「探偵は論理的な推論をするまでもなく、そして実験的に確かめるまでもなく、最初から犯人を知っていたのだ」
「どうやって知ることができたの」
「本質直観によって」
矢吹駆シリーズとは、笠井潔による日本の推理小説シリーズ。本項では外伝的な作品についても併せて触れる。
笠井潔のデビュー作『バイバイ、エンジェル』(1979年)に始まる、1970年代末のフランスを舞台に、謎の日本人青年・矢吹駆と、探偵小説好きの女子大生ナディア・モガールを探偵役としたミステリー小説シリーズ。
本編は全10作予定で、2025年現在、第8作まで刊行されており、第9作は雑誌連載が(2015年に)終了して単行本化待ち、最終第10作が光文社「ジャーロ」で2017年からまだ連載中。また本編の10年後の日本を舞台にした〈日本篇〉が1作と、前日譚にあたる第0作が刊行されている(詳しくは後述)。
基本はヴァン=ダインやエラリー・クイーンをベースにしたクラシックなスタイルの本格ミステリだが[1]、本シリーズを特徴付けているのは、名探偵・矢吹駆の用いる現象学の本質直観に基づいた推理と、駆が各作品で実在の哲学者・思想家をモデルにした登場人物と繰り広げる思想対決――哲学議論である。
哲学に明るくない人には「本質直観」ってなんぞ? という感じだろうし、本項筆者も門外漢なので、真面目に知りたい人は現象学についての専門の本でも読んでもらうとして、ここでは『バイバイ、エンジェル』から矢吹駆自身の説明を引いておくと、
「僕たちは誰でも〈円〉という概念を持っています。三歳の子供でも、なにが円くてなにが円くないのかを判別することができるでしょう。けれども、よく考えてみると、これはとても奇妙なことです。円の概念を円周率で定義することができるとしても、僕たちはこの世界にあるすべての円形のものの円周率を計測してみてから、円の概念、つまり円の本質を知るようになったわけではありません。いや、精密に測れば測るほど、本当の円、純粋の円などというものがこの世界に現実には存在しないことを思い知らされるだけでしょう。つまり、さまざまな円形のものについての経験的な比較や実証的な計測をいくら重ねてみたところで、僕たちは決して円周率によって定義される〈円いもの〉の本質には辿り着けない仕組みになっているわけです。……しかし、僕たちは明らかに〈円いもの〉と〈円くないもの〉を判別することが出来るし、つまりは誰もが既に円の本質を知っているのです。実際問題として、ただひとつの円さえも測ってみる必要すらなく、既に円の本質を直観しているのです。……」
だそうである。名探偵・矢吹駆はこの「本質直観」の考え方を事件の推理に適用し、まず事件の支点となる現象を見極め、その現象に対する「本質直観」に基づいて推理を進める。
たとえば『バイバイ、エンジェル』であれば〈首切り〉に対する本質直観が行われるし、『哲学者の密室』では〈密室〉に対する本質直観が行われる。この「本質直観」自体が、ミステリーの定番の各種ガジェットに対してその本質を探る、優れたミステリー論になっているのもこのシリーズの特色である。
また、矢吹駆に言わせれば、ミステリーにおける名探偵が、多種多様な解釈が可能なはずの手がかりの意味を一義に定めて真相を喝破することができるのも、事件に対する本質直観によって最初から真相を知っているからだということになる。
「いや、それって単なる当てずっぽうでは?」という疑問は作中でワトソン役のナディアも発するが、たとえばシャーロック・ホームズが初対面のジョン・H・ワトソンに対してアフガン帰りであることを見抜く有名な場面に対して、「いや、それ以外の解釈もなんぼでも可能じゃないの?」という疑問を持ったことがある人は少なからずいるのではないだろうか。
矢吹駆によれば、そもそも事件の手がかりに対して「筋が通る」解釈というものは無数に存在し、名探偵の推理というものはその無数の解釈のひとつに過ぎない。であるのに、それが真実に到達できるのは、名探偵はその推理の前段階として真相を無意識に「本質直観」しており、それに基づいた推理をしているからだ、ということになる。現代から見れば、これはいわゆる「後期クイーン的問題」(名探偵の記事を参照)のひとつの解決策とも言える。
これだけで頭が痛くなってきた、という人もいそうだが、この「本質直観」の説明だけでめげていたらちょっとこのシリーズを読むのは大変かもしれない。
というのも、もうひとつのこのシリーズの特色である思想対決――矢吹駆と実在の哲学者・思想家をモデルにした人物との哲学議論が、本シリーズでは毎作品、かなりの分量を割いて(作品によっては100ページぐらいぶっ続けで)延々と繰り広げられるからである。しかもこの思想対決は(作品によって関連度に濃淡はあるが)本格ミステリとしての謎解きとも絡んでくるので、読み飛ばしてしまうとこのシリーズの醍醐味を味わい損ねることになる。この思想対決とミステリ部分との関連性が濃い作品ほど評価が高いのがこのシリーズなので……。え、思想対決部分も頑張って読んだんだから本格ミステリ部分とちゃんと関連しててくれると努力が報われた気がして嬉しく感じるだけ? 否定しにくい。
というわけで本気でしっかり読みこもうと思うと大仕事になってしまうシリーズではあるが、哲学議論部分はまあなんとなくノリで読んでいても本格ミステリとして充分に楽しめ、なにより各作品、非常にハイレベルな本格ミステリであるので、本格ミステリ好きであれば挑んでおくべきシリーズである。
ぶっちゃけ『サマー・アポカリプス』や『哲学者の密室』を高く評価しているミステリファンであっても思想対決部分までちゃんと理解してる読者が何割いるかというのは怪しいものだと思う。本項筆者も「あーそういうことね完全に理解した(わかってない)」のノリで読んでます。
ただし、本シリーズでは基本的に既刊に対するネタバレ配慮がない(たとえば第2作『サマー・アポカリプス』では冒頭で第1作『バイバイ、エンジェル』の犯人の名前が平然と出てくる)ので、初読時は必ず刊行順に読むことを強く強く強く推奨する(外伝的な作品は飛ばしてもOK)。
パリの高級アパルトマンで、中年女性の首なし死体が発見され、壁には「A」の血文字が記されていた。被害者は住人であるラルース家の次女オデット、容疑者は姿を消した妹のジョゼットと目された一方で、ラルース家には以前から、復讐を暗示する手紙が届いていた。事件に興味を示した女子大生のナディア・モガールは、変わり者の日本人青年・矢吹駆を巻きこんで事件に首を突っ込むのだが……。
日本の左翼運動が連合赤軍の凄惨なリンチ殺人に帰結したことに衝撃を受けた笠井が、『テロルの現象学 観念批判論序説』を執筆する傍らで書き上げたデビュー作。
舞台が海外で登場人物も名探偵を除いてフランス人、しかも現代思想をガッツリ取り込んだミステリというのは当時のミステリ界では相当に異端的な作風だったが(海外が舞台というのはともかく、哲学・現代思想ネタの本格ミステリは今でも相当珍しい)、当時はいわゆる「本格ミステリ冬の時代」だったこともあり、「今どき珍しいヴァン=ダイン風のクラシカルな本格ミステリ」としてマニアの歓迎を受けた。
『東西ミステリーベスト100』1985年版のうんちくを見る限り、「本質直観」の考え方については否定的なマニアも結構いたようだが。ミステリとしてのメイン趣向は〈首切り〉(首のない死体)。
思想対決の相手は永田洋子(というか左翼運動の帰結としてのテロ思想)。第1作なので、この時点ではまだ「実在の哲学者(っぽい人物)との思想対決」がシリーズのフォーマットとして確立されていたわけではなく、あくまで連合赤軍事件を『テロルの現象学』とセットで総括する試みとして永田洋子をモデルとした人物と駆の議論が行われたという形だろう。
ラルース家の事件から半年後、事件で心に傷を負ったナディアと、何者かに銃撃を受けた駆は、パリを離れて南仏財界の帝王ロシュフォール家の山荘を訪れる。しかしそこで駆たちを待っていたのは、「ヨハネの黙示録」に見立てた連続殺人だった……。
シリーズ第2作にして、本格ミステリファンからはシリーズ最高傑作の呼び声高い笠井潔の代表作のひとつ。哲学議論の方にも興味が強い人は『哲学者の密室』をベストにして、そうでない人は『サマー・アポカリプス』をベストにしてる気がする。ミステリとしてのメイン趣向は〈見立て殺人〉だが、密室、アリバイトリックなどてんこ盛り。また、シリーズを通して駆の宿敵となるニコライ・イリイチが初めて姿を現すのが本作である。
角川文庫版は前述の通り『アポカリプス殺人事件』に改題されているが、これは出版社の意向だったようで、このタイトルは角川文庫のみ。1990年の初期三作合本版からは元に戻されている。
思想対決というフォーマットが固まったのも本作で、今回の思想対決の相手は『重力と恩寵』で知られるシモーヌ・ヴェイユ。
冬のパリで、3週続けて一人暮らしの女が絞殺され、死体の一部が切り取られるという連続猟奇殺人が発生した。そして現場の壁には「アンドロギュヌス」という血文字が残されていた……。モガール家の晩餐に招かれた駆は、警察の気付いていない、被害者間のある共通点を指摘するが……。
シリーズ第3作。本作のあと、笠井は『ヴァンパイヤー戦争』シリーズなどの伝奇小説方面にシフトしたため、ここでシリーズはしばらく中断することになる。そのため、ここまでが初期三部作とされ、1990年には作品社から3作を合本した『天使・黙示・薔薇 笠井潔探偵小説集』が出ている。
ミステリとしてのメイン趣向は〈ミッシング・リンク〉……ではない。駆の本質直観の対象が何であるかを書いてしまうとネタバレになるタイプの作品のひとつ。
シリーズの中では前2作に比べるとやや評価が低く、笠井自身この作品を「楽に書けてしまった」ことでしばらくこのシリーズを書く気をなくしてしまったらしい。
5月、ブローニュの森に隣接するダッソー家の「森屋敷」で、客の男が死んでいるという通報を受けてモガール警視は屋敷を訪れる。後頭部を強打した死体は事故死かと思われたが、背中に刺し傷と、刃の折れたナチスの短剣が見つかり、殺人事件として捜査が始まる。だが、現場は三重の密室状態だった! モガール警視からの相談を受けた駆は〈密室〉の本質直観を通して事件の謎に挑むが、その中で、30年前、ナチスのユダヤ人収容所で起きた三重密室殺人の謎が浮かび上がってくる……。
前作からほぼ10年ぶりに発表された第4作。以降このシリーズの刊行はほぼ10年に1作ペースになり、(初期3作は常識的な厚さだったが)ここからシリーズは1作が長大化していく。本作は1冊本の創元推理文庫だと1182ページ。
評論家・笠井潔を代表する理論である、いわゆる「大量死理論」の〈実作編〉というべき作品(〈理論編〉は『探偵小説論』シリーズ)。そのため思想対決と本格ミステリとしての謎解きの関連度の高さは間違いなくシリーズ随一で、本作をこのシリーズの最高傑作に挙げる読者も多い。大量死理論自体は批判も多いけども、「大量死理論には賛同しないけど『哲学者の密室』は傑作」って人も多いはず。
本作で扱われたユダヤ人のホロコースト問題は後に『夜と霧の誘拐』で再び取り上げられる。
思想対決の相手は、20世紀最大の哲学者でありながらナチスに荷担したことでも知られる、マルティン・ハイデガー。
死の床にある友人フランソワ・デュヴァルを見舞ったナディアは、彼がザイールで研究していたウイルス感染症についての報告書を、ギリシャにいるマドック博士に届けてほしい、という依頼を受ける。駆を伴ってギリシャに向かったナディアだったが、マドック博士はクレタ島南岸の孤島「牛首島」にいるとわかり、駆と空港ではぐれたまま牛首島へ赴くことに。そうして牛首島のダイダロス館に集められたのはナディアと駆を含む10人の男女。嵐のため孤立した島で、死体に奇妙な装飾が施された連続殺人が巻き起こる……。
『哲学者の密室』からほどなく雑誌連載されたが、全面改稿に8年を要し、前作からまた10年ぶりの刊行となった第5作。以後もこのシリーズは雑誌連載から単行本刊行まで長い年月を要するようになる。創元推理文庫版は1000ページ。
シリーズ初にして今のところ(単行本化された中では)唯一となる、コテコテのクローズド・サークル連続殺人もの。タイトルになっている「オイディプス症候群」の正体は現代の読者ならすぐにわかるだろうが、作中の70年代当時はまだ謎の病であった。ミステリとしてのメイン趣向は〈装飾された死体〉。
翌2003年に第3回本格ミステリ大賞を受賞した(乙一『GOTH リストカット事件』と同時受賞)。
今回の思想対決の相手はミシェル・フーコー。本作での駆の「まなざし」についての議論は以降のシリーズの思想対決でもちょくちょく言及されるので、思想対決部分も真面目に読みたい人は覚えておいた方がいいんじゃないかと思う。
パリ市内のアパルトマンでルーマニアからの亡命将校が射殺され、床に"DRAC"の血文字が残されていた。その一週間後、女性が全身の血を抜かれる連続猟奇殺人、通称〈吸血鬼〉事件が発生しパリを震撼させる。ふたつの事件にはどんな繋がりがあるのか? 一方、『オイディプス症候群』の事件のトラウマに苦しむナディアは、精神分析を学ぶ友人のシモンから精神分析療法を受けることを勧められるが……。
今回の思想対決の相手はジャック・ラカンとジュリア・クリステヴァ。いわゆるラカン派精神分析を題材に採ったシリーズ第6作。創元推理文庫版は928ページ。トラウマや多重人格といった、90年代から大ブームとなったサイコサスペンスもののお約束に対する批評的な色合いが濃い(気がする)。駆の本質直観推理の起点となるものがなかなか明らかにならないのも特徴。シリーズの中ではぶっちゃけミステリファンからの評価はあんまりパッとしない。面白くないわけじゃないんだけど確かにあんまり語ることがないかも。
シリーズ的にはナディアが前作のトラウマを乗り越えて精神的に成長する話で、ナディアと駆の関係にもちょっと進展があるけど、それ目当てに読んでる人いる?
1978年6月。ナディアは著名な作家エルミーヌ・シスモンディから、思想家ジャン=ポール・クレールからの手紙が消えた謎を矢吹駆に解き明かして欲しいという依頼を受ける。しかしその手紙をネタにセーヌ川に呼び出されたシスモンディとナディアは、係留された船の中で全裸女性の首なし死体を発見することに。調査の中でナディアは、恩師のアラン・リヴィエールから39年前の首なし死体事件を語られる……。
連載完結から12年経ってようやく出た第7作。単行本で2段組800ページ、2200枚なのでおそらく『哲学者の密室』を上回ってシリーズ史上最長作。分冊せずに出してる創元推理文庫版はどうなるんだろう。
今回のミステリとしてのメイン趣向は〈消失〉。また本作で語られる39年前の事件の主人公イヴォン・デュ・ラブナンは『バイバイ、エンジェル』の重要人物で、『バイバイ、エンジェル』の前日譚という側面もある。え、『バイバイ、エンジェル』の内容なんてもう覚えてないって? 覚えてなくてもまあ問題ないんじゃないかな。たぶん。
思想対決の相手は、ジャン=ポール・サルトルとそのパートナーだったシモーヌ・ド・ボーヴォワール。
1978年秋、ナディアと駆はダッソー家の晩餐会に招待されるが、その晩餐会の夜、ダッソー家の運転手の娘・サラが、ダッソー家の一人娘・ソフィーと間違われて誘拐された。身代金の運搬役に指名されたのは、たまたま居合わせただけのナディア。犯人の要求に振り回されるナディアだったが、誘拐事件は意外な展開を見せていく。一方、同じ夜にカトリック系私立校で女性学院長が射殺された。モガール警視はその捜査に駆り出されるのだが……。
単行本だと前作『煉獄の時』からはたった2年半で出た(が、連載完結からは15年かかった)第8作。『哲学者の密室』の舞台であったダッソー家が再び舞台となるが、同じユダヤ人のホロコースト問題が題材となっているという繋がりで、『哲学者の密室』の事件との関連性はあまりない。シリーズ初の誘拐ものだが、このシリーズとしては珍しくミステリ的に派手などんでん返しや意外な展開が多く、『オイディプス症候群』と並んで普通に読んでて面白い作品だと思う。ミステリとしてのメイン趣向はもちろん〈誘拐〉……だが、駆の本質直観の対象はネタバレになるので伏せる。
前述の通り雑誌連載は2010年だが、何の因果か世界情勢的に2025年に単行本が出たことにちゃんと意味がある内容になっているので、読む気がある人は文庫待ちせず今のうちに読んでおいた方がいいかも。まあ文庫になる頃にもまだ続いてるかもしれんけども。
思想対決の相手は、アイヒマン裁判の傍聴記録で知られるハンナ・アーレント。
連載完結済み、単行本化待ちの第9作。本項筆者は連載では読んでないので内容は知りません。笠井潔いわく「あまり時間を置くことなく刊行したい」とのこと。まあ笠井潔ももう70代後半だもんなあ。
連載開始から8年経ってまだ連載中の最終作。もちろん本項筆者は読んでません。
笠井潔がデビュー前に書いていた処女長編で、『バイバイ、エンジェル』以前の矢吹駆を描いたシリーズ第0作。本格ミステリではないので(重要)、このシリーズをミステリとして読むぶんには飛ばしても特に問題はない。矢吹駆というキャラクターや笠井潔の思想について興味がある人向け。
天皇の容態が刻一刻と報じられる1988年の暮れ。小説家の宗像冬樹とフランス語教師ナディア・モガールが招かれた頼拓の旧家・鷹見澤家で、当主の毒殺未遂事件が起きる。それ以前から鷹見澤家に起きていた奇妙な事件の数々。宗像とナディアは事件の謎を解こうと捜査を始めるが……。
本編の10年後を描いた〈日本篇〉の第1作。要するにシリーズが完結する前に始まった続編である。タイトルの「悲劇」の文字が示す通り、本編がエラリー・クイーンの国名シリーズに倣っているのに対し、こちらはバーナビー・ロスのドルリー・レーン四部作に倣っており、『白銀の悲劇』『黄金の悲劇』と続刊する予定らしいが今のところいつ出るかは不明。一番の懸念は作者の年齢か……。
矢吹駆シリーズ日本篇、とされているが本作には矢吹駆は登場せず、ナディア・モガールが探偵役を務める(なので本質直観推理もない)。また、語り手となる小説家の宗像冬樹は明らかに笠井潔自身がモデル。どうでもいいけどガンダムがわかる矢吹駆シリーズ読者が読むとすごくムズムズすると思う。ムズムズするのも伏線といえば伏線なんだけどさ。
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最終更新:2025/12/16(火) 10:00
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