江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)とは、日本の小説家、評論家。本名は平井太郎(ひらい たろう)。
一般的に、苗字の「江戸川」ではなく名前の「乱歩」で呼ばれることが多い。本記事内も以下、「乱歩」で統一する。
「大乱歩」と呼ばれる、日本の探偵小説の父。ペンネームはエドガー・アラン・ポーのもじりである。名探偵・明智小五郎の生みの親。小学生の頃に少年探偵団シリーズを図書室や図書館で読みふけったという人も多いだろう。
1894年、三重県に生まれる。早稲田大学卒。さまざまな職業を転々としたのち、1923年、雑誌「新青年」に掲載された短篇「二銭銅貨」でデビュー。この作品は日本初の本格探偵小説といわれた。以降、初期は「D坂の殺人事件」「心理試験」といった本格探偵小説と、「白昼夢」「人間椅子」「鏡地獄」などの怪奇・幻想小説(当時は「変格もの」と呼ばれた)を並行して発表していく。
乱歩自身は本格ものを指向していたが、読者から支持を得たのは主に変格ものの方で、そのギャップに苦しみ、『一寸法師』を新聞連載した際には自己嫌悪から1年あまり休筆することになった。ただ、単純に「本格ものが書きたいのに人気のある変格ものばかり書かされた」という話ではなく、乱歩は理知的な本格と同様に、怪奇幻想の夢物語もまた強く愛していた。本格ものを書きたいのに書くものは怪奇幻想ものになってしまう、実際怪奇幻想も大好きだし、夢物語でいいじゃないか、でもやっぱり本格が書きたい……という分裂と煩悶は、乱歩の作品や文章のそこかしこに見てとることができる。
中編「陰獣」で休筆から復帰した後は、『蜘蛛男』『魔術師』『盲獣』などの通俗スリラーや、『怪人二十面相』に始まる少年もので大人気作家となる。しかし戦争とともに当局の検閲が厳しくなり、探偵小説の執筆を事実上禁じられることになってしまう。
戦後は少年探偵団シリーズなどを書き継ぎながら、主に評論家・編集者として探偵小説というジャンルの発展に大きく寄与。評論では古今東西の探偵小説のトリックを分類整理した「類別トリック集成」が特に後世に多大な影響を与えた。
編集者としては探偵小説専門誌「宝石」編集長を務めて新人発掘に力を注ぎ、高木彬光、筒井康隆、山田風太郎、星新一など乱歩に見出された作家は数多い。日本推理作家協会初代理事長を務め、ミステリー作家の登竜門として長い歴史を誇る江戸川乱歩賞も、もともとは乱歩がポケットマネーで始めた賞である。
また戦後に米軍兵士が置いていったペーパーバックを蒐集して英米の探偵小説を読みあさり、紹介していった。ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』、イーデン・フィルポッツ『赤毛のレドメイン家』など、乱歩が絶賛したことで広く読まれ、名作としての評価を確立した作品も多数あり、海外ミステリの翻訳出版に対して果たした貢献も計り知れない。
文字通り、日本に探偵小説(ミステリー)というジャンルを生み、現在の一大ジャンルまで育てあげた立役者である。また、怪奇・幻想小説の分野に残した功績も多大であり、両ジャンルにおいて現在も多くの作品が定番の名作として読み継がれている。
ちなみに戦前は人嫌いで有名で、作風のせいか「薄暗い土蔵の中でろうそくの灯りで原稿を書いている」などと噂されていた。それが戦後は一転して別人のように社交的になり、「江戸川乱費」と呼ばれたほどの気前のよさと面倒見のよさで、探偵文壇のボス的な存在となった。この変貌の理由は諸説あるが、弟子の山田風太郎は「若い頃からの髪の薄さが、歳をとって目立たなくなったからでは」という説を唱えている。
1965年没。2016年には著作権保護期間が終了し、パブリックドメインとなった。そのため、青空文庫で作品の無料公開が始まっている。
近年の文豪ブームにおいては、並み居る純文学作家や歌人・詩人の大家らに混ざって、大衆文学サイドの文豪キャラクターとして登場することが多い。
日本の探偵小説の生みの親だが、ガチガチの本格ミステリは初期の作品にほぼ限られる。本格探偵小説を指向した乱歩だが、精密なプロットを立ててその通りに長編を書くということが致命的に苦手だったようで、生涯を通して本格ミステリとして高く評価される長編は1作も書くことができなかった。結局、本人の資質は明らかに怪奇・幻想方面にあったと言える。
無論、最初期の本格ミステリは今読んでも色褪せない歴史的名作揃いだが、やはり乱歩といえばグロテスクでエロチックな怪奇小説・幻想小説をイメージする人が多いのではないだろうか。
「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「芋虫」「人でなしの恋」などに代表される異常性癖もの、「踊る一寸法師」「孤島の鬼」などに見られる異形(フリークス)への偏愛、「パノラマ島奇譚」などに現れるユートピア願望などが特に際立って乱歩作品の禍々しい魅力を現している。「鏡地獄」「目羅博士」「押絵と旅する男」などでは鏡やレンズの産み出す幻想と、それを覗きこまずにいられない恐怖の誘惑を描いているが、まさしく乱歩の描く幻想は、目を背けたくなるような猟奇でありながら目が離せなくなる、そんな魔力をもって現在も多くの読者を魅了している。
少年探偵団シリーズで乱歩を知り、大人向けの乱歩作品にうっかり手を伸ばして性癖をねじ曲げられた子供たちは数知れない。罪深い作家である。
ともあれ、日本の探偵小説の育ての親である乱歩が、ゴリゴリの本格作家ではなくどちらかといえば変格寄りの作家であり、また通俗娯楽作家・児童文学作家としても一流であったということは、乱歩自身の自己評価はさておき、現代まで続く探偵小説=ミステリーの豊かな多様性の土台となっていると言えるのではないだろうか。
ちなみに作風に関しては、日本の誇る変態文豪・谷崎潤一郎の影響を非常に強く受けている。
ミステリー評論家としても乱歩の影響力は絶大で、前述の通り特に翻訳物では「乱歩が絶賛した」ことで名作と見なされるようになった作品も数多い。その乱歩の評論活動における最大の成果であり、そして日本のミステリーに良くも悪くも大変な影響を残したのが「類別トリック集成」である。
乱歩は「ミステリーの肝はトリック」と考えており、そのマニア魂をもって当時における古今東西のミステリーのトリックを分類整理した「類別トリック集成」は、数多の実作者たちにトリック案出のための教科書として愛用され、様々なトリックのバリエーションを生み出すことになった。
その一方、乱歩の「ミステリー=トリックのある小説」というミステリー観は、乱歩という存在自体の後進への絶大な影響力から、日本のミステリーに「ミステリーには密室やアリバイ崩しなどの何らかのトリックがなければならない」という一種の制約としても機能してしまうことになった。
この乱歩的ミステリー観は、松本清張による社会派「推理小説」ブームで乱歩的な「探偵小説」が時代遅れになってからも、というか社会派ブーム以降こそ根強く日本ミステリーを呪縛し続け、「トリックが出尽くしたのでもうミステリーは終わり」といった言説を生んだり、シリアスな社会問題を扱った重厚な小説に突然場違いな密室トリックが出てきて小説の雰囲気を壊してしまったり、風俗小説に申し訳程度の密室トリックやアリバイ崩しがついただけの薄味のミステリーが量産されるといった弊害を生み出してしまった。
この乱歩的ミステリー観からの脱却を目指したのが都筑道夫で、都筑は評論集『黄色い部屋はいかに改装されたか?』(1975年)で「トリック無用論」を唱え、ミステリーの肝はロジックであり、「論理のアクロバット」があれば――即ち「トリックがなくても推理が面白ければミステリーは成り立つ」と説いた。
現在もこの乱歩的な「ミステリー=トリックがあるもの」というミステリー観自体は(主にライト層の中で)生き残っているものの、現代の日本の本格ミステリは、新本格の勃興から紆余曲折を経て、都筑的なロジック中心主義が主流になっている。
乱歩のトリック中心主義は弊害もあったが、乱歩によってトリックという鉱脈に数多の実作者が挑んだ結果、数々の名作が生み出されたことは間違いない。また乱歩のトリック中心主義がなければ、それに対するアンチテーゼとしてのロジック中心主義も生まれず、現代のような豊穣な本格ミステリの世界は生まれることなく、日本も欧米のように本格が廃れて犯罪小説・サスペンスが主流のミステリー界になっていたかもしれない。そう考えれば、やはり乱歩は評論家としても偉大な日本のミステリーの父なのである。
「探偵小説は知的なパズルであれば良いのか、それとも小説である以上は文学たることを目指すべきか」という問題は、ミステリーの歴史において何度も繰り返されてきた論争であるが、戦前においてその代表と言えるのが、1936年に『ぷろふいる』誌において甲賀三郎と木々高太郎の間で繰り広げられた「探偵小説芸術論争」である。
端的に言うと「探偵小説は謎解きが優れていれば文学としての出来などどうでもいい」派の甲賀と、「小説なんだから文学として芸術性を高めるべき」派の木々の論争は、当然のことながらはっきりした勝敗も結論も出ないまま終わった。ちなみに甲賀はかなり極端な謎解き至上主義者で、木々との論争の前にも同様の主張で大下宇陀児や夢野久作とやりあっている。なお、木々はこの論争を受けて書いた『人生の阿呆』で第4回直木賞を受賞したが、1988年に出た創元推理文庫版で北村薫に「作品としては失敗作ですよね(大意)」と言われてしまうなど、現在ではほぼ忘れられた作品。
その後、戦後の1947年、『ロック』誌において、今度は木々が乱歩に論争を仕掛ける(これは実際のところは、『ロック』誌の売り上げを伸ばすために編集者が仕組んだプロレスだったらしいが。ちなみに甲賀は1945年没)。それに対して乱歩の答えとして書かれたのが、「一人の芭蕉の問題」という文章である。現在は全文を青空文庫で読める。
第一流の文學であつてしかも探偵小説獨自の興味をも失望させないもの。實に實に至難の道である。しかしながら私はそれの可能性を全く否定するものではない。革命的天才兒の出現を絶望するものではない。若し探偵小説界に一人の芭蕉の出づるあらんか、あらゆる文學をしりへに、探偵小説が最高至上の王座につくこと、必ずしも不可能ではないからである。
探偵小説の謎解きの興味と、文学性とを両立することは甚だ難しい。しかし、卑俗なものとされていた俳諧を、松尾芭蕉という一人の天才が芸術へと昇華させたように、探偵小説にも芭蕉のような一人の天才が現れれば、優れた謎解きと優れた文学性を両立した探偵小説が生まれ、探偵小説が文学の頂点に立つことも不可能ではないはずだ――というのが乱歩の主張(ちなみに木々の作品に対しては「流石の文學論者木々高太郎君も過去の業績に於ては、まだこの夢を實現してはゐない」とのこと)。
この「一人の芭蕉の問題」は、日本のミステリー史を語る上でも乱歩自身を語る上でも、非常によく取り上げられるトピックである。乱歩自身はこの後の1958年、『点と線』を発表した直後の松本清張との対談で、清張こそ「推理小説界の芭蕉」たりうる作家だと賞賛している。
また、この乱歩の主張に感銘を受けて推理小説を志し、生涯謎解きと文学性の両立を目指した作家が土屋隆夫である。他にも『幻影城』(雑誌の方)で泡坂妻夫や連城三紀彦が登場したときには、編集長の島崎博は彼らを「〝一人の芭蕉〟になれる可能性のある作家」と賞賛していた。
後世の読者から見ると、「乱歩こそがその〝一人の芭蕉〟だったのでは?」と思ってしまうのは、ご愛敬というものだろう。
初めて読むなら新潮文庫の『江戸川乱歩傑作選』が鉄板。「二銭銅貨」「二癈人」「D坂の殺人事件」「心理試験」「赤い部屋」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「鏡地獄」「芋虫」という、前半は本格探偵小説、後半が怪奇幻想小説という並びで選りすぐりの代表作が収められており、これ以上の入門書は存在しない。
2016年にはここから漏れた代表作のうち「石榴」「押絵と旅する男」「目羅博士」「人でなしの恋」「白昼夢」「踊る一寸法師」「陰獣」を収めた『江戸川乱歩名作選』が同じく新潮文庫から出ており(タイトルが紛らわしいので注意)、とりあえずこの2冊を買っておけば間違いはない(しいて言えば「陰獣」は他の本で「パノラマ島綺譚」を読んでからの方がより楽しめる)。
もうちょっと色々読みたい、という人には角川ホラー文庫の《江戸川乱歩ベストセレクション》全8巻が手軽でオススメ。前述の2冊に収められた代表作群は無論のこと、「孤島の鬼」「パノラマ島綺譚」といった(長さの関係で)前述2冊に入りきらなかった代表作や、『蜘蛛男』『黒蜥蜴』といった通俗ものの代表作も読める。
少年ものや評論まで全部読んでやる、という猛者は光文社文庫の《江戸川乱歩全集》全30巻に挑もう。また、創元推理文庫の《乱歩傑作選》全20巻では初出時の挿絵を見ることができる。他にも乱歩作品は、パブリックドメインになった2016年以降は特に様々な出版社から多数の再編集本が出ているので、興味を惹かれたものから読んでみると良い。
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23 ななしのよっしん
2024/03/23(土) 11:12:03 ID: t0QeKW2aFS
24 ななしのよっしん
2024/08/30(金) 18:36:56 ID: MHwNAZUSUo
>>21
いや随筆とか読んだ感じ照れだと思うよ
奇想天外なアイディアの小説を書いて、「さすがに有り得ない」で創作オチにしちゃうっていう
今だったら全然受け入れられるレベルだと思うんだけどな
そういえば乱歩のある小説で「殺人のための殺人」が動機のシリアルキラーが出てくるが、それも当時は「こんな動機おかしい」という批評だったらしい
サイコキラーものが広まった現代で読む分にはあんまり違和感ないんだけど時代を先取りしすぎたな
25 ななしのよっしん
2024/09/11(水) 00:04:43 ID: 10FrUVZVto
いい悪いではないけど、『孤島の鬼』や『妖虫』はどうしても当時と現代だと違う見方になってしまう話かなと思う。放送コードとかコンプライアンスとか「マイノリティ」への対応とかで。
特に『妖虫』の「真相」は…少しネタバレだけど「共犯者」さえいなければまだましというか、ある意味「共犯者」が犠牲者並に「犯人による被害者」とも見えるのを主役側は理解しても良かったのではと…。
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/09(土) 09:00
最終更新:2024/11/09(土) 08:00
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