ファンは中山大障害レースで四連勝したフジノオーの名を永久に忘れることはないだろう。
だが、そのフジノオーに三度つづけて二着したタカライジンの名は、もう忘れてしまっている。
そして私が「日本の障害馬で一番強かった」馬はタカライジンだったというと、鼻先で笑うのである。――『競馬への望郷』
タカライジンとは、1959年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。
紛れもない障害競走の天才でありながら、中山大障碍でどうしても同期の宿敵に勝つことができず、その悲運の生き様がひとりの文学青年の人生を変えたことで知られる馬。
主な勝ち鞍
1963年：京都大障碍(秋)
1964年：京都大障碍(春)、東京障碍特別(春)、京都大障碍(秋)
※本項では当時の表記に合わせて、年齢を旧表記(現表記＋1歳)で表記する。
※当時の中央競馬では「障害」は「障碍」表記だったが、本項では当時の重賞レース名のみ「障碍」、それ以外はわかりやすさを優先し、現代に合わせて「障害」表記とする。
※この馬名は初代。2代目として1993年生まれのハギノカムイオー産駒の牡馬がいる。49戦5勝。
雷神は王か
血統
父*ライジングフレーム、母ツキヤス、母父月友という血統。
父はアイルランド産馬で、自身は競走馬として大成できなかったが、輸入された日本で初代ヒシマサルや天皇賞馬オーテモン、桜花賞馬トキノキロクやミスマサコ、オークス馬チトセホープなどを送り出し、50年代の日本競馬を支えた名種牡馬。産駒は当時下級条件戦がメインで大レースのほとんどなかった短距離～マイルに適性が高く、中長距離の大物はあまり出なかったが、産駒の勝ち上がり率が非常に高いことで知られた。最近でいうとサクラバクシンオーとかダイワメジャーみたいなタイプである。
母は詳細な戦績が不明なのだが、1951年の中山大障碍(春)をレコードタイムで勝った記録が残る男勝りの障害馬。
母父はMan o' War産駒の持込馬で、故障で未出走に終わったが、種牡馬としてカイソウ、ミハルオー、オートキツと3頭のダービー馬を送り出すなど活躍した。母父としても優秀で、スウヰイスーやスターロツチを輩出している。現代でもたとえばレイパパレの血統表を遡ると、6代母トサモアーの母父として名前を見つけられる。
父と母父の組み合わせは初代ヒシマサルと同じ。
なお、6代母の横浜(馬名)はミラなどと同様に明治時代に豪州から輸入された繁殖牝馬なのだが、血統不詳のため、タカライジンも純正のサラブレッドとは認められない、いわゆる「サラブレッド系種」である。
とはいえ当時はこうした明治期の血統不詳の「豪サラ」の血を引くサラ系の馬はまだそれほど珍しくなく、世代の近い活躍馬では、コダマが三冠を逃した1960年の菊花賞馬キタノオーザなどがいる。
ライバルのフジノオーが「四角い体型の馬」という特徴以外はパッとしない見た目だったと言われるのに対し、タカライジンは美貌のイケメンホースだった父ライジングフレームに似て、脚が長く黒に近い鹿毛の美青年だったという。
平地競走時代
母と同じ上村大治郎厩舎に預けられたタカライジンは、3歳7月に福島で増沢末夫騎手を鞍上にデビュー。初戦は後のオークス馬オーハヤブサに離された2着に敗れ、続くオープン2戦を連勝するが、その後はあんまりパッとしない走りが続く。
着順だけみると福島3歳Sを2着、中山3歳Sを3着、東京3歳Sを4着、朝日杯3歳Sを4着……と書けば悪くないように見えるが、順に4頭立て、4頭立て、5頭立て、5頭立てなのでお察しである。
明けて4歳となり3勝目を挙げるが、京成杯も弥生賞も最下位。それでも皐月賞に挑み、16頭立ての最低人気、単勝848.9倍という冗談みたいなオッズで出走し、人気を考えれば健闘の9着。東京優駿では32頭当ての28番人気(250.3倍)で22着。そのあと2着が4戦あったりしつつ秋に4勝目を挙げ、カブトヤマ記念ではクビ差の2着と健闘した。
明けて5歳となっても勝ちきれず、5月4日のオープン4着を最後に母と同じく障害競走に転向することとなる。
……と、なんか現代のローテっぽく書いてきたが、このタカライジンの平地競走時代、この時代の馬としても彼はとにかくよく走った。上述した特別競走の合間に当たり前のように何度も平場のオープンを走っており、4歳時は2週間に1回はレースに出ていた。4歳シーズンの彼の戦績は1年間で26戦2勝［2-6-3-15］である。当時ならそんなもんじゃないの？と思うかもしれないが、ダービーの時点で通算21戦目というのは、同期の他のダービー出走馬と比べても明らかに多い。
平場のオープンはどれも10頭立て未満の少頭数とはいえ、結局障害転向までに平場で掲示板を外したのは1回だけ。毎回ちゃんと賞金を持ち帰っているので、馬主孝行な走りぶりであった。
障害の天才タカライジンvs覚醒の王フジノオー
平地最後のレースの翌週、長池辰三騎手を迎えて早くも障害初戦となる未勝利戦に臨んだタカライジン。いきなりトップハンデ59kgを背負わされながらアタマ差勝利すると、ここから破竹の快進撃が始まった。
続く条件戦を5馬身差で快勝すると、以降は障害オープンを10馬身差、大差(3.1秒差)、7馬身差、大差(2.3秒差)、8馬身差、3馬身半差で障害転向から怒濤の8連勝。しかも全レースぶっちぎりのトップハンデ、ほとんどのレースが他は53kgとか55kgのところを1頭だけ60kg超の斤量を背負わされてこれである。もはや敵はなし、あとは花の中山大障碍を母との親子制覇で王座に君臨するだけ……と思われた。
だが、その中山大障碍(秋)で、天才・タカライジンの前に、一頭の宿敵が現れる。
そう、いち早く5歳のはじめから障害競走に転向していた、同期のフジノオーである。
と言ってもこの2頭、これが初対決ではなかった。実は初対決は前走の障害オープン。フジノオーはタカライジンより4kg軽い斤量で4馬身以上離された3着であった。フジノオーは既にこの年の中山大障碍(春)にも出ていたが結果は途中で落馬、カラ馬で完走。障害では3勝しているものの、ここまでの戦績はさほど目立ったものではなく、一旦平地に戻ってみたりもするなど迷走気味であった。
この年の中山大障碍(秋)は4頭立て。タカライジンは当然ながら2.0倍の1番人気。相手方はともにこの年の東京障碍特別(春)と(秋)と勝ったナスノアラシとキンタイム。そして、フジノオーは4番人気であった。
だがレースは他2頭を全く相手にせず、雨で渋った稍重の馬場の中、4100mにわたってタカライジンとフジノオーの火の出るようなマッチレースとなる。最後の直線、先頭で迎えて押し切りを図ったタカライジンだったが、それを3/4馬身差、見事に差し切ったのはフジノオーだった。
伏兵にまさかの初黒星を喫したタカライジン。とはいえ、これでタカライジンの勢いは止まることはなかった。続くオープンをレコードで快勝すると、京都大障碍(秋)を5馬身差で快勝して障害重賞初制覇。続く障害オープンも9馬身差で圧勝。
結局この年、障害転向以降は12戦11勝、2着1回。最大のレースである中山大障碍を勝てなかったにもかかわらず、この年の最優秀障害馬を受賞した。
フジノオーが倒せない
明けて6歳初戦のオープン戦で、タカライジンはフジノオーと3度目の対決を迎える。連勝が始まって以来初めて1番人気を譲ったタカライジンだったが、ここはきっちりリベンジを果たし再び4連勝(フジノオーは3着)。やはり現役最強障害馬はタカライジンか、と思われたが、続く中山の障害特別ではフジノオーに逆襲され2馬身半差の2着。次走はなぜかフジノオーと一緒に平地の150万下条件戦(芝2100m)に出てフジノオーに1馬身差で勝利。
その後はともに別の障害オープンをきっちり勝利し、2度目の中山大障碍(春)を迎えた。5頭立てでフジノオーが1.5倍の1番人気、タカライジンが2.7倍の2番人気。完全な2強対決である。
そしてレースは前回同様、他3頭を全く相手にせず完全な2強のマッチレースとなる。しかしまたも、最後の直線でタカライジンを差し切り、1馬身半競り勝ったのはフジノオーだった。
中山大障碍以外ではほぼ無敵の強さ、前哨戦ではフジノオーにも勝っているのに、大舞台で2度までも宿敵に惜敗。2回とも馬場が稍重だったこともあり、良馬場ならば！と捲土重来を期すタカライジンは、次戦の京都の障害特別を64.5kgを背負ってレコード勝ちすると、フジノオーのいない京都大障碍(春)では他が57kgや58kgの中で1頭だけ64kgを背負いながら、稍重の馬場も気にせず1.9秒差をつけて大差圧勝。続く東京の障害オープンも64kgでレコード勝ち。
東京障碍特別(春)ではついに68kgを背負うことになったが、8kgも軽いキンタイムをアタマ差下して重賞3勝目。続くオープンもきっちり勝って、この年の上半期も10戦8勝、2着2回で終える。
夏場を2ヶ月半休み、9月の復帰初戦こそ2着に敗れたが、2戦目のオープンをきっちり快勝。そして3度目の挑戦となる中山大障碍(秋)を迎えた。5頭立てだが、もちろんフジノオーとタカライジンの完全な2強対決である。馬場は良。フジノオーの中山大障碍3連覇か、タカライジンの3度目の正直か。
レースはタカライジンが先手を取り、フジノオーがそれをマークして進む。途中タカライジンがフジノオーを引き離しにかかる。赤レンガの障害で3番人気のフジノチカラが落馬。大生垣で2番手につけていたギンヒデがバランスを崩して失速すると、フジノオーが一気にタカライジンに詰め寄っていき、ここからレースはタカライジンとフジノオーが後続をはるか後方へと突き放して、轡を並べての壮絶なマッチレースに突入する。
そこからゴールまで1分間は、観戦するファンも馬券を忘れて拍手したと伝えられる、まさに両雄が死力を尽くしたデッドヒート。2頭が完全に横並びとなり、向こう正面ではスタンドからは1頭の馬が走っているようにしか見えなかったという。
互いに一歩も譲らず、全くの横並びのまま2頭は障害を越えて最後の直線に入る。4100mを走って跳んで、なおぴったり馬体を併せての熾烈な叩き合い。3連覇か、3度目の正直か――。
残り100m。内のゼッケン4番が僅かに遅れ、外のゼッケン3番が前に出た。食い下がる内を振り切って、外が1馬身離し、ゴール板を駆け抜けた。
1着、フジノオー。2着、タカライジン。
2度あることは3度あった。
3着ギンヒデとのタイム差は実に8秒2。3着を約50馬身千切った死闘の末、3度阻まれた中山大障碍の夢。
そしてこれが、タカライジンにとって最後の中山大障碍となった。
そして雷神はいずこかへ消えた
タカライジンはその後、続くオープンを67kgの斤量を背負い6馬身差の2着という大敗を喫したが(ちなみに勝ったキンタイムは58kg)、京都大障碍(秋)では鬱憤を晴らすかのように68kgをものともせず6馬身差で完勝。京都大障碍3連覇を達成する。
斤量はさらに過酷となり、続く年末のオープンではついに70kgを背負わされたが、それでも62kgのキンタイムをハナ差制して勝利。結局6歳シーズンも16戦11勝、2着5回。障害競走27戦連続連対というとてつもない数字を記録した。
だが……。
明けて7歳初戦、1月の障害オープン。ついに71kgに達した斤量は、とうとう稀代の障害馬の命運を押しつぶした。レース中に種子骨骨折、障害転向後初の落馬競走中止。
そして2月26日、この故障が原因の敗血症で死亡。タカライジンの血は残ることはなく、中山大障碍4連覇を果たして世界を跳んだ名馬フジノオーの陰にその名は埋もれることとなった。
通算74戦26勝、障害競走での戦績は驚くなかれ28戦21勝［21-6-0-1］。最後の落馬競走中止を除けばパーフェクト連対である。2着に敗れた6敗のうちフジノオー以外に負けたのは2回だけ。フジノオーさえいなければ、彼は障害競走22連勝、中山大障碍3連覇というとてつもない大記録を残し、グランドマーチスやバローネターフと並ぶ名馬として語り継がれたはずだ。
これだけの障害馬が一度も中山大障碍を勝てなかった、しかも負けた3回全て同じ相手に、3着以下を大きく突き放してのマッチレースの末の惜敗というのは、本当に生まれた時代が悪かったという以外に言いようがあるだろうか……。
タカライジンとひとりの文学青年
タカライジン。この悲運の天才を愛したひとりの文学青年がいた。
彼は青森から上京して早稲田大学に進み、19歳で歌人として中井英夫に見出されるが、ネフローゼで長期入院となり大学を退学。経済的に困窮し、シナリオ作家として生計を立てつつ、売れない詩や短歌を書いていた。生活のために売文をすることに、文学青年らしい青さで抵抗していた彼は、牝馬ミオソチスとの出会いで競馬にのめりこみ、競馬エッセイを手掛けるようになっていた。
そんな彼は障害競走に転向したタカライジンと出会い、ファンとなってその競走生活を追いかけた。平地でダービーにも出走し、母の血を継いで障害転向後は負け知らずのエリートであるタカライジンと、平地では全く結果を出せず、障害転向後も勝ったり負けたりで泥臭く力をつけていったフジノオー。彼はタカライジンに自らの文学の理想を重ね、そしてフジノオーに生活のための現実を見た。
彼は三度中山大障碍でタカライジンの馬券を買い、三度タカライジンがフジノオーに敗れるのを見届けた。たとえ生活の泥にまみれても、結局は大一番で勝てばいいのだ。中山大障碍で一度もフジノオーに勝てなかったタカライジンの姿は、その文学青年が現実と向き合うきっかけとなった。
シナリオ作家であった彼は、1964年の中山大障碍(秋)を題材にしたドキュメンタリー「サラブレッド―わが愛 ー大障碍の記録ー」の構成を手掛けた。
そしてタカライジンの死後、彼は劇団「天井桟敷」を結成、『書を捨てよ、町へ出よう』を刊行し、アニメ主題歌や流行歌の作詞を手掛け、アングラ演劇とサブカルチャーのカリスマとして、また競馬界のスポークスマンとして名を成していくことになる。
彼の数々の競馬エッセイは、単なるギャンブルではなく「人と馬と血統が織りなすドラマ」としての競馬の楽しみ方を広め、数多くの競馬ファンを生み出した。
タカライジンの死は、いわば私の中の文学青年の死そのものであった。
翌月から私はルポを書き、雑文を引き受けて、酒場の片すみで流行歌の作詞をする現在の生活に入っていったのである。――『競馬への望郷』
血統表
| *ライジングフレーム 1947 黒鹿毛 |
The Phoenix 1940 鹿毛 |
Chateau Bouscaut | Kircubbin |
| Ramondie | |||
| Fille de Poete | Firdaussi | ||
| Fille d'Amour | |||
| Admirable 1942 黒鹿毛 |
Nearco | Pharos | |
| Nogara | |||
| Silvia | Craig an Eran | ||
| Angela | |||
| サラ系 ツキヤス 1947 栗毛 Ntb 横浜牝系 |
月友 1932 栗毛 |
Man o' War | Fair Play |
| Mahubah | |||
| *星友 | Sir Martin | ||
| Colna | |||
| サラ系 安華 1939 鹿毛 |
伯優 | Knockando | |
| *ステフアニア | |||
| サラ系 玄華 |
*チヤペルブラムプトン | ||
| サラ系 コスモス |
クロス：Pharos 5×4(9.38%)、Phalaris 5×5(6.25%)
関連動画
時代が時代なので、残念ながらニコニコにはタカライジンの動画はない。
しかしYouTubeに前述の寺山が手掛けたドキュメンタリー「サラブレッド―わが愛 ―大障碍の記録―
」がアップされており、なんと1964年の中山大障碍(秋)の模様がフルで見られる。
2017年中山大障碍のアップトゥデイトvsオジュウチョウサンと比べても遜色のない、いかにこの2頭が傑出していたかが伝わってくる障害競走史に残る名勝負である。是非一度ご覧いただきたい。
関連リンク
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 6
- 0pt
