明日、ママがいない(あした、ママがいない)とは、日本テレビ系列にて2014年1月15日22:00から「水曜ドラマ」枠で放送開始されたテレビドラマ。主演は芦田愛菜。略称は「明日ママ」。
2014年1月11日、テレビ本放送に先立ってニコニコ動画において1万人限定でネット試写会が行われ公式番宣動画等もあったのに、児童福祉施設やテレビ業界の関係者を巻き込んだ大騒動が番組内容より有名になってしまってからその動画も消されたという、そんな、ニコニコ動画とも浅からぬ縁である当ドラマについての大百科が無いのは寂しいので以下にまとめる。
ただし、この記事においてはドラマの内容には深くタッチしない。そういう情報が欲しい人は公式サイトなり、ウィキペディアなりを参照してください。この記事は、ドラマをめぐる騒動について、やっと騒動が落ち着いて沈静化した今、第三者的な考察をすることを主眼とする。
ドラマをめぐる騒動
騒動のあらまし
騒動の発端はいわゆる「クレーマー」から始まったものではない。赤ちゃんポストこと、こうのとりのゆりかごが存在する慈恵病院の公式声明、現在放送中の「明日、ママがいない」放送に当たりましてや、各報道機関が報じた内容を元に時系列的に振り返る。
放送開始前に遡る。
2013年冬、2014年1月から新しいドラマとして「明日ママ」が放送開始されると制作発表される。しかし、全国で唯一赤ちゃんポストがある慈恵病院をはじめとして関係者や児童等への事前の取材が少ないことを不安に思った関係者が全国児童養護施設協議会とともに放送以前から内容を問題視し脚本の提示を求め、2013年12月に内容変更の申し入れをした、これが騒動の発端である。
全国児童養護施設協議会のコンタクトに対し、日本テレビ側はドラマの脚本を見せ説明したものの、脚本を書き換えて収録をやり直すなどの対応については拒否し、予定通りの内容を予定通りに放送すると応じた。
異議にもかからわず放送を押し切った事情については「ソースは東スポ」ながら真実味のある情報が上がっている。
もともと、この枠には「家政婦のミタ」制作チームによる松嶋菜々子主演の別のドラマが予定されていた。
しかし、都合が折り合わず、急遽、時間のないまま「明日ママ」を放送することになった。
日本テレビのドラマというのは長年視聴率では他局の後塵を拝す時代が続いていたものを、企画:野島伸司による「家なき子(1994年日本テレビ)」から巻き返し、ついには視聴率三冠王を奪取したという歴史があるがために、日本テレビが監修をした野島伸司に脚本を書き換えてくれとは言えなかったというのである(しかも、彼はもともと脚本の書き換えを好まないと言われる)。
こうした押し問答をしているまま年が変わり、第一回目の放送日を迎えることになる。放送直前には全国児童養護施設協議会を通じての懸念も表明された。
第一回放送
第一回目の脚本は衝撃的なものであった。あらすじを簡単にまとめると以下のようになる。
9歳の少女真希は、母親が恋人を鈍器(灰皿)で殴り傷害で逮捕されたため「コガモの家」という不穏な雰囲気のグループホームに預けられる事になる。その施設を取り仕切るのは足を引きずって歩き常にステッキを手にし高圧的で舌打ちばかりする施設長の「魔王」こと佐々木友則(三上博史)で、施設には『里親は子どもたちが候補から選び、数日間の「お試し」を経て養子縁組を決める』という風変わりなルールがあった。 その施設では、赤ちゃんポストに預けられ母親の顔を知らずに育った少女「ポスト(芦田愛菜)」を中心として、皆があだ名で呼びあっていた。良い里親に引き取ってもらい、新しい家族で幸せになりたいと願う子どもたちに対し、真希は違和感を感じ反発するが、後に自分も母親に捨てられた存在になったことを知る。ポストは「自分が親を捨てたんだ」と諭し、真希も名前を捨て「ドンキ(鈍器)」という名で施設で暮らすことを決める。 しかしその施設は、魔王こと施設長が「泣いたものから食べていい」と子どもに泣くことを強要し、「おまえたちはペットショップの犬と同じだ」と暴言を吐く恐怖の施設であった・・・ |
第一回目の放送の翌16日、慈恵病院は記者会見を行い、明日ママの養護施設の描き方は「職員が子どもに暴言を吐き、泣くことを強要するなど現実と懸け離れたシーンが多すぎ、誤解や偏見、差別を与える」と指摘し、放送中止を申し入れると明らかにした。
ドラマ初回を見た視聴者の一部は「この記者会見の内容はもっともである」として、Twitterでリツイート拡散したり、Facebookで会見内容を「イイね」したりした。これがそもそもの騒動のきっかけである。
振り返った通り、ここまでの段階でも「クレーマー」は居ない。赤ちゃんポストという全国で唯一の施設を持つ病院が勝手に設定を使われて、悪どく描写されたことに対して反対意見を申し述べたという、経済学・社会学で言うところのステークホルダー(stakeholder: 直接・間接的に利害関係を有する者)の当事者同士の話と、その動きを注視する人がいただけの段階である。
スポンサーへの電凸 …クレーマー的行動者の出現
加速度的な騒ぎとなったきっかけは、「J-CAST」などの炎上系ネットメディアが報じ、それをソースにキャップ持ちが2ちゃんねるでスレを立て、さらにその2ちゃんねるの書き込みをまとめブログが拡散するというお決まりの炎上サイクル機関が機能して、手に付けられない状況になったことにある。
ここから、ステークホルダーではない者によるクレーマー的な行動が出現する。
2011年7月、俳優の高岡蒼甫がTwitter上でフジテレビの番組編成が韓国に傾斜していることを批判する書き込みを行いその後所属事務所を退職に追い込まれたことをきっかけとして始まった「フジテレビ抗議デモ」あたりから、ネット民は「効率的な追い込み方」を学習していた。
それは、テレビ局やBPOに抗議するよりもスポンサー企業に抗議を行ったほうが直接的かつ効率的、というものである。
テレビ局に電話したところで応対するのは雇われたオペレーターで意見はまともに上に届かないし、BPO(放送倫理・番組向上機構)に陳情しても、放送倫理検証委員会で取り上げるのには時間がかかり答申がまとまるのは放送期間終了後なんてこともあるし、そもそも視聴者が陳情しても返答や回答も貰えない。
だったらスポンサー企業に電話をかけて「おたくの会社はあんな劣悪な番組に資金提供して支えているのか」とやったほうが手っ取り早い、というのは「LINE既読なのに無返信」ですら問題になっているような高速レスポンスを求める今のネットユーザーにとっては当然の帰結である。
しかし、全国の不特定多数の人間が一斉に企業の代表番号に電話をかけることは「電話版DDoS攻撃」というか、普通に営業妨害となりかねない。この企業電凸に関しては「これだからクレーマーは・・・」と言っている人の意見は正しいし、ステークホルダーである慈恵病院が「スポンサーとお話させていただきたい」といって直接動いていた以上、ネット民が義を持って助太刀することは、逆に慈恵病院側に対する反発につながりかねない。・・・というか、実際にそうなった。
各スポンサーが広告見合わせ
第1回の放送では提供スポンサーとして8社がクレジット表示されていたが、第2回放送では全社がスポンサークレジット表示を自粛して3社が放送を中止、第3回放送からは全社がCM提供を取りやめ、すべてACジャパンの公共広告に差し替えられた(詳細:ACジャパン祭り)。
「圧倒的じゃないか・・・電凸の効果は・・・」という感じではあるが、実はスポンサー企業に電凸してCMがすべてACジャパンに差し替えられても、広告主からテレビ局に対しては通常通りのスポンサー料が支払われ、テレビ局が継続する気になればそのまま放送を続けられるのである(ただし次クール以降もその枠を提供するかは別問題だが)。この一連の仕組みを知らない高須クリニックの院長が番組提供してやるぞと突如言い出したが、テレビ局や関係者にとってはいい迷惑であった。
そして実際、日本テレビはこのドラマの放送を継続したわけだが、この「全社CM見合わせにも関わらずドラマ放送を打ち切らず継続中」という動きが再びメディア発信で逆方向に炎上サイクル機関が発動し、今度は著名人から「クレーマー達はやり過ぎだ」という意見が続出し、問題はドラマ本編を置き去りにあらぬ方向へ進んでいく。
クレーマーはやり過ぎ論
2014年1月23日のラジオ番組「ナインティナインのオールナイトニッポン」において、岡村隆史氏は以下のように発言した。
「もしこれで放送中止になってしまったら、テレビの未来はもうないです」「テレビでお仕事をする人間として、これ以上テレビの発展は見込めなくなりました」
つづく1月28日放送のフジテレビ系深夜番組「ワイドナショー」において明日ママ問題が扱われた際に、ダウンタウンの松本人志氏は以下のように発言した。
「本当にどのぐらいマジでどのぐらいの熱を持って、本当に腹立ってて本当に止めてほしいと思ってやってるか、数値化できたら一番いいんですけどね。なんとなくいたずら半分、面白半分でクレームしてくるものまで対応しちゃうと、どんどん面白くなくなっていきますよね」
その後、ネット問題とくれば最近なんでも噛み付く小林よしのり氏などを始め、「クレーマーはやりすぎだ」、「表現の自由が脅かされる」との主張が相次いた。
これらはある視点から見れば正論なのだけれども、正しい理解かというと疑問符がつく。
ここまで記した通り、最初に問題提起したのは無関係なクレーマーなどではなく、現実とかけ離れたことをドラマで好き勝手に描かれた実在する団体である。そしてその団体はステークホルダー(利害関係者)として当然の権利である抗議を行った。その抗議を一部の視聴者・ネットユーザーが支持し、拡散した。
従って、これらの前提を押さえないままクレーマー批判をしても的外れである。というか、彼らが言うところのクレーマーは自分たちのことをクレーマーなどとは思っていない。義を持って助太刀し、問題提起の音量を大きくするべく手助けした、いわば拡声器のような存在と思っているだけである。だから、「存在しないクレーマー」に対してこんなことを言っていても彼らには届かない。
製作者は「痛み」をどこまで想像できているか?
少し話を変えるが、日本には「痛み」を表現する日本語が諸外国とくらべ桁違いに多い。東洋医学から来た刺痛(刺すような痛み)、重痛(重く感じる痛み)などの漢字語に加えて、歯がズキズキ痛む、胃がシクシク痛む、日焼けの跡がヒリヒリ痛むなどのオノマトペ(必ずしも音を伴うわけではないが)など…。
じゃあなんでそんなに痛みを表現する言葉の種類が必要なのかと言うと、痛みは、どこが、どんな風に、どれぐらい痛いのか伝えづらいからである。
他者の痛みを想像するには「もしも自分がその状況だったら」と置き換えてその人の痛みを想像するしかない(たとえば出産の痛みについて女性経験者から「鼻からスイカを出す痛み」と言われたら、男はそれを想像してみるしかない)。
だから、こんなドラマぐらい問題ないだろって人がいるとしたら、それらの人のために「○○病になって偽名で長期入院していたコメディアンのオカムラさん」とか「還暦にもなって未だにアイドルオタクが抜けずAKB48を追い掛け回している漫画家のコバヤシさん」とかが本人の許諾もなしに勝手に登場して勝手に描かれるドラマをまともな取材もせず適当に作って放送してみればどうだろうか。
それでも、彼らは一流の表現者であるから「そんなの構わない」と強弁するかもしれない。「実名を使った作品が作れなくなったら風刺やパロディができなくなる」と言うはずだからである。
ならばこんな例示をしてみよう。
表現の自由はどこまで保証されるべきものなのか
フランス南西部で毎年1月末にアングレーム国際漫画祭というものが開催されている。アングレーム市は人口4万人ちょっとの街であるが、その街に3~4日間の開催期間中にのべ20万人以上を動員するフランスで漫画におけるカンヌとも言われているイベントである。
2014年1月30日より行われた第41回アングレーム国際漫画祭では、第一次世界大戦100周年として「漫画、世界への見方」というテーマの大人向けの企画展が行われることになった。
そのテーマに沿ったひとつとして、韓国は「散ることのない花」と題し、旧日本軍の兵士が少女を拉致し慰安所に連行し薬物を投与して乱暴するという証拠の裏付けがなされていない内容の展示をするばかりか、韓国ブースの入口に「私が証拠です (j’en suis la preuve)」との政治主張的ポスターを主催者に無断で追加し貼った。
このポスターはさすがにプロパガンダにあたると問題視され白い紙を貼って隠す処置がとられたが、韓国ブース自体はこれに反論する目的で作られた日本ブースのように主催者から閉鎖を命じられることはなかった。他国の真面目な戦争企画展の中に韓国ブースがあったことから、来場者の中には事実と信じこんでしまう人もいたという。
長文になっているから詳しくは引用しないが、これも「実在する(した)人物や団体を勝手に借用して、当事者の同意を得ずにろくに調べずに作られた作品」である。明日ママに問題がないと言う人らは、この展示についても問題は無いと言うのだろうか。
表現の自由は重要である。しかしそれは同時に、その濫用によって他者の人権を侵害してはならないとされているのである。他者の名前や設定だけ借用してきて事実とは異なることを好き勝手に表現してもよいということではない。
最後に、ニコニコ的な用語を使ってまとめてみたい。
総括 … 二次創作が許される境界線
実在する(した)人物や団体や地名、あるいはそれらの先人が生み出した物語やキャラクターや設定(いわゆる原作)を借用して作品を作ること自体はごく一般的に行われている。
ニコニコ動画には二次創作ものの動画が多く作られ人気を博しているし、なかには熱心な二次創作ファンがそれを元に三次創作・四次創作を作っているジャンルもある。二次創作を否定したらniconicoは成り立たないと言っても過言ではない。
では、それを踏まえた上で、ここではわかりやすいように児童福祉施設を一次創作(原作、同人業界で言うところの「生モノ」)、ドラマ「明日ママ」を二次創作として考えてみよう。
立ち止まって考えて欲しいのは「そこに一次創作(原作)へのリスペクトはあるのか?」、そして、「二次創作をする前に一次創作(原作)について調べる努力をどこまでしたか?」という問いかけである。
水曜午後10時の民放ドラマとしてはもうひとつ、フジテレビ系で「僕がいた時間」というドラマも放送が開始されている。このドラマは難病のALS(筋萎縮性側索硬化症、都知事への5000万円問題で話題になった医療法人徳洲会の徳田虎雄氏が患っているあの病気)というこれまた重いテーマを取り扱っていて、セリフや設定の過激さは明日ママと大差ない。・・・というか、明日ママの「愛」というテーマより重い「死」というテーマがこれでもかと出てくる。ALSの患者は目を背けたくなるような内容である。
にも関わらず「僕がいた時間」は問題にならず「明日、ママがいない」のみが問題になるかといえば、前者はALSという難病について真正面に向かって詳しく調べようとし、日本ALS協会の協力を取り付け、東京都立神経病院に撮影協力をしてもらい、知識のある医療監修者をつけて時間をかけて制作されたからである。だからこそ、過激な脚本やセリフであっても、ALS患者やその関係者はドラマに対して抗議したりはしない。このあたりを元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクターがうまくまとめた記事があるのでぜひリンク先に飛んで読んでみてもらいたい。
日テレとフジで「取材」「監修」の深さが違う?「明日ママ」が批判され「僕のいた時間」が批判されない理由
それでも「一次創作(原作)へのリスペクトはいちいちしたくない、自分が作りたいものを作るだけ」という人もいるだろうし「面白おかしくデフォルメ化したり、よりドラマティックなストーリーにするためには原作を調べるのはむしろ邪魔」という人もいるだろう。
・・・あまり褒められる行為じゃないが、それでも結構。でも、ただ一点だけ心がけて欲しい。
もし二次創作について一次創作(原作者)側から「申し訳ないがその二次創作はNG」と言われたら、その時は真摯に対応するべきである。 あくまで二次創作が赦されてるのは一次創作者が「まぁ、この程度なら」とお目こぼししてくれてるからということは忘れてはいけない。この点についてだけは、元ネタ側が第一回放送開始前から修正の申し入れを行っているのに脚本変更せずに放送を強行した明日ママ製作者側の行為が許されるとは思えない。
リスペクトも、調べるのも、原作者の意に従うのもイヤだ、何事にも束縛されずに自由に創作・表現をしたいという人は、どっかから設定やキャラクターを安易にパクってくるとかじゃなくて、頑張って自分がゼロから全部を創造して、どうぞ。
関連動画
関連項目
- テレビドラマ
- 日本テレビ
- 野島伸司 …… 脚本監修者。ただし問題になって以降、日本テレビの公式サイトからは名前が消えている。
- 松田沙也 …… 脚本
- 芦田愛菜 …… 主演
- こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)
- 慈恵病院
- 児童福祉施設
- 特別養子縁組
- ACジャパン(ACジャパン祭り)
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