伊56とは、大東亜戦争中に大日本帝國海軍が建造・運用した巡潜乙型改二/伊54型潜水艦2番艦である。1944年6月8日竣工。捷一号作戦や回天作戦に参加し、雷撃で戦車揚陸艇LST-695を撃破した他、後部上甲板に残っていたMk.9爆雷を鹵獲する戦果を挙げた。1945年4月5日、久米島近海で米駆逐艦ハドソンから爆雷攻撃を受けて沈没。
概要
巡潜乙型改二とは、前級乙型改一をベースに更に簡略化を推し進めて生産性を高めた戦時急造タイプである。
基本的な設計は巡潜乙型から大して変わっていないが、主機をディーゼル・モーターともに小型かつ量産性に優れた艦本式22号10型に換装、空いたスペースに燃料を搭載して航続距離を増大させ、生産性の悪いDS鋼は司令塔のみに使用、船体内殻は軟鋼材のMS材に変えた上で板厚を厚くして安全潜航深度の低下を防いだ。また魚雷発射管室後方の兵員室を改造し、魚雷搭載本数を19本に増加させて雷撃力を強化している。機関重量の低減、燃費の改善、追加の燃料タンクにより、航続距離が1万4000海里→2万1000海里に増大。乙型には不可能な長距離の作戦行動が可能となった。
他にも改一との相違点として、航空機格納筒の上に22号水上電探を配置、方向探知機のガード廃止、艦橋の扉位置変更、機関換装に伴って排気口の位置変更、ハッチの位置変更、上部縦舵ガードの縦舵上部分の廃止などが行われている。これら簡略化のおかげで2年以上を要していた建造期間が1年8ヶ月程度にまで短縮された。
しかし艦本式22号10型に換装した弊害で改一より出力が低下し、水上速力が23.5ノットから17.7ノットに減少、最大出力も1万1000馬力から4700馬力に減じるなど、生産性と引き換えに大幅な性能低下を甘受しなければならなかった。計画では21隻建造されるはずだったが、実際に就役したのは伊54、伊56、伊58の3隻のみに留まる。
初陣のレイテ沖海戦では戦車揚陸艇LST-695を雷撃で撃破。爆雷攻撃を受けるも、偶然起爆しなかったMk.9爆雷を鹵獲してアメリカ軍の対潜兵器から神秘のベールを剥ぎ取った。2回目の出撃では回天特別攻撃隊「金剛隊」の一員として出撃。長大な航続距離を見込まれ、回天攻撃の中では最も遠いアドミラルティー諸島まで長駆したが、敵の対潜警戒が厳しく突入を果たせないまま帰投。そして3回目の出撃で沖縄方面へ出撃した際、米駆逐艦ハドソンと交戦して沈没した。
要目は排水量2140トン、全長108.7m、全幅9.3m、最大速力17.7ノット(水上)/6.5ノット(水中)、ディーゼル燃料搭載量895トン、乗員94名、安全潜航深度100m。兵装は艦首の九五式魚雷発射管6門、11年式14cm砲1門、九六式25mm連装機銃1基、呉式一号射出機四型、水上機1機。ただ伊56は竣工時期が遅かったため水上機を搭載しておらず、代わりに22号電探と逆探装置を搭載していた。
後に回天母艦となるため格納庫、カタパルト、甲板砲を撤去して前甲板に2基、後甲板に4基、計6基を搭載出来るようにし、13号対空電探、シュノーケル、三式探信儀を追加装備している。
艦歴
対米英戦争の足音が迫る1941年11月、策定されたマル追計画において乙型一等潜水艦629号艦の仮称で建造が決定。2049万7200円の建造予算が確保された。
1942年9月29日に横須賀海軍工廠で起工、1943年6月12日に伊56と命名され、6月30日に進水し、1944年4月30日、伊5艦長から転任してきた森永正彦少佐が艤装員長に就任して業務を開始、そして同年6月8日、起工から1年8ヶ月の年月をかけて伊56は竣工を果たした。初代艦長に森永正彦少佐が着任するとともに呉鎮守府に部署し、訓練部隊の第6艦隊第11潜水戦隊に編入。
山本五十六長官の名と同じ艦名なので「いそろく潜水艦」と呼ばれて乗組員に親しまれていたとか。
1944年6月11日19時10分、第11潜水戦隊より「東京湾での予定作業が終了次第、瀬戸内海西部の長浜東錨地に回航して合流せよ」と命じられる。横須賀を出発して瀬戸内海西部回航の途上にあった6月14日20時、小豆島で仮泊した際、滑動歯輪取り付けボルトが全て折損している事が判明し、応急修理。幸い大事には至らず、翌15日午前5時に片舷航行で小豆島を発って伊予灘に向かう。
「あ」号作戦において、帝國海軍は36隻中20隻の潜水艦を失う大損害を受け、7月2日、中部太平洋方面の作戦を一旦中止するとともに、連合艦隊司令部は内地在泊の全潜水艦に被害防止対策を命じ、電探と逆探装置の搭載、レーダー波を乱反射させる斜行板の設置、防探塗料及び艦の必要部に夜光塗料の塗布、防振ゴムの設置などが行われた。
7月3日午前8時30分、伊56は伊364と柱島錨地で対潜見張り訓練に従事するよう指示される。以降は別府を拠点に伊予灘で慣熟訓練を行う。高温特殊環境下にある潜水艦乗組員の体力管理のため、艦隊軍医長の指示で1日60gのバターを摂取させる事になり、伊56軍医長の齋藤中尉を通してバターやマヨネーズが支給されたが、農民出身の者が多いためか油っこい味がすごぶる不人気で、残飯が見る見るうちに増えていったとか。
8月23日から10日間、被害防止対策の実証を行うため山口県北部の油谷湾で他の大型潜水艦と集合訓練を実施。だが電探装備以外は有効な対策になっていない事が露呈してしまった。行き詰まった潜水艦作戦、これを打開するために選ばれたのは回天だった。
9月6日、一通り訓練を終えた伊56は呉に入港。帝國海軍は先述の「あ」号作戦で大損害を受けた潜水艦戦力の再編制を行い、第12、第22、第51、第7潜水隊を解隊、9月20日に伊56を第6艦隊第15潜水隊に編入した。そして10月上旬より回天母艦になるための改装工事に着手。呉工廠で14cm甲板砲や航空機格納筒を撤去し、回天搭載装置の設置を行っていたが――。
1回目の出撃
マリアナ諸島とパラオ諸島コッソル水道より出撃してきた米機動部隊は、手始めに10月9日、南鳥島に艦砲射撃を加え、翌10日には南西諸島に大規模な空襲を仕掛けた(十・十空襲)。
敵の跳梁は留まるところを知らず、10月12日から米第38任務部隊が台湾とルソン島北部に対する空襲を開始。これを受けて同日16時30分、伊56、伊26、伊37、伊45、伊53、伊54の6隻は台湾沖航空戦で決定的痛打を受けて敗走中とされた敵機動部隊の迎撃を命じられ、第6艦隊司令・三輪茂義中将の指揮下に入ると同時に回天母艦改装工事は中止。10月13日には捷一号作戦が発令。連合艦隊は玄作戦に参加予定の潜水艦以外、投入可能な潜水艦兵力を全て投じる思い切った決断を下した。
10月15日、姉妹艦の伊54とともに呉を出撃して南下を開始。伊56、伊26、伊45、伊53、伊54で甲潜水部隊を編成、南東方向に逃走中とされる敵艦隊を航空部隊と協力して撃滅すべく、台湾南東440kmの配備点に向かう。
ところが10月17日朝、アメリカ軍の攻略部隊がレイテ湾口スルアン島に上陸して橋頭保を築くという凶報が飛び込み、出撃中の潜水艦部隊はフィリピン中部・南部方面に対しての全力出撃を命じられた。幸い台湾近海の配備点に進出中の甲潜水部隊は迅速にフィリピン沖への移動が可能だった。伊56はミンダナオ島東方を哨区に割り当てられる。
10月24日夜、ミンダナオ島東方のフィリピン海にて、ニューギニア行きの第78.1任務群を発見して3本の魚雷を発射。このうち2本は磁気信管の不調で早爆してしまったが、1本が戦車揚陸艇LST-695の船尾部分に命中して撃破。兵力をフィリピンに降ろした後だったので人的被害は少なかったものの、推進軸を吹き飛ばされて航行不能となり、LST-985の曳航を受けてパラオに後退した。3回の爆発音が聞こえてきた事から森永艦長は3隻撃沈を報告(後に輸送船1隻撃沈と認定)。間もなく護衛のタコマ級フリケード艦カーソンシティ(PF-50)が伊56に迫ってくるも、対潜攻撃を受ける前に逃走成功し難を逃れた。
伊56のもとにはレイテ沖海戦の戦況や味方の戦果が逐一もたらされ、サマール沖海戦で栗田艦隊が敵空母と駆逐艦を撃沈したとの報が入ると、艦内で万歳三唱が行われた。
10月25日22時32分、レイテ島南東150海里付近を航行していたトーマス・L・スプレイグ少将率いる第77.4.1任務部隊(タフィ1)所属の駆逐艦は潜水艦を探知して報告、すぐさま護衛空母が90度の緊急回頭を始めたその時、2本の魚雷が護衛空母ペトロフベイの至近をすり抜けていった。これは別の護衛空母サンティーを狙って伊56が発射した魚雷5本のうちの2本である(この雷撃で空母1隻と駆逐艦1隻の撃沈を認定)。
敵の追撃から逃れるべく急いで退避する伊56だったが、翌26日未明、浮上中のところを第77.4.1任務部隊の護衛駆逐艦クールバーグに捕捉され、水深140mまで急速潜航。あっと言う間に敵駆逐艦3隻に包囲されて身動きが取れなくなる。森永艦長はスクリューを停止させて無音航行に移行。やがて恐怖の爆雷攻撃が始まり、至近で炸裂した爆雷により艦内が激しく揺さぶられる。無音航行と言っても、機関は動き続けているため、機関室を中心に艦内の温度が容赦なく上昇していき、熱源がある機関室は50℃、最も低い司令塔ですら35℃に達した。タンクから飲料水を汲み出すには騒音を出すポンプを動かす必要があるので、艦内の飲料水はすぐに枯渇、乗組員は高温で温く不味くなったサイダーか、タケノコの水煮の缶詰めに入っている生臭い水を飲んで喉を潤した。
潜航から30時間が経過した頃には空気が汚濁。士官室の炭酸ガスは4%に達し、酸素の欠乏から呼吸するにも一工夫が必要になるなど、想像を絶する悪環境と化す。過酷な環境に耐えかねた1人がとうとう発狂。奇声を上げながらハッチに手をかけて開けようとしたので、周りの者に取り押さえられた。
潜航時間は遂に50時間に到達。乗組員の脳裏にも死がチラつき始める中、思わぬ奇跡が起こった。度重なるヘッジホッグ攻撃の影響で、伊56の艦体から幾つのか漏油が発生し、海面に油膜が浮き上がった事で敵駆逐艦群は撃沈と確信、海域から去っていったのである。死の淵から生還した伊56は浮上。乗組員たちは渇望し続けた新鮮な空気を吸い込み、「甘い」と感じるのだった。
そこで伊56は敵の思わぬ置き土産を発見する。潜航している時から甲板上を転がる正体不明の異音が聞こえていたのだが、その正体は、ヘッジホッグ攻撃の際に不発弾として残ったMk.9爆雷であった。数百発受けた爆雷のうちの1発――最も至近距離に落ちたMk.9爆雷が起爆せず甲板に残っており、もしこれが炸裂していれば、伊56は今頃海底に沈んでいるところだった。森永艦長の命令で、起爆しないよう信管を抜いた上で、艦首に括り付けて爆雷を鹵獲した。
10月27日、レイテ島沖で発見した敵輸送船団を雷撃して3隻撃沈を報告(ただし該当船無し)。この雷撃を以って魚雷が欠陥のある3本のみとなったので帰路に就く。
本土近海における敵潜水艦の発見報告を統合して敵潜の位置を推定し、警戒網を掻い潜って、11月4日に無事呉へ帰投。空母1隻、駆逐艦1隻、輸送船3隻の撃沈戦果を挙げていた事から、伊56は高級将校に出迎えられる。乗艦した高級将校から表彰状が贈られ、侍従武官からは菊花紋章入りの恩賜のタバコが乗組員一同に1箱ずつ贈られた。また鹵獲したMk.9爆雷は呉工廠が回収。後日得られた情報をまとめた真っ赤な冊子が伊56のもとに送られてきたという。
フィリピン沖へ出撃して生還したのは伊56を含む7隻、喪失は伊26、伊38、伊41、伊45、伊46、伊54の計6隻に及んだ。
帰投から間もなくして回天母艦への改装工事を再開。それが完了すると大津島の回天基地へ回航し、クレーン船で回天を積み込んで、11月12日から回天の発射訓練も始まった。人間の命さえも部品にしてしまった回天を前に、砲術長や先任将校は運用に難色を示したという。
2回目の出撃
12月8日、伊56、伊36、伊53、伊47、伊53、伊58の6隻で回天特別攻撃隊「金剛隊」を編制し、第二次玄作戦の発令が行われた。作戦の目的は、敵機動部隊が根拠地にしているカロリン諸島、マリアナ諸島、ブラウン、アドミラルティー、ホーランジアの各方面を回天で奇襲し、進攻作戦に中だるみを生じさせる事にある。伊56の第一目標はアドミラルティー、第二目標はブラウンに定められた。
12月22日朝、大津島にて総員前甲板に整列し、三輪中将からの訓示を受けたのち、回天搭乗員の柿崎実中尉、前田肇中尉、古川七郎上等兵曹、山口重雄一等兵曹の4名が乗艦。軍医長には司令部から極秘の封筒を手渡される。その中には青酸カリが入っており、回天発進の際に外れた時の自決用として搭乗員に渡すためのものだった。そして同日13時に伊56は勇躍大津島を出撃していった。
1945年1月6日から10日にかけて、アドミラルティー諸島マヌス島セーアドラー港に対する航空偵察が行われ、巡洋艦6隻と輸送船28隻が在泊中との情報がもたらされた。艦内では死にゆく回天搭乗員を気遣い、アイスクリームを振る舞ったりしたが、どうも乗組員との間で会話が弾まず、沈痛な雰囲気が場を支配した。
攻撃予定日の前日にあたる1月11日、伊56はマヌス島の陸岸を確認した上で反転北上し、23時に93km沖合いで浮上。そこからは第三戦速でバッテリー充電を行いながら水上進撃を開始する。しかし、湾口の手前35海里の地点で、潜水艦警報を意味する「S」連送が始まり、13号対空電探も哨戒機を探知したので急速潜航。またセーアドラー港から出撃してきたと思われる数隻の哨戒艇が伊56を探し始める。回天発進のため、せめて湾口まで15海里のところまで接近したかったものの、1時間に及ぶ追跡を受けてこのままでは母艦も危うい事、潜航進出では奇襲に適した黎明発進に間に合わないと森永艦長が判断、一旦突入を中止して1日延期する事とし、やむなく反転北上した。
1月12日夜、伊56は湾外110km沖で浮上。再び水上航行で南下を試みるが、湾口74km圏内へ入ったところで対空電探と逆探が同時に反応を示し、またもや「S」連送が始まった。探知から5分後、滑走路より大型機と小型機が飛び立つ交信も傍受、間もなく急行してきた対潜哨戒機に攻撃され、翌13日午前2時30分に急速潜航。針路180度でなおも湾口を目指すも、聴音手が前方からの敵哨戒艦数隻の音源を聴音し、途絶える事が無い。まるで待ち伏せのような包囲攻撃であった。森永艦長はこの重厚で、十重二十重に張り巡らされた対潜防御網を突破する方法を見出せず、再び北方への退避を強いられる。
1月13日夜、第6艦隊司令部は金剛隊の各艦に「14日黎明までに攻撃の機を得ざる艦は中止、呉帰投を命ず」と打電。それでも勇猛果敢な森永艦長の戦意は衰えず三度目の突入を企図した。
1月14日夜、今度は潜航したままの状態で接近を試みる。だがそれでも敵は伊56の存在を的確に探知、哨戒機と警戒艦が動き始める。潜航時間が40時間に達して艦内の空気が汚濁、加えて午前3時10分、マヌス島西方102kmで連合軍の哨戒機に迎撃され、更に呼吸の限界を迎えた事で、遂に森永艦長は回天の発進を遂に断念。セーアドラー沖合いから反転離脱を図った。1月16日に森永艦長が不成功の旨を第6艦隊に打電すると、1月18日、第6艦隊から「耐久試験の見地から回天を搭載したまま帰投するように」との命令が下った。
敵の対潜警戒が厳重だったのは数ヶ月前のとある事件が原因だった。昨年11月10日、セーアドラー港で就役4ヶ月の新鋭大型弾薬輸送艦マウント・フッドが突如大爆発を起こして粉々に吹き飛んだのである。原因は単なる事故なのだが、爆発の際に「日本の小型潜航艇を湾内で見た」という目撃証言が何処からともなく出始め、日本のプロパガンダ放送である東京ローズも特殊潜航艇による攻撃と吹聴したため、アメリカ軍は周辺海域を調査。その結果、攻撃ではなく事故だと判明したもののマヌス島近海の対潜警戒強化に踏み切った。伊56はそのとばっちりを喰らった訳である。
2月3日に大津島へ帰投して使用しなかった回天と搭乗員を降ろし、同日中に呉へと入港。そこで待っていたのは信頼厚い森永艦長や機関長、航海長、砲術長、掌水雷長、軍医長の異動だった。先任将校や一部士官を除く艦の要職がゴッソリと入れ替わったのである。出て行くため荷物整理に勤しむ転勤者たちと、艦に残される者たち、両者の間には表面化こそしないが、埋めがたい亀裂が走っていた。
間もなく二代目艦長の正田啓治少佐が伊56に着任。呉工廠にて更なる改装工事が行われ、前甲板にも搭載装置を装備した事で、計6基の回天を運用出来るようになった。そして新たに水中充電装置(シュノーケル)を搭載。シュノーケルは、潜航中であっても新鮮な空気を取り入れられる画期的な装置で、取り入れた空気で換気しながらバッテリーの充電を行えるので、潜航時間の延伸が望めた。
3回目の出撃
3月18日、目前に控えた沖縄上陸作戦の下準備として、米機動部隊が本土近海に侵入し、九州方面、呉軍港、阪神方面を徹底的に空襲して本土から増援が送れないよう妨害。3月23日朝に沖縄と沖大東島を空襲、翌24日には延べ1200機による盲爆と艦砲射撃で沖縄南部と中城湾に集中砲火を浴びせ、3月26日、慶良間諸島へ上陸して橋頭保を築き上げた。
3月27日、第6艦隊は沖縄方面に来襲した敵艦隊を迎撃するべく、伊56、伊44、伊47、伊58で回天特別攻撃隊「多々良隊」を編成。回天搭乗員の練度の低さから、航行中の敵艦を攻撃するのは不可能と判断。よって泊地に停泊中の敵艦を攻撃目標に定めた。
3月31日に伊56は姉妹艦伊58と一緒に大津島を出撃。沖縄北東海域に向かった。この出撃を最後に伊56は消息を絶つ。潜水艦の特性ゆえ正確な戦没日は特定されていないが、有力説は4月5日、もしくは4月18日とされている。5月2日、帝國海軍は沖縄方面で喪失と判断し、6月10日に除籍。乗組員116名と回天搭乗員6名全員が戦死した。
最期
1945年4月5日午前1時45分、雨が降りしきる久米島西方にて、対潜警戒中のLCS-115が水上航行中の伊56を捕捉し、米駆逐艦ハドソンに通報しつつ接近。LCS-115が視界内に現れたのを確認した伊56は急速潜航を行った。
午前3時45分、現場に急行中のハドソンがレーダーで10km先の伊56を捉え、午前4時6分にマーチン・マリナー双発飛行艇が吊光弾が投下。レーダーが示した場所へ到達したハドソンは速力を15ノットに落とし、聴音機による捜索を開始。そして午前4時28分に中深度で爆発するよう設定した爆雷12発を投射する。伊56は水中速力を4ノットに上げて爆雷を回避、爆雷が来ない間は1ノットに下げて微音航行、時折急激な変針を行って撹乱するなど巧みな回避戦術を見せ、ハドソンは伊56を中々仕留められなかった。
ところが午前5時35分からの爆雷攻撃で伊56に損傷が生じたらしく、ハドソンは僅かな爆発音を探知。続いて伊56がいる方向から空気が漏れ出る音を聴き取った。これは伊56がハドソンを狙って魚雷を発射した音であったが、魚雷らしき音響は20秒ほどで途絶えている。午前6時14分、先ほど爆雷を投下した地点から油膜が漂っているのを確認、その下に伊56がいると思ったハドソンは3回に渡って爆雷を投射。
最初の爆雷投下より4時間が経過した午前8時26分、6回目の爆雷攻撃を行った時、海中で爆発が起きるたびに浮き上がる重油と残骸の量が増えていき、波風によって広げられていく。その後、ハドソンはLCS-115と護衛駆逐艦ゲンドロウ、ボウワーズの支援を受けながら36時間に渡って海域を捜索するも、反応が見られなかったため撃沈と判断した。これが伊56の最期である。ハドソンは6回に及ぶ対潜攻撃で爆雷を計53発投下していた。
一方、アメリカ側の資料では4月5日にハドソンが撃沈したのは呂49で、4月18日に沖縄東方160海里で護衛空母バターンの対潜哨戒機が撃沈した潜水艦こそが伊56としている。また行方不明になった米潜水艦スヌークは伊56と交戦・撃沈されたという説もある(ただし日本側の資料には一切ないため仮説の域を出ない)。
余談
伊400型や伊58、伊168といった有名な潜水艦と比べるとイマイチ迫力に欠ける伊56だが、何故かゲームでの出番は比較的恵まれている。
パソコンゲーム『World of warships』ではT8潜水艦として2022年10月に実装。しかも日本潜水艦初の実装である。有名な潜水艦を差し置いて伊56を実装した理由は運営のみぞ知る。ちなみに公式の説明文では海大三型bと誤記されており、おそらく伊156(改名前は伊56)と間違えたと思われる。スマホゲーム『アズールレーン』にも登場し、遂に艦船擬人化を果たす。
関連項目
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