ネイマールことネイマール・ダ・シウバ・サントス・ジュニオール(Neymar da Silva Santos Júnior, 1992年2月5日 - )とは、ブラジルのサッカー選手である。
サウジアラビアのアル・ヒラル所属。サッカーブラジル代表。
概要
ブラジル・サンパウロ州のモジ・ダズ・クルーゼス出身。175cm68kg。ポジションはFW。左ウイングが主戦場であるが、2トップの一角やトップ下としてプレーすることもある。利き足は右足。
同世代の中でもっとも有名なサッカー選手の一人であり、2015年と2017年にはFIFAバロンドールで3位に輝き、2011年にはFIFAプスカシュ賞を受賞ししている。
サッカー王国ブラジル代表のエースであり、10番。18歳でデビューし、代表の歴代最多得点記録保持者。自国開催となった2014 FIFAワールドカップでは国民の期待を一身に背負いながらプレーしたが、準々決勝のコロンビア戦で負傷し、志半ばで大会から姿を消している。2016年にはOAとしてリオデジャネイロオリンピックに出場し、ブラジルを初優勝に導いている。しかし、2018年と2022年のワールドカップではベスト8止まりで終わっており、代表ではビッグタイトルを獲得できていない。
2023年9月にはペレを抜いてブラジル代表の歴代最多得点記録保持者となる。
サントスFC時代には、若くして南米最優秀選手を2度受賞しており、2011年にはコパ・リベルタドーレスを制覇し、サントスを南米№1に導いている。さらには、史上初となる欧州でのプレー経験がないにも関わらずバロンドールの候補に入っている。
FCバルセロナでプレーしていた頃は、リオネル・メッシ、ルイス・スアレスと共に”MSNトリオ”という強力な3トップを形成し、2015年にはUEFAチャンピオンズリーグ、ラ・リーガ、コパ・デルレイの三冠を獲得している。2017年、史上最高額となる約284億円の移籍金でパリ・サンジェルマンへ移籍。さらに2023年にはサウジアラビアのアル・ヒラルに9000万ユーロの移籍金、年俸1億5000万ユーロという驚愕の契約内容で移籍している。
世界屈指のドリブルスターであり、世界で最も著名なスポーツ選手の1人である。同時に私生活が派手なことも有名であり、ピッチ内外で数々のトラブルを引き起こすお騒がせスターであり、良くも悪くも話題になりやすい人物である。自己管理の甘さが災いし、怪我をすることも多い。
経歴
生い立ち
一男一女の長子として生まれる。4歳年下の妹はモデルとして活躍している。生後4か月の頃に凄惨な交通事故に遭うも、奇跡的に無傷で済んだという過去がある。家は裕福な家庭とはいえず、現在は代理人を務めている元サッカー選手の父親が複数の仕事をかけもちしながら生計を立てていた。家に電気が通っておらず、少年時代はろうそくの火で勉強をしていた。
物ごころをついたときにはボールを蹴り始めており、父親の協力もあってサッカーの才能を開花させるようになる。本格的にボールを蹴るようになったのは、フットサルチームに所属したときであり、すぐに類まれな才能を披露するようになる。現在見せるドリブルテクニックはこの頃に磨いたものである。少年時代のネイマールはフットサルとストリートサッカーに夢中になっており、サンパウロにおいてもっとも優れたストリートサッカー選手の1人となり、天才少年と称されるほどプロデビュー前から有名になっていた。
1999年にポルトゥゲーザ・サンチスタのユースチームに入団。
サントス
2003年11歳のときにサントスFCのユースチームに移籍。ここでもずば抜けた才能を披露したことでクラブから大きな期待を受ける。14歳の頃にはスペインへ渡り、レアル・マドリードの入団テストを受ける。テストは合格だったが、サントス側が高額な違約金を提示したため、契約には至らなかった。
2008年2月10日にサントスとプロ契約を交わし、違約金は5000万ユーロに設定される。ユース時代からサポーターの間では有名になっており、驚くほど期待値が高かった。
2009年にサンパウロ州選手権のオエステFC戦で17歳にしてトップチームデビューを飾ると、圧巻のボールテクニックで観客を魅了し、逆転勝利に貢献。続くモジミリンEC戦でプロ初ゴールを決める。その後、あっという間にチームの中心選手となっていき、「ブラジルの至宝」と称されるようになっていた。プロ1年目にもかかわらず、この年のブラジレイロ・セリエAでは33試合10得点という成績を残している。
プロデビューしてから1年後の2010年試合中に自分が得たPKのキッカーを他の選手が蹴ったことが発端で監督と口論になり、ペットボトルを投げつけて怒りをあらわにするなどの悪態をつく。その後、ペナルティとしてチームから外そうとした監督が解任になるという事態が起こる。すでにクラブの王様という扱いを受けていたが、3歳年上のガンソとのコンビは、ブラジルサッカーをおおいに賑わせ、サンパウロ州選手権優勝とコパ・ド・ブラジル優勝をもたらす。
2011年には、決勝のCAペニャロール戦において、第2戦に値千金の決勝ゴールを決め、チームを48年ぶりのコパ・リベルタドーレス制覇に導く。年末には日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ2011に南米王者として出場。準決勝の柏レイソル戦では先制ゴールを決める活躍を見せ、決勝のFCバルセロナ戦では初めてリオネル・メッシと同じピッチに立つ。しかし、当時世界最強のチームだったバルセロナの異次元のフットボールに対して見せ場は作れず、チームも0-4と大敗し準優勝に終わる。王様としてキャリアを積んだネイマールにとっては、上には上がいることを痛感させられた。それでもこの年の活躍はおおいに評価され、19歳にして南米最優秀選手に選ばれている。
2012年にも2年連続で南米最優秀選手に選出され、いよいよヨーロッパの舞台に立つ日が訪れる。2013年5月26日のサントスでのラストマッチでは国歌斉唱時に涙を流している。
バルセロナ
2013年5月24日スペイン・リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナへの移籍が決定。契約期間は5年、背番号はサントス時代と同じ「11」。このとき過去に憧れのクラブはレアル・マドリードと発言していたことが明らかとなり、一部のバルセロナサポーターから批判を受ける。
最初の公式戦となったスーペル・コバ・デ・エスパーニャのアトレティコ・マドリード戦では、チームを優勝に導くアウェイゴールを決め、華々しいデビューを飾っている。その後も公式戦5試合連続アシストを記録すると、10月26日自身初のエル・クラシコでは、1G1Aと全得点に絡む大活躍で、リーグ戦では2年ぶりのクラシコ勝利にチームを導く。12月11日のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)セルティック戦ではハットトリックの活躍を見せる。しかし、パスワークを主体とするポゼッションサッカーにおいて、ボールを持ちたがるネイマールのスタイルはブレーキになることもあり、加入1年目はフィットに苦しみ、チームも無冠に終わる。
2014-15シーズンは先のワールドカップで負ったの大怪我の影響が懸念されたが、ルイス・エンリケ監督がチームにカウンタースタイルを取り入れた事や、エースのリオネル・メッシ、新加入ルイス・スアレスと形成する3トップ"MSN"の連携が深まった事で、3人で公式戦122ゴールを挙げるなど驚異的な活躍を見せた。2015年5月30日のコパ・デル・レイ決勝のアスレティック・ビルバオ戦では、3-1とリードした試合終盤にヒールリフトで相手DFを翻弄すると、馬鹿にされたと受け止めたビルバオ側が猛抗議。南米と欧州のフットボール文化の違いから起きた事件であったが、スペインのメディアから批判を受ける。UEFAチャンピオンズリーグ決勝ユヴェントス戦では2-1で迎えた後半アディショナルタイム6分、得意のカウンターからシーズンを締めくくるダメ押しの"ブザービート"を叩き込み、大会10点目をマーク。メッシ、クリスティアーノ・ロナウドと並びCL得点王に、チームは前人未到となる2度目の主要タイトル3冠を達成。自身にとっても欧州で初のビッグタイトルを獲得したシーズンとなった。
2015-16シーズンは、シーズン前半戦にエースのメッシが負傷によって離脱した時期にチームの攻撃を牽引する活躍を見せる。リーガ第9節ラージョ・バジェカーノ戦では、4得点を挙げる大活躍を見せる。2015年に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ2015決勝では、南米王者リーベル・プレートを相手に華麗な5人抜きドリブルからメッシのゴールをアシストする。サントス時代には屈辱を味わった大会で、今度はバルセロナの選手としてクラブ世界一の座を手にする。コパ・デルレイ決勝のセビージャ戦では、追加点を決める。この年は、シーズン後半戦に調子を落としはしたが公式戦31ゴール16アシストというキャリアハイの活躍を見せ、2年連続国内タイトル2冠に貢献。
2016年7月にはクラブとの契約を2021年まで延長し、2億ユーロという破格の違約金が設定される。2017年3月8日CLラウンド16のパリ・サンジェルマン戦において、1st legで0-4で敗れるという絶望的な状況で迎えた2nd legで試合終了間際に3得点全てに絡むという大活躍を見せ、奇跡の逆転勝利の立役者となる。また、この年のコパ・デルレイ決勝アラベス戦では、前回決勝に続いてのゴールを決め、3連覇に貢献。しかし、2016-17シーズン終了後バルセロナを退団するという報道が流れ、騒動になる。一時はメッシの説得もあってチームに残る方向に落ち着き、プレシーズンツアーにも参加していたことから騒動は沈静化したかに見えた。しかし、急転直下でネイマールはチームに退団する意思を表明する。
パリ・サンジェルマン
2017年8月3日フランス・リーグ・アンのパリ・サンジェルマンFCへの移籍が発表され、世界中を驚かせる。背番号は「10」となる。移籍金は2億2200万ユーロとなり、巨額の取引が成立。移籍決定後も騒動は続き、代理人であるネイマールの父親はバルセロナ側に対して前年の契約更新ボーナスの支払いを求めたのに対し、これを拒否したバルセロナ側から損害賠償を請求されてしまう。
バルセロナでは、メッシの副官的な立ち位置だったのに対し、PSGでは絶対的な存在として扱われ、王様としての振る舞いが目立つようになる。2017年9月17日のオリンピック・リヨン戦では、これまでチームのPKのキッカーを務めていたエディソン・カバーニと誰がPKを蹴るかで言い争いになり、2人の確執がメディアを賑わせる。それでも、シーズン開幕直後からその実力を遺憾なく発揮しており、デビュー戦で1ゴール1アシストの活躍を見せる。2018年2月25日のオリンピック・マルセイユ戦で足を骨折し、早々とシーズンが終了してしまうが、それまでの公式戦30試合出場28ゴールを記録する。
怪我から復帰した2018-19シーズンは、開幕戦から早速ゴールを決め、CLグループリーグ第2節のレッドスター・ベオグラード戦ではハットトリックを決める。しかし、2019年1月のクープ・ドゥ・フランスラウンド16のストラスブール戦で中足首骨折の負傷を負い、前年に続いての長期離脱となる。欠場となったCLラウンド16 2nd legのマンチェスター・ユナイテッド戦の試合後、主審の判定に対してSNSで批判をぶちまける。これを重く見たUEFAからCL3試合の出場停止処分を科される。復帰後もクープ・ドゥ・フランス決勝でスタッド・レンヌ戦に敗れると、試合後メダルを受け取る際にチームメイトを侮辱した観客の顔を殴ってしまう。この行為には、さすがにチーム内からも批判の声があがり、フランスサッカー連盟から3試合の出場停止処分を科される。結果、出場試合数、得点共に前年を下回るものとなった。
2019-20シーズン開幕前には、古巣であるバルセロナへ復帰する話が浮上し、メッシらバルセロナの主力がチームにネイマールの復帰を希望し、ネイマール自身もバルセロナへ戻りたがっていると報道される。結局、復帰は実現しなかったが、ファンからの不満は募り、シーズン初出場となった第5節のストラスブール戦では味方サポーターからブーイングを受ける事態となる。それでも、CLラウンド16のドルトムント戦ではホームとアウェイの両方の試合でゴールを決め、ベスト8進出に貢献。2020年7月24日のクープ・ドゥ・フランス決勝サンティエンヌ戦では、前半に決勝ゴールを決め、国内二冠をもたらしている。8月1日のクープ・ドゥ・ラ・リーグ決勝のリヨン戦では、PK戦において5人目のキッカーとして登場し、GKをフェイクにかけた大胆なPKを成功させる驚異的な度胸をみせ、国内三冠に貢献。また、8月12日のCL準々決勝アタランタ戦では圧巻の個人技で奮闘し、試合終盤の2ゴールに絡み、劇的な逆転劇を演出する。集中開催となったCLでは、攻撃での貢献はもちろん、これまでに見たことがないほど守備での貢献が光り、ビッグイヤー獲得への思い入れの強さを見せチームを初となる決勝の舞台へと導くが、決勝ではバイエルン・ミュンヘンに0-1で敗れ、惜しくも準優勝という結果になり、試合後悔しさから人目をはばからず涙を流した。
2020-21シーズン最初の試合となったリーグ・アン第2節オリンピック・マルセイユとのル・クラスィクでは、試合終了間際にアルバロ・ゴンサレスから人種差別発言を受けたとして暴力行為に出て退場となり、2試合の出場停止処分を受ける。一方、ネイマール自身にも同じ試合で酒井宏樹に対し人種差別発言をおこなった嫌疑がかけられるが、証拠不十分として処分はされなかった。12月13日のリヨン戦で危険なタックルを受け左足首を負傷。このとき涙を流してピッチを後にしたため長期離脱が心配されたが、1カ月後のトロフェ・デ・シャンピオンのマルセイユ戦で復帰。決勝ゴールとなるPKを決め、チームにタイトルをもたらす。試合後SNS上で因縁のアルバロ・ゴンサレスと罵り合う場外乱闘を繰り広げていた。2021年2月10日のカップ戦で右足内転筋を負傷し2が月半ほど戦列を離れる。復帰後初スタメンとなった4月3日のリーグ・アン第31節リールとの首位攻防戦では、試合終了間際にチアゴ・ジャロを突き飛ばす事件をまたも起こし、退場となる。一部では試合後にジャロを待ち伏せしていたとも伝えられている。またも問題行動で批判を集めることになったが、直後の4月7日におこなわれたCL準々決勝1st legバイエルン・ミュンヘン戦では2アシストの活躍で勝利に貢献している。準決勝でマンチェスター・シティに敗れた後、例年の通りバルセロナへの復帰話が浮上するが、5月7日にPSGとの契約を2025年まで延長したことが発表される。
2021-2022シーズンではメッシが加入したことで再び共演が実現。メッシに背番号10を譲ろうとしたが、メッシが断ったため引き続き10番を付けることになる。オフに太り過ぎたことを指摘され、お腹まわりがぽっちゃりした写真が注目を集める。2021年11月28日のサンテティエンヌ戦で試合終盤にタックルを受けた際に左足首があらぬ方向に曲がるアクシデントに見舞われ、担架でピッチを後にする。左足首の靭帯を損傷しており、戦線を離脱。もっとも負傷したその日の夜にパーティーに参加していたことが明かされる。この年も例年通り怪我で欠場する時期が長くなり、CLもラウンド16で敗退。だが、2022年4月3日のロリアン戦で初めてメッシ、エムバペと揃ってゴールを決めると、4月9日のクレルモン戦でエムバペと共にハットトリックを達成。4月17日のマルセイユ戦では3試合連続となる先制ゴールを決め、勝利に貢献。
2022-23シーズンのリーグ・アン開幕戦クレルモン戦ではチームのシーズン最初のゴールを決め、さらに3アシストの活躍により5ー0の大勝に貢献する。その後もリーグ・アンで開幕から4試合連続ゴールを決めるなど、近年では好調なスタートを切る。一方、チーム内で絶対的な存在となったエムバペとの確執が何かと取り沙汰されるようになる。ワールドカップ後最初の試合となった2022年12月28日の第16節ストラスブール戦では警告を受けた1分後に露骨なダイブでシミュレーションを取られ退場になる。それでも公式戦18ゴール16アシストという数字を残していたが、2023年2月22日のマルセイユ戦で右足首靭帯損傷を負い、シーズン中の復帰が絶望的となる。その後、CLラウンド16でチームが敗退すると、欠場中だったにも関わらずサポーターからスケープゴートにされ、過激化したサポーターが自宅にまで押しかけて罵倒されるという被害に遭う。
2023年7月の日本ツアーでは参加こそしたものの1試合も出場することはなかったが、直後の韓国ツアーで5か月ぶりに実戦の場に立ち2ゴール1アシストの活躍を披露。これがPSGでの最後の試合となった。
アル・ヒラル
2023年8月15日、サウジアラビア・サウジ・プロフェッショナルリーグのアル・ヒラルへの移籍が発表される。背番号は「10」。契約は2年間で給与総額は最大580億円以上と報じられている。しかし、10月17日の代表戦で左膝十字靭帯断裂の大怪我を負い、長期離脱。そのままシーズン終了となってしまう。
2024-25シーズンも前年の怪我から回復できず、開幕から欠場が続く。2024年10月21日、AFCEリーグステージ第3節アル・アイン戦に途中出場し、実に369日ぶりに公式戦のピッチに立つ。
ブラジル代表での経歴
2010年ワールドカップの前からブラジル代表入りを切望する声は多かったが、初めて代表入りを果たしたのはワールドカップ終了後最初の試合となった2010年8月アメリカ戦。この試合で代表デビューを果たすと、先制点となる代表初ゴールを記録。以後、地元開催となる2014年ワールドカップのエースとして国民の大きな期待を背負うこととなる。
2011年1月にペルーで開催された南米ユース選手権にU-20代表として出場。この大会で9得点を決める活躍を見せ、ブラジルの優勝の立役者となる。3月27日のスコットランドとの親善試合で2得点を決めるが、試合中人種差別を意味するバナナを投げつけられる事件が起きる(後に投げたのはドイツ人観光客と判明)。また、代表での初の公式戦の大会となるコパ・アメリカ2011にも出場。グループリーグ第3戦のエクアドル戦で2得点を決めるが、準々決勝のパラグアイ戦では完封されてしまい、チームはPK戦の末に敗退となる。
2012年のロンドン・オリンピックではU-23代表として出場。悲願の金メダル獲得に大きな期待が集まった中、レアンドロ・ダミアン、フッキと共に形成した攻撃陣は、前評判通りの力を発揮し、準決勝までのトーナメントを全勝で勝ち進み、自身も3得点を挙げる。しかし、決勝のメキシコ戦では1-2で敗れ、銀メダルという結果に終わる。2013年6月に母国開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2013のメンバーにも選出。開幕戦の日本代表戦で試合開始早々に鮮やかなボレーシュートで先制点を決め、チームを勢いづけた。初戦を制して波に乗ったブラジル代表はその後も各大陸王者達を寄せ付けず、欧州王者のスペイン代表相手にも圧倒的な強さを見せつけて優勝。エースとして大会3連覇に大きく貢献したネイマールは大会最優秀選手に輝く。
地元開催となった2014 FIFAワールドカップでは背番号「10」を託されて出場。この頃には名実共にブラジルでNO.1のプレイヤーとなっていた。優勝が絶対というプレッシャーなのか、グループリーグ初戦のクロアチア戦で早い時間帯に先制ゴールを許す苦しい展開となる中、前半29分に同点ゴールを決めると、後半23分には賛否両論渦巻いたPKから逆転ゴールを決め、チームを救う。第3戦のカメルーン戦でも2ゴールの活躍を見せ、グループリーグだけで4得点となっていた。しかし、準々決勝のコロンビア戦で後半43分にフアン・スニガの激しいチャージを受け、脊椎骨折の重傷を負ってしまい、志半ばで大会から去ることになる。ネイマールを失ったブラジルは、準決勝のドイツ戦で1-7という歴史的な大敗を喫してしまう。大会後、離脱の原因となったスニガに対し、ブラジル国民からの非難が殺到。脅迫や犯罪予告が相次ぐ事態となり、スニガが保護要請をするほどの大騒動に発展する。
大会後、22歳の若さでブラジル代表のキャプテンに任命される。ワールドカップ後初の試合は、因縁のコロンビア戦となるが、試合前にスニガと抱擁することで和解をし、試合ではFKによる決勝点を挙げる。10月14日の日本戦では、ブラジル代表ではロマーリオ以来となる1試合4得点を記録。
2015年6月には、コパ・アメリカ2015に出場。しかし、グループリーグ第2戦の因縁のコロンビア戦でまたも事件が起きる。0-1で敗れた試合後、怒りに任せてパブロ・アルメロにボールを蹴りつける暴挙に出てしまい、大乱闘に発展。また、因縁の相手であるスニガに対し、「ありがとよ。(W杯の時みたいに)電話で謝罪してこい、イホ・デ・プータ(スペイン語のスラング。"売春婦の息子”の意)」と皮肉ったこと、退場を命じた主審に対してはロッカールームへのトンネル内で待ち伏せし、「俺を使って有名になりたいんだろう?イホ(ry」と罵倒したと報じられる。この試合でネイマールはイエロー累積+レッド退場による2試合出場停止が確定していたが、一連の行為により+2試合の計4試合出場停止が発表され、主要国際大会でまたしても不完全燃焼のリタイアとなった。
2016年所属するFCバルセロナの意向もあり、コパ・アメリカセンテリオを欠場し、オーバーエイジ枠として地元開催となるリオ・デジャネイロオリンピックに出場する。グループリーグ最初の2試合を引き分けるよもやの苦難のスタートとなるも、大会が進むにつれて調子を上げていき、準々決勝のコロンビア戦で大会初ゴールを決め、準決勝のホンジュラス戦ではオリンピック史上最速となる開始14秒でのゴールを含む2得点の活躍でブラジルを決勝へと導く。決勝はワールドカップで屈辱の大敗を味わった相手であるドイツとなる。この試合でも前半24分に先制点を挙げて大会4得点目をマーク。試合はPK戦にもつれこむが、5人目のキッカーとして成功させ、ブラジルに初となる金メダル獲得をもたらす。大会後、代表キャプテンを辞めることを表明する。
2018年2月に負った足の骨折の影響でしばらく実戦から遠ざかっていたが、2018 FIFAワールドカップのメンバーに選出される。直前のクロアチアとのテストマッチで久々に復帰し、しかもゴールを決め、周囲の不安を払拭させる。本大会では、エースとして十分な働きを見せ、2得点1アシストという成績を残すが、準々決勝でベルギーに敗れ、またもワールドカップ優勝はならず。さらに、大会を通しての相手のチャージに対する過剰な演技が批判を集め、PSGのチームメイトであるキリアン・エムバペに悪影響を与えているとさえ言われてしまう。
ロシア・ワールドカップ後、再びセレソンのキャプテンの座に就任するが、PSGで引き起こした数々のトラブルを問題視したチッチ監督からキャプテンの座を剥奪されてしまう。また、2019年6月に開催されたコパ・アメリカ2019のメンバーに選出されていたが、直前の親善試合での右足首靭帯損傷の負傷によって大会を欠場することとなる。
2020年10月13日におこなわれたカタールW杯南米予選第2節ペルー戦ではハットトリックの活躍でチームを勝利に導くと共にブラジル代表での通算得点数を64に伸ばし、ロナウドの記録を抜いて歴代2位の記録保持者となる。
2021年6月には、すったもんだの末に自国開催となったコパ・アメリカ2021に3大会ぶりに出場。開幕戦のベネズエラ戦では1ゴール1アシストの活躍で3-0の快勝に貢献すれば、続くペルー戦でも2試合連続となるゴールを決める。苦戦した3戦目のコロンビア戦では、無人のゴールへのシュートをポストに当てる場面もあったが、終了間際にCKからカゼミーロの決勝ゴールをアシスト。エースにふさわしい活躍で3連勝でのグループステージ突破に貢献する。準々決勝、準決勝でもルーカス・パケタのゴールを2試合連続でお膳立てするなどチームを牽引するが、決勝でアルゼンチンに敗れ準優勝に終わる。試合後、涙を流しながら初の栄冠を手にしたメッシに抱擁して祝福するシーンが大会の名場面とクローズアップされる。なお、2ゴール3アシストと多くの得点に絡んだことが評価され、メッシと共に大会MVPに選出される。
2021年11月11日、ワールドカップ出場決定がかかった2022 FIFAワールドカップ南米予選第13節コロンビア戦では、ルーカス・パケタの決勝ゴールをアシスト。南米予選では10試合8ゴール8アシストというエースにふさわしい働きでブラジルの首位での予選突破に貢献。なお、予選中に2022年をもってブラジル代表を引退することを表明。2022年6月2日の韓国代表との親善試合では2ゴールを決め、7年ぶりに日本でプレーすることになった6月6日の日本代表戦でもPKにより決勝ゴールを決める。
自ら最後のワールドカップと位置付けた2022年11月の2022 FIFAワールドカップ・カタール大会ではグループリーグ初戦のセルビア戦に勝利するも、試合中に足首を負傷し、後半35分に涙ながらに交代となる。その後のグループリーグの2試合を欠場し、このまま大会への復帰を危ぶむ声も聞かれたが、ラウンド16の韓国戦で復帰を果たし、PKによるゴールを決めている。準々決勝のクロアチア戦では延長戦までもつれ込むが、延長前半に個人技から先制ゴールを決め、ペレの持つブラジル代表最多得点記録の77ゴールに到達する。これでブラジルの勝利かと思われたが、同点ゴールを決められPK戦に突入。PK戦ではキッカーとしての出番が来ないままブラジルの負けが確定し、2大会連続でのベスト8敗退となった。敗退後、ブラジルに帰国してすぐに盛大なパーティーを開催したことでメディアやファンから批判される。
2023年9月にワールドカップ以来10か月ぶりに代表に復帰すると、9月9日の2026 FIFAワールドカップ南米予選第1節ボリビア戦では2ゴールの活躍で勝利に貢献。このゴールによってブラジル代表の通算得点が79ゴールとなり、ペレを抜いて単独での最多得点記録保持者となった。
10月17日の南米予選第4節ウルグアイ戦で前半44分に左膝を負傷し担架で運ばれてピッチを後にすると、膝の前十字靭帯と半月板の断裂という重傷を負ったことが判明。長期離脱となる。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2009 | サントス | ブラジレイロ・セリエA | 33 | 10 | |
2010 | サントス | ブラジレイロ・セリエA | 31 | 17 | |
2011 | サントス | ブラジレイロ・セリエA | 21 | 13 | |
2012 | サントス | ブラジレイロ・セリエA | 17 | 14 | |
2013 | サントス | ブラジレイロ・セリエA | 1 | 0 | |
2013-14 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 26 | 9 | |
2014-15 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 33 | 22 | |
2015-16 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 34 | 24 | |
2016-17 | バルセロナ | ラ・リーガ | 30 | 13 | |
2017-18 | パリ・サンジェルマン | リーグ・アン | 20 | 19 | |
2018-19 | パリ・サンジェルマン | リーグ・アン | 17 | 16 | |
2019-20 | パリ・サンジェルマン | リーグ・アン | 15 | 13 | |
2020-21 | パリ・サンジェルマン | リーグ・アン | 18 | 9 | |
2021-22 | パリ・サンジェルマン | リーグ・アン | 22 | 13 | |
2022-23 | パリ・サンジェルマン | リーグ・アン | 20 | 13 | |
2023-24 | アル・ヒラル | SPL | 3 | 0 | |
2024-25 | アル・ヒラル | SPL |
個人タイトル
- 南米年間最優秀選手賞:2回 (2011年、2012年)
- FIFAプスカシュ賞(2011年)
- FIFAコンフェデレーションズカップ ゴールデンボール(2013年)
- FIFAワールドカップ ブロンズブーツ(2014年))
- UEFAチャンピオンズリーグ得点王(2015年)
- リーグ・アン年間最優秀選手賞(2018年)
プレースタイル
前線のポジションであればどこでもこなすことができるが、もっとも能力を発揮しやすいポジションは左のウイング。
スピードに乗ったドリブルや多彩なフェイント、トリッキーなプレーが持ち味。ウイング起用時は左サイドから中央に切れ込んでシュートまで持って行く形が多い。ドリブル、パス、シュート全てにおいて一流のプレイヤーであり、ヘディングでゴールを奪うこともある。
ドリブルはスピードとテクニックで相手を翻弄するスタイルで、ボディフェイントで相手の重心をズラしたり、ダブルダッチを駆使して相手の反対にボールを置くなどの相手の逆を突くプレーを得意としている。対峙したDFとの駆け引きにも長けており、相手よりも半歩早く動き出すことで自分でタイミングを決めてしまう。また、スローダウンすることでワンフェイント入れた後にスピードアップさせたときの早さを際立たせている。
プレースタイルとしてはロナウジーニョよりもブラジルのドリブルキングとして知られるロビーニョのほうが近いが、大きな違いはキックの精度の高さと決定力の高さにある。
欠点はブラジル人のクラックにありがちなボールを持ちすぎて球離れが悪くなることと大事な試合でしか守備をがんばらないこと。また、近年は怠慢さから怪我で離脱することが多い。
人物・エピソード
派手な見た目やそのスター性とは裏腹に謙虚な発言も多く、好青年である事が窺える。
だが、先述のコパ・アメリカの一件のように感情を抑えきれず顰蹙を買う行動に出てしまう若さも見られる。PSG移籍後は、夜遊びがたびたび報じられたり、前述したようにPKのキッカーを巡ってチームメイトのカバーニと揉めたり、観客への暴行を働くなど問題行動が目立ち、ファンから顰蹙を買っている。
サッカー界におけるブラジルとアルゼンチン、ペレとディエゴ・マラドーナが対立している事は周知の事実であり、双方の後継者との呼び声高いネイマールとアルゼンチン代表リオネル・メッシのライバル関係を煽り立てようとするメディアも少なくない。しかしネイマールは「メッシが世界一」「メッシを助けるために(FCバルセロナへ)来た」等とメッシに対して好意的なコメントを度々残している。また、同胞であるロマーリオとロビーニョに憧れている。
2011年に当時交際していた女性との間に第一子となる男児が誕生。認知はしているもののその女性とは2013年に破局している。その後、本人が否定したものも含めると17人もの女性と交際の噂が報じられている。
2017年5月、アメリカのESPNは世界で最も有名なアスリート100名を発表し、ネイマールは6位に選出された。サッカー選手ではクリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシに次ぐ3位。
また、ダイビングが多いと批判されることも多い。これについては2018年以降「転がるネイマール」としてサッカーファン以外の間でも知られるようになった。詳しくは当該記事を参照のこと。
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