伊175 単語

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イヒャクナナジュウゴ

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伊175とは、大日本帝國海軍が建造・運用した174/大六b潜水艦2番艦である。1938年12月18日工。撃でカサブランカ級護衛空母リスカム・ベイを撃沈する戦果を挙げた。1944年2月17日、クェゼリン方面で沈没。総戦果は撃沈4隻(1万80トン)、撃破2隻(6624トン)。

概要

敵空母を刺し貫くロング・ランスの主

ロンドン海軍軍縮条約で巡潜の保有に制限を掛けられ、潜水艦の保有量も5万2700トン以内に制限されてしまった大日本帝國海軍は、小かつ高速な艦隊随伴潜水艦の設計に着手。こうして誕生したのが大六で、75が属する大六bはそのにあたる。

南方での長期作戦用に冷房を強化し、タンクも拡と重を分離する洗浄装置を備えている。また九二式方位盤と縦機一斉発動装置を有していて、装填された魚雷の縦一気に操作できるよう善した事で攻撃を向上を実現。ここまでは6隻建造された前級大六と同一だが大六bは更なる良を加えている。内殻の電気溶接範囲を拡大し、内殻内厚を1mm増やして17mmにした事で安全潜航深度を85m(前級は75m)に向上させ、最高の潜航を獲得した。燃料搭載量を増加させるとともに魚雷発射管を断気弁式気泡の九五式発射管に変更、水中聴音機を産の九三式水中聴音機に換装し、九三式探信儀を装備している。他にも新空気冷却機の搭載や艦内配置の一部変更が行われた。これまでに得られた運用実績や建造ノウハウを注ぎ込んだ、最高の完成度を誇る。

大六bは74と75の2隻しかいないレアな艦で、3隻編制が基本の潜水艦において例外的に2隻で運用。長らく2隻編制だったが、1942年8月4日工した大七伊176を加えてようやく従来通りの数になった。75の建造を以っての建造は一旦中止されたようで75工から次級の伊176工まで約3年半の間がある。伊176は戦時急造に設計変更されているため、純然なとしては75が最後。

排水量1810トン、全長105m、全幅8.2m、乗員68名、速23ノット(水上)/8.2ノット(水中)、安全潜航深度85m、航続距離は16ノットで1万里(水上)/3ノットで65里(水中)、重搭載量440トン、出9000(水上)/1800(水中)。武装は12cm単装1門、13mm機1丁、7.7mm機1丁、艦首53cm魚雷発射管4門、艦尾53cm魚雷発射管2門、搭載魚雷14本、九三式水中聴音機、九三式探信儀。であるため航空装や偵は持っていない。

戦前

ロンドン海軍軍縮条約に対応するため策定された1934年度第二次補充計画(通称マル二計画)にて、大六b一等潜水艦として建造が決定。当初の艦名は75であった。1934年11月1日、建造費784万円を投じて三菱重工神戸所で起工。1935年8月3日75用の蒸化器用電熱器の製造訓が、1937年6月23日には広海軍へ推進軸製造訓が下り、いずれも完成後は神戸所に送られた。同年9月16日進水式を迎え、1938年12月18日工を果たす。呉鎮守府に編入されるとともに第2艦隊第2潜戦隊第11潜隊へ部署。

1939年3月21日、佐世保を出港して北支方面で活動し、4月3日有明湾に帰投。8月6日に宿毛湾を出港。南洋方面で活動したのち、8月26日岸和田へ帰投した。11月15日、第2潜戦隊は第3潜戦隊名。1940年3月26日中城湾を出港して南支方面で活動。4月2日高雄へ入港する。10月11日横浜で挙行された紀元二千六百年特別観艦式に参加。その後の11月15日に第3潜戦隊は第6艦隊に転属する。

1941年3月25日、第11潜隊の旗艦となり、官の水口兵衛大佐が乗艦。6月11日74へ旗艦の座を渡した。戦争の足音が迫ってくる11月5日大海一号によりハワイ作戦の実行が決定。第6艦隊にその支援が命じられた。それに伴って第3潜戦隊事前マーシャル諸島クェゼリンへ進出する事になり、急速に戦備が整えられた。11月8日、第6艦隊部は機密連合艦隊作第一号を受領。出港の前日にあたる11月10日に正式な命として下り、75は先遣部隊に編入された。

11月11日ハワイ作戦支援のため佐伯湾を出港。11月20日にクェゼリンに寄港し、潜水母大鯨から補給を受けて11月23日に出発。オアフ南西の配備点に向かった。12月2日暗号化されたニイタカヤマノボレの電文が受信され、対戦争は避けられない事態となった。12月7日に湾口南側への配置を了。南雲機動部隊による攻撃を待った。

1941年

1941年12月8日真珠湾攻撃によって大東亜戦争が勃発。湾内はしい爆撃に曝された。午前8時30分、先遣部隊部は全潜水艦に対し、混乱して湾外に出てくるであろう敵艦を攻撃するよう下75は中に潜みながら、敵艦が来るのを待ちせる。また午後12時30分、甲標的による特別攻撃を支援するためE1内方区への移動を命じられた。12月9日南雲機動部隊の引き揚げに伴ってハワイ作戦支援任務を終了。12月13日アメリカ艦艇誘引のためマウイ北方からヒロまでの敵艦攻撃に従事。

12月15日夕刻、合い4kmからマウイ北部カフルイ港に向けて12cm単装16発を発射。このうち2発がパイナップル缶詰工場に着弾し、およそ654ドルの損が出た。75は繋2隻と艇1隻の撃沈を報告した(該当艦し)。12月17日ハワイの南東180里で敵を捕捉。相手はハワイからサンフランシスコに向かっていたマニニ(3252トン)であった。さっそく潜航して撃を仕掛けるも、斜めにズレて命中せず。浮上した後に再度撃を行い、魚雷1本が命中。マニニは尾から沈没し始めた。仕留めた敵の識別を行うため、75は探照灯の照射を実施。こうして75は最初の戦果を挙げた。12月18日18時ハワイから退却し、クェゼリンへの帰路につく。12月24日午前4時55分、パルミラ環礁の合い4000mからアメリカ海軍航空基地に12発の艦砲射撃を実施。建物を破壊するも、すぐに12.7cm陸上台から反撃を受けたため急速潜航している。

任務を終えた75は、12月31日にクェゼリンへ帰投した。

1942年

1942年1月8日アリューシャン方面の要地偵察を下される。1月10日機動部隊ハワイ西方550里で発見されたとの報告を受け、1月12日74とクェゼリンを緊急出撃。索敵とを実施したが、会敵できなかった。1月20日、僚艦と別れて北進。アリューシャン列島に向かう。1月26日アンドリアノフ諸アトカ南方に到達し、東側からぐるりと一周したあと西進。2月2日にナザン湾を偵察して更に西進し、2月8日キスカ島を偵察。この偵察を以って任務を了、横須賀方面に向かう。機動部隊の来襲に備え、本州東方の索敵を行いながら南下。2月19日横須賀へ到着。3月31日に出港し、へ回航。4月2日に到着して整備と補給を受ける。

4月10日、第3潜戦隊東京湾東方700里のG散開線へつくよう下され、4月15日74とを出発。ところが、4月18日ドーリットル空襲が発生。対米国艦隊作戦第三法が発動され、第3潜戦隊東方410里の散開線に移動。18ノットで配置点に向かう。逃走した敵艦隊を追ってから950里の場所まで進出したが、敵情を得られず。やがて第三法の中止命が下り、5月4日マーシャル諸島北方300里のM散開線に参加するよう命じられる。2日後、M散開線に到着。索敵とを行う。5月8日、M散開線から撤。クェゼリンに向かった。5月10日、クェゼリン着。ミッドウェー作戦に先立ち、二式飛行艇によるハワイ襲を企図した第二次K作戦が立案され、75にはその支援が命じられた。5月10日にクェゼリンへ到着する。元々巡潜には1~50の数字が、には51~100数字が割り当てられていたのだが、巡潜が50隻以上増産される事になり数字が不足。そこで帝國海軍は、数字100を足して数字の余剰スペースを作った。このため5月20日75は伊175名した。

5月20日、クェゼリンを出港。5月30日にオアフ南西80里に進出し、現地のを報告する役割を担った。しかし通信傍受で第二次K作戦を知ったアメリカ軍は、燃料補給地点となっているフレンチフリケード礁に艦隊を派遣してきた。燃料補給担当の伊123と伊121が来た時には既に環礁は占領されており、補給が出来ないとして第二次K作戦は中止。翌31日に中止命を受領、オアフから移動してミッドウェー方面の甲散開線に参加し、そのままミッドウェー海戦に参戦する。ミッドウェー周辺には計15隻の潜水艦が配備された。ところが6月5日、味方空母3隻が被弾炎上してしまう。午前9時20分、山本五十六長官は敵艦隊迎撃の的で第3及び第5潜戦隊散開線への移動を命じ、伊175は北上。近に潜んでいるはずの敵空母を捜しめる。6月7日、退避中の重巡洋艦最上三隈が敵機の攻撃を受けた事を鑑み、山本長官は追撃してくる敵機動部隊の背後を潜水艦に急襲させようと西方への移動を命。同日14時50分、S散開線への移動が命じられた。しかし敵を発見する事はわなかった。味方の水上艦艇が退却した後の6月13日、敵機動部隊がミッドウェー東方で確認されたとの情報が入り、散開線を東に移す命が下った。各潜水艦から東進を始めたが、6月15日にクェゼリン帰投を命じられて断念。6月20日、伊175はクェゼリンに戻った。6月22日大本営オーストラリア東方及びインド洋での通商破壊を下

7月8日オーストラリア東海通商破壊を行うべく出撃。東海には連合軍の補給路が4本あり、インド洋ほどではないものの獲物となる敵輸送が往来していた。7月20日シドニーへ到着し、11や174とともに狩りを始める。7月23日ニューカッスルから20を浮上航行中に武装商を発見。正体はクイーンズランド州ケアンズからシドニーに向けて砂糖を運搬中の貨物アラーラ(3279トン)だった。尾に魚雷1本を命中させ、撃破。乗組員は一時を捨てたが、再び戻ってきて復旧。航されてニューカッスルに入港した。翌日の7月24日シドニームラダ(3345トン)を撃して撃破。7月26日コルベット艦ケアンズから爆雷攻撃を受ける。攻撃を回避したのち、南へ退避。2日後の7月28日ニューカッスル北東160里でニッケル鉱石を運んでいた自由フランス鉱石運搬グー(2795トン)を撃して撃沈。8月3日午前1時30分、ニューサウスウェールズ州モルヤで操業中のオーストラリアの蒸気トロールレンビー(233トン)は、知らず知らずのうちに浮上航行中の伊175に接近。網を投げてを獲っていた。バッテリー充電中の伊175は防備なダレンビーを発見し、12cm単装撃。最初の1発は外れて中で爆発、これにより異常に気付いたダレンビーは遭難信号を発信するも、命中弾で線機器が破壊される。機掃射を浴びせかけると同時に2発の命中弾を与え、操室を破壊して大破航行不能に追いやる。ダレンビーの乗員は自分たちがな存在であるとしたが、伊175は45分間に渡って追跡。その後、潜航して去った。乗組員はを放棄したため、ダレンビーは後に沈没している。8月5日ジャービス湾に到達。伊175や僚艦の活躍で沿航路の運効率は低下し、港湾への輸送量が減少した。

そんな中、椿事が発生する。8月7日、飛行場を建設していたガダルカナル島と対のツラギアメリカ軍が襲来したのである。この危急を受けて同日午前6時50分、連合艦隊は第3潜戦隊にツラギ方面の攻撃を命じるとともに外南洋部隊へ編入。小松中将もまた速やかな北上を命じ、第7潜戦隊と協して敵艦攻撃の任を与えた。伊175は174とともにサンクリスバル方面に急行8月10日ニューカレドニア北端に到達し、サンクリスバル西方で遊したが敵を見ず。8月12日明、エスリトゥ・サント南西170里にて2機のドーントレス急降下爆撃機に襲撃されて損傷。更に敵駆逐艦グレイソンとステレットが伊175を仕留めるべく分された。敵の包囲網から脱した後、修理のため急遽ラバウルへの寄港を強いられる事に。8月17日ラバウルへ寄港し、短期間の修理を受ける。8月21日揮系統一本化のため第3潜戦隊と第7潜戦隊は外南洋部隊から先遣部隊に転属。翌22日午前8時30分、ガダルカナル島への輸送を支援するため、先遣部隊は準備出来次第出港してB散開線へ配置につくよ示。同日、傷を癒やした伊175は相方174とラバウルを出撃。ガダルカナル島東方面のB散開線に向かった。中でトラックから出撃してきた11を散開線に加え、レンネル南西の配備点に到着。左から11、伊175、174の順に並んで敵艦の出現を待つ。8月25日17時20分、戦線整理のため敵情を得ない場合はF散開線に移動するよう命じられる。

9月1日、第7潜戦隊揮下の潜水艦撤収に伴い、伊175を一時的に第7潜戦隊へ編入。ガ方面のを行う。9月9日午前11時30分、増大する敵輸送の往来を鑑み、第3潜戦隊172174、伊175にインディスペンサブ道南口の警監視を厳重にするよう下。同時に、1隻を泊地に潜入させて敵艦攻撃を行わせようとした。9月11日にガのルンガ泊地を偵察。9月14日ガダルカナル島南東にて敵輸送団を発見したが、駆逐艦の警しく攻撃できず。9月17日夕刻、帰投を命じられて174と伊175は撤トラックへ向かい、9月21日着。

10月16日トラックを出港。サンクリスバル回し、K散開線に参加。敵輸送団攻撃を試みる。10月19日部隊へ編入された。10月25日、ガ東海域に敵機動部隊出現の可性大として部隊にY散開線へ移動するよう示。伊175は北上を始める。10月26日午前10時10分、南太平洋海戦生起に伴い、部隊インディスペンサブ西方の敵戦艦攻撃を下される。水上航行で所定の位置をしたが、会敵に失敗した10月31日、先遣部隊部は新たな兵力部署を発。伊175は伊122、172、呂34と丁潜部隊に編入。サンクリスバル北東に展開して敵増援の阻止を担う。しかし戦果は挙げられず、11月3日172が消息不明になっている。やがて伊175に帰投命が下り、11月19日トラックへ帰投した。11月20日竹島南泊地にて海軍一般徴用日新丸と衝突事故を起こし、損傷。沈没を防ぐため自ら座礁した。内地での修理が決まり、翌21日にトラックを出発。11月29日へ入港して補給を受けた後、横須賀に回航。12月5日に到着し、修理を受ける。入渠中、田畑少佐が艦長に着任。

1943年

1943年3月15日、第11潜隊解隊に伴って第12潜隊に転属。4月17日横須賀を出港してに回航。

5月11日アメリカ軍アリューシャン列島アッツ島に上陸。風雲急を告げる戦況を受け、連合艦隊5月12日17時50分に電作第563号を発して伊175の北方部隊編入を命。出港準備を始める。5月15日、第12潜隊の潜水艦となる。5月17日午前1時を出港し、横須賀を経由して北方域へと向かい、北東方面の策地となっている片岡湾に急行5月24日に到着し、孤立状態に陥っているキスカ島から将兵を撤退させる「ケ」号作戦に参加。総勢15隻の潜水艦が参加する大規模なもので、第1潜戦隊の古宇田武郎少将揮を執った。往路は補給物資を積み、復路は傷病兵を収容して帰投する。は60名の収容が可と見積もられた。泊地への突入はその都度定、収容作業は間にのみ限定された。5月29日アッツ島守備隊が玉砕。キスカへの補給と撤収が急務となる。

6月6日、敵の監視網を突破してキスカに到着。補給物資16トンの揚陸と60名の収容に成功し、6月10日片岡湾へ帰投。給油洋丸から燃料176トンの補給を受ける。6月13日に再び出港し、敵艦隊が遊する域を突破して6月17日キスカ港到着。前回同様物資16トンを揚陸し、傷病兵70名を収容する。ところが輸送任務中の24と9が相次いで消息不明になった現状を鑑み、北方部隊部は同日21時30分に電作第45号を発。別命あるまでキスカ付近で留まりつつ、敵情を報告するよう伊175に命じた。6月20日へ帰投。アリューシャン方面では濃霧が盛んに発生しており、潜水艦に紛れる事で敵のから逃れようとした。しかし敵艦隊は濃霧の中でも的確に位置を把握できるレーダーを有しており、6月に入ると中から突然撃を受ける事態が多発。6月21日までに24と9に加えて7も喪失してしまい、同日付けで潜水艦による撤退作戦は断念された。しかし救助できたのは872名のみで、これは全体の約15に過ぎなかった。代わりに水上艦艇による救出が試みられ、潜水艦はその支援した。6月24日171とともに出撃。アムトチカ南方で発信された敵の通信の確認に向かったが、何もかった。そのまま線に配備される。

6月28日、新たな兵力部署が発。伊175、1712の3隻で監視隊を編制し、要地偵察と敵艦攻撃を主任務とした。7月7日にアムチトカ道南方へ到着。同日、木村昌福少将率いる救援艦隊が筵を出港。キスカに向かった。作戦支援のため、7月15日アリューシャン東方に移動。通商破壊を行うが、同じ日に救援艦隊が突入を断念。1回の撤収作戦は失敗に終わった。同日19時18分、2回の撤収作戦に備えて配置転換。監視隊にはアリューシャン列島西方通商破壊を行い、情報を統合して敵情を報告するよう命が下った。7月18日、E散開線への参加を命じられ、7月24日到着。救援艦隊の間接援護にする。7月31日から8月1日にかけて、キスカ島守備隊の全将兵を乗せた水上艦隊が筵に帰投。「ケ」号作戦は見事成功に終わり、伊175に帰投命が出た。8月2日筵に帰港。翌日北方部隊の任を解かれた。次期作戦に備えて内地で整備を受ける事になり、8月4日筵を出発。8月10日へ入港した。

9月19日を出発し、9月25日トラックへ進出。10月5日から翌6日にかけて、モントゴメリー少将率いる第14機動部隊ウェーク島襲。同地の第22航空戦隊零戦一式陸攻に甚大な被害が及んだ。ウェーク近に潜む敵艦隊を攻撃するため甲散開線に加わる事になり、10月16日に出撃。ウェーク東方のT散開線に加わってを行うも、会敵できなかった。10月20日伊36よりハワイ南方にて敵の大規模団が西へ向かっているとの通報が入った。さっそく伊175、伊1935、伊169に迎撃命が下され、10月25日にT散開線から移動。オアフ南方300里の地点に配置された。しかしこちらも会敵できず、11月13日トラックへの帰投命を受けて帰路につく。

11月19日アメリカ軍の大部隊中部太平洋ギルバートに襲来。連合艦隊作戦行動中の伊175、伊19伊2135、伊169を、トラックからは伊3940、174、呂38の計9隻を迎撃に向かわせ、作戦第三法警を発。A散開線には伊175、伊19伊169が配備された。11月21日にはマキタラワが敵軍の上陸を受け、伊175はマキン方面への進出が命じられた。タラワに攻撃が集中すると考えた連合艦隊は同潜水艦を集め、マキンに向かった伊175にも「敵を見なければタラワ急行すべし」と伝えていた。全速マキン方面に突撃していた伊175だったが、到着した11月23日タラワマキンが陥落してしまう。

事態の逼迫によってギルバート方面で活動している潜水艦トラックに戻す余裕がくなり、クェゼリンに補給用潜水艦として32が進出した。

リスカム・ベイ撃沈

11月24日明、マキン環礁の南西32kmにて3隻の護衛空母を中心としたグループを発見。ヘンリー・M・ムリニクス少将率いる第52.3任務群で、護衛空母リスカム・ベイ(旗艦)、コーラルシーコレヒドールを基幹とし、その周囲を戦艦ペンシルバニアニューメキシコ、ミシシッピ、重巡洋艦ボルモチア、若干数の駆逐艦が取り巻いていた。マキンとタラワでは内の掃討が行われており、第52.3任務群はその支援に従事。潜水艦に襲撃される可性は低いと考え、ジグザグ運動はしていなかった。

午前4時30分、リスカム・ベイ艦内で総員起床のラッパが鳴りいた。午前4時36分、戦艦ニューメキシコSGレーダーが反応を探知。その反応こそ伊175であったが、逆探装置を持っていたため素く気付き、急速潜航。ニューメキシコレーダーの誤認と思わせる事に成功する。中で息を殺しながら、敵の輪形を突破していく。一方、リスカム・ベイでは午前4時50分より艦載機の発進準備が行われていた。飛行甲には燃料と弾薬を満載にした13機のヘルキャットが、カタパルト外に1機が並び、格納庫にも7機が待機。格納庫下には弾薬爆弾をたくさん積み込んでいた。伊175はリスカム・ベイまであと約900mの距離まで薄。午前5時5分、艦載機を発進させるためリスカム・ベイ艦首上(北東)に向けた。これがちょうど伊175に右す格好となり、好機が到来した。

午前5時10分、伊175は3隻の空母に向けて4本の九五式酸素魚雷を発射。見り員が跡を発見して絶叫するが、時既に遅し。1本がリスカム・ベイ(7800トン)の右舷機関室後部に命中し、航空機用の爆弾庫を破壊。その余波で収容されていた爆弾類が一気に引火誘爆、一にして艦尾が吹き飛んだ。爆発で巻き上げられた破片は、1400m離れたニューメキシコにまで届いたという。しい爆発によって生じた煙はたちまちキノコとなり、衝撃波は周囲の艦を揺さぶったが、被害は出なかった。後部機関室にいた人員は全員死亡。並べられたヘルキャットにも火の手が及び、燃料や爆弾に引火して連鎖的な誘爆を招いた事で飛行甲は火のと化す。面にはリスカム・ベイから流れ出た重が広がったが、それにも引火。生存者がへ脱出するのを妨げた。この時点で消火設備は全に沈黙、もはや鎮火の処は立たなかった。第52.3任務群ヘンリー・M・ムリニクス少将や艦長ウィルトジー大佐ら53名の士官と乗組員591名が死亡。23機のヘルキャットも失われ、残ったのは発進済みで他の空母に着艦できた5機だけだった。浮いていた前部も次第に右舷へ傾き始め、午前5時33分に沈没生存272名は僚艦に救助された。

手痛い一撃を受けた第52.3任務群は四方八方に回避運動を取る。午前5時24分、駆逐艦キンバリーは中の音を探知し、ニューメキシコレーダーも同様に探知。艦艇総出で潜水艦狩りを開始する。午前6時10分、駆逐艦モーリーが2本の跡を発見、続けざまにハルグリッドレイ爆雷を投下。伊175は2隻の敵駆逐艦から6時間に渡って29発(34発とも)の対潜制圧を受け、至近弾8発を喰らうも損軽微。隙を見て域から離脱した。リスカム・ベイ撃沈により敵艦の集結を予想した大本営は、40を増援としてマキン近派遣。翌日、伊175は「北上中の敵空母撃し、3本命中。概ね撃沈」と報告。マキン近からの撤収を図った。

11月26日偵察機からの報告でミレ来攻の算大と判断した連合艦隊は伊175にクェゼリン寄港とトラック帰投を命。翌27日、伊175はクェゼリンに入港して32から燃料補給を受けた。11月28日に出港し、12月1日トラックへ帰投。上丸に横付けして修理を受ける。ギルバート方面に向かった潜水艦9隻のうち、伊19伊2135、伊3940、呂38の6隻が未帰還となり、かろうじて生還した伊175、伊169、174も爆雷で傷ついていた。潜水艦部隊は大損を受け、可動艦は著しく減少。一の戦果は、伊175が挙げたリスカム・ベイ撃沈だけであった。第6艦隊の高木武雄は赫々たる戦果を挙げた伊175に表状を贈った。12月8日、特設水上機母艦安丸から魚雷を、翌9日に蒸留を受領する。

1944年1月10日、糧食品を受領。1月26日連合艦隊からオーシャンへの食糧輸送を命じられ、翌27日にトラックを出撃。輸送後はマーシャル諸島東方の配備につく予定だった。1月30日機動部隊がクェゼリンを襲撃。しい爆撃に曝された。翌31日にアメリカ軍が上陸してきたため、先遣部隊部は伊175にクェゼリン方面への急行を命。食糧を載せたまま当該域に向かい、同日中にクェゼリンへと到着した。

この行動を最後に伊175は消息を絶った。

最期

潜水艦特性として戦日や喪失原因がはっきりしていない。

アメリカ側の資料では2月4日を戦日とし、駆逐艦シャレットと護衛駆逐艦フェアからヘッジホッグ攻撃を受けて沈められたとする。日本側の資料では2月17日を戦日とし、タロ北東駆逐艦ニコラスの爆雷攻撃を受けて沈んだとしている。乗組員100全員が戦死。2月10日に第6艦隊から「機宜配備をウォッゼ、マロエラップ東方面に移し、敵艦を攻撃すべし」と示があったが、返答はかった。帝國海軍1944年3月26日にクェゼリン方面で亡失と認定し、7月10日に除籍された。

戦果は撃沈4隻(1万80トン)、撃破2隻(6624トン)であった。

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