イシノサンデー(Ishino Sunday)とは、1993年生まれの日本の競走馬。栗毛の牡馬。
皐月賞馬でありながら秋にダート路線に向かった、芝ダート両GI制覇という話題でいつも忘れられがちな1996年の「芝ダート変則二冠馬」。
主な勝ち鞍
1996年:皐月賞(GI)、ダービーグランプリ(交流重賞)
1997年:京都金杯(GIII)
父*サンデーサイレンス、母*ジェフォリー、母父Alydarという血統。
父は言わずと知れた日本競馬そのものを変えたレジェンド種牡馬だが、イシノサンデーはまだ種牡馬評価が未知数だった2年目の産駒である。
母はアメリカからの輸入繁殖牝馬で、主な勝ち鞍は1990年のG3ニジャナS。同年のG1ハリウッドオークス2着などの実績がある。通算は16戦3勝。
母父アリダーは1978年のアメリカ三冠全てで三冠馬Affirmedの2着に敗れた馬。種牡馬としては大成功を収め、サンデーサイレンスのライバルEasy Goerの父でもある。その一方で若くしての不慮の死に保険金目当ての殺害疑惑があるなど何かと運が無さ過ぎた馬として有名。
1993年5月29日、静内町の服部和則牧場(後の生産馬に同じ皐月賞馬のディーマジェスティなど)で誕生。オーナーは皐月賞までが「㈱イシノ」、日本ダービー以降が「㈱イシジマ」と登録されているが、いずれも1972年の菊花賞・有馬記念馬イシノヒカルなどの「イシノ」冠名を用いた石嶋清仁の法人名義である。
所属は栗東・山内研二厩舎。栗毛に大きな四白流星、山内厩舎のピンクのメンコに赤いシャドーロールがトレードマークだった。主戦騎手は当時まだ若手だった四位洋文で、四位の初GI勝利の相棒である。
※本項では当時の表記に合わせて、年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記する。
1995年9月、函館・芝1800mの新馬戦で、5年目の四位洋文を鞍上にデビュー(以降、鞍上の記載がないときは四位が騎乗)。1.4倍の支持に応えてデビュー勝ちを飾る。
続く平場のオープン戦(鞍上・松永幹夫)を3着に敗れたが、黄菊賞(500万下)で1番人気スギノハヤカゼや3番人気エイシンガイモンを破って2勝目を挙げると、年末のラジオたんぱ杯3歳S(GIII)へ。後の菊花賞馬ダンスインザダークやNHKマイルカップ馬タイキフォーチュンが揃う中で1番人気に支持されたが、中団から経済コースを通って進出し直線で抜け出したところにオリビエ・ペリエの4番人気ロイヤルタッチが強襲、馬体を併せての熾烈な追い比べの末差し切られてアタマ差の2着に敗れる。
さて、明けて4歳初戦、福島競馬場改修の影響でこの年は東京・芝1800mで開催の予定だったジュニアカップ(OP)に向かったイシノサンデー。ところがここで、天が彼の運命を大きく変える。なんとこの日の東京競馬場は降雪のため芝レースが全てダート変更になったのである。ジュニアカップも例外ではなく、ダート1600mに変更されての開催となった。
思わぬ形でダートレースに臨むことになったイシノサンデーだが、5頭立てだったこのレースで、なんと全く追わずに5馬身差の圧勝。「追っていれば大差だった」と言われるほどの内容だった。
とはいえ、今でもそうだろうが当時はまだ中央にダートGIすらなかった時代、なおさら4歳のクラシック候補がこの時期にダート適性をどうこう考える理由はない。イシノサンデーも当然そのままクラシックへ向かう。皐月賞への収得賞金は既に足りていたが、続いてトライアルの弥生賞(GII)へ。同じSS産駒のダンスインザダークとの再戦、1.9倍と2.1倍の2強対決となったが、豪快に差し切られて3着に敗れる。
前年のサンデーサイレンス初年度産駒無双もあって、この年のクラシックもSS産駒が有力視されており、ラジオたんぱ杯1~3着のロイヤルタッチ、イシノサンデー、ダンスインザダークに、朝日杯馬バブルガムフェローの4頭が「サンデーサイレンス四天王」と呼ばれていた。ところが皐月賞を前にダンスインザダークが熱発で、バブルガムフェローが骨折で戦線離脱してしまう。
迎えた皐月賞(GI)。前走の敗戦もあって、四天王のうち2頭が消えたにもかかわらずイシノサンデーは6.1倍の4番人気まで評価を落としていた。鞍上の四位が皐月賞初騎乗ということもあっただろう。
レースは2番人気のサクラスピードオーが速めのペースで逃げる展開。中団の内に控えたイシノサンデーは3コーナーからじわりと外へ持ち出すと、大外から豪脚一閃。残り200mを切ったところであっという間に先頭のサクラスピードオーとミナモトマリノスを置き去りにし、後ろから猛追してきたロイヤルタッチを寄せ付けず先頭でゴール板を駆け抜けた。
一番外から5番の、イシノサンデー突っ込んできた!
その外からロイヤルタッチも、すごい脚で突っ込んでくる!
ロイヤルタッチが来た! ロイヤルタッチが来た!
先頭イシノサンデー! イシノサンデー! ロイヤルタッチ!
やっぱりサンデー! やっぱりサンデーサイレンス!
勝ったのは、イシノサンデー!
そして2着にロイヤルタッチ!
バブルガムフェローが消えても、ダンスインザダークが消えても、やっぱりサンデーサイレンス!
……が、灯ったのは審議の青ランプ。直線で抜け出したときに内に切れ込んで、ミナモトマリノスらの進路を塞いでいたのである。四位騎手もそのことは自覚しており、ゴール後も喜ぶ様子を見せなかった。
審議は結構な長時間となったが、結局降着などはなく、着順通りで確定。ただし四位騎手には過怠金が課されることとなり、せっかくの初GI勝利のインタビューでも四位騎手はちょっと浮かない顔をしていた。
ついでにイシノサンデーが勝ったことで、イシノサンデー自身よりも、彼に弥生賞で快勝したダンスインザダークの評価の方が高まる格好にもなってしまった。
続いて二冠を目指し東京優駿(GI)に向かう。1番人気は復帰してきたダンスインザダーク、2番人気はロイヤルタッチで、皐月賞馬なのにイシノサンデーは3番人気。……が、1番人気ダンスインザダークを差し切って勝ったのはキャリア3戦目の7番人気フサイチコンコルド。イシノサンデーは見せ場なく6着に敗れた。
夏場の休養を経て、秋は当然ながら菊花賞を目指し前哨戦へ。ところが1番人気に支持されたセントライト記念(GII)は4着、京都新聞杯(GII)も5着と、ともに見せ場なく撃沈。
これは3000mは厳しい、と陣営は菊花賞を断念。じゃあどうするか、となったとき、山内師の頭をよぎったのはジュニアカップの圧勝だった。折しもこの1996年は大井にスーパーダートダービーが新設され、中山のユニコーンS(GIII)と盛岡のダービーグランプリで「ダート交流三冠」が成立した年。スーパーダートダービーとダービーグランプリはともに2000m戦、距離も合う。
かくして春のクラシックホースは、秋のダート三冠路線へと向かうことになった。
菊花賞を2日後に控えた11月1日、大井競馬場のスーパーダートダービー(南関東GI)。イシノサンデーは鞍上に船橋の名手・石崎隆之を迎えた。新たに確立した交流ダート三冠の二冠目に、なんと芝のクラシックホースが地方の騎手を乗せて参戦するとあって大きな注目を集め、一冠目のユニコーンS勝ち馬シンコウウインディらを押しのけて1番人気に支持される。
レースは大井所属の9番人気サンライフテイオーが逃げ、イシノサンデーは序盤掛かり気味に前目につけてそれを追う。最内に構えたまま直線を向き、逃げ粘るサンライフテイオーのさらに内を突いて抜け出そうとするが、さすがに狭すぎて進路がない。前が壁のままサンライフテイオーとシンコウウインディに離されてしまい、外に持ち出して追ったものの、そのままサンライフテイオーに逃げ切られ、それに噛みつきに行って失速したシンコウウインディもかわせず3着。
敗れたものの、初のナイター、初の地方でも前が壁にならなければ勝っていておかしくなかった内容とあって、引き続き石崎騎手とともに、11月23日の盛岡・ダービーグランプリへ向かったイシノサンデー。シンコウウインディに1番人気を奪われ、ここでは2番人気だった。
中団前目の好位につけたイシノサンデーは、後ろからシンコウウインディにマークされつつも落ち着いてレースを進める。3コーナーで他の馬が仕掛けるのに合わせて逃げ馬を捕まえると、4コーナーでもう先頭に躍り出た。直線でも石崎騎手の鞭に応えて後続を突き放すイシノサンデー。外から4番人気ユーコーマイケルが追ってきたが問題にせず、そのまま押し切ってゴールへと駆け込んだ。
かくしてイシノサンデーは、ダート三冠新設初年度にして中央クラシックから殴り込みをかけ、見事に「芝ダート変則二冠」を達成。前年からスタートした中央・地方交流競走では、この年からホクトベガが砂の女王として覚醒して連戦連勝し古馬戦線を大いに盛り上げていたが、イシノサンデーのこの挑戦も、黎明期の交流重賞を盛り上げる契機となった…………と、言い切れれば良かったのだが。
結論から言うと、イシノサンデーはホクトベガのような伝説にはなれなかった。
明けて5歳初戦、四位が鞍上に戻ったイシノサンデーは、芝に戻って京都金杯(GIII)に参戦。芝復帰戦にトップハンデ57.5kgを背負わされたためか3番人気に留まったが、好位から進めて直線で抜け出し2馬身差で完勝。
この後はドバイワールドカップを目指すことを表明して再びダートに挑んだが、川崎記念はホクトベガに全く手も足も出ず6着、GI昇格初年度のフェブラリーS(佐藤哲三が騎乗)はシンコウウインディの9着に惨敗。ホクトベガが星になったドバイワールドカップには招待もされなかった。
結局これでダートを断念することになり、河内洋が騎乗した産経大阪杯(GII)を6着に敗れたあと骨折で長期休養。6歳となって復帰後は、京都記念(GII)でミッドナイトベッドの2着、産経大阪杯でエアグルーヴの3着があったものの、輝きを取り戻すには至らずそれ以外のレースでは凡走が続き、塩村克己が騎乗した安田記念(GI)を6着に敗れたあと屈腱炎を発症、現役引退となった。通算22戦6勝。
引退後は、千葉県の今は亡きJBBA日本軽種馬協会下総種馬場で種牡馬入り。……千葉県での種牡馬入りという時点でいろいろとお察し下さい。それでも最初の5年間は40~60頭の牝馬を集め、青森や九州を転々としながら種牡馬を続けた。
2009年からは生まれ故郷の静内に戻ったが、以降は種牡馬として登録されてるだけで種付けはない状態が続き、結局北海道では2013年に1回だけ種付けして誕生した産駒が1頭いるのみで、2016年をもって正式に種牡馬引退。最終的に産駒は205頭、中央での勝利は僅か10勝。地方重賞馬を4頭出すに留まった。
種牡馬引退後は日本軽種馬協会の静内種馬場で余生を過ごした。30歳を超えても存命と長寿で、2023年2月にはウイニングチケットが死亡したため、以降は90年代の牡馬クラシックホースとして最後の存命馬となっていた。またサンデーサイレンス産駒のGI馬および重賞馬としても最長寿であった。
芝とダートの両方でGIを勝った馬というのは、グレード制導入以降でも数少ない。そんな二刀流な馬たちを語るとき、イシノサンデーの名はいつも忘れられがちである。
なんでかというと、イシノサンデーが勝った1996年にはダービーグランプリはまだGI格付けされていなかったのである。じゃあダートGI馬じゃないじゃん、と思うかもしれないが、当時はそもそも交流重賞には中央・地方での統一格付け自体が存在しなかった。そしてダービーグランプリは翌1997年のダートグレード制導入と同時に統一GIに格付けされた。なので1996年のダービーグランプリは、「GI相当の競走ではあるが厳密にはGIではない」という微妙な立ち位置にある。
というわけでイシノサンデーは当時の「芝ダート変則二冠馬」であることは確かだが、「芝ダート両GIを制覇した馬」と見なすべきかどうかは難しいところである。
ところで競馬ファンに「芝とダートの両方でGIを勝った馬は?」というクイズを出すと、まずアグネスデジタルとクロフネが挙がり、直近のパンサラッサ、それから比較的最近のモズアスコットまではすぐ出てくるだろうが(オールウェザーのドバイWCを勝ったヴィクトワールピサを含めるかは出題時点で要確認ポイント)、アドマイヤドンが朝日杯FS勝ち馬だったことを忘れている人は少なくないだろうし、イーグルカフェがパッと出てくる人もそう多くないと思う。それよりもデジタル、クロフネ、パンサラッサの次ぐらいに「ホクトベガ」と答える人が多いのではないだろうか。
だが、ホクトベガの勝った1996年川崎記念・1997年帝王賞・1997年南部杯・1997年川崎記念はいずれもGI格付け前なので、厳密に言えばホクトベガのGI勝利は芝のエリザベス女王杯のみなのである。
なのでホクトベガを芝ダート両GI馬と見なすなら、イシノサンデーも芝ダートGI馬と見なさなければ整合性が取れないはずなのだが、イシノサンデーはだいたいいつも忘れられている。個人のまとめブログとかまとめ動画とかで忘れられるのはまだしも、本職の競馬メディアにすら忘れられている。[1]
ホクトベガを含めているのにイシノサンデーを忘れている例→その1
、その2
、その3
、その4
ダービーグランプリはその後、2008年に岩手競馬の経営難によりグレード格付けを返上し、いち地方重賞に戻り、ダート三冠も消滅してしまった。そのため、イシノサンデーの「芝ダート変則二冠」という史上唯一の記録が注目されることもなくなってしまった。
しかし2024年から、新たに羽田盃と東京ダービーが交流JpnIとなり、ジャパンダートダービーが秋のジャパンダートクラシックにリニューアルして、17年ぶりに3歳ダート三冠が復活することとなった。イシノサンデー以来となる芝ダート変則二冠馬が誕生することは、果たしてあるだろうか。
| *サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo 1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
| Nothirdchance | |||
| Cosmah | Cosmic Bomb | ||
| Almahmoud | |||
| Wishing Well 1975 鹿毛 |
Understanding | Promised Land | |
| Pretty Ways | |||
| Mountain Flower | Montparnasse | ||
| Edelweiss | |||
| *ジェフォリー 1987 栗毛 FNo.20 |
Alydar 1975 栗毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
| Raise You | |||
| Sweet Tooth | On-and-On | ||
| Plum Cake | |||
| Jeffo 1971 栗毛 |
Ridan | Nantallah | |
| Rough Shod | |||
| Silver Service | Prince John | ||
| En Casserole |
掲示板
6 ななしのよっしん
2024/08/20(火) 14:07:57 ID: cBF3mf+Ch2
7 ななしのよっしん
2024/08/22(木) 05:42:08 ID: rvMwgcNDOX
そんな悪化してる話も聞いていなかったが老衰であれば仕方ない
ともかくさようならSS産駒の二刀型
8 ななしのよっしん
2025/01/13(月) 00:19:45 ID: 5Srk4G/zWg
「交流グレード以前だから地方重賞には格付けが無かった」云々は交流グレード以降の考え方になじんだ人の考え方で、むしろ交流以前は地方にも普通にGI・GII・GIIIがあったんだよね
パートI国になる以前にはJpn1なんて表記されず全てGIだったのと同じで、たとえばホクトベガが勝った95年・96年のエンプレス杯なんかもJRAの広報誌『優駿』が普通に「エンプレス杯(GII)」って報道してる
もちろんこれはJRAの格付けでも後のダート交流格付けでもないが、それでも『優駿』が秋の鞍(GII)とか東海ゴールドカップ(GI)とかって普通に表記していた時代の話
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/23(火) 11:00
最終更新:2025/12/23(火) 10:00
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