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バルセロナ
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バルセロナ(Barcelona)exitは、スペイン北東部の都市カタルーニャ州の州都である。

1992年バルセロナオリンピックが開催された。

タグとしてはサッカークラブチームFCバルセロナ」、バルセロナオリンピックのこともす。

位置と気候

地中海に面した位置exitにあり、湿度が少し高い。

スペイン内陸部の首都マドリッドで冷蔵庫から冷やした飲み物を取り出しても結露しないが、
バルセロナで同じ事をすると結露する。

均最高気温は28.0度で、暑すぎず涼しすぎず快適。

均最高気温は13.4度、最低気温は4.4度で、日本鹿児島市とほぼ同じ。

は滅多に降しない。

砂浜とリゾートホテル

均最高気温は28.0度なので、で遊ぶのにピッタリのリゾート地になる。

一番人気ラ・バルセロネータexitで、場所はここexitにある。は地元民や観光客でごった返す。

ラ・バルセロネータ南の端exitにはWバルセロナ・ホテルexitがあり、帆の形をしている。

ラ・バルセロネータ北の端exitにはホテルアーツバルセロナexitがあり、高さ154mの44階建てである。
このホテルの前にはフライングフィッシュexit五輪記念のオブジェ)がある。

ホテルアーツバルセロナの隣にそっくり同じ高さのビルが並んでいるexit
このビルトーレ・マフレ(Torre Mapfre)といい、これも高さ154mの44階建てになっている。
こちらはホテルではなく、オフィスビルになっていて、様々な企業が入居している。
ちなみにマフレ(Mapfre)はスペイの保険会社。

ホテルアーツバルセロナとトーレ・マフレ1992年バルセロナオリンピックに合わせて建設された。
このツイン・ビルの麓exitポート・オリンピックという港があり、
これも1992年バルセロナオリンピックに合わせて建設され、セーリングの競技会場になった。
現在はビーチで遊ぶ観光客向けのボートが並んでいる。exit

新市街・アシャンプラ

バルセロナでは19世紀にスペインで一番産業革命が起こり、周囲からどんどん人が移ってきた。

増えた人口を受け入れるには旧では不足するようになったので、を破壊して、
新しく地を拡することにした。

1辺133.4m四方の正方形を一区画にして、状の整然とした区画で地を拡していった。
この新地をアシャンプラexitといい、場所はこの区画exitになる。航空写真だと碁盤目状がよく分かるexit
アシャンプラとは「拡された」という意味を持つ造語

ガウディの建築群

18世紀末から19世紀初頭にかけてのバルセロナにはアントニ・ガウディexitという大建築家がいた。
資金援助してくれるパトロン恵まれた彼は遺憾なく才を発揮、数々の名建築を創り上げていった。

サグラダ・ファミリア

exit_nicocommons

アシャンプラこの場所exitにある高さ172mの大教会。exit

ニコニコ大百科の個別記事あり(→サグラダ・ファミリア

57階建てビルに相当し、バルセロナの徴となっている。

1辺133.4m四方の正方形区画を丸々使用している。

熱心なカトリック信者だったガウディが宗教的情熱を注ぎ込んで設計した。

現在もなお建設中で、いつもクレーンが忙しく動いているexit

かつては資金と技術力の不足で「完成まであと300年かかる」などと言われていたが、
近年はバルセロナへの観光客の増加による寄付金の増収、コンピュータ3Dプリンタ
コンピュータ制御加工機の進歩などで工期が大幅に短縮できる見通しになった。
ガウディ100周年の2026年完成予定とされている。

こちらexitが建設者の公式動画で、さらにを追加して建築するつもりらしい。

塔の内部にはエレベータがありexit、上部まで行って展望を楽しむことができるが、
エレベータの前にはいつも大行列ができていて、たっぷり待たされる。

カサ・ミラ

アシャンプラこの場所exitに、カサ・ミラexitがある。

アントニ・ガウディが実業夫妻のために作った集合住宅。

直線を使わず曲線のみで作られた建築物で、地中海真っ白を連想させる。
外観はこのようにグニャグニャまがっているexit。内装もこのようにグニョグニョまがっている。exit

天井こんな感じexitで、かき混ぜた後のコーヒーのような曲線が印的。

屋上にはガウディの趣味全開といった感じのオブジェexitが並んでいる。
そのオブジェの中には輪を持つものがあり、その輪を通して遠くのサグラダ・ファミリアを撮影できるexit


アシャンプラの区画は正方形で、辺が南西と南東を向いている。
1ヶ所のの部分の建物のみが南向きで、太陽をたっぷり浴びることができる特等席である。
カサ・ミラも南の角の建物でexit太陽に照らされて石灰岩を使った外いている。

完成当時は見たの異様さから地元民に「石切場のようだ」と揶揄されるほどで、人気がなかった。
賃の高さと評判の悪さでなかなか借り手が見つからず、「契約したら3世代にわたって賃を上げない」
という破格の条件で釣って、やっと借り手が現れた。現在でも4世帯の住民が賃貸住宅として住んでいる。

カサ・バトリョ

アシャンプラこの場所exitに、カサ・バトリョexitがある。

繊維業を営む富のために、もともとあった建物をガウディが改築した。

屋上竜のうろこに見えるものexitがある。

バルコニー骸骨にしか見えないexit

面を綺麗なモザイクで彩っているexit

内部の吹き抜けは青や白のタイルで彩られexitを連想させる。

カサ・バトリョは新アシャンプラ北向きの角exitに位置していて、あまり太陽を浴びない。
外観が青い建物exitなので、日にあることでさが引き立つようになっている。

カサ・バトリョの所有者はエリックベルさんで、日本でも売られているチュパチャップスexitの創業者。

グエル公園

バルセロナ地から北に離れた丘の上exitに、グエル公園exitがある。

大富豪エウゼビ・グエル伯爵exit英国式の庭付き邸宅がほしいと言いだし、
アントニ・ガウディと2人で作ることになった。

ノリノリで作ったはいいが、地から遠く離れていて不便であることが災いし、
60棟の建設予定なのに2棟しか売れなかった。買ったのはグエル伯爵とガウディだけ。
トホホな結果になってしまった。

グエル伯爵が購入した邸宅はこちらexitで、現在小学校として使われている。

ガウディが購入した邸宅はこちらexitで、ガウディが晩年まで家族と共に住んでいた。
現在はガウディ博物館になっている。
建物自体はガウディの友人建築家が設計したもので、ガウディ建築ではない。
建物は綺麗だがごく普通というか常識的なもので、内装もごく普通

正門の前に2つの建物があり、こちらexit管理事務所(現在は売店)exitで、こちらexit守衛の家exit
どちらもヘンゼルとグレーテルのお菓子の家exitイメージして作られている。
Googleマップを3D表示にすると面白いexit

正門からちょっと進んだここexitには、トカゲというか竜のオブジェexitがある。

グエル伯爵から「今回の企画にはギリシア神話を取り入れてほしい」と言われたガウディは、
各所にギリシア神話ゆかりオブジェを作っている。

階段を上っていくとこの場所exitに着く。ここは広場で、標高も高いため地が見渡せる。
広場の縁はベンチになっていてexit、背もたれ部分に綺麗なモザイクを施してある。

この公園にはそこら中にモザイクがびっしり貼られているexit
このモザイクはアントニ・ガウディの片腕の建築家ジュゼップ・マリア・ジュジョールexitが担当した。

道路を支える柱の部分exitは「洗濯女の回廊」と言われている。

モンジュイックの丘

バルセロナの南西にモンジュイックの丘がある。

標高185mの小高い丘exitで、外からやってくる敵がよく見える。
このため紀元前の古代から軍事的に重要な拠点だった。

が伝来して大砲が作られるようになると軍事的価値がさらに高まり、この場所exit
モンジュイック城exitが建設され、大砲が備えられたexit
西からを越えてくる陸軍や港を襲ってくる海軍大砲撃したり、
あるいはバルセロナ内に大砲を撃ち込んで反乱を企てる群衆を牽制したりした。

こういう場所だったのであまり人が寄りつかず、広い土地が余っている場所だった。
その状況が20世紀初頭まで続いていたが、1929年にバルセロナ万国博覧会が開かれると決まってから、
このモンジュイックの丘が開発されるようになった。

そして1992年バルセロナオリンピックの際もモンジュイックの丘周辺が競技会場とされ、
さらに開発が進んだ。現在では丘の各所に観光名所が出来上がっている。

エスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス

丘の中央exitエスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニスexitがある。

1929年のバルセロナ万国博覧会の際に建てられた。
1992年バルセロナオリンピックの際に改築され、メイン競技場になった。

陸上競技場と兼ねるタイプサッカースタジアムとして、地元のサッカークラブである
RCDエスパニョールメインスタジアムとして2009年まで使用されていた。

歌手のコンサート会場exitとしても使用される。

パラウ・サン・ジョルディ

丘の中央exitパラウ・サン・ジョルディexitがある。っぽい屋根で覆われた屋内競技場。

1992年バルセロナオリンピックに向けて建設され、バスケバレーハンドボール体操
競技会場になった。設計者は日本人建築家磯崎新exit

現在では歌手のコンサート会場exitバスケの大会exitハンドボールの大会exit水泳の大会exitに使われる。

バイクレースファンには毎年12月に行われるスーパープレスティージオ(Superprestigio)exit
会場としておなじみ。このときは会場に土を敷き詰め、土の路面を走行するバイクレースする。
こんな感じのレースexitをする。

モンジュイック・タワー

丘の中央exitモンジュイック・タワーexitがある。

1992年バルセロナオリンピックに合わせて、スペインバレンシア出身の建築家である
サンティアゴ・カラトラバexitが作った
この人は建築物を作るのが好きで、この真っ白な姿をしている。

建設当時はただのシンボルタワーだったが、後に通信機が備えられた。

カタルーニャ美術館

丘の北側exitカタルーニャ美術館exitがある。略称MNAC

1929年のバルセロナ万国博覧会の際に建てられた。
1992年バルセロナオリンピックの際に改築され、国立の大規模美術館になった。

殿のようなな外見になっている。バルセロナの交通の要地であるスペイン広場から
南東に進むとこの美術館がっ先にに入る。この美術館がモンジュイックの丘の顔といえる。

その名の通り、カタルーニャ地方美術作品を大量に収集して保管している。
1日ではとても見て回れない。

赤いロープウェイ

モンジュイックの丘にはロープウェイで行くことができる。

このロープウェイTeleférico del puertoexitと言う。体が印で、24人乗り。

から登っていく場合の始点この場所exitにあるTorre San Sebastiánexitというで、高さは86m。
一番人気ラ・バルセロネータexitに近く、は人で行列ができ、1時間程度待たされる。

途中でこの場所exitにあるというTorre Jaume Iexitというを通る。高さは107m。

モンジュイックの丘の終点この場所exitTransbordador Aeri del Port Estacion de Montjuic
というで、ここは標高57mとなっている。

走行速度は毎3mで、始点と途中の間は651m、途中終点距離は652m。
途中で一休みするので、始点終点の間を10分程度で移動できる。
が強いときは営業を停止する。

黒いロープウェイ

ロープウェイTransbordador Aeri del Port Estacion de Montjuic駅exitまで来たはいいが、
この場所はまだまだ低い場所で、そんなに眺めがよくない。

モンジュイックの丘で一番標高が高いのは
モンジュイック城exitなので、そこまで移動したい。

そこで役立つのがもう1つのロープウェイで、
Teleférico de Montjuicexitという。
体が印。こっちのロープウェイの方が運賃安めとなっている。

旧市街のランブラス通り

バルセロナは紀元前からの歴史のある都市で、海洋貿易をすることで発展してきた。

そのため港付近に旧ができて、それをで取り囲んでいた。
特に歴史が古いのはシウタ・ベリャ区exitで、このあたりが旧だと考えておけば良い。

アシャンプラ正方形の区画で、旧は雑然とした区画になっている。
航空写真で見てみるとexitと旧の違いがよく分かる。

この旧を貫くのがランブラス通りexitで、1.2kmの緑色の並木道exitが続いていて、常に人で賑わう。
カフェレストランがそこら中にあり、大芸人がやってきて芸を披露するなど、市民憩いの場である。

もともとはが流れるところだった。現在は地下に路を作ってを流している。
「ランブラ」とはスペイン語路という意味。

現在のバルセロナ地元民はランブラを「ぶらぶらと散策する」という意味で使うようになっている。
ぶらぶら歩きが楽しい繁で、観光スポットがいくつもある。

カタルーニャ広場

ランブラス通りの一番北exitに、カタルーニャ広場exitがある。

アシャンプラと旧に位置していて、文字通りバルセロナの中心に位置する。
広場には綺麗な噴水がある。

何かあったらここに人が集まる。

世界的強サッカークラブであるFCバルセロナ優勝を決めると、ここに大量の人がやってきて、
通しお祭り騒ぎする。スペインだからやっぱり爆花火
綺麗な噴水奮したファンたちが飛び込んでしまう。

大晦日はここに人が集まり、カウントダウンが行われる。
動画検索すると大騒ぎする市民の様子exitがいくつもヒットする。

ラ・ボケリア(サン・ジュゼップ市場)

ランブラス通りのこの場所exitに、ラ・ボケリア(サン・ジュゼップ市場)exitがある。

野菜果物魚介類・と食材なら何でもう大きな市場

かつてこのあたりにサン・ジュゼップ修があり、そのため正式名称はサン・ジュゼップ市場という。

現在ではラ・ボケリア胃袋という意味)という通称で呼ばれることの方が多い。

リセウ大劇場

ランブラス通りのこの場所exitに、リセウ大劇場exitがある。

ヨーロッパオペラ劇場で、オペラバレエクラシックコンサートが行われる。

グエル邸

ランブラス通りのこの場所exitに、グエルがある。

アントニ・ガウディ大富豪エウゼビ・グエル伯爵exitのために腕を振るって作った邸宅。

外観はこのようにかなり地味exitだが、内装は木材を多く使って工夫を凝らした装飾exitが施されている。

建築当時は交通手段だった。そのため床を木製にしての蹄の音がかないようにしたり、
の臭いがこもらないように通しをよくしたりと、実用性にも気を遣った設計になっている。

内部のサロンは吹き抜けexitになっていて、天井から太陽を取り入れて明るくなっている。
貴族らしい気品と開放感が両立した間になっていて、招く客をことごとく満足させた。

4階建て建物屋上にはガウディらしいヘンテコなオブジェexitがいっぱいある。

コロンブス記念塔

ランブラス通りの南の端exitに、コロンブス記念塔exitがある。

高さ60m、像の部分だけでも7mある巨大なができたのは1888年のバルセロナ万国博覧会のとき。

コロンブスイタリア・ジェノヴァ出身の乗りだが、実はカタルーニャ人ではないかという
説もまことしやかにささやかれている。

また、コロンブススペイン王室の資金援助を受けて航し、航が終わったら
バルセロナに滞在しているイサベル女王のもとに謁見して報告している。
ちゃんとバルセロナには縁がある。


の中には4人乗りの小さなエレベーターがあり、展望台にまでいくことができる。
コロンブスの足の下にガラスりの部分があり、そこが展望台になっている。

FCバルセロナとRCDエスパニョールの地元

世界的強サッカークラブであるFCバルセロナの地元のバルセロナ。

市街地西のこの場所exitに本拠地スタジアムのカンプ・ノウexitがある。「新しいスタジアム」という意味。
約10万人を収容できるヨーロッパ最大級のスタジアムで、歌手のコンサートexitにも使われる。

ユニフォームの色と同じく、観客席もに塗られている。
観客席には「MES QUE UN CLUB」と書かれている。「単なるサッカークラブ以上の存在」という意味。

二輪レースの最高峰であるMotoGPレース開催前に何らかのプレ・イベントを行うのが恒例だが、
2013年カタルーニャGPの前にはカンプ・ノウでライダー同士の親善試合をしているexit
サッカーを贅沢にもカンプ・ノウで行っている。みんなウキウキ笑顔で楽しそう。

こちらexitカタルーニャ州出身でバルサ大好きマルク・マルケスサッカースーパースター同士の画像。


FCバルセロナは強なので、しょっちゅう優勝している。
優勝するたびに祝勝パレードが開かれ、スター選手を乗せたトラックがノロノロ運転し、
それを大勢のサポーターたちが出迎えるexit

この動画exitによると、この場所exitにあるバルセロナ凱旋門exitからスタートして、カタルーニャ広場exitを通り、
人の数が少なくなってくるこの場所exitでパレードを終える、そういう流れらしい。



バルセロナにはRCDエスパニョールというサッカークラブもある。

市街地から西に離れたこの場所exitにあるエスタディ・コルネリャ=エル・プラットexitメインスタジアム。

このスタジアムにはインコの着ぐるみのマスコットexitが出現する。

その他の市街地の観光名所

トーレ・アグバール

この場所exitトーレ・アグバールexitがある。

噴き上がるイメージして作られたというが、地元民には座薬よばわりされてしまっている。

144.4mの高さで地上34階・地下4階の巨大オフィスビルで、様々な企業が入居している。

4500個のLED照明が取り付けられていて、金曜日土曜日祝日綺麗にライトアップされるexit

サンタ・エウラリア大聖堂 

この場所exitサンタ・エウラリア大聖堂exitがある。

地元の人が「大聖堂」というとこのサンタ・エウラリア大聖す。

バルセロナ大司教座が置かれるとても格の高い教会で、ゴシック様式の建築も重厚で立だが、
バルセロナというとサグラダ・ファミリアとなっていて、この教会はあまりクローズアップされない。

カタルーニャ音楽堂 

この場所exitカタルーニャ音楽堂exitがある。

リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーexitというバルセロナを代表する建築家が作った。
バルセロナというとアントニ・ガウディが有名で、ムンタネーはその陰に隠れてしまっているが、
この人も時代を画する大建築家といえる。

外装はこんな感じexitで、細やかな彫刻やモザイクられた柱が見える。

内装はこんな感じexitで、ステンドグラスの天井exitがある。太陽黄色く、夜は人工照明で青くなるexit

サン・パウ病院

この場所exitサン・パウ病院exitがある。

2009年まで実際に病院として使われていた。

この建物もムンタネーが設計した。「芸術病人を癒すことができる」という信念のもと作られ、
明るく暖かな煉瓦色の外観、細やかで麗な彫刻が印的。
内装もピンク色やパステルカラーが多くexit病人恐怖心を和らげる配色になっている。

サン・パウ病院の隣の新アシャンプラは正方形の区画で、建物が南西や南東を向く格好になる。
ところがサン・パウ病院南を向いている。航空写真で見てみると違いが分かるexit
太陽をしっかり取り入れて病人の治癒に役立てようとする意図がある。

サン・パウ病院の南には一直線にが延びている。
よく見てみると、新市街・アシャンプラの正方形区画が2つに割れている。exit
地元行政が気を利かせて、住民を立ち退かせて、わざわざ道路を作った。
長い道路間があるので、新鮮な空気がサン・パウ病院に吹き込むようになっていて、
病人の治癒に役立つようになっている。

この道路の先にはサグラダ・ファミリアがありexit病院の敷地内を散歩する患者たちが
大聖堂を眺めることができる。気が滅入った患者たちの精神に好が与えられることが期待できた。

48棟の病棟があるが、初期に作られた10棟の病棟が最も芸術的に凝った作りになっている。
資金不足になり、残りの建物は簡素な作りになっている。

全ての病棟は地下道でつながっていてexit、医療上の利便性も追求している。

アレーナス・デ・バルセロナ

この場所exitアレーナス・デ・バルセロナexitがある。

1900年に闘場として建設され、1977年まで実際に闘が行われていた。

1999年不動産会社が買い取り、内部を近代的に改装してexit
2011年ショッピングセンターとして再オープンした。夜は綺麗にライトアップされるexit

市街地の外の観光名所

モンセラート修道院

地から北西に40kmほど離れたこの場所exitに、モンセラート修道院exitがある。

このあたりは奇妙な岩山ばかりexitで、その岩山の中腹にへばりつくようにexit院が建っている。

バルセロナの地からの行き方は、まず、このあたりの地下exitにあるスペイン広場に行き、
カタルーニャ鉄道R5線のManresa行きに乗り、Monistrol de Montserrat駅exit乗り換える。
ラック式鉄道exit(2つのレールの間にの付いたレールが1本敷いてあり、歯車で進んでいく鉄道)で
この駅exit通過して、ぐるっと回り込んで(あまりにも急な勾配なのでまわりこむ線路にした)
修道院直前のこの駅exitに辿り着く。修院は標高725m。

院には黒いマリア像exitがあり、「触ると幸運が訪れる」という言い伝えがあるので皆ベタベタ触る。
ぶ厚い防弾ガラスガッチリ防護されているが、右手と玉だけはいてるのでそこを触る。

また、声変わりする前の少年たちによる聖歌隊exit合唱も上手で評判がよい。



修道院そばのここexit緑色ケーブルカーがあり、ここから急な傾斜をゆっくり登ることができる。

サン・ジョアン駅exit終点で、そこから少し歩くと標高1236mの最高峰に到達できる。
らしが非常によい。

コルセローラの塔

地の北西の丘にコルセローラの塔exitという高さ288mのテレビ向け電波塔がある。

これも1992年バルセロナオリンピックの際に建てられた。

MotoGPで開催地を紹介するビデオを作るとき、空撮でこの塔と市街地を映す映像exitが多い。

カタルーニャサーキット

地から山を越えて北に20km以上離れたこの場所exitに、カタルーニャサーキットがある。

個別記事あり(→カタルーニャサーキット

こちらも1992年バルセロナオリンピックの際に建てられて、自転車競技の会場になった。

F1MotoGPが毎年開催されている。

「つ」の字の巨大なメインスタンドexitがあり、ここに座っているとエンジン音がよくく。

バルセロナの有名人

アンナ・ヴィヴェス

バルセロナにはアンナ・ヴィヴェスというデザイナーがいる。
この人はダウン症を患っているが奇抜な色彩感覚が売りのデザイナーでもある。
バルセロナに縁があるスポーツ選手やスポーツ団体が彼女コラボすることがある。

2013年8月にはFCバルセロナのユニフォームのデザインexitを作った。

二輪レースの最高峰であるMotoGPにおいてもホルヘ・ロレンソコラボしていた。
ヤマハ時代のホルヘ・ロレンソは、カタルーニャGPでいつものデザインのゼッケンを付けず、
アンナ・ヴィヴェスさんの作ったデザインのゼッケンexitを付けるのが恒例だった。
2013年にはアンナ・ヴィヴェスさんが表彰台でホルヘにトロフィーを贈呈しているexit

アクセス

バルセロナの玄関口市街地から西に離れたこの場所exitバルセロナ・エル・プラット空港で、
ヨーロッパ都市から多くの観光客を迎え入れている。

もう1つの玄関口市街地の西exitにあるバルセロナ・サンツで、
高速鉄道AVE普通鉄道地下鉄が乗り入れている。
高速鉄道AVEでマドリッドとバルセロナは3時間程度で結ばれている。

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1 ななしのよっしん
2008/10/21(火) 16:28:42 ID: KpR4G0343s
カタルーニャ語の記事作ってほしいな
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2 ななしのよっしん
2009/01/11(日) 01:42:10 ID: Qj5HrhC1m9
>>1
カタルーニャ語の記事作ったよ
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3 ななしのよっしん
2011/04/07(木) 04:11:04 ID: +W+ZteiQV+
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4 ななしのよっしん
2012/03/28(水) 05:19:00 ID: uXqYYwAniG
ヒョー
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5 ななしのよっしん
2013/01/20(日) 02:04:18 ID: U40ujqLbLV
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6 ななしのよっしん
2013/11/29(金) 11:09:07 ID: 55OsqR9iBH
めっちゃ綺麗な
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