ミホノブルボン単語

ミホノブルボン

92年 皐月賞
そのモンスターの名はミホノブルボン
常識は、敵だ。
  ―2011年皐月賞CMより

ミホノブルボンとは、1989年まれの競走馬1992年皐月賞日本ダービー敗で制した二冠で、三冠馬まで1身と1/2にまで迫った名である。戦騎手は小島貞博騎手。

※当記事ではミホノブルボンの活躍した時代の表記に合わせて、年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記します。

概要

マグニテュード カツエコー シャレーという血統。血統表だけを見る限りではそんなに酷い血統ではないが、マグニテュードは6戦未勝利で、良血の血統「だけ」が評価されて種入りしたカツエコー地方競馬の下級条件である。しかも、マグニテュードとシャレーはともにミルジョージダンディルートという名種の代用種としてつけられたものであり、さすがにお世辞にも良血とは言えない。実際、700万円という競走馬としては安値で購買された。マグニテュードは一応エルプスとかコガネタイフウとか、短距離を中心に活躍を何頭か出してたんだけどね(ここ伏線)。
血統面でもう一つフォローを入れるなら、3代カミヤマトは名スターロツチの半である。

牧場ではおっとりして「みたい」とまで言われたミホノブルボンは、3歳になり、東に戸山為夫厩舎に入厩した。

3歳時:戸山調教師の集大成、現る

ミホノブルボンを引き受けた戸山為夫調教師は「レースで勝たないと生き残れない。であれば、心をにしてでも鍛えに鍛えてレースに勝たせるのがのためだ」という信念の持ちだった。そのため、戸山厩舎はスパルタ調教で知られていたのである。
そして、当時出来たばかりだった東トレセンの坂路コースの大きなメリットに戸山師はいちく気付き、当時既に坂路調教を中心に据えていた。坂路に積極的な他の調教師二名と合わせて「坂路の三」と呼ばれていたとか。

そこに入厩したミホノブルボン。ビシバシ鍛えられることが確定のこの状況に当時担当助手から「こんな所に来て(´・ω・)カワイソス」と思われるくらい可らしかったらしい。
しかし、調教が開始すると状況は一変、そこにはデビュー前の3歳なら1本走ればヘロヘロになるような坂路調教を楽々こなし、調教が終わったら何事もなかったかのようにカイ葉をモリモリ食べるミホノブルボンの姿があった。
坂路を1日2本、1日3本と調教内容は厳しくなる一方だが、ミホノブルボンはやはりあっさりその調教をこなしていき、いつしか筋肉ムキムキに。が4つに割れていると言われたほどのマッチョになっていた。しかも、坂路で古顔負けの時計叩き出すまでになっていた。

先述の坂路の時計が評判になり1番人気で迎えた新戦。これを出遅れながら上がり331と言う3歳離れした脚を炸裂させるという衝撃的な勝利を収める。芝1000mだしそのぐらい出るだろ、と思われるかもしれないが勝ちタイム581のコースレコードである…。次の500万条件戦も他のを近寄らせもしない圧勝。ついに調教坂路1日4本を開始。マジかよ。もちろん3歳時でそんな調教メニューを課されるは前代未聞。
しかし、朝日杯3歳ステークスでは後のクラシックを見据えるために上の小島騎手が2番手に抑えようとしたら掛かってしまい、最後詰め寄られるものの鼻差の辛勝。このレースではかかり癖が立ち、後々のクラシックに不安を抱かせる結果となった、のだが・・・

4歳 ~東京優駿:常識外れの二冠馬

初戦はシンザン記念を予定していたが捻挫のため回避(なんで出ようとしたんだろう)。ミホノブルボンの4歳初戦はスプリングステークス(GII)に決まった。しかし、朝日杯3歳ステークスで見せたかかり癖、初経験になる重馬場などを不安視され、不敗の3歳王者でありながら2番人気という屈辱に甘んじた。先述のマグニテュードも影していたと思われる。
が、このとき小島騎手は戸山師から示を受けていた。「自分のレースで行け」と。すなわち、自分は距離を考えてわざわざ抑えなければいけないような常識的なに育てた覚えはないという意思の表れだった。小島騎手にももう迷いはなかった。
押してあっさり先頭に立ったミホノブルボン。後の短距離サクラバクシンオーすらそのスピードにはついていけない(どっちかというとバクシンオーのガス欠感はあるが)。そのまま4コーナを回ってゴーサインを出されると、あれよあれよと言う間に後続を引き離し、2着に7身差の圧勝。破格のレース振りに中山競馬場は静まり返った。レース前の不安がのような快勝だった。

これではもう、皐月賞は始まる前から決まったようなものだった。スタートで先頭に立つと緩みのないペースを刻み、他のはついて行くのがやっと。直線では差が開く一方で勝。逃げといえば「直線よれよれか後ろが溜め過ぎるかでしか勝てない」という常識とはなんだったのか、という思いを抱かずにはいられないような競馬でまず一冠。

ダービーは外だったからか、皐月賞よりも思い切った逃げを打つ。後ろにぴったりライスシャワーり付いていたが、緩まないペースで逃げ続ける。このレースもずいぶん距離不安が言われていたのだが、そんな発言をあざ笑うかのように、直線に入った頃には逆にブルボンライスシャワー以外の先行はみんなばててしまって、直線では独走。ライスシャワーマヤノペトリュースの壮絶な2着争いをに4身差で余裕の勝利敗の二冠を達成したのであった。

敗の二冠はこの前年、トウカイテイオーも達成していたが(菊花賞折で断念)、テイオーは朝日杯に勝って(出て)いなかった。このため、GⅠ勝利数ではブルボンが上回っていた。さすがに皐月賞後に増やされた1日5の坂路調教ミホノブルボンでもギブアップする羽になったが。

4歳 ~菊花賞:三冠に立ちはだかる強敵

期待は当然、シンボリルドルフ以来の三冠馬。しかもルドルフ同様敗であり、朝日杯3歳ステークスも勝っているとなればシンボリルドルフ以上の成績の璧な成績となる。折で断念したトウカイテイオーと違って、ミホノブルボン事にを越し、菊花賞トライアル京都新聞杯(GII)に出走した。ここを
 菊近し
 の坂越え
 一人旅      杉本清
と一句詠んでしまったくらいの楽勝(日本レコード)。順調に菊花賞へと駒を進めた。
しかし、ミホノブルボンの後ろには彼を脅かすい影が既に迫っていたのである。

京都新聞杯の2着はダービーと同じライスシャワー。しかも着差は1身半とダービー時より詰められていた。既にセントライト記念GII)に僚レガシーワールドを送り込むなど、ライスシャワーに対する警心を暗に示していた戸山師は、「あのが怖い」とついにライスシャワーの名を口に出し始めた。小島騎手もこのころからライスシャワーに対する警心を露わにするようになった。なにしろミホノブルボンには体的にも血統的にもどうしても距離不安が付きまとっていた。いくら鍛えれば大丈夫とは言っても、京都3000mはブルボンの適距離とはいえなかったはずである。血統的に長距離向きだったライスシャワーとは対照的だったわけだ。
さらに、京都新聞杯で逃げを争うと予想されながら出遅れ、大敗したキョウエイボーガン営が、中距離路線へ進む予定を急遽変更して菊花賞出走を決めたのである。しかも調教師は「京都新聞杯は出遅れで競馬にならなかった。このは逃げてこそのだから当然菊花賞でも逃げる」と堂々の空気の読めない逃げ争い宣言。ミホノブルボン営にさらなる試練が立ちはだかる。
しかしながらファンはそんな2人の不安を知る由もなく、菊花賞では単勝1.5倍の断然の1番人気に推した。

戸山師は「キョウエイボーガンに構わず逃げろ」と小島騎手に示をした。しかし小島騎手は悩んでいた。何しろ1800mのスプリングSで1番人気に支持してもらえなかった程、血統的に長距離に不安のあるである。一度は息を入れる必要があるのではないか。それにはキョウエイボーガンと争っての逃げをしていては理があるのではないか、と思っていた。
そんな小島騎手の所へある一人の騎手がやってきた。それはキョウエイボーガン騎乗予定の松永幹夫騎手だった。そして松永騎手はこう宣言した。「は、ぶっいて逃げますから・・・」と。
松永騎手自身も追い詰められていたのだ。ミホノブルボン三冠を前にしてその邪魔をするような行為をしなければならない。しかし若手の自分に調教師に意見する術はない。ならどうするか・・・考えた末出した結論が「ブルボンから大きく引き離した逃げを打つことをあえてブルボン営に言っておく。そうすれば『逃げたけど負けました』と自分の面は立つし、ブルボンが遠くにいればかからないかもしれない・・・」というものだった。
こんな若手騎手の配慮を聞いては、もはや小島騎手に逃げの選択をすることなどできなかった。ここまで言い切った以上、松永騎手は絶対に退かない、いや退けないだろう。ならその逃げの争いの先に待っているもの・・・それはメイズイ菊花賞に他ならない。

そんな様々な思惑が交錯する中スタートした菊花賞。いつも通り逃げようとしたミホノブルボン松永騎手の宣言通り暴走気味にキョウエイボーガンが交わしていった。小島騎手は一しながらも2番手に控えた。そのラップタイムは最初の200mを除き、1000mまで全て11台とまさにメイズイの時を思わせる逃げである。ただ、今回そこにいるのは二冠ではなく、自爆覚悟のだけであるが。しかし松永騎手の配慮も虚しく口を割ってかかってしまうミホノブルボン。戸山調教師はレース後「どうしてキョウエイボーガンを交わさなかった。なんでブルボンを信じられなかった」と小島騎手に言ったそうだ。(しかし、小島騎手自身は師の意見に理解を示しながらも先述の通り「ボーガンと競ったら惨敗していたかも・・・」ともっており、戸山師自身もここでボーガンと競り合うのは快勝か惨敗かの大博打になることは認めていた。)結局、ハイペースキョウエイボーガンを追い掛け回し、3コーナー過ぎで交わすというやや強引なレースになってしまう。

これに対して自分のペースを守ったライスシャワーが直線でミホノブルボンに襲い掛かる。ついでにマチカネタンホイザも内からミホノブルボンを交わそうとする。大観衆の歓を背に必死に逃げるミホノブルボン。しかし、大観衆の悲鳴に包まれて、先頭でゴールを駆け抜けたのはライスシャワーだったミホノブルボンマチカネタンホイザを差し返すという驚異のりで負けてなお強しの2着。しかしながら、2着。不敗の三冠馬誕生の夢は、1身1/2の差で夢と潰えたのである。

もしミホノブルボンキョウエイボーガンと逃げを競っていたら・・・果たしてミホノブルボンメイズイと同じ運命を辿ったのか、それとも・・・

その後

この後、ミホノブルボンジャパンカップ出走をしていたが故障が発生して休養に入った。

ミホノブルボンが休養中の1993年5月29日、戸山師はのため61年の生涯を閉じた。くしくもミホノブルボンでのダービー制覇から1年後の、その年のダービーの前日であった。
その後、戸山師が死の直前に執筆した生涯の調教師生活をった「鍛えて最強をつくる」はその競馬観が一般社会にも通じるところがあるとされて話題を呼び、ベストセラーとなった。

結局、ミホノブルボン自身は休養中に他の故障を発症する等してそのまま故障が癒えずに引退。他の調教師の下では一度もレースをすることなく、古や次世代のとは対決することなくターフを去った。

の二冠菊花賞に出て、しかも2着に負けた例は3例しかない(他にクモハナボスニアン)。菊花賞まで敗だった二冠は、そのまま不敗の三冠馬となったシンボリルドルフディープインパクトの他には例がい(敗のの二冠は他にトキノミノルコダマトウカイテイオーがいるが、コダマ菊花賞前に2敗。トキノミノルトウカイテイオー菊花賞に出ていない)。三冠に挑戦した二冠の中で最も三冠馬に迫ったであると言えるだろう。

レース振りは然と逃げているうちに他のが付いて来られなくなるというような圧倒的なもので、このレース振りから「史上最強の逃げ」との呼びも挙がる程である。反面、トウカイテイオービワハヤヒデなどといった異世代の名たちとの対決が一度もかったことから、その相手に同じようなレースが出来たかどうかを疑問視するもある。出走を予定していたジャパンカップの勝者は同じ不敗の二冠トウカイテイオーであり、出走できていればそのあたりも分かったのであろうが・・・

ミホノブルボン体とその活躍は坂路調教の効果の絶大な宣伝となり、ブルボン以降は坂路施設は大人気となり、関西優位の状況を作り出す最後の決め手となった。遅ればせながら関東でも坂路施設を完成させたが時すでに遅く、現在関西関東を圧倒する状況は続いている。

体は美しい毛で、顔はおっとりとしていた。この優しげな顔が良かったのか、後にJRACM鶴田由を背に出演した事がある。

としては鍛えて強くなったというイメージが災いしたのか、地方競馬重賞を出すに留まった。後継にも恵まれず、サイボーグの血はどうやら続いてはくれなさそうである。残念。

2012年に種引退して以降は日高スマイルファームで余生を送った。引退後も会いに来たりプレゼントを送ったりするファンが絶えることはなかったが、一ごとに体は弱くなっていき、2017年2月22日に老衰のため世を去った。28歳(旧表記29歳)の大往生であった。

ライスシャワーマチカネタンホイザクラシック戦線を戦ったライバルたちを追いかけて鬼籍に入ったミホノブルボン。あの菊花賞の18頭で最後に生き残ったのは、他ならぬキョウエイボーガンである。長寿対決の方は、同い年の僚レガシーワールドに任せることになるようだ。

関連動画

 

関連商品

 

関連コミュニティ

ミホノブルボンに関するニコニコミュニティを紹介してください。

関連項目

 外部リンク

【スポンサーリンク】

スマホ版URL:
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E3%83%9F%E3%83%9B%E3%83%8E%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%B3

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

ミホノブルボン

29 ななしのよっしん
2017/07/04(火) 20:06:37 ID: e4JGtiJPTH
菊花賞の前週の天皇賞(秋)ダイタクヘリオスメジロパーマー暴走して共倒れしたことも、ブルボン菊花賞で積極的に行けなかった原因の一つだったと思う。
ヘリオスもパーマーも既にG1勝ちだったし、その二頭がやり合った結果がアレだったから、更に距離が長くなる未知の菊花賞では間違っても同じような展開で走ることは普通は出来ないよ。


ただ、年末の有馬記念で再びヘリオスとパーマーが二頭で暴走した結果、パーマーが僅差ながらも勝ったことを考えると快勝か惨敗かってのは正にその通りで、
せめて、でパーマーかヘリオスのどちらかがせめて券圏内に逃げ残っていれば、菊花賞でも覚悟を決めた騎乗が出来たかも知れんね。
30 ななしのよっしん
2017/08/09(水) 18:59:06 ID: 461wIIZM50
ブルボンは「逃げ」戦法をとってたんじゃなく、でたらめに速かったから結果的に逃げになったんだとダビスタ攻略本で牧場長がってたな
31 ななしのよっしん
2017/12/14(木) 11:34:50 ID: zFOH30z4Tu
ミホノブルボンファンになりますた
将来性含めてほんとに面だと思った(小並)
一度は見たかったなぁ…
32 ななしのよっしん
2018/06/26(火) 01:36:42 ID: fwuY42+4Xu
戸山為夫の理論では、すべての本質的にスプリンター3000mが人間400mぐらいに相当すると考える。だから、ミドルもロングマイル中が伸びただけで、スタミナさえあれば巡航速度で走れないわけがない、という。
そしてその帰結が、距離に関係なく中を全部12ラップで走れば自動的に1着になるというもの。特にダービー璧で、最初から最後までほぼ理想的なマイペースで走って勝。逃げてるわけではなく、スピードとスタミナのバランスでもっともを発揮しやすいのがこのラップだったという。
33 ななしのよっしん
2018/07/02(月) 01:18:28 ID: Wkk3z2bHCv
その理論を実践してれば、菊花賞レコード勝ちしてた訳か
動画で見てきたが、迫のあるスピードだな
34 ななしのよっしん
2018/12/12(水) 23:18:33 ID: fvZzrw/YLx
めて見ると、頭が高い走法だな
35 ななしのよっしん
2019/02/02(土) 01:40:11 ID: w39BjyVmkH
>>30 スズカとかでもよく聞くフレーズだけど、もちろん中の巡航速度が高いのは事実だが、結局は気性に問題があるから逃げになったって感じだよなスズカにせよブルボンにせよ
ブルボンは旧3歳までは控える先行だったけど折り合いつかないから周り視してラップ刻み始めたわけで
36 ななしのよっしん
2019/02/03(日) 20:35:44 ID: XmZn0LP4lW
>>29
山田泰成(メジロパーマー戦騎手)が折さえしてなきゃなぁ
37 ななしのよっしん
2019/04/15(月) 22:15:05 ID: 4nRMgbP8Fi
血統だけなら「二流のスプリンター」だし、が足りないからスプリンターとしては二流止まりだったと思う。本当にスプリンターだったならラスト2F23.4で(馬場差を考慮すると)2018並の勝負になった菊花賞こそ勝てたはず。

サイレンススズカ相手の場合、2000だとの差で不利、それ以外なら……といったところかな
38 ななしのよっしん
2019/05/15(水) 11:53:15 ID: 461wIIZM50
ウマ娘スズカさんと戦ったらどっちがより頭おかしい逃げっぷりを発揮するだろうか

急上昇ワード