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ドルナ
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ドルナexitとは、MotoGP運営する団体である。
 

概要

正式名称は『ドルナスポーツ』で、本社はスペイン首都マドリードにある。
バルセロナロンドン東京に支社がある。

1991年以前はFIM(国際モーターサイクリズム連盟)が直々にMotoGP運営をしていたが、
1992年以降はFIM契約を交わしたドルナがMotoGP運営をするようになった。

MotoGPに関する商標権・テレビ放映権などの権利を管理している。

ドルナの大は、ブリッジポイントexitという投資企業カナダ年金基金exitである。
このブリッジポイント20112012年頃にスーパーバイクexit運営企業であるインフロントを買収し、
ドルナとインフロントの両方を下に収めた。

それまでドルナとインフロントは商売敵として々しく舌戦を繰り広げてきたが、
この買収によってMotoGPスーパーバイクが経営統合され、落ち着いた関係になった。
 

ドルナのCEO カルメロ・エスペレータ

カルメロ・エスペレータ(Carmelo Ezpeleta)exitはドルナのCEOで、MotoGP運営トップである。

バーニー・エクレストンexitF1界のボス)のMotoGP版、と言うと分かりやすいだろう。

辛抱強く話し合って交渉を進めていくスタイルで、強権発動を好まない。バイクメーカーと協議をしたり、ライダーたちから安全性確保についての要を受け付けたり、世界各地のサーキット運営者と交渉したりと、忙しい立場である。

姿形

MotoGPの最大排気量クラス決勝のスターティンググリッドには必ずと言っていいほど出現する。

にこにこ笑いながら開催地の有政治家と握手して歓談している人がいたら、それはおそらくエスペレータである。

えんじ色のセーターを着ていることが多いが、たまに開催地ゆかり装をする。
2017年オーストリアGPでレーダーホーゼンexitを着ていたし、
2015年日本GPで「祭」の法被exitを着ていた。

略歴

1946年7月17日生まれ。5歳のころ初めてF1を見たという。それ以来ずっとモータースポーツと共に生きてきた。 アマチュアながら、バイク四輪レーサーだった。

1974年、28歳の頃スペインバルセロナから西に120km離れたカラファトサーキットexitを設立し、運営者として第一歩を踏み出した。マドリードのハラマサーキットexitの経営やカタルーニャサーキットの創設にも関わっている。

1991年、45歳の頃、ドルナに入社する。このときドルナの社員数は僅か7人だった。
このころバーニー・エクレストン交を結んでおりレース運営や経営についてのノウハウを教わった。

1992年、彼の働きによってドルナはMotoGP商標権・テレビ放映権を取得した。

2016年7月17日は70歳の誕生日だったので皆に祝われている。画像1exit画像2exit

経営方針

レースにかかるコストを削減して、プライベーターバイクメーカーの直接支援を受けないチーム)が
参加しやすくなるようにして参戦台数を増やそうとするのが、最近の経営方針である。

中量級クラスに出走するマシンエンジンワンメイクにしたり、
最大排気量クラスCRTマシンを出走できるようにしたり、
最大排気量クラスに出走するマシンの電子制御を共通化してみたりと、
近年のそうした動きは、「コスト削減して参戦台数を増やす」という経営方針の現れである。

メーカー側、特にホンダヤマハは、「コスト削減は反対。MotoGPには最高のマシンを出走させるべき」
という立場で、たびたびドルナと衝突する。
 

レースディレクションにメンバーを送り込む

MotoGPにおいて、レースを円滑に進行させるため、レースディレクションというものが組織される。

レースディレクションはが降ったときの旗を降るかどうかを決めるし、脚が強くなって豪雨になったとき旗中断するかどうかを決める。他にも様々な決めごとを即時に決断する。

レースディレクションの構成員は通例3人。1人はFIM代表、1人はドルナ代表、1人はIRTA代表。
3人が合議して物事を決める。万が一3人の意見が合わなかったら、IRTA代表の意見が通る。
IRTA代表はレースディレクターと呼ばれ、レースディレクションの代表格となっている。

レースディレクションのメンバーは変遷している。表にしてまとめるとこうなる。

FIM代表 ドルナ代表 IRTA代表(レースディレクター
2010年 クロード・ダニスexit ハヴィエル・アロンソexit ポール・バトラーexit
2018年 フランコ・ウンチーニexit ロリス・カピロッシexit マイク・ウェッブexit



せっかくなので、ハヴィエルアロンソロリスカピロッシについて、簡単に紹介しておきたい。

この動画で身を乗り出している人exitがハヴィエルポールバトラークロードダニスがいる。

ドルナ代表ハヴィエルアロンソIRTA代表ポールバトラー、FIM代表クロードダニス、
この3人が合議してレースディレクションを決めている体制であることがよく分かる動画である。

インタビュー動画exitあり。名前検索すると記事がヒットする。記事1exit記事2exit記事3exit記事4exit

1992年にドルナに入社した最古参の人物で、長年カルメロエスペレータの右腕として様々な仕事を精的にこなしており、カルメロエスペレータの後継者補の筆頭格とされていた。

ところが2016年11月に突如ドルナを退職してしまう。後任にはロリスカピロッシが着いた。
ハヴィエルアロンソはドルナの中で強大な権を持っていたので、自発的に退職したとは考えにくい。
「実際は更迭・追放ではないか」と大いに噂された。
どこのメディアも退職の理由を突き止めることができておらず、に包まれている。
 

レースの安全面を保つ責任者であり、レースディレクションにおけるドルナ代表である。

かしいレースキャリアがある元・MotoGPライダー日本語Wikipediaありexit

2011年11月引退した後、ドルナに就職し、安全面のアドバイザーになるexit
2012年シーズンから、すでにレースディレクションのアドバイス役だったexit

2016年11月に、レースディレクションにおけるドルナ代表に昇格した。

レース中にマシンからが漏れて路面を汚した、という事態になるとセーフティーカーに乗って出動、
携帯電話を片手に必死に路面チェックに駆け回る。

2018年イギリスGPでは豪雨が降り、何度もセーフティーカーに乗ってコースの状態を確かめた。
何度もコースに出ているうちに遊びたくなったのか、セーフティーカードリフトを披露していた。

2017年には「全メーカーMotoGP最大排気量クラスマシンを試乗」というドルナの企画に参加した。
ドゥカティexitKTMexitスズキexitアプリリアexitホンダexit、の画像が彼のTwitterに出てくる。
スズキexitホンダexit動画が出ている。KTMのツィートexitは勢いで楽しそう。

サッカーユヴェントスが大好き。いわゆるユヴェンティーノ。画像1exit画像2exit



モナコモンテカルロexit在住。因縁の相手原田哲也とは近所同士で現在はとても仲が良い。

原田との付き合いは1996年にまで遡る。
ロリス原田の2人は実質的にヤマハワークスと言って良い存在のチームレイニーに所属していた。
ロリス500ccクラス原田250ccクラスであり、「違う排気量クラスになると仲良くなる」と
言われるようにロリス原田は仲良くなった。
2人は同時にチームレイニーを辞めたのだが、蓋を開けてみるとなんと全く同じチームに移籍していた。
2人とも同じチーム秘密裏に交渉していたのである。
1997年250ccクラスアプリリアワークスチームメイト同士で、引き続き仲が良かった。
ロリスはもともと人が良くて面倒見が良かった、と原田言している。

1998年は引き続きチームメイトとして250ccクラスを戦った。
250ccクラスアプリリアワークスにはさらにヴァレンティーノ・ロッシも加わり3人体制になった。
この3人は実伯仲しており、僅差でチャンピオン争いをすることになった。

1998年の最終戦で大事件が起き、ロリス原田は口も利かない間柄になった。
その頃あたりから2人ともモナコモンテカルロexitに住んでいて、
を運転するときに交差点ですれ違ったりする。そんなときはお互いをそらし合っていたという。

時が流れて2人とも子どもができ、同じ学校に通うようになった。
すると子ども学校奥様同士、イングリッドさんexitと美由希さんが仲が良くなっていった。
奥様同士で「ちょっと食事でもしましょう」となって会うようになり、
そして旦那に「あんたも来なさいよ」となっていく。
ロリス原田奥様に頭が上がらないので(MotoGPライダー奥様に心配ばかりかけてきて、
心理的に負いがあるのである)奥様の言いつけに従って4人で食事をしたりする。
そしてお互いのに招待しあうようになっていく。

こうして段々とロリス原田は関係修復していった。
この関係修復が始まったのが2012年頃であるらしい。ロリスが現役引退した時期と重なる。

現在原田の雑用をロリスがことごとく引き受けてくれているらしい。
バイクの購入やら具の処分やら、色々切にしてくれる。

ロリスが非常に切な人間であることはアルヴァロ・バウティスタexit言している。
アルヴァロは2010年スズキワークスへ入ったのだが、最大排気量クラスルーキーの彼は
マシンセッティングの出し方がよく分からない。そこで助けてくれたのがチームメイトロリスだった。
ロリスアルヴァロへアドバイスを送り続けていて、アルヴァロは「ロリスには頭が上がらない。
色んなことを教えてくれた。足を向けて寝られないよ。本当に感謝している」とっている。
MotoGP育ちのライダーの大半が「ライバルにはアドバイスしない」という態度であるのだが、
ロリスカピロッシは例外的存在であったのだった。


レースディレクションの中でドルナの一員として仕事をしている人物は、他にもいる。
そのうち1人を紹介しておきたい。

ドルナのCEOカルメロ・エスペレータexit息子TwitterexitInstagramexitアカウントがある。

2019年現在レースディレクションの一員である。

MotoGPセーフティーカー公式スポンサーBMWから提供されたM5exitBMWが作るスポーツセダン
セダン種の中では世界最速の高級)で、これをちょくちょく運転している。

レーススタートの時にセーフティーカースターティンググリッドの最後尾に着かねばならない。

セーフティーカーゆっくり走らせてライダー達をスターティンググリッドに待たしてしまうと、
ライダー達はエンジンを吹かしながらグリッド上で待つことになり、
ラジエータの温が上がり、エンジンに負担が掛かってしまうのである。それは好ましくない。
そういうわけで、セーフティーカーを運転するときは結構急いで走らなければならない。

アイスバケツチャレンジに挑んでいる。画像1exit画像2exit

インタビュー動画があるexit

何らかのイベントがあると親父と同席する。画像1exit画像2exit
 

車体の規格を決める

ドルナは毎年初頭に、レースに出場する体の規格を決めている。

MotoGP体規格に関するニュースでよく名前が出てくる人物は、以下の2人である。

MotoGPテクニカルディレクター(Technical Director)。

2017年以降は、最大排気量クラスにおけるパーツの可否を判定する立場になった。
この人がOKといえば出走可になるし、ダメといえば出走不可になる。

2018年1月のセパンテストヤマハワークスは尖った形状の空力パーツを持ち込んでいてexit
「はたしてこれはいいのか。さて、ダニーアルドリッジはどう判定するか」と盛んに書かれていた。

MotoGPにおいては技術違反でライダー失格することがたまにある。そういうときはダニーアルドリッジが記者会見に臨み、どういう違反だったのかを詳しく説明する。

MotoGPテクノロジーディレクターTechnology Director)

テクニカルディレクターテクノロジーディレクターも和訳すると「技術監督」となってしまう。


毎年開幕戦のカタールGPで「今年のレギレーション 最低重量157kg ガソリン20リットル
エンジン基数5基 ブレーキディスクの最大径320mm」などとられる。
こういった技術規則を決定する立場の人である。

イタリア人で、2005年頃はドゥカティワークスでテクニカルディレクターを務めていたexit
テクニカルディレクターとはどのワークスでも「困ったときの相談窓口」という立場であり、
マシンについて最も詳しい人である。

2014年に最大排気量クラスの電子制御ソフトマニエッティ・マレリの電子制御ソフトになると
決まったとき、この人の名前が盛んに記事に出ていた。
 

全ての機材を輸送する

MotoGPに参加する全てのチームの機材、テレビ放送の機材、セーフティーカー空撮ヘリコプター
ことごとくをトラックへ詰め込み、場合によってはジャンボジェット4機に乗せ、次の開催地へ輸送する。

この輸送作業はかなりの大仕事なので、MotoGP公式サイトでもしばしば取り上げられる。
記事1exit記事2exit記事3exit


MotoGPの輸送に関する動画は多いので、いくつか紹介したい

まずはチームスタッフ全員でピットのものを撤収するexit

フォークリフトがやってきて、積み荷をコンピュータで管理しつつexit、どんどん積み込んでいく。
チラチラとMotoGP公式スポンサーDHLexitが映っている。
DHLはドイツポストexitドイツ日本郵政)の下にあるドイツの物流企業

トラックが列を作って搬送していくexit
MotoGP公式スポンサーIVECOexitトラックが大活躍している
IVECOイタリアの巨大企業フィアット下のトラック企業イタリア・トリノに本社がある

最後にジャンボジェット機に荷物を載せるexit航空機の手配はDHLの得意分野である
 

輸送部門の責任者

MotoGPの輸送部門責任者。彼の仕事レースが終わったあとに始まる。

検索すると記事がヒットする。記事1exit記事2exit記事3exit

インタビュー動画ありexit
 

テレビ局に放映権を売り込む

ドルナにとって大きな収益となるのが放映権で、これを各テレビ局へ売り込むことが大仕事となる。

テレビ局への放映権の売却のニュースでしばしば名前が挙がる大物は、次の人である。

1992年からドルナがFIMからドルナの運営権を委託されるようになったが、その年にドルナに入社した。
それ以降はドルナのメディア向け営業担当員として辣腕を振るう。

どこかのテレビ局契約した、という記事がいくつか見つかる。記事1exit記事2exit

2018年11月スペインにおける独占放映権をDAZONが獲得したというニュースが流れたexit
そのニュースでドルナ代表として明を発していたのが、マネルアロヨである。

インタビュー動画がいくつかある。動画1exit動画2exit動画3exit

なんと、世界的な名門サッカークラブFCバルセロナ副会長でもある。
マネル・アロヨexit」「マネル・アローヨexit」と検索するとバルサ副会長としての記事がヒットする。
マーケティング及びコミュニケーション担当で、カタール航空楽天といったスポンサーとの折衝を行っている。2010年7月からFCバルセロナの役員になり、2014年3月に副社長になった。

FCバルセロナ社長とドルナ重役を同時に務めるという、にわかに信じがたいような活躍をしている。
 


簡単にマネルアロヨの経歴を紹介しておきたい。

1960年3月10日スペインカタルーニャ州バルセロナ近郊のヴィクexitで生まれた。

もともとは生まれ故郷のヴィクexitラジオ局のジャーナリストだった。
モータースポーツ地方イベントの開催に関わったこともある。

Radio Nacional de España (RNE)exitというスペインラジオ局勤務を経て、
Televisión Española (TVE)exitというスペインテレビ局に移った。
ちなみにRNEとTVEはグループ企業で、どちらもRTVEという会社exit下になっている。

TVEには1986年に入社し、F1MotoGPラグビーコメンテーターを務めた。
1987年TVEのスポーツ番組『Estadio 2』の編集者になっている。

1988年TVEを退社し、今度はCadena Serexitというスペインマドリッドを本部とするラジオ局に就職。
そしてすぐにCadena SERexitを退職し、RACCexitメディア担当の役員になった。

ネルアロヨはRACCの一員として駆け回り、ラリー・カタルーニャexit1991年からWRCカレンダーに加えさせることに成功した。

また、マネルアロヨはRACCの役員としてカタルーニャサーキットの設立に深く関わった。
このとき、カルメロエスペレータと知り合った。
1991年カタルーニャサーキットが開業してF1スペインGPが開催され、
1992年バルセロナオリンピックが開催されカタルーニャサーキット自転車競技の会場になった。
こうして、マネルアロヨとカルメロエスペレータの努は実を結んだのであった。

1992年からドルナに入社したのは先述の通り。

こうして彼の経歴を振り返ると大変な働き者であることがよく分かる。
地方ラジオ局のジャーナリストからここまで出世したというのも驚愕するしかない。

本人のTwitterexitあり。息子ダヴィド・アロヨ(David Arroyo)はドルナのテレビ部門で働いている。

マルク・マルケスFCバルセロナの大ファンで、喜んでコラボ企画に参加している。
そういうとき、マネルアロヨが記念写真に写っている。画像1exit画像2exit
 
 

レースの撮影

熟練スタッフを大勢引き連れる

ドルナは多くの撮スタッフを抱えており、レースに帯同する人数は200人ほど、
機材の量は35トンほど、サーキットに持ち込むテレビカメラの総数は150台ほどにも及ぶという。

サーキットの中の要なコーナー1つにつき、カメラを2台配置する。
1台は先頭ライダーを映し、もう1台は後続ライダーを映す。
カメラ1台に付き熟練のカメラマンが1人付く。
カメラマンは毎年同じコーナー取り、経験を積み重ねて撮の腕を磨いていく。

こちらのブログexitではカメラマンの画像・動画が掲載されている。カメラマンは回転する椅子に座り、
ライダーが来るのに応じてぐるーんと回転して映像を撮る。

最大排気量クラスバイクに搭載するオンボードカメラ最低でも3台で、
勝ち負けを争うトップライダーともなるとさらにカメラを多く搭載することになる。
そうした多くのカメラから得られる映像を熟練のスタッフが選別し、全世界テレビに発信する。

1992年以前のMotoGPテレビ放送は今にべて拙劣なものだった。
サーキットのあるの地元テレビ局が、慣れない作業に手間取りつつ撮していたからである。
現在では先述のように200人ほどのスタッフが毎戦レースに帯同し、完璧な作業で美麗映像を作っている。

この動画exitではドルナのテレビスタッフの様子が映されている。ケーブルの敷設のシーンが多い。

ヘリコプターを各サーキットを持ち込み、空撮映像を撮っている。この動画exit紹介されている。
 

最新鋭カメラを次々と導入する

最先端のカメラを積極的に導入する事でも知られている。

2009年ドイツGPから11,500コマスーパースローカメラを導入した。
こんな感じの動画になるexit
これによりマシンの挙動が正確に分かるし、タイヤの消耗度合いも丸わかりとなる。

2018年アルゼンチンGPでは12,000コマスーパースローカメラを使っていた。

ちなみに2016年オリンピックでは110,000コマスーパースローカメラを使い、計測をしていた。
MotoGPの撮においては、さすがにそこまでのスローカメラは必要とされていない。

2010年ドイツGPあたりからジャイロスコープ(gyroscope)カメラを導入した。
これはマシンを傾けていてもカメラが垂直を保つカメラである。
こんな感じのバックオンボードカメラ動画になるexitバイクの傾きを実感できる。

2014年カタルーニャGPではブラッドリー・スミスマシン
ジャイロスコープを保ちつつリモコンで回転するカメラ」が導入された。
こんな感じの動画になるexitマシンマシンの接近を鮮明に捉えるようになった。
カメラが回転する様子はこの動画exit紹介されている。

2016年イギリスGPではヴァレンティーノ・ロッシマシン
360 Gyroscopic Camera」が導入された。
これは、ジャイロスコープを保ちながら360度全周を同時に撮できるカメラである。
これがそのカメラによるオンボードカメラ動画exitで、よりパノラマな映像になった。
こちらの動画exitでもパッシングシーンの滑らかな視点移動を堪できる。

MotoGP公式サイトのこのページexitでは、動画マウスクリックして動かすと視点360度変更できる。

こちらの動画exitでは、360カメラが映し出されている。
 

オンボードカメラ進歩の歴史

ドルナのオンボードカメラバイクに搭載するカメラ)に対する情熱は素晴らしいものがある。
公式サイトのこのページexit歴史がまとめられているので、引用しつつ紹介したい。

1985年6月29日TTアッセン・サーキットで開催された第7戦オランダGPで、
独走優勝したランディ・マモラのホンダに初めてオンボードカメラが搭載された。
そのときのオンボードカメラの重量は1,325gだった。

1998年バイクメーカー達と契約を結び、オンボードカメラを搭載することをメーカーに義務づけた。
ここから、バイクメーカーオンボードカメラを考慮に入れてマシン設計をするようになる。
メーカーからは軽量化の要があったのでドルナはそれに応えるべく、次々とカメラを軽量化した。

ちなみに各メーカーテストをする際、オンボードカメラと同等の重さ・形状の模型マシンに付け、
そうしてから走行してデータをとっている。

2003年にはヴィジリンク社exitギガウェーブ社exit契約を結び、軽量化をさらに進める。

2007年にはヘルコプターを通じて送られるバイクからの映像信号がアナログからデジタルに切り替わり、
だけでなく、ボックスやトンネルといった障害した。
それ以前はトンネルをくぐるときに必ずオンボード画像が乱れていた。
映像信号のデジタル化により、このようにトンネルでもオンボード画像が乱れなくなっているexit

2010年には先述のように垂直を保ち続けるジャイロスコープカメラを導入している。

さらには日本富士フイルムexitが高性レンズ開発、さらに画像が鮮明になった。

2015年にはオンボードカメラの重量は78gにまで軽量化している。

こちらの動画exitにてオンボードカメラの進歩の歴史られている。
 

撮影の総責任者

ドルナの撮部門の責任者。

スペインカタルーニャ州出身。ドルナのテレビ当職員にはカタルーニャ州出身者が多いという。
テレビの生中継という速度を重視される職場なので、同一言を話す同一スタッフで固めた方が
なにかと都合が良いようである。

セルジ・センドラの前には多数のボタンがあり、彼がそれを押して、
どの映像を映すのか最終判断をしている。この動画exitでも多くのモニターボタンが見える。

最近のドルナの中継では動物昆虫を11500コマスーパースローモーションで撮するが、
これはセルジ・センドラの趣味であるらしい。

こちらexitが本人のTwitterカウント。とか山脈など風景画ばかりアップロードしている。

こちらの動画exitインタビューに応じている。
 

テレビ放送

ドルナは公式実況をしており、世界中に配信している。

現在世界の基軸言英語なので、英語圏の人がドルナ実況班に採用されることが多い。

現在のスタッフ

マットバート(Matt Birt)と呼ばれることが多い。
2014年までBTスポーツ英国の大手通信業者BTグループexitの、スポーツ中継部門)に在籍していた。

2015年からMotoGPの最大排気量クラス実況になり、ニックハリスと2人で実況をし始めた。
2015年4月の動画exitインタビューに応じている。
2018年からは組む相手がスティーヴ・デイになった。

Twitterカウントexitがある。

2017年まではMoto3クラス実況を担当していた。
2018年からは最大排気量クラス実況マシューバートとともに担当するようになった。

前任者のニックハリスと違って、かなり甲高いである。
マシューバートも甲高いが、それよりさらに甲高いのがスティーヴ・デイ。この動画exitでもよく分かる。

Twitterカウントexitがある。

MotoGP公式実況ピットレポーター。レース中にピットでの動きを伝える。
レースが終わったらパルクフェルメに行き、表ライダーへのインタビューを行う。

ニュージーランド人で、元MotoGPライダー。大柄な体格で、大きなバイクレースに強かった。
1994~1997年スーパーバイクに参戦し、ランキングは5~7位でなかなかの好成績だった。
1998年に最大排気量クラス優勝1回、2位1回3位1回。日本語版Wikipediaありexit公式Twitterもあるexit

2018年に、ディラン・グレイの後を引き継いでピットレポーターに就任した。

2017年までのAfter the flag(ドルナがレースごとに作る動画)はディラン・グレイが中心だったが、
2018年After the flagサイモンクラファー、マシューバート、スティーヴ・デイの3者対談動画になった。こんな動画exitが毎回上がっている。

英語圏には、シャキシャキとした発音の英語を話す人が多い。ディラン・グレイもそういう発音だった。
ところがサイモンクラファーの英語はかなりねっとりとしており、語尾ハートマークをつけると
ちょうど良いんじゃないかという印を受ける。

女性リポーター。1992年頃生まれで、TwitterexitInstagramexitFacebookexitアカウントあり。

この記事exitインタビューがある。それによると、彼女庭はそろってサッカー好きなのだが、
友人モータースポーツ大好きで、それにされた。
モータースポーツに関わりたいと思い、10代後半にグリッドガールに応募した。
モンスターエナジーグリッドガールをすると同時に大学へ通い、放送・ジャーナリズムの学位を取った。
そうしているとモンスターエナジーから「モトクロス世界選手権の取材をしないか」と誘われた。
それに応じて20112013年の3年間をモトクロスの取材に費やした。

2014年からはドルナに入社し、重な女性レポーターとして活躍する。
2015年からはAfter the flagにも出演し始めexit、以降は同番組の常連になる。

2016 Czech After the flag」とYoutube検索すると、2016年チェコGPのAfter the flagの動画exitが出てくるのだが、そこにエイミー・ダーガンが出てくる。
そんな調子で、After the flag動画を漁っているとしょっちゅうエイミーに出くわす。

2018年第3戦アメリカズGPではサイモンクラファーが一身上の都合のため欠席した。
そのときはエイミー・ダーガンが代わりにピットレポーターとなり、パルクフェルメにいた。

シャキシャキ・ハキハキとリズムカルに喋る。いかにもと言った感じの英語圏の喋り方と言える。
 

過去のスタッフ

英国リーズexit出身。公式Twitterありexit

リーズ大学の言系の学部に行き、文学スペイン語フランス語を学んだ。それらは卒業後も学び続けている。卒業論文スペインスポーツメディアについてだった。

2000年頃、既にマット・ロバーツexitという男がドルナで働いていた。マットはガヴィンの大学時代の友人で、マットウェブサイト運営を担当していたが人手不足助けてくれる人が欲しかった。
マットはガヴィンを上紹介した。マットの上とガヴィンが面談してすぐ採用が決まり、1週間後にガヴィンはスペインバルセロナに引っ越してドルナのウェブサイト運営を手伝い始めた。
2001年頃のドルナの英語版ウェブサイト運営は、マットとガヴィンの2人だけで行っていた。

ドルナに入社して1年ウェブサイト運営だけをしていて2年からテレビインタビュー仕事もするようになり、さらにはスズキやDUNLOPの社内向けビデオ制作した。
スズキ向けのビデオナレーションをするようになった。子供の頃からテレビ実況をしたいと思っていて、ナレーションの作業はずっとやりたいと思っていたことだった。

ドルナに「テレビ実況仕事をしたい」と言い続け、2003年オーストラリアGPでそれがった。

2010年頃には最大排気量クラス実況ニックハリスとともに行うようになっている。

After the flagには毎回出演していた。2013年までのAfter the flag動画をよく見ている人にとって、
ガヴィン・エメットはおなじみと言えよう。こちらexitAfter the flagプレイリスト

2012年exit2013年exitMotoGP年間表式の会を務めている。まさしくMotoGPの顔だった。

2014年初頭にドルナを退職し、BTスポーツ英国の大手通信業者BTグループexitの、スポーツ中継部門)
転職した。2014年4月の動画exitでさっそくBTスポーツの一員になっている。

2018年もBTスポーツリポーターで、レース前は英国ライダーのところにいた。
レースが終わるとパルクフェルメにいる姿が見られた。
After the flagで見られるような陽気で開放的な表情ではなく、生放送に臨むテレビスタッフという感じの、緊感ある表情をしていた。

2019年も引き続きBTスポーツリポーターとしてMotoGPにやってくる。



テレビアナウンサーとしての本格的な教育を受けたわけではなく、子供の頃からアナウンサーが喋っているのを聞いてそれを真似しているだけである。このため、やや量が乏しく、実況の途中でがかすれることがある。この歴史的なレースの動画exitをかすれさせてしまった。

の専門で、英語フランス語スペイン語を流暢に話すことができる。イタリア語もかなり上手い。
カタルーニャ語は理解できるが喋ることができない。

レース後の記者会見で、Moto2時代のアンドレア・イアンノーネ英語を話さず、イタリア語を喋っていた。そういうとき、記者会見会を務めるガヴィンは、即座に英語翻訳して話していた。記者会見会と通訳を兼任していたことになる。

ガヴィン・エメットというと「ウェルダンWell done)」である。この人はレース後の記者会見
会を務めていて、ライダーに話しかける役を務めていた。ライダー一通り喋ると、
Congratulations,○×(ライダー名) Well done」などと言ってインタビューを締めくくる。

Congratulationsは「おめでとう」の意味で、これは普通の表現。
ここでちょっと意外な言葉なのがWell doneで、この言葉はサッカーコーチ少年に向けて掛けるような言葉であり、かなりというか相当に気さくな言葉である。日本語にすると「よくやったね!」となる。
このWell done全に口になっていて、毎回必ず言っていた。
 

もともとはアナウンサーナレーターだった。公式Twitterアカウントありexit
2013年にドルナへ入社。2014年はガヴィン・エメットの後を継いで最大排気量クラス実況を務めた。
2014年After the flag会者の1人だった。こちらの動画exit会者に就任している。

2014年をもってドルナのMotoGP担当から離れ、ドルナのスーパーバイク担当へ異動していった。
彼の後を継いだのが、マシューバートである。

2017年1月にドルナを退社し、その後はテレビ局へ就職してモータースポーツ実況をしている。

MotoGPの名物実況アナウンサー。ちょっとしわがれた感じのでアクセントをつけて巧妙に喋る。

MotoGPに関する知識も相当なものなので、レースウィーク記者会見会を務めていた。

公式Twitterexitあり。オックスフォード大学exitで有名な学園都市オックスフォードexitに住んでいる。
ちなみにオックスフォードシルバーストンサーキットにかなり近い。

オックスフォード・ユナイテッドexitという地元のサッカークラブファンであり、
ラジオ実況もしていて、この動画exitでは25年も実況仕事を続けたことが分かる。

1947年生まれ。1979年頃からMotoGPに関わり始めたらしい。

1992年には既に最大排気量クラス担当の看板アナになっているexit

2017年、70歳になったのを機に勇退した。ライダー達のモノマネを含むお別れ動画exit製作された。

藤原らんかの絵はこちらexit

末尾にエ音が入る言葉を言うのが苦手なのか、イアンノーネを「イアンノーニexit」、コルテーセを
コルテーシexit」と発音している。ニックハリスだけでなく、ガヴィン・エメットもそう言っている。

ピットレポーター。レース中にピットでの動きを伝える。
レースが終わったらパルクフェルメに行き、表ライダーへのインタビューを行う。

この動画exitの最初から登場している。聞き慣れたなので「ああ、あの人か」となるだろう。
この動画exitで、パルクフェルメにおけるインタビューが映っている。

この人は企画モノ動画にも参加している。
GoProカメラをあちこちに付けたバイクにまたがり、コース紹介実況をしながら全走行する。
こんな感じの動画exitYoutubeにいっぱい上がっている。ハァハァ言いながら走っているのが面い。

この動画exitではライダースーツ姿が映っている。

この動画exitでは右手にギプスをしている。(コース走行中に転倒して怪したのだろう)

この動画exitではスペイン語っぽい歌を歌っている。


2002年から2006年までサウサンプトン大学工学科に通っていた。
2007から2012年4月までバイク雑誌の編集者をしていた。
2012年4月にドルナへ入社。
2013年からピットレポーターとなる。動画1exit動画2exit

2014年からAfter the flag動画会者となる。この動画exit会者に就任している。
それからは2017年終わりまでずっとAfter the flagに出続けていた。

2017年をもってドルナを退職した。こちらが公式Twitterでのお別れ挨拶exit
 

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