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アサクサキングス
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アサクサキングス(Asakusa Kings)とは、2004年生まれの日本競走馬鹿毛

日本競馬史上ただ1頭、3歳GI4連戦をこなした2007年菊花賞

な勝ち
2007年:菊花賞(JpnI)きさらぎ賞(JpnIII)
2009年:京都記念(GII)阪神大賞典(GII)

概要

*ホワイトマズル、クルーピアスター、*サンデーサイレンスという血統。
は*ダンシングブレーヴ産駒で、1993年のデルビーイタリアーノ(イタリアダービー)勝ち種牡馬として日本に輸入され、感染症による受胎率低下などに悩まされながらも、大逃げ大波乱の天皇賞イングランディーレ暴走スマイルトゥモロー、玉砕逃げシルポート、人情ダートニホンピロアワーズなど個性的な産駒を送り出した。アサクサキングスは9年産駒
は芝の短距離を走って28戦6勝、オープンまで勝ち上がった。全1995年皐月賞ジェニュインがいる。
は説明不要のレジェンド種牡馬

2004年3月23日、社台ファームで誕生。同年のセレクトセールにて7100万円(税抜)で落札された。
当初のオーナーアサクサデンエンなど「アサクサ」冠名を用いた田原一郎。2007年1月に死去したため、その後は妻の田原慶子が引き継ぐこととなった。

名意味は「冠名+国王、王」。

浅草の王

2歳~3歳春・レースは続くよどこまでも

2006年、2歳となって東・大久保志厩舎に入厩。現在調教師寺島良が調教助手兼厩務員を担当した。
現在チュウワウィザードディープボンドで知られる大久保師だが、当時はまだ開業4年ナイキアースワークユニコーンSを勝ち厩舎の重賞勝利を挙げた、そんな時期のことであった。

2006年10月15日東京・芝1600mの新馬戦四位洋文上にデビュー、3身差の快勝デビューを飾る。続く百日草特別(500万下)も横山典弘の騎乗で快勝し、上を四位に戻して年末の出世レースラジオNIKKEI杯2歳S(GIII)に向かった。
ここでは後の皐月賞ヴィクトリーや、後のダービー1番人気フサイチホウオーと初対決。4番人気だったアサクサキングスは中団から徐々に押し上げていって前に取り付いたものの、直線で外から追い込んできたフサイチホウオーが内にササり進路を妨されてしまい、不完全燃焼の5着に敗れる。ちなみにレースは実に20分にわたる審議となったが、結局降着にならずフサイチホウオー勝利した。

明けて3歳、田原一郎オーナーが亡くなり田原慶子オーナー名義に変わったアサクサキングスは、四位の落負傷のため武幸四郎に乗り替わり、きさらぎ賞(JpnIII)で始動。ここでは好スタートから初めて逃げの手を打つと、4コーナーで後続を突き放し、ラジオNIKKEI杯3着のナムラマースらを全く寄せ付けず1と3/4身差で勝、亡きオーナーに弔いの重賞制覇を贈った。

かくしてクラシックに乗りこむことになったアサクサキングス。初戦の皐月賞(JpnI)シンザン記念弥生賞を連勝したアドマイヤオーラと、4戦4勝のフサイチホウオーの2強ムードで、引き続き武幸四郎と挑んだアサクサキングスは単勝16.0倍の6番人気という単ポジション
レースは大外817番の7番人気ヴィクトリーと、15番人気京成杯勝ちサンツェッペリンが2頭で逃げ、アサクサキングスは理せず4番手に構えたが、そのままりこんだ前の2頭に振り切られて7着。

続いて営は中2週でNHKマイルカップ(JpnI)を選択。皐月賞6着の1勝ローレルゲレイロが押し出された1番人気(5.5倍)になる混戦ムードの中、2000mは距離が長かったのだろうしこのメンバーなら充分勝ち負けと見られ、6.8倍の3番人気に支持された。ところが悪で伸びを欠き、ブービー人気ピンクカメオ3連単973万馬券叩き出す大波乱ので見せ場なく11着に沈む。

この結果を受けてなのか、それとも元からそのつもりだったのか、なんと営はさらに中2週で日本ダービー(JpnI)への挑戦を選択。上には福永祐一を迎えた。皐月賞距離不安があってNHKマイルカップで惨敗したが、この過密ローテで府中2400で勝ち負けになるわけねーだろ!と競馬ファンが考えるのも当然で、84.5倍の14番人気という低評価だった。当たり前である。
ところがどっこい、816番のアサクサキングスと福永祐一は、皐月賞の轍は踏まぬとばかりにサンツェッペリンを制して果敢にハナする。そのままサンツェッペリンを連れて淡々としたペース逃げたアサクサキングスは、直線でも伸びあぐねる後続をにサンツェッペリンを振り切りにかかる。ついに福永祐一悲願のダービー制覇か! と思われたところに、馬場ん中から猛然とカッ飛んできたのはウオッカ! 残り200mであっさりかわされ3身突き放されたが、それでも後続は完封して2着り込んでみせた。敗れはしたが、テン乗りでの持ち味を活かした福永の好騎乗と言うべきであろう。

というわけで松国ローテえる過酷なカスケードロー完走したアサクサキングスは、へ向けて夏休みに入……らない! なんと営はダービー2着に何を思ったのか、ウオッカと一緒に宝塚記念(GI)への参戦を決めたのである。3歳宝塚参戦自体がしいが、皐月賞NHKマイルカップ日本ダービー宝塚記念GI4連戦というローテは前代未聞の挑戦……というか暴挙である。
実際、古の壁は甘くなく、松岡正海を迎えたアサクサキングスだったが、3番手でレースを進めたものの3コーナーでもうついていけなくなりずるずる後退して15着。お疲れ様、という以外に特にコメントのしようがない挑戦であった。

ちなみにアサクサキングス以前にも以降にも、3歳でこのGI4連戦をこなしたはおらず、2023年現在史上記録となっている。こんなローテ走るが今後いてたまるか。

3歳秋・ド根性の菊舞台

さて、NHKマイルカップ日本ダービー松国ローテといえばクロフネタニノギムレットキングカメハメハと名だたる名がこのローテのあと屈腱炎引退に追い込まれた死のローテとして知られる。彼らと違って勝ったわけではないものの、まだまだ成長途上の3歳に中2週→中2週→中3週という過酷なGI4連戦をこなしたアサクサキングスがどうなったかというと……特に何も問題なく元気だった。

上が四位に戻ったアサクサキングスは、菊花賞して神戸新聞杯(JpnII)から始動。ゴールドキリシマホクトスルタンがハイペース逃げる展開を外の4番手で追走したアサクサキングスは、4コーナーで前を捕まえて直線で先頭に躍り出て、そのまま押し入りを図る。しかし最後方から猛然と追い込んできたドリームジャーニーに競り負けて半身差の2着

というわけで前週ウオッカ秋華賞を敗れた四位と迎えた菊花賞(JpnI)ダービーウオッカ秋華賞に向かい、他の実績組のドリームジャーニーヴィクトリー距離不安、フサイチホウオーも前走の大敗で評価を下げ、デビュー4連勝の南半球生まれの上がりロックドゥカンブが1番人気という混戦ムード。アサクサキングスは8.4倍の4番人気だった。
レースメジロマックイーンとの子制覇をホクトスルタンが淡々としたペース逃げ、サンツェッペリンヴィクトリーマンハッタンスカイの4頭が先頭集団を形成。アサクサキングスはその後ろ、中団グループの先頭に位置する5番手でレースを進めた。4コーナーホクトスルタン以外の先頭集団の足が鈍ると進出を開始、直線で逃げホクトスルタンを追う。残り200mでホクトスルタンをかわして先頭に立つが、外から6番人気アルナスラインが追いすがる。そのままアルナスラインとの熾叩き合いとなったが、ド根性で最後まで抜かせることなく押し切った。

大久保厩舎は5年で嬉しいGI初制覇。四位洋文騎手イシノサンデー皐月賞ウオッカダービーに続いてクラシック三冠制覇を達成。ちなみにこのレースロックドゥカンブ(3着)の敗戦で、この年の地中央GIレース桜花賞(ウオッカ)から1番人気が12連敗となり、この記録2022年更新されるまで15年間残ることになった。

さすがにクソローテを走らされるということはなく、3歳シーズンはこれで終了。他に3歳でGIを勝った皐月賞ヴィクトリーしかいないということもあり、ダービー2着も評価されてこの年のJRA賞最優秀3歳を受賞した。ダービーというイレギュラーのおかげとか言うてやるなし。

4歳・「あの乗り方をするなら勝てよ!」

明けて4歳、王道天皇賞(春)宝塚記念標に、産経大阪杯(GII)から始動したアサクサキングス。しかしここでは逃げダイワスカーレットが立たず、エイシンデピュティにも差し返されてなんとか3着に残すのが精一杯。

そしてこのGI2戦で、アサクサキングスはどちらかというと悪い意味で話題になってしまう。

まず最初に事が起きたのは天皇賞(春)(GI)。混戦ムードの中、前年覇者メイショウサムソンを抑えて単勝3.5倍の1番人気に支持されたアサクサキングスだったが、直線ではアドマイヤジュピタメイショウサムソンに置いて行かれての3着。
このとき、4コーナー出口で外にヨレたアサクサキングスは、メイショウサムソンの進路をカットする不利を与えていた。自身がサムソンに先着されているので審議などにはならないわけだが、ここで一サムソンブレーキがかかってしまったことで、先にスムーズに抜け出したアドマイヤジュピタがそのまま押し切る格好となったのは事実である。とはいえそういうこともままあるのが競馬であり、まあ一度なら強くくじらを立てるほどのことでもない。

ところが、2回続けてとなると話は変わってくる。問題のレースはその次の宝塚記念(GI)。ここでもアサクサキングスは直線で外に内にとフラフラ行、これでまたも不利を受けたのがメイショウサムソン。直線だけでなく4コーナーでも外に押されており、結果としてサムソンエイシンデピュティ逃げ切りを許しまたも2着。アサクサキングスは5着に敗れた。
この結果に怒り心頭だったのがメイショウサムソン上の武豊。検量室で四位洋文「あの乗り方をするなら勝てよ! 他人を勝たすような事をするな」を荒げたのが競馬記者(自身のエージェント)のコラムに拾われており、公式ホームページ日記でも、

宝塚記念は、なにか釈然としない思いが残る2着。アサクサキングスは、悪のときにフラフラするのがわかっていただけに、注意して乗っていながらやっぱり寄られたというのが悔しいのです。

武豊オフィシャルサイト 日記 2008年7月exit

と、アサクサキングスの斜行に不満を漏らしていた。ちなみにメイショウサムソン以上に大きな不利を受けたのがインティライミ(3着)で、全に進路をカットされてしまい、佐藤哲三騎手を落としてしまっている。四位騎手はこの斜行で合計8万円(内斜行で7万円、外斜行で1万円)の過怠を喰らった。

この件で四位騎手は軽く干され気味になり、初戦の天皇賞(秋)(GI)では藤岡佑介に乗り替わり。直線では一間を割って抜け出すかとも見えたがそこから伸びず、同期ウオッカダイワスカーレット大接戦ドゴーン!の後ろで8着。
続くジャパンカップ(GI)ではクリストフ・ルメールを迎えたものの、外から中団でのレースになってしまい、スクリーンヒーロー勝利の後ろで見せ場なく8着。
有馬記念(GI)では上が四位に戻り、逃げダイワスカーレットを4番手で追いかけたが、4コーナーでのペースアップに全くついていけず直線でずるずる後退、最下位14着に撃沈。

気付けば菊花賞の栄もどこへやら、斜行とその後の惨敗続きで、「ボコられる情けない07世代」の代表みたいな悪印競馬ファンについてしまったまま4歳を終える。

5歳~6歳・情けないとは言わせない、けれど……

明けて5歳となった2009年、この年も天皇賞(春)標に定め、四位とともに京都記念(GII)から始動。こちらも皐月賞以降惨敗続きの同期ヴィクトリー久々逃げを打ち、アサクサキングスは4番手でそれを追う。4コーナーから断然人気サクラメガワンダーとともに前を捕まえに行き、直線では内で逃げヴィクトリーを横に、外でサクラメガワンダーと熾叩き合いに突入。菊花賞アルナスラインを振り落とした勝負根性は消えてはおらず、サクラメガワンダーを振り切って1着でゴール久々勝利の美を味わった。

続いて阪神大賞典(GII)。前走の復活勝利で、アサクサキングスは昨年の菊花賞オウケンブルースリに次ぐ3.7倍の2番人気に支持された。レースは前走日経新春杯逃げ切って引退を撤回したテイエムプリキュアが後ろを15身以上突き放す大逃げを仕掛け、アサクサキングスは中団に構える。そして3コーナーから進出を開始、4コーナーで2番手に上がると、同じ6ヒカルカザブエと体を併せての追いべとなったが、こうなればアサクサキングスの勝ちパターン。競り合いならば絶対に負けないと、差し返してくるヒカルカザブエをさらに差し返して、最後はハナ差制して勝利

菊花賞復活重賞2連勝。もう情けないとは言わせない。凱旋門賞挑戦プランも持ち上がり、そのためにもの栄誉をめ、アサクサキングスは勇躍、1番人気天皇賞(春)に乗りこんだ。
レース最低人気シルクフェイマスハナを取って逃げ、アサクサキングスは先頭集団を見る第2集団につけた。そして上り坂からじわりと進出を開始。ロングスパートで前を捕まえにいく。そして直線入口、堂々と先頭に抜け出したのはアサクサキングスだった。
がんばれアサクサキングス! 負けるなアサクサキングス! を勝ち取り、世代の意地を見せるのだ! アサクサキングスの勝負根性がを勝ち取ると信じて……!

 

 

 

……はい、結果はそのあと後続にまれて9着。そして阪神大賞典でどうやら彼は燃え尽きてしまったらしい。海外遠征は白紙となり、続く天皇賞(秋)は出負けして終始後方のまま最下位18着、岩田康誠に乗り替わったジャパンカップは最内から出で気合いをつけて逃げようとしたがリーチザクラウンハナを奪われ、2番手で進めたが4コーナーでもう後続に捕まり16着。
明けて6歳、初戦の阪神大賞典こそインの狭いところを突いて抜け出す岩田騎手らしい騎乗で見せ場を作って4着と再復活の兆しを見せたが、その後はどうやら左脚を痛めたらしく、長期休養に入る。
7歳になって東海Sに出るとかいう話もあったが、結局復帰戦は2011年宝塚記念となり、レース中に左脚の痛みが再発して最下位に撃沈、そのまま引退となった。通算23戦6勝。

引退後

引退後は2012年から日高町のブリーダーズスタリオンステーション種牡馬入り。イングランディーレ韓国に行ったため、内では最初の*ホワイトマズル後継種牡馬となった。この時期の菊花賞はおしなべて種牡馬として不遇な中、が高齢になっていたこともあり代用としての需要はそこそこあったようだが、結果は地方重賞を数頭出すに留まった。

2016年限りで種牡馬引退。その後は故郷の社台ファームで乗となったあと、2020年福岡に移動。2023年現在福岡馬事公苑で乗馬を務めているexitようである。

血統表

*ホワイトマズル
1990 鹿毛
*ダンシングブレーヴ
1983 鹿毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Navajo Princess Drone
Olmec
Fair of the Furze
1982 鹿毛
Ela-Mana-Mou *ピットカーン
Rose Bertin
Autocratic Tyrant
Flight Table
クルーピアスター
1996 栗毛
FNo.4-g
*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
*クルーアレディー
1983 栗毛
What Luck Bold Ruler
Irish Jay
Question d'Argent Tentam
Cold Reply

クロスNorthern Dancer 4×5(9.38%)、Bold Ruler 5×4(9.38%)

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肝心の菊花賞の単独の動画がないんですけど!

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1 ななしのよっしん
2024/01/31(水) 23:28:08 ID: ul0PGq/j/D
ヴィクトリーとフサイチホウオー不憫ネタにされがちな07世代のたちだけど、
アサクサキングスネタも悪い部分もあれど間違いなく奮戦できた側の一頭
👍
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