※この項目では、『艦隊これくしょん~艦これ~』における「重巡洋艦」について、史実解説を中心に記述しています。
概要
重巡洋艦(一等巡洋艦/甲巡)と軽巡洋艦(二等巡洋艦/乙巡)を区別する一番のポイントは、主砲に8インチ砲(20.3センチ砲)を積んでいるか、6.1インチ砲(15.5センチ砲)を積んでいるかである。ロンドン海軍軍縮条約でそう決まったから、そうなっている。
ところが、『艦これ』の仕様では軽巡洋艦でも20.3センチ砲を装備できる。これでは条約に基づいた重巡・軽巡の区別を無くしてしまうばかりか、改造と近代化改修をすれば軽巡も火力と装甲が上昇し、速力も回避力も似たようなもの。そのくせ重巡の方が燃費が悪く、修理に資材と時間がかかる上に、重巡は対潜能力が無い(史実では、大戦末期に間に合わせ的に装備?)とあっては、対空力の高い「摩耶」のみ僅かに利用価値を認められる程度で、艦これがスタートしてからしばらくの間は“重巡無能無用論”が提督の間では主流となっていた。
しかしその後、重巡の夜戦能力と火力上限の向上という上方修正が入り、5-3や2013/11/1より開始された秋イベントのE-2、E-4、E-5などの夜戦MAPで評価が覆る。特にE-4のボス「飛行場姫」撃破に必要とされる三式弾を運用できた事が大きな功績であったといえる。
さらに2013年12月に入り航空フェイズにおける対空攻撃の仕様・計算式などが出揃うとそれまで産廃扱いだった三式弾、14号対空電探の価値が相対的に上昇。これらを火力・連撃装備を崩さずに併用できる拡張性の高さがさらに重巡の評価を上げ、現在では優秀な随伴艦として多くの提督諸氏に運用されている。
また、航空巡洋艦は2013/12/24の大型アップデートで対潜攻撃が可能となり(要水上爆撃機・カ号観測機)、重巡洋艦との差別化が図られている。後に2014/1/15に2度目の火力上限が向上し、劣化軽巡の名は完全に返上する事となった。
さらにさらに2014年4月23日のアップデートで水上偵察機及び観測機、水上爆撃機(航空巡洋艦のみ)による観測射撃システム及び昼戦における連続射撃が導入。条件を満たせば軽巡でも発動できるものの、基本3スロットの軽巡(改造後)では観測射撃は昼戦の火力のみの攻撃力計算のため雷撃値はカウントされない事で火力不足になりがちになるのに対して重巡は4スロットの強みで火力を維持しつつ装備が追加できるため昼間砲撃戦においては文字通り戦艦に次ぐ活躍が期待できるようになっている。
さらに(以下略)、前述した「軽巡と重巡の違いが~」という意見に対応したのか、「軽巡フィット砲」という概念が導入され、軽巡に20.3cm主砲を積むと命中率が落ちるようになった(といっても、誤差程度の修正率だ、という意見もあるが)。
※ここから、史実での重巡戦隊ごとの戦史解説等。艦名が太字なのは改二実装艦であることを示す。
第四戦隊 (高雄型)
→ 高雄(艦これ) 愛宕(艦これ) 摩耶(艦これ) 鳥海(艦これ) も参照
太平洋戦争では高雄型重巡洋艦によって編成され、開戦以来「愛宕」を旗艦として第二艦隊の司令戦隊を務めてきた部隊。『艦これ』では、任務に「第四戦隊」を編成せよ!と出撃せよ!があるため、それなりの知名度を持つ。
高雄型の重巡洋艦は、前級の妙高型が戦闘能力を重視し過ぎたために、戦隊・艦隊の司令艦として使用するにはいささか不安な仕上がりとなったことから、この点を改めた指揮能力の高い巡洋艦として造られ、特徴的な巨大艦橋を持つことになった。
しかし友鶴事件(昭和9年)の発生で、艦上構造物の重量化によるトップヘビーが艦の不安定性につながることが明らかになったので、「高雄」「愛宕」については艦橋をやや縮小する改装を行ったが、「摩耶」「鳥海」については、改装を行う前(運悪く、開戦の年が工事入り予定年だった)に太平洋戦争開戦となってしまった。
『艦これ』ではこの点を踏まえて、姉妹艦ながら「高雄」「愛宕」と「摩耶」「鳥海」で絵師を別にしている(声優は同じ)。
初戦の第四戦隊は高雄型4隻が揃って編成され、東南アジアの資源地帯攻略に出撃する。ここで「鳥海」が、第一南遣艦隊の旗艦として単独で別動されるのだが、この経緯があってか、ソロモン諸島方面で作戦する第八艦隊(三川艦隊)が編成された時も「鳥海」だけが第四戦隊から引き抜かれ、第八艦隊旗艦に指定されることになる。
「愛宕」は開戦以来一貫して巡洋艦を主体とする第二艦隊の旗艦の座にあり、戦艦「大和」や低速戦艦の第一艦隊が後方で無為に温存されるのに代わって前線主力部隊の一翼を担う。ガダルカナルの戦い以後の主要な戦場には、常に第四戦隊の姿があった。
しかし長引く戦いで消耗し、戦隊の練度は低下。マリアナ沖海戦では、後方から飛来してきた味方航空隊を敵機と誤認して数機を撃ち落とすという失態も犯す。そして昭和19年10月、レイテ沖海戦へ出撃した第四戦隊は、移動中に敵潜水艦の攻撃を受けて「愛宕」「摩耶」が轟沈し「高雄」が大破、「鳥海」はサマール島沖海戦で自沈処分となり、乗員は救助されたが、その救助駆逐艦も空襲で沈没して全員戦死。第四戦隊はわずか3日のうちに、事実上全滅となる。
「高雄」はかろうじて生き残ったが、完全な修理は不可能でシンガポールに浮き砲台として係留され、そこで終戦を迎える。戦後、イギリス軍によって海没処分された。
『艦これ』では、数々の戦いに参加した実績を買われてか、重巡の中ではステータスが比較的良好。「摩耶」は空襲被害の修理の際に一部砲塔を撤去して対空装備を強化、防空巡洋艦化された史実を踏まえて対空性能が高い。「鳥海」には第一次ソロモン海戦の『三川艦隊』に関する任務が現在までに4回設定されており、比較的使用頻度の高い戦隊となるであろう。
他の重巡と比較してやや遅くなったものの2015年3月に「摩耶」が、同年3月末には「鳥海」に改二が実装された。「摩耶」は全艦娘最強クラスの防空巡洋艦(カテゴリは重巡のまま)、「鳥海」は第八艦隊の旗艦として長く戦線を支えた重巡最強クラスの夜戦火力を保持する。
第五戦隊 (妙高型)
→ 妙高(艦これ) 那智(艦これ) 足柄(艦これ) 羽黒(艦これ) も参照
太平洋戦争では妙高型重巡洋艦によって編成された戦隊。『艦これ』でも高雄型と同様に編成任務があり、さらに出撃任務がマンスリー任務となっているため、この戦隊名は知られている方だろう。
妙高型は「足柄」の逸話にもあるように戦闘能力を最重視して造られた艦で、最初に設計した平賀譲・造船中将の案では、魚雷を全廃(雷装部分の防御力の弱さを嫌った)して砲戦力に特化したものだったと言われる。結局は平賀をめぐるゴタゴタの末に雷装をつけて建造されたが、その雷装のために今度は兵員居住区を圧迫することとなった。
とはいえ、このクラスの重巡洋艦としては完成度が高く、高雄型の大きな艦橋がトップヘビーを心配されたのに対し、妙高型は船体の安定性に優れていたという。
第五戦隊は昭和15年以来、妙高型の定位置となっていたが、開戦時は「足柄」が第二南遣艦隊旗艦として軽巡「長良」「球磨」と第十六戦隊を組んで既に別動されており、ミッドウェー海戦の直前には「那智」がアリューシャン方面の作戦を担当する第五艦隊旗艦(軽巡「多摩」「木曾」と第二十一戦隊を組む)として引き抜かれた。このため大戦中ほとんどの期間の第五戦隊は、「妙高」「羽黒」のペアによって編成されていた。
この事情を踏まえか、『艦これ』の「第五戦隊」を編成せよ!の編成任務では妙高型4隻のうち足柄が含まれておらず、妙高型全体での編成任務は「妙高」型重巡姉妹の全4隻を編成せよ!として別に存在している。
第五戦隊(「妙高」「羽黒」)は第二艦隊の一員としてソロモン諸島の主要戦役に参加。一方「那智」と「足柄」は北方と南方でそれぞれの艦隊の旗艦任務に従事し、昭和19年に「足柄」は本土へ呼び戻されたが今度は「那智」の戦隊へ組み入れられ、レイテ沖海戦へは4隻揃って参加したが、第五戦隊は栗田艦隊、第二十一戦隊は志摩艦隊所属で別行動となり、ついに最期まで四姉妹がひとつの戦隊で戦うことは無かった。
「那智」が昭和19年11月マニラ空襲で、姉妹の中では最初に戦没。レイテ沖海戦で重巡7隻を一挙に喪失した影響で、残存の重巡は第五戦隊へ寄せ集められたが、「妙高」と「高雄」は修理不能で航行不能、「利根」は本土へ帰ったものの燃料不足で浮き砲台化され、「足柄」「羽黒」のみが東南アジアを彷徨うように戦い続ける。
そして昭和20年5月に「羽黒」、6月に「足柄」が戦没。「妙高」は本土へ帰れないままシンガポールで終戦を迎え、戦後にイギリス軍によって海没処分される。
『艦これ』では、初期状態は艦のステータスにこれといって特徴があるわけではないが、現時点で同一戦隊の四姉妹全員に改二が実装されている唯一の重巡姉妹である。キャラ作画に特徴があり、クソコラ選手権二次創作の方面では一部で大変な人気(意味深)となっている。
第六戦隊 (古鷹型・青葉型)
→ 古鷹(艦これ) 加古(艦これ) 青葉(艦これ) 衣笠(艦これ) も参照
いわゆる“条約型”として知られる古鷹型・青葉型の重巡による戦隊。青葉型は古鷹型を基本に手直しを加えた改良型という位置づけのため、この四艦は準・姉妹艦と言える。
ワシントン海軍軍縮条約で戦艦の数を制限され、巡洋艦を「主砲は5~8インチ、排水量10000トン以内」にカテゴライズされたことを受けて、日本海軍はこの枠内で如何に巡洋艦を重武装させるかに心血を注いだ。
古鷹型はその第一陣として生み出された巡洋艦で、条約の上限排水量10000トンに対して8000トン、その中に8インチ単装砲6基(後の近代化改装で連装砲3基に変更)を効率よく収めたものとして、高く評価された。逆に米英においては、日本がこのような効率的な巡洋艦を生み出したことを脅威と受け取られ、後のロンドン軍縮条約締結の原因になったとされる。
『艦これ』での「古鷹」のセリフ「重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらえると嬉しいです!」には、自身が日本における重巡洋艦の先駆けとなったことへの自負が見え隠れする。
とは言え、軍縮条約が過去のものとなり建造制約?なにそれおいしいの状態になった太平洋戦争においては、古鷹型・青葉型は旧式艦として扱われ、主力の第二艦隊や南雲機動部隊(第一航空艦隊)ではなく中部太平洋方面の第四艦隊へ配属されていた。珊瑚海海戦では五航戦および「祥鳳」と出撃したが、連携の拙さから「祥鳳」を撃沈される。
第六戦隊の白眉とも言うべき戦いは、昭和17年8月に廻ってきた。重巡「鳥海」を旗艦とする第八艦隊(長官:三川軍一中将→三川艦隊)は、第六戦隊に加えて軽巡「夕張」「天龍」駆逐艦「夕凪」という、旧式艦のオンパレードというような陣容だったが、第一次ソロモン海戦で連合国軍に対し(戦術的には)完勝を収めた。
しかし第一次ソロモン海戦の帰路に潜水艦の襲撃で「加古」が撃沈されたのを皮切りに、10月のワレアオバ事件サボ島沖夜戦で「古鷹」、11月の第三次ソロモン海戦第一夜戦で「衣笠」を立て続けに喪失。残存艦が「青葉」のみとなり、ここで第六戦隊は解隊となってしまう。
「青葉」はその後所属部隊を転々とし、何度も瀕死になりながら、終戦を呉軍港内・大破着底状態で迎えた。
『艦これ』では、準・姉妹艦だが古鷹型・青葉型で絵師・声優が異なり、さらに「青葉」「衣笠」でも絵師・声優が異なる。『艦これ』実装が遅れた「衣笠」もだが、「青葉」が突出する印象なのは、やはりワレアオバ事件の影響か?
2013年11月13日のアップデートで、「衣笠」に改二を実装。また任務「第六戦隊」を編成せよ!と出撃せよ!が追加され、元から存在した『三川艦隊』に関する任務と合わせて、対象となる任務が何気に多い戦隊となった。その後も2014年12月に「古鷹」、2015年6月に「加古」にも改二が追加された。いずれも重巡洋艦としては性能は『並よりやや高い』レベルだが、燃費や弾薬消耗が他の重巡より少ないため周回が必要な任務の遂行に重宝する。
第七戦隊 (最上型)
→ 最上(艦これ) 三隈(艦これ) 鈴谷(艦これ) 熊野(艦これ) も参照
最上型重巡洋艦による戦隊だが、ミッドウェー海戦で「三隈」を喪失、「最上」が航空巡洋艦へ改装されて転出し、末期は第八戦隊と統合されて「利根」「筑摩」が編入して、陣容が大きく変わった。
最上型の各艦名は「最上」の最上川をはじめとして、何れも軽巡洋艦命名の基準である河川名から取られている。これは、建造予算が通った時に存在したロンドン軍縮条約に配慮して軽巡洋艦として起工し、条約が失効するや否や主砲を8インチ砲へ換装して、重巡洋艦化してしまったことに起因する。(偽装?イイエ「誤表記」デスヨ)
また、「鈴谷」「熊野」は友鶴事件の影響で設計に手を加えられており、「最上」「三隈」とはいくらか異なる形で完成した。このため「鈴谷」「熊野」を鈴谷型と呼ぶことがあり、『艦これ』ではこの点を踏まえて、前者と後者で絵師・声優を変えている。
開戦時は4艦揃って第七戦隊を編成。“栗田ターン”で知られる栗田健男少将を司令官に、東南アジア攻略・セイロン沖海戦・ミッドウェー海戦へ出撃する。ここで「三隈」が最初の喪失重巡となった。
ミッドウェーの後、「最上」は衝突事故修理にかこつけて航空巡洋艦へ改造され、艦様が一変。いったんは第七戦隊へ復帰するが、性能が違いすぎて扱いに困ったのか、昭和19年1月の第八戦隊との統合で「最上」は外へ出され、単独で第二艦隊附属艦となり、レイテ沖海戦では西村艦隊へ配属される。
「鈴谷」「熊野」は引き続き「熊野」を旗艦に第七戦隊を編成。「利根」「筑摩」受け入れ後は4隻で戦隊を組むが、レイテ沖海戦で「鈴谷」「筑摩」を喪失。大破した「熊野」は単独でマニラへ辿り着き、その後本土への帰投を図るが米潜水艦と空母の襲撃によって戦没する。
『艦これ』では、「最上」が航空巡洋艦化されたのを拡大解釈して、「三隈」「鈴谷」「熊野」も改造後は航巡に改造となる。しかしこれは、改造計画自体はあった「扶桑」「山城」の航空戦艦化とは異なる全くのフィクションなので、勘違いしないこと。
また、2017年4月5日のアップデートで、最上型では先陣を切って「鈴谷」に改二が実装されたのみならず、軽空母「鈴谷航改二」へのコンバート改装が実装された。これは後に建造された改鈴谷型重巡洋艦の「伊吹」が建造の途中で軽空母に改装された(ただし未完成のまま終戦を迎えた)、という史実を元にしたIF改装である。同年6月6日には「熊野」にも同様の改二・航改二が実装された。
2021年3月30日のアップデートで、ネームシップの「最上」に待望の改二、のみならずコンバート改装の改二特が実装された。改二特は航空巡洋艦の特徴である搭載機数が現象する代わりに火力を増強させており、一躍重巡でもトップクラスの夜戦能力を持つに至り、さらに他の重巡にはない大発運用も可能という特徴も相まって、陸上型深海棲艦の絶対的キラークイーンとして再脚光を浴びるに至っている。
第八戦隊 (利根型)
本来の“航空巡洋艦”である利根型重巡洋艦による戦隊。昭和14年の編成以来、一貫して「利根」「筑摩」の姉妹艦で編成してきたが、大戦後期に第七戦隊と統合された。
日本海軍では水上偵察機による索敵を重視してきたが、利根型は初めてこれに特化した艦として建造された。
これまでの戦艦・巡洋艦にも水偵は積まれていたが、いずれも砲塔のそばに機体があって、発砲の爆風で故障する危険があった。利根型は、主砲塔を全て前甲板へ置き、艦橋を挟んで後甲板を全て水偵運用場所とすることで、安定的に水偵を運用することが可能になる画期的なものだった。
艦名が河川名から取られているのに分類が重巡洋艦なのは、最上型と同様、ロンドン軍縮条約への配慮(偽装)によるものである。
索敵を水偵に依存して、空母艦載機による偵察を活用してこなかった日本海軍で、空母を集中運用する第一航空艦隊(南雲機動部隊)が編成されると、航巡部隊の第八戦隊は艦隊の目として配属され、真珠湾攻撃・オーストラリア空襲・セイロン沖海戦などを戦う。
しかしミッドウェー海戦での、「筑摩」水偵のいい加減な索敵活動(雲の上を通ってしまい、雲下にいた米艦隊を見逃す。)や「利根」水偵の敵艦隊位置の報告ミスが、4空母沈没・大敗北の一つの要因になったとして、しばしば批判の対象に挙げられる。
第八戦隊はミッドウェー海戦後も、機動部隊(第三艦隊)へ編成されて索敵任務を担ってきたが、昭和19年1月の編成で第七戦隊と統合され、4月には戦艦・重巡部隊の第二艦隊へ編入。マリアナ沖海戦とレイテ沖海戦を戦い、「筑摩」はレイテで戦没する。
「利根」は書類上、残存重巡が寄せ集められた第五戦隊所属となるが単独で日本本土へ帰投し、空襲により呉軍港内で大破着底して終戦を迎える。
『艦これ』では今のところ特に固有の任務を持っておらず、戦隊としての認知度は薄い。「利根」のセリフで「索敵の心配はないぞ!」というのがあるが、これはミッドウェーのブラックジョークではないかと、一部では囁かれている。もっとも、大失態だったのは「筑摩」のほうなのだが。
2014年4月23日に姉妹揃って航空巡洋艦への改二が導入された(要・改装設計図)。その後も重巡の改二は増え、ついに利根型姉妹から遅れること3年、同じ航空巡洋艦の最上型の「鈴谷」「熊野」に改二が実装されたが、それでもまだ強力な航空巡洋艦として最前線を張り続けている。
ドイツ海軍 (アドミラル・ヒッパー級)
→ プリンツ・オイゲン(艦これ) も参照
第一次大戦の敗北と、その後の「スカパーフロー自沈事件」(別名:賠償艦で他の国に渡すくらいなら全部自沈させちまえ事件)と後始末(賠償艦の代わりに膨大な賠償額を支払う羽目になった)のため、ドイツ海軍がほぼ壊滅状態となったのが、大体1920年頃である。それから第二次大戦までわずかに20年弱。しかし15年の間、海軍的にはほぼ何も出来ない状態が続いた。この状態が変わったのが、ヒトラーが政権を取り、再軍備宣言を行った1935年以降であり、ナチスドイツが第二次大戦に突入する1939年までわずか4年であった。
アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦もこの海軍再軍備計画「Z計画」の一環として建造された。ドイツ海軍の目的は2つあり、一つがUボートを使った通商破壊、そしてもう一つがイギリス・フランスの海軍と渡り合うことである。そして、後者の目的で建造されたのが、シャルンホルスト級戦艦及びビスマルク級戦艦と、アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦であった。
アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦は5隻が計画され、戦争中にそのうちの3隻「アドミラル・ヒッパー」「ブリュッヒャー」「プリンツ・オイゲン」が完成した。このうち「アドミラル・ヒッパー」は終戦直前にキール港空襲で大破着底、戦後解体。「ブリュッヒャー」はノルウェーの要塞からの攻撃で轟沈。そして「プリンツ・オイゲン」は数々の戦いを生き延び、戦後アメリカに接収。日本の「長門」「酒匂」と共にクロスロード作戦の標的艦として使用され、2発の核爆弾に耐え抜き、最後は浸水のため珊瑚礁に座礁して放棄された。
最上型「鈴谷」「熊野」の実装から1年3ヶ月を経て、2014年11月14日から開始されたイベント「発動!渾作戦」の3面クリア報酬として実装されたのは、ドイツからやってきた陽気な重巡娘、「プリンツ・オイゲン」であった。
最大の重巡と呼ばれるだけのことはあり、改の状態でも数々の重巡改二艦を差し置いて耐久と装甲はトップ。そして幸運艦の名に違わず、運もトップである(2015年12月時点)。ただし、それに合わせて燃費も重巡で最大となっている。
その高性能ぶりに加え、持ってくるFuMOレーダーが高性能なせいか、上記イベントの終了後は、通常海域や建造どころかイベントにすら登場せず入手出来ない状態が続いていたが、2015年11月末のイベント「突入!海上輸送作戦」で実に1年ぶりの再入手が実現した。その後もイベントでの登場はあるものの、本実装は未だに実現されていない。
イタリア王立海軍 (ザラ級)
長い海岸線を持つという点において日本と似ているイタリアにおいては、第二次大戦に突入する前から、仮想敵国だったフランスに対抗して海軍力を充実させてきた、という経緯があった。このザラ級も、フランスの新鋭重巡であるシェフラン級に対抗するために、イタリア初の重巡であるトレント級を改良し、さらにワシントン軍縮条約も遵守するように設計された(結局条約制限を超えたのは秘密だが)。
前級であるトレント級が高速・軽装甲だったのに対し、4隻建造されたザラ級は中速・重装甲な重巡として、敵と撃ち合うことを想定していた。しかし、その重装甲ゆえに魚雷を積む余地がなくなっているのが特徴といえる。それ以外の点においてはバランスも良く、この時代の傑作巡洋艦としてザラ級を挙げる識者もいる。
しかし、やはり戦場においては計算通りいかないものであり、ザラ級重巡もほとんど戦果を挙げることなく、ネームシップである「ザラ」と姉妹艦「ポーラ」「フィーメ」の4隻中3隻までが一度に地中海に沈んでいった。唯一残った4番艦「ゴリツィア」はイタリアが降伏した後、ドイツ軍に接収され、かつての祖国で今や連合国側になったイタリア海軍に沈められるという数奇な生涯をたどることになる。
艦これでは、2016年2月10日から行われたイベント「突入!礼号作戦」の3面(最終面)クリア報酬として、ザラ級ネームシップである「ザラ」が、さらに同年5月2日から行われたイベント「開設!基地航空隊」で3番艦の「ポーラ」が実装された。史実で魚雷を搭載していなかったことを反映して雷撃の初期値が0だったり、射程が重巡で初の「長」だったりと、一風変わった性能(艦これでは重巡というよりはミニ戦艦、と考えた方が良い?)を持っている。
「ザラ」は2017年2月28日に改二(Zara due)が実装された。昼戦火力・装甲が一躍重巡トップに躍り出た反面、雷撃値は相変わらず低いままである。
アメリカ海軍 (ノーザンプトン級)
→ ノーザンプトン(艦これ) ヒューストン(艦これ) も参照
ワシントン軍縮条約により、アメリカもまた制限を受けていた。このため、いわゆる条約型巡洋艦が建造された。ノーザンプトン級もそのうちの一つである。
ちょうどこのノーザンプトン級の建造と同じ頃に締結されたロンドン軍縮条約(1930年)によって、「重巡洋艦」というカテゴリーが誕生し、早速そちらに組み込まれることになった(前級のペンサコーラ級がアメリカ初の重巡だが、こちらはロンドン軍縮条約より前に完成し、後から艦種変更となったので、最初から重巡として建造されたのはこちらとなる)。全6隻が建造された。
世代的には、日本で言えば妙高型の頃であり、決してまだまだ洗練されたとは言えない状態だったが、後のアメリカ重巡のプロトタイプ的な存在と言え、太平洋で日本との激戦に臨んで6隻中3隻が喪失している。
2019年末に実施されたイベント「進撃!第二次作戦「南方作戦」」E4ドロップとして、5番艦「ヒューストン」が連合国側としては初の重巡として実装。2021年5月にはイベント「激突!ルンガ沖夜戦」E-3 突破報酬としてネームシップの「ノーザンプトン」が実装された。前述の通りどちらかといえば旧式なためか、特筆するほどの能力は無かったりする(特に日本以外の艦では雷撃能力が低く抑えられることが多く、これが艦これのシステム上、夜戦時の火力低下に繋がってしまっている)が、最近はイベント等で特定の艦に特効が設定されることが多いため、そちらで期待されていたりする。
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