華族の一覧とは、明治維新後から日本国憲法の制定まで日本に存在した華族制の中で、華族とされていた家についてまとめたものである。
概要
華族制ができた際には基本的に従来朝廷に合った貴族とその分家の社家寺家、維新前に藩主等の地位にあった武家、それに加えて維新の際勲功があったものの、三種類が主な出自であったが、その後の日本の歴史にあわせて様々な勲功華族が増加し最終的には1000近い家がこれに属した。また華族であるために重要なポストにつかされたり、逆に重要なポストにあったために華族にされたりといったために、ある意味維新から大戦終了までの日本史の縮図のようなことになっている。
ただ華族とはいえいい暮らしができたかというとそうでもなく、非勲功華族の男爵は経済的に困窮し、旧藩主の上位の爵位の家であっても家宝を切り売りして生活を送っていたなどの状態にいたものもあった。
なお、改めて説明しておくと爵位は公爵>侯爵>伯爵>子爵>男爵、という並びである。
一覧
公家出身者
| ア行 | カ行 | サ行 |
|---|---|---|
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| タ行 | ナ行 | ハ行 |
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| マ行 | ヤ行 | ラ行 |
| ワ行 | ||
僧職・神職出身
- 玉松家・男(醍醐寺)
- 若王子家・男(聖護院)
- 千秋家・男(熱田神宮)
- 名和家・男(名和神社)
- 荒木田家・男(伊勢神宮)
- 河辺家・男(伊勢神宮)
- 松木家・男(伊勢神宮)
- 津守家・男(住吉神社)
- 紀家・男(和歌山日前神社)
- 金子家・男(物部神社)
- 小野家・男(日御碕神社)
- 千家家・男(出雲大社)
- 北島家・男(出雲大社)
- 宮成家・男(宇佐神宮)
- 到津家・男(宇佐神宮)
- 高千穂家・男(英彦山神社)
- 阿蘇家・男(阿蘇神社)
- 華園家・男(京都正興寺派管長)
- 大谷家・伯(真宗本願寺派管長)
- 常盤井家・男(真宗高田派管長)
- 木辺家・男(真宗木辺派管長)
- 渋谷家・男(真宗仏光寺派管長)
- 大谷家・伯(真宗大谷派管長)
皇族出身
- 二荒家・伯(北白河宮分家)
- 上野家・伯(北白河宮分家)
- 清棲家[1]・伯(伏見宮分家)
- 山階家・侯(山階宮分家)
- 久邇家・侯(久邇宮分家)
- 華頂家・侯(伏見宮分家)
- 筑波家・侯(山階宮分家)
- 鹿島家・伯(山階宮分家)
- 葛城家・伯(山階宮分家)
- 東伏見家・伯(久邇宮分家)
- 伏見家・伯(伏見宮分家)
- 音羽家・侯(朝香宮分家)
- 小松家・侯(北白川宮分家)
- 粟田家・侯(東久邇宮分家)
- 宇治家・伯(久邇宮分家)
- 龍田家・伯(久邇宮分家)
旧諸侯
勲功華族
| ア行 | カ行 | サ行 |
|---|---|---|
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| タ行 | ナ行 | ハ行 |
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| マ行 | ヤ行 | ラ行 |
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| ワ行 | ||
関連項目
脚注
- *華族として認定されたのは二荒、上野両家より先なのだが、こちらが臣籍降下なのに対し上記の二家は当初から臣籍にあったのでこのような並びにされることが多い。
- *内閣総理大臣加藤高明の家
- *内閣総理大臣加藤友三郎の家
- *肥後菊池氏の子孫を称する交代寄合にいた米良氏
- *二・二六事件で襲撃された鈴木貫太郎の家
- *内閣総理大臣田中義一の家
- *新田氏の中では江戸幕府で交代寄合にいた岩松氏の系統
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