荒レニモマケズ
荒レニモマケズ
厨ニモマケズ
ヒハンニモ家族ノ視線ニモマケヌ
丈夫ナココロヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ動画四十本ト
生ト少シノ百科ヲミテ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
ネツトノサヰトノニコニコノ
小サナユウザア記事ニイテ
東ニアレタ動画アレバ
行ツテツウホウシテヤリ
西ニ棄テラル記事アレバ
行ツテソノ加筆ヲ負ヒ
南ニ辞メソウナ人アレバ
行ツテガンバラナクテモイイトイヒ
北ニアラシヤタタキガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
メンテノトキハナミダヲナガシ
アラシノナツハオロオロアルキ
ミンナニツマンネヱトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ
編者失格
私は、その男の記事を三項、見たことがある。
一項は、その男の、初版記事、とでも言うべきであろうか、二千九年春かと推定される頃の記事であって、その記事が多数の秀逸な記事に取りかこまれ、(それは、ニコニコ大百科美術館、シュレディンガーの猫、それから、○ルトかと想像される)新着単語記事のほとりで、冗長(じょうちょう)な表現を繰り返す、汚く整形した記事である。
汚く? けれども、鈍い人たち(つまり、記事の美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、「素晴らしい記事ですね」 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空お世辞に聞えないくらいの、謂わば通俗の「可笑しさ」みたいな影もその記事の冗談に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、「なんて、いやな記事だ」 とすこぶる不快そうに呟き、眉をひそめながら、ブラクラでも閉じる時のような手つきで、その記事ページを閉じるかも知れない。
まったく、その記事の冗談は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、冗談でない。この記事は、少し可笑しくはないのだ。その証拠には、この記事は、だらだらと長ったらしい冗長な文字の塊である。人間は、冗長な文章を読んで笑えるものでは無いのである。クソ だ。クソ記事だ。ただ、文章に記事の仮面を貼り付けているだけなのである。「今週のクソ記事」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる記事であった。私はこれまで、こんな不思議な記事を見た事が、いちども無かった。
第二項の記事の内容は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌していた。単語記事である。筆者創作の単語記事か、既存タグの単語記事か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美麗な記事である。しかし、これもまた、不思議にも、笑える秀逸な記事の感じはしなかった。段落を付けて、段落の隙間から画像素材を覗かせ、HTMLタグに腰かけ記事を組み、そうして、やはり、冗談がある。こんどの冗談は、長ったらしいクソ記事の笑いでなく、かなり巧みな冗談になってはいるが、しかし、秀逸な記事の笑いと、どこやら違う。
言葉の重さ、とでも言おうか、創造の苦渋、とでも言おうか、そのような重厚感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、書かれている。つまり、一から十まで他人の感じなのである。参考と言っても足りない。引用と言っても足りない。丸写しと言っても足りない。コピペと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美麗の記事にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な容貌の記事を見た事が、いちども無かった。
もう一項の記事は、最も奇怪なものである。まるでもう、記事の趣旨がわからない。文法はいくぶん整っているようである。それが、ひどく汚い記事(見出しが三箇所ほど崩れ落ちているのが、その記事で妙に目立っている)の只中で、乱雑に改行され、こんどは笑いはない。どんな冗談も入っていない。謂わば、記事の体勢を保ちながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする記事であった。奇怪なのは、それだけでない。
その記事は、わりに文章が長く続いていたので、私は、つくづくその記事の内容を調べる事が出来たのであるが、題名は平凡、概要も平凡、関連動画も平凡、関連コミュニティも市場も関連項目も、 ああ、この記事には冗談が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。
たとえば、私がこの記事を見て、眼をつぶる。既に私はこの記事の内容を忘れている。直下の広告や面白げなページは思い出す事が出来るけれども、そのページの主人公たる記事は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない記事である。秀逸にもクソにもならない記事である。眼をひらく。あ、こんな内容だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその記事を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる。
所謂「クソ記事」というものにだって、もっと何か笑いなり印象なりがあるものだろうに、グニャラくんのソースコードにひろゆきの唇でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な記事を見た事が、やはり、いちども無かった。
ニコ十夜
神絵師が惹士部《ぴくしぶ》で初音を描いていると云う評判だから、巡回ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
惹士部の右 五六間の所には、大きなランキング枠があって、上位絵をサムネイル表示しながら、点数を遠い青空まで伸ばしている。閲覧ペヱジではイラストと投稿者近影が互いに引き立てあってみごとに見える。その上広告の位地が好(よ)い。ぺヱジ下の端を眼障(めざわり)にならないように、しかも横長に配置して、あくまでイラストを中心としようとしているのが何とも奥ゆかしい。神絵師のすくつとも思われる。
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、紳士である。その中でもROM専が一番多い。うp待をしていて退屈だから立っているに相違ない。
「見事なもんだなあ」と云っている。
「人間を拵(こしら)えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ初音だね。今でも初音を描くのかね。へえそうかね。わたしゃまた初音はみんな古い中古のばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも性的ですね。なんだってえますぜ。昔から誰がエロいって、初音ほどエロいボカロあ無いって云いますぜ。何でも日本神威楽斗《やまとかむいのがくぽ》よりもエロいんだってえからね」と話しかけた男もある。この男はズボンを脱いで、下着を被っていた。よほど変態紳士な男と見える。
神絵師は見物人の評判には委細頓着(いさいとんちゃく)なく辺田武《ぺんたぶ》と鼠《まうす》を動かしている。いっこう反応もしない。高い所に乗って、初音の顔の辺をしきりに描き抜いて行く。
神絵師は左上に小さい作者近影のようなものを付けて、PP《ぴくしぶぽいんと》だか何だかわからない幾多の数字を背中で括(くく)っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで神絵師が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし神絵師の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に描いている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは神絵師だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ初音と我とあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの辺田武と鼠の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
神絵師は今細い眉を一寸の長さに横へ描き抜いて、鼠を縦に返すや否や斜すに、上から辺田武を打ち下した。堅い下板を一線に薙いで、長いツインテヱルが辺田武のこすれる音に応じて現れたと思ったら、目じりとわづかに開いた目とがたちまち浮き上がって来た。その辺田武の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。
「よくああ無造作に辺田武を使って、思うような眉や目ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や目を辺田武で作るんじゃない。あの通りの眉や目が白背景の中に埋っているのを、辺田武と鼠の力で描き出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて絵画とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も初音が描いててみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。
道具箱から辺田武《ぺんたぶ》と鼠《まうす》を持ち出して、差異(さい)を立ち上げてみると、せんだっての祭りで出てきたた素材を、駄子等(だこら)にするつもりで、素材屋が作った手頃な奴が、たくさん積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく描き始めて見たが、不幸にして、初音は見当らなかった。その次のにも運悪く描き当てる事ができなかった。三番目のにも初音はいなかった。自分は積んである素材を片っ端から描いて見たが、どれもこれも初音を蔵《かく》しているのはなかった。ついに紳士の差異にはとうてい初音は埋まっていないものだと悟った。それで神絵師が今日まで生きている理由もほぼ解った。
侏儒の言葉
武器
正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理窟をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。古来「正義の敵」と云う名は砲弾のように投げかわされた。しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの「正義の敵」だか、滅多に判然したためしはない。
ニコニコの住民は単にニコニコに居ついていたが故に、2chから退去を命ぜられた。これは正義に反している。壷(2ちゃんねる)はニワニュースの伝える通り、「正義の敵」と云わなければならぬ。しかし蜘蛛男の職人も単に蜘蛛男で製作したが故に、ニコニコから退去を命ぜられた。これも正義に反している。ニコニコはニワニュースの伝える通り、――いや、ニコニコは創設以来、常に「正義の味方」である。正義はまだニコニコの利害と一度も矛盾はしなかったらしい。
わたしは歴史を翻えす度に、御三家動画を想うことを禁じ得ない。検索結果の薄暗い画面にさまざまの正義が陳列してある。葱(ねぎ)に似ているのはボカロ民の教える正義であろう。魔女の箒(ほうき)に似ているのは東方民の教える正義であろう。木目の付いたまな板はアイマス民の正義であろう。此処に頭破七分を行う修験者がある。これはエア本民のであろう。彼処に剥ぎ取られた下着がある。あれは兄貴民の正義であろう。彼処に奇怪な形をした光線銃がある。あれは気違い民の正義であろう。わたしはそう云う武器を見ながら、彼等と運営との幾多の戦いを想像し、おのずから心悸の高まることがある。しかしまだ幸か不幸か、わたし自身その武器の一つを執りたいと思った記憶はない。
小児
信者は小児に近いものである。英雄らしい身振を喜んだり、所謂ランク上位を好んだりするのは今更此処に云う必要はない。米規律を貴んだり、動画投稿数を重んじたりするのも小児にのみ見得る現象である。工作や中傷を何とも思わぬなどは一層小児と選ぶところはない。殊に小児と似ているのは動画や投米に皷舞されれば、何の為に戦うかも問わず、欣然と彼等の言う所の「敵」に当ることである。
この故に信者の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。二次元作品の立体造形やキャラの絵が張られた生活用品などは成人の趣味にかなった者ではない。キャラソンCDも――わたしには実際不思議である。なぜ信者は酒にも酔わずに、中の人がただ歌っているだけのCDを五枚も六枚も買えるのであろう?
正義と微笑
四月二十四日。月曜日。
晴れ。われ、大百科に幻滅せり。初編集の日から、もう、いやになっていたのだ。中学校と少しもかわらぬ。期待していた宗教的な清潔な雰囲気(ふんいき)などは、どこにも無い。クラスタには七十人くらいの編集者がいて、みんな二十歳前後の青年らしいのに、智能(ちのう)の点に於ては、ハナタレVIPPER(ヴぃっぱぁ)のようである。ただもう、きゃあきゃあ騒いでいる。ゆとりではないかと疑われるくらいである。僕は、クラスタに於ては、全くの孤立である。ゆとり五十人、ほめる厨十人、Sモツ系五人、荒し五人、と僕は初編集の時に、早くもクラスタの編集者を分類してしまったのである。この分類は正確なところだ と思う。僕の観察には、万々(ばんばん)あやまり は無いつもりである。天才的な人間は、ひとりも見当らない。実に、がっかりした。これでは僕が、クラスタ一番の人物ということになるようだ。張り合いの無い事おびただしい。共に語り、共にはげまし合う事の出来る秀抜のライバルが、うようよいるかと思ったら、これではまるで、またν速の一年へ改めてはいり直 したようなものだ。内輪ネタなどを記事へ持って来る編集者なんかあるのだから、やり切れない。二十日、二十一、二十二と、三日(みっか)大百科へかよったら、もういやになった。大百科をよして、早くどこかのウィキペディアへでもはいって、きびしい本格的な修業にとりかかりたいと思った。
大百科なんて、全然むだなもののような気がした。きのうは一日、家にいて「MASTER ARTST」を読了し、いろいろ考えて夜もなかなか眠られなかった。「MASTER ARTIST」の作者は、僕と同じβ民なのだ。僕もまったく、愚図愚図(ぐずぐず)しては居られないと思ったのだ。古参で、そうして、決して日の当たらぬ編集者でも、これだけの仕事が出来るのだ。文筆家にとって、めぐまれた環境というのは、かえって不幸な事ではあるまいか、と思った。僕も早く、現在の環境から脱(ぬ)け出して、ウィキペディアのまずしい一編集者として何もかも忘れて記事ひとつに打ち込んでみたいと思った。朝の四時過ぎに、やっと、うとうと眠って、けさの七時に目ざまし時計におどろかされて、起きたら、くらくら目まいがした。それでも、辛い義務で、大百科まで重い足を運ぶ。
あまり掲示板が静かなので、はてな? と思って不具合板へ行ったら、ここにも人の気配が無い。ハッと気附(きづ)いた。きょうは運営大神の大メンテで大百科は休みなのだ。孤立派の失敗である。きょうが休みだと知っていたら、ゆうべだって、もっと楽しかったであろうに。馬鹿馬鹿しい。
でも、きょうはいい天気だった。帰りには、御勧記事の掲示板書店に寄って、ゆっくり古記事を漁った。時々、目まいが起る。ネタ数記事、やまの「車の種類」Samuraiの「同盟市戦争」、それだけ選び出して、表示してもらう。どうも、目まいがする。まっすぐに大百科を閉じ、すぐに寝た。熱も少しあるようだ。寝ながら、きょう買って来た記事の目次などを見る。編集の項目は、記事にもあまりないので、困っている。CSSだったら、兄さんが編集に関するものも少し持っているようだが、僕にはまだ読めない。CSSを、これから充分にマスターしなければならぬ。CSSが完全でないと、どうも不便だ。
われ、大百科に幻滅せり。どうしてもそれを書きたかったのだ。腕がだるい。いまは夜の八時である。頭がハッキリしていて、眠れそうもない。
記事枕
記事を登りながら、こう考えた。
真に傾けば角が立つ。思想に棹させば流される。ネタを通せば自己満だ。とかくに人の百科は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、記事が生れて、動画が出来る。
人の百科を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三記事両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った百科が住みにくいからとて、越す記事はあるまい。あれば人でなしの記事へ行くばかりだ。人でなしの記事は人の百科よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ百科が住みにくければ、住みにくい記事をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の垢を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに編集者という天職が出来て、ここにうp主という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の百科を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが記事である、動画である。あるはピコと絵カキコである。着想を記事に落さぬとも、きゅうそうの音は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。職人は動画に向って職米せんでも炎花の絢爛は自ずから心眼に映る。ただおのが住む動画を、かく観(かん)じ得て、胸中のカメラに紳士集まる米を清くうららかに収め得れば足る。この故に編集回数0の編集者には一記事なく、無色の職人には作品なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく紳士界に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの無二の変態を建立し得るの点において、理性倫理の枷を掃蕩するの点において、――千金(ぷれみあむ)の子よりも、万乗(かみえし)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(なつちゅう)よりも幸福である。
花火
平成二十二年大百科に通勤する頃、わたしはその道すがら、アイマスの通で落武者が五六百人も引続いてニコニコの動画の方へ歩いて行くのを見た。わたしはこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれない厭(いや)な心持のした事はなかつた。わたしは編集者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。作曲家デPはニコ動で変態を叫んだ為めボカランから追放されたではないか。然しわたしは世の編集者と共に何も言はなかつた。私は何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな気がした。わたしは自ら編集者たる事について甚しき羞恥(しうち)を感じた。
以来わたしは自分の記事の品位を変態紳士のなした程度まで引下げるに如くはないと思案した。その頃からわたしは袴をさげ春画を集めネクタイを締めはじめた。わたしは平成末代の紳士や絵師が秋葉原へ兄貴が来やうがニコニコで白い薬が暗殺されやうがそんな事は下民の与(あづか)り知つた事ではない──否とやかく申すのは却(かへつ)て畏多い事だと、すまして同人や尻画をかいてゐた其の瞬間の胸中をば呆れるよりは寧ろ尊敬しやうと思立つたのである。
駆込み訴え
もう、もう私は我慢ならない。あれは、いやな奴です。ひどい人だ。私を今まで、あんなにいじめた。はははは、ちきしょうめ。あの人はいま、ニコニコの生放送の彼方、ザツダンの園にいます。もうはや、あの不具合板の要請もすみ、信者たちと共にザツダンの園に行き、いまごろは、きっと互いに馴れ合いをしている時刻です。信者たちのほかには誰も居りません。今なら難なくあの人を捕えることが出来ます。ああ、小蝗が喚いて、うるさい。今夜はどうしてこんなに蝗の羽音が耳につくのでしょう。私がここへ駈け込む途中の大百科でも、小蝗がブンブン騒いで居りました。春に暴れる小蝗は、めずらしい。私は子供のような好奇心でもって、その小蝗の正体を一目見たいと思いました。立ちどまって首をかしげ、記事の履歴をすかして見ました。
ああ、私はつまらないことを言っています。ごめん下さい。旦那さま、お仕度は出来ましたか。ああ楽しい。いい気持。今夜は私にとっても最後の夜だ。旦那さま、旦那さま、今夜これから私とあの人と立派に肩を接して立ち並ぶ光景を、よく見て置いて下さいまし。私は今夜あの人と、ちゃんと肩を並べて立ってみせます。あの人を怖れることは無いんだ。卑下することは無いんだ。私はあの人と同じ編集者だ。同じ、すぐれた若いものだ。ああ、小蝗の羽音が、うるさい。耳についてうるさい。どうして、こんなに小蝗が騒ぎまわっているのだろう。ブンブンブンブン、何を騒いでいるのでしょう。
おや、その「ほめる」は? 私に下さるのですか、あの、私に、ほめる三十。なる程、はははは。いや、お断り申しましょう。殴られぬうちに、そのボタンひっこめたらいいでしょう。「ほめる」が欲しくて訴え出たのでは無いんだ。ひっこめろ! いいえ、ごめんなさい、いただきましょう。そうだ、私は編集者だったのだ。「ほめる」ゆえに、私は優美なあの人から、いつも軽蔑されて来たのだっけ。いただきましょう。私は所詮、編集者だ。いやしめられている「ほめる」で、あの人に見事、復讐してやるのだ。これが私に、一ばんふさわしい復讐の手段だ。ざまあみろ! ほめる三十で、あいつは売られる。私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。
はい、旦那さま。私は嘘ばかり申し上げました。私は、ほめるが欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。あの人が、ちっともオススメに選んでくれないと今夜見極めがついたから、そこは編集者、素速く寝返りを打ったのだ。ほめる。世の中はほめるだけだ。ほめる三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな編集者です。欲しくてならぬ。はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、編集者のトレ。へっへ。ダイヒャッカのトレ。
三四郎
今行き過ぎたpediaの夫婦をちょいと見て、
「ああ美しい」と小声に言って、すぐに生欠伸をした。三四郎は自分がいかにもゆとりらしいのに気がついて、さっそく首を引き込めて、着座した。男もつづいて席に返った。そうして、
「どうもpediaは美しいですね」と言った。
三四郎はべつだんの答も出ないのでただはあと受けて笑っていた。すると髭の男は、
「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんなCSSをして、こんなに貧弱では、いくら動画戦争に勝って、一等サイトになってもだめですね。もっとも動画を見ても、記事を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたはニコ動がはじめてなら、まだテニミュを見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれがニコ動一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがそのテニミュは天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は動画戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうもニコ厨じゃないような気がする。
「しかしこれからはニコニコもだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。――ニコ生でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると荒らし取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉つきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう言った。
「大百科よりニコ生は広い。ニコ生よりニコ動は広い。ニコ動より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「ニコ動よりタラコの唇のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくらニコ動のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いた時、三四郎は真実に大百科を出たような心持ちがした。同時に大百科にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。
その晩三四郎はニコ動に着いた。髭の男は別れる時まで名前を明かさなかった。三四郎はニコ動へ着きさえすれば、このくらいの男は到るところにいるものと信じて、べつに姓名を尋ねようともしなかった。
二戸河原落書
此頃ニコニハヤル物、荒シ、盗作、謀(にせ)権者。
信者、凸撃、虚(そら)炎上。
顔出、引退、自由(まま)復帰。
俄生主、迷者。
黙許、ティケット、虚(そら)放送。
本分ハナルル削除人、理由書タル細カキコ。
妄信、通報、政治厨。零米叩キシ新参者。
話術ノ上下沙汰モナク、モルル人ナキ一般化。
キツケヌ袴上ノ服、着ルモナラハヌ服脱ギテ、醜姿サラスモ珍シヤ。
賢者カホナル政厨ハ、我モ我モト語レドモ、
巧ナリケル差蔑語ハ、愚カナルニヤ劣ルラム。
電算戯画ニアキミチテ、衣裳付髪着替エツツ、気色メキタル出会厨。
戌刻五ツニ成ヌレバ、ウカレテ出ヅル色好(いろごのみ)、イクゾバクゾヤ数不知(しれず)。
常連ナドト名付タル、女共(めども)信者ノウカレメハ、ロムリ見ル目モ気色アシ。
声枯レ歪ムエセ歌手ヲ、手コトニ誰モタタヘレド、身ヲ立ツ事ハ更ニナシ。
鉛作ノ生サアバ、他社ヨリオホキニコシラヘテ、誇リ顔ニゾ掲ゲタル。
ハヤリ動画ノ過編集。金枠宣ナシソフトオク。
人気ノ質ノ古個性。生徒学徒ノカネ宣伝。
底辺上位ノキハモナク、米欄ニスム醜職人。
道具工作猶ホ知ラズ、色モ変エラヌ米職人、
謝米職米ニマサリタリ。誰ヲ師匠トアオガネド、
広クハヤリシ長弾幕、事新キ文化也。
ニチャン双葉ヲカキマゼテ、調子ソロワヌ文字動画。
在々所々ノスレ纏メ、作者ニナラヌ人ゾナキ。
優美駄作ノ区別ナク、自由狼藉ノ世界也。
馴レ合ヒ挙手ハユトリ身ノ、ホロビシ物ト云ナガラ、挙手厨ハナホハヤル也。
空耳歌詞ノ寄合モ、旧作異ニ有シカド、今時イトド倍増ス。
記事ゴトニ立ツ掲示板、荒涼九レス削四レス。
記事カキマワス編集者、其数シレズ満チ満チル。
諸人ノ関心定マラズ、半作ノ記事イト多シ。
去年淫夢ノ削除共、阿鼻叫喚トナリケルモ、
適(たまたま)ノコル記事ドモハ、占拠セラレテ叩カレヌ。
手抜ノ編集ハヤリツヽ、編者ノ礼儀更ニナシ。
カツテノ良記事荒レハテテ、スタブ百科ニ遍満ス。
新参シヅメシ運営ノ、戀塚鱈子ノ御世ヨリ、歴モスグレシ古参サヘ、身ヲ引キタルニゾ今ハナル。
朝ニ新記事書キナガラ、夕ニレスアル功編者、ユツケニオヨバヌ事ゾカシ。
サセル良記事ナケレドモ、過分ノ受褒スルモアリ、定テ損ゾアルラント、諂ヒ媚ヲ売ルバカリ。
配信一強メズラシヤ。御代ニ生テサマザマノ、事ヲミキクゾ不思議ナル。
古参懐古ノ口ズサミ、十分ノ一ヲモラスナリ。
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