アンドレア・イアンノーネは、イタリア・アブルッツォ州ヴァスト出身のオートバイレーサーである。
1989年8月9日生まれ。
2005年からMotoGPの参戦を始める。
2005年から2009年まで125ccクラスに参戦。
2010年から2012年までmoto2クラスに参戦。
2013年からは最大排気量クラスに移り、2013~2014年はプラマック・ドゥカティに在籍。
2015~2016年はドゥカティワークスから参戦。
2017~2018年はスズキワークスから参戦。
2019~2020年はアプリリアワークスから参戦する。
ゼッケン、ヘルメット、愛称
ゼッケンは29番を愛用している。ヴァレンティーノ・ロッシをリスペクトして黄色い蛍光色である。
アンドレアにはアンヘルという兄貴がいて、兄弟そろってレースをしていた。
アンヘルの誕生日は2日なので、ゼッケン2番を付けていた。
アンドレアの誕生日は9日なので、ゼッケン9番を付けていた。
そのあとアンヘルはレースをやめたので、アンヘルのゼッケンを引き継いで29番を付けるようになった。
2018年からHJCのヘルメットを使用している。
2012年から現在までDaineseのライダースーツを使用している。
2017年の日本GPに「やるっきゃない」と書かれたヘルメットを授けられ、見事4位に入賞した。
ヘルメットやグローブに銃の照準みたいなマークを付けるのが好みである。これも黄色い蛍光色。
「銃の照準」で検索するとよく似ていることが分かる。
2013年イタリアGPでは、絆創膏で銃の照準マークを描いたデザインのヘルメットを被った。
怪我でもしていたのだろう。
分子構造模型のようなデザインが好きで、モーターホーム、ヘルメット、グローブに採用している。
これはレース中に高まるアドレナリンの分子構造をイメージしている。
the Maniac(狂人)
ライダースーツの尻にthe Maniacとプリントしている。
maniacとは「狂人、気狂い、精神異常者」という意味である。
日本人には「愛好者」という意味で使われているが、本来の意味は「狂人」という意味。
ヴァレンティーノ・ロッシはthe Doctor(お医者さん)という愛称を好み、
ライダースーツの尻にそのようにプリントしている。
イアンノーネはロッシファンなので、ロッシのすることを真似ている。
狂人と医者なので意味合いは正反対。
the Maniac Joe(気狂いジョー)
the Maniac Joeというのもお好みの愛称で、画像検索するといろいろファングッズが出てくる。
サインボード、ヘルメットに書かれることがある。
これの元ネタは、アメリカの伝説的なイタリア系マフィアであるクレイジー・ジョーである。
クレイジー・ジョーを簡単に紹介すると、本名はジョセフ・ギャロ(Joseph Gallo)で、
愛称はジョーイ(Joey)とかジョー(Joe)であった。
ニューヨーク生まれのイタリア系で、マフィアに入団して様々な悪事を働き「crazy Joe」と呼ばれる。
crazyとは気狂いという意味で、欧米人は相当ぶっ飛んだ存在を見たときにこの言葉を使う。
その生き様が映画や音楽の題材とされた。ボブ・ディランの曲の元ネタになったり、
名作映画『ゴッドファーザー』のお話の元ネタになったりしている。
ライディングスタイル、得意なサーキット
アクセルを開けてどんどんスピードを乗せていくタイプであり、高速コーナーの多いサーキットで強い。
ムジェロサーキット、カタルーニャサーキット、ロサイル・インターナショナルサーキットといった
高速セクションから長いストレートへ入るサーキットでの成績が良い。
ブレーキングが極めて強烈というわけではなく、バトルに滅法強いと言うわけではない。
ブレーキングよりもアクセルを開けることに重きを置くライダーである。
マルコ・シモンチェリのような意図的な危険走行をするわけではなく、そこまでダーティではない。
ただ、「ブレーキングしきれずに追突」というシーンが多く、クリーンと認知されているとは言えない。
故意に接触することはないが、過失で接触することはある・・・そういうライダーである。
コバンザメ走法(後追いしてタイムを上げる走法)の常習犯で、あまり評判がよくない。
2017年はマルク・マルケスのピットの様子を窺い、マルクが出ると同時にピットアウトして、
きっちりしっかりマルクの後ろに付けるということも行っていた。
2017年のオーストラリアGPで、マルク・マルケスに裏をかかれたことがある。
セッティングを出すことにあまりこだわりがない。
ケヴィン・シュワンツがドゥカティワークスのスタッフに尋ねたところ、
ドゥカティ時代は「アンドレア・ドヴィツィオーゾと同じセットにしてくれ」とばかり言っていたという。
この記事でそう書かれている。
2018年はアレックス・リンスのセッティングを流用したら結果が出た、とこの記事で言っている。
俺は悪くない
アンドレア・イアンノーネはヘルメットを被った途端に「俺は悪くない」と考えるようにできている。
イアンノーネのマネージャーであるカルロ・ペルナットがこのようにコメントしている。
「イアンノーネは若い頃、家族経営のチームにいた。なにをしても許され甘やかされていた。
だからあんな具合に『自分が悪い』と考えない性格になってしまったんだ」
いくつか例を挙げていこう。
2009年サンマリノGP頭突き事件(125ccクラス)
2009年のサンマリノGP(125ccクラス)が開催された。このレースが始まる前はこんな状況だった。
ランキング1位 | 185.0 | フリアン・シモン |
ランキング2位 | 132.5 | ニコラス・テロル |
ランキング3位 | 131.5 | ブラッドリー・スミス |
ランキング4位 | 112.0 | セルヒオ・ガデア |
ランキング5位 | 109.5 | アンドレア・イアンノーネ |
ランキング6位 | 104.5 | ポル・エスパルガロ |
レースはまずイアンノーネが飛び出し、シモンがそれに続く。ポルは中団だった。
残り12周でイアンノーネ&シモンと3番手ポルの間は2.5秒離れていた。
ところがイアンノーネとシモンが抜き合いをやってしまい、じわじわペースを落とす。
あきらめずに追いかけたポルは残り4周でトップ集団に追いついた。
残り3周ではポルがシモンとイアンノーネを抜き、一気に前に躍り出る。イアンノーネも食らいつく。
そして最終ラップ、イアンノーネとポルが競り合うが、わずかにポルが前に出る。
勝負所の14コーナーでイアンノーネがインに入るが、並びかけるだけで前に出られない。
再びポルが抜き返し、前に出る。
残りのコーナー2つは抜きにくいコーナーなので、このままポルが勝つと誰もが思った。
ポルが勝てば見事な追い上げ勝利になる。
ところがイアンノーネは最終16コーナーで無理矢理インを付こうとした。
やはり無理だったようで、急にバランスを崩し転倒。外側のポルを巻き込んでしまった。
ポルは立ち上がって必死にマシンを探すが、マシンが跳ね飛んでコースの外に出たことに気付き、
その場に崩れ落ちる。そして、当然のことながら激怒し、イアンノーネに抗議した。
ここでなんと加害者側のイアンノーネは猛抗議してきたポルに対して怒り炸裂、ポルににじり寄って、
ヘルメットでポルのヘルメットに一発ヘディングを食らわせたのだ。
このシーンは国際映像でハッキリ捉えられた。(下の動画の7分27秒あたり)
加害者側が平謝りするのならともかく、逆ギレしてヘルメットでヘディングする・・・前代未聞であった。
加えて、レース直後に記者達の前で暴言を吐き、これまた国際中継されている。
さすがにみんなに叱られたからか、レース後はポルに謝罪している。
2010年カタルーニャGPペナルティ無視事件(Moto2クラス)
2010年のカタルーニャGP(Moto2クラス)はいろいろと凄まじいレースだったので
記憶されている方も多いだろう。
気温32度、路面温度49度。青空が広がり、太陽が輝き、路面に陽炎(かげろう)が立つ。
イアンノーネが予選最速でポールポジション、高橋裕紀2番グリッド。
1周目の1コーナーで多重クラッシュが発生、8人のライダーがリタイヤした。
2周目に入り、1コーナー付近で黄色い旗が振られている。
この黄色い旗は転倒者が出てグラベルに人がいる場合に振られる旗で、「追い越し禁止」となる。
黄色い旗を無視して追い越しをすると、「追い越しという転倒のリスクがある行為をして、
グラベルで作業している人たちの危険度を高めた」として、厳しい処分がとられる。
そしてこの黄色い旗を無視してパッシングをしてしまったのがイアンノーネだった。
3番手走行中の高橋を黄旗ゆらめく1コーナーで綺麗に抜いている。
2周目の最終コ-ナーでイアンノーネはエリアスを抜き、2番手浮上。
3周目の最終コーナー、絶好調のイアンノーネはルティを抜き、ついに先頭に立つ。
4周目のイアンノーネはますます絶好調で、2番手のルティに1秒ほどの差を付けて独走体勢に入った。
このとき、ニッコロ・カネパのマシンが黒煙を上げて炎上するショッキングな映像が流される。
イアンノーネが2番手高橋に1.7秒の差を付けて独走するさなか、運営が「29 +1」の表示を出した。
これはイアンノーネに対する「ポジションを1つ下げて2番手に落とせ」の意味だった。
8周目が終わる頃、イアンノーネのピットクルーが「P 2」のサインを出している。
ピットクルーも必死になって手を振って合図している。
ところがイアンノーネは全く理解しないのか、スピードを緩めない。相変わらず1.6秒差を付けている。
9周目が終わる頃、イアンノーネのピットクルーが「 ↓ 」のサインを出している。
ピットクルーも必死になって手を振って合図している。
ところがイアンノーネは全く理解しないのか、スピードを緩めない。相変わらず1.9秒差を付けている。
12周目が終わる頃、イアンノーネのピットクルーが手書きで「VAI 2」のサインを出している。
VAIはイタリア語で「行く」「go」という意味で、ここでは「2番手に行け、2番手に下がれ」の意味。
ピットクルーも必死になって手を振って合図している。
ところがイアンノーネは全く理解しないのか、スピードを緩めない。相変わらず2.5秒差を付けている。
14周目、度重なる「ポジション1つ落とせ」の指示を無視された運営は、イアンノーネに対して
ライドスルー・ペナルティを与えた。ライドスルーはピットロードを時速60kmで走るのだから、
極めて重い罰である。優勝争いどころか表彰台獲得も不可能になった。
15周目を終わるとき、イアンノーネはピットに入らず後続を4.0秒ぶっちぎっている。
ライドスルー・ペナルティを無視すると次は黒旗失格となるところである。
16周目の最終区間で、ついにイアンノーネはピットロードに入ったのだった。
優勝したのは高橋裕紀。イアンノーネは13位に終わった。
そして最終ラップでゼッケン9番ケニー・ノエスとゼッケン31番カルメロ・モラレスが接触、
モラレスのマシンが凄まじい勢いで前転する恐ろしいクラッシュになった(モラレスは無傷だった)
最初から最後までハプニングが続出するとんでもないレースだった。
レース後のイアンノーネにイタリアテレビ局が突撃取材しようとするが、イアンノーネは激おこの
憤怒モードに入っている。いまマイクを向けたらどんな放送禁止用語を発するか分からない。
少し時間をおくことにしたのだった。
時間が経ったあとにイアンノーネにマイクを向けると、イアンノーネはこんなことを言うではないか。
「ポジションを1つ下げろというピットクルーの指示は理解していた」
「ただ、自分が悪いと思わず、その指示に納得できなかった。だから指示を無視したんだ」
2016年アルゼンチンGPアンドレア・ドヴィツィオーゾ追突事件
2016年アルゼンチンGPが行われた。土曜日の練習走行でレディングのリアタイヤが破損、
レース運営は決勝を「マシン1台で10周、もう1つのマシン1台で10周」という乗り換えレースにした。
乗り換えるまではマルク・マルケスとヴァレンティーノ・ロッシの接近戦だったが、
乗り換えた直後にライダーが間に入ってしまい、マルケスが独走態勢を築き上げた。
ロッシは2台目のマシンのセットアップがイマイチだったのか徐々にペースを落とし、
アンドレア・ドヴィツィオーゾとアンドレア・イアンノーネのドゥカティワークス2台と戦う。
ロッシ、ドヴィ、イアンノーネの激闘が続いたが、最終ラップではドヴィとイアンノーネが抜け出し、
2番手、3番手になった。ロッシは4番手。マルケスは悠々一人旅の1番手。
そんな状況だったが、最終コーナー1つ手前の13コーナーで、イアンノーネがドヴィに追突してしまう。
ドゥカティワークスの両雄は揃って表彰台を逃してしまった。
このときのイアンノーネのコメント
「真後ろのロッシに抜かれることを警戒してインを閉めたら汚い路面に乗ってしまい、転倒した。
ドヴィにはすぐに謝った」
レース直後のドヴィは「ちゃんと2人で話をしました。もうこれ以上はコメントしたくありません」
ドヴィはドゥカティワークス時代のイアンノーネについて、以下のように語っている。
「イアンノーネは一緒に作業をしていけるようなタイプのライダーではない」
「自分自身のことを重要だと思っていて、自分のことしか考えてない」
「彼と彼の友人達には配慮というものがなかった。特に彼には配慮がなかった」
「彼と彼の家族には誠意がなかった」
※情報源はこちらとこちらとこちら。
2016年カタルーニャGPホルヘ・ロレンソ追突事件
2016年のカタルーニャGPが行われた。気温27度路面温度48度の暑い盛りだった。
ホルヘ・ロレンソはスタートダッシュを決めたが徐々に遅れ、17周目には5番手にまで落ちていた。
そしてその後ろを走るイアンノーネ。
10コーナーでイアンノーネはブレーキングをミスし、全く止まれないままロレンソに追突した。
2人揃ってコース外に投げ飛ばされ、イアンノーネがロレンソにかけた言葉はこうだった。
「どうしたんだ、そんなに遅く走って。君のエンジンが壊れたんじゃないのか?」
平謝りしてくると思っていたロレンソはイアンノーネの「お前が悪い」という態度に立腹、
「イアンノーネは次戦出場停止ぐらいの厳しい罰を与えるべきだ」と主張している。
イアンノーネは次戦で最後尾グリッドのペナルティを課せられた。
2017年ケヴィン・シュワンツをカートでおちょくる事件
2017年にスズキワークスへ移籍したイアンノーネは絶不調に陥っていた。
彼は「攻めるとフロントが動くんだ」というコメントを何度も発している。
ドゥカティのマシンはV型エンジンのマシンでハードブレーキをするスタイルに合うのだが、
スズキのマシンは直列エンジンのマシンでハードブレーキングしない技巧派のスタイルに合う。
イアンノーネはドゥカティの乗り方でスズキのマシンに乗ってしまっていて、苦労していたのだ。
しかもチームメイトのアレックス・リンスが怪我で長期欠場し、走行データを参照すべき相棒が
いなくなってしまった。そのためさらにイアンノーネの苦労は続いた。
カタルーニャGPでは表情に覇気が見られず、走りに精彩がない。
代役参戦のシルヴァン・ギュントーリよりもずっと遅いペースで走っている。
さらにおかしいことには、ギュントーリに抜かれた直後、一気にイアンノーネはペースを上げ、
ギュントーリを抜いて引き離しているのである。
ギュントーリに抜かれるまで手を抜いて走っていたことは明白であった。
これをスズキワークスOBのランディ・マモラが指摘し、イアンノーネには気迫がないと断言している。
ドイツGPが終わった後、スズキワークスOBであるケヴィン・シュワンツに
「イアンノーネは本気でやっているように見えない。集中力を欠いている」
「カートのレースでもやっていろ」と厳しく糾弾されている。
この糾弾の後、イアンノーネはTwitterにカートの写真をアップした。
「明日カートに乗るんだよ」のコメントを添えていた。
さらに3ヶ月後、イアンノーネはTwitterにスズキワークス総出でカートを楽しむ動画を上げている。
2017年イギリスGPダニロ・ペトルッチ撃墜事件
2017年イギリスGPのラスト2周でダニロ・ペトルッチの後方を走行中に転倒。ペトルッチを巻き込む。
動画はこちら。
この転倒について、イアンノーネはこの記事でこのようにコメントした。
「自分が悪いとは思わない」「ダニロが膨らんだのでそれを避けようとしたらフロントが流れ転倒した」
ポエム
アンドレア・イアンノーネの公式サイトがある。その中にBiography(経歴)というページがある。
右上の「EN」をクリックすると、高校英語程度の平易な英文になる。
英和辞典を片手に和訳してみると、唖然とする内容であることが判明する。
一部を抜き出してみると・・・
Gather round.(みんな集まれ)
People think I'm a show-off.(人々は俺を自慢屋と呼んでいる)
But I've been giving them hell for years. (だが俺はそういう連中に地獄を見せてきた)
I started racing because Angelo was doing it. My brother.(兄貴の真似でレースを始めた)
Blood runs thick.(血が濃く流れているんだ。兄貴譲りのレーサーの血が濃いんだ)
When we used to argue, my father would give us boxing gloves and lock us inside a room.
When the room grew silent he would open the door and put us in bed, exhausted.
My father believed in me.
(兄弟げんかをしたときは親父はボクシンググローブを俺たちに渡して部屋に閉じ込めた)
(喧嘩が終わって疲れ果てたら親父はドアをそっと開け、ベッドに寝かしつけてくれた)
(親父は俺を信じてくれた)
On my first day of elementary school he said: "If you come home with bruises,
then you'll get even more.
And remember that whoever starts it gets it twice as hard. "
(小学校に入った初日に親父はこう言った 「殴られてアザを付けて帰ってきたら俺が
もっとお前をしばいてやる」「殴ってきた相手は2倍にして殴り返してやれ」)
So if someone got on my nerves, I'd have a go.
And I'd go nuts
(だから俺の気に触れた奴はかならずシメていた。俺はいつも怒っていた)
They expelled me from private school.(俺は私立学校を退学になった)
I would open my friends' rooms with calling cards.(テレカで友達の部屋に入ろうとしたからだ)
If they didn't let me go out, I would escape.(退学じゃなくても逃げ出していただろうな)
My favorite line is: "I break crystal glasses because I'm the best at doing it. "
(俺の好きな歌詞は「クリスタルガラスを割ってやった。それが一番得意だから」)
I like my life.(人生が好き)
I like how I dress.(着飾るのも好き)
I like my house in Vasto Marina.(ヴァストの実家も好き)
I like going out with my friends, small in numbers, trustworthy.(信頼できる少数で遊ぶのが好き)
I like keeping my word.(約束を守るのが好き)
I'll goof off one hundred times over, but if the one hundred and first time
I give you my word, you better believe I'll keep it.
(100回はへまをするだろうけど、101回目は約束したとおりにやる。俺のことを信じた方がいい)
I like adrenaline, speed, when I pull ahead when I overtake.
(誰かをぶち抜くときのアドレナリンとスピードが好き)
I hate being touched.(誰かに影響されるのは大嫌いだ)
I get up late.(誰にも気兼ねなくゆっくり起きる)
I eat late. (誰にも気兼ねなくゆっくり食べる)
I go to bed late.(誰にも気兼ねなく夜更かしする)
My motto is: dare. Always dare.(モットーは思い切ってやることだ。いつだってそうだ)
I've learned to dare so that when the right moment comes I'll be ready, it'll be a joke.
(俺は思いきってやることを覚えた。正しい瞬間が来たときに準備万端でいられるために、
物事が意外と優しく感じられるようになるために)
And because of this it's better to apologize than to ask permission.
(自分勝手に何かやった挙げ句に謝る羽目になる方がずっとマシだ。
誰かの許しをお願いするよりずっとマシだ)
I've learned to speak my mind, even if it hurts.
(俺は気持ちを直言することを身につけた。たとえ誰かを傷つけたとしても構わない)
I've learned to divide up the beast of Andre.
(俺は己の中の野獣を分離することを覚えた)
The beast comes out when there aren't races and I can allow myself to do it.
(レースがないと野獣が俺の中に帰ってくる)
My name is Andrea Iannone(俺の名前はアンドレア・イアンノーネ)
Motorcycle racer.(オートバイレーサーだ)
Biography written by Moreno Pisto(この伝記はモレノ・ピストが書きました)
2015年第16戦オーストラリアGPでロッシに競り勝つ
2015年シーズンはヴァレンティーノ・ロッシとホルヘ・ロレンソが激しくチャンピオン争いしていた。
第15戦日本GPを終えた時点でランク1位ロッシとランク2位ロレンソのポイント差は18だった。
迎えた第16戦オーストラリアGP、ホルヘ・ロレンソとマルク・マルケス、ヴァレンティーノ・ロッシ、
そしてアンドレア・イアンノーネが激しく首位争いを展開。
アンドレア・イアンノーネはカモメに衝突しながらも激走し、ラストラップでロッシを交わした。
マルケス1位、ロレンソ2位、イアンノーネ3位、そしてロッシが4位となる。
決勝を終えた後、ロッシとロレンソのポイント差は11にまで縮まってしまった。
イアンノーネが一切手加減せず全力で走ってロッシを負かした姿はイタリア人に衝撃を与えた。
イアンノーネはロッシの舎弟たちの中の筆頭格であり、まさかロッシの邪魔はしないだろう、
決勝になったらこっそりロッシに譲るだろう、イタリア人の誰もがそう思っていたのである。
※イタリア人は日本人と違ってそういう考え方をするのが大好きなのである。
実際に、レース後にイタリア人達がSNSで「イアンノーネはロッシを助けるべきだった!」
「なんでロッシに譲らなかったんだ!」と非難するコメントを大量に書き込んでいた。
※これは日本人ならやらない行動であり、日本人には理解できない行動であろう。
※日本人は正々堂々や全力勝負を尊び絶賛する傾向がある。日本人とイタリア人は水と油なのである。
イアンノーネは自分のことしか考えない性格なので、ただ本能のおもむくまま走っただけだった。
8勝・2位2回・3位5回と得意中の得意であるフィリップアイランドサーキットで表彰台を逃したこと、
それも長年舎弟として可愛がってきたイアンノーネに負かされたこと、
残りの2戦はセパンサーキット(暑くて体力を消耗し36歳のロッシにとって苦しい)と
バレンシアサーキット(ロッシが苦手中の苦手としている)でロッシには厳しいサーキットであること、
これらの条件が重なり合い、ロッシは精神的に崖っぷちにまで追い詰められた。
憔悴したロッシは奥の手である精神攻撃に頼ることを決意、マレーシアGP木曜記者会見にて
マルク・マルケスに対して侮辱的な発言をする。そして決勝の悲劇につながっていったのであった。
2018年 スズキワークスとの契約延長を果たせなかった
2018年になるとまたしてもケヴィン・シュワンツに「エース失格だ。スズキは他のライダーを探せ」
「主体性がなく、厳しい作業ができていない」と痛烈批判される。
その批判が効いたのか、それともスズキのマシンに適応できるようになってきたのか、
2018年のイアンノーネは総じて調子が良かった。
第3戦アメリカズGPと第4戦スペインGPでどちらも3位表彰台を獲得。第6戦イタリアGPでも4位。
シーズン後半になっても調子は悪くなく、第14戦アラゴンGPで3位、第17戦オーストラリアGPで2位。
普通なら、表彰台を4回も獲得したのなら契約延長となるのだが、そうならなかった。
5月中頃には契約延長しないことを通告されてしまう。
これについてイアンノーネは「なぜスズキは僕と延長しないのか、理解できないね」とコメントした。
これに対してスズキワークスのダヴィデ・ブリヴィオ監督が
「それはその・・・ビジネスの戦略だ。例えば・・・スズキが求めるイメージってことだな」と説明した。
ダヴィデ・ブリヴィオ監督がイアンノーネを傷つけないよう遠回しに表現しているのがちょっと面白い。
一方、イアンノーネにとってスズキは好印象だったようで
「スズキとのパッケージは良かった。とても残念だ」「スズキのマシンは僕が成長させたんだ」
「スズキのシャーシは本当に良く、コーナーリング速度もすごく速い」と語っている。
2012年イタリアGPの消防士カラーリング
2009年4月6日、イアンノーネの故郷アブルッツォ州を地震が襲った。
震源はこの場所で、イアンノーネの実家はこの場所。アブルッツォ州はこの範囲。
アブルッツォ州全域が激しく揺れ、死者300人、家を失った人は6万人となり、大きな震災となった。
これはラクイラ地震といい、日本語版Wikipediaもある。
若いイアンノーネに強い衝撃を与える大地震だった。
それから3年後、イアンノーネはmoto2のトップクラスライダーに成長していたが、また地震が起こった。
2012年5月20日と5月29日にイタリア北部地震が発生し、死者は合わせて約30名、
家を失った人は2万人程度となった。日本語版Wikipediaもある。
こうした震災の時に頼りになるのは消防士である。
瓦礫の山をかきわけ被災者を救助する消防士に胸を打たれたイアンノーネは、消防士への敬意を表すため、7月15日のイタリアGPに消防士を模したスペシャルカラーのマシン・ヘルメットで参戦した。
そのときの姿はこちら。日本の消防服はオレンジ色だが、イタリアの消防服は赤と蛍光黄色である。
赤と蛍光黄色で消防士になりきったイアンノーネは魂の走りを見せ、見事に優勝した。
・・・と、ここまでは美談なのだが、優勝した後のインタビューでイタリアのテレビレポーターに
「ムジェロサーキットの観客の心を熱く燃やしてしまいましたね。消防士じゃなくて放火魔ですよ!」
と言われていた。それに対してイアンノーネもニコニコ笑って「そうだね」と答えていた。
MotoGP公式の記事にもそんな風に書かれる始末。
トレーニング、好きなスポーツ
ジム
ジム通いして体を鍛えることを怠らない。
ローイングエルゴメーターが出てくる。これはもともとボート競技選手向けの器具だったが、
近年では様々な競技の選手がトレーニングに取り入れている。動画1、動画2、動画3
縄跳びもする。動画1
飽きないように、色んな動きをするようにしている。動画1、動画2、動画3
モトクロス
モトクロスで赤土の荒野を駆け回る姿がSNSにしばしば上げられる。
着地したときの負傷リスクがあるためジャンプを控える選手もいるのだが、
イアンノーネはかなりジャンプする方である。動画1、動画2、動画3、動画4
この画像は面白い。画像1、画像2
マリンスポーツ
イアンノーネには海がよく似合う。マリンスポーツが大好き。
ジェットスキー(水上オートバイ)が出てくる。画像1、画像2、画像3
ジェットスキー(水上オートバイ)で転倒する姿もある。画像1
ボートで海に出てはしゃぐイアンノーネ。画像1
カート
カートが本当に好きであるらしく、画像が多く投稿されている。画像1、画像2、画像3、画像4
動画も多い。動画1、動画2、動画3
スポンサー・協力企業
イタリア・ウンブリア州サンジェミニのミネラルウォーター企業。
イタリアはミネラルウォーター企業が260社ほど林立するミネラルウォーター大国だが、
その中でもサンジェミニは品質の高さで評価が高い。「赤ん坊が最初に飲む水」と言われるほど。
大理石地層から湧き出していてカルシウムを多く含有する。天然微炭酸があり、飲みやすい。
イアンノーネの帽子やボトルにSANGEMINIの文字が見える。
アメリカ・ニューヨーク州出身のトミー・ヒルフィガーが1985年に創業したファッションブランド。
イアンノーネの付けるサングラスに、赤白が特徴的な同社のロゴが見える。画像1、画像2
スイスの時計メーカー。イベントに出たり、CMを作られたりしている。
イタリアのエナジードリンク。2014年のスポンサー。5種類の天然素材からできている。
こんなデザインの缶も作られた。
イタリアのライダースーツ製造メーカー。ヴァレンティーノ・ロッシが大株主となっている。
傘下にAGVヘルメットを抱えている。
ロゴマークは悪魔をモチーフとしている。その理由は日本語版Wikipediaに記されている。
日本支社のイベントに呼ばれたことがある。
韓国のオートバイ向けヘルメット専業メーカー。
手頃なお値段で購入しやすく、2001年に世界シェア一位となっている。2018年現在もその座を確保。
創業者の洪完基(ホン・ワンギ)を始めとする洪一族が経営を取り仕切る。
ホンジンの漢字表記は洪進。「広い世界に進む」「洪一族がともに進む」という意味。
家族・彼女・友人
父親。
結構なお金持ちであるらしく、息子のアンドレアは若いころから地元で高級車を乗り回していた。
2011年に「スピードマスター」というチームをウーチョ(ヴァレンティーノ・ロッシの友人)と
ともに立ち上げたが、そのときはレガリーノが資金を出し、レガリーノがチーム監督を務めた。
長身で、公称178cmのアンドレアよりも少し高い。画像1、画像2
周りのスタッフよりも大きいのですぐ分かる。画像1
2018年のアジアラウンドは息子に帯同していた。アジア遠征は旅費がかかるのだが、構わず来ている。
オーストラリアGPで息子が2位表彰台に入ったが、そのときパルクフェルメで出迎えている。
またスターティンググリッドにもその姿が見えた。
・・・というか、ほぼ毎戦帯同している。アンドレアの周辺にいつもいる。この写真では傘持ちしている。
服装はいつも地味であり、アンドレアのファン・グッズを身にまとうこともしない。
普通の白いシャツ、普通のシャツ、普通の紺色シャツ、普通の白いシャツ、普通の黒いジャケット
息子がドゥカティワークスにいたときは、赤白のチームシャツを着ていた。画像1、画像2
7月30日が誕生日で、アンドレアが祝っている。画像1、画像2
兄。
1987年9月2日生まれで、アンドレアよりも1年11ヶ月年上。
こちらの記事でアンヘロが紹介されている。12歳までミニバイクのレースをして、
アンドレア・ドヴィツィオーゾやマルコ・シモンチェリやマティア・パシーニと争っていた。
現在は弟の補佐をしており、シーズン中はヘルメットを拭いたり飲み物を用意したりと雑用をこなし、
オフシーズンは契約やスポンサーやファングッズ売り上げの管理やファンクラブ運営をする。
レース中はアンドレア用の豪華な椅子に座るが、緊張していて500ccの水を飲み、
足を組んでゆったりくつろぐなんてとてもできない。
Instagramのアカウントがある。弟に似ていて、見分けるのが難しいほど。
「自信無さそうな眼差しで、ちょっと弱気な表情をしているのがアンヘロ」と憶えると見分けやすい。
住んでいるのはミラノ。弟が住んでいるのはスイスのルガーノで、両都市の距離は僅か65km。
レース中は弟の影となる。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6
公称178cmのアンドレアとほぼ同じの長身である。画像1、画像2、画像3、画像4
子供の頃の兄弟の写真 画像1、画像2、画像3
スタッフ集合の写真にも必ず紛れ込んでいる。画像1、画像2
レースの心得があり、スズキワークスのカート大会で2位になっている。
アンドレア・ドヴィツィオーゾに「イアンノーネとその家族は遠慮も配慮も無かった」と言われていた。
その家族というのは、アンヘロのことである。
アンヘロの友人たちの画像を見ると、事情をだいたい察することができる。画像1、画像2、画像3
彼女。
この人については情報量が多すぎて個別記事を立てるべきなのだが、ここで簡潔にまとめたい。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで1984年9月20日に生まれる。
アルゼンチンはイタリア移民が極めて多いので、そのツテでイタリアの芸能界にデビューした。
セクシー女優として、バラエティ番組・映画・テレビCMに出演。
バラエティ番組ではかなり過激なこともしたようで、「体を張って体当たりで出世した女」と言われる。
そのうち一つは「ベレン・ロドリゲス 著名人の島」で出てくる日本語ページに書かれている。
イタリアらしい18禁要素てんこもりのテレビ番組で有名になっていった。
絵に描いたような「お騒がせセレブ」で、アンドレアと付き合うときもそれは変わらない。
スペイン・イビサ島からギリシャへ向かう飛行機の中で禁止されていたのにも関わらず喫煙し、
飛行機を緊急着陸させてしまった。※情報源はこちら。写真で笑ってしまう
イタリア語版Wikipediaがあり、華麗な芸能経歴が並んでいる。2013年に長男を出産している。
Instagramのアカウントはこちら。典型的なセクシー系女優。息子さんが可愛い。
2018年もパパラッチに追いかけ回されるセクシー・シンボルだったので、
スズキワークスは彼女に対して出入り禁止を申し渡した。
アンドレアとは2016年頃に付き合い始め、破局説が流れたと思ったら新聞で熱愛写真が掲載されたり、
もはや追っかけるのも面倒な状況になっている。
アンドレアとの画像は多い。画像1、画像2、画像3
彼女の弟。
1988年11月11日生まれ。Instagramのアカウントはこちら。
この写真では、2人の女性にキスされている。片方は姉のベレンで、もう片方は妹のセシリア。
妹のセシリア(1990年3月18日生まれ)も芸能人になっている。セシリアのInstagramはこちら。
ベレンの息子さん(甥っ子)と写る写真もある。画像1、画像2
アンドレアがベレンと付き合いだしたときから、アンドレアのInstagramに出てくる。
こちらの写真ではベレンやアンドレアと一緒に映っている。
しばしばアンドレアの応援に駆けつけている。画像1、画像2、画像3
姉や妹や友人のアンドレアは無茶苦茶な人生を送っているが、エレミアスは落ち着いた感じの人。
マネージャー カルロ・ペルナット(Carlo Pernat)
アンドレア・イアンノーネの個人マネージャーというとカルロ・ペルナットの名が挙がる。
ラフな服装で黒いサングラスをかけ、胡散臭さ全開の容姿でパドックを歩き回る。
サーキットから離れるとタバコをいつもふかしている。(サーキット内は禁煙であることがほとんど)
絵に描いたような業界人。
動画検索すると大量にヒットする。酒焼けしたかのような苦しそうな喋りである。
イタリアのテレビ局に出演しては誰もが言いにくい正論をズバリというので引っ張りだこになっている。
彼はロッシが16歳の少年だった頃のアプリリア監督で、ロッシの資質を即座に見抜き、
給料が段々上がっていくような3年契約をした。このためロッシにとって大の恩人である。
ロッシに対しても歯に衣着せぬことを言えるのはカルロ・ペルナットぐらいなので重宝される。
結構いい加減なことを言うのだが、たまにしっかりしたことを言う。
2011年2月のセパンテストでは「ホンダはついに『前年のマシンの改良版』を持ち込んだ。
毎年完全にモデルチェンジすることが愚行であるとやっと気が付いたわけだ」とコメントしている。
ロリス・カピロッシ、ニッコロ・カネパ、アレックス・デアンジェリス、マルコ・シモンチェリ、
といったイタリア人・サンマリノ人のマネージャーを務めてきた。
イタリアのドゥカティサテライトチームであるプラマックに選手を放り込もうとする傾向が見られる。
典型的な俗物で、ケーシー・ストーナーが引退したときその理由を理解できず、
「ホンダが金を渋ったからだろう。ドゥカティが大金を用意すれば引退撤回するはずだ」と言っていた。
イアンノーネのマネージャーを長らく務めてきた彼だが、2018年2月に、
「2018年限りでイアンノーネのマネージャーを辞める」と多くのメディアが一斉に報道した。
「イアンノーネはゴシップの世界に入りすぎた。ああいうゴシップは好かない」と発言していて、
ベレン・ロドリゲスとの交際でパパラッチに追いかけられるイアンノーネに愛想が尽きたらしい。
1948年生まれの彼は2019年には71歳になるので引退してもおかしくないが、
エネア・バスティアニーニのマネージャー職は続けるとのこと。
ピットレーンやスタート直前の儀式
MotoGP最大排気量クラス決勝の流れというと、まずはピットで待機するライダーの様子が映される。
時間になったら、各ライダーがマシンにまたがり、ピットから出てピットレーンをゆっくり走る。
このとき、イアンノーネは必ずステップで踏ん張って立ち上がり、胸に十字を切る。
ヴァレンティーノ・ロッシはピットレーンでステップで踏ん張って立ち上がり、
股間と尻を触りつつ上半身をひねるので、これをリスペクトしているのだろう。
スタート直前にも胸で十字を切る。
2017年のレース前動画
2017年シーズンはTwitterやYoutubeチャンネルに彼の趣味全開の動画が公開されていた。
2017年日本GPの動画はこれ。 もう面白すぎる。子どもが見ると泣き出すだろう。
2017年マレーシアGPの動画はこれ。 黄色い銃照準マークがコースを動きまくるのが怖い。
2017年アラゴンGPの動画はこちら。 荘重な音楽。
2017年オーストラリアGPの動画はこれ。 イアンは2015年に1匹のカモメと衝突している。
そのため珍しく落ち着いた感じ。カモメを見る目が優しい。
その他の雑記
アンドレア・イアンノーネはmoto2時代までレース後のインタビューをイタリア語で答えていた。
英語を勉強するのが面倒だったのだろう。ちなみに他のライダーは全員英語を覚えて喋っていた。
ある記者が、もしバイクレースをしていなければどういう人生になっただろうかと質問をした際に、
アンドレア・イアンノーネは即座にギャングスターと答えている。
※彼の出身地ヴァストは所得水準が低くギャングやマフィアが幅をきかすイタリア南部である。
故郷のヴァストで寿司バーを開いている。場所はここで、内部の写真集はこちら。
ロゴはこんな感じで、V9というのが愛称。黒い看板、黒い玄関で、内装は落ち着いた茶色。
紹介ビデオはこちら。こういうのが出てくる。画像1、画像2、画像3
日本のネットユーザーが「イアンの馬鹿」と書くことがある。
ロシアの文豪レフ・トルストイの作品に「イワンの馬鹿」というものがあり、それをもじっている。
2016年8月31日、自分の高級車の鍵を車内に閉じ込めてしまった。いわゆるインロック。
そのときハンマーで車の窓を叩き割り、車内から鍵を取り出している。
2018年11月、イタリアのコメディ番組Scherzi a Parteでドッキリ企画が作られた。
目が醒めたら高級車のベントレーが車庫から姿を消している。「コモ湖(自宅のあるルガーノの隣)に
車がある」と連絡を受け、大急ぎで行ったら車が湖に沈められそうになっていた。
そこでドッキリであることを告げられた。その様子の一端はこちらのページでうかがえる。
2018年12月、今度はその高級車ベントレーがイタリア財務警察に差し押さえられた。
イアンノーネはスイスのナンバープレートを付けて車に乗っていたが、
その車をトレーナーのステファノ・ファラスカに貸し出していた。
ステファノはイタリア在住なので、スイスナンバーの車を乗る資格がなかった。
イアンノーネからの委任状もなかったので、イアンノーネの車は「密輸品」と扱われた。
この高級車はベントレーの限定品で、710台しか作られておらず、お値段35万ユーロ(4,300万円)。
財務警察から無事に取り返せるかどうかは分からない。※記事はこちら。
2017年12月27日、スズキ・イタリアのイベントでスズキ・スイフトをドリフトさせた。
アレックス・リンスとは仲が良いままで無事に2年が過ぎた。動画1、動画2
名門サッカークラブ・ACミランのファンであり、いわゆるミラニスタである。
画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6
2014年バレンシアGPは、ACミラン代表であるバルバラ・ベルルスコーニ(イタリア首相の娘)から、直々にACミラン風スペシャルヘルメットを贈られた。画像1、画像2、画像3
ミラノのすぐそばのスイス・ルガーノに住んでいる。ACミランの応援をするためだろう。
たまにInstagramに長文を投稿する。ここでは、哲学者フリードリッヒ・ニーチェを引用している。
英語圏の人は「イアンノーネ」というのが苦手で「イアンノーニ」と呼ぶ。
MotoGP公式実況でもそう呼ばれる。
左利きである。
2018年9月、ローマ法王に謁見する栄誉に恵まれた。
関連動画
関連商品
関連リンク
- アンドレア・イアンノーネ公式Instagram
- アンドレア・イアンノーネ公式Facebook
- アンドレア・イアンノーネ公式Twitter (更新頻度が低い)
- アンドレア・イアンノーネ公式Youtubeチャンネル (更新頻度が低い)
- アンドレア・イアンノーネ公式サイト
関連項目
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- ページ番号: 5513316
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