日常会話に使える仏典の文言集とは、
ニコニコ大百科でおなじみのアレの仏教版である。
とりあえず漢訳大蔵をベースに、南伝仏教にしかない経典もあるのでパーリ語三蔵などでも補う。また、めんどうなので、仏典と書いたものの、東アジア圏のガラパゴスな教えだの、禅語だの、真言だのを、全部入れることにする。
漢訳大蔵は、最も一般的に使われていて、著作権も切れて久しい『大正新修大蔵経』を使う(ただし、『卍字蔵経』がどうしても漏れるので、中国の『CBETA』の利用も検討してみる)。のだが、このかなり古い刊本をそのまま使う関係で、全部旧字とかいうかなり悲しいことになるのは、残念ながら仕方のないことなのだ。
また、パーリ語三蔵は、デーヴァナーガリーとローマ字の対照がしやすい『VRI』を、チベット語大蔵経は『ACIP』を使う予定。その他適宜おおよそ明治維新前くらいまでの仏教関係者の著作も引用する。
後、現代語じゃないとわからんという問題を解決するために、筆者がいい感じに現代語訳するという方針をとる。
なお、なんか言ってることがバラバラじゃないというツッコミがありそうだが、これはそもそも仏教の教えが開祖の時点で相手が具体的に何に苦しんでいるかに焦点を当てた対症療法的なものだったからに起因している。
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 小マールキヤ経103節 | न हेतं, मालुक्यपुत्त, अत्थसंहितं न आदिब्रह्मचरियकं न निब्बिदाय न विरागाय न निरोधाय न उपसमाय न अभिञ्ञाय न सम्बोधाय न निब्बानाय संवत्तति। तस्मा तं मया अब्याकतं। |
手段ではなく目的を達成することを悟らせたい時 | 何故言うことができないのかって? それは正しい意味でも教えでも修行でもなく、神通力も仏に至る力も得られず、涅槃にたどり着くのに全く役に立たないからだ。 それ故に私は(世界だの魂だの死後の世界だのについてを)記載しなかったのだ。 |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| ダンマパダ103節 | यो सहस्सं सहस्सेन, सङ्गामे मानुसे जिने। एकञ्च जेय्यमत्तानं, स वे सङ्गामजुत्तमो॥ |
本当の強者をほめる時 | 戦場で100万人に勝つよりも自分に打ち勝てる人間の方が一番の勝者だ |
| スッタニパータ35節 | एको चरे खग्गविसाणकप्पो | 孤独な歩みを勧める時 | 犀の角のように一人で歩んでいけ |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 大涅槃経下巻 | 諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂 |
諸行無常を悟る時 | この世のすべては移り変わるもので、その中で生死を繰り返す。 この世界を超えて初めて、真実の悟りにたどり着く喜びがある。 |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 六度集経8巻 | 今爲無眼曹 空諍自謂諦 覩一云餘非 坐一象相怨 |
一面的真理だけを追っていては無益だという時 | 昨今、さながら目の見えない人のように、むなしく言い争い、自分の考えこそ真実だ、自分の立場以外は間違っていると、所詮イメージに寄せて相争っているようだ。 |
| 過去現在因果経3巻 | 八正聖道。是三世諸佛之所履行。 趣般涅槃路。 我今已踐。智慧通達。無所罣礙。 |
八正道を勧める時 | 八正道が、仏になる誰もが涅槃に行くとき行うことだ。 私もすでに完遂して、頭は冴えて何もしがらみもない。 |
| 賢愚経3巻 | 我今貧窮。用是小燈。供養於佛。 以此功徳。令我來世得智慧照。 滅除一切衆生垢闇。 |
思いはきちんとある時 | 私は貧しいので、こんな小さな灯でしか供養できない。 でもこの功徳によって、どうか来世で智慧を得て、人々の苦しみをなくすことができたら。 |
| 賢愚経8巻 | 今此園地。須達所買。 林樹華菓。祇陀所有。 二人同心。共立精舍。 應當與號太子祇樹給孤獨園。 |
祇園精舎と名付ける時 | この園の土地は今しがたスダッタが買い、木々や花、果実はジェータ太子のもの。 2人で協力して建てた精舎なので祇樹(ジェータの漢訳)給孤獨(スダッタのあだなの漢訳)園とでも呼ぶのがいいだろう。 |
| 出曜経 | 云何二十億耳。 若琴絃急緩者爲成曲不乎。 對曰不也世尊。 |
急いては事を仕損じることを述べる時 | 「ところでソーナ、琴は弦がきつく張ってあったら音を奏でられるかどうかわかるか?」 「シャカ様、無理です、音を奏でられません」 |
| 仏説譬喩経 | 曠野無明路 人走喩凡夫 大象比無常 井喩生死岸 樹根喩於命 二鼠晝夜同 齧根念念衰 四蛇同四大 蜜滴喩五欲 蜂螫比邪思 火同於老病 毒龍方死苦 智者觀斯事 象可厭生津 五欲心無著 方名解脱人 鎭處無明海 常爲死王驅 寧知戀聲色 不樂離凡夫 |
たとえ話を最後にまとめる時 | 荒野とは明かりのない人生の暗闇で、ここを走る人とは煩悩まみれの人 彼を追いまわす象は無常のたとえで、象から逃げ込んだ井戸は生死の境目 木の根は人の命であり、昼夜が二匹の鼠のようにその木をかじり、人は衰えていく 周囲には四大種が四匹の毒蛇のように囲み、五欲が蜂蜜のように垂れてきて、蜂が刺すように悪い考えが浮かぶ やがて火が老いと病のように木を焼き、死の苦しみが底で毒竜のように口を開けている もし、智慧があれば、よく観察して、生死の中でただちに五欲から離れ、解脱することができる 人は死ぬことに追われているのに、欲望にまみれて形あるものを追い求めるものこそ、凡夫なのである |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 般若波羅蜜多心経 | 照見五蘊皆空。 | 全ては空であると悟った時 | この世界は5つの要素からできていて、それらすべてが空だと悟った。 |
| 般若波羅蜜多心経 | 色不異空。空不異色。 色即是空。空即是色。 |
形あるものに実体がないと気づいた時 | 形あるものと実体がないものに異なるところはなく、実は形あるものは実体がないのである。 |
| 般若波羅蜜多心経 | 心無罣礙。無罣礙故。 無有恐怖。遠離顛倒夢想。 |
とらわれから解放される時 | (空の境地に立てば)心の縛りがなくなり、心に縛りがなければ何かを恐れることもなく、存在しないものをあたかも存在しているかのようにとらわれることからも離れられる。 |
| 般若波羅蜜多心経 | 掲帝掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶 |
悟りの境地に言ったものを見送る時 | 悟りの境地に行くものに幸あれ ※ただしあくまでもサンスクリット的には |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 妙法蓮華経1巻 | 是諸衆生從諸佛聞法。 究竟皆得一切種智。 |
信じるものは救われる時 | 仏の教えを聞いた人間は、全て悟りを開くことができる。 |
| 妙法蓮華経1巻 | 所謂諸法如是相。 如是性。如是體。 如是力。如是作。 如是因。 如是縁。 如是果。如是報。 如是本末究竟等。 |
理解できない人には抽象的にしか伝えられないものを言う時。 | (悟りの境地で至れる真実)の有り様とは、存在はこのような有り様で、このような本性で、このようなもので、このような力を持っており、その力はこのようなもので、このような原因と結果を持ち、このような果報をもたらす、ということをはっきりとしめしているのだ。 |
| 妙法蓮華経5巻 | 自我得佛來 所經諸劫數 無量百千萬 億載阿僧祇 |
とりあえず仏な時 | もしかしたら私が今生で悟りを開いて仏になっていると思っているかもしれないが、実は既にとてつもなく長い時間が経過している。 |
| 妙法蓮華経5巻 | 毎自作是意 以何令衆生 得入無上慧 速成就佛身 |
人を救いたい時 | 私はいつも、どのようにして人々を仏の教えで正しい道に導いて悟りを開かせられるかを、考えているのだ。 |
| 妙法蓮華経7巻 | 世尊。 若有衆生。 聞是觀世音菩薩品自在之業 普門示現神通力者。 當知是人功徳不少。 |
観音経の効果を言いたい時 | シャカ様。 もしこの経典に説かれている、観音菩薩には、自由自在にすべてを救ってくれる能力と、神通力で救いを求める人の前に現れてくれるという能力がある、と聞いた人はそれだけで大きな功徳を得たと知るべきでしょう。 |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 大方広仏華厳経 | 我昔所造諸惡業 皆由無始貪恚癡 從身語意之所生 一切我今皆懺悔 |
とりあえず懺悔する時 | 私たちが遠い昔からやってきた悪い行いは、永遠ともいうべき昔以来の貪欲、怒り、愚痴によるものです。 それらは体と言葉と心の3つから生じています。今我々は仏様の前ですべてを懺悔します。 |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 仏説無量寿経上巻 | 願我作佛 齊聖法王 過度生死 靡不解脱 |
仏になりたい時 | どうか私も仏となって、とても神聖な仏になって、現世で迷い苦しんでいる人々を救って解脱させてあげたい。 |
| 仏説無量寿経上巻 | 吾誓得佛 普行此願 一切恐懼 爲作大安 |
仏になるために誓う時 | 私は誓う!人々を救うために立てた大願を実現するために修行して、仏となって、全ての苦難におびえる人に安らぎを与えることを! |
| 仏説無量寿経上巻 | 設我得佛。十方衆生至心信樂。 欲生我國 乃至十念。 若不生者不取正覺。 唯除五逆 誹謗正法 |
仏になるために誓う時 いわゆる十八番 |
もし私が仏になっても、10万もの人々が信心を持ち、私の国に生まれてきたいと思い、一瞬でも念じたにもかかわらず、それが成し得ないようなことにしまったのであれば、私は仏にはならない。 ただ、悪人や教えをののしる人は除きたい。 |
| 仏説阿弥陀経 | 得與如是諸上善人倶會一處。 | 善人は皆救われることを述べる時 | というのも、もしその世界(極楽浄土)に生まれたならば、多くの善人と出会うことができるからだ。 |
| 仏説阿弥陀経 | 汝等衆生當信是稱讃 不可思議功徳一切諸佛所護念經 |
阿弥陀経を信じさせたい時 | あなたたちのような生きとし生けるすべてのものよ。阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえ、全ての仏たちが念じるこのお経を信じなさい。 |
| 佛垂般涅槃略説教誡経 | 汝等比丘。於我滅後當尊重珍敬波羅提木叉。 如闇遇明貧人得寶。當知此則是汝大師。 |
身の処し方を教える時 | 出家者たちよ、私が滅んだ後にも、戒本(波羅提木叉)を尊びなさい。 (それは)暗闇で明かりを手に入れる、貧しい人が正しい宝を得るような、お前の指導者となるのだ。 |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 維摩詰所説経中巻 | 以一切衆生病是故我病。 | 人の苦しみに共感する時 | 全ての人の病は私の病である。 |
| 金光明経4巻 | 善哉善哉。大士。 汝今眞是行大悲者。 爲衆生故能捨難捨。 於諸學人第一勇健。 |
虎に自分をささげた人間をほめる時 | すばらしい。偉大な人よ、あなたこそ今心からの慈悲を行ったものだ。 衆生のために捨てることが難しいようなものを捨てるのだから、あなたは最も勇気のある人である。 |
| 四十二章経 | 佛言。愛欲莫甚於色。 色之爲欲。其大無外。 頼有一矣。假其二。 普天之民無能爲道者 |
色欲を説く時 | 仏が言うには愛欲の中で色欲ほど強いものは他にないだろう。幸運なことに我々の中にはそれが一つしかなく、もしこんな欲望が二つもあったら世の中の人々で真実の道にたどり着けるものなどいないのだ。 |
| 四十二章経 | 佛告沙門。愼無信汝意。 意終不可信。愼無與色會。 與色會即禍生。得阿羅漢道。 乃可信汝意耳佛告諸沙門。 愼無視女人。 若見無視。愼無與言。 若與言者。勅心正行。 曰吾爲沙門處于濁世。 當如蓮花不爲泥所汚。 老者以爲母。長者以爲姉。 少者爲妹。幼者子。敬之以禮。 意殊當諦惟觀。自頭至足自視内。 彼身何有。唯盛惡露諸不淨種。 以釋其意矣 |
色欲を抑えさせる時 | 仏が修行者に言うには、女を見てはいけない。 見てしまったら言葉を交わすな。 言葉を交わしてしまったら、心を戒めて「私は修行者なので、蓮華が泥に汚されないように、俗世で身を正しく保つべきなのだ」と言え。 年老いた女は母、年上は姉、年下は妹、幼い子供は我が子と思い、礼儀を持って敬え。 特に、心を込めて観察しろ。 自分の頭から足先に至るまで、「内側にあるのは悪しきものや不浄なものなのだ」と顧みて、解き放つのだ。 |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 龍樹『大智度論初品中菩薩釈論』8巻4 | 王欲度一切衆生。我非一切耶。何以獨不見愍。而奪我今日食。 | 片方だけを救おうとしたのを非難したい時 | 王様は全てを救おうとしているらしいが、私もその全てではないのか? 私を哀れまず、私の食べ物を奪おうとするのは、どういう理由なのか? |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 龍樹『中論』 | 如來性即是一切世間性。 | 世界の在り方を述べる時 | 如来とはすなわち現象世界と同質のものである。 |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
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| 馬鳴『大乗起信論』 | 所言義者。則有三種。云何爲三。 一者體大。 謂一切法眞如平等不増減故。 二者相大。 謂如來藏具足無量性功徳故。 三者用大。 能生一切世間出世間善因果故。 |
世界の在り方を述べる時 | 全ての人を救う教えの現れ方は、3つある。 1つ目は、あらゆる存在が本来持っている真の姿で、というのもこれは不変で増えも減りもしないからだ。 2つ目は、性質で、というのも全ての人には悟りを得るためのプラスの性質が備わっているからである。 3つ目は、その性質が持っている働き、エネルギーめいたもので、というのもそれによって悟る前と後を分かつ原因と結果を生み出せるからである。 |
面倒なのでざっくりとした活動時期で時代を分ける
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
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| 『憲法十七条』 | 篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。 則ち四生の終帰、万国の極宗なり。 何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。 |
とりあえず信じればいいものを端的に言う時 | ただひたすら三宝を敬いなさい。三宝とは仏・法・僧のこと。 これは全ての生物、全ての国においてであり、どんな世でもどんな人でも尊ぶべきものに違いない。 |
| 伝聖徳太子『天寿国繡帳』 | 世間は虚仮なり。ただ仏のみこれ真実なり。 | 信仰に生きたい時 | この世はむなしく移ろいゆくもの。ただ仏だけが真実であるようだ。 |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
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| 空海『秘蔵法鑰』 | 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めにくらく、 死に死に死に死んで死の終りにくらし。 |
人生論を言いたい時 | 暗闇から生まれ暗闇に死んでいく。 |
| 『本朝文粋』13巻 空也についての記載 |
彼を先にし我を後にするの思いをもって思いとなし、 他を利し己を忘るるの情をもって情となす。 |
思いやりの重要性を説く時 | 自分よりも他人への思いやりの気持ちと、他人の利益を追い己の利益を忘れるような心情を信条とする。 |
| 源信『往生要集』 | それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。 道俗貴賤、たれか帰せざるものあらん。 ただし顕密の教法は、その文、一にあらず。 事理の業因、その行これ多し。 利智精進の人は、いまだ難しとなさず。 予がごとき頑魯のもの、あに敢てせんや。 この故に、念仏の一門に依りて、いささか経論の要文を集む。 これを披いてこれを修するに、覚り易く行い易し。 |
教えを広めたい時 | 極楽に往生するための教えや行いというのは、このような末代の人々を導くために大事なものである。 誰であってもこれに帰依したくないものなどいないだろう。 しかし、教えは様々で、頭のいいひとは行うのも簡単だが、私のような馬鹿はできないだろう。 そこで、念仏に限定して、経典から大事そうなものを集めてみた。 これなら、理解できるだろう。 |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
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| 法然『選択本願念仏集』 | 一心に専ら弥陀の名号を念じて行住坐臥、時節の久近を問わず。念々に捨てざる者、これを正定の業と名づく。 かの仏の願に順ずるが故に。 |
とりあえず南無阿弥陀仏と唱えることを勧める時 | 心を込めて、歩いている時も立ち止まっている時も、時間の長短を問わず、「南無阿弥陀仏」と唱え続けることをやめないことを「正定の業」というのだ。 これは、阿弥陀仏の唱えた本願に沿っているためである。 |
| 法然『選択本願念仏集』 | 念仏は易きが故に一切に通ず。諸行は難きが故に諸機に通ぜず。 然ればすなわち、一切衆生をして平等に往生せしめんが為に、難を捨て易を取って本願としたまえるか。 もしそれ造像起塔を以て、本願としたまわば、貧窮困乏の類は定んで往生の望を絶たん。然るに富貴の者は少なく、貧賤の者ははなはだ多し。 もし智慧高才を以て本願としたまわば、愚鈍下智の者は定んで往生の望を絶たん。然るに智慧ある者は少なく、愚痴なる者ははなはだ多し。 もし多聞多見を以て本願としたまわば、少聞少見の輩は定んで往生の望を絶たん。然るに多聞の者は少なく、少聞の者ははなはだ多し。 もし持戒持律を以て本願としたまわば、破戒無戒の人は定んで往生の望を絶たん。然るに持戒の者は少なく、破戒の者ははなはだ多し。 |
一番簡単な南無阿弥陀仏と唱えることが大事だと言う時 | 念仏は簡単だからこそ、全ての人々が行え、それ以外の修業はどんな人にも行えるかというと難しい。 そういうことなので、阿弥陀仏は全ての人を等しく救うために簡単な方を本願にしたのではないか。 例えば、仮に仏像作りや仏塔建築を本願としたら、貧しいものは救われない。そして貧しいものは多いのだ。 仮に知恵や才能を本願としたら、愚かなものは救われない。そして愚かなものは多いのだ。 仮に教えを見聞きすることの多さを本願としたならば、少ないものは救われない。そして、教えを見聞きすることが少ないものは多いのだ。 仮に戒律を固く守ることを本願としたならば、破るものは救われない。そして、戒律を破るものは多いのだ。 |
| 醍醐本『法然上人伝記』 | 善人なお以て往生す、いわんや悪人をや。 | 悪人も救われることを告げる時 | 善人だって極楽往生して救われるのだから、悪人だってそうに違いない。 |
| 貞慶『興福寺奏状』 | およそ恒沙の法門、機を持ちて開き、甘露の良薬、縁に随って授く。 みなこれ釈迦大師。無量劫の中に難行苦行して得るところの正法なり。 |
とりあえず修行を勧める時 | たくさんある仏教の教えというのは、機が熟して開花するものであり、良薬のような教えというのもすべては縁あってのものです。 これらは、苦しい修行を通して初めて得られる「正しい教え」なのです。 |
| 貞慶『興福寺奏状』 | それ極楽の教門は、盛んに戒行を勧む。 浄土の業因、これをもって最とす。 |
とりあえず規則を守ることを勧める時 | 死後に救われる教えというのは、現世で盛んに戒律を守って修行をすることを勧めています。 極楽往生するには、これが一番肝心なのです。 |
| 栄西『興禅護国論』 | 此れは扶律の禅法に依って、法をして久住せしむるの義を明かす。 | とりあえず禅を勧める時 | 戒律に支えられた禅の教えによって、正しい仏法がずっと続くことを説いていくのだ。 |
| 明恵『摧邪輪』 | たといこれなしといえども、かくの如く知る。これ正見なり。 すでに正見あらば、欣ぶべきを欣び、厭うべきを厭う。 菩提心はこれ仏道の正因と知るが故に、念々にこれを愛楽す。 汝が所立はこれ邪道と知るが故に、念々にこれを厭悪す。 終に必ず菩提心を増長し、無上仏果を成すべし。 |
とりあえず自覚することが大事とする時 | たとえ菩提のような心が自分にはなくても、そのことを自覚すれば、見る目は養われる。 見る目が備わっていれば、正しいことは喜び、誤りは避けられる。 この、菩提のような心が仏道修行の根源にあることをわかっていればこそ、大切にする。 自分勝手な考えは間違いだとわかれば、遠ざける。 このようにして、結局最後には菩提のような心を成長させ、悟りを得られるのである。 |
| 親鸞『歎異抄』1巻 | 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち、摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。 | とりあえず念仏を唱えることを勧める時 | 全ての人を救おうという阿弥陀仏の誓いの力によって、私は間違いなく阿弥陀仏の極楽へ行けるのだと信じ、念仏を唱えようという気持ちになりさえすれば、その瞬間に極楽往生は確定する |
| 親鸞『夢告讃』 | 弥陀の本願信ずべし。 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり |
とりあえず信じろと言う時 | 阿弥陀仏の本願さえ信じれば、その人は阿弥陀仏の恩恵によってこの上ない境地になれる |
| 親鸞『歎異抄』3巻 | 善人なおもちて往生をとぐ、いわんや悪人をや。 | 悪人も救われることを告げる時 | 善人だって極楽往生して救われるのだから、悪人だってそうに違いない。 |
| 親鸞『歎異抄』6巻 | この悲願ましまさずは、かかるあさましき罪人いかでか生死を解脱すべきとおもいて、一生のあいだもうすところの念仏は、みなことごとく如来大悲の恩を報じ徳を謝すと思べきなり。 | 心を込めて念仏を唱えろと言う時 | 阿弥陀仏が全ての人を救おうとしていなければ、自分のような罪人がどうして極楽に行けるものかと思って一生の間に唱える念仏というものは、全て阿弥陀仏の恩に報いて、その徳に感謝する行為であると思うべきである。 |
| 親鸞『正像末浄土和讃』「恩徳讃」 | 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきて謝すべし |
阿弥陀仏には感謝しろと言う時 | 阿弥陀仏からいただいた恩や徳は、たとえどれだけ努力してでも、報いよう。 師匠や良い指導者からいただいた恩と徳も、骨が砕けるくらいになっても感謝しよう。 |
| 道元『建撕記』 | 顕密二教共に談ず、本来本法性天然自性身と。 もし此の如くならば、三世の諸仏なにに依りてかさらに発心して菩提を求むるや。 |
修行ってそもそも何?と問う時 | 顕教だろうが密教だろうが、人間はもともと仏の性質を備わっていると説いている。 それなのに、なぜすべての仏は改めて悟りに向かって修行しているのか? |
| 道元『弁道話』 | 宗門の正伝にいわく、この単伝正直の仏法は、最上のなかに最上なり。 参見知識のはじめより、さらに焼香・礼拝・念仏・修懺・看経をもちいず、ただし打坐して身心脱落することをえよ。 もし人、一時なりというとも、三業に仏印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。 |
とりあえず座禅しろ、以上、と言う時 | 釈尊から代々伝わってきた教えにおいて、この私が伝えた正しい仏法こそが、最上とされている。 焼香・礼拝・念仏・修懺・看経といった他の教えに心を奪われず、ただひたすら座禅して心身の区別を棄てなさい。 もし一瞬でもすべてをなげうって正しい教えを信じ、ひたすら座禅すれば、全世界が悟りの世界になる。 |
| 道元『正法眼蔵』「現成公案」 | 自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。 迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷するは衆生なり。 さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。 諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず。 しかあれども諸仏なり、仏を証しもてゆく。 |
悟ってるかどうかは本題ではないと言う時 | そもそも自分が悟ることで自分の外側の世界が変わると思っているのは迷いで、あるがままの外側の世界によって、あるがままの自分に気づくことの方が悟りです。 仏とは迷いを見据えるものであって、悟ってるかどうかにこだわるのは普通の人です。 悟りに胡坐をかかずにさらに修行に励むものもいれば、さらに迷うものもいる。 仏がなぜ仏かというと、そもそも自分を仏とは意識するわけではない。 ただし、それでも彼らは仏であって、自分の行いで仏であることを証明するのである。 |
| 道元『正法眼蔵』「現成公案」 | 仏道をならうというは、自己をならう也。 自己をならうというは、自己をわするるなり。 自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。 万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の心身をして脱落せしむるなり。 |
そもそも仏道修行とは何かを言う時 | 仏道修行というのは、まず自分を理解することです。 自分を理解するということは、自分の自我というものを捨てることです。 自分の自我を捨てるということは、外側の世界によってあるがままだなあとなることです。 外側の世界によってあるがままだなあとすることは、自分も他人も自由になることです。 |
| 叡尊『金剛仏子感身学正記』 | 人身受け難し。 仏法遭い難し。 たまたま仏法に遭い、名聞を求めず、利養を望まず、大乗を受学し、正道を修行し、衆生を利益し、四恩に報謝せん。 |
人の身でも仏法に出会えたことに感謝を述べたい時 | 人間になるというのはむずかしい。 また、人間に生まれたとして、仏法に出会うことも難しい。 たまたまこうして人間として仏法に出会うことができたのだから、地位や名声、利益なんて求めずに、ただ大乗仏教の教えを学び、修行し、生けるものに恵みを与え、四恩に報いて感謝しよう。 |
| 蘭渓道隆『坐禅論』 | 夫れ坐禅は大解脱の法門なり、諸法是より流出し、万行是より通達す、神通智慧の徳、此の内より起こり、人天性命の道、此の内より開く、諸仏已に此の門より出入し、菩薩行じて即ち此の門に入る。 | とりあえず座禅しろ、以上、と言う時 | 坐禅というのは解脱するための方法であり、数々の教えはこれから生まれた。いろいろな修行というのも、座禅によって理解でき、優れた知恵というのも座禅によって得られる。どのような世界でどのような命に生まれたところで、座禅によって道が開ける。仏も座禅によって悟りを得るし、菩薩も修行中に座禅に分け入っていく。 |
| 蘭渓道隆『大覚拾遺録』「建長寺法語規則」 | 鞭影を見てのち行くは即ち良馬にあらず。 訓辞を待ちて志を発するは、実の好僧にあらず。 諸兄弟同じく清浄な伽藍に住す。 既に饑寒の苦なし。 まさに此の事をもって茲に念じ茲にあるべし。 |
自発的にやれよと言う時 | 鞭の影見て進むのは優れた馬ではない。 教え諭されてようやく志がわいてくるような人間は、本当に優れた僧侶ではない。 君たちはこの奇麗な伽藍(建長寺)に住んでいる。 既に飢餓や寒さとも無縁。 というわけで、このことを心にとどめて、ここで過ごすべきなのである。 |
| 日蓮『立正安国論』 | 汝早く信仰の寸心を改めて、実乗の一善に帰せよ。 然ればすなわち三界はみな仏国なり、仏国それ衰えんや。 十方は悉く宝土なり、宝土なんぞ壊れんや。 国に衰微なく土に破壊無くんば、身はこれ安全にして、心はこれ禅定ならん。 |
とりあえず真実の教えに従えと言う時 | あなたは早く心を入れ替え、真実の仏法を信じなさい。 そうすれば、世界は皆全て仏の国です。 仏の国に衰えはありますか?いや、ないのです。 あらゆる場所は宝土となります。宝土は壊れることがありますか?いや、ないのです。 もし国も衰えず、土地も破壊されなければ、身は安全になり、心は常に平静でいられるのです。 |
| 日蓮『勧進本尊抄』 | 今、本時の娑婆世界は、三災をはなれ四劫を出たる常住の浄土なり。 仏は既に過去にも滅せず、未来にも生せず。 所化は以て同体なり。 |
今の世だって楽園になると言う時 | 今、この地上に仏の浄土が実現すれば、あらゆる災いが亡くなり平穏で永遠の浄土となる。 仏は過去のほろんだのではない、未来に又生まれるというのでもない。 生きとし生けるものは全て仏と一体になる。 |
| 日蓮『立正安国論』 | それ、釈迦の以前の仏教はその罪を斬るといえども、能仁の以後の経説はすなわちその施を止む。 | とりあえず敵対者は殺すなと言う時 | 釈迦が悟りを開く前は断罪して人を斬ったが、悟りを開いた後は命を断つことまではしていない。 |
| 一遍『一遍上人語録』上「六字無生の頌」 | 六字の中 本無生死 一声の間 即ち無生を証す |
とりあえず南無阿弥陀仏と唱えることを勧める時 | 「南無阿弥陀仏」の六文字の間には、生死を超えた境地がある。 その一声の間に、救いの世界が現れる。 |
| 『一遍聖絵』11巻 | 一代聖教みなつきて南無阿弥陀仏になりはてぬ | とりあえず南無阿弥陀仏と唱えることを勧める時 | 釈迦の人生を通した教えというのは、南無阿弥陀仏でまとめられてしまったのである |
| 一遍『一遍上人語録』上 | 身をすつる すつる心を すてつれば おもひなき世に すみぞめの袖 |
とりあえず執着するなと言う時 | 我が身を捨てようという決心がつかずに迷う心さえ捨てれば、この世に対する執着はなくなる さながらこの粗末な墨染めの服のように |
| 一遍『一遍上人語録』上 | すてゝこそ みるべかりけれ 世中を すつるもすてぬ ならひありとは |
とりあえず執着するなと言う時 | とりあえず捨てて世界を見てみなさい 全てを捨ててもまだ捨てきれていないものがあるのだから |
| 一遍『一遍上人語録』上 | おもふこと みなつきはてぬ うしとみし よをばさながら 秋のはつかぜ |
とりあえず色々捨ててすっきりした時 | 色々思っていたこともみんななくなってしまった。 憂いに満ちていたと思っていたこの世界も、秋の初風のような世界だったようだ |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 夢窓疎石『夢中問答集』中巻 | 禅門の宗師の学者に示すこと、一言半句に過ぎず。 その一言半句も、修行用心のためにはあらず、直に本文を示すのみなり。 学者鈍根にして、たとい直下に承当せざれども、これを公案として知解情量、及ばざる処に向かって提撕すれば、時節到来して、曠劫の無明一時に消滅すべし。 |
修行の在り方を述べる時 | 禅宗の師匠が弟子に言うことなど、短い言葉に過ぎない その言葉も修行の心構えなどではなく、教えを端的に示すものである 学ぶものはたとえ知恵もなく、すぐにわからなくても、これを問いにして、解釈や分析すら及ばない境地を目指せば、ある日長い間の迷いが一気に消える時が来るものである。 |
| 一休宗純『狂雲集』135 | 公案参じ来たって明歴々たれども 胸襟勘破すれば暗昏々 怨憎して死に到るまで忘却しがたし 道伴の忠言、耳根に逆らう |
形式的な修行を皮肉る時 | 師匠から与えられた問いを解き、悟ったような顔をしているが、胸の中は真っ暗闇。 人を恨み憎しむ気持ちも死ぬまで消えないようで、ともに修行する兄弟弟子の言うことにすら耳を貸しやしない。 |
| 一休宗純『狂雲集』156 | 風狂の狂客、狂風を起こす、 来往す淫坊酒肆の中。 具眼の衲僧、誰か一拶せん、 南を画し北を画し、西東を画するのみ。 |
あえて破戒に打ち込む時 | 私のような不逞の輩が一大センセーションを起こしている。 私は遊郭や酒屋にいる。 しっかりした坊主よ、誰か問答でも仕掛けに来い。 どうせ誰も四角四面なことしかできないだろうよ。 |
| 日親『立正治国論』 | 純円一実の行者は、作仏むなしからず。 受け難き爪上の人身を受け、値い難き優曇華の経文に値い、今度心因に仏種を植えざれば、将来定めて悲しまん。宝山に登りて手を空しくして、いたずらに帰ること無からんのみ。 |
とりあえず法華経を信じろと言う時 | 法華経を信じる修行者は、全て仏になるのだ。 本当に希少な、人間の身に生まれるという経験をし、さらに優曇華にも値する『法華経』の教えに巡り合えた。 今度こそ心の中に成仏する種を植えなければ、将来きっと悲しむだろう。 せっかく宝の山に分け入ったのに何も持たず帰るような真似をするな。 |
| 蓮如『蓮如上人御一大記聞書』 | 仏法は一人居てよろこぶ法なり。 一人居てさえとうときに、二人よりあわばいかほどありがたかるべき |
一人よりも二人がいいさと言う時 | 仏の教えはひとりで喜ぶ教えです。 一人でいても尊いのだから、二人で信仰すれば、どれだけありがたいのやら。 |
| 日奥『宗義制法論』 | 世出の昇進を思わん人最も求むべきは善師、甚だ恐るべきは悪師なり。 善師に随える者は、悪性変じて善となる。 譬えば黒漆に白物を入るれば、変じて白色となるが如し。 |
師匠が大事と言う時 | 昇進を望む物が一番必要なのは良い師匠であり、恐れる必要があるのは悪い師匠である。 善い師匠に会えれば、たとえもともと悪い性質でも、良い性質に変えることができる。 例えば、黒い漆に白を混ぜれば白色に変わるようなものだ。 |
| 日奥『宗義制法論』 | あらゆる命は一身第一の宝、満界の珍宝にも替えざる重宝なり。 しかも仏法のためには、この大事の命をば、なおこれを惜しまず。 いわんや命の他の物、何をかこれを惜しまんや。 |
命をささげる覚悟と言う時 | 命こそが第一の宝であって、世界の珍しい宝にも代えられないものだ。 しかも、仏法が危機に瀕した時にこの一番大事な宝である命を惜しまないのだ。 ましてや、命以外のものなど、言うまでもない。 |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 沢庵『不動智神妙録』 | 不動とは、うごかずという文字にて候。 智は智慧の智にて候。 不動と申し候ても、石か木かのように、無性なる義理にてはなく候。 向うへも、左へも、右へも、十方八方へ、心は動き度きように動きながら、卒度も止らぬ心を、不動智と申し候。 |
心の在り方を述べる時 | 不動とは、文字で書くと「動かない」である。 智とは、文字で書くと智慧の「智」である。 不動と言っても、石や木のように意思がないまま動かないことではない。 あちこちに自由に動きながら、一瞬たりとも止まらない心こそ、不動智と呼ぶのである。 |
| 沢庵『碧巌九十偈』 | ただ弟子心了し、師有りてこれを証明するのみ。 もし証明の師無きは以て我れ是れ禅を得、道を得るといえ。 |
結局のところ一人前になるとはどういうことか言う時 | ただ弟子が会得して、師匠がいれば師匠がこれを証明するだけである。 もし、証明するような師匠がいなければ、自分自身で禅の教えを会得したと述べよ。 |
| 隠元『普照国師広録』「興福寺語録」 | 幼年より発心する者、是れ誰そ。 参究する者、是れ誰そ。 未だ省力あらざる者、是れ誰そ。 冀くば、閒忙動静の際、行住坐臥の間、本参を舎くことなく、孜々として究め尽くせ。 |
心構えを説く時 | 幼いころから仏道に進もうとする者は何者だ。 真理を追究する者は何者だ。 悟りに至れないままでいる者は何者だ。 どうか、忙しかろうが、暇であろうが、生活すべてにおいて、正しい実践を忘れずに、真理を追究しなさい。 |
| 白隠『遠羅天釜』 | 大凡一切の賢聖、古今の智者、禅定に依らずして仏道を成就する底、判箇も亦なし。 夫れ戒定慧の三要は、仏道万古の大綱なり。 誰か敢て軽忽にせんや。 |
とりあえず座禅しろ、以上、と言う時 | これまでの世の賢人・聖人・知者といった人々で、座禅に依らなくて仏道の成果をあげたものなんていない。 そもそも、身を正しく、気持ちを落ち着け、知恵を得るというのは、仏道の当初からの決まり事だ。 軽々しく扱ってはいけない。 |
| 慈雲『十善法語』 | 人の人たる道は此十善に在じゃ。 人たる道を全くして賢聖の地にも到るべく、高く仏果をも期すべきと云ことじゃ。 |
とりあえず教えを伝える時 | 人が人として生きるべき道は、この十善の中にある。 人として生きるべき道を守ってこそ、賢人・聖人に至れるし、悟りにも到れる。 |
| 良寛『円通寺に来りてより』 | 円通寺に来りてより 幾春秋なるかを知らず 門前は千家の邑 さらに一人をも知らず 衣垢づけば手ずから洗い 食尽くれば城いんに出ず 嘗て高僧伝を読むに 僧は清貧に可なるべし |
僧侶の在り方を述べる時 | 円通寺に来てから何年経ったかわからない 門前にはたくさんの家があるが、誰も知り合いなどいない 服が汚れれば自分で洗い、食べ物がなくなれば町で托鉢する これまで高僧伝を読んできたが、やはり僧侶は清貧であるのがよいのだ |
| 良寛『托鉢』 | 吾れ亦是れ釈氏子 一衣一鉢迥に灑然たり 君見ずや浄名老人嘗て道う有り 食に於て等しき者は法も亦然り 直下に恁麼し去るも 誰か能く兀々として驢年に到る |
托鉢の精神を述べる時 | 私も釈迦の弟子の一人 袈裟と鉢だけでさっぱりしている 昔、維摩居士が言っていたのを知っているだろう 食べ物を受けるのに差別をしてはいけない、仏法だってそうである。 たとえ言葉ではわかったつもりになっても、いったい誰が真の境地に到れるのだろうか |
| 『良寛自画像讃』 | 世の中に まじらぬとには あらねども ひとりあそびぞ われはまされる |
孤独を勧める時 | 世間とは一切交わらないわけではないのだが、一人遊びが一番である |
| 出典 | 原文 | 使用用途 | 雰囲気意訳 |
|---|---|---|---|
| 開経偈 | 無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義 |
とりあえずお経を読み始める時 | 神妙でありがたい教えに巡り合うことは、とてつもなく長い時間を経ても難しいものである。 しかし、いま私はそれに出会い、聞くことができるので、どうか如来の教えを理解させてください。 |
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最終更新:2025/12/08(月) 20:00
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