東方昭和伝第三部 単語


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東方昭和伝第三部とは、eleven制作動画東方昭和伝」の第三部である。「連盟脱退編」。

 民は犬養の死に同情はしても、これで内閣が倒れ、二大政党制が崩壊していくことを悲しむことはなかった。果てしなく続く閥抗争や「政治とカネ」の問題に、人心は既に離反していた。「話せばわかる」「問答用」このやりとりは、そのまま政党政治の落日と、軍部に代表される革新勢力の台頭を、徴的に物語っていた。

なできごと ≫ 犬養内閣成立 萱野和工作 第1次上海事変 リットン調派遣 満州国宣言 血盟団事件 第18回衆議院総選挙 上海天長節爆弾事件 五・一五事件 斎藤一致内閣成立 国際連盟脱退 ヒトラー首相就任 フランクリン・ルーズベルト大統領就任

出演

≪ 役名・肩書き・演者 肩書きは原則として作中の現職。元職は特記のみ ≫

宮中

政治家 

官僚

陸軍

要人

民間活動家工作員

そのほかモブ役として、射命丸文マスコミ魂魄妖忌(偉そうな軍人)森近霖之助(文官)こーりん小物レイセン(中・下級軍人)高木社長(適時)

 

用語解説

国際連盟 (こくさいれんめい)

 第一次世界大戦後、合衆大統領ウィルソンの提唱により設立された際組織。第一次大戦の惨禍をふまえ、戦争によらない際紛争解決が期待されたが、硬直的な全会一致原則、提唱した当のアメリカが世論の反対で不参加となるなど、その勢力は脆弱なものだった。日本常任理事国として加盟していた。

内閣書記官長 (ないかくしょきかんちょう)

 現在内閣官房長官にあたる役職(ただし「内閣官房」の役所自体は、大正時代に既に設定されている)。現在と違い「務大臣」にはあたらない勅任官(大臣は任官)だが、内閣の枢機にあずかる要職であることは同じである。

財閥 (ざいばつ)

 創業者一族や族による会社を中心として、子会社を支配している企業集団。日本では三井三菱・住友・安田の、いわゆる「四大財閥」をはじめとして、鴻池・渋沢・古川大倉など幕末から明治にかけて幕府や閥と結びついて成長した者や、昭和期に満州で成功した日産など、政界や軍部との関係で財をなした企業たちが日本経済を支配しており、三井岩崎三菱)は爵位持ち(男爵)、婿総理大臣加藤高明、幣原喜重郎)、三井財閥の常務理事だった池田成彬が日銀総裁や大蔵大臣に就任するなど、国家運営にも深くかかわっていた。

ブロック経済

 文字通り、他や他経済域からのを排除し、自とその下諸・地域の組内で経済力を維持しようとする、典的な保護貿易体制。世界恐慌金本位制崩壊によって自由貿易が立ち行かなくなり、もともと世界中に広大植民地や保護地域を抱えていたイギリスフランスアメリカの各は、それら地域を市場として自通貨底的に優遇する通貨圏を形成していったが、これによって各経済面での交流が分断され、経済的に弱体な中小国は大の横暴にますます嗟のを挙げることとなった。

不戦条約 (ふせんじょうやく 戦争抛棄ニ関スル条約

 昭和3年1928年)に列強諸間(最終的に63カが署名)で締結された条約際紛争を解決する手段としての戦争を放棄(抛棄)することをうたった(ただし、違反したからといって特に罰則や制裁を受けるとまではなっていない)。日本では条約締結に当たって、条文第1条の「人民ノ名ニテ厳粛ニ宣言」の文言が、天皇大権を侵すものだとして枢密院などから攻撃され、わざわざこの部分は日本では適用されないとの政府明を出してから署名された。
 なお、調印時の内閣は、山東出兵などで「侵略性」を批判されていた田中義一内閣であり、条約会議の全権大使は国際連盟脱退主導することになる内田康哉であった。

化事件 (かぞくせきかじけん)

 天皇屏たる族の一員が、共産主義左翼活動に関わっていたとして摘発された事件。昭和8年1月八条子爵・旧羽)を皮切りに、3月岩倉靖子(公爵・曾祖父維新元勲、岩倉具視)・俊守(子爵・旧播磨三日月)・久我通武(男爵祖父久我通久侯爵、旧清)・山口定男(男爵祖父は元従長山口正定、勲功族)・上村邦之男爵祖父連合艦隊長官上村海軍大将、勲功族)・亀井茲建(伯爵・旧石見和野)・小倉宗(子爵・旧羽)・子爵・旧伊勢桑名)、9月に中溝三郎男爵・本人の軍功)らが検挙。維新の元勲の一族が加わっていたことに、族界は大きな衝撃を受けた。
 このうち岩・八森の3名が転向を拒否し、7月に起訴。靖子・岩倉具栄公林野局を辞職した。10月より転向を表明した靖子は12月11日に保釈されるが、21日に自殺。翌昭和9年1、八条は懲役3年森は2年の判決を受けた。

 

人物評伝(キャスティングされていなくて作中登場回数の多い人物につき)

荒木貞夫 あらき さだお 1877~1966)

 昭和期の陸軍軍人。最終階級は大将男爵。「昭和維新」を青年将校らの間で絶大な人気を誇り、皇荒木が軍のことを「皇軍」と呼んだことに由来するとされる)の首領として勢力を振るう。
 犬養内で陸軍大臣に就任し、骨な派優遇人事をおこなって陸軍中枢から反を駆逐していったが、彼らはかえって「統派」としてまとまり、二・二六事件に至るまでの凄まじい権力闘争を誘発することになった。ただ二・二六事件の前ごろには、既に荒の人気は失墜しており、同事件後の統派による報復人事によって第一線を追われる。しかし近衛文麿親しかったことから、第1次近衛内閣では文部大臣に就任。「皇道教育」と称し、戦時思想の普及・反戦思想弾圧を行った。東京裁判でA級戦。終身刑の判決を受ける。

斎藤 (さいとう まこと 1858~1936)

 大正昭和期の海軍軍人・政治家。最終階級は大将子爵海軍の重鎮・山本兵衛に引き立てられて軍政を歩み、第1次西園寺内閣から第1次山本兵衛内閣までの8年・5代の内閣にわたって、海軍大臣を歴任する。大正3年シーメンス事件(海軍収賄事件)ので辞職・予備役編入を余儀なくされるが、大正8年には朝鮮総督に就任。「文治政策」とよばれる穏健な統治を敷く。昭和2年ジュネーヴ海軍軍縮会議日本全権として参加(イギリスアメリカの対立で同会議は決裂し、3年後にロンドンで仕切り直されることになる)。
 アメリカ人との交友が広く(のちの駐日大使・グルーなど)、また日を英語でつけるというほど国際色豊かな人物で、海軍内でも穏健な条派に属した。それらの性質を買われ、五・一五事件後の国一致内閣を組織。辞職後は内大臣として昭和天皇側近に転じる。昭和11、二・二六事件で襲撃を受け、害。

内田康哉 (うちだ こうさい 1865~1936)

 大正昭和期の政治家伯爵オーストリアアメリカロシア等の大使使を歴任し、第2次西園寺内閣で初めて外務大臣。のち、原敬内閣高橋是清内閣加藤三郎内閣の3代・5年にわたって外相を歴任。第1次世界大戦ヴェルサイユ講和会議シベリア出兵の処理、ワシントン軍縮会議などの多事多難を処理してきたが、在職中に急死した原敬(暗殺)・加藤三郎(病死)2人の総理大臣臨時代理を務めたという稀有な経歴を持つ。特に加藤首相死去の後継探し中には関東大震災が起こり、山本兵衛が第2次内閣を組閣するまでの間、震災対策にあたった。
 昭和6年に鉄総裁。ここでの関東軍との交流によって派となる。斎藤内閣で再び外務大臣。国を焦土としても」のいわゆる「焦土演説」で物議を醸した。

鈴木三郎 (すずき きさぶろう 1867~1940)

 大正昭和期の官僚政治家。妻の鳩山一郎官僚として、大審院判事・検事総長などを務める。右翼政治家大物平沼一郎の直系配下であり、平沼会長右翼団体「本社」にも加盟していた。
 政治家としては立憲政友会に入党し、田中義一内閣で内務大臣に就任。共産党弾圧(三・一五事件)を手始めに、内務省幹部や地方の県知事を政友会支持者に入れ替えるなどの、骨な党利党略策を展開。初の男子普通選挙となった第16回衆議院総選挙での大規模な選挙干渉は、野・立憲民政党のみならず貴族院の反感をも招き、選挙後に辞職となった。しかし党内では・鳩山一の支援で勢力を広げ、犬毅内閣で再び入閣司法大臣・内務大臣)。五・一五事件後ついに政友会総裁に就任し大命降下を待つのみとなったが、元老西園は斎藤実を後継首相に奏選。念願の総理就任はならなかった。
 斎藤内閣では閣僚を送ったものの、続く岡田啓介内閣では野党路線を取り、入閣した高橋是清(元・政友会総裁)らを党から除名したことから、党内の混乱を招く。昭和11年の第19回衆議院総選挙では議席の4割を失う大惨敗のうえ、党首でありながら自身も落選という大失態を演じ、政友会の衰退は決定的となった。

新覚羅溥儀 (あいしんかくら ふぎ 1906~1967)

 清王朝最後の皇帝(宣統1908~1912)及び満洲皇帝(康徳1934~1945。1932~34は執政)。西太后の相次ぐ崩御により、わずか3歳で即位。父親の醇王が摂政となったが、辛革命が起こり、中華民国総統・袁世凱の圧力によって退位。清王朝の幕を閉じる。
 中華民国政府との取引により、その後も「皇帝」の称号と待遇を保持したまま北・紫禁城に留まっていたが、1917年7月、軍閥の張が王政復古を宣言。溥儀を再即位させる事件が起こる(張勲復辟事件)。復辟はわずか13日間で終わり、再び紫禁城での隔離された生活となったが、1924年の第2次奉直戦争中に起こった北京政変で、実権を握っ馮玉祥により紫禁城を追放され、かねて懇意にしていた日本の芳沢謙吉・公使の仲介により、日公使館次いで天の日本租界庇護される。
 満洲事変を起こし、満で親日政樹立目論んでいた関東軍の誘いに乗り、天津を出て満洲入り。満洲樹立されると執政に就任し、2年後念願の皇帝即位を果たす。しかし清王朝復活を宿願としていた溥儀と、満の看板を探していたにすぎない関東軍との思惑の違いは大きく、関東軍が実権を握る満國のなかで、溥儀はまったくの傀儡と化した(一方で、溥儀の方がむしろ積極的に日本との同化・従属化をすすめていたと思わせる事例も多い)。
 1945、日本の敗戦により満洲国は崩壊。日へ亡命しようとしたところをソ連軍に捕捉され、抑留。のち中共へ引き渡されて戦犯収容所を転々とし、釈放後は一般市民として余生を送った。 

 第三部の参考資料

阿部博行「石原莞爾 生涯とその時代(上)」(法政大学出版局)
阿部牧郎「英雄 小説石原莞爾」(祥伝社
太郎昭和歴史6 昭和政党」(小学館
井上寿一「昭和史の逆説」(新潮新書
井上寿一「吉田茂昭和史」(講談社現代新書
大杉一雄「日中戦争への華北問題と衝突への分岐点」(講談社学術文庫
太田諜報員 ゾルゲ、尾崎秀実、そしてスメドレー」(講談社
岡崎「重・東郷とその時代」(PHP文庫
勝田夫「重臣たちの昭和史(上)」(文芸春秋)
加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」(岩波新書
クリストファー・ソーン「満州事変とは何だったのか(下)」(思社)
児島襄「日中戦争2」(文春文庫
児島襄「天皇 満州事変」(文春文庫
児島襄「第二次大戦 ヒトラーの戦い1」(文春文庫
・重昭和の動乱(上)」(中公文庫)
三郎「落日燃ゆ」(新潮文庫
ジョン・ダワー「吉田茂とその時代(上)」(中公文庫)
近衛文麿」(河出書房新社
鈴木一編「鈴木貫太郎自伝」(時事通信社
立花天皇東大 大日本帝国の生と死(上・下)」(文藝春秋
筒井清忠「解明・昭和東京裁判までの」(朝日新聞出版
筒井清忠「近衛文麿 教養義的ポピュリストの悲劇」(岩波現代文庫)
戸川佐武「昭和の宰相第1巻 犬養毅と青年将校」(講談社
戸川佐武「昭和の宰相第2巻 近衛文麿と重臣たち」(講談社
豊田松岡洋右(上)(下)」(新潮文庫
豊田「孤高の外相 重」(講談社
豊田日本楽 ④大陸編(上)」(講談社
・半一利「昭和史」(平凡社
・半一利ほか「昭和海軍の失敗」(文春新書
畠山武「昭和史の怪物たち」(文春文庫
福田和也「地ひらく 石原莞爾昭和」(文芸春秋
福田和也「昭和天皇 第三部 金融恐慌と血盟団事件」(文芸春秋
福田和也「昭和天皇 第四部 二・二六事件」(文芸春秋
・保阪正康「東条英機天皇の時代」(ちくま文庫
・保阪正康「昭和史の "文"に秘められた真実」(朝日文庫
・保阪正康「吉田茂という逆説」(中公文庫)
松田十刻「東条英機」(PHP文庫
松本健一「評伝 北一輝 」(岩波書店
八幡和郎「歴代総理通信簿」(PHP新書
・山室信一「キメラ――満州国の肖像」(中新書
・山寛一編「恪」(高山書院)
渡部昇一「年表で読む明解!日本近現代史」(海竜社)
・R・ワイマントゾルゲ 引き裂かれたスパイ(上)」(新潮文庫

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