ダニ・ペドロサは、スペイン・カタルーニャ州バルセロナ県サバデル出身のMotoGPライダーである。
1985年9月29日生まれ。
2001年よりMotoGPへの参戦を始め、2003年に125ccクラスチャンピオン、
2004年と2005年に250ccクラスチャンピオンを獲得した。
2006年から2018年までレプソルホンダから最大排気量クラスへ参戦した。
全クラス合計で通算54勝、最大排気量クラスでは通算31勝を挙げた。
2018年シーズンをもって現役引退した。
2019年と2020年はKTMワークスのテストライダーになる。
ゼッケン、レーシングスーツ、ヘルメット
ゼッケン26番は師匠であるアルベルト・プーチから与えられたものである。ちなみにアルベルト・プーチは27番をケーシー・ストーナーに、24番をトニ・エリアスに与えていた。
2005年はゼッケン1番、2008年はゼッケン2番、2003年と2009年はゼッケン3番を付けたが、それ以外の年は全て26番を付けている。
2007年から、レーシングスーツは星のマークでおなじみのアルパインスターズを使っている。
Araiヘルメットと契約している。もともとは他のメーカーのヘルメットを使っていたが、雨天レースの時のシールドの曇りに悩まされていた。2005年のシーズン途中、チームメイトの青山博一からAraiのヘルメットを借りたら非常に良好だった。第4戦フランスGPで雨のレースになってもAraiのヘルメットが視界良好であることに感激したダニは、他メーカーとの契約を途中解除してまでAraiと契約した。
2015年10月から漢字の「侍」が入ったヘルメットを好んで使っている。
2015年10月に日本GPが開催され、Araiがスペシャルヘルメットとして侍ヘルメットを作成した。これを被ったダニがいきなり快勝し、次のマレーシアGPでも勝利した。これで縁起の良さを感じたダニは侍ヘルメットを使い続けている。
本名はダニエル(Daniel)で、2005年まではこれが登録名だった。
体格とライディングスタイル
体格が小さい
体格は公称で身長158cm体重51kgであり、とても小柄な部類に入る。
MotoGP最大排気量クラスの主要ライダーの体格データを並べた表を見ても、そのことがよく分かる。
※下記データは2019年1月1日時点のMotoGP公式サイトのデータを参照にした
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191 ロリス・バズ 79 ロリス・バズ 185 スコット・レディング 78 スコット・レディング 181 ダニロ・ペトルッチ 78 ダニロ・ペトルッチ 181 ヴァレンティーノ・ロッシ 74 カレル・アブラハム 180 カレル・アブラハム 74 アンドレア・イアンノーネ 180 アレイシ・エスパルガロ 69 ヴァレンティーノ・ロッシ 180 ハフィズ・シャリーン 68 アレックス・リンス 178 アンドレア・イアンノーネ 68 カル・クラッチロー 178 ティト・ラバト 67 中上貴晶 177 ファビオ・クアッタハッホ 67 アンドレア・ドヴィツィオーゾ 176 フランコ・モルビデリ 66 アレイシ・エスパルガロ 176 アレックス・リンス 66 ハフィズ・シャリーン 176 フランチェスコ・バニャイア 66 ファビオ・クアッタハッホ 175 中上貴晶 66 ヨハン・ザルコ 175 ジョアン・ミル 65 ティト・ラバト 173 ジャック・ミラー 65 フランチェスコ・バニャイア 171 ヨハン・ザルコ 65 ホルヘ・ロレンソ 171 マーヴェリック・ヴィニャーレス 65 マルク・マルケス 171 ポル・エスパルガロ 64 フランコ・モルビデリ 171 ホルヘ・ロレンソ 64 ジャック・ミラー 171 ケーシー・ストーナー 64 マーヴェリック・ヴィニャーレス 170 カル・クラッチロー 64 ポル・エスパルガロ 170 ミゲール・オリヴェイラ 64 ミゲール・オリヴェイラ 169 マルク・マルケス 60 ジョアン・ミル 167 アンドレア・ドヴィツィオーゾ 58 ケーシー・ストーナー 158 ダニ・ペドロサ 51 ダニ・ペドロサ
体重が軽いので、立ち上がりの加速が速い
ダニ・ペドロサの体重は51kgであり、この体重の低さが大きな武器となっている。
軽い体重なので低速からの立ち上がりが速い。立ち上がりを目一杯速くするスタイルである。
立ち上がりを速くして後続をぶっちぎって優勝、というのが彼の勝ちパターンである。
反面、ブレーキングはそれほどハードではない。ブレーキングには筋力を使うのだが、ダニ・ペドロサは筋骨隆々というほどではなく、ハードブレーキングにはやや不向きといえる。混戦の中、ブレーキングでバシッと抜いて、僅差で優勝・・・というのはやや少ない。
体重が軽いので、タイヤに熱が入りにくい
体重が軽いので、タイヤに荷重がかからず、熱が入りにくい。これは短所と長所の2面がある。
レース序盤はなかなかタイヤの温度が上がらず、上手く走れないのが短所である。MotoGPはタイヤを適切な温度に上げてタイヤを溶かしながら走るのだが、それができない。
タイヤが過熱しにくいので、タイヤが長持ちし、レース終盤に強くなるのが長所である。
体重が軽いので、雨のレースが苦手
体重が軽いので、タイヤにズシッと荷重をかけられず、滑りやすい雨のレースは苦手となる。
2012年マレーシアGPは豪雨のレースとなり、ダニ・ペドロサが優勝した。そのとき「雨のレースをこんなに上手く走れたのは初めてだ」と嬉しそうにコメントしていた。雨のレースで勝ったのはその時点でそのレースが初めてだったらしい。雨を苦手としていることがよく分かる。
体重が軽いので、吹っ飛ばされやすく、怪我しやすい
体重が軽いので、転倒したときに吹っ飛ばされやすく、負傷する確率が高い。日本語版Wikipediaの「負傷歴」、英語版Wikipediaの「Injuries」では負傷歴が記述されており、怪我に苦しんできたことがよく分かる。とにかく全身手術跡だらけで痛々しい。
こちらの画像は、イギリスのテレビ局BTSportsが作成した。
セッティング能力が非常に高い
非常に繊細なところまで気が付き、セッティングを詰めるのが上手いらしい。レプソルホンダの技術者がペドロサの開発能力を誉める記事は散見される。記事1
体格が小さいので、セッティングを完璧に当てないと苦戦する
体格の大きいライダーは、セッティングに失敗しても、体重を前後に移動してどうにか走ることができる。前輪が滑りそうになったら前に体重をかけて前輪を抑え、後輪が跳ねそうになったら後ろに体重をかけて後輪を抑える・・・こういう芸当が可能である。
ところがダニは体格が小さいので、体重移動することが難しい。
前輪が滑りそうになったら前に体重をかけて前輪を抑える・・・というのは、ダニのような小柄なライダーでもなんとか可能である。ヘルメットがカウルに当たるところまで体を前に乗り出して、強引に前輪へ荷重をかけることは、一応可能である。ダニは体重が軽いので効果は比較的弱めだが、どうにか荷重をかけることができる。
ところが、後輪が跳ねそうになったら後ろに体重をかけて後輪を抑える・・・という作業は、ダニにとって不可能に近い。ダニのように小柄だと腕が短く、お尻を後ろに移動させることに限界がある。まさか、手をハンドルから離すわけにも行かない。
ダニにとって、「セッティングの失敗を体重移動でごまかす」という芸当は難しい。
このため、セッティングがぴたり当たったレースはとんでもなく速いが、セッティングが少しでも外れたレースは一気に苦戦する、という傾向が見られる。
空力デバイスを付けたがらない
2015年の開幕戦からドゥカティワークスがマシンに空力デバイスを付け始め、2016年には各メーカーがこぞってマシンのカウルに羽根をつけて空力を稼ぐようになった。この時代の流れは、空力パーツ(MotoGP)の記事にまとまっている。
ところが、ダニ・ペドロサは、一貫して空力デバイスを付けようとしない。
これはなぜかというと、ペドロサが体力面で劣るからである。空力デバイスを付けるとマシンを操縦しにくくなり、非常に体力を消耗させられる。このことは中本修平HRC副社長が発言しているし、巨大な空力デバイスを付けたドゥカティワークスのアンドレア・ドヴィツィオーゾとアンドレア・イアンノーネがそろって腕上がりに苦しんだことからもそうした事実をうかがうことができる。
空力デバイスを付けて体力を消耗する、ということを避けるのが、ダニのスタイルとなっている。
実現しなかったヤマハ移籍
カル・クラッチローが「ホンダのマシンが一番扱いづらくて体力を使う。ヤマハは体力が要らない」と発言しているように、ホンダのマシンは体力を消耗するマシンであり、ヤマハのマシンは体力を使わないというのが一般的な見解となっている。
それゆえ、「体力がやや劣るペドロサはヤマハ向きでないか」「ペドロサがヤマハに乗ったらチャンピオンを獲るのではないか」と盛んに言われてきた。
2016年のシーズン序盤にはペドロサがヤマハ入りするのではないかと報道された。マーヴェリック・ヴィニャーレスがヤマハ移籍を断ってスズキ残留を決めたら、ヤマハはダニ・ペドロサを獲りに行くだろう、という報道である。これは単なる飛ばし記事ではなく、レプソルホンダもペドロサとヤマハの接触を知っていた。
ペドロサ流出に備えてレプソルホンダはアンドレア・ドヴィツィオーゾと交渉していた。このことはドヴィが認めている。
結局、マーヴェリック・ヴィニャーレスがヤマハ行きを決め、ペドロサのヤマハ移籍は実現しなかった。
得意なサーキット、不得意なサーキット
ダニ・ペドロサはどこのサーキットでもまんべんなく速く、表彰台にしっかり上る。
成績がいまいち振るわないように見受けられるのは、フィリップアイランドサーキットである。ここは強風が吹き荒れ、マシンが煽られる。体重の軽いペドロサにとって姿勢が乱されやすい。
体重65kgがMotoGPライダーの平均的な体重と言えるだろうが、ダニはそれから14kg軽いのである。14kgと言ったら2リットルペットボトル7本で、相当な重量である。2リットルペットボトル7本をリュックサックに入れてそれを背負いながら自転車に乗る、これを想像してみてほしい。
また、フィリップアイランドサーキットはスリップストリームが非常によく効くサーキットで、なおかつエンジンパワーの差がはっきり出るような低速コーナーが少ない。ゆえに10台近くがずらりと連なって大集団になることが多い。ダニはブレーキングがそれほどハードではないので、こういう混戦での抜き合いはあまり向かない。
2012年にはフィリップアイランドサーキットで転倒、チャンピオン争いが終わってしまった。
同じ理由で、ロサイル・インターナショナルサーキットでの成績も彼にしては振るわない。2004年の初開催から今に至るまで一度も優勝していない。このサーキットも海岸線から2kmと近く、強風が吹き荒れる。ダニにとっては難しい。
影が薄い
ダニ・ペドロサが頑張って優勝したのに世間の注目が集まらないことがしばしばある。
2013年にヘレスサーキットにおけるスペインGPで後続をぶっちぎって圧勝したが、話題になったのはマルク・マルケスとホルヘ・ロレンソの最終コーナーでの接触事件だった。
2015年にセパン・インターナショナルサーキットで後続をぶっちぎって圧勝したが、話題になったのはマルク・マルケスとヴァレンティーノ・ロッシの14コーナーでの接触事件だった。
2016年にミサノサーキットで久々に後続をぶっちぎって圧勝。しかしながら記者会見では2位のヴァレンティーノ・ロッシと3位のホルヘ・ロレンソが口論を始め、ペドロサは下を向いてうつむくばかりだった。まさにこのイラストの通り。
2017年のバレンシアサーキットの最終戦で、最終ラップの1コーナーでトップに立ち、そのまま見事に後続のヨハン・ザルコを抑えきって勝利。だが、話題になったのはチャンピオンのマルク・マルケスがサイコロを振るパフォーマンスだった。
接近戦で勝利したレース
ダニ・ペドロサは後続を離してぶっちぎりの圧勝をする勝ち方が多いのだが、彼にしては珍しく接近戦のバトルを制したレースが2つほどあるので紹介したい。
ランキング1位ホルヘ・ロレンソとランキング2位ダニ・ペドロサのポイント差が18で迎えたこの1戦、2012年シーズンの中でも一番の名勝負が繰り広げられた。
ホルヘ・ロレンソが1番手でリードを築く中、ヴァレンティーノ・ロッシとの2番手争いを展開。バトル上手で名高いロッシに対して一歩も引かずに敢然と勝負を挑み、勝利を収めた。
サインボード
サインボードは旭日旗。画像1、画像2
鎧兜のLittle SAMURAI(ちびっ子侍)が描かれているサインボードもある。
おしゃぶりを咥えた赤ん坊が刀を持っている姿を描いたサインボードもある。
メッセージ
サインボードに「VAMOS」と貼られることがある。スペイン語で「let’s go!」「行け!」「頑張れ!」の意味である。
「VAMONOS」と貼られることもある。これはVAMOSの強調で「早く行け!」といった意味。
「MEJOR」と貼られたことがある。スペイン語で「最善だ、とても良い」という意味。
「DAI! PICCOLETTO」と貼られることがたまにある。イタリア語で「お願い頑張って、ちっちゃい人」という意味。daiは間投詞で「お願い頑張って」という意味、PICCOLETTOは小さい人。
ちなみに、スペイン語とイタリア語は酷似していて、スペイン人はイタリア語を理解する人が多い。ダニ・ペドロサもイタリア語を流暢に喋ることができる。
暗号
サインボードに「T」「TTTTTT」「TT NUM」という意味の分からない文字列が貼られることがある。こうした暗号のような文字列には意味があるらしい。
「T」というのはスペイン語のTirarのことで「ガンガン行け!」という意味らしい。
「TTTTTT」はTを重ねて「行け行け!」といった程度の意味になる。
「TT NUM」は英語のtitanium(チタニウム)の略で、「チタンのようになれ!」という意味。チタンという金属は軽くて強く、体重が軽いダニにはピッタリの励ましの言葉と言える。
こちらのサイトでは他の暗号も紹介されている。
恩人 アルベルト・プーチとマイク・ライトナー
ダニ・ペドロサの恩人といえば、アルベルト・プーチとマイク・ライトナーである。2人ともニコニコ大百科に個別記事がある。
性格
走行ラインを塞がれたりコース上でぶつけられるなどしたとき、怒りを露わにするライダーは多いが、ペドロサはそんなに怒りを露わにしないタイプである。他のライダーをどついたり、頭突きしたり、過激なハンドサインを見せたり、そういうことをしない。
アルベルト・プーチは「他のライダーに口をきくな!」と言っていたので、他のライダーに抗議することはあまりしないタイプなのである。それに、とんでもないことが起こったら、代わりにプーチが発狂激怒して猛抗議してくれるのだから、ダニ・ペドロサがわざわざ自分で抗議する必要は無かったりする。
ただ、不機嫌モードがかなり長く持続する傾向にある。眉をひそめた不機嫌そのものの表情が続く。
さらには、不機嫌のあまり取材拒否する。このことはジャーナリストの遠藤智さんが苦言を呈していた。
同世代のライバル
1年8ヶ月年下のホルヘ・ロレンソとはかつて犬猿の仲であった。
あまりに仲が悪いので、2008年にヘレスサーキットで行われたスペインGPで、スペイン国王ファン・カルロス1世が両者の手を取って、無理矢理握手させたことがある。こちらがそのシーンである。
それでも両者の仲は悪いままだったが2011年頃から雪解けが進み、2012年には完全に仲が良くなった。雑誌で対談したり、記者会見で笑顔で会話したり、以前を知るものにとって信じられない光景となった。
同じ地域の同じ世代のライバルがお互いをライバル視することはよくあることだが、彼らの場合はさらにもう1つ事情があり、マネージャー同士も険悪な関係だった。ダニ・ペドロサのアルベルト・プーチとホルヘ・ロレンソのダニ・アマトリアイン、この2人が強烈に嫌いあっていたようで、それがそのまま弟子にも伝染したらしい。
なぜ雪解けが上手くいったかというと、やはり2人ともかなりクリーンなライダーだからだろう。ダニ・ペドロサはクリーンだし、ホルヘ・ロレンソは(2005年までは乱暴だったが)2006年以降は相当にクリーンなライダーになっている。
また、マルコ・シモンチェリという共通の敵がいたのも大きいだろう。「敵の敵は味方」の理論である。マルコ・シモンチェリは最大排気量クラスでも一番の危険ライダーで、青山博一にも「シモンチェリとバルベラはとにかく危険」と名指しされている。シモンチェリが物議を醸し始めたのが2011年のシーズン前半で、見事に一致している。
家族と彼女
ダニの父。ダニのTwitterにも出たことがある。
MotoGP動画を見てみるとちょくちょくダニのピットを訪れていることが分かる。
動画1、動画2、動画3、動画4、動画5
ダニの母。スペインは夫婦別姓なので結婚してからも旧姓を名乗る。ダニの本名は両親の姓を合わせて「ダニ・ペドロサ・ラマル」となる。
画像1、画像2、画像3、画像4
2018年11月バレンシアGPは、両親がともに会見に出席した。
ダニの5歳年下の弟。モデルとして活動中。Instagramのアカウントあり。
ダニと同じく自転車競技の選手だったが、それを止めて、好き放題に筋トレしてこうなった。
目元はダニとよく似ていて、兄弟だと分かる。画像1、画像2、画像3
若いときのエリック 画像1、画像2
たまに兄貴を応援するためサーキットにやってくる。画像1、画像2、画像3
2015年日本GPに同行し、明治神宮を訪れている。ツインリンクもてぎのパドックにも来ていた。
兄弟そろってジュネーヴの湖で日を浴びている。
兄弟でスイスの施設で自転車トレーニングをした。画像1、画像2、画像3
ダニの彼女。2004年から交際を続けてきた。Instagramのアカウントあり。
Yvette Amescuaと検索しても画像や記事がヒットする。
本名はMirelle Amescuaであるらしく、これで検索しても画像や記事がヒットする。
ダニと同じバルセロナ市サバデルの出身で、バルセロナ大学に通い、マスコミについて学んでいた。
ヨーロッパの追っかけが作ったサイトで特集されている。先述のプーチの画像がある。
かつてはほとんどのレースに同行していた。昔の動画にも出てくる。動画1、動画2
2016年1月にこの画像が投稿され、察しが良いファンがコメントを残している。
住所と好みのトレーニング
スイス・ジュネーヴ在住
ダニ・ペドロサの住所はスイスのジュネーヴにある。
こちらの動画でも「ダニはジュネーヴに住んでいる。とても閑静な場所で・・・」と語られている。
ジュネーヴはレマン湖のほとりにあり、湖の風景を楽しめる。画像1、画像2、画像3、画像4
ここは結構寒く、日本の宮城県仙台市と同じぐらい冷える。冬になると雪が積もる。画像1、画像2 冬はバイスという風が湖から吹き込んで、なおさら寒い。
ジュネーヴには国連の施設があるので、そこを訪れている。
ちなみにケーシー・ストーナーは同じレマン湖のほとりのローザンヌに住んでいた。レマン湖周辺のジュネーヴとローザンヌはフランス語圏で、地名もフランス風である。
また、ホルヘ・ロレンソはレマン湖からかなり離れたルガーノに住んでいる。こちらはイタリア語圏。
トーマス・ルティの出身地はベルン州リンデンなのだが、ここはドイツ語圏である。このため、ルティはドイツ語を喋っている。
スイスの言語圏を示す画像はこちら。
ニヨンやプランジャンを訪れる
ジュネーヴから北に20km離れたニヨンを訪れることがある。画像1、画像2
ニヨンの隣のプランジャンにも行っている。画像1、画像2
自転車トレーニングが大好き
ダニは資金難のため一時は自転車レーサーを目指していた。そのため今も自転車トレーニングが好きで、自転車トレーニングの画像が多くSNSに上がる。
ピナレッロの車体とシマノのギアでできた自転車がお気に入り。シマノのギアを手にして満足げ。
自転車のペダル(足で踏むところ)を支えるクランク(棒)に「shimano」と書いてある。画像1、画像2、画像3(ULTEGRAはシマノの商品名)
そんな自転車でトレーニングするが、行き先はジュネーヴやニヨンが多い。
ジュネーヴ1、ジュネーヴ2、ニヨン1、ニヨン2、ニヨン3
ニヨンの隣のジリで、牛に遭遇するダニ・ペドロサ。画像1、画像2
ジュネーヴからだいぶ離れたこの場所にUCI(国際自転車競技連合)の本部とトレーニング場がある。そこまでわざわざ行って走っている。画像1、画像2、画像3
マリンスポーツが大好き
かつてダニは2013年10月頃の日テレG+独占インタビューでウィンドサーフィン大好きと語っていた。
ウィンドサーフィンのみならずマリンスポーツ全般が好きらしく、そういう画像が多い。
ジェットサーフ(エンジン付きのサーフボード)で遊ぶダニ 画像1、画像2
ジェットスキー(水上オートバイ)を乗り回すダニ 画像1
ウィンドサーフィンで遊ぶダニ 画像1
怪しい器具を使い遊ぶダニ 画像1
こうした画像のいくつかにはレマン湖(ジュネーヴ湖)とかニヨンなどの地名が書いてある。 画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6
マリンスポーツを楽しむためにジュネーヴに引っ越したことがよく分かる。
スキー
スイスは雪国なので、ジュネーヴからちょっと移動するとすぐにスキー場に辿り着くことができる。
このため、スキーを楽しむ画像もある。画像1、画像2
スポンサー
テレフォニカは、スペイン・マドリッドに本社を持つ大手通信企業。スペイン語圏で最大手。モヴィスターは、テレフォニカの傘下企業の携帯電話企業。
両社が一体となって90年代末期から2000年代中盤までモータースポーツを支援していて、テレフォニカモヴィスターのカラーリングがMotoGPを席巻していた。
1999年頃、モビスター・アクティバ・カップという若手育成選手権が開催されていた。ダニはそれに応募して見事に好走、アルベルト・プーチに見出されて弟子入りした。
2000年は、モヴィスターの支援を得てスペイン選手権に参戦。
2001年からモヴィスターの支援を得てMotoGPに参戦開始。
2005年までずっとダニ・ペドロサはテレフォニカモヴィスターの支援を受けていた。
「Dani Pedrosa 2005」などと画像検索すると、当時のカラーリングがすぐに分かる。
2006年の最大排気量クラス昇格後も、当然、テレフォニカモヴィスターの支援を受けるはずだった。ところがなんと、ダニ・ペドロサとアルベルト・プーチはレプソルホンダを選んでしまう。
若い頃から手塩にかけて育て上げた秘蔵っ子を略奪されたテレフォニカとモヴィスターは、失意のどん底に陥り、そのままMotoGPから撤退してしまった。
2014年にモヴィスターはMotoGPに復帰し、ヤマハワークスの支援を始めた。2016年シーズン初頭にダニ・ペドロサのヤマハ移籍が報じられたが、これは、モヴィスターがレプソルからダニを奪還しようとしたわけである。
スペインの石油企業。ニコニコ大百科の記事あり。
2006年から2018年まで13年間にわたってダニ・ペドロサを支援した。
レプソルのガソリンスタンドに自転車で入るダニ(バイクで入ればいいのに)
ダニがレプソルのガソリンスタンドの店員になった動画がある。動画1、動画2
2017年12月28日に教師に扮装、小学校に潜入している。こちらがメイキング動画。ちなみに12月28日は聖イノセンテスの日と言い、他愛ない嘘をついても許される。
レプソルは「イジメを無くそう」というキャンペーンをしていて、ダニもその一環として、学校を訪れている。
こんな調子で、レプソルは「親しみやすいお兄さんが気さくに話しかけてくる」というイメージを非常に重視している。
オーストリア・ザルツブルグ近郊のフシュル・アム・ゼーに本社を持つエナジードリンク企業。
2006年からダニ・ペドロサを支援し続けている。2019年からダニはKTMワークス入りしたが、レッドブルはKTMワークスも支援しているので、レッドブルの支援が継続することになる。
こっちの会社は「格好いい兄貴がぶっ飛んだことをノリノリで行う」というイメージを非常に重視している。
2015年にインディアナポリスでインディカーのマシンと併走したことがある。
2017年のレッドブルのイベントで、RC213Vに乗って闘牛場に颯爽と登場したことがある。
ジェームス・ボンドに扮したダニ・ペドロサの面白動画をレッドブルが製作したことがある。
2018年にレッドブルが用意したF1マシンに試乗した。動画1、動画2
2014年にはレッドブルが用意したジェット機(戦闘機にしか見えない)に乗せられた。動画1、動画2
スイスの機械式腕時計メーカー。クストスとはラテン語で守護神という意味。
ダニのSNSにもしばしば出てくる。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6、画像7
その他の雑記
2017年から、セテ・ジベルナウをコーチに招いている。セテはダニより12歳年上で、ダニが最大排気量クラスに参入した年のカタルーニャGPで大転倒、大怪我してそのまま引退してしまった。ダニにとっては憧れの先輩と言ったところ。この画像の一番左がセテ。
2007年にスタート練習をしようとしてウィリーしてしまい転倒してしまった。動画1、動画2
2014年オーストラリアGP前のイベントで転倒してしまったことがある。
2012年3月31日、スペインのバレンシアで行われた船舶免許の学科試験でカンニングが見つかった。このことは日本語版Wikipediaに詳細が書かれている。黒歴史。
レプソルホンダは「ピット内では楽にするのが良い」という社風で、ライダーが希望すれば体に負担がかからない豪華な椅子を用意してくれるので、マルク・マルケスは豪華な椅子を使っている。ところがダニ・ペドロサは、簡素な椅子を使っている。この画像は両者の対比が面白い。
2018年最終戦のバレンシアGPのとき、胴上げされた。画像1、画像2
2018年冬にレプソルからサーフボードを餞別として贈られた。画像1、画像2
ファンレターをくれた日本人少年をダニ・ペドロサが訪問する、という筋の動画が2017年に作られた。
漢字を気に入る西洋人はたまに見られるがダニもそのうちの1人である。
神社参拝するダニ。
刀剣製造の様子をバックにライディングについて語っている。
2016年アメリカズGP事前イベントとして、サーキット近くのジョンソン宇宙センターを訪問した。 画像1、画像2、画像3、画像4
足のサイズはヨーロッパサイズで36、日本風に言うと23cm。
スペイン・カタルーニャ州バルセロナ近郊出身でNBAにて活躍するパウ・ガソル(身長213cm)は、MotoGPが好きで、しばしばレプソルホンダのピットを訪れる。ダニと並んで記念撮影することがある。画像1、画像2、画像3、画像4
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関連項目
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