『駐蒙軍冬季衛生研究成績』とは、1970年代後半に古書店で発見されたとされる冊子である。
昭和十六年(1941年)に内蒙古(内モンゴル)において実施された、「死刑囚を使用した、医学目的の人体実験」であるとされる内容が綴られている。
人体実験の過程が写真付きで具体的に描写されていること、そして後述するように人体実験について「全世界人類のため」に実行したものだとする思想/主張、さらには犠牲となった人体実験対象者らに対する慰霊などの念も記載されていることなど、珍しい点が多い。
弔辞
本冊子内に掲載されているという、人体実験の対象として命を落とした死刑囚らへの弔辞文。
全ての実験が終了した後に慰霊祭を執り行い、研究班長がこの弔辞を読み上げたものだという。
弔 辞
惟時皇紀二六〇一年二月八日
研究班生体の霊に告ぐ
御身等は生国生年月日は異なれども東亜の一角中華民国に生を受け不幸にして誤れる思想行動をなし蒋介石の走狗となり公明正大の正義の皇軍に不利なる対敵行動をなすに至る
捕えられて獄舎にあり死刑を宣告せらる
時に当研究班編成せられ内蒙古の地に皇軍幾百万の否全世界人類のため医学術研究を担当す
御身等は選ばれて既定の死を尊き研究実験に捧げ本日終焉す
其の世界人類に貢献せる所大なり
以て瞑すべし
玆(ここ)に祭壇を設け霊を慰む
在天の霊来り饗(う)けよ
概要
中国文学や中国語教育を専門とする学者「鱒澤彰夫」(鱒沢彰夫)氏が1970年代後半に東京神田の古書店にて発見した[2]という冊子。古書店への売却主は不明。
表紙には
極秘
駐蒙軍冬季衛生研究成績
と印刷されており(本来は縦書き)、左上隅には手書きで「贈呈」と記されているが、誰から誰に対して贈呈されたものかもわからない。
鱒澤氏は「TBSの吉永春子氏、新潮社のフォーカス編集部などと接触したが、結局、現代書館の村井光夫さんによって出版にこぎつけた」[3]と述べており、その不明瞭な出所のためかマスコミなどからは取り扱うことに慎重な扱いを受けたことが伺える。
最終的に1995年に出版社「現代書館」が、『極秘 駐蒙軍冬季衛生研究成績』として定価3万円(+税)で復刻版書籍を出版している。
ちなみに、近年いわゆる「731部隊」が行った人体実験の写真であるという誤った説明とともに、本冊子内の凍傷実験の写真がインターネット上で流布されている(後述)。
内容
まず、詳細は大阪市立大学の准教授「土屋貴志」氏のホームページに掲載された「研究業績」内に、本文書を扱った講演の資料が掲載されており、写真付きで内容が詳細に解説されているためそちらを参照されたい。ただし人体実験の過程・結果とされる、少なくない人がグロテスクと感じるであろう写真も掲載されているため、閲覧注意。
一応この記事でも軽く説明すると、1941年に駐蒙軍を中心とした混成部隊(駐蒙軍司令部、北支那方面軍司令部、北支那防疫給水部張家口支部、大同陸軍病院などに所属する軍医ら)によって内モンゴルの西ソニットにおいて行われたとされる、演習的な衛生研究の報告書である。
1941年1月31日に張家口に集合・出発し、2月3日に蒙古連合自治政府の治める錫林郭勒(シリンゴル)盟の西蘇尼特(西ソニット)に到着。そこで各種の衛生研究を実施したのち、2月9日に西ソニットを出発。2月11日に張家口で解散したことが記されている。
この文書内には西ソニットへの往還に際しての苦労など衛生研究以外に関する記述もあるし、衛生研究に関する記述に絞っても、負傷者の運搬法や天幕の抵抗性、衛生濾水器のテストなど、「人体実験以外」の雑多な内容も含まれている。
しかしやはり本文書で最も注目されるのは、人体実験に関する記録である。
人体実験
この衛生研究には人体実験の対象となる死刑囚らが「生體」(「體」は「体」の旧字であるため、つまり「生体」)の呼称の元に連行されていたと記録されている。
この資料中には携行品目録の表がある。「フオルマリン」(ホルマリン)「過マン剝」(「剝」は「剝荅叟母」(ポタシウム)の略で、ポタシウムはカリウムのこと。すなわち過マンガン酸カリウム)「ピロカルピン軟膏」などの「携行藥物」(携行薬物)や、「生理的食鹽水五〇〇㏄」(生理的食塩水500cc)「瓦斯壊疽血淸」(ガス壊疽血清)「リヴアノールガーゼ包」(アクリノールガーゼのことか)などの「消耗品」に並んで、8名の「生體」が掲載されている。
それぞれの「生體」の個別名としては、「劉①春」といったように、3文字の氏名のうち2文字目を通し番号(①から⑧まであり、それぞれが被っていない)に置き換えたような表記がなされている。
止血実験
止血帯を使用したり、作成した切創や銃創について血管結紮手術や軟膏などによって止血を試みる実験。
胸部を銃創が貫通した患者の観察
小銃で胸部を射撃。倒れた後にカンフル剤を投与。異型輸血を試す。気管切開を練習。12時間後に頭部射撃で処分。死体血輸血実験のために心臓血を採取。
凍傷実験
様々な条件下(防寒装備の有無、飲酒下、空腹下、アトロピン服用下など)で手足を零下14~27度の屋外にさらし、凍傷の発生条件を観察、発生した後は摩擦や軟膏などによる治療を試みる実験。凍傷が生じた後の腫れ上がった患部の写真が付属している。
生體「②」「④」「⑤」「⑥」「⑦」「⑧」の6名が対象となったことが記載されている。
天幕内手術
天幕の中にて応急装備で手術が行えるかの実験として生體「①」に対して腸切除側々吻合術が行われたと記載されている。腸の吻合術を行っている光景の写真が付属している。
また、手術創の経過観察目的として生體「③」に対して「左大腿切断手術創」と「右大腿切創第一期縫合創」と「左下腹部皮膚切除開放創」の作成が行われたと記載されている。左大腿が切断され、切断された断端が縫い閉じられる光景の写真が付属している。
輸血実験
様々な条件の血液やリンゲル液を静脈内注射する実験。薬品を混入して2日間魔法瓶で保存した後の血液、凍結した後に解凍した血液、血液型が異なる血液、死体の心臓から採取した血液、羊の血液、常温または冷却のリンゲル液など。
上記の銃創作成がなされた後の生體「⑧」や、手術実験で血液を失った「①」や「③」に対して行われたとされている。死体血はその「⑧」の他、「②」「⑦」からも採取されたと記されている。
死体解剖、生体解剖
これら8名の「生體」のうち、7名は人体実験の後に現地で銃殺され解剖(剖検)されたと記載されている。「⑤」1名のみは全身麻酔の上で生体解剖されたとされる。
しかし後述する「結言」に「八生体が~埋葬せられ」とあり、これは生体解剖後にやはり⑤も死亡していると思わせる記載である。
信頼性
上記のように本文書については出所についての情報がかなり不確かであるため、信頼性については慎重な検討が必要である。信頼性に関わる情報をここに示す。
公文書との一致
国立公文書館アジア歴史資料センターにてウェブ公開されている資料「戦時月報提出(送付)の件(6)
」内に、「駐蒙軍冬季試験衛生研究班計畫」(「畫」は「画」の旧字体である)という一節がある(リンク先PDFファイル中22ページより)。その中に謎の「生体」の記述がある。
5.生体十体ヲ連行
(上記のリンク先PDFファイル内30ページより)(なお、この記述は参加を予定する軍人の表の後に添えられた「備考」の部に「4.本表外傭人若干名ヲ雇傭スルコトヲ得」という記述に続いて記載されたもの。「生体」が「表に記載されるような軍人ではなく、かといって傭人でもない」という立場の存在であることを伺わせる)
そしてこれら「生体」を用いるとして予定されている研究内容も、「止血」「凍傷」「天幕内での手術」「輸血」など、『駐蒙軍冬季衛生研究成績』で描写されたものと一致する。
というかこの「駐蒙軍冬季試験衛生研究班計畫」に登場する文章とほとんど一致した文章が『駐蒙軍冬季衛生研究成績』内にも登場する。衛生研究を実施する場所として挙げられているのも「西蘇尼特」と同じ地名であり、ほとんど同じ計画を記したものとして差し支えない。
この公文書との一致点に最初に気付いて指摘したのは学術機関の研究者ではなく、歴史関係のウェブサイト「日華事変と山西省」を趣味で運営していたハンドルネーム「Yama」氏であったようだ(先例があればここに追記されたい)。この「Yama」氏は先にアジア歴史資料センターのこの公文書を閲覧しており、それについて調べる中で『駐蒙軍冬季衛生研究成績』について知り、取り寄せて付き合わせてみて類似点が明らかになったのだという[4]。
「Yama」氏はその公文書の資料ナンバーを公開した。上記のアジア歴史資料センターの資料はインターネット上で誰でも閲覧できるものであるため、その後は誰でも類似点が確認できるようになった。そのためこの発見以後は、『駐蒙軍冬季衛生研究成績』の信憑性について研究者らから上方修正する声も聞かれるようになった(上記の講演資料の制作者である「土屋貴志」氏など)。
なお、完全に同一と言うわけではなく差異もある。「駐蒙軍冬季試験衛生研究班計畫」は「これから行おうとしている研究の計画書」であるが『駐蒙軍冬季衛生研究成績』は「行った研究の結果報告書」であること。
また、「駐蒙軍冬季試験衛生研究班計畫」で実施予定日とされた日付は昭和15年(1940年)1月15日から31日にかけてだが、『駐蒙軍冬季衛生研究成績』にて実施期間として記録された日付は昭和16年(1941年)1月31日から2月11日なので、後者の日付が約1年遅れている。
この日付の違いについては、アジア歴史資料センターのその他の資料(いずれも誰でもインターネット上で閲覧可能)や国立国会図書館所蔵の資料を根拠として、「昭和15年(1940年)1月から3月に行われた「五原作戦」の発動が決定したために「駐蒙軍冬季試験衛生研究班計畫」で計画されていた当初の研究が施行されず、それを約1年後に改めて施行して報告したものが『駐蒙軍冬季衛生研究成績』であった」と判断できるという。
N軍医中尉の書簡との一致
「Yama」氏は元軍医中尉だった医師が1980年に自費出版した書籍の内に収録された当時の書簡を確認。そしてその中の一通に、この『駐蒙軍冬季衛生研究成績』内に記録された日付や出来事と符合する記述があることを発見したと自サイト内で記している。
ただし「Yama」氏はこのN軍医中尉の実名を公開していない。「野外における第一線創傷処置の実験担当者」という情報は開示しているので、『駐蒙軍冬季衛生研究成績』を読み込めば氏名を判定することもできるかもしれないが。また、1980年代に個人が自費出版したという書籍を入手することにも相応の困難があると思われる。
以上から、この「N軍医中尉の書簡との符号」については「検証不可能ではないが実行にはやや困難が伴う」ものと言えよう。
発見者について
発見者の「鱒澤彰夫」氏は早稲田大学や日本大学に所属した経歴がある中国文学や中国語教育を専門とする学者であり、論文なども複数執筆している[5]。
2015年3月に日本大学を退官したが、それを控えた時期に蔵書や収集資料を関西大学アジア文化研究センター[6]や京都大学人文科学研究所[7]といった複数の学術機関に寄贈し、それぞれの機関でかなり貴重な資料集であると見なされている。
もちろん「大学等に所属した研究者で、複数の論文の著者であり、貴重な資料を多数寄贈した人物」だからと言って、絶対に捏造などしないと言い切れるわけではない。また「本人が捏造したものではなくても、捏造品をつかまされた可能性はあるはずだ」という意見はあがるかもしれない。
駐蒙軍軍医将校軍陣外科学集合教育課程表
古書店で発見されたオリジナルの冊子には、「駐蒙軍軍医将校軍陣外科学集合教育課程表 大同陸軍病院」と銘打たれた一枚のみの別の資料も挟んであったとのことで、上記の復刻版書籍にも付録として収録されている。
前述した大阪市立大学准教授「土屋貴志」氏の「研究業績」内に、その資料の比較的高画質な画像を含む講演記録があり、インターネット上で閲覧できる。
- 2008年11月29日 日本生命倫理学会第20回年次大会(於九州大学医学部)大会企画シンポジウム1「戦争と研究倫理」報告 「戦時下における医学研究倫理──戦争は倫理を転倒させるのか」
(PDFファイル。該当の画像は15ページ目にあり)
何しろ一枚のみの資料であるためあまり情報は少ないが、上記の冬季衛生研究と同じ昭和十六年(1941年)の6月5日から7日までの3日間、軍医将校を対象として行われた「軍陣外科」(すなわち戦傷外科)の集合教育のカリキュラム表であるらしい。
教官は大同陸軍病院附の陸軍軍医少佐「谷村一治」と同じく陸軍軍医中尉「三浦理平」となっている。この谷村一治陸軍軍医少佐は本記事冒頭で示した「弔辞」にて研究班長として名がある「谷村少佐」と同名であり、おそらく同一人物である。その関係上でこの資料も冊子に挟んであったものかと思われる。
表内の記載によれば、講義と実習の双方が行われたようだ。そして実習内容としては「血管縫合術実習」「神経縫合術実習」「開腹術(腸管切除術、腸々吻合術)」「開頭術」「開胸術(肺内異物摘出)の実習」「虫様突起切除術実習」「腎臓摘出術の実習」などが掲載されている。
そして、カリキュラム表の末尾の備考欄には「○○資材六體準備使用ス」とある。「體」は「体」の旧字である。つまり「○○」という明確に記載しかねる何かを、この手術実習のために「六体」使用したということであるらしい。
「○○」とは何だったのだろうか?
731部隊との混同
この冊子由来の写真が「731部隊の写真だ」として流布されていることがある。
例えば、2020年3月にTwitterに投稿されて、注目を集めたスペイン語ツイート
(※多数の遺体の写真や、凍傷で腫れ上がった手の写真など、刺激の強い写真を含むツイート。苦手な方は閲覧注意)。「Unit 731: Armas biológicas y experimentación en seres humanos.」(和訳:「731部隊:生物兵器と人体実験」)という言葉を添えて、4枚の写真を掲載している。
だがこのツイートに掲載された4枚の写真のうち、2枚目の「凍傷になって腫れあがった両手の写真」は、前述の「土屋貴志」氏による講演資料内にも全く同じ写真がある『駐蒙軍冬季衛生研究成績』内の写真である。つまり満洲にあった731部隊(関東軍防疫給水部本部)の写真ではないはずなのだ(ちなみに他の3枚の写真のうち、1枚目の「防護服に身を包んだ者たちの写真」や2枚目の「死体が積み上げられている写真」も731部隊の非人道的行為の写真ではないので、確かに731部隊に関連した写真と言えるのは4枚目の石井四郎の顔写真のみである)。
なぜこのような混同が生じたのか?については、インターネット上の資料からある程度その経過を推測することができる。
まず、2002年に中国共産党系の中国語ウェブメディア「人民網」が伝えた以下のニュース記事。
このニュース記事によれば、「侵華日軍細菌戰與毒氣戰研究所」(おそらく2020年現在で言う「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」のこと)の所長である「金成民」氏が、2001年12月に東京の図書館で『極秘﹒駐蒙軍冬季衛生研究成績』を見つけた、と報じている(原本の冊子の方なのか1995年の復刻版書籍の方なのかは記載が無い)。
そして記事内では、まさにこの『駐蒙軍冬季衛生研究成績』中の凍傷実験について特に詳細に記載されている。上記のように、『駐蒙軍冬季衛生研究成績』では他にも様々な人体実験について記載されているにも関わらず。
当然浮かぶ「なぜ金成民氏は、この凍傷実験についてだけ特に重視しているのか?」という疑問の答えについても、その記事内の論調から伺い知ることが出来る。どうやら「金成民氏らは日本軍の細菌実験に関する根拠は見つけていたが、凍傷実験については証言があるだけで根拠を見つけていなかったため」ということらしい。
また同記事内では731部隊について記述しつつ「日本軍は731部隊だけではなく中国各地に防疫給水部を置き、人体実験を行った。731部隊はその研究司令部だった」と言った意味の記述も掲載している。そしてその上で、その「各地の防疫給水部」のひとつである「北京1855部隊」がこの凍傷実験を行った、と記している(ちなみに前述の通り、確かにこの研究実験全体には北支那防疫給水部(=北京1855部隊)の張家口支部から派遣された人員が参加してはいるのだが、この記述は不十分・不正確に思われる)。
そして、2013年に「15年戦争と日本の医学医療研究会」という団体が訪中して「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」を訪れた際のレポート[8]にて、その館内の「731国際資料図書インフォメーション展示センター」にあった『日本軍細菌戦写真集』(内蒙古文化出版社、全113頁2010年)という写真集についての記載がある。この写真集はまさに上記の「金成民」が主編したものであるようだ。この写真集『日本軍細菌戦写真集』の中に「1855部隊凍傷実験」としてこの『駐蒙軍冬季衛生研究成績』内の凍傷実験の写真があったとのこと。
つまり、どうやら中国では「この『駐蒙軍冬季衛生研究成績』内に掲載されている凍傷実験を行ったのは防疫給水部のひとつである1855部隊である」と認識されているらしいのだ。さらにその認識の元に、731部隊の資料館の館長らが出版した写真集に『駐蒙軍冬季衛生研究成績』からの写真が掲載されていることもわかる。
そこから、「731部隊の資料館の館長が広めている日本軍の人体実験の写真なら、731部隊の写真だろう」という単純な勘違いや、「1855部隊は防疫給水部の一部である」「731部隊は中国各地の防疫給水部を統括する司令部的な立場だった」「よってこの1855部隊の凍傷実験は広義で言えば731部隊関連の実験と言える」という拡大解釈によって、この『駐蒙軍冬季衛生研究成績』内の凍傷実験の写真が「731部隊の写真」として流布されるようになったと推定できる。
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参考文献・関連リンク
- 2017年11月19日 15年戦争と日本の医学医療研究会第42回定例研究会一般演題発表(於東京大学医学部) 「『駐蒙軍冬季衛生研究成績』を再読する」
(PDFファイル。大阪市立大学 大学院文学研究科 准教授「土屋貴志」氏の同大学内ホームページに掲載された「研究業績」より。復刻版書籍から取られた写真が豊富。閲覧注意) - 2008年11月29日 日本生命倫理学会第20回年次大会(於九州大学医学部)大会企画シンポジウム1「戦争と研究倫理」報告 「戦時下における医学研究倫理──戦争は倫理を転倒させるのか」
(PDFファイル。同「研究業績」より。15ページ目に、復刻版書籍から取られた「駐蒙軍軍医将校軍陣外科学集合教育課程表」の、全文字を判読できる画像あり) - 極寒の内モンゴルで行われた人体実験―駐蒙軍冬季衛生研究の闇 | 日華事変と山西省
(会社員「Yama」氏の個人サイト「日華事変と山西省」内の1ページ。サイトが消滅済みのためインターネットアーカイブ) - 極秘 駐蒙軍冬季衞生研究成績 - 現代書館
(1995年の復刻版書籍の出版社による紹介ページ) - 極秘駐蒙軍冬季衛生研究成績〔復刻版〕 - Google ブックス
(上記の1995年の復刻版書籍のGoogleブックスページ。テキストデータ化した内容が保存されているらしく「この書籍内から」のサーチボックスによって本文内を検索できる。ただしOCRによって読み取ったのみで誤読み取りの修正などは行われていないようで、「生體」と記載されているはずの部分が「生鶴」となっていたりと読み取りエラーが多い) - 「戦時月報提出(送付)の件(6)」 - JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04122085400、陸支密大日記 第18号 4/4 昭和15年(防衛省防衛研究所)
(本文書と対応する部分「駐蒙軍冬季試験衛生研究班計畫」はPDFファイル中22ページ目より始まる)
関連項目
- 書籍・文書の一覧
- 大日本帝国陸軍
- 人体実験
- 蒙古聯合自治政府(この研究実験が実施された西蘇尼特(西ソニット)を当時統治していた政府)
- 凍傷ニ就テ(「意図して重症の凍傷を生じさせる人体実験」に関する記述を含むという共通点がある文書)
- 731部隊(この冊子内の写真が、インターネットの一部で「731部隊の人体実験の写真」という誤った説明の元に流布されている)
- アジア歴史資料センター
結言
本冊子内に掲載されているという、「生体」らに想いをはせる結言の文。
三日前八紘一宇の理想と氷炭相入れず連行せる八生体が多大なる学術的貢献を貽[のこ]して銃殺され枕を並べて冷たく雪の西蘇尼特[西ソニット]谷間に埋葬せられ皇軍将兵の懇なる黙祷を受けたる身上に思い及ぶとき皇恩の無窮に感佩[かんぱい]せざるものなし[9]
脚注
- *『土屋貴志「『駐蒙軍冬季衛生研究成績』を再読する」内に引用された『駐蒙軍冬季衛生研究成績』内の「弔辞」より孫引き
- *「軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会」のウェブサイト
内、同会の会報第92号の要約ページ
より。 - *同上。
- *「Yama」氏のサイト「日華事変と山西省」該当ページより。本記事「関連リンク」参照
- *CiNii Articles 著者検索 - 鱒澤彰夫
、早稲田大学リポジトリ - 著者検索 - 鱒澤 彰夫
- *日本中國學會 2016年学界展望(語学)
(PDFファイル) - *京都大学人文科学研究所 要覧「人文科学研究のフロンティア」2019年版
(PDFファイル) - *西山勝夫 第10次「戦争と医学」訪中調査結果の概要 15年戦争と日本の医学医療研究会会誌 第14巻第2号
2014年5月 15-18頁 - *『土屋貴志「『駐蒙軍冬季衛生研究成績』を再読する」内に引用された『駐蒙軍冬季衛生研究成績』の「結言」より孫引き
- *同上
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