ナリタトップロード
想いはひとつ、頂点への道
振り返ればそこには、素晴らしきライバルとの覇を競った日々がある。
激闘の末に咲かせた菊の大輪がある。だが君はひたむきに走り続けていく。
しのぎを削った友たちがターフを去った後も、世代の誇りを胸に抱き、新たなる戦いに挑む。
君と、そしてみんなの想いはひとつ。頂点への道。
ナリタトップロードとは、1996年生まれの競走馬。1999年の菊花賞に勝った名馬である。略称はトップロード、トプロ。
しかしそれよりは、3年連続の天皇賞春3着の珍記録、そして勝ち鞍の実績以上にファンの声援を集めたことが有名かもしれない。
主な勝ち鞍
1999年:菊花賞(GI)、弥生賞(GII)、きさらぎ賞(GIII)
2001年:阪神大賞典(GII)
2002年:京都記念(GII)、阪神大賞典(GII)、京都大賞典(GII)
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この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「ナリタトップロード(ウマ娘)」を参照してください。 |
父サッカーボーイ 母*フローラルマジック。1996年生まれ。
1999年に、菊花賞含めた重賞3つを獲得。皐月賞馬テイエムオペラオー、ダービー馬アドマイヤベガと共に次世代を担う存在として期待された。だが、2000年は古馬王道を制覇するオペラオーと、それに及ばずも、オペラオー以外に先着を許さないメイショウドトウの陰に隠れてしまう。2001年以降は台頭する次世代と戦い、オペラオーが引退した後の2002年には、古馬王道における99世代最後の壁として重賞3つを勝利する活躍を上げた。同年に引退。
そのまま、種牡馬入りし、サッカーボーイの後継種牡馬となることが期待されたが、2005年に11月7日午前1時に心不全で死亡した。
1996年4月4日に北海道沙流郡門別町(現・日高町)の佐々木牧場で生まれる。
父サッカーボーイ 母*フローラルマジック 母父Affirmedという血統。サッカーボーイといえば、イッちゃった三白眼で有名な凶暴馬だが、ナリタトップロードはおっとりとした子供っぽい馬だったという。
牧場の期待馬だったトップロードは2戦目で初勝利。3戦目は敗れるものの、4戦目は強気に格上挑戦、重賞のきさらぎ賞へ向かい、ここを勝利。弥生賞でもアドマイヤベガの追い込みを抑えて優勝。一躍クラシック戦線の注目馬に躍り出た。
鞍上は渡辺薫彦。当時25歳、デビュー5年目だった渡辺騎手にとって初の重賞勝ちがトップロードのきさらぎ賞である。トップロードは所属の沖芳夫厩舎の期待馬。その期待馬に乗せてくれた師匠の沖芳夫調教師に、是非G1のタイトルを! 渡辺騎手は並々ならぬ決意で春のクラシックに望んだ。
しかし、皐月賞では猛然と追い込むトップロードの更に外から、次元の違う脚で飛んできた栗毛の馬がいて負け。ダービーではその栗毛の馬を差し切ったトップロードを更に外から切り捨てた良血馬に負け。
栗毛の馬テイエムオペラオー。良血アドマイヤベガ。この二頭に阻まれて、春のクラシックは3着2着。渡辺騎手はダービーの検量室で男泣きに泣いた。
秋を迎え、京都新聞杯もアドマイヤベガに差し切られる。これは騎手の差が……。という話が当然出たのだが、沖調教師は馬主を説得してまで渡辺騎手を鞍上に残した。
そして菊花賞。4コーナー出口で先頭に立ったナリタトップロードは渡辺騎手の執念の追いに応えてテイエムオペラオーの追撃を凌ぎ切り、見事に優勝。あのテイエムオペラオーを完封したのであるからこの勝利はもっと評価されても良い。渡辺騎手、沖調教師共にG1初制覇。師弟の夢が叶った瞬間である。
トップロード遂に、遂にやった! 渡辺やったー!渡辺やったーガッツポーズ!
うれしい!うれしい! 渡辺やったぞ~! サッカーボーイも喜んでいる!
年末の有馬記念では超名馬スペシャルウィークとグラスワンダーの名勝負に弾き出されて7着。これはまあ仕方が無いところ……ではあるのだが、テイエムオペラオーがスペシャルウィークとのクビ差3着に突っ込んでいたことを考えると差をつけられてしまった感が否めなかった。
皐月賞馬テイエムオペラオー、ダービー馬アドマイヤベガ、菊花賞馬ナリタトップロード。この内、アドマイヤベガが怪我で引退したため、次世代の古馬はトップロードとオペラオーが引っ張ると思われた。だが、この後、トップロードは苦闘が続く。
……概ね奴のせいなのだが。
翌年は京都記念から始動。抜け出したテイエムオペラオーを狙い済まして猛然と外から追い込んで、よし!やった!!と思ったら、なんとオペラオーに差し返されて2着に敗れてしまう。この負け以後、「ライバル」だった筈のテイエムオペラオーの背中が「巨大な壁」に変わるのである。
阪神大賞典でもオペラオーをマークしていながら追い込み切れずに3着。本番の天皇賞春でもオペラオーに競り潰されて3着。どちらもオペラオーを正面から負かしに行っての完敗である。秋になっても京都大賞典でオペラオーが交わせない。強い。絶対に強い。僕らのテイエムオペラオー。何しろこの年のオペラオーは結果的に無敗だったのである。
苦手の渋い馬場の秋の天皇賞ではついてさえ行けずに5着惨敗。ジャパンカップは今年からの新ルールに則り除外されるという更なる屈辱。オペラオーと同じ舞台にも立てないとは……。仕方なく出走したステイヤーズステークス。本来菊花賞馬が出てくるレースではない。当然、格下相手なので「勝たなければいけない」レースだったのだが……。直線入り口で置かれ過ぎたのが響いて4着。
外からホットシークレット! そして! ナリタトップロードは届かないのかどうか!
G1馬、ここでは負けられないが負けた!!
ひでぇ実況である。
流石にこれは庇い切れない負けだったのか、続く有馬記念では騎手がベテランの的場均に交代することになる。しかし有馬も9着。実はこのナリタトップロード、重馬場に加えて中山競馬場がすこぶる苦手であったのだ。大跳びのせいで小回りコーナーがたくさんあるとスピードを出し切れず、中山の長距離はどうも駄目だった。騎手は関係なかった。
オペラオーが古馬王道制覇と満票による年度代表馬の栄誉に浴する中、トップロードは勝利を上げられないまま、年を終えてしまった。更にこの年のGIでは、昨年までは一介の重賞1勝馬に過ぎなかったメイショウドトウ(実は母父がトップロードと同じ)が本格化し、日経賞を除く競走でオペラオー以外に先着を許さなかった。このため、いつの間にかドトウこそがオペラオー最大のライバルと見なされ、トップロードはラスカルスズカと共にその他大勢のポジションに甘んじることになる。
01年緒戦の京都記念も一番人気ながら3着に敗れる。ここで的場騎手は調教師転向のため引退するのだが、後任の主戦騎手はなんと、再びの渡辺薫彦であった。実のところ、沖師は暮れの荒れた中山では誰が乗ってもトップロードは苦戦すると覚悟していた。乗り代わりに的場騎手を推挙したのは腕前ももちろんだが、仮に勝っても翌春の引退が決定していたからである。勝敗に関わらず、なるべく渡辺騎手の株を下げずに、再びトップロードとコンビを組めるようにする段取りだったのだ。
師の配慮とファンの期待に応えるべく、渡辺騎手の気合の入り方は普通ではなかったのだろう。阪神大賞典では斤量59キロを背負いながら、直線入り口で先頭に並び掛けると物凄い勢いでぶっ飛ばして後続に8馬身差。勝ち時計3:02.5は当時の芝3000m世界レコードであり、レースレコードとしては未だに破られていない(サトノダイヤモンドがコンマ1秒迫ったのみ)。惜敗続きだったナリタトップロードの圧勝にファンは沸き立ち、テイエムオペラオーへの雪辱に期待を膨らませた。
ナリタトップロードだ!久々に味わう勝利の美酒!
渡辺薫彦です!ナベちゃんやりました! 渡辺薫彦とナリタトップロード!
あの菊花賞以来、久々に味わう勝利の美酒! 圧勝です!圧勝、レコードタイムです!
しかし、雨降る中での天皇賞春は4コーナー出口先頭の積極策(早仕掛けともいう)も実らず、トップロードは残り200mで力尽きテイエムオペラオーとメイショウドトウに交わされて3着。なんというブロンズコレクターっぷり。逃げても、追い込んでもオペラオーが負かせない……。オペラオーだけならまだしも、それに続くメイショウドトウにすらかなわないのである。
更に秋の京都大賞典。逃げ込みを図るステイゴールドを追い込むナリタトップロード。外からテイエムオペラオー。粘るステイゴールドをオペラオーも交わしきれないか!と思った瞬間、トップロードの渡辺騎手が落馬!ステイゴールドがオペラオー目掛けて斜行し、トップロードと接触したのだ。辛うじて渡辺騎手は無事だったが、この落馬の仕方は物凄く派手で「ナベ死んだんじゃないか!?」とファンは真っ青になったものである。おかげで「渡辺ジャンプステークス」とかいう不謹慎ネタもできたが。ステイゴールドは失格となり、オペラオーが繰り上げ1着。ステゴ鞍上の後藤騎手がオペラオーの馬主に詰め寄られる一幕もあった。
落馬の影響で天皇賞秋は回避。ジャパンカップではオペラオーとジャングルポケットの熱闘の後ろでこっそり3着を確保。ようやく、メイショウドトウに先着するも、このレースを見て「ああ、トップロードは、オペラオーよりどうしようもなく弱いんだなぁ」と思ったファンは多かった。なにしろ、このレースでは二着に負けてしまったオペラオーに3馬身は余裕でちぎられているのである。
苦手な中山の有馬記念では10着。ちなみにこのレースがラストランとなったオペラオーは5着。とうとう、古馬になってついに一度もテイエムオペラオーに先着出来なかったのだ。無論勝てなかったのはトップロードだけではないのだが、クラシック戦線でのライバルと認め合っていた筈のトップロード陣営にとっては屈辱的というしかなかった。実際、今では「オペラオーのライバル」といえばメイショウドトウを挙げる人がほとんどのはずだ。最も、オペラオーに2回以上先着した馬はドトウともう一頭しかおらず、その一頭とはナリタトップロードである。
さて、目の上のタンコブであったテイエムオペラオーとメイショウドトウが引退したんである。いよいよナリタトップロードの時代が来る。
京都記念、60kgの酷量を背負いながらマチカネキンノホシを競り落として勝利すると、阪神大賞典でもジャングルポケットが二着確保に苦しむ中、余裕の連覇。おおおお! ファンはここに来ての本格化に喝采を送り、天皇賞春では彼を一番人気に支持した。
が、直線速めに抜け出したマンハッタンカフェが交わせず、後ろからジャングルポケットにも差されて3着。この瞬間「天皇賞春3連続3着」という、有馬記念3連続3着のナイスネイチャに匹敵する珍記録が達成されたのであった。
秋、負傷療養中の渡辺騎手に代わって四位洋文に乗り変わった京都大賞典では、直線入り口から先頭を譲らない強いレースで勝利。
まぁ、新世代の筆頭たるマンカフェとジャンポケは京都にいなかったけどさ……
マンカフェもジャンポケもいない天皇賞秋は確かにチャンスだった。ところが、よりにもよってこの年は、東京競馬場改修工事のために中山競馬場で行われたのである。直線では良く追い込んだのだがシンボリクリスエスにわずかに届かず2着。当然ながらジャパンカップも中山開催であり……10着。
引退レースは香港国際競争を予定していたが、なんとこの年どころか3年間G1未勝利にもかかわらず、有馬記念出走ファン投票1位の栄誉に輝く。この結果を受け、陣営は感謝の意味も込めて有馬出走を決断した。鞍上には復調したベストパートナー・ナベちゃん。苦手な雨の中、苦手な中山で4着に頑張って、現役生活を終えた。
結局、古馬になってからG1には勝てなかった。しかし、ラストラン後にスタンド前に帰ってきた時の歓声は、ややもすると勝ったシンボリクリスエスに対するものよりも大きかったかもしれない。
その後は、サッカーボーイの後継種牡馬として期待されて種牡馬入りしたのであるが、種牡馬入り3年目に死亡。少ない産駒から重賞勝ち馬を出しているので、期待出来ただけに、非常に残念である。
菊花賞に勝っているし、G2で5勝、重賞は計7勝もしているのである。世界レコードだって出している。並みの馬でなかったことは間違い無い。
しかしながら、とにもかくにもどうしようもなく、徹底して勝ち味に遅い馬であった。それはもう偏にジリジリした末脚に原因がある。切れが無く、後ろからは一歩届かず、かといって粘り切るには厚みが足りない。テイエムオペラオーの厚くて切れる世紀末一の末脚には到底太刀打ちできなかった。ついでに言えば、重い馬場が苦手なのにやたら雨を呼んでしまったり、ステゴに突き飛ばされて不調で走れなかったり、中山競馬場が苦手なのに(東京競馬場の改修工事の影響もあって)やたら中山で走らされたり、何かと運がないのも災いしてしまった。こう見ると、むしろ弥生賞はよく勝てたものだと思える。
輝く栗毛に筋肉隆々の馬体。パドックや写真で物凄く見栄えがする馬であった。ほぼ文句無くテイエムオペラオーやメイショウドトウよりも良い馬体であったと言って良いだろう。しかしながら戦績やレースに行っての底力ではその二頭に一枚も二枚も劣る。馬って、馬体だけじゃ無いんだなぁと思い知らされたのがこの馬であった。
大きな故障は一度もせず、条件があったレースでは好走する馬で、何気に10億円近く稼いでいる。何とも馬主孝行な馬であった(馬券では3着が多かったので泣かされた人も多い)。この額はテイエムオペラオーにこそ遥かに届かないものの、先に引退したメイショウドトウを上回るものであった。GI 1勝馬としては、ステイゴールドに次ぐ額であり、国内に限れば最高額だった。[1][2]
渡辺薫彦騎手は全30戦中25戦に騎乗。この頃の渡辺騎手は未熟な若手でしかなく、正直、もっと良い騎手が乗るべきだという意見も強かった。しかしこのコンビと、テイエムオペラオーと和田騎手のコンビが、アドマイヤベガと武豊に挑み、苦しみながらもそれぞれクラシックを勝ち取った様は清々しいものであった。最近は若手がG1で花を咲かせる場面をあまり見ない。外国人ばっかりではなく、若手騎手を素質馬に乗せてあげて欲しいものである。特に社台の馬……。
栗毛大流星のグッドルッキングホース。1991年レオダーバン以来の父内国産馬の牡馬クラシックホース。父に似ず性格も良かったようだ。惜しいレース続きが多くのファンに愛されたナリタトップロード。直線入り口からこの馬だけを見ていたおかげで、レースの勝ち馬が分からなくなったファンも多い。
日付 | 競走名 | 格付け | 開催競技場 | 距離 | 天気 | 馬場 | 騎手 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998年(旧3歳) | |||||||||||
1 | 1998/12/5 | 3歳新馬 | 阪神 | 芝2000 | 雨 | 稍 | 渡辺薫彦 | 11 | 1 | 2 | |
2 | 1998/12/27 | 3歳新馬 | 阪神 | 芝2000 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 13 | 1 | 1 | |
1999年(旧4歳) | |||||||||||
3 | 1999/1/10 | 福寿草特別 | 500万下 | 京都 | 芝2000 | 曇 | 良 | 渡辺薫彦 | 15 | 3 | 3 |
4 | 1999/2/7 | きさらぎ賞 | G3 | 京都 | 芝1800 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 15 | 2 | 1 |
5 | 1999/3/7 | 報知杯弥生賞 | G2 | 中山 | 芝2000 | 雨 | 稍 | 渡辺薫彦 | 15 | 2 | 1 |
6 | 1999/4/18 | 皐月賞 | G1 | 中山 | 芝2000 | 雨 | 良 | 渡辺薫彦 | 17 | 2 | 3 |
7 | 1999/6/6 | 東京優駿 | G1 | 東京 | 芝2400 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 18 | 1 | 2 |
8 | 1999/10/17 | 京都新聞杯 | G2 | 京都 | 芝2200 | 曇 | 良 | 渡辺薫彦 | 18 | 1 | 2 |
9 | 1999/11/7 | 菊花賞 | G1 | 京都 | 芝3000 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 15 | 3 | 1 |
10 | 1999/12/26 | 有馬記念 | G1 | 中山 | 芝2500 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 14 | 4 | 7 |
2000年(旧5歳) | |||||||||||
11 | 2000/2/20 | 京都記念 | G2 | 京都 | 芝2200 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 11 | 2 | 2 |
12 | 2000/3/19 | 阪神大賞典 | G2 | 阪神 | 芝3000 | 曇 | 稍 | 渡辺薫彦 | 9 | 3 | 3 |
13 | 2000/4/30 | 天皇賞(春) | G1 | 京都 | 芝3200 | 曇 | 良 | 渡辺薫彦 | 12 | 2 | 3 |
14 | 2000/10/8 | 京都大賞典 | G2 | 京都 | 芝2400 | 曇 | 良 | 渡辺薫彦 | 12 | 2 | 2 |
15 | 2000/10/29 | 天皇賞(秋) | G1 | 東京 | 芝2000 | 曇 | 重 | 渡辺薫彦 | 16 | 3 | 5 |
16 | 2000/12/2 | ステイヤーズS | G2 | 中山 | 芝3600 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 11 | 1 | 4 |
17 | 2000/12/24 | 有馬記念 | G1 | 中山 | 芝2500 | 晴 | 良 | 的場均 | 16 | 3 | 9 |
2001年(現5歳) | |||||||||||
18 | 2001/2/17 | 京都記念 | G2 | 京都 | 芝2200 | 晴 | 良 | 的場均 | 14 | 1 | 3 |
19 | 2001/3/18 | 阪神大賞典 | G2 | 阪神 | 芝3000 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 12 | 1 | 1 |
20 | 2001/4/29 | 天皇賞(春) | G1 | 京都 | 芝3200 | 雨 | 良 | 渡辺薫彦 | 12 | 2 | 3 |
21 | 2001/10/7 | 京都大賞典 | G2 | 京都 | 芝2400 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 7 | 2 | 中 |
22 | 2001/11/25 | ジャパンC | G1 | 東京 | 芝2400 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 15 | 5 | 3 |
23 | 2001/12/23 | 有馬記念 | G1 | 中山 | 芝2500 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 13 | 4 | 10 |
2002年(現6歳) | |||||||||||
24 | 2002/2/16 | 京都記念 | G2 | 京都 | 芝2200 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 9 | 3 | 1 |
25 | 2002/3/17 | 阪神大賞典 | G2 | 阪神 | 芝3000 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 9 | 1 | 1 |
26 | 2002/4/28 | 天皇賞(春) | G1 | 京都 | 芝3200 | 曇 | 良 | 渡辺薫彦 | 11 | 1 | 3 |
27 | 2002/10/6 | 京都大賞典 | G2 | 京都 | 芝2400 | 曇 | 良 | 四位洋文 | 8 | 1 | 1 |
28 | 2002/10/27 | 天皇賞(秋) | G1 | 中山 | 芝2000 | 晴 | 良 | 四位洋文 | 18 | 2 | 2 |
29 | 2002/11/24 | ジャパンC | G1 | 中山 | 芝2200 | 曇 | 良 | 四位洋文 | 16 | 2 | 10 |
30 | 2002/12/22 | 有馬記念 | G1 | 中山 | 芝2500 | 曇 | 稍 | 渡辺薫彦 | 14 | 4 | 4 |
サッカーボーイ 1985 栃栗毛 |
*ディクタス 1967 栗毛 |
Sanctus | Fine Top |
Sanelta | |||
Doronic | Worden | ||
Dulzetta | |||
ダイナサッシュ 1979 鹿毛 |
*ノーザンテースト | Northern Dancer | |
Lady Victoria | |||
*ロイヤルサッシュ | Princely Gift | ||
Sash of Honour | |||
*フローラルマジック 1985 黒鹿毛 FNo.18 |
Affirmed 1975 栗毛 |
Exclusive Native | Raise a Native |
Exclusive | |||
Won't Tell You | Crafty Admiral | ||
Scarlet Ribbon | |||
Rare Lady 1990 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | |||
Double Agent | Double Jay | ||
Conniver |
掲示板
146ななしのよっしん
2022/05/10(火) 08:00:37 ID: 8n6rGiruQV
>>142
スタートはコネでも継続出来るのは本人の実力やからね、二人ともリーディング上位の騎手だからいいウマ回っていくのは理解できる
147ななしのよっしん
2022/05/13(金) 15:43:27 ID: aBwyCh7DX+
>>142 まぁ割と閉じた業界で村社会の競馬界ではコネがやばい世界なのは事実だが 何のコネもない後藤とかはそれで苦労したし、ブルボンの戸山のとことかは村社会から反感を買う逆コネ騎乗過ぎて戸山さんも苦悩したし
初期はどっこいな福永と和田竜二の馬質の差はまず親の差だし その和田も師匠のコネでオペを継続出来たし
コネは別に悪でもないんよな コネをできるだけ排した完全な実力主義エージェント式や叩き上げ優遇式の2010年代と比べると国内騎手の育成という観点ではコロナ後のほうがよく見えるし
148ななしのよっしん
2022/06/23(木) 00:21:51 ID: Lh9m0UjAn1
急上昇ワード改
最終更新:2022/06/27(月) 08:00
最終更新:2022/06/27(月) 08:00
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