カニバリズムとは、人肉を食す行為のこと、またはそういった行為を伴う宗教活動のこと。人肉食。
語源はカリブのインディアンたちが自分たちを「カリバ」と呼称しており、のちにそれが「カニバ」になまり、17世紀には「カニバル」、18世紀に「カニバリズム」という語になったといわれる。ちなみに語源の「カリバ」とは現地語で「勇敢な」という意味であったらしい。
※(当たり前だが)この記事はグロい話が多いので、苦手な方はページを閉じて戻りましょう。
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人肉を食す行為といっても目的はさまざまである。文明に染まった現代人は、こうした野蛮な風習を感覚的に嫌い、軽蔑し、怒りを示す。「食人は、近親相姦、親殺しと並ぶ人類の三大タブーである」というのが一般的返答であろう。
しかし全ての世界、全ての時代において、食人が強く禁じられていたわけではない。現在の共同体と同じように人間的な社会であっても、人食いを認め命じる社会も当たり前にあった。食人の歴史は原始時代から現在まで殆ど途切れることなく続いている。
しかも人食いを行っていた民族は、多くの場合ほかの民族より文化的、産業的、商業的にはるかに進んでいたケースが多いことが分かっている。1871年にボローニャで開かれた「食人と考古学に関する国際会議」の最終報告では「食人は文化が発展する際に見られる一過程であり、つまり必要なものである。言い換えれば、もともとは果実を常食としていた人間が、その進歩によって人肉食いへと至ることは必然であり、その後宗教思想や人道主義的考えを純化させたことから、このおぞましい慣習を葬り去る結果になった」とまとめている。
散発的な人食いを含まない、人食い人種の人口は19世紀初頭には一億人以上いたと見られるが、20世紀中にその数は半数以下にまで落ち込んだ。これは文明社会の広がりと関連している。中世から近年では、飢饉や遭難や戦争など、食料が枯渇した状態での緊急的な行為として食人が行われた記録が残っている(モアイで有名なイースター島にも、飢餓による人肉食の痕跡がある)
なぜ人類が同胞を食べねばならないのか、という疑問に対する答えは様々であり、重複していることもある
白人が白人を食べる場合をのぞけば、一般に白人の肉は人食い人種から敬遠される。グアドループ島の原住民は、サント・ドミンゴで5人の白人を捕まえて以来、キリスト教徒の白人の肉を断固拒否するようになった。「いつもとは違うものを食べて吐き気を催したので、二度と触ろうともしない」という。プエルトリコでも「何人か食べたあとで重い病気にかかった。以来、殺しても手を付けずにそこに放っておく」という報告がある。しかし白人の肉にもいろいろあるようで、アンティル諸島やラテンアメリカでは、フランス人の肉はスペイン人の肉よりおいしいと考えられた。「スペイン人は食べる前に三日間浸して柔らかくしない限り、固くて食えたものではない」という。
1963年ポリネシアの人食い人種は「アメリカ人はまずくて食べられない」と語った。UPI通信はアメリカ人がまずいのはDDTの乱用のせいで、その脂肪が毒性化していると発信。この新事実にイギリス上院は奮い立ち、イギリスの食人者に中毒性はないのか」と疑問を投げかけた。調査の結果「アメリカ人の人体におけるDDTの割合は100万分の11に達しているが、イギリス人は100万分の2である」と分かった。イギリス人はまだ食べられる。
食べて満足できるのは女性の肉だけ、という考えは多くの人食い人種に見られる。いっぽうでマルキ・ド・サドは「女の肉は、あらゆる動物のメス肉と同様、男の肉より劣る」と記している。これと同意の人食い人種もそれなりの数がおり、中には絶対に女の肉を食べない、という部族もいる。ソロモン諸島の部族には、肥満した男しか食べず、太らせるために去勢する部族が多い。
これ以外の肉の感想、煮炊きの手法については問題になりそうなので割愛。
極限状態における食人で、有名な話をひとつ。
1972年10月13日、フェアチャイルドF272機はアルゼンチンのメンドサ空港を出発し、チリのサンティアゴへ向かっていた。乗客は47人。うち15人はモンテビデオのラグビーチームの選手だった。飛行機はアンデス山脈の上空を飛んでいる時に、乱気流とエアポケットにつかまり山脈の中腹へ不時着した。高度400mの岩と氷だけの世界に生き残ったのは、幸か不幸か乗客の半数以上である30人だった。
彼らはすぐ助けが来るはずと思っていたものの、無事だった無線機から3日目の夜に捜索が打ち切られたことを知って絶望した。機内の食糧はすぐに底をつき、その後、怪我によって3人が死亡。16日目には雪崩に襲われてさらに8人が死んだ。生き残った人たちは薬、練り歯磨き、座席の食物繊維すら食べた。
食べられそうなものが無くなると、彼らは死んだ仲間の肉を食べることを論議しはじめた。葛藤する彼らは、ためらう気持ちを消し去るために「神の思し召し」という考えを強調した。「これは聖餐だ。キリストは我々を求道的生活へ導くために、死んで自分の体を与えた。我々の友人たちは、我々の肉体を生かすために、その体を与えてくれたのだ」
最後には自己保存本能が嫌悪感に勝り、生存者たちは死者の肉片を口にすることを決めた。ある者が火をおこし、焼くことで嫌悪感を乗り越えようとしたが、医学を学んでいた者が「タンパク質は40度以上で破壊されるから、焼いてしまうと栄養価を失う。栄養を摂るなら生で食べるべきだ」と主張した。
気温と気候条件が和らぐと、体力のある人が代表して助けを求めに行くことになった。彼らはもっとも栄養のある肝臓を食べて出発し、10日間の苦難の行程を経てチリの羊飼いに保護された。全員が救出されたのは12月21日のことだった。
当初彼らは草を食べて生き延びたと救助隊員に語ったが、隊員のひとりが切断された遺体を見て「コンドルの仕業かい?」と尋ねると、生存者らは潔く自分たちの仕業と認めた。
なお、食人行為自体は自身で相手を殺害しない限りは、
日本の刑法でいうところの「死体損壊罪」などである。
大岡昇平「野火」や武田泰淳「ひかりごけ」など、カニバリズムを題材とした文学も多く、絵画ではゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」、ジェリコーの「メデューズ号の筏」などがある。
フィクションにおいては、グロテスクな内容であることもあって、基本的にはテレビなどの映像媒体では扱われることは少ない。扱われるにしても、字面のみの場合が大半である。扱うにしても、少なくともR-15指定になる。
小説・漫画などが映像化される際に、人肉食に該当する部分が変更されることがある。例えば週刊少年ジャンプ掲載の「ONE PIECE:内の、サンジと料理長ゼフの回想に(カニバリズムに該当するかは微妙だが)漫画ではゼフが「自分の足を食べた」という表現があったが、こちらもアニメ版では「嵐の海からサンジを助けた際に船体に足をはさんで・・・」というように変更されている。
人肉食を扱った作品が問題視されて大きな非難を呼ぶこともある。例としては、週刊ヤングサンデーに連載されていた沖さやか「マイナス」というサイコスリラー漫画で「主人公の教師が教え子とともに子供を殺して食う話」を掲載したところ、非難の声が上がって掲載号の回収にまで追い込まれている。また、週刊少年マガジンに連載されたジョージ秋山の漫画作品「アシュラ」の場合、飢餓による心の荒廃と人肉食を描いたところ、大きく問題視する報道がなされて、掲載号を有害書籍指定した地方自治体もあった。
ほかの創作ジャンルにおける食人としては、ゾンビものがその嚆矢であろうが、これはもはや一ジャンルといって等しく、ゾンビ関連の用語で検索したほうがよいと思われる。
実際の食人部族のドキュメンタリー
映画化もされた有名小説「羊たちの沈黙」シリーズの登場人物である「ハンニバル・レクター」博士は、人の臓器などを食す嗜好の持主で、作中で「人食いハンニバル」「ハンニバル・ザ・カニバル」との呼び名を持つ。
映画版では表現がややソフトになっているので、作品の雰囲気を楽しみたい方は小説版をお勧めする。
ところで前頭葉のソテーって美味いんだろうか?
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最終更新:2024/04/26(金) 22:00
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