるシングル「世界一HAPPYな女の子」に入っている応募券で抽選に応募して参加・・・と発表されたが、応募からイベント当日までのあまりに余裕がない日程にファンから抗議が殺到し、この回の℃-uteの日は有料ライブイベントに変更された。
有料公演になったこともあり、昼夜で内容は一部異なる。
◇2012年9月10日(月曜日):SHIBUYA-AX/9月15日(土曜日):名古屋ダイアモンドホール
初めて東西二カ所で行われることになった。9月5日に発売されたシングル「会いたい 会いたい 会いたいな」初回限定盤に入っている応募券で抽選に応募して参加。今回もあまり余裕がない日程だったが、二カ所で行われることもあり予定通り抽選参加イベントとして行われた。名古屋公演は昼夜2回公演。今回は全公演同内容。
◇2013年9月10日(火曜日):日本武道館
秋ツアー初日として、初の武道館コンサートを行う。当初は一公演のみだったが、好評につき前日の9月9日に追加公演を行うことになった。
◇2014年9月10日(火曜日):日本武道館
この年も武道館コンサートを行う。昨年とは違い、今回は1公演のみ。この年の11月にモーニング娘。を卒業する道重さゆみ、2015年春に活動休止するBerryz工房をゲストに迎えてのライブとなった。特筆すべきことはこの日、晴れ女集団のBerryz工房がいたにもかかわらず、公演中は武道館周辺のみ集中豪雨が発生したことだろう(しかも公演が終わったら止むというオチ付)。この奇跡の天候に、当日のツイッターでは「舞美ちゃん」がトレンド入りを果たした。
公演前の気合入れ
矢島「せーの、」
全員「℃-ute!」
梅田「えりか!」
矢島「まいみ!」
村上「めぐみ!」
中島「さき!」
鈴木「あいり!」
岡井「ちさと!」
萩原「まい!」
有原「かんな!」
矢島「8人5人揃って、」
梅田中島「弾ける…」
全員「ぞ~いっ!!!」
2017年7月以降
2017年に行われるさいたまスーパーアリーナ公演を持って解散した℃-ute。そんな5人の進路は具体的に決まっていないが、進路希望自体はすでに各種メディアで明かしていた。その後はどうなったかという大まかな進路などは以下の通り。
- 矢島舞美
解散が決まってからは女優の仕事を希望していた。JAE移籍かな?そして、宣言どおりに舞台やドラマなどで活躍しながら、散発的に音楽活動も行っていた。その後、『文春オンライン』にスクープされるハプニングこそ遭ったが、その時に交際していた俳優の味方良介と結婚。 - 鈴木愛理
これまでソロで行ってきた事を中心にしたいとのことなのでメインを女優・モデル・キャスター(!)[3]へと移行したいとしている。目標は桐谷美玲と西内まりやを足して2で割ったような活動とのこと。実際は歌手やモデルとしての活動がメイン。そして、大御所歌手である鈴木雅之とのデュエット曲「DADDY! DADDY! DO! feat. 鈴木愛理」をきっかけにアニソンシーンにも進出。 - 岡井千聖
バラエティータレント路線の継続を希望していた。どうやらそちら方面へ闘争心を燃やし始めたようだ...が、あるやらかしにより芸能活動を休止。2020年4月30日をもって芸能界を引退した。藤本美貴の話によればその後、子供が産まれたのだとか。 - 中島早貴
演技も写真を撮られるのもロケに行くのが好きなことから、これらを仕事としてできるようにしたいという。その目標の一つとして旅番組を持つことを挙げていた。その後は芸能活動を続けていたが2021年12月31日から語学と環境問題の勉強を目的とした海外留学とその準備のため、活動を休止。 - 萩原舞
アパレル業界への転身を希望。そのために洋服の勉強をしたいとのこと。
決して文春砲のアレを考慮して引退ではない。実際に引退後は実姉とともにファッションブランドを起業し実業家へ転身。プライベートでも2021年8月2日に結婚し、YouTuberとしても活動を開始。
以上が解散後の大まかなかゆみである。岡井については色々とこの記事で触れるには厳しい部分もあるが、概ね充実した生活を歩んでいると言えるだろう。
■関連動画
数多くの歌ってみた・踊ってみた・MMD動画が存在し、ニコニコ動画においてはハロプロ各グループの中では突出した人気・知名度がある。踊ってみた動画では「まっさらブルージーンズ」「都会っ子 純情」が多く、単独またはグループによる踊りを見る事ができる。歌・踊り共に海外のファンによる物も存在する。MMD動画では「Kiss me 愛してる」が多い。
メンバー個人を扱った動画については、各メンバーの項目を参照。
■ディスコグラフィー
シングル作品一覧
■関連ニコ生
■関連コミュニティ
■外部リンク
■関連項目
- ハロー!プロジェクト・キッズ
- きらりん☆レボリューション(EDテーマにインディー第三弾シングル「大きな愛でもてなして」を採用)
- 伝説のスタフィー4(CMソングを歌唱)
脚注
- *第14回Japan ExpoにGUEST OF HONOR(名誉ゲスト・招待枠)として2013 MUSICに出演であった
- *「℃-uteに関するお知らせ」参照
- *当然、この動画などから彼女の普段を知るファンから「無理だろwwwww」と突っ込まれたのは内緒
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