ヴォイニッチ手稿(Voynich manuscript; MS 408)とは、20世紀前半に古物商ウィルフリッド・ヴォイニッチ(Wilfrid Voynich; Michał Habdank-Wojnicz 1865-1930)により公開された古文書で、未解読の文字とともに多くの不可解な挿絵が描かれていることで有名。
ヴォイニッチの主張によると彼は1912年にイタリアで同書を発見し購入、自身の手で解読を試みるも失敗し、以来各方面に解読を依頼するも成功しなかった。彼の死後、手稿は1969年にイェール大学付属バイネッキー稀書・写本ライブラリーに寄贈され、現在ではインターネット上で閲覧が可能となっている。
手稿の内容は全部で5つの章からなると推察され(目次、索引に当たるページは存在しない)、先頭から順に
植物…頁の大半が(実在のものかは定かではない)植物の挿絵と謎の文字列による組合せで構成されている。
天文…黄道十二宮と思しき図や、中心に人の顔が描かれた天体図らしき挿絵が描かれている。
生物…浴槽らしき場所に集団で浸かる人間の絵が描かれている。
薬草…植物に加えて、筒状の物体などが描かれている。
終章…文章のみ。補遺、或いは用語集か。
となっている。文章全体にわたって未解明の文字による何らかの記述が為されている模様だが、天文の章に描かれた図中のみ例外的にラテン・アルファベットとして識別可能な文字による記述が何箇所か見られる。
◆手稿のほぼ全ページにわたって書かれた独特の文字が一体何であるのかは未だ定かではない。専門家の間では暗号文の一種であるという説が主勢を占めているが、元の文章は何語であるか、どのような暗号化プロセスが用いられているのかといった疑問の手掛かりは殆ど得られていない。
ヴォイニッチ手稿には明らかに欠けていると思われる箇所が存在しており、その部分は鋏の様に鋭利な刃物で切取られたような切れ痕をしている。恐らくは手稿を作成した本人か、手にした人々の内の誰かが意図的に行ったものであろうと推測されている。
具体的な箇所はそれぞれ12、59、60、61、62、63、64、74、91、92、97、98、109、110枚目で、現存する頁数は230ページからこれら28ページ相当を差し引いた200ページ余となる。
放射性炭素年代測定により手稿に使われている羊皮紙が制作されたのは1404年~1438年頃という結果が出ている。
文字については旧来全く意味を為さないでたらめな記号の羅列であるとも言われて来たが、コンピュータ解析により一定の言語学的規則を有している事が明らかになっている。※
◆ヴォイニッチ手稿を解読したと主張する人々及びその発表内容については後述。
※『文書クラスタリングによる未解読文書の解読可能性の判定-ヴォイニッチ写本の事例』等参照
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本書の挿絵は全て彩色が施されている。使われている色は緑・黄・青・赤・茶で、やや粗雑ではあるがこれらの色を用いて塗り潰されている。画材については不明な所が多く、絵具については美術史家などによる分析でルネサンス当時に入手可能だった色と一致しているという結果も出ているが、未知の材料が用いられている可能性もある。筆材についても定かになっていないが、筆触は所々に掠れが見受けられる為、毛筆のようなものにインクを継足しながら書いていったものと思われる。
挿絵に描かれている対象は植物が中心で、人間はそれに比べると比較的小さく描かれている。動物も描かれてはいるが僅か数ページに現れるのみで、全体的には影を潜めている。
挿絵には美術絵画の手法であるパラレル・ハッチング(一定の面を平行線で埋める技法)が用いられており、これは15世紀中葉(1440頃に登場したとされる)にフィレンツェで始まり、その後ベニスなどに広まっていった方法であるため、羊皮紙の推定製造年代よりもやや時代が遅れている。
天文の章に描かれている、円の中心部から四葉の放射状に拡がる星団の図(f68r右)や襞状の胞体とそこに向かって渦巻を描くように文字列が書かれている図(f68v左)、七葉の放射上に拡がる星団の図(f86v下中央)などについてはLJS 443(15世紀前半のものと見られる古代アルメニア語で書かれた手稿で、暦についての専門的知識やその註釈を含んでいる)との類似性が指摘されている。
挿絵と並び本書を巡る議論の的になっているのが謎の文字である。ヴォイニッチ文字、ヴォイニッチ・アルファベットなどと称されるこれらの文字は先述の通り未だ解読に至っていないが、西洋諸言語と同様左から右、上から下に読むであろうと推定されている。
基本的な文字の種類はラテン文字とほぼ同数で、形状などから対応付けした専用フォントも既に制作されている。記号や句読点、数字に当る物が含まれているかは定かではない。大文字・小文字の別は無いものと予想されるが、文頭・行頭の字に上部が大きく右側に突き出た書体のものが屡々見受けられるなど変則的な字形もある。これが単なる修飾なのか何らかの意味・役割が込められているのかも不明で、解読者達を悩ませる箇所の一つとなっている。
手稿に書かれた文字列に共通する特徴として以下のような事項が挙げられる。
文字についてはラテン語速記体との類似性も指摘されており、例えば"୨"についてはcon,cum,comと言った語や尾辞の-is,-us,-osに対する略記によく似た字形が用いられている。他にも&に似た文字など、幾つかの略記体の形が手稿に使われている文字に極めて近い形状をしていることが確認出来る。こうした略記法が多用されている場合、文字量に比してその記述内容はかなりのボリュームになる可能性が高い。
しかしこれら既知の速記体がそのまま用いられていれば疾うに解読が成功を収めているに違いなく、仮にそうした略体が本書に用いられているとしても更にアレンジを加えたり、暗号術などと組合せて利用しているものと予想される。
また、挿絵の合間にも文字が記されているという点も重要なポイントになる。
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ヴォイニッチ手稿の中身やそれが書かれた目的については公開以来様々な説が唱えられて来ており、言語学・暗号学の専門家による分析・推察の他インターネット上でも数多く解読の試みが為されて来ている。上項では専門家が研究結果として明らかにしてきた内容や手稿を一読して容易に読み取れる事実を記載したが、ここではその様々な説を纒めて紹介する。
本書に登場する挿絵を巡ってはそれが果して実在のものか、架空のものなのかで意見が割れているが、その内容の一部または全てが実際にある事物を写生したものであるという考えに立つ説。つまり文字列の記述内容はさておき描かれている挿絵はスケッチの一種であるとする。
前半に描かれている植物らしき絵はそのまま植物の絵として理解出来るが、後半の章に記されている図は直感的にそれが何を指しているのか把握が難しい。中でも薬草の章に何十と様々なバリエーションで現れる筒状の物体は一見して何物かを窺い知ることは困難だが、これが当時の顕微鏡を描き写したものではないかという考察がある。また、それに従って天文や生物の章にある図絵を読解いた結果、これらは顕微鏡を用いて観察した植物の細胞や微生物ではないかという見解に至った説もある。
他にも天文の章に円と、それを取巻くように描かれている★型のマークと渦は今日渦巻銀河として知られる、望遠鏡を用いる事で観測可能な天体を描いたものであるという説や、曼荼羅状に配置されている大型図は城塞都市の見取り図であると言った説が流れている。
ヴォイニッチ手稿は写本(codex)という呼び方もされており、内容はさておき手稿が原本ではなく別の本の内容を写し取ったものであると推察する者もいる。根拠としてその筆致が一定で、かつ書損じと見られる部分が極めて少ない事が挙げられている。
本説が正しかった場合手稿に記載されている内容は羊皮紙の作られた年代より更に遡る可能性が出て来る。
当時のキリスト教世界から異端と見做されていた少数派がその教義を暗号文または独自の記法体系を用いて書き留めたものであるという説。本書の内容はその挿絵から窺う限りキリスト教と直接関係するように思われないが、「生物」の章で十字架らしきものを左手に掲げる人の姿が描かれているページ(79v)が存在する事などから、何らかの関連を持っている可能性がある。
代表的なものでは1987年に出版されたレオ・レビトフ氏の著作※があり、同書で手稿はカタリ派信徒によって書かれた典礼であるとの持論を発表している。またその内容はグノーシス主義と関わりが深いと考えている研究家もいる。
※Solution of the Voynich Manuscript: A Liturgical Manual for the Endura Rite of the Cathari Heresy, the Cult of Isis
手稿の内容が錬金術に関係しているとする説。錬金術と天文学との関係は密接であり、例えば9-10世紀に活躍したペルシアの錬金術師アル・ラーズィーは工程を本書にも描かれている黄道十二宮に対応させる形で凝固・溶解・蒸留などの12種類に区分し、それぞれの星座の記号を用いて表している。
またヴォイニッチ手稿を購入したという記録が残るルドルフ2世は錬金術に対する興味が深かった事で知られ、手稿の他にも多くの曰くつきの書物を収集していた。そのため彼が購入した動機も錬金術絡みであったと想像されており、本書をそんな皇帝の趣味に乗じ金目当てで高く売り付けるため適当に拵えた紛い物ではないかと推測している人々も多くいる。
各ページに描かれている植物らしき絵は錬金術の奥儀を、弾圧する人々の眼を逃れる為植物に見立てて描いた物だという説も唱えられており、メソポタミア神話やカバラーに登場する「生命の樹」などをモチーフにしているという。
手稿に描かれている植物を薬草であるとし、謎の文字で併記されている内容はそれらから作る薬の調合法ではないかとする説。かなり早期から出ている説で、知られているものでは1931年に医師のレオネル・C・ストロングがアンソニー・アスカムの著書であるとする研究を発表、同時に解読結果に基づいたとされる処方箋も公開しその効能が認められたが、手稿の解読に至った過程が本人から明かされなかった為確かな所は判っていない。
手稿の内容は古代文明の知識を書き伝えたものであるという論説で、近年錬金術書説に並び盛んに論じられている。
キリスト教化以前の欧州文化に関係するものだとする主張は西洋では多くの人々が投げかけており、特にルーン文字を用いた諸文化に関係するものであるという考えがある。ハヴァマールなどのルーン歌謡集や、ヨイクのような伝統歌唱はキリスト教の賛美歌が主流となる以前は盛んに歌われており、これらを密かに伝える目的で書かれたものではないかという説などがある。
メソアメリカ文明圏、とりわけアステカ文明との係わりを指摘する声としてはアメリカ国防総省の元情報技術者と米国デラウェア州立大学名誉教授が2013年に発表した論文※がある。彼らはヴォイニッチ手稿の中に出てくる 37種類の植物および 6種類の動物の特定に成功したと主張しており、また手稿中に書かれている言語についてはクルス・バディアヌス写本にも使われている古代ナワトル語との関連性が高いと推測している。
※"A Preliminary Analysis of the Botany, Zoology, and Mineralogy of the Voynich Manuscript"
手稿が日記として書かれたとする説。日記とは一日を振り返って主な出来事や感想、作業の進捗状況などを独白形式で書いたもので、通常日付やその日の天候などを明記するため、少なくとも同書が普通の日記帳の流儀に則って書かれているとは考えにくい。夢日記やそれに類するものであるという可能性を入れても、本が章立てと思われるページ構成をとっている事や、前もってそこに大図版を描く事を想定して挟んだと考えられる折り畳み式頁(2*3の6㌻分の長さ)の存在など、ヴォイニッチ手稿が日記として書かれたと考えるには幾つかの難点が存在する。
オーパーツとは"out-of-place artifacts"の略で発見された場所や時代にそぐわない工芸品の事であるが、先史文明の遺産や飛来した宇宙人の遺留品といった超文明的産物を想定し、それらを指す言葉として用いられる。
本書をオーパーツと看做す場合、手稿そのものからしてそういった超常的所産であるか、或いは記述内容にそのような高度な内容が記されている事を前提していると考えられるが、材料である羊皮紙に関しては15世紀当時には既に製法が確立されていたため、やはり記述内容如何である。
本書を地球外生命体からの接触によるものだとする主張はJames E. Finn氏などが行っており、著書Pandora's Hope(2004)や2001年にWeb上に書かれた論考(The Voynich Manuscript: Extraterrestrial Contact During the Middle Ages?)に詳しい。
ヴォイニッチ手稿に記された文字列が楽譜(文字譜)を構成しているとする説。なお本説及び手稿との関係は不明だがヴォイニッチ手稿という曲名のクラリネット四重奏も発表されている。
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◆ヴォイニッチ手稿には書簡が挟まっており、その内容から当時どのような人物が本書を手にしていたかが明らかになっている。
◆著者については公開以来様々な説が立てられてきているが、未だに確定されてはいない。歴史上に名を残す人物としては以下の人々が挙げられている。
※Anthonie Ascham his Treatise of Astronomie, declaring what Herbs and all Kinde of Medicines are appropriate, and also under the influence of the Planets, Signs, & Constellationsなど8冊余が知られる。
またウィルフリド・ヴォイニッチ本人による創作であるという説も立てられている。ヴォイニッチ自身がどの程度暗号学や言語学に通じていたかは不明だが、彼の妻は記号論理学の研究で知られるイギリスの数学者ジョージ・ブールの末娘であり、彼女を通じて論理学や数学の知識を得たり、共同で手稿解読(もしくは作成)に当たっていた事も考えられる。ただヴォイニッチによる創作であった場合、手稿に挟まっていた17世紀のものとされるラテン語書簡などについてもヴォイニッチ本人が捏造したという事にもなるため、そうした偽造を行う技術が彼またはその協力者達にあったのかについては疑問が残る所である。
上に挙げられている人々はいずれも歴史上の人物としてその名を残しているが、最大の問題は彼らの内でその生没年が手稿の推定製造年代とされる1404年~1438年頃と被複している人物は一人も居ないという点である。最も近いのはダ・ヴィンチ(1452-1519)だがそれでもやや時期がずれている。
ヴォイニッチ手稿は曼荼羅状の図が描かれているページからも窺えるように特殊なページ構成をしており、こうした造りがどういった絵図をどこに記すか予め計画した上で発注(または自製)した事によるものであれば手稿が著された時期は羊皮紙が製造された時期と極めて近いものと考えられる。測定結果がどの程度正確かという問題もあるが、この推定年代に活躍した人物の中でヴォイニッチ手稿を手掛けた可能性を見出だせる人物を参考までに列挙する。
15世紀前半のヨーロッパで起きた主な歴史上の出来事としてはフス戦争(1419-36)が挙げられる。これはボヘミアの神学者ヤン・フスを支持する宗派とカトリック側との間に起きた戦乱で、手稿の推定製造年代の最中に勃発、終結を迎えている。またカタリ派の残徒と見られる集団の痕跡が途絶えるのも15世紀前半である。
英仏間では百年戦争の第三期がこの時期に当たり、ジャンヌ・ダルクの伝説で知られるオルレアン包囲もこの時起きている。
手稿の発見地であるイタリアではメディチ家によるフィレンツェ支配が進み、国父と呼ばれたコジモ・デ・メディチ(1389-1464)が1435年から最高執政官として市政を握ることになる。彼は優れた芸術家を保護しそのパトロンとして君臨した。またフィレンツェ市内に図書館を開設するなど同市をルネサンスの中心地へと導いている。
東ローマ帝国ではパレオロゴス朝ルネサンスの末期がこの時代に当たり、ゲオルギオス・ゲミストス・プレトンらに代表されるような復古主義者が名を揚げていた。プレトンの著作は焚書処分を受けるなどしており、彼が暗号技術に長けていたかはともかくその動機は見出せる。
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ヴォイニッチ手稿を解読しようという試みを行っている人物はアマチュア研究家による調査や超常的アプローチによるものまで含めると枚挙に暇がないが、本項ではいずれかの学術分野に属する専門家のみを列挙する。それ以外のものについては「諸説」の項参照。
※A Preliminary Sketch of the History of the Roger Bacon Cipher Manuscript(1921)
◆コンピュータを用いた統計学的調査など以前は不可能だったアプローチからの研究報告が相次いでいる。
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コリン・ウィルソン、ダン・シモンズといった著名作家によって題材に使われている。ヴォイニッチ手稿そのものもその写本が出版されており、また手稿を巡る歴史などについての解説本などが発売されている。
クトゥルフ神話の創作者であるアメリカの小説家ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(1890 - 1937)はヴォイニッチと同時代の人物である。彼は1916年に処女作『ジ・アルケミスト』The Alchemistを発表している。またその前後から文通を始めており、その相手はクラーク・アシュトン・スミスやロバート・E・ハワードなどが含まれる。
ヴォイニッチとラヴクラフトの間に直接の面識、もしくはそうした手紙を通じた情報交換が行われていたかは定かではなく、また相互に言及等は無い為影響の有無を明確にする事は難しいが、ヴォイニッチが手稿を公開したのは1915年で、時系列的には手稿の存在がラヴクラフトのその後の作家活動において何らかの影響を齎した可能性は否定できない。
ヴォイニッチ手稿とクトゥルー神話を初めて結びつけたのはコリン・ウィルソンで、彼は1969年に発表した小説『賢者の石』The Philosopher's Stoneの作中において、ヴォイニッチ手稿はラブクラフトの創作に登場する魔導書《ネクロノミコン》※の写本であるという設定をしている。また内容は暗号文で、使われた文字はアラビア文字であるが実際の言語はラテン語であったとしている。
クトゥルー神話については一方でアレイスター・クロウリーの魔術体系との類似性が指摘されており、彼の率いる魔術結社〈黄金の夜明け団〉とラヴクラフトには密接な関わりが有ったと論じている魔術師もいる†。尤もラヴクラフト本人は友人宛の手紙のなかでクロウリーを「神秘的な力を持っている風を装っている男」と手厳しく評しており、また自身は魔術に関しては門外漢であり、アーサー・エドワード・ウェイトの「黒魔術と契約の書」を読んで得た程度の知識しか無いと語っていたという。
クロウリーはと言うと自らの業績を「シュメールの伝統の再発見」であると主張し、またそうであるからこそ歴史的に正統なものだと訴えていた。彼がラヴクラフトやクトゥルー神話、ヴォイニッチ手稿について何か言及したと見られる形跡は伺えないが、クロウリーの術式はヴォイニッチ手稿の作者と目される一人であるジョン・ディーおよび彼のエノク魔術に多くを依拠しており、それ故ヴォイニッチ手稿もまた〈黄金の夜明け団〉と何らかの関わりがあるという説は巷で頻りに唱えられている。
※同書名の初出は1922年の短編『妖犬』The Houndで、アブドル・アルハズラットという人物によって著されたという風聞付きの設定が為されていた。
†『クロウリーと甦る秘神』監修者のケネス・グラントなど
いずれにしても問題はクトゥルー神話に登場する事物に為されている面妖怪異な描写との共通性を、ヴォイニッチ手稿に描かれているそれの、少なくとも絵図の方からは一見何ら読み取ることが出来ないという点に尽きている。ヴォイニッチ手稿がある種の人々の想像力を大いに掻き立てる代物である事は疑いないが、あの植物や天文図といった内容が見せ掛けやダミーではなく直接的な意味を持っているのであれば、それらがどのようにクトゥルー神話で描かれているような事物と対応しているのか、合理的な説明が必要とされる。
ヴォイニッチ手稿は未解読文書としては最も有名な物の一つだが、未解読文書として名を今日に伝える作品は他にも数多く存在する。ヴォイニッチ手稿と並び世に知られるのがロガエスの書で、同じくその内容は解明されていない一方、著者はジョン・ディーとエドワード・ケリーである事やエノク語と呼ばれる魔術的な非自然言語で記述されている事が判明している。またヴォイニッチ手稿は大方のページに謎の挿絵が含まれているのに対し、ロガエスの書はそのような絵は一切描かれていない。
20世紀に公開された未解読文書としては他にコデックス・セラフィニアヌスがある。こちらはイタリアの建築家ルイジ・セラフィーニが製作したもので、30ヶ月に及ぶ執筆作業の末1981年に刊行された。以来解読の試みが多く為されてきたが成功せず、2009年にはセラフィーニ本人がコデックスの背後に何か意味のある内容を隠してはいない、只のアセミックであると言明している。
◆未解読文書ではないが、ヴォイニッチ手稿の推定年代より遡ること200年ほど、13世紀に製作されたと見られるギガス写本という謎の写本が存在する。これは写本としては中世最大のサイズを誇る巨大な書物で、新旧聖書に加えて幾つかの古文書を収録する。装飾写本でもあり、豪華な挿絵が幾つも挿入されている。筆跡鑑定から一人の手によるものと推定されるが、これだけの分量の写経を独りの手で行えば、20年は下らない歳月を要すると測られている。このギガス写本は、製作者についてのみならずその完成度・独自性・製造過程などについてヴォイニッチ手稿とはまた異なる謎を抱えている。
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最終更新:2024/05/07(火) 00:00
最終更新:2024/05/07(火) 00:00
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